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使用前と使用後――スクープの知的所有権
罪つくりだったかもしれない。22日にメルマガで流した予告スクープ「東証にみずほ証券が400億円請求」は、いろいろハレーションを呼び起こしたらしい。各紙の兜クラブ(東証記者クラブ)担当のなかには、部長やデスクにド叱られた記者もいたという。
東証常駐でもない市井の一雑誌に、むざむざ抜かれるとは何をしているのか!てなことだろう。お気の毒に。こちらもはしゃがずに、謙虚にいきましょう。
しかし叱った部長やデスクたちに申し上げたい。追いかけたどの新聞も、第一報がどこで報ぜられたかを書いていない。抜かれた記事の恥をさらしたくないのは分かるけれど、これはフェアとはいえない。
巧名にこだわって、いちゃもんをつけているのではない。「スクープに知的所有権がない」ことを示したにひとしいからだ。なぜ新聞はこういう陋習を残しているのか。
たとえば、この画面に「使用前」としてFACTAメルマガ臨時版の画像と、「使用後」としてそれを追いかけた各紙の画像を掲載する。本当は各紙の紙面には著作権があり、見出しといえども画像で載せれば、新聞社に使用の許諾を求めなければならない。
でも、あえて許諾を問わなかった。もし抗議が来たら、やんわりと申し上げるつもりでいる。記事の内容はFACTAメルマガが発端であり、その知的所有権を頭から無視しているのに、紙面の映像の著作権だけを主張できますか、と。
スクープとは常に罪つくりなのだ。スクープの知的所有権さえも尊重できないメディアは、いずれ内側から自壊していくだろう。
今回試みたFACTAメルマガ臨時版は、「共同通信のようにスクープを配信した」と誰かに言われた。いえいえ、その気はない。通信社や新聞社の「追っかけ」メディアに撒き餌する役目なぞ、こちらはご免だからだ。
勝利宣言――予告スクープを各紙追っかけ
21日にこのブログで予告したスクープのメルマガ発信は、誰が見ても「圧勝」だったと思う。
22日午前6時を期して流したのは「東京証券取引所が絶体絶命!みずほ証券が400億支払い請求」のニュースである。兜クラブに所属する全新聞、全テレビ、全速報媒体の記者の皆さんに対し、勝利宣言したい。
今回は実験として、FACTAご購読者(eメールアドレスをお教えいただいた方)限定のメルマガ「FACTAonline」に掲載して、臨時版として発信した。アクセス自由のこのサイトには予告のブログ記事しか載せなかったが、これはご購読者限定のスクープ発信がどれくらいのインパクトを持つか、試させていただいたのである。
手前ミソかもしれないが、効果テキ面。22日の日本経済新聞夕刊は1面3段で追いかけたし(NIKKEI NETの記事参照)、他の一般紙も23日付朝刊で追いかけたから、メルマガのスクープは東証や各メディアを震撼させ、担当記者を走らせた。
雑誌メディアがウェブを武器に既存メディアをここまで振り回したのは、おそらく日本では初めてのケースではないか。だから、弊誌は必読なのですよ、と言ってしまってはヤボだからここはぐっとこらえよう。
とにかく22日午後には東証の西室泰三社長の定例会見が予定されていた。いわば狙いすましてのスクープなのだが、的中した。私は所用があって傍聴できなかったが、配布資料(会見の一問一答は22日午後10時現在未公開)によれば、事前にみずほ問題はテーマにあがっていなかった。FACTAのメルマガで流れた情報をもとに、兜クラブ記者が質問したのだろう。今後、一問一答が公開されるのを楽しみに待つことにしよう。
さて、予告ブログで約束したことがある。「ご購読者以外を締め出すわけではありません。このスクープが新聞やテレビ等で後追いされましたら、このブログでも無料公開します」。そこで早くも、ご購読者限定のメルマガにどんな記事を送ったかを全文公開しましょう。
読めばお分かりになると思うが、東証側の発表と二カ所違いがある。支払い期限は「9月末」でなく「9月中旬」が正しい。また請求金額は407億円の損失の「全額」でなく「ほぼ全額」の404億円である。これぐらいの差は大目に見てほしいところです。
東京証券取引所が絶体絶命!みずほ証券が400億円支払い請求
昨年12月8日にみずほ証券がジェイコム株の売買注文を誤発注し、407億円の損失を被ったトラブルで、みずほファイナンシャルグループは「取り消し注文が受け付けられなかったのは東京証券取引所のシステムに瑕疵があったからだ」として、東証に9月末を期限として全額の支払いを求め、応じなければ損害賠償訴訟に踏み切ると通告した。
みずほ証券の福田眞社長、横尾敬介副社長ら首脳陣は、「東証のシステムの瑕疵を法的に証明できる」と自信を見せており、文書で東証に支払い請求を行うとともに、8月半ばまでに東証の代表権を持つ西室泰三社長、飛山康雄専務に会って口頭でも告げている。
東証の資本金は115億円、資本準備金などを合わせた株式資本が855億円(05年度末)。みずほに400億円を支払うと、財務諸表上は株主資本の半分が吹っ飛んでしまう。しかも東証は現在、500億円かかるといわれる新システムの導入を検討しているが、旧システムの除却損が100億円単位で発生するとみられ、現預金などの手元資金は300億円余との見方もあり、 400億円を支払えばキャッシュフローが枯渇する“絶体絶命”に陥る。
日本の資本市場の総本山に大穴があく事態に、西室社長は愕然としたという。「東証プロパー」組の飛山専務、長友英資常務が、みずほとの損失分担交渉の途中経過の詳細と危機的状態を西室社長に故意に報告していなかったからだ。
東芝から助っ人できた西室社長に対するこの“面従腹背”は、誤発注問題で引責辞任した鶴島琢夫前社長、吉野貞雄前専務らプロパー組OBが裏で糸を引き、イエスマンだった飛山専務と長友常務に「西室には一切言うな」と緘口令を敷いていたという。しかし外様とはいえ、西村社長がプロパー組をコントロールできず、事態を正確に掌握できなかった責任も大きい。
みずほ側は事前に金融庁に打診しており、東証に400億支払い請求を突きつけていいかどうか、と問われた与謝野馨金融担当相は「ノー」とは言わなかったという。このため、資本毀損に直面する東証に対し、西室社長はもとより、飛山、長友氏らプロパー役員の一掃を代償にして、融資など公的資金で支えるのではないか、との観測が広がっている。
東証は歴代大蔵省(現財務省)幹部の天下り先だったため、ひたすら既得権を守ろうとする「プロパー」のモラルと能力の低さが骨まで染み付いている。システムトラブルが相次いで、NTTグループから最高情報責任者(CIO)を招いたものの、陰に陽にスクラムを組んで保身に走るプロパーのせいでこれも機能していない。
東証の取締役には、奥田碩日本経団連前会長のほか、氏家純一野村ホールディングス会長らが名を連ねる。この緊急事態は、東証が一昨年6月に定めたBCP(緊急時事業継続計画)を発動してもいいほどで、日の丸資本市場の屋台骨をかじってきた東証プロパーの “ネズミ”たちにどんな罰がくだるのか、見ものである。
予告スクープ――メルマガで22日朝発信
FACTAは8月22日午前6時を期して、本誌に載っていないスクープを報道します。
FACTAはこれまで、このブログや本誌誌面で幾多のスクープを報じてきましたが、今回はメールマガジン「FACTAオンライン」を使って、本誌ご購読者に限定してお伝えする実験を試みます。ブログや記事の無料公開(フリーコンテンツ)はアクセスを待つ受身形ですが、これはFACTAから能動的に発信するものです。
ご購読者に一足先にサービスしようというものですが、ご購読者以外を締め出すわけではありません。このスクープが新聞やテレビ等で後追いされましたら、このブログでも無料公開します。これはスクープに自信のあるFACTAならではの試みです。
メルマガ「FACTAオンライン」は最新号の目次や読みどころなどの内容紹介として、7月20日の8月号発刊時から実験を開始しました。9月20日(10月号発刊)が本格スタートですが、今回はその臨時版「FACTAエクスクルーシブ」としてお送りします。
このメルマガは、本誌購読をお申し込みいただいた方々のうち、メールアドレスを記入された方にお届けすることができます。ご購読者のなかでメールアドレスを記入されていない方は、support@facta.co.jpまで愛読者番号を記入のうえお知らせください。メルマガ配布をお断りになられた方で臨時版をご覧になりたい方は、上記アドレスにメルマガ配布了解のお知らせをいただければ幸いです(※明日6時配信のメールマガジンを希望される場合は、本日18時までにお知らせください)。
今回お送りするスクープは本物ですが、メルマガによるスクープ発信はあくまで市場調査を兼ねた実験です。今後も随時発信して定着させていく予定ですが、メルマガの配布をご希望される方は、このサイトのご購読申し込みページで所定手続きをお願いします。
さて、大言壮語して大丈夫か。とにかくお楽しみに!
手嶋・阿部緊急対談――英国テロ未遂と日本3
英国のテロ未遂をめぐる手嶋龍一氏との緊急対談の最終回を掲載しよう。
夏休みのピークだから、空港で立ち往生した日本人観光客がテレビカメラでとらえられていた。淡々としている。「かえって安全になる」と空港での長時間チェックインも我慢している。不便にも従順に耐える日本人らしい。
が、彼らに当事者意識は薄い。のほほんとしているが、ヒースローとアメリカを結ぶ大西洋便が厳重警戒でテロがしにくいとなったら、テロ犯はどうするか。警備の薄いところ、しかもテロの大義名分の立つところを狙うのが道理だろう。ブッシュ寄りどころか言いなりで、国会で無茶苦茶な答弁をしてイラクに派兵したものの、現地では内弁慶でひたすら安心立命に終始し、一兵も減ずることなく帰還させた不思議な国があった。
その首相はメンフィスでプレスリーの物まねをしておどけるヒョウキン族。しかも大国の割にインテリジェンスはお粗末で、テロに対するガードは薄い。あなたがアル・カイダだったらどうしますか?
阿部英国のヒースロー空港発の旅客機を狙った今回の同時多発テロは未然に防げたとしても、アル・カイダや彼らに共鳴するイスラム過激派が次にどこを狙うかが問題です。順当に考えれば、アメリカのイラク戦争に寄り添ってきた国で、イギリスに次ぐ親ブッシュの国が狙われるのは、いわば当然といえるかもしれません。
手嶋事件にまではなっていませんが、アル・カイダの系譜に連なるイスラム系の過激派組織の一員が、日本海側の都市に出没しているというインテリジェンスが確認されています。日本は情報収集の制度面でも、海外に配置するエージェント(工作員)の面でも、インテリジェンス大国イギリスとは比ぶべくもありません。心ある人々は、一刻も早くできることから対策を、と考えているはずです。
阿部イギリスの例で見てみると、インテリジェンスの参謀本部と言っていい「合同情報委員会」(JIC)の機能が、いい参考になると思います。この委員会を構成しているのは、外務・連邦省、国防省、内務省、警察の次官級高官、それに対外情報を担当するSIS(俗称MI6)、それとスパイやテロリストの国内浸透を阻むカウンター・インテリジェンス組織のMI5、電波傍受などを政府通信本部、国防省情報部のトップですね。いわば政府横断組織なんですね。
手嶋政府組織というものは、どこの国かを問わず徹底した縦割りです。しかしインテリジェンスにとって官僚の壁ほど有害なものはない。英国の合同情報委員会は省庁のナワ張りを突破して、良質のインテリジェンスを吸い上げる強力な装置となっています。そして、JICが膨大なインテリジェンスの中から、どの情報を首相をはじめ閣僚たちに報告すべきかの評価を行うのです。
阿部玉石混淆の情報を選別できるか否かが、インテリジェンスの死命を制します。日本の内閣も英国方式を真似て合同情報会議を設けていますが、イギリスと決定的に違う点は、そこに情報を評価する頭脳、優れた評価スタッフを擁しているかいなかですね。
手嶋まさにその通りです。JICの心臓部は、政府の参謀役をつとめる評価スタッフなのです。関係各省から選りすぐられて派遣されているスタッフは40名にも満たないのですが、少数精鋭の典型です。彼らがおびただしいインテリジェンス報告の中から、真に価値あるものをえりわけ、首相に直接手渡すべき評価報告の筆をとるのです。
阿部少数精鋭であればこそ、彼らは関係省庁のあらゆるインテリジェンスへのアクセス権を持っているわけですね。
手嶋このアクセス権がどれほど重要かは、日本の現状を見れば明らかです。日本の内閣に直属する合同情報会議のメンバーが、警察の警備・公安情報、外務省の極秘のインテリジェンスにアクセスしようとしても、そこには厚い「省益」の壁が立ちはだかります。
阿部日本でも警察の警備・公安人脈に連なる人々が、インテリジェンス機関を持つべきだと盛んに主張しています。それはその通りなのですが、彼らも官僚OBなので「省益」の壁には総論賛成、各論反対になります。警察庁の公安情報を外務省出身のスタッフが覗けるとなったら、看過できるでしょうか。しかし壁を残したままインテリジェンス機関を新設しても、何の意味もありません。
手嶋日本を襲うかもしれない国際テロの脅威に対抗するためには、実は新たな組織や法律の大幅な改正などそれほど必要ではありません。内閣に直属する合同情報会議に、官民から一級のスタッフを集め、彼らに政府部内のインテリジェンスへのアクセス権を保証するだけでいいのです。
阿部皮肉なことに、そうした「省益」の壁をひとりで突破して、政府内のインテリジェンスを集めた異能の人が、かの「外務省のラスプーチン」佐藤優氏でした。そのインテリジェンスの質は大変高かったのですが、厳然とあるアクセス権の壁を、鈴木宗男氏という政治権力を背景に乗り越えてしまった。それが官僚組織のジェラシーを招いたと言えます。
手嶋「ラスプーチン」事件は、官僚機構の壁がいかに分厚くて高いかを象徴的に物語っています。次期総理に問われているのは、官僚機構の抵抗を押さえきってインテリジェンスを吸い上げる政治的リーダーシップをどのように発揮するかなのです。
北朝鮮のミサイル発射をめぐって、小泉官邸が水際立ったオペレーションを遂行したという情報が、ことさらに流布されています。それは、日本政府の内部に埋もれているウィークポイントを覆い隠したい、という意図の無意識の反映だとも言えるのではないでしょうか。
阿部インテリジェンスには「成功すれば千人の父親が現れるが、失敗すればたちまち孤児になる」という格言がありますね。小泉官邸の手前ミソは、日本のインテリジェンス・コミュニティの未熟さを浮かびあがらせています。
(3/3:終わり)
手嶋・阿部緊急対談――英国テロ未遂と外交2
英国のテロ未遂をめぐる手嶋龍一氏との緊急対談の続きを掲載しよう。「ウルトラ・ダラー」の筆者と、「イラク建国」の筆者である小生が、90年代にロンドンで戦わしていたエスピオナージュ論の延長です。
英国のタブロイド紙には、インテリジェンス機関に人脈を持つ専門記者がいて、こういう戦果を華やかに書き立てる。一流紙は自制するが、インテリジェ ンス機関も宣伝と割り切ってタブロイド紙にはあれこれ情報を流す。たとえは悪いが、日本の公安が毎年恒例のように流す北朝鮮やロシアへの禁輸品密輸摘発のリーク記事と同じだ――騒ぐまでもない。公安の存在意義を誇示するための花火のようなものだ。
だが、それに目をくらまされてはならない。情報戦の勝利は、必ずしも外交を含めた安全保障戦略の勝利を意味しないからだ。今回もまた然り。テロを防いだインテリジェンスは鮮やかだが、テロの根を絶てていないからこそ、水際でかろうじて食い止めたに過ぎないとも言える。
阿部イラクの泥沼で憂色の濃かったブッシュ政権は、今回のテロ未遂事件で息を吹き返したんですかね。「それみたことか、やはりテロの脅威は去っていない」と、対テロ戦争を正当化しようとしています。しかし、今回再びテロの脅威が表面化した事実は、対テロ戦争の 実があがっていないことの証明ではないでしょうか。
手嶋ブッシュ政権は今度のテロ組織の摘発を武器に、11月中間選挙の劣勢をはね返そうとしていますが、はた してその思惑通りにことが進むかどうかは疑問です。ブッシュ共和党政権は9・11事件を決定的な追い風に、アフガニスタンからイラクへと先制攻撃を仕掛けていきました。しかし大義なきイラク攻撃の誤りが、今度のテロ摘発によって帳消しになるとはとうてい思えません。
阿部今回のテロがロンドンとパキスタンを舞台としていることは、パキスタンの隣国アフガニスタンの問題が依然片付いていないことを示しています。アメリカはタリバンを放逐して新政府を樹立しまたが、そのあと直ちにネオコンの主張に従ってイラク攻撃へと矛先を向けてしまいました。
手嶋現在のブッシュ政権の際立った特徴は、中東での対決を決定的に重視し、アジアをないがしろにしているところにあります。政権内部で知的タスク・フォースを形づくり、「ネオコン」(新保守派)と呼ばれる人々は大半がユダヤ系で、左翼から右に転向してきた「力の信奉者」たちです。このため、ネオコンはイスラエルの安全保障をアメリカの安全保障と同様に重く見る人々なのです。
世界第二の石油埋蔵量を誇るイラクの地に、安定した親米政権を打ち立てることこそ、イスラエルにとって何よりの安全保障と彼らは考えたのですが、現在のイラク情勢が物語るように、その目論見は大きくはずれ、アメリカ外交はいまベトナム戦争以来の苦しみのなかにあります。
阿部ブッシュ政権のイラクへの転戦によって、アフガニスタンはまたも列強に見捨てられたということでしょ う?一種の力の空白が生じているうえに、アフガン人のなかで多数派を構成するパシュトゥーン人のあいだでは、タリバンの勢力が盛り返し、最近は反政府テ ロが頻発して、駐留軍も治安に手を焼くようになっています。地下に潜伏したオサマ・ビンラディンらアル・カイダ勢力の残党も、依然、パキスタン国境地帯近 辺にかくまわれていると見られ、今回のテロの策源地になったと思われます。
手嶋アメリカは、パキスタンという「グレートゲーム」の要衝を再び失う危険があると言ってもいいのではないでしょうか。
阿部19世紀に南下政策をとるロシア帝国と、植民地インドを守りたい大英帝国の葛藤が「グレートゲーム」ですよね。いまその大国の衝突はないとはいえ、世界有数の麻薬生産地であり、イスラム過激派の坩堝であるこの地は、グレートゲームの名づけ親である文豪キップリングが書いたように、今なお形を変えた戦争の最前線であることに変わりはない。
手嶋私はブッシュ大統領が、対イラク攻撃を決断したときから、一貫してイラクへの力の行使はやがて猛毒となってアメリカ外交を麻痺させると言ってきました。けして現在の混迷を見て、後講釈をしているわけではありません。ネオコンに引っ張られるような形でイラ クのサダム・フセイン政権の転覆に突き進んでいったその決断が誤りだったと言えるのではないでしょうか。
阿部イラク侵攻の過ちの第一は、脅威の優先度について判断ミスを犯したことで、脅威が切迫していたイランと北朝鮮を後回しにしたことでした。第二は脅威を根絶しないうちに次に手を広げて、いたずらに戦線を拡大したことだと思えます。
手嶋ブッシュ大統領は「悪の枢軸」としてイラク、イラン、北朝鮮を挙げました。ブッシュ大統領の内在的な論理では、より悪いのはイラク、イラン、北朝鮮の順でした。しかし、核兵器の拡散の脅威という点では、北朝鮮、イラン、ずっと離れてイラクという順だったのです。この点でもブッシュ政権の戦略的判断が誤っていたことになります。
阿部通信傍受や偵察衛星でカバーできないHUMINT(人的インテリジェンス)に弱いことが裏目に出たのではないでしょうか。
手嶋情報面でもアメリカの緊密な同盟国であるイギリスは、北朝鮮はともかく、イラクやイランでは一日の長があったはずです。キム・フィルビーの偉大な父ジャック・フィルビーの存在をあげるまでもなくね。しかし、こと対イラク戦争に至る過程では、英国にも見るべ き成果がありませんでしたね。
阿部「グレートゲーム」の末裔たちはホゾを噛んでいたのかもしれません。91年の湾岸戦争後にイラクが経済制裁で“鎖国化”させられましたが、この時期にイラク内のインテリジェンス資産をイギリスも失っています。それが大きかったのでしょう。
(2/3:つづく)
手嶋・阿部緊急対談――英国テロ未遂と諜報1
今月も手嶋龍一氏との緊急ミニ対談を載せます。もちろん、「8・11」を狙ってロンドン発アメリカ行きの旅客機7機を爆破するテロ計画が摘発されたからだ。またも締め切りの「エアポケット」である。くやしいけれど、お盆中に印刷する次号(9月号、8月20日刊行)の「FACTA」ではカバーできない。
が、11日土曜、手嶋氏から電話がかかってきた。「また例の緊急対談をやりましょうか」。一も二もない。12日にテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」に出演したあと、彼がわが御茶ノ水のオフィスに来て、この対談を原稿にした。「早いねえ、あっという間にできちゃうねえ」と二人で感心した次第である。
今回も手嶋氏のオフィシャルサイトとタイアップしているので、そちらも参照してください。
阿部インテリジェンスの世界から見れば、今回のテロ未然防止は、久々に英国の情報機関があげた「クリーン・ヒット」に見えます。
手嶋確かにその通りです。しかし、インテリジェンス・ワールドでは「錯誤の葬列」という言葉があるほど、失敗の連続がむしろ常態なのです。
阿部禍福は糾える縄のごとしと言います。9・11以降をとってみても、英米のインテリジェンス機関は大きな過誤を三つ犯していますね。まず、イラク侵攻の大義名分となったイラクの大量破壊兵器保有の情報は、誤ったインテリジェンスに基づくもので、侵攻後の調査では大量破壊兵器開発の証拠は発見されませんでした。
第二にアル・カイダとサダム・フセインの関係。これも侵略前は、フセインこそアル・カイダの後ろ盾という先入観に惑わされていたわけで、結局、両者を直接的に結びつける証拠は見つけることができませんでした。
第三は昨年のロンドンの地下鉄・バス爆破事件です。同時多発テロで50人以上の死者を出す惨事を許してしまいました。お膝元で起きたこの事件で誰もが驚いたのは、9・11事件のように潜入してきた外国人イスラム教徒ではなく、英国在住イスラム教徒の若者が多くこの事件に関与していたことでした。
手嶋これほどの失敗が重なれば、常のインテリジェンス機関なら、立ち直ることができません。しかし、さすがは老情報大国、イギリスです。失敗の教訓をことごとく我が物として、今回復活を果たしたといえます。かつて、冷たい戦争のさなかに、クレムリンの二重スパイ、キム・フィルビーを生んで壊滅の危機に瀕した英国情報機関が、不死鳥のように蘇ったことを思わせます。
阿部昨年起きたロンドンの同時多発テロによって芽生えた英国民の強い危機意識を利用しながら、防諜インテリジェンス機関であるMI5は、スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)と巧みに連携しながら、英国のイスラム社会に静かに浸透し、仕返しのリターンマッチを策したのでしょう。
手嶋ではここで、何が事件摘発の決め手になったかを検証していきましょう。昨年のロンドン同時多発テロ事件では、あわせて千人を超えるイスラム教徒の若者たちを英国当局は拘束しました。この人々こそ、テロをめぐるインテリジェンスの「豊穣の海」だったのです。エース級の尋問官を差し向け、一級のインテリジェンスを彼らから引き出す。そして言葉巧みに寝返りを勧めて、当局の二重スパイに仕立てあげ、再びイギリスのイスラム教徒のコミュニティに泳がせていたと言われます。
阿部アメリカは膨大な予算をかけて、NSA(国家安全保障局)のような電波傍受や、国防総省などのスパイ衛星による偵察――SIGINT(通信インテリジェンスの略称)やCOMMINT(コミュニケーション・インテリジェンスの略)に力を入れています。その分、スパイなど生身の人間が直接相手の懐に潜入して情報をとるHUMINT(人的インテリジェンス)が手薄と言われますが、それと対照的に英国のインテリジェンスは伝統的にHUMINTを得意としていますね。
手嶋ちなみに、北朝鮮の場合は、ミサイル情報の大半が前者のCOMMINTなどによるもので、政権中枢にエージェント(工作員)を送り込んで情報をとるHUMINTを決定的に欠いています。このため、先のミサイル発射のようなケースでも、発射の「Xデー」に十分迫ることができずにいるのです。
阿部今回、事件摘発の決定打になったと言われるのは、パキスタンにいた英国国籍を持つイスラム教徒ラシッド・ラウフが、イギリスにいた弟のタイブ・ラウフと交信したeメールを傍受したことだったそうですね。
手嶋ええ、まさにこれが捜査の突破口となりました。しかし彼らとて、メールが当局にのぞかれる可能性は承知の上で、かなりの偽装工作を試みています。インターネット・カフェで多くのイギリスの若者にまぎれてeメールを交わしていましたが、英国当局はロンドン西郊にあるレディングで現場を押さえたのです。
当局は押収したコンピューターに内蔵されていた電子情報を徹底的に解析したと言われています。アメリカの9・11同時多発テロ事件の際も、決行の前月である8月には、主犯モハメド・アタルらがラスベガスのインターネット・カフェで交信をしていました。しかし、その事実を当局が確認したのは、3000人もの死者を出したあとでした。
阿部摘発後、イングランド銀行が容疑者の名前を公表、資産を凍結しましたね。
手嶋金融当局が情報当局とこれも巧みな連携をとりながら、資金の流れの全容を解き明かしていたことを裏付けています。イスラム系の慈善団体の存在を利用して、現地に送金するルートをつくるなどにより、イギリス国内の支援組織とパキスタンの組織を結びつけ、活動を資金面から支えていたのです。
阿部ここまでくると、アル・カイダとの関係が浮かび上がってくると考えていいのでしょうか。
手嶋少なくともイギリスの情報当局は、これらイスラム教徒の若者たちとアル・カイダを「実線で結びつける証拠を握っている」としていますね。
(1/3:つづく)
インタビュー:鳥越俊太郎氏(5)――100%真実な情報はない
「オーマイニュース」編集長、鳥越俊太郎氏とのインタビューの最終回。真実という山頂をめざして一歩一歩ちかづいていくという一方通行の従来型ジャーナリズムのほかに、双方向というインターネットの機能を生かして、地震のような誰もが遭遇する共通体験を塊として直接提示する可能性があるのではないか、という議論になった。
プロのディレクターやデスクの選別フィルターを通さない「万人のための万人によるメディア」という可能性である。そこには刻々修正されていくフィードバックの可能性もある。そして最後に政治の武器となったときにどう使われるのか。
阿部僕らの世代にとって、ジャーナリズムの夢はファクツ(真実)をめざして山の裾野から頂上へ一歩でも近づくというストーリーが基本でした。でも、全く違った報道の仕方があってもいい。例えば阪神大震災のように、全員が体験したことはそれ自体が一つのファクツであって、それを一斉に市民記者が投稿してくる場合には、何が真実かではなく、ファクツの集合体として真実があることになる。塊としての真実。「オーマイニュース」はそういう行きかたができるのでは。
鳥越人間が扱っている情報は、100%真実だなんてことはあり得ない。本当だろうと思うけれども、もっと調べると、もっとさらに裏があるとか、ちょっと見方を変えると違って見えたりとか……。新聞の記事も、テレビも欠陥商品だと思っているんです。
だから、これは違ったなと思った時点で全部訂正をしていけばいい。修正をして、訂正をしていくことによって、より一歩でも真実なものに、ちゃんとした商品に近づける努力、これがジャーナリズムの原点だと思っているんです。真実というものはわからない。しかし、真実に一歩でも近づこうとする努力、その努力の中にジャーナリズム精神があると僕は思っている。
インターネット新聞も、1回出した記事にその後いろいろな反応が来て、どうも違うぞと、もう1回調べ直す。わかった時点で更新をして「ごめんなさい」と「何時何分に出したこうこうこういう情報は新しい情報がもたらされて、この点で間違っていました、ほんとうはこうです」と書けばいい。しかしこれも100%真実だと言い切る自信はないんだけど、とりあえず私たちが今つかんだ情報はこれです、という形で出していけばいい。間違うことを恐れていたらできませんよ。
阪神大震災級の大事件が起きた場合、インターネットが生きている限り、毎分更新もあるかもしれない。全員が張りついて入ってくる情報を次々と更新していく。場合によっては、中継もあるかもしれない。(同時進行メディアとして)テレビはよく似たところがありますが、テレビも時間でわりと区切られていますから、そんなに長く中継はできないんですね。ネットの場合、常に更新ができるのはメリットであり、ひょっとしたら大変なデメリット、負担かもしれない。
阿部刻々更新されていくと、流言飛語を増幅してしまう怖さがあります。しかし、書き手はどこかで自分を突き放さないと記事が書けませんから、投稿によってショービニズムの熱を冷ますことを期待できるかもしれない。「オーマイニュース」は大衆をデモクラシーに誘導する装置になることを考えていますか。
鳥越第二次大戦中は大政翼賛会や治安維持法があって、何もものが言えなくなって、メディアはわあっとそれに乗っかった、それは日本の歴史ですよね。おそらく今でも日本人は、そういう遺伝子は持っている。だから、そういう意味では、すごく怖いとは思っていますよ。でも、戦後60年経って違った教育を受け、違った社会で生き、世界中に開かれて、いろいろなものを見たり聞いたりしてきた人たちがつくっている社会に日本はなったんです。戦争中と同じようなことは起きないだろうと、そうならないようにする人たちが相当程度いるだろうと思います。
そういう人たちとともにやりたいなということですよね。やってみないとわからないが、手ごたえとしては既にいろいろあります。市民記者は登録済みで200人は超えている(※編集部注:8月7日時点で557人)。(市民記者の登録は)もうちょっと1万、2万人の単位にならなきゃだめなんですけど、これはまだほんの入口ですけから。
阿部今、市民記者に登録されている方は、どんな方々なんですか。
鳥越まだ、ちゃんと集計できていないんですけど、仮登録した人は本当にさまざまですね。普通の会社員もいるし、弁護士だとか、地域医療のお医者さんとか、それから市民運動の人とか、メディアの人も、もちろん結構います。僕が知っている何人かは、やっぱり新聞記者になりたかったけど、でもなれなかった、結婚して子どもができちゃったけれど、やっぱりあのときの思いは捨てきれない、というような人はやっぱり来ているわけですね、
非常に新しい実験ですからね。幸か不幸かブログのおかげで、みんな書くことには抵抗感がなくなってきているようです。名文記者みたいな人がそんなにいるとは思えないですけど、結構世の中に飛び交っているブログでも、おもしろく書けているのはありますから。既存のジャーナリズムではなかなか隠れたる才能というのはわからないけど、「オーマイニュース」ぐらい広く募集すれば、かなりいろいろな人が発掘できるかなと思っています。
「オーマイニュース」の認知度が上れば、想像できないぐらい多種多様なさまざまな職業と年齢の人たち、女性、男性を含めていろいろなところから来てくれるのではないかな。「開店ブログ」では、2ちゃんねるのことをゴミ溜めと言った僕の発言に反応して、わあっとすごく来ている。ネガディブに考えれば大変なことだなと思うけど、これはこれで宣伝効果はある。計算してやったわけじゃないんだけれども、ネットの社会に住んでいる人には「オーマイニュース」という名前はかなり浸透したんです、おかげで。
ネットというのは、そういう意味じゃ、僕は怖いと思う。韓国でノムヒョン大統領が誕生した背景にはネットがある。これはプラスなのか、マイナスなのかはわかりませんけど、おそらく政治的には力になったわけでしょ。日本ではまだ今のところ、そこまで行っていないけど、いずれ大きなツールになっていくんでしょうね、きっと。
(5/5)
インタビュー:鳥越俊太郎氏(4)――メディアが戦争を起こした
「オーマイニュース」編集長、鳥越俊太郎氏とのインタビューの第4回。話は佳境に入ってきて、メディアが「差別」のようなネガティブな感情を排除できるかどうか、という微妙な問題にさしかかった。鳥越氏はメディアがそれに加担し、煽れば戦争に突き進むことになるという強い危機感を持っている。それは彼の歴史観と言っていい。
私個人はメディアには必然的にノイズが入り込むと考えていて、それを完全に浄化することはかえってメディアの生命を弱めるかもしれないと考えている。「必要悪」とまで居直る気はない。しかし、ノイズとの緊張感なしに商業メディアが成立するとも思えない。それを抱え込んで黙って悶々とするしかないというのが正直なところである。
阿部「責任ある参加」を書き手に求めて、匿名の書き手や情報を排除していくと、メディアとしては純粋になりますが、社会の陰の部分が反映できなくなりませんか。
鳥越「オーマイニュース」は一応登録制にするんですけど、いちいち身元調査に行くわけじゃないから、偽装しようと思ったら不可能ではない。そこまで全部疑ってかかれるかどうか。でも、陰の部分が反映されないとどうなのかは、重要な指摘だと思いますね。
阿部例えばスキャンダリズム。テレビにもあるし、週刊誌にもある。名誉を棄損されるほうは耐え難いんですけれども、残念ながら日本人のみならず全世界の人間が他人の内幕を覗きたいという好奇心がある。それが人間の現実だとするなら、それを排除することは、メディアという鏡に死角をつくることになりませんか。悩ましいことですが。
鳥越それはだから、スキャンダル専門のメディアがあるでしょう。一つのメディアで全部をカバーすることはできないので、のぞき趣味専門のメディアはそれで生きていくわけですよ。それを我々がやる必要はないわけです。
日本人というか人間が、表現はしないけど非常に強く心の中に思っているネガティブなものはあります。例えば差別。人前では言わない。しかし、心の中に持っている。こういうものが実際に表に出てきたときは何かと、過去の歴史をひもといてみたら、すべて戦争ですよ。だから、そういうものを表に出して煽ることは、お互いのためによくない。
中国や韓国、日本には、反日や反中や反韓の感情があることは事実ですが、それをメディアが取り上げて拡大することによって、何が起きるか。戦争ですよ。過去の人間が犯してきた、おそらく何千年前から犯してきた歴史を見ても、必ず宗教と人種の差別に基づく憎悪や蔑み、人間の持つネガティブな暗い感情が行動となってあらわれる、それが戦争ですよ。
ネガティブな部分があることは否定しませんが、僕のメディアでバアーッと表出させることはやりたくないですね。むしろ、そういうことがあることを指摘してちゃんと論評し、意見を闘わす。匿名ではなくて、ちゃんと名乗って私はこう思うと言うなら、問題ない。
阿部「オーマイニュース」発祥の地はもともと韓国です。ご承知のように朝鮮半島の緊張について日本人の大半はストレスを感じていますから、「オーマイニュース」日本版についても一種政治的な色眼鏡で見られる可能性があります。
鳥越(色眼鏡で)見るやつはいますから、しようがないじゃないですか。反論してもどうこうなるものじゃないんです。つまり論理じゃありませんから。理屈でなくて、そういうことを言う人たちの心の中に巣くっている差別感情ですからね。そんなことを言ったら、じゃあ、韓国とか、中国だけなのか、アメリカに対してはどうなるのか。
日本にとって危機的な問題はアメリカかもしれない。最も多く日本人が殺されたのは、どこの国によってですか。原子爆弾を2発落とされたアメリカでしょ。今でも日本の国土を基地として持っているのはアメリカでしょ。その国に日本は、税金から何千億円もあげているんですよ。そしてイラクに連れて行かれて、アフガンに駆り出されて、次はおそらく台湾か、北朝鮮かわかりませんが、そういうアメリカの、アメリカによるアメリカのための紛争ですよ、戦争ですよ。
それに日本は引きずりこまれようとしている。これだって危機ですよ。韓国や、中国のことを言うけれども、ほんとうの危機はこっちかもしれない。それについてちゃんとした、きちっとした理屈で言論として来る分には、それは全然問題ない。議論を戦わせればいいじゃないですか。
阿部だけど、「オーマイニュース」のような形で、市民記者も入れ、専門記者も入れて融合でやっていくときに、ショービニズム(盲目的愛国主義、jingoismともいう)みたいなものは否応なく入りこんでくるのでは。
鳥越少なくとも僕が編集長をやっている限りはショービニズムはとりません。ショービニズムこそ、過去の悲劇的な戦争を引き起こした最大の主役であることを知っているからです。僕は一応、大学は専攻が日本史ですからね。最もやっかいな、そして最も国民を熱狂に落し込むものは何なのか。ショービニズム以外の何ものでもないですよ。では誰が煽るのか、メディアなんです。その反省をしなかったらできないですよ。
阿部良し悪しは別としても、「売らんかな」のメディアは、意識的に左派路線より右派路線のほうが売れると割り切っていますよね。
鳥越僕は日本人もそう捨てたものじゃないと思っているんです。今、安倍官房長官を(次期首相に)望む人が60%ぐらいいるから、多数派ではないけど、煽られないでちゃんとものをきちっと見ようよという人はゼロじゃない、何がしかいる。ある程度ビジネスとして成り立つことは成り立つだろうと。そうでなかったら、戦争になっちゃいますね、日本も。(ジャーナリストを)ずっと40年やってきて、だんだん日本の国が傾いているのはすごくよくわかる。やっぱり冷戦が終わってからですね、バランスが壊れて急激に傾き始めてますね。
(4/5:「100%真実な情報はない」へつづく)
インタビュー:鳥越俊太郎氏(3)――日本は捨てたもんじゃない
「オーマイニュース」編集長、鳥越俊太郎氏のインタビューの続きである。「ブログサイトはゴミためか」という議論から、鳥越流の「責任ある参加」論に発展した。彼はしきりと、日本も捨てたもんじゃない、と希望を語る。
そこで少しばかり、年齢差を感じた。私はまだ鳥越氏ほど楽観できない。「参加」と聞くと、1960年代末の「アンガージュマン」を思いだしてしまう。戦後民主主義に対して、いや、そこで語られた民主主義の理想像に対して、どうしても幻滅が消えない。かといって、反中国、反韓国、反米国にいきりたつ「ゴーマニズム」も、「諸君!」や「正論」や「Will」の論者たちにもシンパシーを感じない。
鳥越アメリカでは、テレビはモザイクを入れた人の証言とかコメントは使わない。使えないんですよね。なぜならば、顔を隠してしまったら、それは信頼できない、責任ある発言とは言えないからです。ところが日本は、テレビは今でも平気でモザイクを入れてつくるでしょう。あれはテレビ局が本当だ、本当だと言っているだけで、テレビ局もひょっとしたら騙されているかもしれない。もし顔を出して証言をするとしたら、証言が間違っていれば、知っている人から必ず何か連絡が来て検証できるんですよ。でも、顔を隠すことによって、検証できなくなっている。
今の日本のテレビメディアはそれで成り立っているけど、これは責任ある参加ではない。無責任とは言いませんが、半責任ぐらいの参加だと思っているんです。21世紀の日本人は少し成熟して、責任ある参加をメディアを通じて、いや、インターネットを通じてできないかと思うんです。「オーマイニュース」はそういう実験だろうと。
それができなきゃ、政治は投票率も上がらないし、日本はいつまでたっても政治も状況も変わらない。社会も変わらない。でも、僕は、日本も捨てたものじゃないと思いますね。例えば神戸の震災のとき、多くの若者がボランティアで来ていたでしょう。重油が海に流れれば、日本中から若者や中高年、定年を過ぎた人も来て手伝う光景があります。
豊かな社会になって、時間やお金にある程度余裕のある人たちが、単に無責任な参加ではなくて、責任ある参加をする社会になってきたんじゃないかなと思う。「オーマイニュース」を日本で立ち上げるときに、信を置くとすれば、そこしかない。一種の賭けですね。日本人だって捨てたものじゃない。
日本人ってやっぱりちゃんと生きていますよ、いろいろの社会で、場所で、職業でね。ちゃんとものを言いたい人はたくさんいる。時間はかかるかもしれないけれども、そういう人たちに認めてもらいたい。自分も何か発言したいとき、新聞やテレビや雑誌だけでなく、インターネットでなら簡単に発言できますよ、と提示し続けたい。
阿部ブログ論に話を戻しましょう。ブログって非常にプライベートですよね。自分の雑誌の場合、私的な声を何のフィルターもかけずに出すことはありえない。少なくとも我々ジャーナリストのトレーニングを受けてきた者に、それは非常に耐えがたいとことです。
では、ジャーナリズムの水準に耐え得るという条件は何か。僕らが新聞にいたときには、報じる前に一応裏をとった(裏付けを得た)。警察など官庁に依存していると完全な裏はとれないかもしれないけども、とにかく足を棒にして歩き回って裏をとる。しかし、インターネットで参加してくる市民記者たちは、ある程度自分の意見を言いたい人でしょう。裏取りの労を取らない、取れない人たちでは?こちらが期待しているのはファクツで……。
鳥越ええ、事実ですね。
阿部だとすれば、「オーマイニュース」は、プロのジャーナリストなら当然要求される裏付けを、訓練を受けていない市民記者にどう要求するんでしょう。ジャーナリズムの基準を満たしているという保証をどうするのでしょうか。
鳥越それはやっぱり一番の問題ですよね。最初から100%できるとは思いませんけども、できるだけ100%を目指してやりたい。そのためにスタッフがいる。「オーマイニュース」は市民記者だけではなく、専門の記者もいるわけですよ。
ニュースが10本あったら、もちろん一応全部チェックはしますよ、もう1回、裏どりする話は、おそらく1本とか2本とかでしょう。非常に重要なあることについて述べられている、これが事実でなかったら、この記事自体は全部載せられないというようなものがあるじゃないですか。それはケース・バイ・ケースですが、一応プロの経験積んだスタッフが直感で判断をしていくことになると思います。
私を含めてみんなで筆者とも話をし、場合によっては、別にこっちで裏をとらなきゃいけないことがあるかもしれない。それは雑誌も同じですよ。本人は絶対に間違いありませんと言ってきても、直感的に編集長がちょっとこれはやばいと言って、二重、三重に裏をとることもあるじゃないですか。それができるかどうかは、能力の問題はさておき、これからの努力しかないわけですから、やらなきゃいけない。
(3/5:「メディアが戦争を起こした」へつづく)
インタビュー:鳥越俊太郎氏(2)――責任ある参加と「炎上」
「オーマイニュース」日本版の編集長、鳥越俊太郎氏とのインタビューの続編をお送りする。前回、鳥越氏は「21世紀メディアの可能性は双方向性にある」と言い切った。確かに上意下達という統治システムが、既存の一方通行メディアにも知らず知らず染みついているのかもしれない。文明論に入ると鳥越氏は能弁になった。
さらに、鳥越氏がITmediaのインタビュー(7月10日掲載)で「2chはどちらかというと、ネガティブ情報の方が多い。人間の負の部分のはけ口だから、ゴミためとしてあっても仕方ない。オーマイニュースはゴミためでは困る」と語ったことにも触れることになった。ネット掲示板擁護派のコメントが「オーマイニュース」のサイトに殺到したからである。この事態そのものが、ネットとニュース・メディアの融合の難しさの象徴ではないかとも思えてくる。
鳥越これ(双方向性)はメディアのあり方だけではなくて、政治とか、経済とか、社会とか、日本の社会全体のあり方とも関係してくると思うんですよ。
欧米のように市民革命があって、市民が自分の力を自分で信頼し、獲得し、政治をつくり上げていくというのではなくて、遅れて植民地競争の中に入って行った日本は、非効率的なやり方ではなく、効率的なやり方を取らざるを得なかった。十分な資本蓄積が行われて、経済の発展がずっと地方から中央まで含めて起きて、その上にブルジアジーというものができて、その上に市民社会というものができるという形ではなくて、まさに薩長土肥と言われる藩閥政治が、上から近代化を急激に行ったわけですよね。
当然、庶民は受けとめるだけで、自分が参加することはない。ただ、お上の言うことを「はいっ」て聞く。その結果として東京大空襲、原爆2発という大変な惨害を受けるわけです。その結果、戦争はしなくなり、軍部はいなくなったけれども、戦後も基本的な構造は変わっていない。中央の省庁官庁が国会も含めてすべてを仕切っている。
もちろん、少しずつ市民の運動というか、市民が政治に参加する動きが出てきて、最近ではボランティアとか、NGOとか、NPOという形で、一般国民や納税者も何かに参加しよう、社会に参加しようという気運はないわけではない。
しかし、メディアのあり方だけを言うと、やっぱりメディアが一番遅れています。メディアとその受け手の関係は、相変わらず明治時代と同じ一方通行です。ところが、インターネットの出現と、通信手段のブロードバンド化によって、これが変わってきた。参加することができるようになった。これからは、情報を受けていた人たちも、自ら情報発信者としてメディアの中に加わる、そういう条件がようやく出てきた。
そこで大切なのは、参加するということ。もう一つは責任ということですよね。責任ある参加なんです。無責任な参加は昔からあるんですよ。匿名でいいかげんな無責任なことを言ったり、人を非難したり、中傷したり、誹謗したりすることは大昔からある。しかし責任ある参加、自分の名前をちゃんと出して発言するということは、非常に日本は遅れている。
阿部責任ある人たちの発言でもって「オーマイニュース」を構成するというのは、鳥越さんらしい明るい楽観論だと思いますけれども、2チャンネルなどのネット掲示板で氾濫する匿名の情報や意見に対して、鳥越さんが「ゴミ」と批判的なことを口にしたがゆえに、「オーマイニュース開店準備中ブログ」に罵詈雑言に近いコメントが殺到しましたね。
鳥越無責任な罵詈雑言みたいな、そういうことだけで自己満足になっているインターネットの社会はかなりあるんですよ、ブログは、かなりそういうところがあるんです。
そのためにサイトが炎上する。顔は出さないんだから、どこの誰か分からない。しかし、一丁前どころか、1.5人前ぐらい口だけ達者だという人たちが、わあっと襲いかかるわけですね。それはやっぱりすごくアンフェアです。それではいいものはできない、いい社会にはならない。密告社会みたいなものですから。
阿部2ちゃんねる投稿者とおぼしき書き込みが相当数あり、オーマイニュース開店準備中ブログは「炎上」したとも言われています。でも、罵詈雑言に対してサイトは閉じないということですか。
鳥越今はブログですから受け付けていますけど、本格的にインターネット新聞が創刊されたら、匿名は受け付けませんよ。だって責任ある参加ということを謳っているわけですから、無責任なものは受け付けません。そうでなきゃ、これをやる意味がない(※編集部注:8月1日よりブログへのコメントは市民記者の登録者のみの受付に変更された)。
新聞だって、雑誌だって、ちゃんとあなたは(発行兼編集人)阿部という名前を出しているでしょ。何か問題があれば、あなたは訴えられるわけでしょ。これが、やっぱりメディアの基本なんですよ。責任ある発言、責任ある参加なんですよ。それを安易にいっぱいアクセスして欲しいからといって、匿名でも何でもいいからいらっしゃいとやったら、これはもう根底からメディアとして崩れますよ。
ブログはそれでいいんです。匿名掲示板とか、ブログの存在を全く否定する気はない。彼らはそこで遊んでいればいいし、楽しんでいればいい。ただ、寄せられたコメントをお読みになって分かりますように、同じ批判でもちゃんとした批判もあります。しかし明らかに自主的偏見とか、差別的、あからさまな人種的な、これはとても読むに耐えないというようなものもたくさんあります。そういうものは、僕らは全く受け付けません。
(2/5:「日本は捨てたもんじゃない」へつづく)
インタビュー:鳥越俊太郎氏(1)――オーマイニュースの勝算
きょうから、「オーマイニュース」編集長に就任したジャーナリストの鳥越俊太郎氏とのインタビューを連載したい。「オーマイニュース」は韓国で生まれ、既存の新聞メディアの保守性を打破しようと、インターネットで市民記者を募集、専門記者と組み合わせるユニークな報道を定着させた。日本ではソフトバンクのバックアップのもとで、現在「開店準備中Blog」を開き、8月28日から正式にネット新聞としてオープンする。
鳥越氏とは個人的な縁がある。忘れもしない、1976年2月5日に米国の上院外交委員会で明るみに出たロッキード事件の報道合戦である。初めて相まみえて以来、ちょうど30年になるのだ。毎日新聞の「記者の目」に若き彼の写真が載っていたし、当時の私の写真も手元にある。ありきたりだが、若かったなあ、と言うほかない。
当時の彼は毎日新聞社会部記者、私は日本経済新聞社会部にいて、お互い国税庁記者クラブの応援に駆り出された身だった。鳥越氏はブラックジャックみたいに長い前髪をさっとかき上げて、国税記者クラブ常勤の田中正延記者の影武者のような行動をとっていた。坊やみたいな顔の私は事件取材のイロハも分からず、ただただ他社の先輩記者を恐れるばかり。いまは当時の記者のほとんどが第一線を退いている。
そのなかで、新聞から週刊誌(「サンデー毎日」)、そして今はテレビと舞台を移している鳥越氏が、今度はインターネットに挑戦すると聞いて、つくづくそのガッツに敬服した。ともに記者の青春をロッキードに捧げた世代として、ぜひ彼に聞いてみたいと思ったのだ。かつての事件記者の世界がほんとうにネットで復活できるのか。大衆社会を映して玉石混淆といわれ、ときに罵倒の嵐でサイトが「炎上」させられる怖いネットの空間で、昔気質の職人芸と正義感が通じるのかどうか。
2人の「ドンキホーテ」が忌憚なく語りあってみた。この対話は「オーマイニュース」のサイトとも連動するので、そちらも見てください。
阿部お互いになかなか往生際悪く、まだジャーナリズムの第一線に一生懸命しがみついていようとしていますけど(笑)。「オーマイニュース」編集長を引き受けられたと聞いて、大変だろうなと思いつつ、一度ご本人にインターネットをどうお考えになっているのか、勝算はあるのか、をきちんと伺いたいなと思いました。
鳥越結論から言うと、正直言ってやってみなきゃ分かりません。韓国で「オーマイニュース」という成功例が一応ありますし、諸外国に幾つかネット新聞みたいなものがあるので、可能性は全くないわけではない。じゃあ日本で、果たしてどこまでそれが成功するかというと、すでに「JANJAN」とか「ライブドアPJ」もやっていますよね。しかし、それが日本の社会、政治、経済に本格的な影響力があるような形で存在しているかというと、必ずしもそうとは言えない。そういう意味じゃあ、活字とか、テレビの影響力とか、存在感に比べたらまだ弱いですよね。いわゆるネットメディア、ネット新聞というのが、日本で本格的に成功した例はないというのが正直なところだと思うんです。
阿部僕自身もこの4月に自分の雑誌「FACTA」を創刊するにあたって、活字メディアだけでは限界があるので、じゃあ、サイトを開いてブログを始めるかとか、いろいろ試行錯誤しています。でも、いざやってみると、ネットと活字メディアは融合できそうでできないところがあって、なかなか難しい問題があります。
鳥越そういう意味で言えば、我々が成功すれば、初めての成功例になるだろうと思って引き受けたんですよね。僕が今までやってきたメディアと全く違う。新聞記者から始めて週刊誌に行って、テレビに来て、ラジオをやって、インターネットもやっていたけど、いわゆるこういう形のインターネット新聞というのは初めてです。いろいろな難しいところもたくさんあるだろうけれども、可能性もあるなと思った。
これまでのメディアは、我々プロフェッショナルな訓練を経た記者が、それなりの人脈とか、日ごろ持っている情報源から何らかのニュースを拾って取材をして書いていくというものですよね。プロの集団、メディアと呼ばれるプロの集まりですよね。ここで得られた情報が、ニュースとして製品として加工されて、活字なり、テレビなり、形はいろいろ違いますけれども、一方通行的に大量に流される。それを受け手は受けとめる。
阿部僕が雑誌を創刊したのは、なによりもまずニュース、つまりスクープを売る雑誌をつくりたいということでした。スクープは内部告発を除けば、プロフェッショナルな記者でないと取れない。「オーマイニュース」のように、ライターを市民から募ったら、内部告発以外にどうやってスクープを取るのでしょうか。そこが不思議でなりません。最後はメディアの本質は、どういうコンテンツをつくるのかの問題だと思います。
鳥越従来のメディアの受け手は、一方通行のコンテンツに多少の反応はしてきました。投書したり、苦情を言ったり、ファックスだとか、メールを送るだとか、多少はね。しかし僕は現状を知っていますけど、情報を送った側はほとんど問題にしてないんですよね。、「ザ・スクープ」という番組をやっているときは、視聴者から来るメールやファックスを情報源とした番組を1本つくったこともありましたから、全然ゼロとは言いませんよ。言いませんが、大半はそんなに使えるものではないことが多いんですね。結局、自分たちでやらざるを得ないんで、一方通行になる。
そういうメディアの状況が20世紀まではずっと続いて、20世紀の終わりになってインターネットの世界が出現した。特にブロードバンド化、つまり大量の情報がインターネット上に流されるというテクノロジーの進歩があって、双方向に瞬間的に情報がどんどん行き交うという事態が起きている。あえて言えば、21世紀型のメディアの一つの可能性は、まさに双方向性にあるんで、今まで情報の受け手だった人が情報発信人にもなり得るというところだろうと思うんです。
(1/5:「責任ある参加と『炎上』」へつづく)
ときどき代行4――またもや、スクープの裏付け報道
早くも5号目の編集期間が目前に迫り、「毎日更新」がウリの編集長ブログもいよいよ途切れがちになってきました。多忙のせいか、私もこの3~4カ月でかなり痩せたような気がします。ちょうど1年前の今日撮った、自分の写真があります。花火大会に向かう途中、地震で電車が止まってしまい、すごすごと帰宅した日のもので、丸くて血色の良い顔をした自分が写っています。あやうくビフォー・アフターのネタにするところでしたが、今回は別の話をご報告します。
創刊号でファクタが報じた外務省の幹部人事をめぐるスクープに、ようやく各メディアの報道が追いついてきました。
創刊号発刊直前の4月10日、「編集期間突入6――早々スクープ! 国際協力局長人事」と題して、記事の中身を当ブログで「ちょい見せ」したことがありました。
国際協力銀行を解体するなどのODA(政府開発援助)改革に伴い、外務省は経済協力局を改組・強化して国際協力局とするが、その初代局長に総理秘書官の別所浩郎氏(53)が内定した。
霞が関では珍しく、外務省が財務省の主導権を奪う形となったODA改革だけに、外務省内で国際協力局は総合政策局に次ぐ主要局となる。その局長には「フレッシュかつ大物」をあてたいというのが外務省の意向で、1952年生まれ、75年入省組でアメリカン・スクールの別所氏に白羽の矢が立った。就任は9月の予定。
そして、以下の記事は毎日新聞が7月20日付の朝刊で報じたものです。
外務省:新設『国際協力局』の局長に佐藤重和氏
外務省は8月1日付で、政府開発援助(ODA)を担当する経済協力局と国際社会協力部の関連部門を一本化した「国際協力局」を新設し、アジア大洋州局の中に「南部アジア部」を置く機構改革を実施する。
初代国際協力局長には佐藤重和・経済協力局長(56)が就き、小泉純一郎首相が退陣する今秋、外務省に戻る別所浩郎(53)が引き継ぐ見通し。初代南部アジア部長には渥美千尋・中国公使(55)を充てる。
その後、27日から28日にかけて、共同通信、読売新聞、毎日新聞、産経新聞などのメディアが上記の人事に加えて「外務報道官に坂場氏が内定」し、「鹿取克章外務報道官が転出」することを一斉に報じました。
実は、この外務報道官人事も「FACTA」(7月20日発売号)がひと足先にスクープしていました。「鹿取外務報道官更迭の真相」という記事で、外務省スポークスマンが1年で更迭された理由を一切ぼかすことなく報じています。ぜひ読み比べてみてください。
「月刊誌は速報性ではテレビや新聞、週刊誌にかなわない」というのが世間の一般常識ですが、読者の皆さまには、その順位が逆転するケースをいくつも目撃していただいていると思います。これからも皆さまをアッと言わせる記事や企画を載せていきたいと思います。どうぞご期待ください。
晩節の恋
きょうは朝10時からアポの連続だった。すこし梅雨空に戻ったのが救いで、この暑い街中を終日ばたばたと動いていた。
鳥越俊太郎氏にインタビューした。彼とは30年前、ロッキード事件の国税担当記者時代からの付き合いである。「オーマイニュース」の編集長を引き受けたというので、ジャーナリズムとインターネットの融合はほんとうに可能かというテーマで聞いてみようと思った。インタビューは雑誌でなくこのサイトで来週公開する予定。オーマイニュースのサイトともコラボレーションするので、お楽しみに。
手嶋氏からも電話。「リスト」について聞かれたので、「今のところ、抗議も訴訟も来ていない。でも、気は緩めません」と答えておきました。もうひとつ、古巣のインサイダー取引についても聞かれましたが、「これはもう広がらないと思います」と答えました。夜、帰宅したら、その古巣の社長名で「社友」への陳謝の手紙が届いていました。TCワークスにまで触れているのはちょっと意外。でも、新聞のお詫び紙面とほぼ内容は同じでした。
もうひとつ、届いていたのは小島直記氏の長男、英記氏の新著「男の晩節」。ちょっとお父さんに似た趣味だけど、いいタイトルだと思います。日経マスターズに連載したコラムの書籍化したものだけど、ぱらぱら読んでみて共感できました。同じ編集者である山本夏彦論は「そうなんだよな」とうなずけます。78歳からダンボール箱いっぱいの恋文を書くなんて立派。しかも「ヒヒ爺」と言われない「晩節」はほれぼれするほど格好がいい。勉強になります。
みなさまもご一読を。小島さん、肩の力がぬけてうまくなった。編集者としてオススメ!
1週間の沈黙
二つ理由があります。
第一は31人リストのため。
第二は古巣のインサイダー取引問題です。
それ以上は言わぬが花でしょう。ひとまず。
ミッション・インポッシブル3――双方向コミュニケーション
話題を中央銀行、つまりは福井日銀の「ゼロ金利解除」後の金融政策に話をもどそう。
解除する前、永田町が言ったさりげない日銀批判は、ある程度あたっているかもしれない。いわく、
「さんざん市場を煽っておいて、『市場に聞く』はないだろう」
3月の量的解除以降、4月から5月にかけて福井総裁は、次の段階のゼロ金利解除へむけて、積極的に地ならし発言を行い、市場では「6月解除」説が強まり、産経新聞などのほか弊誌でもそれを報じた。
ところが、村上ファンド問題が葺き出すや、日銀はそれまでの役割を忘れたように、市場の声に従って政策を決めるスタンスをとった。
退陣要求まで出て、福井総裁が音頭とりできなくなったことは理解できる。しかし、団扇をぱたぱたやって火がつき始めたら、あたかも自然発火のように言い出すのは、ちょっと自作自演がすぎると見える。
しかし、そこがインフレ目標論の是非にとっては肝心カナメのことなのだ。目標論のバイブル『金利と物価』では、こういうくだりがある。
これ(英国などで導入されたインフレ目標)は、中央銀行が現在の(経済)状態をどう解釈しているか、未来をどう予測しているかを、特に詳細な「インフレーション報告」を通じて、公衆(つまり市場)に伝えるコミュニケーションの大幅な改善に導いたのである。
つまり、インフレ目標は、中央銀行と市場のコミュニケーション・ツールとして、既存の手法よりも有効だと主張しているのだ。「市場を誘導する」という往相と「市場に聞く」という還相の双方向を持つ、フィードバックの手法のほうが、結果的に金融政策のパフォーマンスがいいと考えているのである。
もちろん、既存の手法とどこか違うのだ、という意見が出てこよう。
メルマガ版FACTAを始めます
きょうは雑誌「サイゾー」の編集者の取材を受けました。他誌の編集長に聞く「マガ人」というコラムで書きたいらしい。インフォバーンの「コバヘン」こと小林会長にはいろいろお世話になっているし、弊誌のアラーキーの表紙ADは同社の木継さんでもあるので、お受けした。ちょっと声がかすれる日だったが、生来の人見知り、恥ずかしがり屋を克服できたかと思う。
もうひとつのアポは申し訳ないが、お断りせざるをえなかった。さる民放の女性記者で、「日経インサイダー取引が盛り上がってきたので、阿部さんからぜひコメントを」と頼まれたのだが、取材していないのでしゃべる内容がない。評論家的に一般論で批判すべき問題ではないので、コメントは勘弁してもらった。
それにしても、朝日の朝刊にあれだけ詳しく報じられてしまうってことは、立件が近いのでしょう。しかし、日経もガードに必死。社会部のがんばりで、在宅起訴になるのかもしれません。
という一日でしたが、ともかくもFACTA最新号が刷りあがりました。今度の表紙は「蓮」。お盆の季節を意識しましたが、アラーキーですから仏壇風の写真ではありません。
記事の出来はみなさんのご判断を仰ぐしかないのですが、メール便で雑誌を毎月お届けするだけなのもそっけないので、今号からアドレスをいただいている購読者に20日当日に「メルマガ」を送ることにしました。FACTAサイトで受動的に目次やフリーコンテンツを公開しているのから、一歩皆さんのほうに踏み出すということです。
とりあえずは、読みどころや目次、そしてブログの再録などがコンテンツです。受信者のPC環境によってHTML表示とTEXT表示が切り替わるマルチパート方式でお届けします。HTML版は表紙も写真も載せて、サイトの画面とデザインを統一してあります。将来は一部有料にして独自コンテンツを発信するとともに、無料部分は購読者以外に配布先を広げて充実を図っていきます。今回はその試作、実験版ということでご了承ください。
というわけで、「メルマガ版FACTA」をよろしくお願いします。でも、押しかけはしないので、購読者へは本日、諾否をお尋ねするメールをお送りしますので、否の方はお手数ですがお知らせください。
手嶋・阿部 緊急ミニ対談――日本外交が試された国連非難決議
本日は「ミッション・インポッシブル」の連載を中断します。ニューヨークの国連本部で進行中の北朝鮮非難決議案について、畏友・手嶋龍一氏とミニ対談を載せたい。いまもっともホットな話題であり、国家的にも日本の命運にかかわるテーマだからと、手嶋氏には週末なのにご無理をお願いした。
国連非難決議採択は、7月20日刊行の「FACTA」の締め切りには間に合わなかった。さりとて8月編集号では1カ月以上先になってネタが腐ってしまうので、その欠落を埋める試みである。
これはメール交換でこしらえた架空対談ではない。15日の土曜夕方、お台場から馳せ参じた手嶋氏と、オフィスで会ってさくさくっとつくり、決議採択後の16日朝に修正したのでぜひご覧あれ。手嶋氏のオフィシャルサイトともタイアップしているので、そちらも参照してください。
阿部テポドン2号を含む7発のミサイル発射で、小泉―ブッシュ「プレスリー同盟」の抑止力がまったく利かなかったことがあらわになりました。その点では、「日米同盟」対「金正日」の第一ラウンドは、北朝鮮に主導権を取られてしまったかにみえます。
手嶋その通りだと思います。日本のメディアでは、テポドン2号の発射実験は失敗だったという見方も出ていますが、金正日政権は、テポドン2号の発射のボタンを押すことで、ブッシュ政権の関心を東アジアの地に引きつけた。このことでとりあえず、政治的な目的は達したと見るべきではないでしょうか。
阿部ブッシュ政権はイラクの内戦化で手こずり、イランの核開発問題もこじれているだけに、かねてから東アジアには気もそぞろでした。日本にも認識のギャップがあり、アメリカが常にアジアに目配りしているかのように思いたがっていますが、実はそうではない。
手嶋北朝鮮のミサイル発射にいたる振る舞いを、一般には「瀬戸際外交」として説明しているのですが、正しくは「弱者の恫喝」と呼ぶべきでしょう。恫喝なのですから、相手が関心を持ってくれなければ困る。北朝鮮は少なくとも、今は朝鮮半島にワシントンの関心をつなぎとめています。
阿部第2ラウンドは、ニューヨークの国連の場での攻防ということになりました。ここでも、影の主役は北朝鮮であり続けました。
手嶋国連の安全保障理事会は、テポドン2号を含む7発のミサイル発射を受けて、北にどのようなメッセージを送るのか、国連安保が機能しているか否かが問われることとなりました。ここで全体の構図を簡単に整理しておきましょう。
最強硬派は日本。アメリカと連携しながら、経済制裁や武力制裁の根拠となる国連憲章第7章を盛り込んだ安保理決議の採択を目指しました。これに対して中国は、ミサイル発射を一応非難してみせたものの、一切の強制力を伴わない安保理の議長声明で乗り切ろうと多数派工作に乗り出しました。
国連憲章第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」
安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為の存在を決定し、勧告を行うとともに、非軍事的強制措置・軍事的強制措置をとるかを決定することができる(第39条)。また、措置を決定する前に、事態の悪化を防ぐため、暫定措置に従うよう関係当事者に要請することができる(第40条)。軍事的強制措置は、安全保障理事会と加盟国の間の特別協定に従って提供される兵力・援助・便益によって行われる(第43条)。国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、加盟国は個別的・集団的自衛権を行使できる。加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない(第51条)
阿部常任理事国の中国は、拒否権を発動して日本案を葬ることが可能なはずでしたが、拒否権という切り札はできるだけ避けたいというのが中国外交の特徴ですよね。
手嶋旧ソ連は冷戦時代に「ミスター・ニエット」のグロムイコ外相が拒否権を連発しましたが、冷戦が終わってからはアメリカがパレスチナ問題で提出されたイスラエル非難決議案に拒否権をしばしば発動しています。これに対して中国は、台湾問題が絡んだ決議案を除くと拒否権という伝家の宝刀をほとんど抜いていないのです。ですから、中国は意外なほど国連重視の外交をしてきたと言えます。今の中国の外交にとっては、日本の決議案を可決させることは敗北なのですが、単独で拒否権を発動させられることもまた第2の敗北と言っていいのです。
阿部「単独での拒否権発動」がキーワードですね。言葉を変えて言えば、ロシアとともにならば、この問題で拒否権を発動しても、中国外交が孤立したことにはなりません。したがって、日本政府としては、中ロの連携を断ち切ることができるかどうか、まさにこの点で外交力が問われていたわけですね。
手嶋日本政府がG8サミットの議長国ロシアを棄権に回らせることができれば、中国はリング際に追い詰められて、近年になく苦しい立場に立っていたはずです。ところが、国連憲章第7章を含む安保理決議案には、ロシアが中国に足並みをそろえて拒否権発動の構えを見せた。中ロにクサビを打ちきれなかったわけです。
阿部なぜクサビを打ち込めなかったのでしょう?
手嶋外交官個人の力量ですべてを説明することは不正確な解説になりがちなのですが、今回はやはりニューヨークの国連代表部、大島首席大使を中心とする日本チームの弱体ぶりを指摘せざるをえません。大島チームは去年、日本の安保理常任理事国入りで20年に1度というほどの失敗を犯し、常任理事国のイスを取り損ねています。大局的な判断、そして水面下の周到な根回し、いずれをとってみても力不足でした。加えて、小泉官邸は、外交に経験のない政治学者を国連次席大使に起用するなど、戦闘力はさらに落ちていました。勝負どころでの戦力の不足は否めませんでしたね。
阿部中国は当初の議長声明案を引っ込めて、第7章を含まない安保理決議案を提出するという微妙なクセ球を日米両国に投げ込んできました。同時にフランスやイギリスなど常任理事国、さらには非常任理事国への活発な説得工作を繰り広げて、日米の包囲網を敷こうとしました。なかなかしたたかな外交力と言わざるをえませんでした。
手嶋さらに注目すべきは、水面下でアメリカにも猛烈なロビー工作を行い、日米の離間を図ったことです。現にアメリカのライス国務長官らは、この中国の妥協案に当初からかなり心を動かされていた節があります。当初、安倍官房長官らの強硬派は、第7章を落とすことに頑として応ぜず、アメリカのハドレー国家安全保障補佐官と電話会談まで行い同調を求めたのですが、ブッシュ政権は結局ついてきませんでした。
阿部「第7章の一線を譲らない」という一点で、日本外交がアメリカよりも一歩先に出る形になりました。是非はともかくとして、これはほとんど前例のないことで、国連の場で日本のプレゼンスを示したと言えるのではないでしょうか。日本がもしここで断固とした対応をとらなければ、中国は第7章なき決議案ですら提示してこなかった可能性があります。
手嶋第7章を含む安保理決議案。第7章なき議長声明。中国が提案した第7章なき安保理決議案は、この中間にあたるくせ球でした。ですから、交渉事の常道から言えばほどよい落としどころと言えたのかもしれません。そして、中・ロをはじめ、アメリカ、イギリス、フランスなども、第7章なき決議案でよしと判断し、大勢は決まりました。日本は、最終盤で第7章の一部だけを名目的に残して面子を保とうとしましたが及びませんでしたね。
阿部国力を超えた外交は無理ということなのでしょう。それは首相官邸――実質は留守番役の安倍官邸だったわけですが、思い知るべきでしょうね。対北朝鮮で強硬路線を掲げながら、米英仏さえも説得できなかった非力はまた、安倍タカ派路線の限界を示しています。やはり、日本は拒否権を持った常任理事国を目指すべきなのでしょう。
手嶋日本にとって今回の戦訓は、アメリカのブッシュ政権をがっちりと抱え込むことの大切さでした。日米同盟の基盤がどれほど固いのか、それを試されているわけですから。結果から見ると、日米同盟に空洞化の兆しあり、といわざるを得ません。危機の本質は、まさにここにあるのです。
阿部決議を受けてもなお、北朝鮮は「ミサイル実験を続行する」と声明を発表しています。ミサイル実験を凍結させるという国際社会の意思に従おうとしていません。中国は特使までピョンヤンに送って説得を試みましたが、これまた不調に終わりました。
手嶋その点では、中国外交もまた一敗地に塗れたというべきでしょうか。世界の大国が「弱者の恫喝」に抑止力を失いかけている構図は、これまた危機の深まりを示しています。ですから、日本の総裁候補たちは、北への危機管理を一枚看板にした内向の外交パフォーマンスなど厳に慎むべきです。
ミッション・インポッシブル2――シナの百科事典
とうとう「ゼロ金利」が解除された。でも、ほとんどオープン・リーチで何の感動もなかった。政策決定会合の円卓の写真は、代表取材となっていたが、福井総裁と武藤副総裁が硬い表情で座っているのが気になった程度である。
さはさりながら、FACTAの次号誌面では、これを見越した誌面をつくっていたので、万が一解除してくれないと、えらいことになった。で、文章はぼやかしたが、それでも万一を思って、下版を14日午後3時まで待ってもらった。予定通りとメドが立ったので、直しなしのgoサインを送ってことなきをえた。
15日の新聞は各紙とも、この日のために書き溜めてきた予定稿で埋まっているだろう。目をつぶっていても、どんな原稿が紙面を飾るか、予想はできる。そこで、このM:iではまったく別のアングルで書こうと思う。
前回の「M:i:1」でマルクスの奇妙な貨幣論を紹介した。「資本論」にある貨幣の比喩、「ライオンやトラやウサギと顔を並べて、ドウブツ一般が登場するようなもの」である。これは忘れ難い。
エイズで死んだフランスの哲学者ミッシェル・フーコーもそうだと思う。彼の主著『言葉と物』の序にも、同じような比喩が出てくるからである。「この書物の出生地はボルヘスのあるテクストのなかにある。それを読みすすみながら催した笑い、思考におなじみなあらゆる事柄を揺さぶらずにはおかぬ、あの笑いのなかにだ」。
そして、フーコーが引用するのが、ボルヘスの『シナの百科事典』なのである。
動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳呑み豚、(e)人魚、(f)お話にでてくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類全体に含まれているもの……
確かに笑える。もちろん、中国にこれだけデタラメな百科事典が実在しているわけではなく、ボルヘスの創作なのだが、哲学者フーコーは「その列挙によって味わわせる異常さは、出会いの空間そのものが、そこでは崩壊していることに由来している」と説明してしまうのだ。
私がとっさに連想したのは、先のマルクスの貨幣の比喩である。(h)の「この分類全体に含まれているもの」が並列で出てきてしまうところに、貨幣の神秘があると思うからだ。
そして、前回も書いたように、その神秘に中央銀行も依存していると思う。そこからでないと、「ゼロ金利解除」の意味は解けないのではないか。フーコーの当惑は、市場では「恐慌」にパラフレーズできるからだ。たとえば、
ボルヘスを読むとき笑いをかきたてる困惑は、おそらく、言語(ランガージュ)の崩壊してしまった人々のいだく、あのふかい当惑と無縁ではあるまい。場所と名にかかわる「共通なもの」が失われたということなのだ。
福井総裁のクレディビリティの傷が深刻なのは、まさにこの「共通なもの」が失われたことにある。その当惑は、経済というもうひとつの言語空間に起きた「恐慌」と言っていい。
ミッション・インパッシブル1――ヴィクセルの予見
トム・クルーズ主演の映画「M:i:Ⅲ」のことではない。編集期間も終わったから、気晴らしにああいうアクション映画でも見てみようかと思うが、さすがにまだそんな時間はない。
ここでの「ミッション・インパッシブル」とは、中央銀行に課せられた使命のことである。ある意味で「不可能な使命」とも言えるからだ。
13日から始まった日銀の政策決定会合で、どうやら宿願の「ゼロ金利解除」が決まりそうなので、それを機に中央銀行を論じてみたくなった。専門家ではないが、かつて日銀記者クラブに属した「門前の小僧」の世迷い言をここで書いてみよう。大仕事をひとつ終えた福井俊彦総裁への、ささやかなねぎらいの言葉である。
まずは1世紀ほど前の経済学者、クヌート・ヴィクセルの「金利と物価」(1898)からの引用。
将来の物価体系を完璧に調節することが可能になるとしたら、その理想的ポジションとは間違いなく……商品の相対価格の避けがたい変動に干渉することなく、貨幣の価格の一般平均水準が完全に不変で安定していることだろう。
こうした調節が現実の政治の枠内に収まってはいけない理由があるだろうか。……関税や政府補助金、輸出障壁などによって(相対物価の)自然の秩序を部分的に修正しようとする試みは、ほとんど否応なく共同体社会になにがしかの効用を失わせることになる。これまでのところ、そうした試みはまったく不合理とされてきた。他方で絶対価格――貨幣の価格は、しきたりそのものから分析がいちばん後回しの事柄になっているのだ。
ヴィクセルは「不均衡累積過程」で有名である。その理論のもっともやさしい説明は、東大経済学部長だった岩井克人教授の「貨幣論」(筑摩書房)にあるから、ご覧になってください。
かいつまんでいえば、貨幣自体には原理的には市場がない。貨幣とは、マルクス大先生によれば「群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成しているライオンやトラやウサギやその他すべての源氏の動物たちと会い並んで、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているようなもの」(「資本論」)だそうだ。ここでいう具体的な動物とは商品のことだが、そのなかに混じった貨幣は、いわば「ドウブツ」という名の別種の動物みたいになるうということだ。
ただ、この「ドウブツ」は他の商品と交換する媒介であって、商品そのものではない。だから、貨幣同士を売り買いする市場(短期金融市場や外国為替市場、あるいは古銭取引はここでとりあえず考えない)がない。物々交換から進化した現代の「市場」とは、貨幣と商品、商品と貨幣を交換する場であり、そこでの価格は相対価格と呼ばれる。
一般の商品の場合、需給の変化は価格(相対価格)の上下によって調整される。商品が売れなければ、値を下げて販促する。これは誰でも知っていることだ。ところが、貨幣は市場がないので、媒介として一般の商品を巻き添えにして需給を調節しなければならない。これがデフレのスパイラルである恐慌のメカニズムだと喝破したのが、ヴィクセルの「不均衡累積過程」説なのだ。
1商品なら値を下げれば需要が喚起できるかもしれない。何らかの理由(たとえば銀行が倒産するかもしれないという不安)によって手元に現金をもっていようとする傾向(流動性選好)が強まると、1商品の値下げによっても需要が回復しなくなる。消費者は買い物の総額を減らすから、買い手の予算の中で競合する他の商品も値下げしないと買ってもらえなくなってしまう。で、値下げ競争が起きるが、これでは商品間の相対的な価格が変わらないまま、物価全体の水準(これが絶対価格)が切り下がっていき、ひとたびこのプロセスが始まると、連鎖的に下がって恐慌にはまりこむのだ。
これと逆のケースもありうる。何かの駆け込み需要をきっかけに、物価が暴走し、名目収入が右肩あがりでどんどん増えていく幻想が生じると、歯止めのないバブルが発生するのだ。いずれも貨幣の宿痾であり、人間は忘れやすいから火傷しても懲りずに繰り返す。しかし、貨幣が一般の商品を巻き添えにする媒介であるからこそ、そこに中央銀行が誕生する必然が生まれてくるのだ。
ヴィクセルはここで、総需要政策や減増税、政府補助といった「金融外」な物価対策ばかり論じられて、「貨幣の(絶対)価格の一般的水準(総体としての物価)を不変に保つ」政策がなおざりにされているとしている。もちろん、前々世紀末のことだが、あえてここに引用したのは、コロンビア大学のマイケル・ウッドフォード教授もこのくだりを引用しているからだ。
ウッドフォードはかつてプリンストン大学でベン・バーナンキ(現在の米連邦準備理事会議長)の同僚だったインフレ目標論者で、このヴィクセルの引用を冒頭に掲げた彼の大著は、2003年に出版されたが、タイトルもヴィクセルとまったく同じ「金利と物価」。おそらく先哲に敬意を表したのだろう。ウッドフォードもヴィクセルと同じく、「支点さえ与えてくれれば地球をも動かしてみせる」と豪語したアルキメデスのように、中央銀行がこの「相対物価」に左右されない不動点を設けることは可能だと考えたのだ。
物価の一般的水準の不安定は――少なくとも適切な物価指数が使われれば、資源の実質配分の非効率を示すいい指標になる。なぜなら、同一方向に動く物価の一般的傾向(過去の価値に従って一斉に上昇するか下落する)は、資源配分のシステマティックな不均衡の原因でもあり症状でもあるからだ。
こうした一般的な見方は、さまざまな点で、ケインズ革命以前には金融エコノミストの間で影響力のあった見解を再生させる試みでもある。それは、前世紀の初っ端に著名なスウェーデンの経済理論家、クヌート・ヴィクセルが、誰よりも鮮明に表現し、戦間期には(エリック・リンダールやグンナー・ミュルダールのような)ストックホルム学派の追随者に継承され、ヴィクセルの業績に影響を受けた(フリードリッヒ・ハイエクのような)他のエコノミストにも持ちきたされたものなのだ。(「金利と物価」2003)
ウッドフォードによれば、その延長線上に「インフレ目標論」がある。上記の先覚者たちは、現代の一般均衡理論やマクロ経済統計学的なモデル形成のテクニックの恩恵をこうむることができなかったという。だから、今それを試みたというのが、この野心的な大著なのだ。
「インフレ目標論」は、日銀の政策論議のなかで不幸な経緯をたどってきた。やみくもに導入を主張する半端なエコノミストや経済学者たちが、実は一知半解だったからである。名前はあげないが、日経の経済教室に載っていた論文など、背筋が寒くなった。現に「インフレ目標」論のバイブルである「金利と物価」は、オイラーの方程式など数式がかなり入っていることもあって、いまだに誰も邦訳していない。
何たる怠慢!日本の学者が得意とする「サル真似」ではもう納得できない。「金利と物価」の原著を手元において、次回以降、少し本気で「目標論」の是非を論じてみましょうか。
編集ほぼ終盤
今度もなんとか乗り切ることができました。
ワールドカップ3位決定戦も決勝も、朝帰りのタクシーのナビで、もうろうとして見た。どれがVTRか、実況中継か定かでない。ま、とにかく終わった。編集のほうも、テポドンとゼロ金利解除とその他もろもろが押し寄せて、いくら八面六臂でも限界を超えていた。国連安保理の非難決議案が採択できるかどうか、ハラハラだったが、日米が先送りしたので、もう待てない、と覚悟を決めました。締め切りと発行日のギャップは、編集者にとって永遠の悩みとはいえ、こんなに重なると、胃がすりへりますね。
冷や汗をかいて、しきりに首筋を掻いていたら、湿疹みたいになってしまった。抵抗力が弱っているのかしらん。
「だまされたと思ってのみなさい」と先輩から「キョーレオピン」をいただいた。ニンニクのエキスだそうである。ま、しばし健康に留意しよう。そろそろ本格的にブログを再開するつもりだ。