香港の夜空「光の交響曲」に別れ

リーマンの牢獄 【7】後編

香港の夜空「光の交響曲」に別れ

香港で“亡命”生活が始まった。銀行口座を開き、住まいを探し、広東語スクールに入って、学生ビザを取得する準備を進めた。日本人が通う酒バーやクラブで付き合いも広めた。だが、銀行でカネをおろそうとして、香港警察に拘留され、観念して帰国を選ぶ。 =有料記事、約1万2800字

 

第7章海外逃亡〈後編〉

 

――齋藤さん、東京千鳥ヶ淵の桜がどうやら開花したようです、長野刑務所の桜のつぼみはまだ硬いまま、奥信濃の春はもう少し先ですかね。

「僕の結婚式を思いだしますね。あれは4月6日、桜が散りそめるころ、記念写真でも花びらが舞っている。東京白金の八芳園でした。四方八方どこを見ても芳しいという、大久保彦左衛門(忠教)の屋敷跡でした。懐かしいな。その妻とも別れてしまった」

――でも、08年春、直前に別れた前妻との結婚記念日は、香港のグランドハイアットの一室で迎えたんですよね。偽名刺を使って無事チェックインできたんですか。

香港逃避行の第一夜を過ごしたグランドハイアット香港

「できました。香港はグアムと違い国際金融都市です。そこは融通が利くんです。銀行口座の開設を最優先にしたのは、所持金が日本円で1000万円しかなかったこと、それに観光ビザ以外のビザを取得する際、香港島にある銀行に口座を持つことは絶対条件だと自分で判断したからです。とりたてて黒崎氏の助言を受けたわけじゃありません。

もちろん円や米ドルを香港ドルなど他通貨に交換する際にも銀行口座は必要でした。香港ドルは米ドル相場にペッグ(固定)しているとはいえ、日常的には現地通貨を持つ必要もあったのです。念のため東京の黒崎氏に電話して、彼が紹介したスイスEFGバンクで僕の資産はどこの通貨で運用しているのかを確認しました。予想通り〈すべて米ドルで運用されています〉という答えが返ってきました。

勇を鼓してまず銀行口座

しかしながら僕は一介の逃亡者です。今は単なるホテル住まいで、香港に紹介者などいやしません。香港の外国銀行に口座を開けるのだろうか、と正直不安でした。しかし僕の拙い英語で乗り切るしかない。口座開設の目的、香港滞在の目的、自己紹介・職務経歴など必要事項をすべて英文にしたためて、パスポート持参でホテルに最も近くて、香港ドルの発券銀行の一つである英系のスタンダードチャータード銀行湾仔ワンチヤイ支店に乗り込んだのです」

湾仔と銅鑼湾の繁華街を走る英国風の2階建て市電「香港トラム」

――パスポート持参だから、口座は齋藤さんの実名となりますね。居場所を捕捉され、本国送還となるリスクは考えませんでした?すでにスイスのプライベートバンクEFG香港支店に口座があるのだから、そこから資金を引き出せばいいじゃないですか。

「香港の法律に抵触しなければ、身柄を拘束されるようなことはないだろうと踏んでいたんです。パスポートがあり、口座開設の目的と香港滞在の目的さえ明確なら、香港で銀行口座を開くことはそれほど難しくない。1000万円程度なら、すぐ預けられます。

EFGにあるカネは、いずれ香港での投資資金に充てる予定でしたが、黒崎氏が窓口と信じ切っていたものですから、運用通貨を照会しただけで支店は訪れていません。その後の彼の釈明では、担当のウィリアムが死亡し、霧島氏が窓口になったと言いますが、真偽のほどは分かりません。とにかく香港滞在中、EFGを使う必要性は一度も感じませんでした」

広東語学校で学生ビザめざす

――歯がゆいなあ。香港滞在の目的は何と書いたんですか。

「香港大学または香港中文大学の広東語スクールに通学するため、と書きました。これが功を奏したのかもしれません。約1時間で手続きを完了し、日本から持ってきた円の現金を香港ドルに交換して預けたのです。おそらく報告書が日本に送られたのでしょう。

とにかくスタンダードチャータードの口座開設には成功したのです。ついでに近場の香港上海銀行(HSBC)湾仔支店、シティバンク銅鑼湾コウズウエイベイ支店にも口座を開きました。日本のメガバンクで口座を開くのと同じくらい気軽でした」

――スクールに入学すれば、スチューデント・ビザがもらえますね。

「それも狙い目でした。1997年の香港返還以来、英語とともに広東語も日常的に使うようになりましたから一石二鳥です。しかしホテル暮らしで通学するのは贅沢すぎます。そこで次は住まい探しでした。エイブルという日系不動産会社に日本語の堪能な香港人がいて、そのスタッフと香港島の物件を十数件見てまわりました。

住まい探しは日本人避け物色

香港の人口700万人弱のうち、日本人はせいぜい3万人足らずですが、日本人は群れたがる動物なので、香港島でも東側の太古タイクー西湾河サイワンホーなどの居住エリアに住まいが集中しています。香港で2番目に高層の国際金融中心(IFC)や香港高級人民法院もある中心街、中環チユンワン(Central)からは地下鉄で十数分の至近距離ですし、日系スーパーもあり、生活上は便利です。しかし僕は人目につきたくなかったので、なるべく日本人が住んでいない地域を選びました。

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