「病院のハゲタカ」ババ抜き錬金術

リーマンの牢獄 【5】前編

「病院のハゲタカ」ババ抜き錬金術

医療機関に営利を認めない医療法の矛盾に「医療版ライブドア」をめざすが、ホリエモン逮捕で暗転。カネは集まっても池の中のクジラだった。バルク買いのチャンスにみえたメデカジャパンは、不良債権の山を押し付けてきた。=有料記事、約1万4400字

 

第5章破局の足音〈前編〉

 

――やあ、齋藤さん、刑務所のお正月はどうでしたか。

「ええ、独房で本を読む、テレビを見る、刑務所で正月にできるのはこの二つだけです。あとは氷点下の寒さに耐えるだけ。長野刑務所は寒さ対策で窓は二重になっているんですが、僕が入所したときは暖房なしでした。弱い暖房が入ったのは、僕が入所して5,6年経ったころかな。

ライブドア事件の堀江貴文氏も、ここに収容されましたね。彼は懲役2年6月でしたから、僕より刑期はずっと短かかったんです。堀江氏は収監時には「Go to Jail」のTシャツを着たり、獄中でもメルマガを書くなど、むきだしの国家権力に負けず意気軒高だったかに見えますが、現実の刑の執行は被害者や国民感情を考慮して、極めて厳正に行われたことは、堀江氏が出所後に出した『刑務所なう』と『刑務所わず』でも明らかです。

過去の粉飾事件の社名を並べたTシャツを着てモヒカン頭で収監に出頭する
堀江貴文氏と右後ろは当時応援していた西村博之氏(11年6月20日)=aflo

国家に睨まれた経済事犯への懲罰は寒冷地獄なんですかね。堀江氏は氷点下の独房でいきんで痔を患い、ずいぶんと苦しんだそうです。彼が長野にいたのは実質2年以下ですから、ささやかな暖房の恩恵には与れなかったはずです。やっと使い捨てカイロが許可されたのは、僕の残刑期が3年足らずになってから。彼が服役中に見えなかったことは、僕がフォローしましょう」

――廊下や作業場で堀江氏とすれ違うこともあったのですか。

「ええ、でも、私語は厳禁ですから、看守の前では声もかけられません。お互い自分の殻に閉じこもるしかないんです。独房で自問しました。丸紅案件の詐欺スキームを外すことができたら、アスクレピオスは実業として何をめざすべきだったのか、ってね」

「医療版ライブドア」をめざす

――それは何だったんです?齋藤さん。

「あの当時の言葉で分かりやすく言えば、〈医療版ライブドア〉の実現といったところでしょうか。米国の先行例を追って〈インターネット接続無料〉というサービスを二束三文で買い、グーグルやヤフーに単身で闘いを挑んだ堀江氏のライブドアに、若者はこぞって拍手喝采を送っていましたからね。

僕自身はすでにトウの立った中年でしたが、制度的に行き詰まって閉塞感のある医療機関の壁を破り、もっと患者本位で風通しの良い業界に変えてみたかった。無謀な戦いを挑むモスキートの心意気は、彼らと同じだったと思います。

アスクレピオスが最も力を入れるべきだと考えたのは、医療ポータルサイトの構築であり、サイバースペースを自由に流通できる電子カルテの開発でしたからね。アスクレピオスのIT事業は、子会社のプロスパークが担っていたのです」

――流行のネット分野に、単にツバをつけておくだけではなかったんですね。

「金融機関の改革の次は医療機関、との見立ては間違っていなかったと思います。カネと命、どちらも人間にとっては最重要です。ただ、患者本位とは何かが、まだ十分煮詰まっていなかった。電子カルテやポータルサイト構築に投じた金額も、5億円と小さすぎました。少なくともその20倍は必要だったでしょう。

ほかに考えていたのは、メディカルスタッフのネットワーク化です。医師・看護師など医療機関における人材の偏在が大きな問題でした。医師、看護師など医療スタッフのネットワークを構築し、ボトルネック解消をめざしていました。

そのひとつが、防衛医大出身者のネットワーク化です。彼らは国から借金をして医者になったので、借金を返済するまで国家の指示に従い異動しなければならない。一人平均約4000万円の借金がありますから、それをアスクレピオスが肩代わりする代わりに、アスクレピオスが支援する全国の医療機関の医師として勤務する契約を結ぶわけです。これは株式会社アスクレピオス・ヒューマン・リソーシスが担い、防衛医大出身の原田英明医師に代表になっていただきました」

――今となっては、死んだ子のよわいを数えるようなものです。資金繰りが超高利で回転させる丸紅案件を原型としていては、いくら大きな夢を描いても運用先の病院で安定的な利益が上がらなければ早晩行き詰まったのでは?

「アスクレピオスとしては、丸紅という枠を超え、将来の医療機関像を睨んで、医療機器など物の値段を把握し、その物流をコントロールすることも考えていました。

担当は株式会社アスクレピオス・パートナーズで、役員にはホギメディカル出身の柳泉信義氏に入ってもらい、神戸にある医療法人博愛会広野高原病院の再生で実績をあげた、京都銀行出身で一級建築士の山藤由近氏、埼玉記念病院事務長の宮崎重則氏、さらには伊藤忠商事メデイカル部門の新孝之氏を役員に迎えて、医療機関の物流改善に万全を期す体制を整えていたのです。実はこの子会社こそ当時の最先端モデルでした。僕らが破綻するや否や、同業者が後追いしましたが、現在のユカリア(当時はキャピタルメディカ)もその一つです。

大規模パンデミックにも備え

また、将来発生すると予測される大規模パンデミック(疫病)に備え、医療機関のリスク管理マネジメント、リスクアセスメントとその管理策のレビューや、院内感染リスク、職員感染リスク、情報漏洩リスクのコントロールまで手を広げようとしていました。

病病連携、病診連携、医師中心の病院間の連携だけでなく、患者の電子カルテを前提にした事務方の連携強化(患者の受け入れ体制の情報をIT導入により共有、可視化すること)、病院の外部委託事業者の厳格化(具体的には委託事業者の業務マニュアル提出や視察、エビデンスの提示など)を見据えた体制を構築しようとしていたんです。すぐには結果が出ない分野ですが、長い目で見ての布石でした。

――ずいぶんと先見性があったんですね。新型コロナウイルス感染症による医療崩壊を考えると、その必要性は今でも薄れていません。ただ時代に先行しすぎたのかもしれません。足もとが疎かになっていたのでは?

「2006年1月、六本木ヒルズのライブドア本社に強制捜索が入り、堀江社長が逮捕されたことは、僕らにとっても他人事ではなかった。メディアのゴリアテに挑む若きダビデの夢に、冷水が浴びせかけられた。アスクレピオスにも、彼らと共通した“死相”が現れていたんです。

おカネがジャブジャブ集まったクジラが、狭い池の中で身動きができない窒息状態のことです。調達と運用が不均衡で、いい買い物がなく、イグジット(出口)がみつからない。ライブドアのような株式市場の捕食者(プレデター)も、そこに資金を供給する外資系のマンモス投資銀行も、似たり寄ったりの袋小路でした。

「池の中のクジラ」に出口なし

堀江氏のライブドアはフジテレビの事実上の持ち株会社、ニッポン放送の買収を狙い、MSCB(転換価格修正条項付転換社債)で調達した800億円と東証の時間外取引で規制の網を掻いくぐり、みごとに奇襲作戦に成功しました。が、そこから売り抜けられず、経産省官僚出身の投資家、村上世彰氏に梯子を外されます。

他にも手当たり次第のM&Aで、割安な企業を買い漁ったものの、掘り出し物は少なかった。所詮はライブドアの株高頼みの株式交換で、にわかづくりのコングロマリットは迷走するばかり。捜査がなくてもいずれ暗礁に乗り上げたことでしょう。

米国のサブプライムローンだって、同じく調達と運用の不均衡の所産でしたね」

――ええ、金融緩和で溢れるマネーの行き場がないところに、焦げ付きリスクが高いとされた低所得者向け住宅ローン債権をトリプルAに化けさせるマジックが登場した。ハイリターンに目がくらみ、雪崩を打って不見転みずてんのマネーが流れ込んだのです。

メリルリンチの日本拠点に大ナタを振るった黒人CEO、スタンレー・オニールですら、喉元過ぎて熱さを忘れました。06年にはサブプライムを証券化したCDO(債務担保証券)の組成と販売にのめりこみ、02年から3倍になった75億ドルという過去最高益を謳歌しています。そこから先が茨の道でした。

メリルリンチを人減らしで立ち直らせたが
サブプライムの損失でオニールCEOは解任

調子に乗って国内最大のサブプライム業者を買収し、オニール自ら4600万ドルのお手盛りボーナスを手にしたのが仇になります。潮目が変わるや、07年第3四半期に79億ドルの大赤字を記録、慌ててワコビアやバンク・オブ・アメリカなど大銀行との合併を画策しますが、10月に解任されました。後任にはゴールドマン出身でニューヨーク証券取引所CEOだったジョン・セインが就きますが、在任わずか1年、リーマン・ショックの直撃で、メリルの歴史に幕を引く役を務めさせられます。

群馬を一大拠点に資金調達

「アスクレピオスにも同じ末路が待っていました。

基本的に池の中のクジラは同じです。押し寄せるマネーの出口をどこにみつけだすか、解のない窮地に追い詰められます。アスクレピオスが取り組んだ事業は大きく分けて二つあります。一つは資金を調達すること、もう一つは調達した資金をどう運用するかでした。その両輪が回らないと成り立たないのに、入口しか機能しなかった。

僕の刑事事件で検察側はこのスキームを〈病院再生ビジネスに絡めた複雑かつ精緻〉と呼んでいます。その仕組みはこう要約されました。

❶投資家が投資事業組合を設立してこれに投資した上、同投資事業組合と丸紅との間で病院再生事業に関する業務委託契約を締結するとともに、丸紅が投資額に利益を上乗せした業務委託費の支払を保証する

❷同投資事業組合は、丸紅の取引業者として病院再生事業の実績を有するジーフォルムに業務の再委託をする

❸ジーフォルムは、他の業者も使って病院再生事業を実施する

❹丸紅の支援の下で病院再生に取り組むことになる病院は、銀行から融資を受けた上で病院再生事業に係る費用を丸紅に支払う

資金調達面では、前章で触れたように匿名組合、任意組合などの投資事業組合を通じて投資家の出資を募るほか、アスクレピオスへの銀行などの直接融資もあり、アスクレピオスが新株を発行する増資という手もありました。僕を含めプロ集団だったアスクレピオス役員の6人が、これまでのツテを生かして順調に資金調達先を広げることができたのは、折からの金融緩和でマネーが潤沢だったせいもあります。

とりわけ副社長となった税理士の福田氏が大車輪の働きで、顧問先の群馬の投資マネーを呼び込んでくれたのがありがたかった。上州は〈アスクレピオス群馬支店〉と言っていいほど一大拠点になりました。日本一の家電量販店であるヤマダ電機のほか、東証2部(現スタンダード市場)のホームセンター〈セキチュー〉、名古屋セントレックスに上場していた中古住宅販売の〈やすらぎ〉など群馬を代表する企業が、匿名組合に出資してくれたんです。

日本最大の家電量販店「ヤマダ電機」の山田昇社長も
アスクレピオスの匿名組合に出資した群馬閥の1人

福田氏は独自に地元弁護士らに資産査定を依頼したうえで動いています。ヤマダ電機の山田昇社長、セキチュウの関口忠社長(14年死去)、やすらぎの須田忠雄社長には、僕も同行して挨拶しました。山田社長が僕らの追加出資要請に対し丸紅代表取締役印の印鑑証明を強く求め、石橋を叩いて渡る姿勢を見せたのはさすがでしたね。

群馬財界に一声かければ、県内だけですぐ20億円は集まりました。裏口上場した07年9月はちょうど第一次安倍政権が退陣、地元の福田康夫氏が自民総裁選に勝ち、政権の座に就いた時期ですから、群馬全体が盛り上がっていましたね」

この記事は有料です

会員登録・ログインして記事を読む