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最後からの二番目の真実

ネット愛国主義の胚8――「タイラーズ」の正体

東大大学院工学系の論文データ捏造疑惑は、1月14日の土曜、NHKのニュース番組でも報道された。新味はなかった。神保町の中華料理屋でぼんやりテレビ画面をみつめていたら、見覚えのある本郷の工学部5号館が出てきたから、ははんと思った。

しかし彼らは針のムシロだろう。化学生物学でも多比良和誠(たいら・かずなり)教授の研究室は花形で、ポストドクターの研究生にとって狭き門だったらしい。それが在籍しただけで将来は疑いの目で見られ、経歴にも傷がつきそうだとあっては、研究室内が重苦しい空気に包まれるのも無理はない。しかし前回の川崎広明助手の写真もそうだが、あくまでも平静を装わなくてはならないのだから、さぞかし辛いだろう。

05年9月15日に札幌へ飛んだ多比良教授も、さだめし同じ心境だったにちがいない。東大調査委の中間報告でかぎりなくクロに近いという審判が出た3日後、札幌で開かれる日本癌学会学術総会で教育講演をすることになっていたからだ。教授の出番は16日午前8時から、ロイトン札幌2階エンプレスホールのD会場で「細胞の運命を決める小さなRNAの発見」とだしして45分間の講演を行う予定だった。

どうするか。教授は中止しなかった。議論はあったらしいが、ここでやめたら捏造を認めることになると強行突破しようとしたらしい。日経バイオテクによると、「同じ手法を用いた外部の共同研究先でも結果は出ており、ジーン・ディスカバリー技術そのものを否定する批判は当たっていない」という見解を示したというから13日のコメントと同じトーンだった。だが、天網恢恢である。一挙手一投足をどこでだれが見ているかわからない。ネット掲示板「2ちゃんねる」には、ちゃんと聴講者の一人が書き込んでいる。



(転写因子と誤認した)Hes-Ⅰの実験の話は、スライドの中に図はあったものの、「ノートが無かったので……」という言い訳のみでした。他の実験については、「この実験は、他施設で行ったものです」を連発していました。



やはり弁解は避けがたかったのだ。多比良教授は、近年「ガン治療の福音」「ノーベル賞級の発見」ともてはやされるようになった「RNA(リボ核酸)干渉」研究の第一人者とされていた。華やかなDNA研究の陰に隠れていたRNAに、実は互いに邪魔しあって遺伝子発現を抑制する強力な仕組みが備わっているというもので、これを利用してガンなど病気の原因となる遺伝子を封じることができれば医療は一変する。

何が革命的かというと、正常細胞内ではDNA→メッセンジャーRNA→たんぱく質という流れ(セントラル・ドグマ)で遺伝子情報が伝わるが、これまで遺伝子の発現を防ぐにはDNAで遮断する煩雑な方法(アンチセンス法)しかなかった。しかし二本鎖RNA(smRNA、small modulatory RNA)と相補的な塩基配列を持ったメッセンジャーRNAが分解される現象を利用して、人工的な二本鎖RNAで任意の遺伝子の発現を抑制することができるという。塩基配列さえ予め知ることができれば、アンチセンス法よりずっと容易な発現抑制が可能になる。

2003年に「RNA干渉」特集を組んだ日経サイエンス11月号に、多比良教授は署名記事を寄稿しているが、そこではRNA干渉の福音を伝道する高揚した思いがあふれている。



世界的に高く評価されている科学誌Scienceが昨年末「2002年の科学ニュース・トップ10」と題した特集を掲載した。日本で昨年一番話題になったのは素粒子ニュートリノの研究だろうが,国際的には「小さなRNA」が他を抑えて堂々の1位に輝いた。新聞の派手な見出しのことを英語でsplash headlineというが,同誌が紹介した「小さなRNA」の見出しは「Small RNAs Make Big Splash」だった。

小さなRNAの研究で特筆すべきは,多数のマイクロRNAが従来「ジャンクDNA」などと呼ばれてきたタンパク質の設計図が載っていない領域から作られることだ。つまり、役立たずのジャンク(がらくた)と思われていた領域に、細胞の運命を決める重要なマイクロRNA配列が描かれていたのだ。ジャンク DNAという言葉が教科書から消える日も近いだろう。

マサチューセッツ工科大学のバーテル(David P. Bartel)はヒトには200~255個のマイクロRNA遺伝子があると予測しているが、それらのマイクロRNAがどの遺伝子をターゲット にしているのかを突き止めるのは非常に難しい。しかし、私たちのグループでは世界で初めて哺乳類細胞での標的遺伝子を報告したのを皮切りに,90個以上の 標的遺伝子を見つけだすことに成功している。

さらには1つのマイクロRNAが複数の遺伝子の発現を抑えていることも明らかにした。



「ジャンク」と日陰者扱いされてきたRNAに光があたった喜びが溢れているかに見えるが、英語の小知識をひけらかすスノビズムがちらつく。だが、ネット掲示板はそのささやかな虚栄心をも見逃さない。きのうまでの日陰者はあんただろ、と。



やっぱロンダってのが原因なんだろな。
分子生物の研究の能力ってのは、まあ土方仕事みたいなものもあるから、
少々低能でもまあ成果につながるだろうけど、
根本的な学問に対する幅広い知識教養が希薄だから、(歴史とかね)
自分がやっているヤバさがわからないんだろ。
株やってるような感じで、論文になれば何でもいいと思ってんだよ。
研究室の内部生の若者は本当に気の毒だね。
こんなロンダの詐欺師のために被害を被ってさ。



「ロンダ」とは学歴や職歴のローンダリング(洗浄)のこと。地方大学やメジャーでない研究機関にいたことがありながら、その後に大学院や留学先で有名大学や研究機関の日のあたる場所に“出世”を遂げると、前歴を消してしまうことをいう。たとえば多比良教授の略歴には1977年の南イリノイ大学留学以前の技官歴などの記載がない。

それにしてもいやな隠語だ。こういう隠微な差別表現になると、ニートたちの憂さ晴らしの場であるネット掲示板の独壇場になる。「タイラーズ」のスレッドも大半が「いなかもの」や「なりあがり」への冷笑に埋められ、議論が進まない。

「タイラーズ」に書き込む人々の正体は、学位を持った研究者が行き場もなく、乏しい研究費を宣伝上手な一部の教授たちに占有されて、歯軋りしながら掲示板にぶーたれるという、なにかうそ寒い屈折した研究現場の後景なのである。そこから這いあがるために捏造に励んだとしたら、ますます救われない。

ネット愛国主義の胚7――悪事千里? 「掲示板」の告発

これだけ騒がれている論文データ捏造疑惑の中心人物が、いったいどんな顔なのか、拝見したくなるのは人情だろう。東大大学院工学系研究科の多比良和誠(たいら・かずなり)教授の研究室にいる川崎広明助手のことである。だが、おいたわしや、ご本人が写真をのせている。多比良研究室が今もホームページを開いたままにしているからだ。

疑惑を認めることになると思って、意地でも引っ込められないのだろう。研究室がいまだにメンバーの一覧とメール・アドレスを無防備にさらしているのと同じかもしれない。その写真、かなり笑える。ロンゲで茶髪の愛くるしい顔である。おやおや、今どきの東大の助手ってこんな風体か。別のポートレートもあって、こちらは北陸先端科学技術大学院大学にいたころである。ちょっと太めの面構えにも見える。

だが、英ネイチャー、米サイエンス誌を瞞着したとあれば、ソウル大学の黄教授なみの大スキャンダルである。しかし学界内部で耳打ち話は早くから出回っていたらしい。現にネット掲示板「2ちゃんねる」の告発はかなり早い。私が気づいたかぎりでは、川崎助手とおぼしき「K」に関する正確な書き込みは、東大調査委が疑惑の中間報告を発表した9月13日より4カ月近く前の5月21日。「ここ1、2年の出来事」と題していた。



KがNature Articlを創作。Hes1をHes1と間違えアメリカ中が大爆笑。パブリッシュ後一日目で電光石火の抗議メールが来る。



Kとは川崎助手のことだろう。Nature Articl(ママ、Article)とはネイチャー誌2003年6月19日号に載った多比良教授と連名の論文「HesI is a target of microRNA-23 during retinoic-acid-induced neuronal differentiation of NT2 cells」で、パブリッシュとは雑誌発売(電子版だと公開)のことである。

何が起きたかは説明を要する。この論文は、ゲノムから転写される短いRNA(リボ核酸)であるマイクロRNAが、蛋白質と複合体を形成し、塩基配列の相補正の高い標的メッセンジャーRNAと結合して転写を阻害し、遺伝子発現を抑制する作用の研究であり、「microRNA-23」が神経分化に関わる転写因子Hes IのメッセンジャーRNAを標的とし、Hes I発現を制御することが哺乳動物細胞(NT2)の神経細胞への分化誘導のメカニズムであることを明らかにした。

だが、同じ名前で2つのHesⅠ遺伝子があったのだ。一方は発生・細胞分化などで注目されている転写因子HesⅠ、ほかに代謝酵素HesⅠがあるという。川崎・多比良論文は、「あるマイクロRNA配列をもとに、Blast(胚)で適当なホモロジー(相同)サーチをかけたら、HesⅠという遺伝子がヒットしたので、てっきり有名な転写因子HesⅠだと思い込み、細胞分化をコントロールするHesⅠの発現がマイクロRNAで制御されている、というメチャクチャ綺麗なデータ満載の記事」だったらしい。

ところが、別の研究者がこのHesⅠをチェックしてみると、転写因子ではなく代謝酵素のHesⅠだった。同姓同名を間違えたというお粗末にとどまらない。そこでありもしない美談を“創作”した疑いがある。実験が再現できないからだ。東大調査委によると、「 転写因子Hes Iの発現量を評価するために使用された抗Hes I抗体(市販品)では、発表されたエライザ・アッセイ(たんぱく質量測定法の一つ)のデータが出ないのではないかと幾人かの専門家は一致してコメントしている」という。

かくてこの論文、ネイチャー誌2003年11月6日号であえなく論文撤回(リトラクション)に追いこまれる。2ちゃんねるはここでも辛辣だった。



リトラクトのコメント「遺伝子名を間違えましたが、RNAは両方の遺伝子に聞いて(ママ、利いて?)いたんです、本当です」。全米が笑った。



しばしば引用されるが、日経サイエンス2003年11月号では「20塩基のマイクロRNAが70%(14塩基)の精度で結合できる標的候補を探すとしよう。この条件だと、ゲノム全体で8000ヶ所ぐらいが候補としてリストアップされる。(略)この中から、本当の標的遺伝子を見つけるためには科学的な直感力、つまりセレンディピティー(偶然に発見する才能)とともに、細胞生物学の幅広い知識が要求される。これらの才能に長けた川崎広明(経歴略)は、200種類以上の哺乳類のマイクロRNAの中で、すでに90種類以上のマイクロRNAに対するそれぞれの標的遺伝子を見つけている。(略)これだけの標的遺伝子を同定し、確認しているのは神業に近い」と妙に褒めたたえられている。

皮肉にもこの奇跡のような「勘」への讃辞は、毎日新聞に摘発された旧石器発掘捏造の「神の手」(ゴッド・ハンド)藤村新一・東北旧石器文化研究所副所長とよく似ていて、かえっていかがわしさを感じさせる。2ちゃんねるは追い討ちをかけた。



Kの第二弾がNatureに炸裂するも、2ちゃんネラーの指摘でプライマー配列の創作に手落ちがあることが判明。

速攻エラッタ(訂正)を出し、リトラクト(撤回)回避。 他のグループがScience(サイエンス誌)に似た内容の論文を出したのでことなきを得る。でも全米がニヤニヤ。

日本人ポスドク(川崎助手)の結果が再現できないとアメリカの同僚から告発、帰国した本人は再現できるはずといいはる。



第二弾とはネイチャー誌2004年9月9日号に載った、これも川崎・多比良連名の「Induction of DNA methylation and gene silencing by short interfering RNA in human cell」だろう。相当、事情に通じた人しか書けない。こうした下地があって、東大調査委が中間報告した05年9月13日夜、「2ちゃんねる」にいくつかの看板(スレッド)が立った。「祭り」の始まりである。そのひとつ、「タイラーズ」のスレッドは皮肉の利いた幕開けの口上だった。



「偉大なる業績を語ろう。ラボの人でも歓迎」



「タイラーズ」スレッドは、東大工学系5号館にある多比良研究室のメンバーにも“内部告発”や弁明を促すために設けたのだろう。命名といい、ポスドク(ポストドクター)、リトラクトなどの隠語の乱舞といい、明らかにキャンパスの井戸端会議である。

東大の調査発表の3日後、9月16日に多比良教授は札幌で開かれた日本癌学会で教育講演することになっていた。そのてん末やいかに。それは次回。

ネット愛国主義の胚6――文化功労者も見捨てた

本来、この回は1月13日アップ分だったが、手違いで載らず、かつ夜は神保町と六本木で年甲斐もなく酒をはしごしたので、リカバリーできなかった。遅れた罪滅ぼしに、ドキュメンタリー風に書いてみましょうか。

大型台風が近づいて雲行きが怪しくなった関西国際空港から、2005年9月6日午前10時20分、オーストリア航空機に搭乗して柳田充弘京都大学(生命科学研究科)特任教授がウィーンへ飛び立った。ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、イギリスの研究所でセミナーに出席する旅である。総選挙で小泉圧勝のニュースを聞いたのはこの旅中である。真核生物の細胞周期制御機構の研究で2004年に文化功労者を受賞した柳田教授が、行く先々で話題にしたのはそれだけではない。出発の2日前、A教授からもらった異様なメールのこともしきりと話題になった。

2003年にS誌に出した論文と05年にN誌に出した2つの論文について、A博士は「基本的な結論をサポートする実験の追試ができないので論文での結論をすべて撤回する」という。ただ、論文の筆頭筆者は「撤回に賛成していないので、S、N誌への撤回アナウンスメントに筆頭筆者は入っていない」と書いてあった。

前後の事情を考えると、この日本の生命科学の権威に「撤回」メールを送ったA博士は東大の多比良和誠(たいら・かずなり)教授だろう。撤回に肯じない筆頭筆者とは川崎広明助手にちがいない。データ捏造を疑われた12件の論文は、すべて川崎助手が筆頭筆者だからだ。半年に及ぶ東大工学系調査委の調査で、二度も実験データ提出の要請を受けたが応じられず、多比良教授は申し開きできないと観念して、13日の発表に先立って生命科学界の重鎮のもとへ論文「撤回」を告げたのだろう。

一見殊勝に見える。だが、この段階で多比良研究室は割れていたのではないか。多比良教授と川崎助手の間でかわされた応酬は想像できる。掲載論文に実験ノートなどの裏づけがないと知った多比良教授は、データ捏造嫌疑は撤回に応じない筆頭筆者の助手が負うべきで、共同署名したものの論文撤回を主張する自分はむしろ被害者であり、研究室主宰者(PI)の監督責任だけ負えばいい、と考えたのではないか。

N誌とは英国の科学誌ネイチャー、S誌とはアメリカのサイエンス誌のことで、理系学者のこのヒノキ舞台で発表した論文を撤回するのは学者生命を絶つにひとしい。しかしこの段階で柳田教授に伝わった話は漠然としたもので、「A博士ほどの秀才の目をかいくぐり、なおかつ厳しいはずのレビューアー(論文査読者)数人をあっさり説得してしまったのは、いったいどのような経過なのかよくわかりません」という感想を漏らしたにとどまる。柳田教授も無意識に多比良教授の「部下の不始末」論に引きずられていたかに見える。

9月13日の東大の発表は柳田教授の旅先にも届いた。さまざまな関係者と意見を交わしたが、筆頭筆者が撤回に応じていないので、議論はいつもあいまいに終わってしまう。14日、教授は持参したパソコンから自分のブログサイト「柳田充弘の休憩時間」にこう書き送った。「真実は分かりませんが、わたくしはこのグループについては、もうずいぶん昔からたぶん6、7年前からいろいろ聞いていることがありました。聞いたことを書くわけにはいきませんが、なにも驚きはありません」。うわさは前から流れていたのだ。15日、柳田教授はヒースロー空港に到着、ロンドンのパディントン駅経由で、キングズ・クロス駅から電車に乗り込んだ。行く先はケンブリッジである。

筆者には懐かしい。ハリー・ポッター旅立ちの場所--ホグワーツ魔法魔術学校行きの特急列車が出る9と3/4番線が壁に「隠れている」あの10番か11番ホームから乗り込んだのだろう。夜のケンブリッジ駅に降りて彼は驚いた。駅前のタクシーは奪い合いで、まごまごしていたら横取りされたという。「紳士の国にあるまじき」と憤慨しているが、つい苦笑してしまう。私も「ラグビーのボールの奪い合いのような」タクシー争奪戦に加わったことがある。だって、バスがなけりゃ大学まで歩いて最低30分。タクシーの台数が少ないから、はぐれたら行列で立ちんぼである。イギリス人だって体面をかなぐり捨てる。

そして18日、先のブログサイトで「ふたつの論文の撤回」と題して、柳田教授ははじめて長文の感想を載せた。撤回メールの経緯は、そこから再現したものだ。教授は「捏造は科学における犯罪」と怒りを隠さないが、14日の記載と同じく気になる箇所がある。

「2003年の論文についてはすくなくとも2人の研究者が、結論とうまくあわない実験結果をもつにいたって、ひとりはメールでおかしいではないかと質問していること、もうひとりは自分の論文のなかで2003年の論文の結論を支持できない結果があることを明記していたことでした。そうなると、2005年の続報はこのあたりをどのように踏まえたものだったのか。2005年の論文が出てからは多数の研究者が追試関係の実験をしたい旨の依頼をしたが、受け取ったものがまったく別物であることが判明してきたとのことでした」

文化功労者という学会のドンに、ここまで言われたら立つ瀬がない。しかも日本RNA学会や東大工学系研究科から疑義が呈される前に、研究室内部が割れて内部批判が出ていたのだ。それを押さえつけて続報論文をネイチャー誌に投稿したとすれば、「部下の不始末」では説明できない。PIたる多比良教授も百も承知で異論を握りつぶす無理をしてきたことになる。教授と助手は同罪と言っていい。監督責任では逃げられない。

13日に多比良教授が公表したコメントは未練がましく聞える。「多大なご迷惑をおかけした」と詫びてはいるものの、「登録された実験ノートを全員に配布し、それを管理するよう徹底いたします」と管理改善の問題にかえて、ダメージを局限しようとしている。だが、以下の釈明にあなたは納得できるだろうか。



幸いにも、ご指摘のジーンディスカバリーに関する研究につきましては、当該論文の結果に基づきまして、他の表現系を指標にしまして、複数の研究者によって良好な結果が得られております。それらの実験データに関しましては実験ノートの提出が可能です。同様に、当初ご指摘のマキシザイムに関する研究につきましても、他学の研究グループにより良好な結果が得られておりまして、それらの実験データに関しましても実験ノートの提出が可能であることを確認しております。



自力では証明不能だとしても、よその大学でいい結果が出ている研究もあるんだからさ、ここはひとつお目こぼししてよ――という泣き落としに近い。韓国ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク)教授とあきれるほどよく似ている。黄教授の疑惑は、1月10日発表の最終報告で最悪の結論が出た。問題の幹細胞(ES細胞)はひとつも存在しなかったという。それでも「源泉技術はある」と黄教授は強弁しているのだ。

日本版の黄疑惑――多比良教授も、最後の評決が出たかに見える毎日新聞の記事(05年12月29日付)になお「実験は容易ではない。期限を年度末までにしてほしいと以前から申し入れている」と言っている。しかし周囲はとうに「ゲーム・イズ・オーバー」と見ているのだ。

彼方のタルコフスキー3――剃刀を手にした狂人のように

口直しが必要だ。ソニーも、ヒト・クローンも後味が悪い。

「トラフィック」や「エリン・ブロコビッチ」の映画監督スティーヴン・ソダーバーグが、「タイタニック」のジェームズ・キャメロンを製作者にして撮った「ソラリス」は毀誉褒貶相半ばした。いや、毀と貶のほうが多かったかもしれない。私も失望した。タルコフスキーの「惑星ソラリス」のリメークとはいえ、愛の喪失の映画としても遠く及ばない。

タルコフスキーのSF映画が公開された70年代、日本人を驚かせたのはそこに未来都市の映像として、東京オリンピックで急造した首都高速道路が映っていたからだ。奇妙なデジャヴュ(既視感)だった。いま、40年近く前の首都高速を見るとますますそうだ。妙に暗いハイウエーが右に左にカーブし、トンネルに入り、はてしない迷路のようにつづく。こういう寂しい東京をレンズの被写体にできたのは、ソフィア・コッポラか荒木経惟くらいだろうか。

ソダーバーグほどハリウッドの優れた才能でも、こういう死の影は撮れない。タルコフスキーのように「神秘」を映像化できないのだ。ソダーバーグは窮して詩を朗読させる。イギリスの詩人ディラン・トマス(1914~53)だった。詩は悪くないが、「ソラリス」で読ませる必然はない。監督の教養の底が知れるだけの、つまらない小細工である。

タルコフスキーが「鏡」で読ませた父の詩「逢瀬、知りそめしころ」は、ソダーバーグのとってつけたようなディラン・トマスとは違う。れっきとした必然があった。父が別れた母の映画だからだ。詩の若き父と母の交歓は、彼自身の神秘に直結している。その後半は天地を揺るがす奇跡の光景に変じる。

川はきらきらと脈打ち
山は煙り海は仄かに光った

水晶球を手にして
きみは玉座で眠っていた
正しき神よ!きみはぼくとなった
きみは目覚め
ありふれた語彙を変えてしまった
ことばは力強い響きに溢れ
きみは新しい意味を得て
ツァーリになった

鍋や水差しやささやかな物たちまで
この世のすべては変貌した
層をなして硬水が
ぼくたちの護り手となった時

ぼくたちは何処へ誘われていくのか
目の前には幻のように
奇跡の町々が現れ
足元には草々が伸び
鳥はともに道を行き
魚は川を遡り
眼前には空が拡がった

剃刀を手にした狂人のように
運命がぼくたちを追ってきた時

しんとして音がしない。雪のモスクワ郊外の夜は更けていく。タルコフスキーの前妻イリーナのインタビューに、映画大学時代からの友人ユーリが口を挿んだ。

ユーリ「映画大学に入学したとき、私は17歳でね。タルコフスキーは年長だったよ。あけっぴろげな人間ではなかった。周りの人からいつも距離を保って、固有の考えやイメージを頑固に守って譲らない、という印象だった。最初は打ち解けず、言葉も交わしたこともなかった」

――親友になったきっかけは?

ユーリ「何人かでグループをつくり、お互いに監督になったり、俳優として演じたりしながら、何本か試作の映画を撮ってね。やっと素直に胸襟をひらくようになった。チェーホフの『退屈な生活』とかヘミングウエーの『殺人』とかを撮っているあいだ、タルコフスキーは激情的でね、着ている衣裳から何から自分のイメージに徹底的にこだわるんだ」

イリーナ「監督の彼は俳優をとても愛していたわ。アナトーリー・ソロニーツィンのように、同じ俳優をいろいろな映画(『ルブーリョフ』『ソラリス』など)でつかうでしょう。みなアンドレイ(・タルコフスキー)に近い友人たちよ。彼らは監督のイメージを深く理解しなければならない。彼と一緒にしごとをしたいという感覚をもつことが大事なの。俳優はどんな性格の人物になりきるかに心を砕き、胸に抱いた感覚が映像に顕れるよう努力しなければならないの。毎日、何度も同じことを繰り返した。それによって多くの俳優が最高の演技を成功させられたと思うわ」

ユーリ「ああ、『僕の村は戦場だった』を見て、これは類まれな天才だと思ったな。でも、私にいちばん近い映画は『鏡』なんだ。出てくる家族はモスクワのインテリで、タルコフスキーの家族にそっくりだからね。私の母と彼の母は同じ名のマーリアで、夏の別荘にもときどき遊びに行ったから、よく知ってるんだ。『鏡』がとらえた、揺らめく木の葉や水の流れは、自然のエモーショナルなエネルギーを感じさせる」

――タルコフスキーにとって、水は特別の意味を持っているのでは?

そう聞いたとき、「逢瀬」の詩の「川はきらきらと脈打ち/山は煙り海は仄かに光った」ということばが脳裏をかすめた。続きはまたこの次。

ネット愛国主義の胚5――「象牙の塔」に潜むアネハ

一級建築士がやすやすと耐震設計のデータ捏造ができたのは、パソコンというデータ加工自在の便利な利器があったからだ。素人には近づけない閉鎖的な学問の府でも、パソコンは同じ温床になりうる。「象牙の塔のアネハ」がいたとしたら……

日は偶然同じだった。05年12月29日。海の彼方では、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)の論文データ捏造疑惑で火だるまになったソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク )教授に対し、大学調査委員会が「ES細胞は存在せず、データもない」という衝撃的な審判をつきつけていた。同じ日、日本で流れた小さなニュースは、隣国の大騒ぎに埋没してしまう。が、これまた東京大学で名を知られた“やり手”の遺伝子学者の学者生命が「風前の灯」になる致命的な記事だった。

毎日新聞を引用しよう。



東京大学大学院工学系研究科の多比良和誠(たいら・かずなり)教授らが発表した論文について、「裏付けるデータがない」として大学が調査していた問題で、教授側は期限までに実験結果の裏づけ資料を提出できないことが28日、分かった。これを受け同大は教授と研究グループを処分することになった。

(中略)多比良教授らがこれまでに提出したものは「論文1件について、実験の途中経過を示すメモのようなもの。再現性が確認できるものではなかった」(関係者)という。

(中略)関係者の間では「比較的容易な4件について、十分な時間を取った。これ以上の猶予は与えない」との見解が支配的だ。1月中にも「論文の再現性が認められなかった」などとする結論を出し、小宮山宏学長に報告する。



これだけでは何のことかわからない。伏線は05年9月13日、東大大学院工学系研究科(平尾公彦科長)の調査委員会が行った発表にある。ことのてんまつを、かいつまんでいうとこうである。

日本RNA学会に内外の研究者から「多比良教授の研究論文のいくつかは実験で再現できない」との疑義が寄せられ、同年3月に学会は専門家6人に教授の論文10数点を評価してもらったところ、全員が実験で再現できないこと指摘、内容についても問題ありと言われたため、4月1日に東大工学系研究科に調査を頼んだという。その結果、工学系で調査委を設置、半年かけて調べたが、「実験結果の信頼性」を確認できなかった。

奥歯にもののはさまった言い方をやめると、多比良教授の論文にデータ捏造を疑う声があちこちから挙がり、学会も重い腰をあげてヒヤリングしたら、誰もが口をそろえて「怪しい」という。学者生命を抹殺するような告発を学会はしたくないから、教授が所属する大学にゲタをあずけた。大学の調査委は、実験結果の再現性が容易な論文4つを選び、実験記録と実験試料の提出を求めたが、7月19日に提出された記録は実験の生データであることを証明するものでなかったという。平尾科長は8月22日に重ねて教授に実験ノートなどを提出するよう求めたが、9月5日に教授は「実験データや実験プロトコルなどが記載された実験ノートが存在しない」と回答してきた。

このため、工学系調査委は9月13日にその結果を発表し、教授には論文に書かれた原材料と試料を使った「速やかな再実験と結果の報告」をすることを求めた。多比良教授は産業技術総合研究所(旧工業技術院)、理化学研究所のポストも兼任しており、両研究所とも調査を開始することになった。疑わしいが即決せず、時間を与えるから「追試」を受けろ、という温情あふれる審判である。だが、12月29日の記事は、発表から3カ月近くなるというのに、“追試”に通りそうな実験結果が得られるメドが立たないというのだ。

これは深刻である。「日経バイオ」誌のサイトに再録された発表資料や、問題とされた論文12件のリスト疑問点をとくと御覧になっていただこう。*印のついた4論文が「追試」対象になったものだが、筆頭筆者は東大で多比良研究室にいる川崎広明助手である。(3)と(12)の論文が英国の科学誌の権威ネイチャー誌、他の2論文も海外の有力学術誌に掲載されている。お気づきだろうか。ネイチャー誌と米サイエンス誌に載せた画期的論文が疑われた韓国の黄教授と「うり二つ」の構図なのだ。

これに対し、多比良教授自身はどう釈明したのか。ここも黄教授と似て、当初は歯切れの悪い言い訳に終始している。「実験担当者(川崎助手だろう)はほとんどの生データをコンピュータ上に直接取り込み、整理された実験ノートとしては、記録に残しておりませんでした」というのだ。これは説得力がない。データがパソコン上だけだったら、いくらでも捏造できる。耐震設計のデータ捏造とどこが違うのか。

川崎助手は「生化学のアネハ」なのか。次回以降、じっくり追跡していこう。

ところで、日本医科大学の澤先生からご忠告いただいたので、このシリーズの4で書いた「不思議なデジャヴュ」のくだりをちょっと補足しておこう。私は「日本でも韓国と同じく省間対立が起きた」と大雑把に書いたが、正確に言えばもっと複雑だった。当初、クローン技術規制の法制化をめざした文部科学省の生命倫理安全対策室に対し、まず対案を出そうと動いたのは民主党、その「ヒトクローン問題に関するプロジェクト・チーム」(座長/内藤正光、事務局長/近藤昭一衆議院議員)だったという。

文科省案が「クローン個体産生」のみ法で規制し(罰則あり)、あとは法で定めたガイドラインでコントロールしようとしたのに対し、民主党の対案はクローン固体の産生だけでなく、胚研究も生殖医療の研究も含めた統一法をめざすものだった。結局、政府案(文科省案)が2000年11月に成立したが、ガイドライン作成は内閣府の総合科学技術会議に棚上げされ、そこで実質的な議論が進まなくなってしまう。

カヤの外だった厚生労働省が、これに乗じて生殖医療に関する法制化を狙った。「研究は文部、臨床は厚生」という霞が関流の「縄張りの不文律」があり、審議内容は「非配偶者間の生殖補助医療」に絞られた。そこで誕生したのが「厚生科学審議会生殖医療部会」。しかしここでも政治家が割って入って政争の具となってしまう。要するに日本のよじれは、省間の角逐と政官の角逐という二重構造になっていて、屈折する段階も二段階だったのだ。ただ、これまた韓国と酷似しているとも言える。

ソニーの「沈黙」17――「ピラニアの沼」を逃れて

昔、「世界残酷物語」などと題したゲテモノ映画を得意とするグアルティエロ・ヤコペッティという監督がいた。ピラニアの棲息する沼に牛が落ちて、群がる食肉魚に血だるまにされ、やがて骨と化すシーンを売り物にしていた。怖いものみたさに見に行ったが、なんだか嘘っぽいと思った記憶がある。あとで暴露されたが、やっぱりヤラセだったそうだ。予め出血させた牛を沼に追いこみ、血の匂いでピラニアを集めたというから、ドキュメンタリーを標榜しながら本末転倒である。

その映像を思いだしたのは、音楽CDの「スパイウエア」問題ですっかり悪役に変じたソニーBMGに、あれよあれよというまに集団訴訟のピラニアが群がっていたことである。

年明け早々予備的和解に達したと報じられたが、群生する訴訟のどの範囲にまで及ぶのかがよく分からなかった。しかし、専門サイト「ソニー訴訟ドットコム」をのぞいたら、やっと概要がつかめてきた。サイトの主宰者である法学生が1月7日に「ソニーBMG和解とあなたにとってそれが意味するもの」で詳しく解説している。

それによると、今回予備的和解に達したのは、イリノイ在住とニュージャージー在住の2原告が起こし、ニューヨークのカンバー&アソシエーツが代理人をつとめる集団訴訟に、全米各地で起きた少なくとも21の集団訴訟が合体したものだそうだ。図らずもここで明らかにされたのは、「スパイウエア」が暴露されてわずか2カ月、なんと21匹以上のピラニアが食らいついていたことである。

皮肉にもソニーの映画部門ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)のヒット作に「エリン・ブロコビッチ」(スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジュリア・ロバーツ主演)という映画があったが、公害垂れ流しという格好の弱みを握られた企業から法外な賠償金をせしめる成功談として描かれていた。裏返せば、弱みをみせた企業は血を流す牛のようなもので、法曹界のピラニアがむしゃぶりついてくる。アメリカでは訴訟はまさに「一攫千金のビジネス」なのだ。

もちろん大義名分は必要だ。スパイウエア和解案の救済対象は、アメリカ国内でソニーBMGのコピー制限機能付き音楽CDを買ったり、もらったり、保有したり、使用した全消費者に及ぶことになっている。だから、この予備的和解が法廷の承認を得て正式発効すれば、すくなくともアメリカでの民事訴訟のおおかたが片付く希望が持てる。

だが、ぬか喜びはできない。これですべてが解決するわけではないのだ。「ソニー訴訟ドットコム」は、この和解案のらち外となる訴訟を4つ挙げている。2件はカナダで起きた集団訴訟で、オタワ大学法学部研究者のサイトによると、カルガリーの法律事務所が提訴したものと、ケベックで起きた別の訴訟があるそうだ。もう1件はイタリアのネットの自由擁護団体ALCEI(Associazione per la Libertà nella Comunicazione Elettronica Interattiva)が05年11月に起こしたもので、いずれも国境外だから、アメリカ法制のもとでの和解は効果が及ばない。

残る難物は州司法当局による民事訴訟である。日本の新聞でも報じられたが、テキサス州司法長官ゲイリー・アボットが反スパイウエア消費者保護法という州法違反容疑でソニーBMGを訴えているほか、フロリダ州司法長官チャーリー・クライストも捜査中(investigation opened)と発表しており、さらに「泣く子も黙る鬼検事」と恐れられているニューヨーク州司法長官エリオット・スピッツアーが、覆面捜査官をウォルマートなどCD販売の第一線に派遣して内偵を進めているというが、これらも和解案の適用外である。

これではハワード・ストリンガー会長兼CEOも、手放しで楽観はできないだろう。彼がラスベガスの家電見本市で1月5日に行った会見は、ようやくマーキュリー・ニュースに載ったAP通信電子版でみつけた。



「あきらかにおおかたの認識は、このコピー保護問題で過剰なことはすべきでないというものです」

「ビデオのビジネスが発展していくにつれ、アーティストの権利はスイッチポン世代に自動抹消されるべきものではないとの理由から、これは縄張り争いのようなものになっていくでしょう」

「とてもとても注意深く足を運ばなければならない。テクノロジーと消費者の要請、さらにわれわれが重く感じているアーティストの権利のあいだにあるソニーの隘路を綱渡りしなければならない」



ため息がでる。いくら訴訟が怖いからといっても、「ご迷惑おかけしました」の一言ぐらい言えないのだろうか。この件ではじめて聞く彼の言葉だが、評論家みたいなきれいごとに終始している。イギリス人は総じて謝ることが嫌いで、素直に「ソリー」も「アポロジャイズ」も口にせず、未練たらしく負け惜しみを並べる。どうやらストリンガー会長もそうなのか。悪いところだけ日本をまねて、この発言には「ソニー」の主語がすっぱり抜けている。



「われわれはたしかに勝利を宣することができなかった。しかしこれまでのところは、まずまずといっていいと思う(But I think so far, so good would be fair)」



そう思うなら、もう一度質問状を出そう。法的解決にめどがつきそうなら、そろそろ緘口令も解いていいはずだ。

ソニーの「沈黙」16――「臭いものにフタ」の予備的和解

1月10日は黄禹錫(ファン・ウソク)問題の最終結論をソウル大学調査委員会が発表することになっているから、「ネット愛国主義の胚5」を載せようと思っていたが、予定を変更せざるをえない。しばし、ソニーに逆戻りである。

正月明け早々、音楽CDのスパイウエア問題で動きがあったからだ。ソニーBMGが集団訴訟の和解にこぎつけた、とのフラッシュニュースが流れた。やれやれ、容赦ないね。松の内くらいゆっくりさせてもらえないものか。それほど律儀なソニー・ウォッチャーではなく、毎日、ネットをチェックしているわけじゃないんだから。

とにかく、発信源はサンフランシスコの法律事務所ジラード、ギブス&デ・バルトロメオとニューヨークの法律事務所カンバー&アソシエーツだった。ジラード・ギブスは95年設立でパートナー5人、アソシエーツ6人と規模は中堅どころ。数多くの集団訴訟を手がけていて、ソニーのウォークマンを蹴落とした携帯オーディオ「iPod」の初期モデルが「表示より電池の持続時間が短い」として起こされた消費者の集団訴訟でも原告代理人をつとめた。

和解についての発表文をネットで報じたZDNetやCNETの記事はちょっと正確さに欠ける。和解で決着したのではなく、正確には和解の一歩手前の「予備的和解」(Preliminary settlement)である。ジラード・ギブスの発表文そのものを直に翻訳しよう。



ソニーBMG・エンタテインメント社とサンコム・インターナショナル社、ファースト4インターネット社は、数百万枚のソニーBMG製音楽CDに搭載された著作権管理ソフトのセキュリティー上の欠陥を含む、全米規模の集団訴訟の和解に同意した。

ジラード・ギブスは、このニューヨーク南部地区裁判所の訴訟番号No.1:05-cv-9575-NRB、「ソニーBMG製CD技術訴訟」と呼ばれる集団訴訟において、法廷指名の原告側共同代理人として(被告側)提案の和解に達したものである。



解説を加えておこう。サンコムとは、音楽CDに組み込んだコピー制限機能ソフトMediaMaxを開発したアメリカの業者、ファースト4インターネット(F4I)は同ソフトXCPを開発した英国の業者で、いずれもユーザーのパソコンの基本ソフトを同意なしに書き換えてガードに穴をあけ、個人情報をソニーBMGに密かに流す「スパイウエア」だとしてソニーBMGとともに被告になっていたのだ。

和解案は被告三社の代理人である弁護士ジェフリー・ジェイコブソンと「仮想的な徹夜の和解交渉」(virtual round-the -clock settlement negotiation)」の末に合意したもの。地区裁判所が予備的に了解している模様で、正式に妥当と承認すれば実効性を持つ。ジラード・ギブスとカンバーが各地で起きた集団訴訟のどれだけを代表している代理人なのかはまだはっきりしないが、発表文の後半はこう書いてある。



この和解は(法的な)承認を得れば、CD使用に課す制限とこのソフトのもたらす脆弱性について適切に開示することなく、ソニーBMG、サンコム、F4Iの3社がXCPとMediaMaxを搭載したCDを設計・製造・販売する詐欺的行為を行ったという訴えを解決するだろう。

この和解提案は、XCPおよびMediaMaxを組み込んだソニーBMG製CDを買ったり、もらったり、使ったりした米国の消費者に救済措置をもたらす。この和解のもとで、XCP付きCDを持つ人は誰でも(XCPなしの)CDと交換するか、同じアルバムをMP3方式(の圧縮ファイル)でダウンロードしていい。さらにインセンティブがついていて、(a)7.5ドルの現金と一枚のアルバムを無料ダウンロードするか、(b)3枚のアルバムを無料ダウンロードしていい。

また、MediaMax 5.0付きのCDを買った人は、同じアルバムをMP3方式で無料ダウンロードし、もう一枚別のアルバムを無料ダウンロードしていい。MediaMax 3.0付きのCDを買った人は、同じアルバムをMP3方式で無料ダウンロードしていいが、インセンティブはついていない。



なんだか、寅さんの口上みたいである。「タダのおまけをつけてやっから、文句は言いっこなし」か。これに付加する和解条件の要約は以下の通りである。

(1) XCPおよびMediaMax搭載のCDの製造を中止する。
(2) XCPおよびMediaMaxによって引き起こされたセキュリティーの欠陥を修復するアップデートを利用可能にする
(3) XCPおよびMediaMaxをコンピューターから安全に除去(アンインストール)するソフトを配布する。
(4) MediaMaxおよびソニーBMG製CDに組み込まれた他のコンテンツ保護ソフトで将来セキュリティー上の欠陥が発生した場合も修復する
(5) XCPおよびMediaMaxによって、ソニーBMG製CDのユーザーの個人情報を収集しなかったし、これからも収集しないと第三者に証明させる
(6) XCPおよびMediaMaxソフトの使用許諾承認契約(EULA)のある規定を削除する
(7) 他のどんなコンテンツ保護ソフトでも、はっきりと開示し、第三者にテストさせ、除去できるようにすることを保証する。

ソニーにとって、これでめでたしめでたし、なのだろうか。詳細はジラード・ギブスが公表した長文の「和解提案」と地区裁判所に提出した「予備承認申請書」を目を皿にして読みこんでもらわなければならない。

明らかにソニーは集団訴訟の決着を急いだ。長期の法廷闘争でイメージが悪くなるのを避けたかったのだろう。懲罰的な巨額の賠償も避けられたし、スパイウエアの除去ソフト配布などはすでに約束しているから、さほどの持ち出しでもない。が、最大の問題は、轟々たる非難を浴びたスパイウエアの難点をほとんど認める全面屈服に近い和解なのに、ひとことの謝罪も陳謝もなく、法廷で決着済みとしてさっさとフタをしようとしていることだろう。

現に、ジラード・ギブスがこれだけ詳細に発表しているのに、ソニーBMGもソニー本体も6日まで何のプレスリリースも出していない。ソニーのハワード・ストリンガー会長兼CEOは5日、ラスベガスの家電見本市「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー」で会見に臨んでえらく楽観的な業績回復予想を口にしたが、スパイウエア問題では一般論しか口にしていない。リコールとお詫びの大盤振る舞いでソニーBMGはいったいいくらの損失を抱え、音楽部門の知財戦略はどう立て直すのか。聞きたいことはいくらもあるが、事実上の「沈黙」はまだ続いている。

彼方のタルコフスキー2--雪の夜に会った前妻イリーナ

週末にヒト・クローンの話も興ざめなので、タルコフスキーに話頭を転じよう。

「Russia」と表紙に書いてある13年前の3冊の取材ノート。それを見ていると、硬直したブレジネフ時代にふさわしくない詩的な映像を撮った映画監督タルコフスキーの作品の1シーン1シーンが、走馬灯のように脳裏をよぎる。

彼はほとんど私小説に近い「私映画」も撮った。それが「鏡」(Zerkalo, 1975)で、ここでも父アルセーニの詩を朗読させたのだ。脚本はタルコフスキーが書いたもので、母のマーリヤの人生をテーマにしているが、なんと実の母も登場させている。父は母と離婚していたが、映画ではその父に自作の詩を朗読させた。11回も録音やり直しを命じられた父は「息子が天才だなんて信じられなかったが、今は信じる」と脱帽した。タルコフスキーの執着は、映像のなかで「一族再会」を果たすことだったのだろうか。

彼自身も、すでに最初の妻イリーナ(イルマ)・ラウシュと別れていた。「惑星ソラリス」でナターリャ・ボンダルチュクが演じた亡き妻ハリーの暗い表情にも、それが投影されているに違いない。「鏡」でも美しい映像のそこここに破鏡の痛みが顔を見せる。父の朗読詩も「逢瀬、知りそめしころ」という題だ。ふたたび知人の試訳を紹介しよう。まず前半。

ぼくたちは逢瀬のひと時ひと時を
主顕節のように祝った
この世にただふたりだけ
きみは鳥の翼よりも勇ましく軽やかだった
階段を、めくるめいて
一段おきに駆けおりて
濡れたライラックを手にいれた
鏡のむこう側から

夜が訪れ、ぼくに愛がもたらされた
聖所の扉が開かれ
むきだしの身体が闇に光り
緩やかにかしいでいった。
めざめのとき、「幸多かれ」とつぶやいて
ぼくは気づいたその祝福の不遜さに
きみは眠っていた
紺碧の宇宙でその瞼に触れようと
ライラックはベッドからきみのほうへと身をのりだした
紺碧にふれられた瞼は静かで
その腕は温かい

映像の魔術。ここでは父子は相似形になる。詩の逢瀬にあらわれる裸身が、いつしか父アルセーニの恋人でなく、子アンドレイの恋人に入れ替わってしまう。温かく彼を抱く腕は、母なのか、妻なのか。映画は不思議な錯覚をもたらす。

前妻イリーナは女優で、タルコフスキーの作品で若き彼女を見ることができる。ナチス侵攻下のパルチザン少年兵を描いた「僕の村は戦場だった」の主人公の母、そして中世のイコン画家の苦悩を描く「アンドレイ・ルブーリョフ」では、タタール人に連れ去られていく白痴の少女を演じた。待ち構える陵辱と虐殺の運命を知らず、白衣をなびかせて馬に乗せられていったその無垢な笑顔が、なぜか忘れられない。

イリーナに会ってみたいと思った。

彼女は国立映画大学でタルコフスキーと同期だった。離婚後はひっそりと身をひいて、その後はどんな役を演じたのか、外国人には分からない。彼女は前夫の映画で永遠の生を得た。タルコフスキーがガンで死んで6年余の1993年冬、イリーナに連絡をとったら快くインタビューに応じてくれた。会う場所はモスクワ環状線外のサナトリウム、と指定された。

取材ノートを眺めて、ありありとその光景を思いだす。しんしんと雪の降る夜、白樺の木立に抱かれるようにレンガの館が点在していた。黄昏、真っ白の敷地に車を停め、通訳と館の扉をたたく。室内は暖炉の火がちらちら揺れていた。イリーナは思っていたより小柄で、当時は60歳前後だったが、美貌は衰えていなかった。今も存命だろうか。生きていれば70歳を超えたろう。

サナトリウムの暖炉の前に、映画大学の学友2人も一緒に待っていた。ひとりはタルコフスキーと一緒にモスフィルム芸術部長ミハイル・ロンムのもとで学んだ親友ユーリ・ファイト、もうひとりは当時モスクワに学びにきていたギリシャ人女性のマーリア・ベイコウだった。そのインタビューは、故旧談からいつしか失われた青春の回顧となり、さながらチェーホフの一場面だな、と思いながら耳を傾けた。

イリーナ「映画大学の生徒はあのころ少なかったわね。監督科に進む人が多くて、私のような俳優科はわずかでした」

マーリア「ええ、私は外国人として映画大学に入学したけど、最初に出会ったのはアンドレイ(・タルコフスキー)とイリーナだったの。彼は日本だけでなくギリシャにも興味を持っていて、いろいろな話をしたわ。古代ギリシャから現代のギリシャまで。おかげでだいぶロシア語が上達したのよ。1年生から3年生まで映画制作を一緒にした。私は学生生活と同時に、ギリシャ向け放送のアナウンサーもしていて、夜遅くなると彼が出迎えてくれた。イリーナが好きになっていて、どうしても結婚したいって言ってたわ」

――大学で彼はどう評価されていたんでしょう。

マーリア「多くの教授は彼に複雑な感情を抱いていました。でも、ロンム先生は彼が天才とわかっていて、才能の成長を助けたと思うわ」

イリーナが華やかな笑みを浮かべた。いまも花がある。

この続きは稿を改めよう。連休なのでブログは日月と休み、火曜から再開します。

ネット愛国主義の胚4――日韓の不幸な「うり二つ」

お奨めした日本医大講師、澤倫太郎氏の論文ではっとさせられたのは「不思議なデジャヴュ(既視感)」のくだりである。

「人間複製」への倫理的な反発が高まって、クローン人間を実験段階から規制しようという動きが、日韓ともほぼ同時期に始まった。いずれもよじれていった経過が「うり二つ」だというのだ。反韓、反日ナショナリストには気の毒だが、紆余曲折のあげくの尻切れトンボはなぜか日韓ともよく似ていて、同じ穴のムジナと言われかねない。

規制論議のきっかけは、もちろん1996年に英国の研究所が誕生させたクローン羊「ドリー」にある。その技術がヒトに応用されるのは時間の問題とされるなかで、功名心からクローン人間の開発競争が始まる恐れが強まり、宗教界や西欧先進国政府を中心に先手を打った規制をかけようとの声が高まった。

覚えているだろうか。2002年、イタリアの不妊治療医セヴェリノ・アンティノリが「近くクローンベビーが生まれる」と発表、つづいてカルト教団ラエリアンが「クローンベビーを誕生させた」と発表して大騒ぎになったことを。真偽は別として、恐れていた事態が目前に迫ってきたのである。ローマ法王庁もザ・タイムズなど保守系紙も「ヒトラーの真似事」「ナチスの狂った計画」などと一斉に非難の声をあげた。

しかし、このイタリア人医師の評判は、もとから芳しくなかった。先には62歳の老女に妊娠させたと発表して世間をあっと言わせたり、1999年には無精子症の男性の精嚢から精子のもとになる細胞を取り出し、それをネズミの精嚢に移植して精子に育て、体外受精させて赤ん坊が生まれたと発表したりした“お騒がせ人間”である。

このときは「借り腹」でなく「レンタル精嚢」、それも相手がネズミというグロテスクな組み合わせだったが、鳥取大学のニコラオス・ソフィキティス講師が協力、日本人を含む4人の男性が成功したという。ただ「患者の秘密」をたてに身元など一切を明かさず、その実在を疑われて単なる売名行為ではないかとうわさされた。

ラエリアンのほうは、フランス人教祖がUFOの異星人と遭遇してできたというトンデモ教団である。「人類は2万5000年前にこの異星人のクローン技術によって誕生した」と主張、2000年に本部のあるスイスでクローン人間をつくると発表した。日本では教団の関連会社クローンエイド社が2003年1月までに女児2人、男児1人の計3人のクローンベビーを誕生させたというが、DNA鑑定に応じておらず、専門家は立証不能としている。

このクローンエイド社は韓国にも支部があって、こちらは2002年7月に「半年後に韓国でクローン人間が生まれる」と発表した。韓国政府はすでに科学技術部(日本の文部科学省)が有識者懇談会を設けて「生命倫理基本法骨子案」を諮問しており、同年9月には国会に法案を提出しようとしていた。ラエリアンのスポークスマンは、韓国でクローン人間が法律によって禁止されれば「代理母は出国する」と海外での出産を示唆した。

が、この法案はもめた。澤論文によると、科学技術部に対抗して保険福祉部(厚生労働省に相当)が、人間の複製禁止や幹細胞研究に限定せず、「胚の管理体制に加え、配偶子の売買禁止や、遺伝情報の取り扱いにまで及ぶ統一法」をめざして、「生命倫理安全法案」の策定をめざしたという。霞が関でもよくある官庁間の縄張り争いだけでなく、バイオテク振興政策とのジレンマが科学技術部と保険福祉部のすりあわせを困難にした。

日本で何度も骨抜きにされた環境規制や、独占禁止法強化と構図は同じである。産業振興のかけ声の前に、こうした規制はオジャマムシ扱いされる。全斗煥政権時代の1984年に制定された生命工学育成法はその後何度も改正されて現在に及んでおり、韓国のバイオ振興の息は長い。金泳三政権時代の1994年には「バイオテク2000生命工学育成基本計画」が定まり、累計16兆ウォン以上の資金を投じてきた。ナノテク、ITと並ぶ21世紀韓国の中核テクノロジーとして「バイオテク」は国策産業の使命を負わされていたのだ。

結局、科学技術部と保険福祉部の角逐は決着を見ず、内閣府にあたる国務調整室で法案を一本化して2003年末に生命倫理安全法が成立、05年から施行された。ところが、「振興」と「規制」の矛盾のもとで、黄禹錫(ファン・ウソク)教授のスキャンダルが発生したのだ。朝鮮日報などの報道によると、黄教授は1年間で900という多数の卵子をつかったと言われ、卵子売買によって調達したとしか考えられない。売買を禁じた新法が事実上空洞化していたのではないか。

「民族の英雄」の黄教授は湯水のようにカネが使えた。政府や地方自治体の「公式」的援助が658億ウォン、農協中央会や大韓航空などの企業賛助金をあわせ700億ウォンを超え、単一の研究グループとしては歴代最高のカネが投入されていた。05年10月19日には、黄教授のためと言っていい研究治療施設「世界幹細胞ハブ」がソウル大学内に設立されたばかりである。すべては国家戦略としてバイオ振興政策があったからである。

国策の過大なプレッシャーで教授がデータ捏造に走ったのだとしても、国家もまた後戻りできない地点にいた。教授を守ろうと国家情報院が「口止め料」を出したとしても、それはやはり「国家ぐるみ」だったと考えるほかない。だが、それは韓国だけの事情だろうか。澤講師が指摘する「不思議なデジャヴュ」とは、日本でも韓国と同じく省間対立が起きたことである。文部科学省生命倫理安全対策室がクローン技術規制の法制化をめざし、厚生労働省も「非配偶者間の精子・卵子を用いた生命補助医療に関する規正法案」を立案、両省とも一歩も譲らなかった。ここでもバイオ「振興」と「規制」は相容れなかったのだ。

そこまで構図が同じだとすれば、「振興」を名目に巨額の助成金をむさぼる「日本の黄禹錫」がいたっておかしくない。いや、いるのだ。黄教授の先行形態ともいうべき論文捏造が東京大学で起きているのだ。分野も同じバイオで、こちらは遺伝子制御である。

東大の調査委員会(松本洋一郎教授)は05年9月13日、東大大学院工学系研究科の多比良和誠教授とその助手が、遺伝子の働きを制御する「RNA干渉」と呼ばれる分野で英科学誌ネイチャーなどに発表した4論文は「実験データ偽造の疑いがある」と発表した。

黄疑惑を笑う日本の反韓ナショナリストにはお気の毒だが、驚くほど日韓スキャンダルは似ている。新しい格言ができそうだ。人を笑わば穴二つ――。

そのRNA干渉スキャンダルは連休明けに。

ネット愛国主義の胚3――「衆人環視」の空間はだませない

政治漫画は残酷だ。変幻自在の言葉が武器の政治家と違って、漫画家は絵の描線しかないから、偏見など精神の歪みがむきだしになる。05年12月6日、朝鮮日報に載っていた漫画がそのいい例である。こめられた悪意は今や繕いようがない。

絵解きをしよう。黄禹錫(ファン・ウソク)教授によるヒト・クローン胚性幹細胞(ES細胞)の捏造疑惑を追及したテレビ局MBCが世間の指弾を浴び、黄教授支持派が「国益のため」に始めた1000人の女性から卵子寄贈を募る運動に、取材していた外国メディアのクルーが感動するという図である。つけたキャプションが「大韓民国の力」。国境を越えて単に一ジャーナリストの立場で見た場合でも、やんぬるかな、と天を仰ぎたくなる。

「風刺」を隠れミノにして、確たる検証もなくナショナリズムの“世論”に迎合しているうえ、外国メディアの権威を盾に国内のライバルメディアを貶めるという最悪の手法だからだ。こういうタッチは大政翼賛会時代の日本、スターリニズム時代のソ連や東欧圏にいくらも事例があった。ナチスの反ユダヤ宣伝紙「突撃者」(Der Stürmer)の扇情的な漫画ともよく似ている。

黄教授疑惑で韓国の新聞は終始後手にまわった。英ネイチャー誌の1年半前の“告発”にも黄教授をかばってきたし、この漫画が掲載された日まで紙面は内外の“嫉妬”に苦しむ黄教授像を演出しようとしていた。が、風向きが変わる。黄疑惑に動かぬ証拠をつきつけ、流れを反転させたのは、ネット発の決定的情報だったのだ。

先に「ネイバー、ダウム、ヤフーなど(韓国の)ポータルサイトに民族の英雄を傷つけるなという書き込みが相次いだ」と書いたが、ネット空間は必ずしも偏狭なナショナリスト大衆にだけ占拠されているわけではない。そこは「衆人環視」の空間であり、専門家も一角に加わっている。研究成果がひとたびネットで公開されたら、彼らはだませないのだ。幹細胞のように、ネットは敵にも味方にもなる「万能空間」なのだ。

この「衆人環視」を甘く見てはいけない。彼ら研究者たちは、米サイエンス誌に掲載された黄教授チームの2005年論文を仔細に検証し、添付された幹細胞の写真やDNA指紋のデータに、見過ごしがたい捏造の跡があるのを発見、韓国科学財団の生物学研究情報センター(BRIC)のネット掲示板に匿名で告発した。耐震設計データ偽造を見抜けなかったイーホームズのようにザルだった米科学誌の査閲制度の穴も、専門知識を欠いた記者が調査報道もせず迎合紙面でナショナリズムを煽るだけという商業ジャーナリズムの穴も、「衆人環視」によって埋められたことは救いといえよう。

論文のどこが異常だったかは、北海道大学大学院生(化学専攻)のブログサイト「幻影随想」が日本語で手際よくまとめている(12月10日11日エントリー)から、そちらをご参照ください。要するに別の細胞の写真のはずなのに、同じ写真を焼き増して角度を変えたりトーンを変えて使いまわしているのだ。DNA指紋でも、体細胞とそこからつくったES細胞のDNAは本来同一になるとはいえ、鑑定は手作業で試料の量なども微妙に違うためノイズや波形が微妙に違ってくるはずだ。なのにサンプルは異常なほど一致していた。これは体細胞のDNAを、幹細胞のDNAと偽っているとの疑惑を強める。

この発見は韓国科学技術者連合のサイト(http://scieng.net)を経て瞬く間に広がった。ソウル大学の若手教授たちも、 鄭雲燦 (チョン・ウンチャン)総長に「幹細胞のDNA指紋データのうち、相当数に疑問を抱かざるを得ない」とする文書を提出した。ソウル大学はついに調査委員会を設け、2005年論文で黄教授が誇示した幹細胞自体が「一つも実在しない」という結論に達したのだ。1月10日には大学調査委の最終結論が出て、最後の鉄槌がふりおろされる予定だが、2005年12月30日付の朝鮮日報はなお残る5つの疑惑を挙げている。

(1) サイエンス誌2004年論文では、受精卵の胚か初期段階の幹細胞を抽出する「ソフト・スキーズ」法などの源泉技術を確立したとしているが、これも存在しないのか
(2) 2004年論文の成果もデータを捏造したものなのか
(3) 2005年論文でデータ捏造を隠すため、誰が幹細胞をすりかえたのか
(4) 黄教授は、共同研究先の米ピッツバーグ大学にいる韓国人2研究員とその父に4万ドルを渡していたが、2研究員とも捏造に加担、その口止め料だったのか
(5) そのカネを出したのが情報機関の国家情報院だったと報じられ(国家情報院は「黄教授に頼まれただけ」と釈明)たが、国家関与の有無は

(4)と(5)は多少説明を要する。テレビ局MBCの時事番組「PD手帳」の取材班に対し、ピッツバーグ大学にいる研究員は「黄教授の指示で幹細胞2株を11株にふやす写真を撮った」と捏造を認める発言をした。研究員は11月半ばに自殺未遂を犯し、黄研究班のソウル大学の安圭里(アン・ギュリ)教授と漢陽大学の尹賢洙(ユン・ヒョンス)教授が急遽ピッツバーグに飛んだ。2教授は12月初めにも再度訪米、この研究員にカネを渡したのだ。一連の流れからみると「口止め料」と見える。

この会合の2日後、研究員はMBCに対し「脅迫取材で事実と違うことを口走った」と証言を180度覆してしまう。MBCは番組の放映を中止する。ところが、研究員へのカネの受け渡しに「国民的英雄」だった黄教授身辺の護衛役をつとめる国家情報院職員が関わったことが暴露された。当初否定していた国家情報院も、ほどなく「組織ぐるみではない」としながらも「黄教授に頼まれてカネを渡した」と認めたのだ。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は1月2日、内閣改造に踏み切り、対北朝鮮政策の責任者である統一相など4閣僚を自身の側近で固めた。黄疑惑で追い詰められた呉明(オ・ミョン)科学技術部長官はトカゲの尻尾切りのように更迭され、副首相兼科学技術部長官として、人権派の学者で青瓦台(大統領府)秘書室長だった金雨植(キム・ウシク)をあてた。国家ぐるみの揉み消し工作追及に備え、背水の陣を固めたかたちである。

問題はこの「国家ぐるみ」なのだ。

ネット愛国主義の胚2――最後から二番目の真実

幻のヒト・クローン胚性幹細胞(ES細胞)のつづきを書く前に、このブログに「最後から二番目の真実」というタイトルをつけた理由を説明しておこう。12月で終えた新潮社月刊誌「フォーサイト」の連載コラムを、このサイトで継承したつもりである。

penultimateとは「究極(ultimate)の手前」というほどの意味で、ちょっと気に入った単語なので捨てるに忍びなかった。タネを明かせば、つれづれに翻訳したことのあるSF作家P・K・ディックが、あまりできのよくない作品のタイトルにつかったのを拝借したのだ。地上では2大国の核戦争が続き、放射能汚染を避けて人類は地下都市で耐乏生活するというSFによくある設定だった。都市は少数の支配層が全権を握り、彼らがテレビを通じて流す地上の凄惨な戦争の映像によって、大衆は忍従するほかなくなっている。

だが、それはすべて「最後から二番目の真実」ではないのか、地上の核戦争はとうに終わっているのに、支配の永続のために瓦礫の戦場のシーンをでっちあげているのではないか――そう疑う人間が出てきて、目で確かめようとダクトにもぐりこみ、ロボットの追跡をかわして地上をめざす筋書きだ。ディックのSFは、「ブレードランナー」「マイノリティ・リポート」などいくつも映画化されたから、見た人はあの暗い雰囲気を思い出すだろう。

最近の映画でその設定をパクったのは、ユアン・マクレガーとスカーレット・ヨハンソンが演じた「アイランド」だろう。監督は駄作「パールハーバー」を撮ったマイケル・ベイだからそう期待していなかったが、才女ソフィア・コッポラが荒涼たる東京を舞台に撮った「ロスト・イン・トランスレーション」の北欧系美人ヨハンソンのなまめかしい唇は一見の価値があるので、DVDで鑑賞してみた。

「アイランド」も地下都市が舞台である。そのセットは007シリーズの地下秘密基地みたいで陳腐だし、映画そのものはありきたりのアイデンティティー・クライシスと派手なアクション映画仕立てだが、思わぬ収穫があった。今回の胚性幹細胞に潜む深刻なジレンマを、ハリウッドが巧みに映像化してみせていたからである。

そのジレンマとは――いや、その前に胚性幹細胞の初歩的な説明をしておこう。普通の生物の細胞は一定の用途に限定され、神経細胞は分裂増殖しても神経細胞以外の細胞にならない。しかし分裂増殖で別の細胞になることができる特殊な「万能細胞」があって、これを幹細胞という。一個の受精卵から分裂増殖によって身体のさまざま細胞ができ、それが内臓や骨、皮膚などを構成するのがその好例である。この受精卵の胚から取り出す幹細胞が、今回問題になった胚性幹細胞(Embryonic Stem Cell)なのだ。幹細胞はほかに骨髄、胎盤、血液(臍帯血)、毛根、脳などにも分布している。

「万能細胞」は失われた臓器の再生を可能にするため、現在の医療技術では治癒不能とみられるアルツハイマーや脊椎損傷などの患者にとって朗報である。しかし、授精した卵子をその瞬間から一個の生命体(赤ちゃん)とみなせば、そこから胚を抽出する行為は「水子」を切り刻む“殺人”行為にひとしくなる。映画「アイランド」は、この受精卵を「水子」でなく成人クローンに置き換えて、幹細胞抽出のおぞましさを描いたのだ。

だが、そこには米欧社会が意識的無意識的に押しつけるキリスト教倫理がむきだしになってくる。分裂増殖をはじめたばかりの受精卵を一つのホムンクルス(小人の精)とみて、抽出を一種の殺人と指弾するのだ。ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク) 教授が成功したというヒト・クローン胚性幹細胞に最初に倫理的な疑問を投げかけた英科学誌「ネイチャー」429号(2004年5月6日)の記事(デヴィッド・サイラノスキー記者)と同じ号の社説を読んでみればいい。

ネイチャーは科学誌の最高峰であり、日本では明治時代に南方熊楠が日本人として初めて寄稿した権威ある雑誌だが、サイラノフスキー記者の取材は調査報道だったのだ。韓国ではテレビ局MBCの調査報道が世論を震撼させ、一時は袋だたきにあったが、実はこのネイチャー誌スクープの1年半後のトレース(後追い)取材にすぎなかったといえる。

ネイチャー誌が目をとめたのは、黄チームが実験にあたって16人の女性から242個の卵子を得ていたことだった。ホルモン注射によって卵巣に過剰排卵させ、1月経周期に1人で12~20個もの卵子を得て効率を高めていたのである。ネイチャー誌はこう書く。



他の研究者たちは驚く。これほど多数の女性が、研究プロジェクトのためにこうした処置を施される気になったとは、と。こうした処置の副作用は、一般的な不快感や心的ストレスから血栓や梗塞まで及びうる。『これは苦痛の伴う処置で、リスクが含まれている』とミシガン大学でクローニングを研究している論文の共同執筆者ホセ・チベリは語る。『アメリカでやろうとしても無理だろう』



黄教授は、卵子提供女性は医学の将来性のある分野を前進させたいと望んでおり、協力は自発的だったと主張していた。しかしネイチャー誌は、匿名の提供女性のひとり、「ヤ・ミンクー」を突き止める。最初のインタビューで、彼女は卵子を提供した病院の名を挙げ、すでに2人の子持ちなので、卵子を喜んで提供したと語った。ところが、あとで電話し直してきて、提供を否定し、英語が理解できなかったせいだと証言を覆した。

ネイチャー誌の追及はここで止めている。「ヤ・ミンクー」に何らかの圧力がかかったことをにおわせながら、その先を書かないという「最後から二番目の真実」戦術だ。もちろん、黄教授は当初疑惑を否定した。だが、韓国には不法卵子売買が存在する。2005年11月14日にも、ソウル警察瑞草署が02年12月から04年末にかけて計395人に卵子売買をあっ旋し、67億ウォン(約7億円)を稼いだ男を逮捕した事件が報じられた。

西欧には許しがたい「生命倫理の弛緩」と見え、韓国では「儒教道徳のエアポケット」として違和を覚えない、というこのカルチャー・ギャップ。黄教授の論文捏造を暴くモチーフの底には、明らかにこの「文明の衝突」があったと思える。韓国のネット世論が激高したのは、暗黙のうちに倫理的「後進国」という烙印を捺されていたからだ。

ネット愛国主義の胚1――勘違いした「トムとジェリー」

記憶にずっと残っていたが、どこで知ったのか、どうしても思い出せない小話がある。



ある保健指導員が今週報告したところによると、小さなネズミが、たぶんテレビを見ていたのだろうが、いきなり小さな女の子とペットの大きなネコに襲いかかったという。女の子もネコも生命に別状はなかったが、このできごとは何かが変わりつつあるらしいことを思い起こすものとしてここに記しておく。



「あ、そいつはね……」とモノ知りが言う。「マクルーハンさ」。メディアはメッセージ、という名言を残し、「グーテンベルクの銀河系」など逆説のきいたベストセラーを次々と送りだして1960~70年代に一世を風靡したカナダのメディア学者である。

ちょっと滑稽で不気味なこの逸話、調べたら彼の著作にあった。「メディア論人間の拡張の諸相」(Understanding Media : The Extensions of Man, 1964)の書き出しだ。でも、マクルーハンもよそから引用していて、ほんとうの筆者はニューヨーク・タイムズ紙の名物政治記者ジェームズ・レストン。記事は1957年7月7日に載っている。

このネズミが見ていたのはきっと、アニメ「トムとジェリー」に違いない。あの永遠の鬼ごっこ喜劇はいつ見てもあきないが、あれを見てネズミが現実と混同し、窮鼠(きゅうそ)でもないのに「ネコを噛んだ」とすれば、背筋が寒くなる。しかし、逆上したネズミは一種の比喩だろう。「人間の拡張」をもたらす新しいテクノロジーを伴うとき、メディアはヒトを変える(あるいは逆上させる)――と言いたいのだ。

ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク、Hwan Woo-suk )教授のヒト胚性幹細胞(ES細胞)に関する論文データ捏造疑惑は、ある面で「ネコを噛んだネズミ」を思わせる。

疑惑を調べたソウル大調査委員会は、黄教授がクローン技術を使ってヒトの皮膚細胞から11株のES細胞をつくったという、米サイエンス誌(05年5月電子版)論文は「でっちあげ」と結論づけた。11株のうち9株は実在せず、残る2株もDNA鑑定すると、もとになった皮膚細胞と一致しなかった。きのうまでの韓国の国民的英雄が、一転してサギ師の烙印を捺されるという劇的な結末を迎えたのである。

その過程で起きた悲喜劇で目を引いたのは、韓国のテレビ局MBCの調査報道である。黄教授転落の引き金は、科学誌の権威ネイチャー誌が指摘した「研究員による卵子提供疑惑」だが、MBCの時事番組「PD手帳」はその検証を05年11月22日に放映した。3カ月かけた丹念な取材で、よくやったと褒めていいスクープである。

取材班は研究員以外の卵子提供者たちと接触し、卵子を売った動機がクレジッドカード借金の返済や、自宅競売回避のため、または小遣い稼ぎだったとの証言を得ているし、卵子を購入した盧聖一(ノ・ソンイル)ミズメディー病院理事長にもインタビューし、「倫理上問題があるとの認識はあったが、国益のために敢行した」と白状させた。報道の要件を満たしているかどうかで言えば、完璧と言っていい。

ところが、ネイバー、ダウム、ヤフーなどのポータルサイトでは、民族の英雄を傷つける蛮行と非難する書き込みが相次いだ。MBC取材チームが「黄教授に引導を渡しにきた」「あなたたちに傷をつけたくはないから……」と言って研究員たちに近づいたことを「取材暴力」と指弾したのだ。ここに浮かび上がるのは「ネット対テレビ」という構図――日本では資本の戦場でライブドアや楽天というネット資本がフジ、TBSの民放勢を飲みこもうとしたが、韓国ではナショナリズムという観念の戦場で激突したのだ。

黄禹錫教授ファンクラブカフェを名乗る同好会が「アイラブ黄禹錫」というサイトを開き、MBCに謝罪を求め、デモやスポンサーに対する抗議電話や不買運動を煽った。「PD手帳」のスポンサーは降板を表明したが、MBCは負けじとニュース番組でもこの問題を報道、「ニュースまで黄禹錫叩きか」「腹が立ってテレビを見れない」などの批判コメントが殺到したという(朝鮮日報)。中央日報はじめ新聞も反MBCのネット世論に引きずられたし、MBCも一時ぐらついた。

黄疑惑は地雷になったのだ。02年大統領選挙ではネット世論のバックアップを受けた盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は「(追及は)このへんで終わりにしよう」と幕引きを図ったが、「韓国の生命工学界を見殺しにしておいて今更やめろとは」、「マスコミの暴力を水に流そうなどとはあきれる」、「国益の問題に目をつぶるな」といった抗議が殺到した。あげくに、黄教授に卵子を提供する女性が200人以上も現れるなど狂騒曲の様相となる。

それがソウル大調査委の結論で「壮大なゼロ」と化した。インターネットという新テクノロジーに舞い上がった「ジェリー」は、漫画そっくりに「トム」をいたぶってきたが、現実はそう甘くない。うぬぼれ鏡のように見たい現実しか見ないことが破局を招いた。それはネット世論の本質というより、高度大衆社会の本質なのかもしれない。

そこで安易に形成されるファクタ(事実)なき神話がメディアの致命傷となることは、中央日報の12月30日号に掲載された「<2005年を反省します>真実知らぬまま『黄禹錫神話』作り」と題する謝罪文がよく表している。問題記事を関連記事として列挙しているが、日本の新聞に身を置いた身として言えば、これは無残としか言いようがない。

他山の石だろう。ネット掲示板でばっこする日本の反韓派は、それみたことかと鬼の首をとったようなはしゃぎぶりで、歴史歪曲問題を持ち出す。しかし、それもまたナショナリズムに毒された勘違いの「ジェリー」でしかない。では、黄禹錫問題とは何だったのか。

素人の憶測はもういい。管見するかぎり、日本で冷静にことの本質を見抜いて書いたと思えるのは、日本医科大学(生殖発達病態学)講師の澤倫太郎氏の力作「国家主導の生命工学がもたらした悲劇-バイオ・コリア国家プロジェクトのひとつの帰結」上下だろう。彼は私の知りあいで、同じサイトに私も寄稿しているが、いい論文だった。一読をお奨めする。

あすはお休み。

彼方のタルコフスキー1――「ノスタルジア」で朗読した詩

あけましておめでとうございます。お正月ですから、のんびりしたブログにしましょう。

大晦日、手抜きの大掃除をしていて、ふと手がとまった。13年前の取材ノートが出てきたのだ。日経新聞土曜版の「美の回廊」の取材で、93年1月、モスクワとボルガ川中流の町ユリエベツに行ったときのものである。目頭が熱くなるほど懐かしい。

生まれてはじめて零下30度という極寒を経験し、チェーホフが「シベリアの旅」で描いた「はてしない」白樺の密林の一端、「ダイヤモンド・ミスト」の煌めくロシアの青天を眼前にしただけに、忘れがたい旅だった。

映画「惑星ソラリス」「僕の村は戦場だった」「サクリファイス」などの傑作を世に送りだしながら、ソ連芸術官僚にいびられて晩年は亡命を余儀なくされ、異国の地で客死したロシア人監督の足跡を追う取材だった。欧州を横断して果敢に取材したが、ノートのほんの一部しか使えず、未練が残ったのでこうして保存したのだろう。記事の冒頭はこう始まる。



ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの作品は、いつも暗い水がゆらめいている。その原像をたどって、冬の旅をした。

タルコフスキーの映像は、いつも魂の廃墟を映しだす。どこからともなく伝わる水音。滴は霧や雨や雪となり、藻をそよがせ、壁を濡らし、耳を聾(ろう)する滝となって……内なる故郷から、ひたひたと水はあふれてくる。



しばしノスタルジーに浸った。当時のロシアはすでに91年8月の保守派クーデター失敗でゴルバチョフ大統領が失脚、エリツィン時代に移行していた。それでも残るソ連時代の抑圧の呪縛と、不振に喘ぐ経済の暗い影が、この行文には揺曳している。

ノートに数枚のFAXの感熱紙がはさんであった。幸い、まだ字が読める。タルコフスキー監督の父、アルセーニ・タルコフスキーの詩である。父母は離婚したが、監督はこの父を尊敬していたらしい。自伝的な映画「鏡」や、望郷の思いやみがたい「ノスタルジア」では、父の詩を映画のなかで朗読させている。

映画では断片しか分からないから、詩の全体が知りたかった。監督の旧友からその詩集(フランス語の対訳つき)を寄贈され、知人のロシア文学研究家に試訳してもらった。ファクスで送られてきたその訳詩は、結局記事のなかで使えなかった。もったいないのでここに再録する。いい詩である。まずは「ノスタルジア」で朗読した詩――。


子供のころ、ぼくは病気になった
飢えと恐怖で
唇の皮を剥いてひと舐めすると
ひんやりと塩っぱい味がした
ぼくはずっと歩いていく、ずっと、ずっと歩いていく
表階段に腰をおろして
暖まる
ひとり浮かされたように歩いていく、まるで
鼠捕り人の笛の音につられて川に入っていくよう
階段に座って――暖まる
なんだか寒気がする
母が立って、手招きしている
すぐそこにいるようにみえて近づけない
そばまで行けそうだ――ほんの7歩のところに立って
手招きしている、ぼくは近づいていく――
母は立っている
7歩のところに、手招きしている
暑い
ぼくは襟を開いて、横になった――
その時ラッパが鳴りだした
日の光が瞼にさし、馬たちが駆けていった
母は舗道の上を飛んでいく
手招きして――
そして飛んでいってしまった……
今ぼくは夢に見る
林檎の木の下の白い病院
喉に巻かれた白いタオル
白衣の医者がぼくを見つめる

白衣の看護婦が(ベッドの)足元に立って
翼をふるわせているみんなそのままだった
母がやってきて、手招きした――
そして飛んでいってしまった……


この訳詩を読んで興味をお持ちの方は、このHPのお問い合わせフォームにお名前、ご住所、FAX番号などを書き込んでください。原文(Arséni Tarkovski, Poèms, Editions Radouga, Moscou, 1991)の掲載ページのコピーをFAXで(キリル文字のフォントを入れていないのでファイル送信は無理)送ります。

ソニーの「沈黙」15――カイロに聞いてみた

カイロに電話した。サウジアラビアの富豪アル・ワリード王子が日経のカイロ支局長に語った「(現在投資を検討している企業は)世界で5、6社ある。一つはソニーだ」という発言が、どうしても気になったからだ。

王子にインタビューした支局長のK記者とは、ジャカルタで会ったことがある。彼が駐在員で、こちらは東京から出張した。むうっとする熱帯の温気(うんき)、アセチレンの揺れる屋台の人影、そしてスコールの雨。ああ、これぞアジアと思った記憶がある。それからずいぶん歳月がたった。だしぬけの電話なので、探りを入れる声になる。

「覚えてる?」
「アベジュウさんでしょ」
「うん、覚えていてくれたか」
「お久しぶり、懐かしいですね」

カイロはクラクションが騒然と鳴りわたる、埃っぽい雑踏の都会だ。ひとしきり雑談してから、王子との英語インタビューがどう実現したのか聞いてみた。

「ああ、あれは申し込んでから半年かかってやっと実現しました」

王子のほうからネコなで声で日経に接近してきたのなら、ポジショントーク(市場の思惑を誘う発言)の疑い濃厚だが、そうではないらしい。しかし半年も待たせるのは、王子とのインタビューが今も狭き門で、敷居は高いということだろうか。

「いや、1990年代の昔とは違います。(王子の投資会社)キングダム・ホールディングはそれほど閉鎖的でも秘密主義でもありません。9・11事件で変わったんでしょうね。(アメリカなどで起きた王政批判に驚き)外からこんな風に見られているのかと、目を覚ましたんです。これはまずいと危機感が出てきて、表に出るようになりました。海外メディアに出ることも、今は基本的にウェルカムですよ」

隔世の感がある。で、肝心のソニーの話はどういう文脈で飛びだしたのだろう。

「それが、わざわざ向こうから言いだしたんです。投資先の条件を聞いていたら、『実はね、日本とのからみで言うとね』と言って、ひょいとソニーの名が出てきた。えっと思ったんですけど、『もう買っているのですか』と聞くと、『まだだ』と答えました」

これは考えさせられる。王子は意識的にソニーの名を出したのだ。とすると、インタビュー自体も、周到に計算されつくしていて、半年前の日経の申し入れに急に応じたのは、ソニーの名を口にして株価の反応を誘導する魂胆があったと考えられる。K記者にそういう気配を感じなかったかと聞いてみた。

「ええ、日経社内でも、この記事でソニーの株価が上昇し、結果として加担したことになりかねないという議論があったようです」

王子が密かにソニー株を買っていて、そのつり上げを図って意図的に日経に流したのなら、リークした側の株価操縦の問題である。王子でなくとも、王子の周辺がグルになってソニー株を仕込んでいても同じだろう。しかし、新聞としては、王子がソニー株購入を検討しているというスクープを報じるのは当然という認識に達したらしい。

もうひとつ気になるのは、王子がソニーのストリンガー会長に言及したことである。

「間接的というか、知らないわけではない、という言いかたでした」

これは聞き捨てならない。王子とストリンガー会長は誰か人を介して接点があるのだろうか。そして、今回の株購入の検討についても、ソニーとキングダム・ホールディングが水面下で交渉しているという可能性があるのだろうか。

とっさに思いだすのは、ストリンガー会長が2004年9月にまとめあげた名門映画制作会社MGM(メトロ・ゴールドウィン・メーヤー)の買収である。タイムワーナーと競り合い、交渉相手がラスベガスの帝王カーコリアンという厳しい条件で勝てたのは、懐刀として米国ソニーCFO(最高財務責任者)のロバート・ウィーゼンソールがいたからだ。

ウィーゼンソールはアメリカの有力投資銀行CSFB(クレディ・スイス・ファースト・ボストン)のMD(マネージング・ディレクター)から2000年にソニーに入った凄腕の若手金融マンである。CSFB時代からシーグラムのMCA買収、リバティ・メディアとTCI合併などの青写真を描いていたという。

もうひとり、偶然かもしれないが、ストリンガー会長を支える「助さん格さんの」一人、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)のマイケル・リントンも、CSFBのM&A(企業の合併・買収)部門で働いていたことがある。要するに「チーム・ストリンガー」とは、M&Aのプロ集団なのだ。彼らが株価低迷に悩む会長の意を体して、アル・ワリード王子もしくはその周辺に接した可能性を考えざるを得ない。

終わりよければすべてよし、とまではいかなかったが、ソニー株の2005年最終日12月30日の終値は4820円。さすがに前日の年初来高値5020円よりは下げたが、7月末につけた年初来安値3660円を思えば、よくぞ健闘してここまで盛り返したといえる。ただし、その裏に何があったかは別問題だろう。

幸いなことに、キングダム・ホールディングの企業広報担当の女性の名と連絡先を聞いた。そこにチャレンジして、アル・ワリード王子の真意をただすのは新しい年にしよう。ソニー側にも接触の有無を確かめねばならない。

ともあれ、よいお年を。そして、ソニーにも幸あれ。

ソニーの「沈黙」14――新会長のつまずきは「蜜の味」

12月29日朝の御茶ノ水は森閑としている。澄んだ蒼穹。当方は来年の創刊を控えて、のんびり正月休みをとる身分ではないので、週末まで出社するつもりだが、たいがいのオフィスはきのうで御用納めだったろう。私個人は、手嶋龍一前NHKワシントン支局長を通じて知り合った若い人たちを前に、新雑誌がめざすジャーナリズムを語る会に出た。寒風の夜の巷はほろ酔いの人が多く、「歓喜の歌」を空耳で聞いた気がした。

「歓喜よ、美しき神々の閃光よ(Freude, Schöner Götterfunken)」

ドイツ語だが、英文でもたびたび目にする単語「Schadenfreude」(シャーデンフロイテ)を思い出す。直訳すれば「影の喜び」、他人の不幸をひそかに笑うことである。日本語で近いのは「人の不幸は蜜の味」だろうか。日本のソニー本体が、アメリカで発生したスパイウエア問題になぜ冷淡だったのか、の謎解きにこの言葉が使える。

ハワード・ストリンガー会長兼CEOの権力基盤を直撃するからだ。不祥事を起こしたソニーBMGのトップ、アンドリュー・ラックはストリンガー子飼いの部下であり、事実上の引責辞任に追い込まれたら会長も傷つく、というのが前回紹介した裏事情である。

ストリンガーの牙城アメリカには、もうひとつ頭痛の種がある。彼をソニー会長に押し上げた最大の柱、映画部門ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)である。薄型テレビなどでシェアを失って不振の極に陥ったエレクトロニクス部門とは対照的に、ここ数年は「スパイダーマン」などのヒット作を連発して我が世の春を謳歌してきた映画部門だが、2005年は空振りばかりで生彩がなくなったからだ。

ウィル・スミス主演の「ヒッチ」が1億7900万ドルの興行収入をあげたほかは、「ステルス」や「XXX」などの大作が、CG(コンピューターグラフィックズ)依存にファンの飽きがきたのか、いずれも興行収入1億ドルのハードルを超えられなかったという。

コロンビア映画を買収した後、内幕本「ヒット・アンド・ラン」で暴露されたような乱脈経営でアメリカ人大物プロデューサー二人に食い物にされたソニーは、出井時代にベテランのプロデューサー、ジョン・キャリーをスカウトし、合理化と堅実経営によってSPEを立て直した。1998年には米国ソニー会長兼CEOにCBS出身のストリンガーが招聘され、「プロジェクトUSA」と称するエンタテインメント部門の抜本改革を実施した。

この過程でストリンガーは自前の経営チームを構成する権限を与えられ、音楽部門のトップにはテレビ局CBS時代の同僚で、NBC社長だったラックを据えるとともに、映画部門でも高齢のキャリーの後釜人事で世をあっといわせたのである。

おおかたの予想は、キャリーのもとでSPE副会長をつとめ、次々にヒット作を放った辣腕女性プロデューサー、エイミー・パスカルだった。ところがストリンガーは彼女を選ばず、ハーバード・ビジネススクール出身のマイケル・リントンを選んだのだ。ストリンガーを「水戸黄門」にたとえれば、ラックとリストンはその「助さん格さん」にあたり、黄門の好みは派手な「業界人」より堅実な能吏にあるらしい。

現にリントンは、撮影スタジオ育ちでエネルギッシュなパスカルとは対照的なタイプで、どちらかというと出版畑である。ソニーに来る直前は、タイムワーナーでインターネット接続サービス(プロバイダー)AOLの国際部門を指揮していたが、それまでは経済紙フィナンシャル・タイムズなどを傘下におく英国ピアソンで書籍の「ペンギン」や、ディズニー・グループの出版部門を渡り歩いているからだ。

こうしてSPEはリントンとパスカルの二頭体制になり、その上に映画のリントンと音楽のラックの手綱を引くストリンガーが君臨するかたちになった。米国ソニーのこのガバナンス構造は、ストリンガーがソニー・グループ全体の会長兼CEOになっても、そのまま持ち越された。不調のエレクトロニクス部門を立て直すまで、米国のエンタテインメント部門で利益に貢献することが、ストリンガーの権力の源泉になるという読みである。

が、その映画部門まで不振にあえぎだしたのだから深刻だ。12月に小泉首相が観た「SAYURI」も、中国人女優チャンツィイーが演じる日本の芸者(原作もアメリカ人)ではあざとすぎて大ヒットは無理だろう。06年公開予定でヒットしそうな作品は、ベストセラーの映画化作品「ダ・ビンチ・コード」あたりだろうか。とにかくリストン、パスカルの二人は、不作続きで高まるプレッシャーに業務見直しを余儀なくされている。

そこで起きた不思議な株価上昇は何を意味するか。

「助さん格さん」の二本柱を失ったら、ストリンガーは羽をもがれた蝶である。ただでさえ、後継にストリンガーを選んだ出井伸之前会長兼CEOの人事は、社外取締役会で自身の再任を拒まれたゆえの「次善の策」とされ、ソニー内外で評判はよくない。アメリカのエンタテインメント部門の後光が薄れたら、いくらストリンガーが「ソニーの戦う戦士」と忠誠を強調しても、金融部門売却などの「選択と集中」に抵抗が強いことは、中途半端なリストラ策に終わった05年9月の中期経営計画がよく示している。

米国ソニーのつまずきは、国内の反ストリンガー派にとっては「影の喜び」になる。では、ストリンガー会長は何によって自らを支えるか。ガバナンスの源泉は資本――株価と株主である。アル・ワリード王子という「アラブの御紋」の印籠の効用もそこにある。が、それは外国人トップがソニーにとって「トロイの木馬」になることを意味する。水面下で権力闘争が始まるのではないか。

第九交響曲の「歓喜の歌」の歌詞にはない、シラーの原詩のフィナーレはこうである。

ほがらかな別れの時!

経かたびらにくるまれた甘い眠り

兄弟よ――臨終の審判者の告げる

やさしい判決よ!

Eine heitre Abschiedsstunde!

Süßen Schlaf im Leichentuch!

Brüder - einen sanften Spruch

Aus des Totenrichters Munde!

ソニーの「沈黙」13――コンスピラシー・セオリーの温床

1997年に公開された映画「コンスピラシー・セオリー」(邦題「陰謀のセオリー」)は、メル・ギブソン演じるちょっとオツムの弱いタクシー運転手が、陰謀史観にとりつかれて客にのべつ吹聴し、その強迫観念にあわせて自宅のアパートも要塞のように改造してしまった場面から始まる。脳裏をよぎる三本の煙突の執拗なフラッシュバック。そしてジュリア・ロバーツ演じるヒロインをやみくもに守ろうとする行動。運転手は憑かれたように語る陰謀史観以外に何も覚えていない。

映画はその頓狂な非現実がしだいに現実に化していく恐怖を描くのだが、ほんとうはこの運転手の妄想が完成して外に出られなくなり、妄想どおりに秘密機関の追跡と恋人の救済という願望に閉じこもってしまったかと思える。

フリーメイスンから「シオンの賢人の議定書」まで、世に陰謀史観のタネは尽きないが、フィクションならいざ知らず、これが手に負えないのは複雑な要因のからみあう現実の直視と分析を放棄し、単純な「悪」にすべてを帰す知的怠惰がはびこることだ。オツムの弱い人ほど、この手の解説をしたり顔で口にする。11月以降、不思議な上昇を見せるソニーの株価も、そうした陰謀説の温床になりかねない。

サウジアラビアの富豪アル・ワリード王子の日経インタビューは、かえって謎を深めたといえる。王子のような有名投資家は、買いのウワサがたつだけで株価をつりあげてしまう。「池のなかのクジラ」のようなもので、ちょっと身動きするだけで大波がたつのだ。だから、ソニー株を買うなら、極秘裏にことを進めるのが普通だ。王子が語ったように「調査中」の段階で、これから買う銘柄を明かすことなど考えられない。

インタビュー自体がポジショントーク(市場の思惑を誘う言葉)ではなかったのだろうか。その場合、考えられるケースは以下のようなものだろう。

(1)「今が底値との確信があればもう買っているが」とまだ買っていないかのように装いながら、すでにソニー株を買っていて発言による値上がりを期している。
(2)王子のキングダム・ホールディングスはまだ買っていないとしても、王子の周辺の投資家が買っていて、彼らのためにポジショントークを発信した。
(3)ソニー、または米国の投資銀行から、株価下支えのために王子にポジショントークの依頼があり、リップサービスで信用補完を行った。

これらの仮説は、王子の買い意欲が本気でないことを前提にしている。が、本気だとすると、もうひとつの仮説――ソニーの経営立て直しが生ぬるいと判断した外国人株主が、株を買い増して主導権を握ろうとしており、王子の発言はその前哨戦ではないか、というものである。ソニーの外国人株主比率が9月末で50%寸前に達していることも、そうした憶測を増幅させる。ソニーの株高は密かに外堀を埋められている徴候であり、いずれ「乗っ取られる」のではないかという恐怖である。

もっと手のこんだ陰謀説になると、ソニー内部から城門を開いて「落城」へ誘導している内通者がいるのではないかという見方である。その背景には、スパイウエア問題を引き起こしたアメリカの音楽部門合弁会社ソニーBMGの主導権をめぐる、ソニーとベルテルスマンの深刻な軋轢がある。そのゴシップは、12月5日付の米経済紙ウォールストリート・ジャーナルに書かれたが、スパイウエア問題でかいま見えたソニーBMGの「脳死状態」が裏側から透けて見える内容だった。

ドイツのベルテルスマンの会長兼CEO(最高経営責任者)グンター・ツィーレンが、ソニーBMGのCEO、アンドリュー・ラックの更迭を主張して一歩も譲らないという。理由ははっきりしないが、ベルテルスマン側はソニーBMGの業績に不満なうえ、ラックのぶっきらぼうで、ときに一方的な経営スタイルが気に入らないらしい。

米紙が例にあげているのは、取締役会の決議を経ずにラックが歌手ブルース・スプリングスティーンに大枚1億ドルを投じる契約に調印したことである。ドイツ流「官僚主義」はこういう経営者の独断に耐えられないのだ。しかしソニーの新会長兼CEOのハワード・ストリンガーは、ドイツ側のラック更迭要求にすんなり応じられない事情がある。

1997年に出井伸之社長(当時)にスカウトされたストリンガーは、アメリカのエンタテインメント部門の立て直しを任された。音楽のソニー・ミュージック・エンタテインメント(SME、ソニーBMGの前身)を当時仕切っていたのは派手好みのトーマス・モトーラ(歌手マライア・キャリーの前夫)で、その後任に誰をあてるかがキーポイントだった。ストリンガーは、かつてのCBS時代の同僚ラックを引っ張ってきたのである。

ラックはCBSの看板プロデューサーだったが、93年にNBCにスカウトされ、NBCを傘下に収めたGE(ゼネラル・エレクトリック)のジャック・ウェルチ会長に認められてNBC社長として辣腕をふるっていた。しかしウェルチ引退後は、ストリンガーの誘いを受け、音楽には素人だが、SMEの経営合理化に飛び込んだ。ストリンガーにとって彼は股肱の臣であり、ソニー経営陣トップの座を射止めたのもアメリカでのエンタテインメント部門の貢献が大きく寄与したから、その権力基盤を支える柱石の人材なのだ。

ラックの任期は06年3月まで。スパイウエア問題が火を噴いたから、CEOの座はとうてい維持できまい。すでにCEOとしての日常業務は、非執行会長のロルフ・シュミット=ホルツに移っている。それでも、ストリンガーは面子を考えてソニーBMG内の何らかのポストを与えようとしているが、ベルテルスマン側は頑強に拒んでいる。

要するに、ソニーBMGは内輪もめにエネルギーを割かれて、スパイウエアを告発されても迅速な対応ができないのだ。ソニーの「沈黙」の裏には、権力闘争の行方を見守って社員がヒラメになっているという事情が隠れている。

もしここで、ストリンガーが股肱の臣を切って主導権を奪われれば、アメリカの娯楽部門という牙城も揺らぎ、会長の座も危うくなりかねない。陰謀説が見え隠れするのは、そうした窮状を外部に見透かされているという観測が土台になっている。

ソニーの「沈黙」12――「リヤドの助っ人」の不自然な発言

12月22日付の日経朝刊国際面に載ったサウジアラビアの富豪アル・ワリード王子のインタビューについて、続きを書こう。

ひとつ、私的なエピソードを紹介しよう。私のロンドン駐在時代(1995~98年)に、カイロ支局の記者から興奮した電話がかかってきた。アル・ワリード王子と電話でしゃべったという。当時、サウジはビジネス目的なら入国できても、ジャーナリストはご法度という「鎖国」状態で、リヤドは外国人記者にとって砂漠の彼方の「幻の都」だった。商社マンが自在に出入りしているのを指をくわえてみているほかない。

「そいつはすごい!」と私はうなった。「で、何か聞けたの」

この記者はアラビア語が堪能で、試しに王子の本拠キングダム・ホールディングス本社に電話を入れたところ、交換手が本人に直接つないでくれたらしい。10台のテレビモニターを並べ、衛星回線で送られてくる米国テレビの経済チャンネルを眺めながら、携帯電話で投資の指示を出していた最中だったのだろうか。いきなり「ああ、私だが……」と王子が出てきて「君は誰だ?」と聞き返したという。記者は名を名乗って食い下がったが、やはり質問には答えず、電話を切られてしまったという。

「うーん、残念だけどね。それじゃ記事にならないなあ」。しかし、肉声を聞いただけでも当時はスクープだった。それほどアル・ワリード王子は「幻の人」だったのだ。

その後はだんだん公の場に現れるようになり、2001年の9.11事件直後は、「親米派」として訪米、「湾岸戦争で米国に助けてもらったことを忘れない。少しだけ異論があるのはパレスチナ問題」と言ってひんしゅくを買い、ニューヨークのジュリアーノ市長(当時)から1000万ドルの見舞金を突っ返されるという憂き目もみた。

今回のインタビューに先立つ12月6日には、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開かれたアラブ思想財団(Arab Thought Foundation、総裁はサウジのハリード・アル・ファイサル王子)の第四回年次総会に出席し、アラブと世界のメディアを論議する分科会で講演に立っている。かつてのような「シャイ」(人見知り)ではなくなったらしい。

王子の正式名はアル・ワリード・ビン・タラール。サウジ建国の祖イブン・サウド初代国王(アブドルアジーズ)の孫世代にあたる。総資産236億ドルと言われるが、実際にはどれだけの資産に膨らんでいるのか誰も知らない。孫正義氏やホリエモンらいまどきの「IT長者」とは格が違う、雲の上の存在である。

現在50歳だが、アメリカのシラキュース大学を卒業してすぐ投資家になっており、王家の資産の運用も任されているといわれる。国際投資界にその名を轟かせたのは今から14年前の1991年だから、表舞台へのデビューは30代だったのである。

当時、アメリカの金融界は放漫経営だったS&L(貯蓄貸付組合)の崩壊に端を発し、マネーセンターバンクと呼ばれた大銀行もみるみる不良債権が膨らんで追い詰められていた。その雄シティーコープは91年に4億ドルの赤字を計上、創業以来の無配に陥った。誇り高きバンカーの象徴ジョン・リード会長は、不良債権の巨額償却や1万4000人の削減、非戦略部門の売却などで大ナタをふるったが、それだけでは足りなかった。

サウジに救いを求めたのだ。それがアル・ワリード王子だった。5億9000万ドル(約700億円)にのぼる出資で、資本毀損の恐れまで指摘されたシティは救われた。その後もこの「砂漠の助っ人」は、アメリカの老舗百貨店サックス・フィフス・アベニュー、欧州進出を果たしたもののフランス人の反感を買って経営が苦しいユーロ・ディズニーのほか、フォーシーズンズ・ホテル、プラザ・ホテルなど窮地の有名銘柄を拾っていく。

1997年からは瀬戸際に追い詰められたアップル・コンピューター、資金難に陥ったニューズ・コーポレーション、タイム・ワーナー、ヒューレット・パッカード、アマゾン・ドットコムなどITや情報関連にも手を広げていくが、その顔ぶれを見ると、案外ミーハーというか、株の銘柄選びも「セレブ」好きではないかと思えてくる。

王子の投資手法は「投資の神様」と言われるウォーレン・バフェット(バークシャーハサウエー会長)に似て「バイ・アンド・ホールド」(長期投資)である。つまり、業績不振で割安になった銘柄を底値で拾い、経営立て直しで値があがるのをじっと待つ――が、「サウジのバフェット」という王子評に、バフェット本人が「いや、私のほうがアメリカのアル・ワリードさ」と本家を返上したという笑い話もある。

日経のインタビューでも「トレーダーでなく長期投資家だ」と強調し、投資先の条件として、割安な株価と、マネジメントが確かで活力があり、競争力がある企業を挙げている。その候補として1社だけソニーの名を挙げるのだが、インタビューは英語で行われたと思うが、原文が分からないので記事本文を引用する。

「(ソニーは)高いブランド力を持ち国際的に強い企業だが、(業績不振で)株価は下がっている。しかし外国人の新会長のもと、日産自動車のような復活は決して不可能ではない。今の株価が底値だとの確信があればもう買っているが、今後の株価や業績の展望を社内や独立系調査機関を使い真剣に調査しているところだ」


王子のこの発言は不自然である。もし本気でソニー株購入を検討しているなら、王子のような有名投資家が買う前にそれを明かしたら、たちまち値があがって(現にこの記事で年初来高値を更新)底値買いの好機を逃すことくらい、プロの投資家の常識だからである。おしゃべりは損のもと。秘策こそ上策、が投資の常道だ。しかもストリンガー会長が「ソニーのカルロス・ゴーン」になれないことくらい、調べればすぐ分かるはずだ。

この発言の裏にはなんらかの魂胆があったはずである。

ソニーの「沈黙」11――不可解な株価と最後の「びっくり箱」

1992年12月、あなたは何をしていた?小学校の週休二日制が始まった年である。

英国王室はてんやわんやだった。この年、故ダイアナ妃とチャールズ皇太子の不仲のスキャンダルが火を噴き、ウィンザー城が火災に見舞われたのだ。エリザベス女王は恒例のクリスマス演説でAnnus Horribris(アヌス・ホリブリス、身の毛がよだつ一年)と回顧してみせた。ロンドン大火のあった1666年がAnnus Mirabilis(アヌス・ミラビリス、驚異の年)と呼ばれるのにひっかけた、いかにも英国らしいジョークである。

かの国の王室は負け惜しみでもこういう機知を飛ばす。さて、2005年はソニーにとって「ホリブリス」の1年だったのか、「ミラビリス」の1年だったのか、ぜひとも英国人のストリンガー会長から、思い切りジョークのきいた負け惜しみを聞いてみたいところである。

出井伸之前会長兼CEOらの退陣、エレクトロニクス部門の泥沼の赤字累積、音楽CDに組み込んだコピー制限プログラムが二種類ともスパイウエアと指摘されたこと、起死回生のはずのウォークマンAシリーズが浴びたブーイング……と、いやはや、続きましたね。やはり「ホリブリス」の一年、というのが妥当だろう。

でも、外国人トップの出現のように「ミラビリス」もあった。だれも指摘しないが、11月のソニーの株価は不思議というか、理窟のつかない怪しさが漂っていた。チャートをご覧になってほしい。

このブログで書いたように、音楽CDのスパイウエア疑惑がネットで告発されたのが10月31日だが、それから株価は不祥事をあざ笑うかのように上昇トレンドに乗り、12月末には年初来最高値の4700円台に乗せている。「出井バブル」のピーク時につけた3万円台の突出から転げ落ち、05年夏から秋にかけては低空飛行で一時3600円台だったことを思うと、この1000円を超すリバウンドは首をかしげたくなる復調ぶりである。

なにか好材料が?9月22日発表の中期経営計画も「新味がない」「リストラ不徹底」と株式市場は冷淡だった。10月27日発表の7~9月連結業績では、営業利益が前年同期比5割強増えたのが好材料と言えば好材料だが、厚生年金基金の代行部分の完了で735億円の利益というゲタをはいており、発表直後の市場は反応薄だった。

ところが、11月に入って株価がなぜか離陸する。スパイウエアを仕込んだCDが製造・出荷停止のうえリコールされ、アメリカで訴訟が起きても、その揚力はビクともしなかった。携帯オーディオ市場でも6割をアップル製「iPod」にさらわれたことが明らかになり、起死回生のはずのウォークマンAシリーズがソフトの不具合という初期不良で躓いても、株価は上がりつづけた。急に市場がソニーを温かく見守るようになったのはなぜか。

ある金融専門紙では、外資系投資銀行の日本人アナリストが「持続可能利益」なるキーワードでその謎を解いてみせていた。笑止というほかない。

10月末まで悪材料にも好材料にも反応が乏しかったのは、「株式市場がすでにある程度の利益回復(それを持続可能利益というんだそうだ)を織り込んでいたためだという。しかし11月以降の上昇は、持続可能利益をシフトさせる要因が多くなってきたためで、4つほどその要因を挙げているが、まるで説得力がない。

(1)ゲーム機「PSP」がハードでも黒字化し、ライバル「Xbox360」との「決戦」は06年のクリスマス商戦まで持ち越しになりそうだ
(2)100%子会社のソニー生命のエンベデット・バリュー(現在の保険契約から見た将来キャッシュフローを含む事業価値)が予想を上回った
(3)音楽・映像配信業界のM&A活発化で、ソニーの知財資産が見直される
(4)40型以上の薄型テレビで「ブラヴィア」のプレゼンスが回復してきた

これをこじつけという。こうしたファンダメンタルズ(基礎的条件)を並べて、現実の株価が説明できたためしはない。すでに第一次バブル期に野村が演出した「ウォーターフロント相場」で、「Qレシオ」がどんな不条理な理窟付けに使われたかを調べてみればいい。

すでに見てきたスパイウエア問題ひとつ見ても、ソニーが(3)の知財資産を守れない弱さが露呈しているし、韓国のサムソンとの合弁で出遅れを取り戻そうとしている薄型テレビでも、店頭で比べれば「ブラヴィア」の輝度が低いことは歴然としている。サッカー・ワールドカップ特需も、値下がりの津波に飲まれてしまいかねない。

このアナリスト坊や、株価のイロハが分かっていない。株は売り買いである。だから株価に不思議はない。ソニー株のなぞめいた上昇は、誰かが持続的に買っていたのだ。ストリンガー体制への過渡期を狙って、海外の投資家が安値で拾っているのではないか。

その正体の一端が現れた。12月22日付の日本経済新聞朝刊に世界第五位の富豪といわれ、王家の資金を運用しているのではないかとされるサウジアラビアのアル・ワリード王子(キングダム・ホールディングス会長)のインタビューが唐突に載ったのだ。王子がこう語ったくだりが、ソニー株を年初来高値に押し上げる。

「(現在投資を検討している企業は)世界で5、6社ある。一つはソニーだ」

救世主登場?喜ぶのはまだ早い。まさに「アヌス・ミラブリス」のフィナーレにふさわしいびっくり箱だが、これは一筋縄ではいかない。すでに05年9月末でソニーの外国人株主比率は49.6%と5割すれすれ、3月末と比べても1.5%上昇している。ひたひたと迫る影。ソニー社員は首筋がひやりとしなかったろうか。

続きは次回。

斎藤拙堂の「コンテンツ論」に図らずも感心した

面映いけれど、少し「手前ミソ」をお許しください。われわれが創刊する月刊誌「FACTA」と小生のことを書いた記事が、12月26日発売の週刊「AERA」(2006年1月3日号)に掲載されました。小生もインタビューに応じましたので、ご興味があるかたはどうぞ。たいへん温かい記事内容でかえって恐縮ですが、自分の夢の実現がこれから外部の目にさらされると思うと、身の引き締まる思いです。

ロンドン住まいのころ、クリスマス休み明けの「ボクシングデー」は、浮き浮きしてくる日だった。クリスマス・プレゼントの箱をあける楽しみばかりではない。緯度の高いロンドンの12月は冬至までは朝は暗いし、夕方はすぐ日が暮れるしで陰々滅滅の季節だが、冬至が過ぎると、急に空が明るくなる気がする。

せっかくそういう日なのに、暗い話ではバチがあたりそうなので、いっそのこと梅の話でも書こう。姉歯・市河氏弾劾の急先鋒である人気ブログサイト「きっこの日記」だって、ときに冬至のヒマネタを延々と書いて埋め草にしているじゃありませんか。

娘が住んでいる三重の津に思いを馳せた。亀山にシャープの工場を誘致したころ、北川正恭前知事のインタビューに訪れたことがある。津から西へ長野峠を越え、伊賀上野を過ぎて名張川をさかのぼったあたりにある月ヶ瀬村をご存知だろうか。梅林で有名だが、まだその地に行ったことがない。一度、全山満開の梅がうっすらと霞む光景を写真で見て「桃源郷を絵にしたようだ」と思ったことがある。

来年もまた無理だろう。でも、娘がいるあいだに一度は満開の梅を眺めてみたい。しようがないからクリスマスの閑暇を盗んで、畏敬する中国学者、大室幹雄の「月瀬幻影」(げつらいげんえい)をひろい読みした。大室の主眼は、唐風の「山水癖」や「烟霞癖」(ひとことでいえばシノワズリ=中国趣味)で染まった知識過重の漢詩文エピゴーネンたちが、日本でどんな風景を発見できたのかというところにあるらしい。

思いがけない収穫は、斎藤拙堂(せつどう)の「九霞楼詩文巻序」だった。大室には「お座なり」と評されているが、図らずも感心してしまった。昌平黌出身の漢学者で渡辺崋山や佐藤一斎、梁川星巌らと交流があり、津の藤堂藩藩校有造館で教えながら「海防策」などを書いた。幕末期の散文の名手として聞えた人である。

その拙堂が月ヶ瀬を訪れたのは1830(文政13)年のことで、紀行文「梅谿遊記」(ばいけいゆうき)は形容が美文すぎて、およそ日本の風景とは思われない。知識で修飾するだけで眼前のモノが見えていないのだ。大室のいう「唐めがね」である。それだけなら、鼻持ちならない和臭漢詩人の自己満足で片付ければいいが、そういかないのは伊予の富商の求めに応じて書いた拙堂の「九霞楼序」に見るべきものがあったからだ。読み下し文はつらい人が多いので口語に訳してみよう。

天下の名勝は、かならず画があってこれを写し、文があってこれを記し、それによって世に伝わる。昔からそうなのだ。けれども、画を真(の風景)に比べてみると、すでに隔たりがある。文を画に比べ、さらに真(の風景)に比べると、いよいよその違いは大きくなる。それゆえ、いやしくも真があるなら、画をつかう必要はない。画があるなら、文をつかう必要はない。そうはいっても、これを形象にもとめれば限界があるが、これを文字に託せば無窮の生命を得る。


とっさに思ったのは、文を「テキスト」、画を「イメージ」、真を「現実」に置き換えてしまうことである。

すぐれた景観というものは、かならずイメージがあってそれを写しとり、テキストがあってこれを保存し、それによって社会に伝わる。昔からそういうものだ。しかし、イメージを現実と比べると、すでにズレが生じている。テキストとイメージにもズレがあり、イメージを飛び越えてテキストと現実を比べると、そのズレはいよいよ大きくなる。したがって、現実があるなら、イメージに頼る必要はない。イメージが現にあるなら、テキストに頼る必要はない。とはいえ、イメージという視覚像に頼れば限界があるが、テキストという概念像に頼れば限界を超えることができる。


おわかりだろうか。漠然とだが、現実>イメージ>テキストという認識の順が浮かび上がる。これは必ずしも景観論でなくてもいい。むしろ牛乳びんの底のように分厚いレンズの「唐めがね」をかけていると思っていた幕末漢学者の閉ざされた宇宙観が、それほど歪んでいたわけではないことを示している。遠近法を知らない時代でも、人間の視覚は今と変わらなかったのだ。

拙堂の言う通りだとすると、精密なCG画像で鬼面人を驚かす映像は万能ではない。ブロードバンド時代のコンテンツといえば、草木もなびく「ビジュアル」とばかりに、映像資産の争奪戦が始まっているが、どれだけ真に迫る映像をデジタルで再現できたとしても、やはり現実との隔たりは埋めようがないのだ。お茶の間でタクラマカン砂漠の風紋に感嘆しようとも、目くらましは続かない。仮想でしかないことにやがて人は気づく。

それがイメージの限界だろう。映像よりテキストのほうが、絶対の実像に追いつけないからこそ、かえって現実になりかわることができる。それがジャーナリズムに残された最後のアポロギア(弁疏)である。映像への敗北を嘆くことなかれ。テキストのコンテンツが最後に笑うことを信じよう。

ソニーの「沈黙」10――同じ愚を繰り返した「メディアマックス」

昨夜は忘年会のピークだったのか、都内の道路はどこも大混雑。切込隊長との飲み会に遅刻した。ほろ酔いで帰ったら、オフィスのセコムが誤作動したらしく、警備員が駆けつける始末。大家さんを叩き起こしてシャッターを開ける騒ぎになって、電話で平謝り。

風邪にお見舞いのメールをいただいた。「これ、笑えます」とあって、「Engadget」なるサイトの記事を紹介してもらった。なるほど、笑えます。

英国ソニーが発売するカーオーディオ用の新MP3プレーヤー「ギガパネル」の話。使い勝手が悪いいうえにどうみても欠陥品だったウォークマンAシリーズの楽曲転送ソフト「コネクト・プレーヤー」があっさりと採用されず、ドラッグ&ドロップで直接パソコンから転送できるそうだ。ははあ、日本でのクレームを聞いて、こりゃあかんと思ったんでしょうね。やればできるじゃん!でも、トホホなのは、英国ってストリンガー会長の母国。身内に見限られた「コネクト・プレーヤー」も浮かばれない……。

「……とはいえひとつだけ問題なのは聞くために自動車が必要なこと」というコメントも皮肉がきいている。この「ギガパネル」、もちろんフラッシュメモリーがベースだが、切込隊長の話だと、ソニー技術陣はまだメカトロニクス幻想が捨てきれず、いまも小型HDDの開発を続けているんだそうだ。「フラッシュメモリーでいいでしょ」と言ってもキョトンとしていたという。ソニーを伝統芸能の無形文化財にでもするつもりか。

さて、音楽CDのコピー制限プログラムに「ルートキット」と呼ばれるスパイウエアを仕込んだ疑惑について、ソニーが私に寄せた回答文書の続報を書こう。

理解に苦しむのは、感染パソコン数の推計をしていない、などと見え透いたシラを切り、外部の憶測に対し「見ザル聞かザル言わザル」になることである。このシリーズ第8回で報じたセキュリティー専門家ダン・カミンスキーの調査は、感染パソコンが発したと見られる“密告”通信が通過した痕跡が56万台以上のドメイン・サーバー(DNS)でみつかったというショッキングな内容だったが、不審といえば不審な部分がある。

一見すると敵失とも見え、ソニーが反撃するなら、これを突くしかないと思えるのだが、不思議と指をくわえてみているだけだ。

第一。国別感染サーバー台数ランキングで見ると、なぜか日本が21万台以上と、アメリカを上回って世界一であることだ。いかにも大きすぎる数字である。日本のソニー・ミュージック・エンタテインメント(SME)によれば、問題のコピー制限機能付きCDは、米国の合弁会社ソニーBMGで製作され、日本には輸入版として5万枚しか入っていないからだ。その5万枚からルートキットに感染したパソコン数はもっと少ないはずである。

第二。このトップ10ランキングは、欧州勢や韓国が入ってくるのは自然としても、7位にペルーというのは解せない。フジモリ元大統領の帰国問題で揺れ、けっして豊かとはいえないアンデスの国ペルーで、1万台以上ものサーバーに痕跡を残すほどソニーBMGの音楽CDが買われたのだろうか。カミンスキー氏の調査手法に欠陥があるなら、ソニーは堂々と反論すればいい。しかしなぜか「言わざる」のままなのだ。

これは逆効果である。かえって疑心暗鬼を生じさせるだけだ。「ソニーのスパイウエアは、音楽CD以外にも仕込まれているのではないか」「いや、ほかのタイプのスパイウエアが日本では仕込まれているに違いない」とささやかれるようになった。やがて、ルートキットを仕込んだXCPとは別に、ソニーBMGが採用しているコピー制限プログラム「メディアマックス」(MediaMaxVersion 5、MM-5)にも問題があると指摘されたのだ。

メディアマックスは米国のサンコム・テクノロジーズ(SunnComm Technologies)が開発したもので、2004年から搭載が始まったMM-5は、XCPよりはるかに多い2000万枚以上の音楽CDに入っている。XCPがニール・ダイヤモンドやレイ・チャールズら過去の歌手が中心なのに対し、MM-5はブリトニー・スピアーズら現役のCDが含まれていて数も多く、影響は甚大である。11月29日時点の私の質問状は「MediaMaxの感染度合いについてはなお詳細が不明ですが、ソニーはどう推定していますか」と聞いたが、これに対する日本のソニーの回答は、当初のソニーBMGの「問題ない」という強気の姿勢ではなく、自信なさそうだった。

一部の報道でMediaMaxのインストールにより、PC上でセキュリティーの脆弱性が高まると言われておりますが、現在、ソニーBMGとして事実関係の確認をしております


MM-5批判の急先鋒が、ルートキット問題で集団訴訟を起こした市民団体「電子フロンティア財団」(EFF)だったからだろう。EFFによれば、XCPと同じく、パソコンの基本ソフトのガードに「穴」をあけてハッカー乗っ取りを容易にする恐れがあるほか、使用許諾同意書に「いいえ」と答えても勝手にパソコンに組み込まれ、除去できなくなってしまう。またXCPのように、パソコン内のユーザー情報をインターネット経由でサンコムに“密告”する機能があり、音楽の好みなどをスパイしているという。

私に回答を寄せたあとの12月6日、ソニーBMGとEFFはMM-5の脆弱性を認める発表を行い、修正プログラム(パッチ)とMM-5を外すアンインストール・ツールの配布を始めた。EFF側の弁護士は迅速な対応を評価する声明を出したが、翌日の12月7日、このパッチとツールには、またパソコンの「穴」をあけてしまうバグ(欠陥)があると指摘するブログが現れ、EFFは慌ててパッチとツールの実行中止を求めた。

ルートキットのXCPと同じく、出したりひっこめたり。またも赤っ恥である。ソニーに学習効果はないらしい。

あすはクリスマスなので休みます。