ABOUT US

あらゆる事件は非凡である。そう思ったのは、探偵小説と間違えて『罪と罰』を読んでからだ。まだ小学生6年だったから、うなされて熱を出した。何もかも見透かしているような予審判事ポルフィーリーが怖かった。先へ先へと回ってラスコーリニコフを追いつめる。それが恥ずかしながら、年来の取材仲間と組んだ「チーム・ストイカ」のモットーである。

雑誌としての「ストイカ」創刊は2019年10月。二度も手術をした年で、もっと気ままに、やり残したことが発信できるメディアがほしくなった。雑誌名にはストイックの語源であるストア派と、ユークリッド(エウクレイデス)の『原論』(ストイケイア、Στοιχεία)の意味を込めた。21年、コロナ禍の状況に鑑みて、流通に負荷のかかる紙媒体からオンラインに移すことを決めた。

それを機に単なるニュースサイトでなく、「借り物でない調査報道のセレクトショップ」としてプラットフォームを設計することにした。志を同じくするジャーナリストの独立系サイトと連携、リンクを張ってスター・ウォーズ連合軍のようなシンジケートをめざす。

ネットメディアが普及しても年々稿料が低下していくため、フリーランスのジャーナリストはむしろ廃業の危機に直面している。それに歯止めをかけ、報道からフェイクを追放する一助としたい。

要は独自ニュースを厳選した掲示板スレッドができたらと思っている。そしてオピニオンの延長線上で、政策を論議し、提言を実現させ、どん詰まりの日本の血路を開きたい。その同志を募るとともに、「ご質問・内部情報」Contact usのコーナーを設けてLeaks(内部通報)やDonation(寄付)でも協力をお願いする。

 


 

調査報道の高みへ、ストイックたれ

               ――ストイカ・オンラインの行動規範7則――

 

・報道の第一義は、社会の蒙をひらくウェイクアップ・コールにある

・調査報道によって社会の不正や不合理を抉り出し、事実を分析、俯瞰して世に知らしめる

・罪を憎んで人を憎まず、暴露より欠陥の是正を考え、公益や公正な社会経済の形成に寄与する  

・先入観に捉われず、圧力にも屈しないが、世に訴えて同志を募るリードオフマンとなる

・政治的金銭的物理的な利を求めず、利益相反行為は禁止し、公正な立場を堅持する

・取材に聖域なし、プライバシーやコンプライアンスなど法の枠内で最新の手段を惜しまない

・情報の扱いは慎重かつ厳正に守秘義務を徹底し、あくまでも内部通報者を守る

 


 

ABOUT ME

言い出しっぺの略歴を書こう。いまの肩書はこうしている。
  Shigeo Abe Editor & Writer at Large
好奇心旺盛だから専門分野を定めず、ときどき自ら取材して記事を書く。at largeとは「無任所」という意味である。調査報道のスクープの快感が忘れられないのは、新聞記者時代の92年と94年に日本新聞協会賞をもらったが、三つ目が圧力で没となり、幻のスクープとなったからだ。その口惜しさが今も原動力だ。

1948年東京生れ。番町、麹町、日比谷とお定まりの進学コース。サミュエル・ジョンソンの「英語辞典」、山田忠雄の「新明解国語辞典」のように個人で百科辞典を書く大望を抱いたが、途中で優等生ぶりっ子に嫌気が差し、アスリートの素質がないのにバレーボールに明け暮れて胃潰瘍になった。父の意向に逆らって東大法学部を忌避、もっぱら図書館で過ごし、ゼミはほとんど欠席して1年留年、論文提出だけで東大文学部社会学科を卒業した。

73年に日本経済新聞に入社、社会部に配属され、やがて田中金脈、ロッキード事件の取材陣に投入されて、ブンヤは体力勝負と知る。4年後に整理部に異動、紙面電子製作システム「アネックス」への移行期に遭遇し、活版印刷の最後を看取った。87年に金融部に異動、キャップとして金融新聞の創刊とブラックマンデーやバブルの激流に翻弄された。

89年にデスク、編集委員兼任となり、マーケット以外にも手を広げた。リクルート未公開株事件で日経も巻き込まれ、その雪辱戦にしばしば「越境」取材ができた。下っ端の論説委員となり、美文家でもないのに、一面下段の「春秋」コラム筆者陣の一角に入ったが、コラムでスクープを書こうとして論説主幹にたしなめられたこともある。

証券部を経て95年にロンドンに赴任、拙い英語で苦労したが、未知の世界を知った。サダム・フセイン時代のイラク、香港返還時の中央アジア取材など単独行の経験を積む。98年に帰国して日経を退社、ケンブリッジ大学で客員研究員となり、「イラクにおける大量破壊兵器の研究」の取材・研究のため、99年夏にイランを私費で6000キロ旅した。

雑誌界に転じて99年秋から4年間、情報誌「選択」の編集長兼副社長を務め、古巣の新聞社社長の公私混同を追及したことで多くの友人を失った。2006年には月刊誌「FACTA」を創刊、発行人兼編集長として電通利権の追及やオリンパス、東芝の不正経理事件などさまざまな調査報道の戦果を挙げたが、病を得て2019年8月末に退社した。

アドホックで何冊も共著を出したが、単著は『イラク建国』(中公新書)くらいで、器用貧乏なのか、主著と言えるものはない。訳書では、フリップ・K・ディックの『あなたを合成します』『ブラッドマネー博士』(サンリオ文庫)、『市に虎声あらん』(平凡社のち早川書房)、『ジャック・イジドアの告白』(早川)があり、2018年にはデヴィッド・フォスター・ウォレスの『これは水です』(田畑書店)、19年9月、ドイツ語から翻訳したエルンスト・ユンガーの『ガラスの蜂』(田畑書店)、20年3月にはウォレス『フェデラーの一瞬』を出した。

そろそろ年貢の納め時を意識して、訳書でなく単著『異端モンタノス派 初期キリスト教 封印された聖霊』を22年3月に出版した。ジャンルはこれまで手掛けたことのない宗教、それも初期キリスト教である。20代で読んだマックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』の借りを返したい。その土台となったウィリアム・タバニーの『預言者と墓石』の邦訳も出版準備中である。メモワールを書く気は今もない。記者は立ち止まったら腐るからである。