三菱重工CB事件という「弔鐘」

リーマンの牢獄 【1】前編

三菱重工CB事件という「弔鐘」

そもそも最初が躓きだった。長野の山間の変哲もない温泉街に生まれ、東京に出て中央大学に通い、80年代バブルの入り口で山一證券に飛び込んだ。いきなり副社長が自殺。不吉な影を感じつつ、「禁断の実」営業特金の売り込みに駆けずりまわったが、5年目にして「政治の街」赤坂へ。=有料記事、約8600字

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