14年ぶりの娑婆は眩しかった
左は東京・竹橋の丸紅旧本社、中央はアスクレピオス像(エピダウロス考古学美術館蔵)、右はかつてニューヨークにあったリーマン・ブラザーズ本社

リーマンの牢獄 序

14年ぶりの娑婆は眩しかった

2008年、全世界で2兆ドルが失われたリーマン・ショック。ウォール街もワシントンも誰一人訴追されなかったが、日本では破局のトリガーを引いた男が、獄中14年、忘却の淵から帰ってきた。奇しくも連鎖危機の暗雲が、いま再び世界の金融市場に垂れ込める。我々もいまだ「リーマンの牢獄」を脱していないのか。=無料記事、約3480字

 

 

6月とはいえ、夏の陽ざしが容赦なく照りつける。齋藤栄功は出所の日を迎えた他の受刑者4人とともに、前後を看守に挟まれ、一列になって刑務所正門の出口へと歩きだした。

看守が鉄の扉を開ける。その向こうに14年ぶりの「娑婆」があった。

長野刑務所の正門前はみすぼらしい。煉瓦のいかめしい門構えなどなく、ヒビの入ったコンクリート壁の前に、無造作に自転車などが置かれてあるだけだ。

いまは2022年6月29日。朝の8時半である。拘束・収監されて以来、警察の留置場、東京拘置所、そしてここ長野刑務所と合わせて、正確には14年と15日間、齋藤は一度も「娑婆」に出たことがない。

人生のおよそ4分の1を「塀の中」で過ごして還暦を迎えていた。軽く会釈する。

「さよなら、長野刑務所」

出所の5人は三々五々散っていく。近くの長野電鉄須坂駅まで歩いていく人、刑務所の用意したミニバスでJR長野駅に向かう人……齋藤は一人になった。もう腰ヒモも手錠もない。出勤してきた刑務官が、足早に齋藤の前を通り過ぎた。もはや監視の対象ではないから彼には目もくれない。

ついさっきまで、高さ5メートルのコンクリート壁に囲まれた巨大な影のなかにいた。それが今や、まるで自分を置き忘れたかのように、日向にぽつんと孤立していた。

「みなさん、僕は社会復帰しました。さっきまで囚人でした。よろしくお願いします」

そう叫びたいけれど、とても街に溶け込めない。いまここにいる自分が、自分とは似て非なるものに思える。何もかも失い、何もかも奪われて、初期化でリセットされたパソコンのようにまっさらだ。懲役によって罪を償ったのなら、白紙に戻ったはずだが、いまは「前科者」の烙印を捺されて、見知らぬ土地で立ち尽くす自分しかいない。

「僕は何者なんだろう」

長野刑務所の航空写真

14年前の2008年6月、齋藤は巨額金融詐欺の主犯として逮捕された。彼の起業した会社の社名から「アスクレピオス事件」と呼ばれた。古代ギリシャの医術の神の名を借り、病院など医療施設の再生ファンドを運営していた。そこで大手商社丸紅の元課長と組み、米投資銀行リーマン・ブラザーズの日本法人から371億円の出資を受けたが、アスクレピオスの破綻によって償還不能となり、リーマンは全損の被害を被った。

ニューヨークのリーマン・ブラザーズ本社は、サブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)を加工した金融派生商品への危惧が広がり、前年から信用不安に見舞われて綱渡りだっただけに、これは泣きっ面に蜂だった。日本法人の桂木明夫社長は、担当の部下が本社から叱責されたと自著『リーマン・ブラザーズと世界経済を殺したのは誰か』に書いている。

日本のマーケットは、やはり洗練されているというのには程遠い。どうしてこんな詐欺まがいのことがまかり通り、また我々のような洗練された金融のプロが騙されるのか。

その〈洗練された金融のプロ〉を自負するリーマン本社が、空前の負債総額6000億ドル(約64兆円)を抱えて破綻したのは、齋藤逮捕から3カ月後の2008年9月15日である。

世界のマネーが凍りついた。

齋藤がかつて所属した米証券会社メリルリンチはバンク・オブ・アメリカに救済合併され、保険最大手のAIGは破綻に瀕して事実上国有化された。格付けトリプルAのトヨタ自動車でさえ資金調達難に直面する「金融のハルマゲドン」が出現したのである。

日経平均株価は1万2000円台から6994円まで暴落し、日本の実質GDP(国内総生産)は翌年5・69%も落ち込んだ。この大恐慌寸前の阿鼻叫喚は、日本では「リーマン・ショック」と呼ばれるようになった。

アスクレピオス事件はいわば頂門の一針だった。文化勲章受章者の名門一族を巻き込み、替え玉の偽部長を仕立てて丸紅本社の会議室に登場させ、まんまとリーマン幹部を手玉に取った手口は、当時の雑誌に「『セレブ』猿芝居」「M資金詐欺も真っ青の手口」「経歴や看板は一流でも、遅れてきたバブル男たちの自業自得」とボロクソに書かれても仕方がなかった。

検察の冒頭陳述では、他をひっくるめて約1500億円の被害総額と見積もられたこの事件の規模は、パンパンに膨れあがったバブルを破裂させるトリガーの一つを引き、世界に連鎖危機が波及する先駆けとなった。

ただ、いかんせん事後の津波が大きすぎた。逮捕時は警察署前にカメラの放列が敷かれた齋藤も、その津波に呑みこまれ、今や事件を覚えている人は数少ない。いや、もう彼は幻の人かもしれない。

齋藤はとぼとぼ歩きだした。ポケットのメモ用紙には「墨坂神社」と書いてある。そこが弟との待ち合わせ場所だった。出所する刑務所仲間とは距離を置きたかった。入所時は護送バスで刑務所に運ばれてきたから、周辺の地理など分かるはずもない。メモには道順が書いてあったが、須坂駅前でタクシーを拾った。

運転手の丁寧な言葉遣いがうれしい。看守が受刑者に敬語を使うことなど断じてないからだ。料金メーターが一つ上がったところで神社に着いた。財布からおカネを出して支払うのも久しぶりだ。すべてがリセットされたような錯覚に陥る。

須坂の墨坂神社本殿

境内には太い木々が立ち並んでいた。平日の朝、参拝者なんて誰もいない。石の鳥居の前の道路をパトカーが通りかかる。無人の境内を歩く齋藤を、不審者と思ったのかもしれない。助手席の警官がじろりと一瞥してパトが通り過ぎていく。職務質問されたら何と答えようか、と齋藤はたちまち不安になった。

しばらくして神社の駐車場に白いワゴンが滑りこんできた。弟の車だ。齋藤は駆け寄った。

「ありがとう、長らく迷惑をかけたな。ほんとうに申し訳なかった」

言葉が続かない。降りてきた弟は、これまで見たことのないような笑顔だった。

厚いアクリル板に遮られた弟との面会は、逮捕以来、160回を超えていた。その度に本を差し入れてくれた。それが心の支えだった。だが、そのアクリル板はもうない。一時間の面会制限もなくなった。

「兄さん、お疲れさま。これ、使ってくれよ」

新品のスマホとパソコンだった。捕まったとき、スマホはまだ市場に出がけのころで、齋藤は見たことも触ったこともなかった。助手席で操作してみた。弟が「スワイプして」と耳慣れない言葉を使う。次々と画面が変わるのを見て、齋藤は目を丸くした。

やはり自分は浦島太郎なのか。弟との会話もぎこちない。これから何をして、どこへ向かおうとしているのか。何よりも懲役作業をしていない自分に実感が湧かなかった。

ほんとうに自分はリセットされたのか。

何かがすれ違っている。まだ刑務所にいる自分と、出所でリセットされた自分。二人はどうしても一つになれない。齋藤は懲役15年の実刑判決を受けた。いまは刑期満了前の仮釈放中で、保護観察官らに生活状況の改善更生を示さなければならない。

それにしても詐欺罪の法定刑は10年以下の懲役(刑法246条)なのに、なぜその1.5倍も重い判決が下ったのか。裁判官の心証が厳罰に傾いたのは、詐取したカネの行方について、齋藤が取り調べ中も法廷でも貝のように黙秘を貫いたことが影響したのだろう。つまり371 億円の行方には未だに謎が残っている。

齋藤は一審判決に控訴しなかった。そのまま罪を認めて服役したのだ。なぜか。それが自分を白紙に戻すリセットができない理由だった。そのパンドラの箱を開けるのは、リセットした自分のはずだ。齋藤はジレンマを感じていた。自分が二人いる。刑務所に残ってその謎に蓋をしている自分と、まっさらになって蓋をこじ開けようとしている自分。前者は過去を抱えた齋藤であり、後者は過去を断ち切ったアバターサイトウである。

この二人の間に透明なアクリル板はない。その代わり、姿見の前で鏡像として向かい合っていた。いまの自分は鏡の向こう、自分の分身アバターのように思える。まるで茫然自失して、肉体を失ったかのようだ。どうしよう。これで娑婆を生きていけるのか。

――おい、と自分で自分に呼びかけた。二人の自分は根こそ同一だが、いまは別人格。いっそ対話させようか。自分への甘えを捨て、厳しく自分を追いつめるためだ。謎はそのほうが立体的に浮かぶ。このスマホとパソコンだって、アバターの武器になるかもしれない。時計の針を逆に回して、まだ獄中にいる自分に、過去を仔細に問い詰めよう。

なぜこうなったのか。何を隠しているのか。371億円を一体どこに溶かしたのか。そして、誰もが酔い痴れたバブルの狂気とはいったい何だったのか。

アバターは見えざる影となって、墨坂神社から住み慣れた長野刑務所の独房に引き返した。

(次回第1章前編は4月12日公開の予定です)