リーマン倒産を「俯瞰する眼差し」

リーマンの牢獄 【8】前編

リーマン倒産を「俯瞰する眼差し」

留置場初日から、カメラの放列の前を〈引き回し〉の洗礼。取調室では黙秘で追及から身を守るが、外ではリーマン破綻の津波が世界を覆い尽くしていた。〈檻の中の蛙〉は取り残され、眼前の激流を俯瞰するしかない。=有料記事、約1万3900字

 

第8章檻の中の蛙〈前編〉

 

――一夜明けて、留置場初日はどうだったんですか。

「起床と同時に異変が起きたんです。留置施設には容疑者を収容する〈居室〉と呼ばれる雑居房が4つありました。僕が勾留された時は各〈居室〉に数人の人影があって、彼らが口々に何か言い始めたのです。

最初は何が起きているのかわからなかった。次第に留置場全体にざわめきが広がっていくんですが、鉄格子に加えて目隠しがあって、はっきりと外の様子が確認できない。どうやら、警察署の周りに人垣ができていて、カメラマンやマイクを持った報道関係者が続々来ているらしい。留置係の警官は我関せずで、そのわけを教えてくれない。牢内には序列があって、新米の僕が大騒ぎするわけにもいかず、ただじっとしているだけです。

5カ月足らず勾留されたが、久松署の処遇はまともだった(Wikipedia)

人垣は時間が経つにつれ大きくなってくる。やがて人騒がせなのは僕自身だ、ということが分かりました。警察が逮捕した場合、48時間以内に身柄と事件書類・証拠物を検察官に送致しなければなりません。これを〈身柄送検〉と呼びます。逮捕された被疑者は護送車で検察庁へ移送されます。報道陣は移送される僕を撮ろうと待ち構えているのです」

「引き回し」にカメラ殺到

――俗に言う〈引き回し〉または〈猿回し〉ですね。逃亡を防ぐためといいながら、実は犯罪者に屈辱を味わわせる戒めの効果と、警察が戦果を誇る意味もあります。最近は顔を覆ったり、手錠にボカシを入れたりと多少の配慮はしますが、刑人をさらし者にした江戸時代の風習の名残としか思えませんね。弁護士会はせめて法廷内では手錠と腰縄を外せと主張していますが。

「手錠をされ、腰縄を巻かれると、勝手には20センチも動けない。時間を確認する自由もない。朝九時ころでしょうか。僕は日本に戻って初めて陽のあたる屋外に出たんです。

警官にぴたりと両脇を挟まれて、留置場から署の通用口を出た瞬間、人垣に圧倒されました。カメラの放列、マイクを持って立つキャスター……一斉に射るような視線が僕に注がれる。いま世間を騒がせている男はどんな面構えなのか。一刻も早くそれをカメラに収めようと、殺気立って押し寄せてくる。

僕は顔を伏せませんでした。元気だ、これから頑張る、というメッセージを関係者や支援者に送りたかった。だから堂々と闊歩しました。ワゴン車に乗りこみ、大通りに出ようとしたところで、報道陣が押し合いへし合いして車が立ち往生したんです。

カメラマンが一人、車に体当たりしてきました。僕の顔をアップで撮るためで、さすがにぎょっとしました。警官が制止し、ガラスは割れなかった。報道の自由といっても、現場は肉弾戦なのだと思い知りました。

人垣は久松署だけではなかった。検察庁のある千代田区霞が関1-1-1、中央合同庁舎の入口にもずらりと報道陣が待機していました。つい昨日まで海外で暢気に構えていた身ですから、東京のこの異様な緊迫に空恐ろしくなったのを覚えています」

――検察官は、身柄を受け取ってから24時間以内、かつ逮捕時から72時間以内に、裁判官に勾留請求をするか、起訴するか、被疑者を釈放するかの判断をしなければなりません。

公判まで「接見禁止」

「僕は東京地検に出頭して、事件そのものの容疑を全面否認しました。そのせいか、僕の勾留には、これから第1回公判まで〈接見禁止〉という条件が付きました。弁護士以外、家族を含めて一切連絡を取ることができません。第1回公判などいつ開かれるか知れないので、まさしく一寸先は闇。新聞、雑誌なども制限されます。外部から遮断された〈檻の中のかわず〉を強制されるんです。唯一の例外は、弁護士面会の時にアクリル板越しに見せられる写真や週刊誌などの記事だけ。だからいまだに僕は自分がどう報道されたのかをほとんど知りません。出所するまでそれがわからないんです。

これは大きな問題だと思います。自分を第三者の視点で見ることができず、自分の真の姿が捉えられない。鏡なしに自分の顔を想像するようなものです。ああして隔離するのも自分を見失わせ、シナリオ通りの自白を促すための仕掛けだったんですかね」

――居住空間も畳1畳分しかなく、取調室も密閉空間でしょう?

「検察庁から戻ると、久松署の取調室で連日取り調べが始まりました。留置場と同じ2階にあって、僕は並行移動で連れていかれる。大きな会議室を囲むように、3畳ほどの広さの狭い部屋が並んでいて、入口は一つだけ。小窓が入口正面に一つ、窓の外側には鉄格子、内側にも厚い扉があり、閉めると真っ暗闇です。天井の小さな蛍光灯がなければ何も見えない。その小部屋には、ミラーガラスもなければ、ディスプレーなどIT機器がひとつも備えつけてない殺風景なところでした。

そこに尋問官と調書作成係、そして被疑者の3人が押し込められて、鼻と鼻を突き合わせるように向かいあうわけですから、閉所恐怖症にはとても耐えられないでしょうね。最初は警視庁捜査2課の柳川警部補と若手刑事でしたが、同時並行で東京地検特捜部の吉田久検事と橋本検事が出張してきて取り調べが始まりました。僕が海外逃亡中、捜査2課・特捜部の合同捜査が始まって、タッグを組んでいたんでしょう」

――接見する弁護士は誰を選んだのですか。

「弁護士の接見といっても、顧問弁護士以外は面会できないのが原則です。なので、顧問弁護士には、京都の脅迫電話など暴力団対策で世話になった藤本勝也氏に依頼しました。いわゆる〈マル暴〉専門の弁護士に、僕の刑事裁判の成否を委ねたのです。

実はアスクレピオスの顧問弁護士だった一橋綜合法律事務所代表の笹原信輔氏も、顧問を決めるまでに何度か面会に来たことがあります。丸紅案件をよく知っている人ですから、藤本氏も弁護団に入らないかと誘ったのですが、断られました。

有力法律事務所引き受けず

なぜですかね。丸紅案件のゲートキーパーだった2人の明暗が分かれたことと、何か関係があったのかもしれません。ジーフォルムの高橋文洋社長が山中氏とともに逮捕されたのに、同じ立場だった川上土地建物の川上巌社長は逮捕を免れましたからね。笹原氏は川上社長と親しかったので、利益相反にあたるのかなと僕は思いました。

ほかに、メデカジャパンなどでアドバイスを受けた西村あさひにも弁護団に入ってほしかったのですが、引き受けてくれませんでした。西村あさひやTMIなど有力事務所がどこも弁護団に加わらなかったのは、リーマンや丸紅の差し金でしょうか」

――齋藤さんは知らなかったでしょうけど、リーマン対丸紅の331億円支払い請求訴訟で、西村あさひの木目田裕・弘中聡浩弁護士が丸紅側代理人になっています。利益相反にあたると考えたのでしょう。2008年5月28日に第1回公判、7月28日に第2回公判が開かれることになっていましたが、取り調べが丸紅のシナリオに沿って進むとなると、齋藤さんも刑事と民事の両方に目配りしなければならないのでは?

「アバターさん、僕はあの香港の〈光の交響曲〉から、〈接見禁止〉の真っ暗闇に降り立ったばかりだったんですよ。〈リーマンの牢獄〉のトバ口にいました。何も考えない方がいいんです。自分はこうあるべきだ、現実はこんな不自由ではなかったはずだ、などと考えず、現実を受け入れることが重要です。現実をある程度受け入れてから考え始めても遅くはない。

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