リーマンの牢獄 【3】後編
乱れ咲きのウィタ・セクスアリス
“あぶく銭”身につかずの回転木馬。リスクを綱渡りしてせしめる巨額の報酬に、いつのまにか自分を見失い、破滅の淵へと引き寄せられる。不倫や愛人バンク、狂ったようなクルマ道楽と、浪費が底なしのダークサイド。=有料記事、約1万1600字
第3章カネは蜜の味〈後編〉
――やっぱり独房は寒いですね。こんなところに暖もなく、よくいられますね。外は雪がちらついていましたが、人間の適応能力はすごい。
齋藤さん、本音で語りたいことって、メリルで年収〈1億円プレーヤー〉になってから、金銭感覚が狂ってきたってことですか?
「アバターさん、ご明察ですね。ところで長者番付ってご存じですか。実は僕も長者番付に載ったことがあるんです」
――ああ、国税庁の高額納税者公示制度のことですね。昔は、松下幸之助さんとか、大正製薬の上原正吉さんとかがトップを飾り、ほかに芸能人やスポーツ選手の報酬のバロメーターにもなるので、毎年5月の発表は世間の話題をさらっていましたね。
本来は脱税の密告を促す制度として、1947年から高額所得者の番付が税務署などに掲示されるようになったものです。そのうち怨恨や嫉妬によるウソの通報が増えてきて、所得額でなく納税額の公示に切り替わりました。国にたくさん税金を納めた人を顕彰する番付になったのです。
それでも、リストには実名と住所が記載されることから、載った人に寄付要請や勧誘が殺到し、誘拐・窃盗などの危険もあるということで2005年に廃止されたんです。個人情報(プライバシー)保護を優先する今の社会なら、到底許されない制度でしたけど。
「おお、よくご存じですね、アバターさん。でも、僕がメリルに在籍していたころは、まだ長者番付の制度が残っていたんです。僕の納税額も公示されて、えらい迷惑を被ったことがあります。
長者番付に載り「お誘い」続々
もちろん、新聞のトップ10リストに載るほど上位ではないし、所得の半分を税金で差っ引かれますので、富豪なんて実感は湧いてこないのですが、当時は全国の高額納税者名簿が市販されていて、図書館などでもまだ手軽に閲覧できたんです。通販などの業者には貴重な情報源で、僕のもとには頻々と愛人バンクのお誘いが舞い込んできました」
――やっぱりね。具体的にはどんな迷惑を被りました?
「メリルBFSの坂東ヘッドが、部下の僕らを集めて〈気をつけろ〉と言い出したんです。
〈週刊文春が動いている。日本を食い物にする外資系金融機関の幹部は、とんだ高給取りばかり、といった筋書きで取材攻勢をかけているから、しっかりガードを固めろ〉と。
どうせ他人事と思っていたら、目黒の自宅にいた妻から会社に電話があって、文春の川村昌代という女性記者がやってきたと言うんです。
背筋が凍りつきました。よりによってこの僕が!
妻は〈留守だ〉と言ってどうにか追い払ってくれましたが、今度はメリルのオフィスの受付に川村記者が現れて、僕に面会を申し入れてきた。応じられるはずがない。日本を餌食にする売国奴、とでも書くつもりだったのかな。でも、会社の評判を落としたら、5000万円の退職金がもらえなくなります。それが人質になっていますから、お引き取り願いました。
でも、いつか、彼女が面前にぬっと現れて、問い詰めるかもしれない。自宅まで来たということは、目黒税務署の掲示板に出た高額納税者名簿を確かめたんだろう。後ろから足音が聞こえてくるようで怖かったですね」
――ああ、それは凄腕の女性記者ですよ。怯えるのも無理ないな。彼女は1966年生まれで、齋藤さんの4歳下になる。名城大学を出てフリーランスとなり、中部経済新聞、月刊時評を経て、ロイター通信、週刊文春、週刊朝日、AERAの嘱託記者を務め、叩きあげのスクープ・ハンターで鳴らしました。文春時代は、霞が関を舞台に数々の武勇伝を残しています。
彼女がAERAの嘱託だった2006年には、第一次安倍政権の政府税調会長だった本間正明氏(元大阪大学副学長)の愛人問題が暴かれ、辞任に追い込まれた事件がありました。ところが、取材していた彼女と財務省主計官(文部科学担当)の不倫騒動のほうが週刊現代の誌面を賑わし、暴露スクープも主計官が漏らしたネタではないかと勘繰られました。
「体を張って記事にしたんだとすれば、相手の主計官はきっと出世を棒に振ったんでしょうね。幸い、僕はそれ以上つきまとわれませんでした。恐れていた記事も掲載されず、ほっと胸を撫でおろしたんです」
チクった奴がそばにいる
――もしかして、ほんとうに紙一重で、齋藤さんの尻尾をつかみ損ねたのかもしれません。川村氏はその後も八面六臂でしたよ。2011年の衆院愛知6区補選で地域政党『減税日本』(代表は河村たかし名古屋市長)から立候補して敗れたり、浅草や赤坂のライブハウスでボサノバやサンバを歌ったりと、いろいろ世間を驚かせてきました。
18年には福田淳一・財務事務次官がセクハラ発言で女性記者を困惑させたと報じられると、「『エロ親父』福田が怖くて、記者が務まるか」と喝破し、会社に守られて泣き言を言うお嬢さま記者に対し、セクハラに耐えてネタを取るのが記者の本分、と叱り飛ばしました。川村記者がもし齋藤さんと遭遇していたら、はてどうなったことやら。
「僕がひやりとしたのは、弱みを嗅ぎつけられたか、と思ったからかもしれません。ああいう肝の据わったメディアに狙われるということは、僕の身辺からのリークがあったはずです。でなければ、名指しでは来ないでしょう?僕は同僚にさえ危ぶまれるほど、周りが見えなくなっていたんです。
そういえば、夫婦同伴の外遊で、同僚の奥さんを評して〈銀座のホステスみたいだ〉と口を滑らしたことがありました。ああいう軽はずみな言動が恨まれて、僕のボーナスや女遊びをタレ込まれても仕方がなかったと思います」