リーマンの牢獄 【7】前編
「賢人」バフェットに嫌われた理由
アスクレピオスが破産申し立て。発覚と同時並行で、ニューヨークではリーマン本社に空売りの津波。「オマハの賢人」に出資を要請するが、「丸紅スキャンダル」が報じられて守護神を失う。トリガーを引いたのも知らず、最後の晩餐を終えた齋藤は間一髪でグアムへ飛び立つが……。 =有料記事、約1万2000字
第7章海外逃亡〈前編〉
――齋藤さん、そろそろヒナ祭りの3月です。刑務所では何かイベントがあるんですか。
「その年の予算次第ですが、イベントといっても高が知れています。ヒナ壇を飾るわけじゃない。節分には10粒ほど小さな豆が入った袋が配られました。10年ほど前までは、桜が咲くころに缶コーヒーとどら焼きが出たので、所内の桜の木の下でお花見気分で“喫食“したものです。今はその大樹も切り倒されて、すっかり味気なくなりました」
――2008年3月は、齋藤さんが娑婆で迎えた最後の春でした。でも、人と会うのを避けてホテルを転々とその日暮らし。丸紅や司直の動きはどこから情報を得ていたんです?
「ええ、僕は奇妙なエアポケットにはまっていました。カネさえ出せば匿名でいられるホテルという要塞に立てこもり、新聞もテレビも遠い別世界でした。友人たちから携帯にかかってくる電話に、〈すべて丸紅の責任〉〈丸紅に利用された〉などと釈明し、〈丸紅を相手に一緒に闘おう〉なんて強がりを言うだけでした。でも、何もかも丸紅に全面転嫁しなければ、自分が維持できなかったんです。
警察・検察の動きを耳打ち
そのうちに、山中氏やジーフォルムの高橋氏が自首したと耳にした記憶があります。誰に教えてもらったのか、山一またはメリルリンチ以来の友人か、税理士の植田氏か、あまり覚えていないんです。でも、毎日電話をかけてきた黒崎氏だった気がしますね」
――案外マメな人ですね。彼とはどんな話をしていたんです?
「彼は警察や検察の動きを把握していると言ってました。検察内部にも派閥があって、その派閥を逆手にとって情報を引き出せる、とね。忘れられないのは〈裏金で10億円用意してくれれば、齋藤さんがしたことは無かったことにできる〉と豪語したことですね。彼の背後にはそれなりのブレーンがいるんだと思いました」
――ハッタリでしょ?まだ30歳前の若造が検察を牛耳れるんですか。ヤメ検弁護士あたりから仕入れた聞きかじりで、証拠隠滅にあと10億円だなんて、とことんしゃぶる気でしょう。
「検察内はすべてバランス・オブ・パワーなんだそうです。一方の派閥の失態は、敵対する他派閥の応援歌となるので、黒崎氏がゲンナマを使って巧みに操作するというのです。しかし条件が一つあるという。マスコミに出る前にゲンナマを用意しろという条件でした。
メディアは、カネではどうにもならない唯一の力なんだそうで、マスコミが書きだしたら、もう蓋をするのは難しくなる。検察内部の懐柔より困難だからという理由でした」
――買いかぶりが過ぎますね。権力の走狗、あるいは御用聞きという意味で〈第四の権力〉かもしれないけど、〈社会の木鐸〉なんてとっくに昔語りですよ。
「とにかく僕のXデーが迫っていましたからね。1週間やそこらで10億円なんて用意できるはずもない。タイムアウトでした。彼の黒幕が誰かを聞き出すことはできなかった。日本の政治家の名前は出ていません。出たのは胡錦濤やら毛沢東やらです。
アバターさん、僕の力はそこまでだったんです。1970年代のロッキード事件で生贄となったのは丸紅でしたよね。本命はロッキードの哨戒機P3C(通称オライオン)の調達をめぐる防衛庁―小佐野賢治ルートでしたが、解明に至らず、旅客機を輸入した丸紅が悪役にされました。今回は丸紅が被害者に回り、司直のメスが入ることなく、僕ばかり貧乏くじを引かされた。その構図はロッキード事件が未だに尾を引いているとしか僕には思えませんでした。
でもね、それで思わぬ仲間を得たと錯覚することになったんです。検察まで懐柔できる心強い仲間がいると思うと安心でした。ほんとうに心が通っているかどうかなんて関係ない。毎日電話をかけてくれる人が、唯一無二の友人に思えました」
接近してきたメディアの「仮面」
――動き出した記者たちに居場所を突き止められなかったんですか。
「前年の6月から7月、LTTバイオとの経営統合前に山中氏と2人で日経バイオテクのインタビューに応じたと言いましたよね。土壇場になってその記者から、僕の自宅の郵便受けに名刺と手紙が届いたんです。〈齋藤さんのために誌面を割くので、きちんと言い分を説明したら〉という内容でした。非常に嬉しかった。心が揺れ、それだけでヒーローになった気分でした。
しかし、と考え直しました。僕のやってきたことはすべて矛盾ばかりで、投資家が納得できるような釈明などできるはずがない。残念だが、お断りせざるを得なかった。だから、他のメディアの取材の電話にも一切出ないことに決めたのです」
――齋藤さんの逮捕後、日経バイオテク8月号でその記者がインタビューを掲載しなかった理由を書いてますね。〈LTTバイオと一緒になっても一方的に研究開発費を負担させられるだけで、アスクレピオスには何のメリットもない〉と大きな疑問を感じたからだという。また、アスクレピオス会議室の壁が高級な板材の内装で、巨大な木製の会議机に〈一脚数十万円はしそうな革張りの椅子〉が並び、ミネラルウォーターを注いだグラスが贅沢なバカラ製だったことも、怪しいと記者の心証を害したようですね。
「がっかりしました。寄り添ってくれるかと思ったのに、あの手紙が単独インタビューを釣りあげるための方便とは。LTTバイオの口座から無断で僕がカネを引き出したなどと記事には書いてありますが、裁判でもそういう事実は出てきませんでした。僕がピンハネしたのはゴールドマンとリーマンのカネで、LTTバイオは蚊帳の外でしたからね。証拠もなしに憶測で書いてはいけない。確かにカネ集めは醜いですよ。でも、その醜い泥をかぶりながらも虚勢を張り、一刻も早くまっとうなビジネスへと展開しようとする、その死に物狂いの中にこそ、ベンチャーの真実があると言いたい」
――3月19日にアスクレピオスは東京地裁に破産を申し立てました。ちょうどウォール街は16日(日本時間18日)に激震に見舞われた直後です。米国第5位の投資銀行ベア・スターンズがついに白旗を掲げ、1株たった2ドルでJPモルガンに買収されたのです。〈預金者保護のために銀行は救済しても、リスクテークがビジネスの投資銀行は救わない〉というのが建前だった財務長官ヘンリー・ポールソンが、全世界を巻き込むドミノ倒しを防ぐため背に腹は代えられず、JPモルガンのジェイミー・ダイモンCEOに頼んだ事実上の政府救済でした。
したたかなダイモンの要請で、ベアの不良資産から損失が生じたら最大300億ドル(約3兆円)まで連銀が補填する、という破格の条件でした。当時は米国史上最大の公的介入だったのです。
ベア陥落、次はリーマンが標的
大きすぎてつぶせない(Too big to fail)――ウォール街の驕慢と放縦に反発する庶民感情を反映して、米議会が態度を硬化させ、せっかくベアの始末がついたのに、市場はすぐ次の生贄を求め、投資銀行第4位のリーマン・ブラザーズを標的にしました。政府による救済はこれきりでリーマンは置き去りにされる、とみた怒濤のようなリーマン株の空売りに直面しました。トレーダー出身で仕事一筋、“ゴリラ”の異名を持つタフなリーマンCEO、ディック・ファルドもたじろぐ勢いでした。
「そのころはもう、僕も自分のことで手いっぱいでした。『不思議の国のアリス』に白うさぎが出てくるでしょう?いつも懐中時計を見て〈遅刻だ〉とせわしない。あれみたいに逃げ遅れないかと焦っていた。丸紅案件で全損を被ったリーマンの、それもニューヨーク本社の行く末なんて、頭の片隅にも入る余地がない。そちらはアバターさんにお任せです」
――ニューヨーク・タイムズ紙のアンドリュー・ソーキン記者が09年に書いた『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』(原題はToo Big To Fail)を読んだことがありますか。ウォール街がのたうちまわった08年の断末魔をこと細かに書いている。
「はい、獄中で邦訳を読んで、ディテールに圧倒されました。破局の不安に怯えていたのは僕だけじゃなかったんですね。リーマンのファルドも、ゴールドマンのブラックファインCEOも、その他のマンモス投資銀行から商業銀行の首脳陣まで、さらにポールソン財務長官やガイトナー・ニューヨーク連銀総裁ら規制当局のトップも、そろって額に脂汗を浮かべ、こみあげる胃酸で吐きそうになりながら、重圧と恐怖と睡眠不足と闘っていました」
――当事者は気づかなかったでしょうけど、このあたりからファルド氏と齋藤さんの軌道が同期し始めるんです。ソーキンの本を読み比べるとそれが透けて見えてきます。