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最後からの二番目の真実

常滑が問う「LIXILは誰のものか」

日本に企業統治が根付くためには、これも欠かすことのできない重要なステップの一つなのか。潮田洋一郎会長兼CEOの解任動議に揺れるLIXILで、上級執行役14人のうち10人が連名で潮田体制の継続にNOを突きつけた。潮田氏と山梨広一社長兼COOについて「経営の資格がない」と切り捨てる書簡を指名委員会に送ったという。業務執行の責任者からそっぽを向かれては、経営トップとして求心力を保つのは難しかろう。



「経営と執行の分離ならぬ"分裂"」ともいうべきこの異例の展開は、有効に機能しなかった社外取締役の役割を執行役が果たすという越権行為にも見えるが、ステークホルダーの一部が経営体制に物申すという点で「会社は誰のものか」という根源的な問いにつながっている。

これまでの展開を振り返ると、取締役と投資ファンド、地方自治体などのステークホルダーが順番にそれぞれの立場から反潮田の態度を鮮明にしていった。社内で交わされたメールが外部に流出するなど、社員とみられる抵抗も表面化している。ステークホルダーも沈黙を許されない時代が到来したことを告げているかのようだ。また、欧米流の制度をまねただけの企業統治ではなく、日本人に合った企業統治のあり方を探るうえで興味深い展開でもある。



潮田氏と山梨氏は18日に取締役からの退任を発表し、投資ファンドなどが提案した潮田氏らの解任を諮る臨時株主総会はその目的が宙に浮いてしまった。潮田氏側はLIXILの経営に関与する余地を残そうとしているが、すでに一度、だまし討ちにあっている瀬戸氏はそれを許すだろか。



近年、企業統治の不全が引き起こす様々な問題は、「会社とは何か」「企業統治とはどうあるべきか」という問いに日本人や日本社会を投げ入れてしまった。最たる例は旧INAXの企業城下町である愛知県常滑市だ。INAXの創業者が初代常滑市長を務めた関係でLIXILの大株主になっている同市では、LIXILや創業家の動向を伝える記事が出ると、市民やLIXIL社員がそのコピーを回覧しているそうだ。自分たちの雇用や市の財政にもかかわる問題であるのだから、会社は誰のものかといった問いを切実な問題として捉えようとしているのだろう。



トステムとINAXが経営統合したのは2001年。それからしばらくするとINAX系の部長クラスが冷や飯食いのポストに追いやられるようになったとの風聞を耳にするようになり、10年ほど前には常滑市内の工場を閉鎖するとの噂も飛び交うようになった。最近では潮田氏がLIXILを上場廃止とし、本社をシンガポールに移転すると言い出したのだから、景気に悪影響が出ないか気を揉まなければならない地元にとっては面白いはずがない。



そうした懸念は常滑市民だけのものではなく、潮田家が率いてきた旧トステムの工場とその城下町でも抱いているだろう。LIXILの問題は、トステムを創業した潮田家とINAXを創業した伊奈家の対立という下世話なスラップスティックではなく、津々浦々で一人ひとりが「会社は誰のものか」「企業統治とは何か」を考えさせる機会になっている。

オリンパス新社長が「物言う」社外取締役けん制

オリンパスが3月29日、新たな経営体制を発表、取締役会のメンバーに加え、指名委員会等設置会社への移行も明らかにした。1月に物言う株主のバリューアクト・キャピタル・マネジメントが経営に参加すると発表、その陣容が注目されていた。

発表内容を見ると、オリンパスはやはりオリンパスだった。バリューアクトから社外取締役2人を受け入れたが、留任したり社外監査役から横滑りしただけの「物言わぬ社外取締役」は8人もいる。さらにプロパーの役員も5人を数え、これならバリューアクトの要求も封じ込めることができると踏んだのか。これでは経営に緊張感など生まれまい。

発表に先立って竹内康雄・次期社長(4月1日に昇格)が朝日新聞や産経新聞のインタビューに応じ、抱負を語ったが、早くも新経営体制の方針や性格が表れている。「私はガバナンスは経営そのものだと考えている。主役は取締役会ではなく、われわれ執行側だ」と答え、ファンド出身の社外取締役に対する牽制とも受け止められる発言をした。社内からは早速「ファンド側に口を出して欲しくないのかな」との声が漏れる。

すでにバリューアクトから提案や要求が出ているようで、社内から伝わってくる話を総合すると、バリューアクトが問題視しているのは固定費負担の重さ。これを軽減するために人件費の圧縮を求めており、早期退職を募集しつつ、事務系の採用を見送る話も持ち上がっているという。

バリューアクトは本誌の記事を読んでいないのか、それともオリンパスから十分な情報を得ていないのか。オリンパスのコスト構造を問題視するなら、まずは深圳での贈賄疑惑や十二指腸内視鏡による超耐性菌問題などで法律事務所に支払う弁護士費用を圧縮するのが筋というものだし、米司法省から散々指摘された企業風土の改善にも踏み込むことにもなる。

本誌のHPにも掲載したように、オリンパスが国内外で抱える訴訟は件数、損害賠償請求額ともに途方もない水準で、弁護士費用は年に90億円に達する。企業統治や内部統制がきちんと機能していれば、株主に帰属する利益になったはずの出費だ。オリンパスの収益規模から考えて、これを抑えれば連結純利益を10%前後は押し上げてくれる。

さらにインタビューで竹内新社長は「海外で問題が起きたのは、社内の国際的な連携に課題があったから。本社機能を強化し、リスクを管理するようにする」とも答えているが、これは問題のすり替えだろう。中国・深圳での贈賄疑惑は現場が暴走したことが発端であり、これに対する反省が込められていることは理解できるが、これまでのオリンパスは本社や取締役が意思決定の手順を無視したり、企業統治を骨抜きにするような取締役会「番外編」を開いて、問題を隠ぺいしてきたことを忘れたとは言わせない。

とは言え、この2~3月にかけて、オリンパスは経営上の大きな節目を乗り切ったのは確かだ。16年に米国や中南米で医療機器の贈賄事件となった問題で、米国子会社が米司法省に和解金を支払うとともにDPA(訴追延期合意)を結んだ。これが2月に満期を迎え、DPA違反で巨額の罰金を取られるリスクはひとまず去ったからだ。

社内にこれを喜ぶ雰囲気はないのは、十二指腸内視鏡の超耐性菌問題で損害賠償請求はまだまだこれから厳しい局面が続くためなのか。それとも社員たちは新しい経営陣の顔ぶれを見て、何も変わらないと落胆しているせいなのか。

「ハコ企業」が敗訴続き、裁判所も反市場勢力にコワモテ

上場していながら業績不振で株価が底這い状態、息も絶え絶えながら、その看板を悪用する反市場勢力に乗っ取られた企業を「ハコ企業」という。FACTAは創刊当初からハコ企業を叩き続けてきたが、日本取引所(JPX)グループの甘い退場ルールで上場廃止をまぬかれ、生きながらえている例は枚挙にいとまない。

だが、ようやく司法の目が変わりつつあるのだろうか。最近、反市場勢力や証券犯罪にまつわる裁判で、「反市」側が立て続けに負けている。



一例を紹介しよう。投資事業を営む上場企業とその社長が原告となって起こした裁判の二審判決が昨年末、言い渡された。この裁判は、同社の社長が過去にマネーロンダリングに関わっていたことを指摘するネット上の書き込みが名誉毀損に当たるとして、書き込んだ人物を訴えたという内容だ。



東京地裁での一審判決は、書き込んだ人物の敗訴となったが、二審の東京高裁ではまさかの逆転判決が言い渡された。一審で被告が支払いを命じられた損害賠償金は大幅に減額されたうえ、事実認定も覆った。



二審の判決書は興味深いので、その一部を抜粋しよう。



判決書は原告の社長らについて「社会的評価はもともとたいして高くなかったことがうかがわれる。そして原告は、国境を越えた不正な現金移動などにより資金の出所を不明にする行為を実行するような人物であって、取締役としての忠実義務や善管注意義務を果たす資質や、受任者・受寄者としての善管注意義務を果たす資質に欠けることが明らかであって、保護すべき社会的名声に乏しい」などと明確に指摘している。



この社長がかつて率いていた上場企業についても「上場審査を受けていない投資事業に業態変更し、いわば裏口上場を遂げたような状況にあり、株価の乱高下の背景に株価操縦や偽計取引などの不公正取引がウワサされ、増資を繰り返して投資家から巨額の資金を調達したが結果的に投資事業に失敗して株価も業績も低迷して多くの投資家に多額の損失を被らせるなど、様々な不正の温床となるいわゆるハコ企業と同様の外形的な状況を呈していた」と判断した。マネーロンダリングについての事実認定や判決理由が反市場勢力に厳しい内容であることはもちろん、「ハコ企業」「裏口上場」といった符牒を用いていることは、それだけ反市場勢力に対する裁判所の問題意識が深まっていることを表していないか。



この会社では最高裁に上告のためか、こうした判決が下ったことを開示していないが、証券取引所や自主規制法人の手前、開示できないだろう。



同じように反市場勢力が牛耳るハコ企業が起こした名誉毀損裁判で、ハコ企業側の敗訴した例は他にもあるうえ、オリンパスの損失隠しで指南役として逮捕・起訴された横尾宣政被告も1月に最高裁が上告を退け、有罪が確定した。粉飾決算を外部から幇助して有罪になったのは、これが初のケースだと聞くから、証券犯罪やその周辺に対する司法の考え方は変わりつつあるのかもしれない。



行政もこうした事例に厳しくなっているのか、証券取引等監視委員会は2月、「犯則調査における証拠収集・分析手続についての整備」として内閣総理大臣と金融庁長官に向けて金融商品取引法の整備を建議。刑事訴訟法などと同様に、金商法でも電磁的記録の差し押さえを可能にしたい考えだ。



FACTAは銀バエのように沸いてくるハコ企業と戦い、ときに名誉棄損で訴えられても、市場を知らない裁判官たちの無理解に歯ぎしりしてきただけに、ようやく風が吹いてきたと諸手をあげて歓迎したい。



相変わらずハコ企業をかばい、司法や行政の動きに置き去りにされているJPXグループはどうするのだろう。

社長やコンサル、社外取より課長の知恵が頼み

自動車メーカーを顧客とする経営コンサルタントのもとに、部品メーカーが入れ替わり立ち替わり訪れては、相談を持ちかけているそうだ。特に多いのはガソリンエンジンなどの内燃機関向けの部品メーカー。



「我われが生き残るための道は、どの分野でしょうか」

聞けばEV(電気自動車)の時代到来が指呼の間に迫って、心配になった社長から生き残りの道を探れと命じられた課長クラスがやってくるという。内燃機関向けの部品はピストンやシリンダー、燃料噴射装置、マフラーなど多岐にわたる。これらの分野には国内でも海外でも高いシェアを誇ってきたメーカーも多いが、シェアが高ければ高いほど電気自動車の時代に生き残る余地は小さくなる。



ガソリンエンジンやディーゼルエンジンを積んだクルマがなくなるわけでもないとは言え、コンサルタントにも明確な解があるわけではない。コンサルタントは「一緒に考えていきましょう」と言いながら彼らを帰すが、胸の内では「いずれこれらの会社はなくなるのだろう」とお手上げだ。



これほど切羽詰まった状況なのに、社長が直々に生き残り策の案出を命じるのは課長クラスであり、社長が考えるわけではない。その当事者意識の低さに、コンサルタントは「社長は自分で考えてこなかったのだろうか?」と首を傾げる。かつて国鉄改革の先頭に立ったのが、若手の「改革三銃士」だった例があるにせよだ。



かつて証券界にネット証券が表れ、売買委託手数料の引き下げ競争が始まったときも同じだった。収益面で命綱だった手数料が引き下げられれば死活問題になるのが目に見えていたが、このとき多くの社長たちが頼ったのも、現場に通じている課長クラス。当時をよく知るベテランのエコノミストは「老舗の証券会社でも、銀行から社長が送り込まれてくる証券会社でも同じ。日本では社長は自ら考えることをしない。そうした体質は今も改まっていない」と言う。その結果、廃業したり身売りしたりした証券会社が後を絶たず、日本証券業協会の協会員企業は最近まで減少に歯止めがかからなかった。



一方で社長は自分よりも力量に勝る役員が身近にいると「寝首をかかれるかもしれない」として、彼らを子会社に放り出す。周りに残るのは、自分よりも能力的に劣る粒の小さい部下たちばかりだ。その中から次世代の社長が選ばれ、彼らはやはり同じように自分よりも劣る取り巻きに囲まれてその中から次の社長を選ぶため、日本では社長が代を重ねるごとに質の低下が進む。



そのうえ日本では質の劣る社長に引導を渡す社外取締役が機能していない。重要なポストを占める者たちが責任逃れに終始し、せっかくの制度を生かし切れないのは日本人の民族的欠陥のようにさえ思えるほどだ。



まもなく終わりを告げる平成は、日本企業が劣化の一途を辿った時代だった。「失われた10年」は不良債権問題や過剰設備の問題で企業経営が悪化した時代だったのに対し、近年は経営者の質やガバナンスの不全が企業を危地に追いやっている。そろそろ日本人の気質に合った独自の企業統治システムを構築すべきなのかもしれない。

「東京五輪買収」竹田JOC会長に訴追手続き

1月11日14時51分、ル・モンド紙のヤン・ブーシェ記者からメールが舞い込んだ。欧州大陸時間で午前6時51分、パリから届いた目覚ましメールに目玉が飛び出た。



竹田恒和・日本オリンピック委員会会長がフランスの検察に、2020年東京五輪招致のために買収の支払いを承認した(corruption active)という容疑で訴追手続きに入ったことを確認した、とあったからだ。

ル・モンド紙電子版にはブーシェ記者のスクープが掲載された。

https://www.lemonde.fr/sport/article/2019/01/11/l-homme-fort-des-jo-de-tokyo-2020-mis-en-examen-pour-corruption-active_5407570_3242.html



東京五輪買収疑惑は、ロシアのドーピング疑惑に端を発し、国際陸連(IAAF)の前会長ラミン・ディアクと、その息子のパパ・マッサタ・ディアクに賄賂を渡し、アフリカ票のとりまとめを頼んだとの疑惑は、FACTAと英国ガーディアン紙、仏ル・モンド紙が追いかけてきた。FACTAの18年3月号では、ブーシェ記者と協力し、仏検察が国際陸連の家宅捜索で押収した電通との極秘契約書を暴露、「電通『東京五輪買収』の物証」と題するスクープを放った。この際、その記事をフリーで読めるようにしよう。

https://facta.co.jp/article/201803002.html



このスクープに電通も政府も五輪組織委も、そして放映権など五輪利権を手放したくないテレビ、新聞などマスメディアの大半も無視して臭いものにフタをしようとした。また、電通と一体と指摘された竹田JOC会長は、パパ・マッサタと親密なブラック・タイディングス社に支払った報酬を「正規のコンサルタント料」と国会などでも主張しつづけた。



フランスはパリ大審裁判所のルノー・ヴァン・ルンベック予審担当第一副所長を通じて、贈収賄、重大な資金洗浄、犯罪由来の資産の隠匿などの容疑で日本に国際刑事共助要請を行い、東京地検特捜部検事が竹田会長、五輪招致委員会の水野正人専務理事らに事情聴取し、招致委の銀行口座記録などとともにフランスに送っている。



FACTAはこのやり取りが実際あったことを示す資料を入手している。竹田会長の聴取内容も確認している。仏検察がその調書の供述内容を信ぜず、地検特捜部の捜査(東京地検検事正は「意見なし」と付記)についても重大な欠落があるとみた理由は推察できる。問題はフランスが訴追手続きに入るかどうかだった。12月にはブーシェ記者にまだ動きはないかとメールで打診したが、動きがあるかもという返事だった。



年明けの第一報が、冒頭の目覚ましメールだった。残念ながら、ブーシェ記者もル・モンドに記事を載せるのが精いっぱいで、1月21日発売の2月号の締め切りが過ぎたFACTAに寄稿するのは間に合わない。竹田調書も含め、詳報は2月21日発売の3月号までお待ちいただかねばならないのが、月刊誌の悲しさでもある。



ただ、ブーシェ記者の確認によれば、訴追手続き開始の日付は12月10日、奇しくも日産前会長、カルロス・ゴーン容疑者が、同じ東京地検特捜部によって金融商品取引法違反で再逮捕された日である。ゴーン勾留延長の「人質」司法の非人間性を、五輪買収疑惑捜査の意図的とも思える欠陥捜査でリベンジしたのではないかと疑いたくなる。



12月10日に訴追手続きを開始したとすれば、少なくとも竹田本人と日本政府には通告があったはず。特捜と日産が組んだクーデターの裏で糸を操る政府は、ゴーン元会長と竹田会長の大物相討ちのみならず、買収疑惑がフランスの法廷で裁かれ、レジティマシーに傷のついた2020年東京五輪に中止論が出てきたら、どうするつもりなのだろう。



東京地検特捜部とともに、日本は世界に恥をさらすのだろうか。

仮想通貨で「大火傷」GMOとペジーの不可解

どうにも釈然としない話だ。12月25日にGMOインターネットが発表した損失計上である。



仮想通貨価格の下落やその発掘の計算力競争で競り負けたことを受け、マイニング事業で355億円の特別損失を計上、単独ベースの特損は380億円に膨らんで特別利益を捻出しなければGMO本体が債務超過に転落するほどの打撃だ。

損失の内訳は、自社マイニング事業の減損損失として115億円、マイニングマシンの開発・製造・販売事業の債権譲渡損として240億円で、これに伴って自社マイニング事業の縮小と、マイニングマシンの開発・製造・販売事業からの撤退を決めている。



釈然としないのは、わずか1年ほどの間にこれだけの損失を計上しながら、その経緯や中身の説明に具体性がないことだ。GMOの損失計上には、スーパーコンピュータの助成金詐欺で話題になったペジーコンピューティング社と関わりがあるのではないかとの指摘があるからなおさらだ。



GMOがペジーとの関係を疑われるのは、ペジーがマイニング事業への参入に言及していた時期とGMOが仮想通貨のマイニング事業に参入した時期と重なるうえ、GMOが参入を発表した頃には「マイニングマシンの製造に必要な7nmチップを供給できるのはペジーと富士通だけ」と言われていたためだ。その富士通は半導体事業に外部の資本を取り入れるなどして設計や開発を切り出しており、7nmチップを外部に供給できるかどうか、歯切れが悪い。残るのはペジーだけになる。



GMOでは、計上した債権譲渡損が誰に対する債権だったのかについて「取引先との間で公表しないことになっている」として説明を避けている。「では、記事に『ペジーから供給を受けることになっていた』と書くと間違いになるか」と重ねて聞いても、GMOは否定も肯定もせずに「公表しないことになっている」と繰り返すだけだ。



損失を計上するまでの期間が極端に短いのも不可解だ。GMOが仮想通貨のマイニング事業に参入すると発表したのは、昨年9月。欧州法人を通じて実際に参入したのは、ちょうど一年前だった。参入を発表した当初、GMOでは「連結固定資産の10%(約35億円)」としていた支出がおよそ10倍に膨れ上がり、そのほとんどをわずか一年で減損処理したのだから、その過程にどのような事情や経営判断があったのか、責任の所在はどこなのか、株主は知りたいと思うだろう。



ペジーは国立研究開発法人の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)や科学技術振興機構(JST)から約87億円の助成金を騙し取り、ペジーはその一部を返還している。市場が懸念するように、GMOが抱えていた債権がペジーに対するものなら、「GMOからペジーに流れた前渡金などは助成金の返還に充てられた可能性が出てくる」(市場関係者)というわけだ。



加えて単独ベースでは損失計上の緩衝材として、上場子会社のGMOペイメントゲートウェイ株の一部を売却して特別利益を捻出するのだ。GMOとGMOペイメントの親子関係は、かつて問題になったニッポン放送とフジテレビの関係にも似て、親会社より子会社の時価総額の方が大きい逆転現象の問題もはらんでいる。GMOが維持している買収防衛策の是非も絡んで、今回の損失計上が投資ファンドを刺激しないはずがない。



GMOは12月決算。3月に提出される有価証券報告書ではどう釈明するのだろうか。

水道法改正、「トカゲの尻尾切り」が蓋したもの

国会で審議中の水道法改正案が強行採決されるのではないかと警戒感が高まっている。



法案は高齢化と人口の減少、設備の老朽化で上下水道の維持・管理が難しくなるのを見越して、民間業者の参入を可能にしようとするものだ。法案が提出されて自民党の議論の進め方が強引だとして反発する声も多いが、水道の問題そのものは「やっと出てきたのか」と感じている読者もいるのではないか。

水道管は浄水場から各地域に水を送る配水管と、そこから各家庭に枝分かれしていく給水管の二つがあり、喫緊の課題はこれら水道管の老朽化である。日本の経済成長や日本人のライフスタイルが変わったのに伴って各家庭に風呂や水洗トイレが普及して水需要が拡大し、古い水道管では直径が不十分で水需要の拡大に追い付かなくなっていった。加えて近年では耐震性を高めるために水道管の材質や継手の改良を進める必要性にも迫られている。すでに30年ほど前には、明治期に埋設された銅製の水道管が腐食して水漏れを起こしており、「土中でカネをぶちまけているような状態で、将来は大変な問題になる」と言われてきた。



大きな更新需要があるはずの事業領域だが、たとえば給水システムのトップシェアを持つ前澤給装工業(東証一部)の売上高が10年以上も220億円から250億円の間で足踏みし、一向に成長する気配がない。各自治体は予算の制約で、実害が目に見えにくい水道管対策を後回しにしてきたからだ。



水道法改正を警戒する声が今になって高まってきたのは、水道施設の所有権を自治体に残したまま、運営権だけを民間業者に委ねる手法をとった諸外国で失敗に終わった例が次々に浮かび上がったことと直結している。欧米やフィリピンなどで民間業者の参入を許したところ、水道料金が跳ね上がったり、水質が悪化したりで、その挙句に社会不安を起こした例がいくつも報じられた。最近の調査では、約40カ国で200以上の民営化が失敗して再公営化されたという。日本が水道の運営権を「水メジャー」と呼ばれる外資に開放して海外と同じ轍を踏むのではないかと懸念の声が上がるのは当然だ。



しかも利権にたかろうとする怪しげな動きも見え隠れしていた。菅義偉官房長官の補佐官で、水道コンセッションの旗振り役となってきた福田隆之氏に水メジャーとの癒着が疑われる怪文書が出回り、欧州視察に厚生労働省がそっぽを向くなど悪影響を無視できなくなった。福田氏は11月9日に辞任したが、事実上の更迭とみられている。改正案の国会審議の前に、トカゲの尻尾切りで臭い物に蓋をしたというのが実情である。



今のところ都道府県単位では水道事業開放に前向きな自治体は宮城県だけの状態だが、安易な外資開放の前にできることはありそうだ。日本では水道管の規格が地域によって異なり、給水管では小規模のメーカーが林立している状態だという(配水管はクボタをはじめとする大手への集約が進んでいるが)。規格を統一してメーカーに量産効果が出やすくしてやり、安価な製品ができるようになれば更新を促すきっかけになるかもしれない。



また、日本勢では10年ほど前から総合商社が中心となって英国やオーストラリアなどに進出し、水道の運営権を取得している。水メジャーに比べると後発組だが、すでに持ち分を売却して退出した商社もあるくらいだから、実際に商社の進出先で収益状況や料金の推移、産業への影響がどうだったのかを改めて検証してみてもいいだろう。

脱パワハラ、「青学」流を企業も学べ

以前、知人の誘いで青山学院大学の教授と会食したときのこと、話題が箱根駅伝に向いた。言うまでもなく、青学は今年の正月に4連覇を達成した強豪校である。



「今の若い人は練習の環境さえ整えてやれば、あとは自分たちで勝手に練習して強くなっていくようです」



会食は青学が15年に箱根駅伝で初優勝を遂げて4~5日後のことだったが、すでにあちこちから「青学はなぜ強くなったのか」と聞かれることが多かったそうで、陸上競技には縁がなかったこの教授も自然と学内で取材していたようだ。それほど青学の雌伏は長く、優勝は驚きをもって受け止められた。

青学陸上競技部の指導法は、監督が学生との徹底した対話を通じて自主性が芽吹くのを促し、高圧的な態度をとらないことで知られる。アメフトやボクシング、レスリングなどで問題になっているパワハラとは対極的な指導法だ。



パワハラはそれがなくなれば、すぐに組織が自由闊達な雰囲気を取り戻して躍動し始めるわけではない。アマチュアスポーツの世界でも自浄能力が働いてパワハラがひどい指導者を放逐したのはいいが、組織として再び活性化するまでには数年の期間を必要とした、という例は少なくない。

あるアマチュア野球チームは、監督のパワハラに耐えかねた選手たちが練習も公式試合も不参加を決め込み、周囲の取りなしにも応じず監督を退陣に追い込んだ。しかしそのチームが往年の力を取り戻すには、やはり数年を要している。それだけ組織の奥深くまでダメージが及んでいるのだ。



それまでのパワハラに嫌気が差して競技から去って行く選手が多いうえに、どうすれば立ち直れるのか模索する時間も必要なせいだ。組織内に立ちこめた弊風を一掃するには、指導者だけでなく、同じ思考法が染みついてしまった幹部級の周辺人物が定年を迎えて去って行くほどの時間が必要な場合もあるだろう。組織から負のDNAを取り除くのは、それほど難しい。



なぜスポーツのパワハラ問題をここで取り上げたかと言えば、今そこにある危機だからだ。



負のDNAを取り除くことができなかったオリンパスが抱える問題がそれである。法務部員である弁護士が、パワハラと公益通報者保護法違反を理由に会社と常務、法務部長、人事部長を相手取って裁判を起したのは、今年に入ってすぐのことだった。つい先日も匿名の社員がフリーメールアドレスを使って役員の不行状を笹宏行社長に通報し、そのメールが本誌にも送られてきた。



会社が重大な不正疑惑で揺れているのに、役員が私腹を肥やしたり、女性スキャンダルを抱えていたりするという。役員の間でも規律が緩みきっているようでは、会社組織がすでに自暴自棄になり始め、理性的な判断を止めてしまっているとみなければなるまい。このところオリンパス株がさえないのは、相場全体の下げに引っ張られているせいばかりではないはずだ。



オリンパスも青学を見習って、保身に汲々として隠蔽工作に励む役員が総退陣し、社員の自主性に任せてみたら?箱根の急峻を登る「山の神」のような人材が現れて、この会社の難局を救ってくれるかも。

初心忘れた「新潮45」の落とし前

LGBTを巡る記事が批判を浴びていた月刊誌「新潮45」が休刊となった。この問題がここまで大きくなってしまったのは、この月刊誌を出版していたのが名門出版社の新潮社であり、期待されていた"格"に誌面の質が伴わなくなっていったことが大きい。ソニーやパナソニックが大人のおもちゃを作るようなものだ。しかしこの事件が突きつける問題は差別や出版の品格にとどまらないのではないか。

新潮45は同じ月刊誌の文藝春秋の陰に隠れていたが、もともとは社会問題や事件に対する論考や政治哲学、紀行文、評伝、対談など、ノンフィクションを中心に幅広いテーマを扱う総合誌だった。が、しだいに際物狙いのゲテモノ雑誌化した。取材が甘いのに、見出しだけ踊る空疎な暴露に走る傾向はこの出版社の隠れた病根である。



それでも売れ行き不振で、今度は「右」なら売れるだろうと妙な具合に右傾化して二番煎じ的なオピニオン誌と化したのは1年半ほど前からだっただろうか。週刊新潮がすでに「右」の牙城なのに、新潮45の右路線は共食い以外の何ものでもない。すでにこの雑誌の命脈は尽き、経営者も休刊のタイミングをうかがっていたのではないか。



新潮社に勤める知人に聞くと、編集者によっては右傾化する誌面をまずいと感じていたのか、執筆陣に「この雑誌の編集方針が変わったら、また......」と詫びながら説明していたと聞くから、雑誌の方向性を巡って編集部内でも編集長と編集者の間に溝が生まれていたようだ。焦りから極端に走り、墓穴を掘ったのだろう。



立ち止まってよく考えてみると、LGBTに関する記事が差別的で論考と呼ぶに値しない内容だったことと、同誌が極端に右傾化していたことは本来、別の問題だろう。しかしこの2つがごく自然に結び付けられて論じられ、新潮社前でちょっとしたデモが起きたり、執筆陣や書店、読者を巻き込んで反発が広がってしまったのは、新潮45の一連の記事が安倍晋三首相のシンパやお友だちと目されている執筆陣によるものであることと無関係ではあるまい。新潮45の炎上や世間の反発は、性的マイノリティに対する差別問題に見えて、実際にはそれに言寄せた政権批判ではなかったか。



そして炎上させた張本人の杉田水脈議員は一切の釈明もないまま行方をくらましている。彼女の論自体も是非を論ずる以前に、人騒がせの自己顕示欲丸出しだった。まもなく秋の通常国会が開かれるから、いつまでも頬っ被りはできないだろう。



もうひとつ気になるのは、長引く雑誌不況が出版社を蝕み、売らんかなの前に「経営と編集の分離」が有名無実になっていることだ。企業経営でいう「経営と所有の分離」に通じていて、株主として会社を所有する立場の者であっても、日々の業務に口を挟まないというこの原則は、経営陣の信任を得た編集者が日々の編集業務を受け持ち、経営陣は容喙しないという建前だが、とうに置き去りになっている。



新潮社は謝罪して頭を下げればいいというものではない。新潮45を堕落させたのは何だったのか、どの経営幹部がこの編集長を起用し、この編集方針にゴーサインをあたえたのか。ポスト・トゥルースを追及すべき雑誌自体が、ポスト・トゥルースに堕した責任はこの程度でいいのか。新潮45の休刊に溜飲を下げている人びともまた、活字メディアの弱体化に力を貸していることを自覚していない。



当たり前の話をするようだが、出版社の編集担当者たちの多くは書痴と言っていいほどの大変な読み手でもある。知識や見識を持ち、雑誌の編集者ともなれば、取材の現場で様々な経験も積んできたはずだ。部数減から来る焦りがあったにせよ、あのお粗末な誌面とがどうにも結びつかない。目が肥えているはずの編集者たちから、今こそ生の声を聞きたい。あなたがたは、いつ、どこで初心を忘れ、売らんかなの奴(やっこ)になり下がったのか、と。

スポーツも企業も「頭から腐る」

レスリング、アメリカンフットボール、アマチュアボクシング、居合道、体操......。スポーツ界でパワハラや不明朗な金銭授受といったガバナンス上の問題が相次いで表面化し始めた。

それもこれも企業経営にガバナンスや法令順守が十分に機能していないケースが次々に見つかり、これを軌道修正する動きが広がるなかで、ガバナンスの考え方が垣根をまたいでスポーツ界にも波及したことの表れと見ていいだろう。

これらの多くは日本的な徒弟制度の中で当たり前のように続いてきた悪弊なのだが、これだけ頻発するのは「魚は頭から腐る」――日本のスポーツ界に君臨する東京五輪組織委のトップと、日本オリンピック委員会(JOC)のトップ (お互いに仲は悪い) が、二人ともガバナンスのガの字も知らないからだ。

一方、ガバナンス問題の本家本元である企業経営の分野では、トラックを一周してガバナンスの確立に悩む企業や、新たな問題が突きつけられる企業も少なくない。ここでもトップの資質が問われている。

企業統治と言えば、透明性や公正さと親和性が強いという印象が強いが、それゆえに新たな暗闘を呼び込んでいるのではないかと思われるケースもある。パチスロ機器などのユニバーサル・エンターテインメント(旧アルゼ)と同社を放逐された岡田和生元会長との確執がそれだ。

岡田元会長はにわかには信じがたいような逸話が多く、週刊誌の標的になりやすい人物だ。ギャンブル機器は不正改造の温床になりやすいため、特に海外ではその危険性を排除する技術が重視されるだけでなく、経営陣や株主などに反社会的勢力が入り込んでいないかも厳しくチェックされる。同社は岡田元会長との距離の取り方に苦慮しているといわれる。

すでに経営から離れ、大株主でもなくなったはずの岡田元会長が8月6日に贈賄の疑いで香港で逮捕されたとき、ユニバーサルがわざわざプレスリリースを発表したのはそのためでもあるだろう。

創業家を巡る企業統治の問題はユニバーサルに限った話ではない。3年連続の赤字で資本提携の相手が注目されている大塚家具の問題も、創業者と後継者の間で繰り広げられた路線対立が発端だったが、株主の賛同を集めるうえで企業統治のあり方が問われた。

企業統治は不正防止と業績の持続的な拡大を一体的な目標としているから、短期的な評価にはそぐわないにせよ、創業家との関係や企業統治と業績の関係などについて改めて検証が必要だろう。

日本で企業統治が2周目に入るにあたって忘れてはならないポイントの一つは、企業統治の要である社外取締役が、不正に際してきちんと機能しているかどうか。あるいは企業側がそれをきちんと機能させているかどうかだ。

本誌でおなじみのあの会社からはつい最近も「企業統治という仕組みそのものが日本人に向いていないのではないか」と疑いたくなるような、あるいは人間という生き物について改めて考えさせられるような決定的なファクトがもたらされている。

この会社がもう一度、ガバナンスに関わる問題を起したとき、本誌は研究の材料をたっぷりと提供できるだろう。

界壁なきレオパレスに外国人投資家が火傷

レオパレス21が新たな問題の発生に揺れている。

屋根裏にできる空間に設けなければならない、防音や防火のための壁(界壁)が設置されていない物件が次々と見つかり、建築基準法違反の疑いが浮上してから、株価が急落している。

5月11日には1023円の年初来高値をつけたのが、同月末に界壁問題が発覚すると売買高を伴って急落し、6月28日には581円まで下げた。年初来安値の更新である。7月30日の終値は617円であり、すでに連結PBR(純資産倍率)は理論上の解散価値に相当する1倍を割り込む水準まで売り込まれている。

これだけ大きく値を下げながら、その後の反発力が弱く、取引も盛り上がらないのは、コンプライアンス上の問題を抱えるレオパレス株を買えなくなってしまった投資家が少なくないためだろう。

レオパレスが施工した物件のオーナーたちが「一方的に賃料を引き下げられた」として相次いで訴訟を起したことで、サブリースのビジネスモデルが破綻しかけているうえ、建築基準法違反の問題で損失がどれだけ膨らむのか見通しがきかない。それでも深山一族のオーナー企業であるために、誰も口をつぐんでモノを言いにくかろう。

どれも上場企業として経営の根幹に関わる問題なのに、経営陣は主体性を持って誠実に問題と対峙しているようには見えない。これも企業統治が機能不全を起している典型例の一つなのだろう。

レオパレスは、人材派遣会社に登録して働く社員のために派遣会社を大口顧客として囲い込んでいるほか、出張時のホテル代わりにアパートを借りている顧客企業も多いという。鉢植えの盆栽を植え替えるように、法人顧客(の社員や契約社員)を築浅の物件の間で右から左へ引っ越しさせることも少なくないようで、レオパレスの物件をオーナーから買い取ったある不動産投資家は「(レオパレスとの契約解除時に)入居者の8割がごっそり抜けてしまい、大変な目に遭った」と打ち明ける。

物件のメンテナンスも不備が多かったようで、「サブリースのためにオーナーの目が届かないのをいいことに、レオパレスは徹底的に経費をケチったようだ。浄化槽のポンプも槽も壊れたまま長期間放置されていて、その間は汚水が浄化されずに垂れ流しになっていた」というケースさえある。

焼き畑農業的なビジネスモデルにみえるが、これを評価して株式を保有する外国人投資家は多い。彼らがビジネスモデルに惚れ込み過ぎたせいか、問題が発覚した直後に開かれた株主総会でさえ、現経営陣の選任案は軒並み90%台の高い賛成票を得たから、株主の経営監視は十分ではなかったことになる。

しかし大量保有報告書を見る限り、年初来高値をつける過程で買い上がったある外国人投資家は6月からの急落局面で大きな含み損を抱えているとみられるし、保有割合をこっそり低下させている投資家もちらほら現れ始めた。

さて、問題がこれだけで収まるかどうか。筆者に連絡してきた社員によれば、会社の方針に反する社員は産業医に受診させて長期休暇に追い込むこともあるそうだから、そうした社員たちが法令違反やパワハラを内部告発することもしばしばだ。これまでに明らかになっていない経営上の問題について告発があってもおかしくない。

レオパレスの経営に防火のための界壁がないのだから、株価についた火は内部告発の炎上を引き起こすか。

役立たず「内部統制報告書」と監査法人の鉄面皮

今年は何らかの変化がみられるのではないかと思っていたが、期待は空振りに終わったようだ。内部統制報告書の問題である。

神戸製鋼所、三菱マテリアル、日産自動車、SUBARU、東レ、スルガ銀行......。不祥事を起こした上場企業が株主総会を終え、一部を除いて有価証券報告書と内部統制報告書を提出した。

内部統制とは、①業務の有効性及び効率性、②財務報告の信頼性、③事業活動に関わる法令等の順守、④資産の保全--の4つを目的として、組織を統制する仕組みである。しかし不正が社会の批判にさらされていながら、各社の内部統制報告書には何の改善もみられない。

たとえば神戸製鋼所で品質検査データの改竄が発覚した問題では、東京地検特捜部と警視庁捜査二課が不正競争防止法違反の疑いで同社の家宅捜索に乗り出し、もはや製造現場の勇み足やチョンボではすまないところまで来ている。海外でも巨額の罰金の支払いを求められ、経営の根幹が揺さぶられて企業解体の観測さえ立ち上っているのに、その内部統制報告書には監査法人がヌケヌケとお墨付きを与え、「内部統制は有効であると判断いたしました」と何事もなかったかのように記している。

同社のそれを前年度のものと比較してみても、社長の名前や日付、連結子会社数が変わっているだけで、本文はまったく変わっておらず、そこからは危機意識も問題意識も感じられない。

もちろん、会社法が求める内部統制と、金融商品取引法が求める内部統制とでは守備範囲が異なることはわかる。内部統制報告書で監査法人がチェックするのは、金商法上の財務報告に関連したプロセスが中心であることは百も承知だ。

しかし金商法の目的に投資家の保護を掲げている以上、現在の内部統制報告書のあり方が投資家保護には何の役にも立っていないように見えるのは筆者だけではあるまい。「根拠となる法律が異なる」の一言で片付けられない。

以前、三菱自動車や東洋ゴム工業がやはり製品データの改竄に手を染めていたことが発覚したとき、このコラムで「金融庁の幹部が、三菱自動車などの内部統制報告書は虚偽記載ではないのか、という問題意識を持っている」と紹介したことがあるように、行政もそのあり方に違和感を持っている。

しかも、「財務報告の信頼性」だけなら十分に担保されているのかと言えば、そうではあるまい。近年の粉飾決算を振り返れば、どう大目に見ても、報告書もその監査もまったく当てにならなかった事例もあったではないか。企業側もたった2ページの報告書を作成するのに、バカにならない大きなコストを負担しているのに、それが無駄になっているようにしか見えない。別の言い方をすれば、内部統制報告書という制度が有用性も実効性も持たず、危地に立たされているということだろう。

これだけ上場企業の不始末が相次いでいるのだ。内部統制を虚器にしないためにも、一度立ち止まってそのあり方を見直す時期に差し掛かっているのではないか。

日大もモリカケもオリンパスも「不浄負け」

相撲では褌(まわし)が緩んで見えてはならないものが見えてしまうと、行事が力士に負けを宣告する。これを「不浄負け」と呼ぶそうだ。いわゆる四十八手に含まれる技の名前ではなく、規定に基づく一種の反則負けである。

このところ世間は不浄負けを宣告されてもおかしくないケースでいっぱいだ。

日大アメフト部の反則タックル問題では、タックルした選手が監督による指示であったことを会見で告白、関東学連がそれを認めて監督・コーチを永久追放にあたる「除名」処分を下した。現役選手もこれに呼応して「監督・コーチらに頼り切り」だったことへの反省を綴った声明文を出した。監督やコーチ、上級生には絶対服従であるはずの大学体育会では出てこない、出てきてはいけない証言や証拠、声明が次々と出てくるのだから、これも不浄負けといえよう。

アマチュアスポーツのひとつの反則がこれほどの世間の耳目を集めるのは、それが息苦しい日本社会の暗部を象徴していて、世間の誰もが「ある、ある」と共感する部分が多いからだろう。

押っ取り刀で大塚吉兵衛学長が会見に出てきて謝罪したが、どこか屁っ放り腰で、不浄な部分――前監督・コーチの責任については口を濁した。主体的に問題を解決する権限も意欲も持たない人物が会見を開いて火に油を注ぐ結果になったのは、日大では、学長よりもエラくて怖い相撲部監督出身の田中英寿理事長が君臨しているからだ。

早い話が学長はお飾りにすぎず、相撲部とアメフト部を支配する田中体制の恐怖政治の下で、ガバナンスが利いていないのだ。反則タックルどころか、これまで理事長と暴力団との癒着が本誌を先駆けとして、週刊文春、NHKなどで報じられても、組織に自浄能力が働かない。内田監督や井上コーチの居直りは、この田中体制を支える「背後の闇」があるからで、あの木で鼻をくくったような会見も、徳洲会を散々しゃぶった 週刊新潮、フォーカスの元記者が、いまは日大の「裏広報」を務めているからだ。週刊新潮の日大報道が今ひとつ冴えないのは、この元記者を「忖度」しているとしか思えない。

タックル問題について日大では第三者委員会を立ち上げて真相究明に当たるという。しかし、こうした組織では第三者委員会を立ち上げても、往々にしてその構成メンバーは日大の息がかかった利害関係者だったりするから油断できない。笑いものになっている危機管理学部にしても、亀井静香元衆議院議員のキモいりで警察OBの天下り先として日大が設けただけに、田中理事長をお白洲に引きずりだすどころか、警察まで日大に抱きこまれて捜査がねじ曲げられてしまう懸念がある。

他方、政界でガバナンス不全に起因した不浄負けと言えば、枚挙に暇がない。

加計学園問題では愛媛県が「安倍晋三首相が獣医大学はいいねと発言した」とする文書を公開。森友学園問題では、交渉記録や決裁文書を財務省が国会に提出したが、黒塗り部分が簡単な操作で見えるようになっていた。自衛隊の日報問題でも不都合な真実が次々と露見している。いずれも不浄負けである。

日本人が最近になって獲得した新たなメンタリティーなのか、こうなると「内部告発した者勝ち」になって、告発者はさらに増えるだろう。自らが疑惑の火薬庫になった安倍首相は当分、破棄したはずの官邸面会記録がどこかでリークされるのではないかと、針のむしろで政権運営を強いられるに違いない。

本誌が2年前から追及してきたオリンパスの贈賄疑惑でも、決して外部に見られてはならない決定的な内部資料が本誌に寄せられ、これを先日、HP上で公開した。

オリンパス米国現法の代理人弁護士が「資料を返却せよ」と脅しとも懇請ともつかない内容証明を送りつけてきた代物である。海外の読者から「この件に関して英語版の資料はないのか」とせっつくような問い合わせが来たこともある。株主総会を控えたこの時期に、最も見られたくない英文資料を、もっとも見て欲しくない米司法省と証券監視委員会、外国人投資家に晒されたのだから、これも不浄負けのはずだ。

しかし、本来なら恥ずかしいはずの不浄負けを恥と思わず、土俵から降りようとしない人々は多い。オリンパスも内部資料公開から10日余過ぎても、何のリリースも適時開示もない。否定談話すら出せず、凍りついているのだろうか。JPX・東証も明らかな適時開示ルール違反にお咎めなしか。このシカトのスクラム、日大執行部と似ている。それなら、見えてはならない不浄な事実をもっと暴こうか。

ぐらつく安倍政権、焦る外国人投資家

日本企業に投資している外国人投資家が、ぐらつき始めた安倍政権の行方に気を揉んでいるそうだ。これまで多少の問題が浮上しても乗り切ってきた安倍政権の安定感を信じていたが、支持率の急低下を目の当たりにしてにわかに焦りはじめた。割安株を丹念に見極めて買いに来る投資家は「実はリスクヘッジがほとんどできておらず、ちょっとしたパニックに陥っている」(投資ファンドの運用担当者)というのだ。

加えて米国で金利上昇圧力が高まる中で「政府・日銀の要路から低金利政策の出口戦略について言及されるようになり、日銀によるETF買いは続くのか」と懐疑的な声も出始めた。実質的に新年度入りした3月下旬ごろから株式相場は下値を切り上げる展開になっているが、米トランプ政権の保護主義的な貿易政策が、企業業績に悪影響を及ぼす懸念もあるのだから、安倍政権にとって大きな政治的資産のひとつである株高も揺らぐ可能性が出てきた。

安倍政権が株式市場で果たした役割に、コーポレート・ガバナンス・コードやスチュワードシップコードなどの改革が挙げられる。この二つが出揃い、企業と投資家の間で建設的な対話を促す道具立てが整った。投資家は敏感に反応した。割安な優良銘柄をピックアップし、さらにそこから一歩踏み込んで、一人ひとりの取締役が株主に向き合う真摯な態度を持った人物かどうかを興信所のようにとことん調査するようになった。

投資対象の企業と顧問契約を結んでいる法律事務所の出身者や、かつて監査契約を結んでいた監査法人に在籍していた会計士が社外取締役に就いていないかといった独立性を調べ上げる。そのうえで社外取締役に就任した経緯や経歴から株主の利益を考えてくれる人物かどうか、といった定性的要因の調査にも余念がない。社外取締役の布陣を見れば、その企業が企業統治に関してどの程度の意識を持っているのか、あるいはその布陣が何を目的としたものかがよくわかるのだろう。

時代が変わったのだ。目の肥えた外国人投資家であれば、もはや業績好調な割安銘柄を定量的要因だけを見て物色することはない。目を付けた割安銘柄を最終的に買うかどうかは、企業統治や内部統制が形式だけでなく、実質を伴っているかどうかが重視されるようになった。社外取締役の"縁故採用"など簡単に見透かされ、投資対象から外されるか、株主総会で役員の交代を求められる。

投資家の厳しい目にさらされるのは、企業と投資家の間で潤滑油になるはずのアナリストも同じだ。定量的要因の分析だけなら凡庸なアナリストにもできるだろうが、「あの会社の社外取締役たちは社長に尻尾を振るだけで、株主の利益を考えてくれない」などと、経営批判につながる定性的要因をレポートにずけずけと書ける者がどれだけいるか。

さて、森友・加計問題、防衛庁の日報問題などで明らかになったのは、経営でいう「企業統治」も「内部統制」も安倍政権下では機能していなかったことだ。連休を挟んで3月決算企業の決算発表が佳境を迎えるとともに、相場の格言"Sell in May(株は5月に売れ)"のシーズンがやってくる。安倍政権が株価の重しとなるかもしれない。

過去最高のM&A件数に潜む日本経済の「落日」

日本企業のM&Aが伸び続けているという。M&A仲介会社のレコフのまとめによると、2017年の件数は3050件に達して過去最高を更新し、東日本大震災に見舞われた2011年を底に6年連続の増加となった。年度ベースでも増勢が続いているだろう。

その背景として先進技術を取り込むためのM&Aが件数の増加を引っ張っている点が挙げられているが、意外や追い詰められた末、苦し紛れに打って出たM&Aも少なくないのが実情ではないか。国内勢同士のM&Aが2180件と全体の7割以上を占め、海外に打って出るためのM&Aを大きく上回っているのだ。

たとえばAIが自動運転の道を開く技術としてストレートに影響を及ぼしそうな自動車の周辺では、カーナビの製造販売を手掛けてきた富士通テンがデンソーに買収されて、昨年には社名がデンソーテンになったほか、アルパインは親会社のアルプス電気との経営統合が進行中だ。

しかし実情はと言えば、すでにカーナビの機能はスマートフォンが取って代わり始めており、自動車がネットにつながっているコネクテッドカーが普及するにつれ、カーナビメーカーは数年内になくなるとの見方が公然と語られている。

デンソーによる富士通テンの買収はカーナビの技術者の転用によってAIの技術者不足を補うための戦略的なものだとしても、アルパインの場合はこのまま放置すれば、アルプス電気グループの地盤沈下につながるとの危機感が根底にあるはずだ。これまで収益面で「アルプス電気の孝行息子」だったはずのアルパインが収益の柱を失い、グループのお荷物になってしまう恐れが生じているのだから。

証券会社でカーナビメーカーを担当するアナリストが少なかったり、担当はしていてもきちんとウォッチしているアナリストが少なかったりするのにはこうした背景があるのだろう。株式市場でも一部のヘッジファンドが経営統合の条件に不満を表明している程度で、アルプス電気が日経平均株価の採用銘柄である割に市場は冷めている。

金融機関のM&Aも同様で、人工知能(AI)の進化に伴ってM&Aのマーケットが刺激を受けているのは確かだ。コンピュータが資産運用を指南するエイト証券を、野村アセットマネジメントが買収に乗り出すなど、フィンテックに関連した買収や提携が盛り上がりを見せてはいる。

しかし時代を先取りするようなM&Aは限られている。地方ではただでさえ優良な貸付先が少ないのに、日銀のゼロ金利政策で利幅がいよいよ小さくなった。この2~3年は地銀間のM&Aはもちろん、地方に店舗網を持つ準大手・中堅クラスの証券会社と地銀が共同出資で「ご当地向け」の証券子会社を設立する動きもじわじわと続いている。

これを戦略的な子会社と言えば聞こえはいいが、投信販売による手数料欲しさが見え見えだ。証券業界にとってもそれらが下支えとなり、昨年あたりに証券会社の減少にようやく歯止めがかかったが、「これを積極的なM&Aとして素直に喜んでいいものか」と首を傾げるエコノミストもいる。

電機や鉄鋼、紙パルプなど、全体を見渡せば各事業の川上から川下まで一気通貫を目論むような積極的なM&Aもあるが、それとて「局所的最適化」と呼んだ方がいいような粒の小さい印象が強い。日本経済の縮小を先取りしているとみるべきか、嵐の前の静けさとみるべきか。

オリンパス裁判と抜けない「宮仕え」根性

このところオリンパスを巡る話題が豊富で、考えさせられることが多い。

2月13日、東京高裁で開かれたオリンパスの取締役に損害賠償を請求する株主代表訴訟の控訴審でマイケル・ウッドフォード元社長や、西垣晋一元取締役に対する証人尋問が開かれた。尋問が行われたのは大法廷で、30人ほどの傍聴人が集まった。


西垣氏は損失隠し事件当時、オリンパスの医療機器事業担当取締役で、事件発覚後に取締役を退任(ただし取締役責任調査委員会で同氏は責任を問われていない)した人物だ。オリンパスの社長を解任されたウッドフォード氏については、今さら説明は不要だろう。西垣氏はオリンパス側の証人として、ウッドフォード氏は株主側の証人として出廷した。

本誌で同社の損失隠し事件をスクープした山口義正記者が傍聴していた。彼によると、一つひとつの質問に自分の言葉で答えるウッドフォード氏に対して、「西垣氏は事前に弁護士事務所でよほど入念なリハーサルをしてきたのか、オリンパス側の弁護士の質問に対して小学生の学芸会のように暗記した台詞を一語一語ハキハキと、不自然なほど言いよどむこともなく答えていた」という。ああ、この人はどこまでもイエスマンの社畜なのだ。

オリンパスの第三者委員会が作成した調査報告書で指摘された「悪い意味でのサラリーマン根性」が全く抜けていないのか、その受け答えには薫り高さがまるでなかったそうだ。自分たちの非をうかつに認めてしまえば巨額の損害賠償を求められるのはわかるが、事件に対する取締役としての反省も矜持もまるで感じられなかったという。

取締役であろうが、それを退任しようが、所詮は会社に随順するしかない哀れな宮仕えなのだ。一審ではウッドフォード氏の社長時代に独断的な人事や経営判断が目立ったことが認定されており、控訴審ではそれも争点の一つになっていたようだ。西垣氏は証言でウッドフォードを社長には不適格だったと言い放ってみせたが、お生憎様。ウッドフォード氏と西垣氏とでは、人間の格がまるで違うことを裁判官の前で見せつけただけだった。

ウッドフォード氏を解任する直前に弁護士事務所で行われた打ち合わせについても、西垣氏には不自然な証言が目立ったせいか、裁判官が苦笑交じりで直接質問する場面さえあったという。

すでに過去のものになりつつある損失隠し事件の裁判についてここで触れるのは、弁護士資格を持つオリンパス社員が同社と笹宏行社長らを相手取り、内部通報者保護法違反で訴えた裁判の口頭弁論が3月1日に開かれるからだ。

奇しくもオリンパスの「旧悪」と「新悪」が同時並行で法廷でさらしものとなり、本誌がいち早く報じた中国・深圳での贈賄疑惑の一部始終と、これを巡る内部通報者保護法違反などが明らかにされていくだろう。

損失隠し事件や贈賄疑惑は、とりあえずは企業統治や内部統制、内部通報の問題ではあるが、もっと大きな目で見た場合、日本人が会社組織から自立できているかどうかを問う問題でもある。社員である弁護士が会社と社長を訴えるのは、その象徴的な構図である。

働き方改革で会社員の副業や兼業が認められるようになれば、サラリーマンは経済的にも精神的にも会社から自律した存在にならずにはいられない。見切り発車的に法案を成立させたところで、「働き方(と言うよりも「働かせ方」)」を巡って内部告発が頻発するだけだろう。働き方の改革は「生き方」の改革も促すのだから。

「哀れな宮仕え」には無縁の話かもしれないが。

オリンパスの「ピエロ」蛭田史郎取締役会議長

7年前を上からなぞるような展開になってきた。オリンパスが揺れている中国深圳での贈賄疑惑だ。

損失隠しのために零細企業を買収した後、大学教授や公認会計士を使って「買収価格は妥当なものだった」という報告書を作成させたのは、今回西村あさひなど大手法律事務所に「違法性はなかった」との調査報告書を作らせたのとよく似ている。

またオリンパスの会計処理の秘密を調べようとしてマイケル・ウッドフォード社長(当時)を解任したのは、今回会社の方針と異なる考えの社員弁護士を口封じのために左遷したのと重なる。


ウッドフォード氏が電撃的に解任され、世間がその異様さに気づいた7年前、当時の菊川剛社長兼会長が直前まで日経フォーラム世界経営者会議の講師として登壇する予定だった。 これは現社員取締役の中で最古参の一人で取締役会議長である蛭田史郎・旭化成相談役にダブって見える。

日本銀行金融機構局金融高度化センターが1月10日から11日に開催したガバナンス改革フォローアップセミナーに蛭田氏はパネリストとして参加。昨年9月にも日本コーポレート・ガバナンス・ネットワーク主催の講演会「オリンパスのコーポレートガバナンスへの取り組み」でも講師を務めた。

何というグッド・タイミング!社員弁護士が昨年12月に社外取締役全員にメールを発信、今回公開する資料を送ってウォーニングを出しており、そのメーリングリストには蛭田氏も入っているから、知らなかったでは済まされない。足もとで起きていることを知っていながら、ぬけぬけとコーポレート・ガバナンスの説法とは、恐れ入ったるタヌキである。

それにしても、社外取締役は大変だ。株主の負託に応えてその職責を果たすだけでなく、講師のアルバイトを引き受け、時にピエロの役まで与えられる。そのうえ下手をすれば晩節が大きく狂ってしまうほど、巨額の損害賠償を求められる恐れさえあるのだから 。

7年前、オリンパスの取締役会資料をネット上で公開したら、オリンパス社内は鳩首会談のために臨時取締役会の招集通知を出したりして大騒ぎになった。そっくりのついでだ。ここでまた資料を公開し、7年前を再現してみようか。

社外取締役に送付された通知書や訴状をこのホームページ上で晒したことにより、これらの資料はインサイダー情報ではないオープンなものになった。 世界中の投資家は何の制約もなくこの資料にアクセスできる。贈賄疑惑をおざなりにはできないことを示す証拠資料もいずれ出てくるだろう。

さて国内外の機関投資家はこれを読んだら、どう思い、どう動くだろうか。

臭いものにフタをする戦犯たちを温存した東証や当局、銀行や関連業界、そして日本株式会社の「事なかれ」も改めて問い直されるだろう。恥を知れ、ニッポン!

悪夢再びオリンパスの中国「贈賄」疑惑

2011年にFACTAがスクープしたオリンパスの損失隠し事件を題材としたドキュメンタリー映画が、5月から国内の劇場で順次公開されることになった。すでに英BBCをはじめとして、独仏など欧州主要国でテレビ放映された「サムライと愚か者」である。映画の出来は第三者の評価を待たねばならないが、事件発覚から7年かけてようやく国内公開にたどりついたせっかくの作品が、賞味期限切れになりかねない事態が出現した。

FACTA最新号でも報じているように、オリンパスに新たな不正疑惑が浮上しているからだ。オリンパスが生産拠点を構える中国・深圳で当局者に贈賄したのではないかという疑惑である。元社長ら幹部3人が逮捕された損失隠しとこの件は別件だったのだが、事件後も笹宏行社長ら現執行部がひた隠しにしてきたため、またもや内部告発で窮地に立たされている。

そもそもの発端は2006年で、深圳の税関でオリンパスは理論在庫の問題が指摘され、巨額の罰金を支払う恐れが出てきたことに始まる。穏便に解決するために契約した中国人コンサルタントが実は中国の反社会的勢力で、オリンパスへの罰金がゼロになった経緯をみても税関当局者に賄賂が渡った疑いが濃い。

FACTAはこの新疑惑を2年前に報じている。オリンパスは外部の弁護士チームを立ち上げて調査させ、法律違反はなかったとの報告書を得た。しかし 問題のコンサル会社に対し、成功報酬として46億円相当の女子寮2棟の安値払い下げを約束しており、コンサルから明け渡しを求める訴訟まで現地で起こされている。中国現地法人の法務担当者が、海外の著名法律事務所を使ってこの問題を再調査させたところ、贈賄の可能性ありとする結論が出た。慌てた東京のオリンパス本社が法務担当者を更迭、新設部門の「ガバメントアフェアーズ統括室」に異動を命じた。体よく口封じしたのだ。

これに「パワハラではないか」と反発したのは、本社法務部に属す若い社員弁護士だった。この弁護士は社外取締役に善処を求める通知書を送った。すると、この弁護士までメールの送受信が全面的に制限されてしまう。彼はオリンパスと笹社長らを相手取って1月19日、内部通報者を守る公益通報者保護法に違反しているとして東京地裁に500万円の賠償を求める訴訟を起こした。

社員弁護士が会社を訴えるという前代未聞の椿事に、本誌以外でも週刊新潮や週刊エコノミスト、朝日新聞など、複数のメディアが相次いで取り上げ、写真週刊誌も関心を示す。オリンパスは例によって知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、1月29日現在、何の発表もしていない。しかし複数のメディアが相次いで報じている以上、重要情報の開示を求められるのは時間の問題だ。

2年前の夏にも、本誌がこの疑惑を詳細に報じ、動かぬ証拠として社内報告書の全文をホームページで公開したが、オリンパスは中身のないプレスリリースを出しただけだった。恐らく今回も「問題はないと考えている」といった趣旨の発表でお茶を濁そうとするだろう。

しかし火付け役の本誌から見る限り、今回の疑惑に関する内部告発は、かつてないほど短期間に広範に行われているようだ。告発者から寄せられた資料には、全社外取締役のメールアドレスも記されており、各種メディアの責任追及は彼らにも及ぶだろう。

社外取締役のメールアドレスは、記事を掲載した雑誌や新聞の記者に知れわたっているはずで、その一挙手一投足は監視されることになる。旭化成や伊藤忠商事などの大企業役員を経験した社外取締役が、オリンパスの株主から責任を問われ、巨額の損害賠償請求を受けることにでもなれば、晩節を大きく汚すことになるだろう。

しかも社員弁護士が作成した訴状には贈賄疑惑についてまとめた資料が添付されており、これが裁判という公開の場でメディアの目に触れればどうなるかは容易に想像がつく。この贈賄疑惑を社外取締役たちがどうさばくかは、日本に中身を伴ったコーポレート・ガバナンスや社外取締役制度が根付くために避けては通れない試練である。さらにまた、オリンパスの上場廃止を回避し、臭いものにフタをする戦犯たちを温存した東証や当局、銀行や関連業界、そして日本株式会社の「事なかれ」も改めて問い直されるだろう。恥を知れ、ニッポン!

最高裁「判例削除」非公開ルールをスクープ

17年12月、東京高裁の岡口基一判事がツイッター上で強盗殺人事件の判決を裁判所HPの判決文のリンクをつけて紹介したところ、遺族が「不愉快だ」と抗議、東京高裁に「厳重処分を求める要望書」を提出する騒ぎとなった。東京高裁側は遺族側の弁護士に謝罪して判決文を削除した。

これをメディアは「お騒がせ判事の不祥事」とはやし立てた。ジムで鍛えたからだを下着姿で公開した「白ブリーフ判事」(彼のトレードマークらしい)の暴挙であるかのように記事を仕立て、例えば12月28日付け朝日新聞のように「高裁、ネットに判決文誤掲載」と見出しをつけた。だが、そもそも掲載基準は公開されていなかったから「誤掲載」かどうか、実はわからないはずだ。よくもまあ、鬼の首でも取ったかのように書けるものだ。

この事件は「白ブリーフ判事の不祥事」などではない。「判例とは何か」というテーマがキモである。実は掲載基準は昨年から存在していた。最高裁が17年2月、事務総局広報課長以下各課長の連名で出していた「事務連絡」である。本誌は18年2月号で記事(「『ツイート判事』が暴いた判例削除ルール」)として掲載するとともに、入手した全文をこのオンライン版で公開する。裁判所外では「非公開」とされてきたルールだから、一般の目にさらされるのはこれが初めてである。

本誌はこの文書の確認を求める質問状を出した。驚いたのは、最高裁事務総局広報課と東京高裁事務局総務課広報係の対応だった。まず、本誌に対して文書が本物であることを認めた。そして、最高裁は「裁判所HPの『下級裁判所判例速報』は判例集ではなく、速報である。前提が違うので、先例性や、日本国憲法82条の裁判公開原則とは関係ない。だから掲載基準は最高裁として明らかにしないし、性犯罪などの判決文は掲載しないし、今後も出した判例を引っ込めることもあり得る」と答えた。以下が質問状とその回答(文書回答ではなく電話で本誌担当者に読み上げた。あくまでも「非公開」を貫く姿勢らしい)である。

最高裁事務総局広報課への本誌質問状(1月5日、ファクスにて送信)

〔前略〕裁判所ホームページに掲載されていた東京高裁刑事部の判決文が、東京高裁判事のツイートをきっかけに、当該刑事裁判の被害者遺族の抗議により削除された件を取材しております。弊誌は平成29年2月17日付で最高裁事務総局広報課長以下、6名の連記で「下級裁判所判例集に掲載する裁判例の選別基準等について」(以下、「事務連絡」)を入手しました。これについてお尋ねしたいことが以下の5点ございます。お忙しいところ大変恐縮ですが、締め切りの都合があり、来週1月9日火曜までに文書またはメール等でご回答いただければ幸いです。よろしくご検討のほどお願い申しあげます。

【質問1】
上記「事務連絡」の書類は、最高裁が昨年2月に高裁、地裁、家裁の各下級裁判所に通達した文書で間違いないでしょうか。

【質問2】
裁判所ウェブページ「裁判例情報」の「下級裁判所裁判例速報」について、「事務連絡」には「判例集」と位置づけられています。
「判例は、後に続く裁判の予測を行うための先例として機能し、法源のひとつをなす」というのが、実務・学界の共通認識です。また、日本国憲法82条の「裁判の公開」の反射的効果として「選別基準」を公開しないのは、「判例集」としての安定性を欠くと思われます。当該「事務連絡」の公開の予定はありませんか。

【質問3】
「事務連絡」の判決文掲載から除外されるものとして「性犯罪、凄惨な犯罪など、判決書の公開により被害者遺族に大きな精神的被害を与えるおそれのある事件」が挙げられています。しかし、「判例集」としての性格上、掲載しないという判断は判例集の機能を損なうことにならないでしょうか。代替の方法は用意されているのでしょうか。お考えを伺いたいと思います。

【質問4】
「裁判例情報」搭載後に、風評などを理由に当事者が削除を申し立て、削除された判決文が複数あることを私たちは取材でつかんでいます。削除は最高裁の指示によって行われているのですか。そのプロセスはどうなっているのか、ご教示ください。

【質問5】
一度「判例集」(裁判例情報)に搭載した判決文を削除し「なかったことにする」ことは、前記【質問2】でも指摘したように、判例集としての法的安定性を脅かすものではないでしょうか。ご意見を伺いたく存じます。

以上でございます。念のため、上記「事務連絡」文書のコピーを添付します。よろしくご査収ください。

最高裁回答(広報課の佐々木氏から1月10日に電話で回答)

1)通達というものではありませんが、広報課長ほか5課長の連名で高裁事務局長及び地家裁所長に対し事務連絡として送付した文書に間違いありません。

2)下級裁判所裁判例速報は先例性を選別基準とするいわゆる判例集とは異なり、本件事務連絡にあるように速報性を重視して、一定の裁判例を速報するものです。したがいましてご質問は、前提が異なるものと思われますが、本件事務連絡を公開するという予定はありません。

3)さきほどもご説明したとおり、下級裁判所裁判例速報は、速報性を重視して一定の裁判例を速報するものですので、ご質問は前提が異なるものと思われます。ただ、なお下級裁判所裁判例速報に掲載されていない裁判例であっても、民間の法律雑誌に掲載されるものなどがあります。

4)裁判所ウェブサイトの裁判例情報のうち、最高裁が掲載作業を行っているものは、最高裁において掲載するかどうかの判断をいたします。他方で、裁判所ウェブサイトの裁判例情報のうち、下級裁判所の各庁が掲載作業を行っているものについては、各庁において掲載するかどうかの判断をいたします。

5)さきほども説明したとおり、下級裁判所裁判例速報は速報性を重視して、一定の裁判例を速報するものですので、速報という観点からは、一定の類型の事件を掲載しないことや、一度掲載した裁判例を削除することは問題ないと考えます。

東京高裁事務局広報への本誌質問状(1月5日、ファクスにて送信)

〔前文は最高裁と大同小異なので略〕

【質問1】
上記「事務連絡」の文書は、高等裁判所事務局長、地方裁判所長、家庭裁判所長が宛先になっています。東京高裁はこの文書を最高裁から受領しましたか。

【質問2】
2017年12月26日付毎日新聞の報道で、裁判所は「内規に反して判例を公開した」と遺族の弁護士に謝罪した、とありますが、この「内規」とは「事務連絡」のことだとの理解でよいでしょうか。

【質問3】
東京高裁では「裁判例情報」に掲載される判決文はどのようにして選定されているのでしょうか、その選出主体と庁内でのプロセスを含めご教示ください。

東京高裁回答(総務課広報係長の甲斐氏から1月9日に電話で回答)

1)この事務連絡の文書について、平成29年2月17日に受領した。

2)当該記事については承知していないが、ご照会にかかる事務連絡で示された掲載基準に反して裁判所ウェブサイトに掲載していたものである。

3)東京高等裁判所が庁として掲載しているものである。

それ以上に関してはお答えしない。

本物だと言ったほかは、ゼロ回答に近い。だが、今までの最高裁広報が無回答か、木で鼻をくくったような答えをしてきたことに比べれば、自ら説明したことを評価したい(10年以上前の本誌07年2月号記事「『消えた判例』の怪最高裁HPの浅知恵」の取材では、質問状にケンもホロロだったことを本誌は忘れていない)。さらに東京高裁広報も、抗議の遺族に対して「内規に反して判例を公開した」と謝罪、判決文を削除したが、その「内規」とはこの文書のことだと率直に認めた。

ただ、お節介なことに、この「事務連絡」では裁判所がメディア、もしくは新聞を"格付け"していることが明らかになった。「世に知らせるべき」判例の基準は、朝毎読、日経の4紙に掲載された事件だという。おやおや、産経は落選らしい(お気の毒に、朝日嫌いの阿比留瑠比編集委員あたりは悔しくて眠れないだろう)。部数が基準というなら、中日新聞・東京新聞グループはどうなのか。通信社の共同や時事も入っていない。いや、テレビ(NHKでさえ)も雑誌もネットメディアもすべて基準に該当しないのだ。その古色蒼然たるメディア観は、近年の激変に取り残された「ガラパゴス裁判所」を示すものだが、この4紙に限定した「基準」を合理的に説明できるのか(リベラルとされる朝・毎・東京を敵視する安倍政権もさぞや不満だろう)。「社会の通念」はもはや通用しない。

裁判の判決が、後からの判決の法的判断「ソース」となるアメリカでは、全ての裁判で判決文が公開される。判決は「誰々対誰々判決」と、実名が冠されているのが当たり前。それに対して抗議の声は上がらない。「そういう文化なので、誰も疑わない」と、米国訴訟に詳しい弁護士は語る。わが国の裁判では法律の条文が判断のソースなので、アメリカと事情は異なる。しかし、法律の条文は簡素に作られているので、書かれていない部分の法律判断は裁判で行われる。「裁判の先例」である判例は、やはり重要なのである。

「判例」と言えば、狭義には最高裁の民事と刑事の判決のことを指す。だが、高裁・地裁レベルの下級審の判決で先例性のあるものや、家裁の審判など実務に有用な先例も判例として扱うのが、わが国の通例と言える。しかし、何をもって判例とするか、誰が判例を決めるのかは、あやふやにされてきた。

最高裁の回答にもあったが、裁判所の公式判例集の他にも、民間の出版社が出している「判例雑誌」や法令データベース会社の判例データベースがある。中でも判例雑誌は古くから裁判所から判決文の提供を受け、既得権的な位置を占めているが、その選定基準や誰が判例を選ぶのかは、こちらも明らかでない。老舗判例雑誌のひとつ『判例タイムズ』に載る論文は、最高裁の意向を反映していると言われていた。20年近く前、小渕内閣に司法制度改革審議会が設置された(法曹養成制度改革、裁判員制度、民事裁判改革などが決められた)際には「今のままでいい、諸外国の司法改革は成功していない」という裁判官の論文が馬に喰わせるほど載せられたものだ。だから、「判例雑誌に対する裁判所の遠慮あるから裁判所HPの判例掲載基準は出なかったのではないか」という噂が、まことしやかに囁かれている。それが本当だとしたら、国民のアクセス性は二の次にされているわけで、おかしいではないか。

本誌が問題提起をした理由はもうひとつある。政府が渋る最高裁の尻を押して検討を開始した「裁判所IT化」だ。国際的に見れば、裁判の公正性や使い勝手のよさはビジネス環境の一部。世界銀行の「ビジネス環境ランキング」の審査項目にも司法の使い勝手が入っており、我が国の「裁判手続の質」評価スコアが先進国の中でも低いことが問題になっている。判例公開も当然、ここに関係するわけで、透明性を持ったルールのもとであいまいな「判例」の定義をはっきりさせて、「公共の資本」として基本的に誰でもアクセスできるよう整備すべきだろう。

だが、今回、被害者が抗議したことをきっかけに、「被害者が声を上げた判例は簡単に非公開になってしまうのでは」と、関係者の間に懸念が広がっている。

この記事を担当した記者は、もう15年以上も昔、現在も未解決の世田谷一家殺害事件の遺族ロングインタビューをスクープした。まだ、犯罪被害者が「語り始める」前のことだ。その後も大事件の遺族や、レイプ被害者の取材を続けてきた。だから、被害者や遺族も、考えや伝えたいメッセージはいろいろであることを知っている。レイプ事件の判決だからといってすべてフタをしてしまっては、刑法改正で「強姦罪」から性別不問の「強制性交等罪」に変ったのに、今後の判例の蓄積と定着が置き去りにされ、刑の軽重も五里霧中になってしまう。事実認定のしようによっては、前例を尊ぶ裁判所がこれでは冤罪の禍根も残しかねない。判例は公共のものなのだ。そろそろ「遺族がプライバシー公開を拒んだら断れない」という事なかれ主義は捨てて、我慢すべきところは我慢してもらうように、きちんと議論し説得すべき時が来ているのではないか。

本誌が「下級裁判所判例集に掲載する裁判例の選別基準等について」を公開するのも、そのような議論が起こってほしいと思っているからだ。最高裁をはじめとする裁判所は、今後もこのような議論に引き続き答えてほしいと思う。「今回は内部文書の現物を突きつけられたから特別に答えた」ということでないようにと願うものである。

また、プライバシーや個人情報保護との相克は難しい問題なので、この件に関して法曹界諸氏のご意見を求めます。ご意見のあるかたは、匿名でなく実名でleaks@facta.co.jpにどうぞ。有意義と判断したものはこのブログに掲載します。

企業統治不全が日本を滅ぼす

2017年も残りわずかになった。東芝の粉飾決算に続き、今年も企業の不正が数多く表面化するとともに、日本の「モノづくり最強伝説」はすでに過去のものとなった。不正の発覚が経営の屋台骨を揺るがすような直撃弾になったケースもあり、企業統治と内部統制ができていない企業がどうなるのかを改めて見せつけられた一年でもあった。しかもこれらの多くは内部告発をきっかけとしており、日本企業があっけなく自壊していく脆さも露呈した。来年も企業統治や内部統制の不全が引き起こす不正はなくなることはないだろう。

不正が発覚したのは製造業ばかりではなかった。緊急対応融資の不正ばかりが取り上げられている商工組合中央金庫は、実はこれまでも不公正ファイナンスを繰り返すハコ企業に対して融資してきた実態が浮かび上がっている。しかも期限が半年や1年の短期融資ではなく、5年の中長期的な融資。まともな審査をしていれば融資などしない相手に資金を供給し、金融だけでなく株式市場さえ歪めていたのだから呆れかえるよりほかない。証券取引等監視委員会が常時監視対象とし、まともな金融機関なら決して相手にしない反市場勢力に、政府系金融機関が資金を供給していたのだ。なんと希薄なコンプライアンス意識であることか。

この一年、海外の機関投資家はずいぶん熱心に日本株を物色したようだ。投網を投げるような買い方もあっただろうが、経営トップが企業統治に対してどのような意識を持っているのか念入りに調べたうえで、業績を伸ばし、積極的に株主還元してくれそうな銘柄をじっくり選んで買う投資家も決して少なくなかった。それもこれもコーポレート・ガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードが整備され、企業と投資家の間で建設的な話し合いを設ける機運が高まったことが背景にあることは、以前にもこのコラムで書いた。

しかし企業側に何らかの不正が見つかったのを機にふたを開けてみると、企業統治も内部統制もできておらず、中身が腐っていたというのでは、せっかく芽生えかけた機運に冷や水を浴びせることになりかねない。

そうした警鐘を鳴らすことも兼ねて、1月発行の本誌2月号の予告もしておこう。ある企業が自社の不正を揉み消そうとして思わぬ反撃を食らい、社内でちょっとした"事件"を起こしている。日本人の民族的欠陥なのか、ほとんどの関係者は見て見ぬ振りだが、すでに本誌編集部は内部資料や生々しいメールをたっぷりと入手済みだ。

当然ながら問題の企業側は完全に取材拒否。しかし本誌のプレッシャーは充分に感じているはずで、関係者はこの年末年始、何を書かれるのか心配で枕を高くして眠ることはできないだろう。そこでは企業統治や内部統制を脅かす怪人の存在も囁かれている。記事を読めば日本企業を滅ぼす本当の敵が何なのか、それがどこに巣食っているのか、考えさせられるのは間違いない。

ストーリーは本誌編集部の郵便受けに届いた異様な封筒から始まった。読者の皆さんも、関係者の皆さんも、震えながらお待ちください。どうぞ良いお年を。