リーマンの牢獄 【6】前編
丸紅部長「替え玉」に白バイ元警官
皇居を見下ろす丸紅本社応接室を“借景”にして、マンモス投資銀行を手玉にとる「なりすまし」の大芝居。サブプライム破綻が迫る「池の中のクジラ」がひっかかった。最初はゴールドマン・サックス。続いてリーマン・ブラザーズ。ゲンナマが乱舞する。=有料記事、約1万4700字。
第6章コンゲーム〈前編〉
――さあ、齋藤さん、コンゲーム(詐欺芝居)の本番です。モスキートがマンモス投資銀行を口車に乗せた次第を語っていただきましょうか。
「アバターさん、そんな胸の躍るストーリーじゃないですよ。信じていた人に裏切られたと知った瞬間、人のこころはこの長野刑務所の独房よりも寒々として凍りつきます。凍った人間関係が、ガラスのように壊れていく。しかも僕自ら手を下したことですから、よけい胸が痛む。あっけらかんと手柄話を披露するような真似はできません」
――じゃあ、順にうかがいましょう。アスクレピオスが米系投資銀行の巨額マネーを引っ張ることができたのは、どんなきっかけがあったんです?
「そもそもは06年9月あたりで、最初リーマンではなく、米系投資銀行の雄ゴールドマン・サックスでした。アスクレピオスにアシスタントとして入った女性が、たまたま以前の職場、ウエストドイチェ・ランデスバンクで三井恵介氏と一緒で、その三井氏に橋渡しをしてもらいました。彼は僕と同じ中央大学卒(学部は商学部)で、米国のバンカース・トラストやベア・スターンズなどを渡り歩いた外資系の投資銀行マンです。その彼がたまたまゴールドマンの日本法人の会計士と親しかったので口利きしてくれました。
三井氏はビジネスライクで、成功報酬として取引額の1%を支払う条件でした。そこが仲介料なしで丸紅案件を精緻化してくれたメリルの友人たちのボランティア姿勢との違いです。このときの資金調達について〈3月期末対策ですか〉と聞かれた記憶があります。しかし僕は初回のミーティングに出たきりで、あとは蚊帳の外でした。三井氏と親密になった丸紅課長、山中氏が交渉を主導したのです。
山中氏は当初、ゴールドマンの何たるかがよく分かっていなくて、単なる外資とみていたようですが、僕は懐疑的でした。天下のゴールドマンがデューディリジェンス(資産査定)で精査すれば、丸紅案件に空白部があることなど、あっさり見破ってしまうのではないかと危惧したんです。丸紅からの出資を断念したときと同じように、その二の舞いになると危ぶんでいました。
デューディリで精査を危惧
僕の脳裏には、メリルリンチのレベルの高いコンプライアンス体制がありました。ディール一つ一つに、関係諸法令に合致するかどうかのリーガルチェックはもちろん、投資家にとって真に適した取引かどうかを徹底的に精査していましたからね。とにかく新プロダクト委員会を通さないと取引を進められない。そのメリルと同等、もしくはそれ以上に高く評価されているのがゴールドマンのコンプラなんです。彼らの厳しいチェックが丸紅案件に入ることを考えると、印鑑証明すら出し惜しむような僕らに資金を出すわけがないと正直思っていました。
ですから、ゴールドマンとの交渉には同席する気にもなれませんでした。時間の無駄、と思ったんです。ゴールドマンの連中の顔を見るのも嫌でした。山中氏が主導している案件、すなわち丸紅の案件に、僕が説明することなんて何もない。ただ指示に従うだけでしょう?
ゴールドマン側も自信満々でした。〈ジーフォルムのGはゴールドマンのGだ〉とか〈いざとなったらジーフォルムなんて買ってしまえばいい〉などと放言する始末。山中氏まで〈ゴールドマンがどんとカネを出してくれたら、もう100万円単位の小口投資家なんて要らなくなる〉などと前のめりになりました。
見かねて僕は〈米系の投資銀行はみんなプライドが高いから、自分を安売りするようなことは言わない方がいいよ〉とアドバイスしたほどです」
――齋藤さんが交渉に距離を置いた理由は他にもあったのでは?
「ええ、実は裏口上場を助けてくれた宮本良一会計士から〈ゴールドマンとのミーティングには出ないほうがいい〉と言われたんです。宮本氏は商売柄〈危険だ〉とは口が裂けても言いませんでしたが、丸紅案件の正体を伏せたまま、外資に出資を仰ぐのは危うい、と言外に警告してくれたんでしょうか」
――山中氏主導だったとすれば、アスクレピオス対ゴールドマンというより、丸紅対ゴールドマンの交渉だったように見えます。
「だからこそ、06年9月27日ごろ行われたゴールドマンとの初回の顔合わせに、丸紅本社ビル15階の役員フロアの応接室が使われたんだと思います。ゴールドマン側は会計士ほか2人のスタッフが来ていました。山中氏はまだ現役の課長でしたし、別の課長も同席しています。ただの場所貸しで丸紅が役員応接室を開放すると思いますか?ゴールドマンも丸紅の肩入れを確信したはずです。
それ以降は、丸紅に近い竹橋のKKRホテルの一室や、六本木ヒルズのゴールドマン本社でも2回ほどミーティングが行われたと記憶していますが、やはり皇居を見下ろす丸紅役員応接室の〈借景〉効果は抜群に効いたはずです。
その半年後に今度はリーマン・ブラザーズとの交渉が始まるんですが、歴然たる差がありましたね。リーマンとの交渉は、丸紅本社7階のライフケアビジネス部に付属した普通の応接室でした。調度は役員応接室に比べればずっと地味でしたよ。ウォール街ナンバー1とナンバー4にここまで差をつけるのかと感心したくらいですから」
――しかし齋藤さんの予想に反して、ゴールドマンはカネを出しました。
「ゴールドマンが、僕らの組成した任意組合である投資事業組合への出資に応じ、実際に入金があったと聞いたとき、ほんとうに嬉しかったですよ。これまでの苦労が報われる、すべてをクリアしたと思いました。
勝ち組投資銀行のお墨付き
組成する投資事業組合はアスクレピオスが運営するといっても、実質的には丸紅案件のスキームに支えられていますからね。ゴールドマンが出資したということは、丸紅が最終責任を負い、ディールが完結するという完璧なスキームに、米系投資銀行ナンバー1のお墨付きを得たんだと解釈しました。
最初から人を騙そうとしている人が、手の内をすべてさらすことなどありません。このコンゲーム、どちらが勝つか負けるかだとすれば、勝ち組につくのが投資の鉄則です。ゴールドマンは明らかに世界を代表する勝ち組でした。それに乗ったんです。それ以外に何がありますか。
強いていえば、ゴールドマンと丸紅では月とスッポン、格が違います。ゴールドマンがカネを出すんだったら、丸紅ももはや逃れられないと思ったんです。契約書があり、支払い保証もあり(いずれも偽造でしたが)、これで丸紅は債務を免れることができなくなったと考えました。
後日の裁判で、検察側は〈僕が山中氏に対し精神的に優位に立ち、犯罪遂行において対等だった〉と主張していますが、とんでもないコジツケです。優越感があったとすれば、ゴールドマンの後ろ盾を得て、丸紅とも一蓮托生になれたという思いからです」
――このときゴールドマンが出したのは、一部報道で30億円とされていますが。
「いいえ、確か100億円程度だったと思います。償還期限は3~4カ月、110億円以上を返済することになっていたんじゃないかな。年率換算30~40%というハイリターンですから、ゴールドマンにとっては短期で荒稼ぎできるおいしい話でした。
でも、アスクレピオス社長の僕は、交渉の経緯をほとんど知りません。仲介役の三井氏が教えてくれなければ、誰が出席していたかもよく分からなかったんです。僕は当事者じゃなかった。ゴールドマンは僕に何も期待していない。条件を記した文書が手元にないのですが、ゴールドマンのデューディリが甘くなって、丸紅の支払い保証が架空だと見抜けなかったのは、ハイリターンに目がくらんだからじゃないでしょうか。しかも丸紅が丸抱えかのように、役員応接室まで使わせたことが大きかったんです」
――仕掛けが巧妙だったとしても、ゴールドマン側に石橋を叩いて渡る姿勢は見えなかった?
「最初から乗り気でしたね。やはり僕らのようなモスキートと事情は同じで、米国から供給される豊富な手元資金を抱えるマンモス投資銀行も、そろそろ怪しくなってきたサブプライムに代わる投資先に飢えて物色していたんですよ。