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最後からの二番目の真実

「ネット生保」トーク1――見失っている「共助」の原点

12月3日、東京・秋葉原のUDXで開いたFACTAフォーラムのトークイベント「生命保険はネットで買えるか」は、先着130人で募集したところ満席になりました。会場で記入していただいたアンケートでは、イベントに「とても満足」「まあ満足」とお答えいただいた方があわせて86%に達し、テーマもトークの中身も好結果を得ることができました。

当日、会場にいらっしゃれなかった方々からも「トークの中身を知りたい」とのご希望がありましたので、このウェブサイトで要約をご紹介いたします。会場ではネットライフ企画の副社長、岩瀬大輔氏のプレゼンテーションに続きパネルディスカッションを行いましたが、以下のようにディスカッション部分を公開します。

ご出席いただいたのは、日本生命出身でネットライフ企画株式会社を興し、社長に就任していらっしゃる出口治明氏と、敏腕保険セールスマンで株式会社ホロスプランニングの東京オフィス長、大坪勇二氏。司会はFACTA編集長、阿部重夫がつとめました。



阿部まず始めに、新しくネット生命保険会社を立ち上げた動機と、今の保険業界をどうご覧になっているかを伺いたいと思います。

出口私は日本生命で30年近く仕事をしましたが、入社した頃の社内というのは自由闊達な雰囲気でした。その頃は、お客様がよく見えていて、マーケットや世の中の変化についてすごく議論していた。当時から保険会社にとって、セールスパーソンが第一のお客様だという意識はありましたが、業績が苦しくなるにつれ本来のお客様が段々見えなくなり、セールスのシステムを維持することが会社の目的となってしまった。



金融制度改革の時は、どんな業界でも競争が一番大事だという思いで一生懸命やりました。生命保険業界には保険会社以外からの新規参入がありません。7~8年前、新しい保険会社を作って業界を活性化させたいという思いから、設立構想を何社かに持って行ったことがあります。しかし、みなさん面白いアイデアだとは言ってくれるものの、自分たちの株主に大手生命保険会社が入っているため出資は難しいとのことでした。きっと、まだタイミングではなかったのだと思います。それが、去年の3月にあすかアセットマネジメントの谷家衛さんと出会い、すぐに一緒に新しい保険会社を作りましょうということになりネットライフを立ち上げました(立ち上げの顛末はネットライフのウェブサイトをご覧ください)。

生命保険業界には人口が減る分だけ小さくなるという側面があります。しかし、どんな世の中でも「自助・共助・公助」という助け合いはとても大事なことです。今は自助と公助が難しい時代。だからこそ、共助の仕組みがより大事になってきていると言えます。しかし、その共助の仕組みを担っている生命保険会社は、不払い問題に象徴されるように保険の原点を見失っています。

阿部公助の公的年金は、データ管理がずさんだったことが明らかとなり国民の不信を招き、共助である民間の保険会社は、不払い・未払い問題で金融庁から原因解明を厳しく迫られ苦慮しています。そのうえ、複雑な保険の特約で保険会社自身も払うべきかどうか分からなくなっているような始末。契約者は将来に対して非常に不安を抱えていると思います。そうした国内の保険市場は、日々現場で接している立場からはどう見えていますか?



大坪僕が関わっているのは保険のプロダクツではなく流通の方なので、その観点から話すと、今一番僕ら自身も関心があって、消費者も感心があるだろうと思うのは、販売チャネルの増加です。銀行の窓口販売が解禁されましたし、郵政民営化でかんぽ生命保険が誕生し、その下に巨大な乗り合い代理店ができました。欧米に比べてわりと保守性が強いと言われる日本の消費者がどう行動するのかを興味深く見ています。

他方、そこで粗い売り方がされるのではないかという危惧も少しあります。例えば、変額年金であれば、その本来の趣旨や社会保険を補完する役割について説明することなく、相続上の評価の軽減といったような“飛びつきやすい”ところで売る現場もあるわけです。それと似たことが新しい現場でも起きてしまい、商品が本来あるべき姿を歪められて流通してしまうことにならないか心配です。

ただ、僕らのような業界の海賊のような存在は変化がチャンスだから、今の状況についてはワクワクしています。

阿部保険について、消費者はどんなイメージを持っているのでしょう?

大坪お客様と対面していて感じるのは、自分の買い物の中身を殆どご存じないということです。それは、保険はどういうモノにいくらお金を払っているかを測定しにくい商品だからでしょう。

普段、スーパーマーケットなどで商品を買う場合は「見た目の品質」と「今日払う値段」をパラメーターに判断しますよね。しかし、生命保険の場合は品質を目で見ることはできないし、今日払う値段とは毎月払い続ける値段で、時には変わったりもする。おまけに特約など見えずらい部分も沢山あって評価ができない。それに対して苛立っているなと感じることは多々あります。正直、お客様は最初から金融機関としての保険会社に期待していないんですね。元一員としては哀しいですが、どうすれば騙されないかという相談が今も昔も多いですから。

阿部大坪さんのような独立系の方を除く専属のセールスパーソンが相手では、各社の商品を比較して買うことは難しいですが、ネットを使えば商品比較は楽に済むでしょう。また、シンプルでカスタマイズ可能な商品であればローエンド層を取り込み易くもなりますね。

出口日本の保険業界はセールスパーソンや代理店が一社専属でしたから、極端なことを言ってしまうと比較情報があると困るんですね。比較しにくいように特約を付けて分かりづらくしていった面もあると思います。しかし、チャネルが増えて、いろんなところで、いろんな人がモノを売るようになると、比べようという動機が生まれます。そういうとき、データを横に並べて比較できるネットには大きな強みがあります。

以前、独自調査を行ったことがありますが、消費者の不満で一番多かったのは「よく分からない」「なんかうさんくさい」といったものでした。当然、高い買い物をさせられてるんじゃないかという思いもあるのでしょう。保険という制度が初めて誕生した時は今のような複雑で判断しにくい商品はなかったはずです。私たちは保険の原点に帰って、こういうリスクにはこういう保険が良いとすぐに分かる、シンプルで比較しやすい商品を作りたいと思っています。

阿部ネットで商品をダイレクトに販売できれば、セールスパーソンや代理店に掛けてきた膨大なコストを削れる分、保険料は安く設定できませんか?

出口保険会社は事業費という形で手数料をいただいていますが、その6割が新契約費(新契約募集にかかわる人件費等の諸経費)と言われています。残りの4割は契約を何十年と維持管理していくコストです。確かにダイレクトに売ることで、セールスパーソンや代理店に向けていたコストは抑えることができます。しかし、ネットライフという会社を知ってもらい、契約してもらうためのコストはどうしても掛かります。これは少しでも知恵を絞って地道に活動することで抑えるしかありません。

また、商品をシンプルにすればシステム費用を抑え、通算や不払いの算出の手間を減らせるので、維持費についても相当削減できるはずです。保険会社は人と紙の産業なので、紙も徹底的に減らしたい。もちろん、免許事業なのでどこまで切り詰められるかは挑戦ですが、全ての面でコストを下げて適正な保険料を設定するつもりです。

(1/3:続く

※本記事はディスカッションの内容を編集したものです





出口治明氏(でぐち・はるあき)
ネットライフ企画株式会社 代表取締役社長



1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当。生命保険協会において初代の財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事。ロンドン現地法人社長、国際業務部長、公務部長などを経て、同社を退職。2005年より東京大学総長室アドバイザーを勤めた。07年より早稲田大学大学院講師(非常勤)。著書の『生命保険入門』では、生保の真実を鋭く指摘し業界内で話題になった。



大坪勇二氏(おおつぼ・ゆうじ)
株式会社ホロスプランニング 東京オフィス長、ファイナンシャルプランナー



1964年九州生まれ。86年大学を休学し、世界を放浪(南米、北米、旧共産圏、アジア)。88年から鉄鋼メーカー・総合商社で9年間経理と人事を担当。 97年ソニー生命保険株式会社に入社、2003年エグゼクティブライフプランナー。05年株式会社ホロスプランニング東京オフィス創設に参画、オフィス長に就任。HPC®(ブレインズ株式会社開発によるヒアリングを主体とする顧客との信頼関係を短時間で構築する手法)研修講師として大手証券会社等多数実績を持つ。FP業界での起業グループ「キーストーンアライアンス」副代表を務め、IFA(インディペンデント・フィナンシャル・アドバイザー)等海外の新しい潮流を日本に取り入れることに熱中している。CFP®。02年MDRT日本会大会委員長、04年同国際委員長。MDRT7回会員(COT2回)。


1月号の編集後記

FACTA最新号(1月号、12月20日発行)の編集後記を掲載します。冒頭の「お隣の読者欄…」は、本誌では編集後記と読者欄が隣り合わせのため。フリー・コンテンツの公開は25日からです。お楽しみに。



お隣の読者欄におっかないことが書いてある。この編集後記をそんなにまじまじと見つめられるとは、冷や汗たらり。全原稿を出稿し終えてから後記を書くから、いつも頭は空っぽの出し殻なのだ。この空虚は「無から(ex nihilo)の出発」を強いる。ボードレールが『悪の華』の詩「旅」で歌ったように「本当の旅人とは、ただ出発のために出発する人々だけだ」とぶつぶつ言いながら。

▼後悔先に立たず。毎号、思いどおりの編集などできたためしがない。欲張りすぎなのか、後から後から、ああすれば、こうすれば……と悔いの青海波(せいがいは)になる。今月は無謀にも日本BS放送(BS11デジタル)で週1回のキャスターなんて始めて、たちまちトチリの連続。いたたまれないほど自己嫌悪に駆られて、なかなか立ち直れない。何ごとも慣れさ、と割り切れるのはいつのことやら。

▼毎週金曜夜10時と「ハナ金」を犠牲にしなければならないのが難だが、番組は30分も生でインタビューさせてくれる。カメラの前に立つのは苦痛だが、人間相手だと急に訥弁が消えるから不思議なもの。酒が入れば申し分ないが、さすがに自粛した。いろいろな人に邂逅でき、相手が未知の人だと心が弾む。最初の12月7日は前官房長官の与謝野馨氏、14日は公明党代表の太田昭宏氏、21日は……それは見てのお楽しみ。

▼ボードレールの詩の続きは「心は軽く気球にも似て/その宿命の手から離れることはついになく/なぜとも知らずに、いつも言うのだ、行こう!と」。中世スコラ哲学からデカルトを経て現代まで「神は瞬間瞬間に創造を行う」という思考の水脈が流れている。過去の自分はもうなく、今に自分が存するのは、この瞬間に自分が創造されているから、と考えるのだ。美しい時間論である。雑誌も人生も同じこと。労苦は賽の河原ではない。新年には人知れず呟こうか。行こう!と。

記者のリテラシー

日経社会部時代の先輩から電話がかかってきた。悪い予感がしたが、案の定、テレビを見たという。先週末の12月7日(金)、BS11デジタル(日本BS放送)の報道番組「INsideOUT」に出て、しばらく落ち込んでいる。ブログに書かなかったのは、編集作業に入ってとても書けない状態だったからだが、内心は思い出すのが怖かったこともある。

先輩には予防線を張った。「いやあ、見ないで。トチってばかりだから」。

「ま、君は前から滑舌系じゃないからね」と言われた。だろうなあ。

反省点は多々ある。カメラ相手だと目線をどこに向ければいいか分からない。1分のしゃべる分量がつかめない。焦ると言葉が切れ切れになる。せっかく用意してくれたフリップを見せるのを忘れた。ライトがつくと頭真っ白。隣の女子アナにリードされっぱなし。ああ、これで次はどうなることやら。見る人もハラハラだろうなあ。

さて、インタビューした与謝野馨・前官房長官は、石原知事と法人事業税の移譲問題で協議したあと、スタジオに現れた。昨年の大病の名残か、まだ声が枯れていたが、疲れもみせずに消費税に賭ける意気込みを語っていた。

質問の中にmodus vivendi(生きがい)というラテン語を使ったら、よく理解してもらえた。ハイデガーによれば、実存とは「終わりへと向かう」脱自としてのみ可能なものだが、まさにそういう実存として与謝野氏が消費税増税を考えていることがよくわかった。

しかし、党税調や総務会のレベルでは、消費税引き上げは見送りで決着している。与謝野財政改革研究会の「中間とりまとめ」で「霞が関には埋蔵金などない」と上げ潮派や民主党を批判した埋蔵金論争も、財務省が財融特会の繰越利益を取り崩し、国債の返済にあてることを検討し始めたと報じられたことによって、勝負あった、と言わざるをえない。



日経の年末エコノミスト懇親会で、その上げ潮派の中川秀直・元幹事長が記者にまいた「埋蔵金メモ」もスタジオに持っていったのだが、それを振りかざして敗北を認めろ、などと“田原流”に迫る気になれなかった。それでもBS11のインタビューの中では、この問題をメーンに取り上げた。

後で聞いたら、与謝野氏に追っかけ取材の記者が10人ほどスタジオの外に来ていたようで、モニターで番組を見たらしい。与謝野氏がどう答えるか注目していたのは私だけでなかったのは心強いが、翌日の紙面でそれを引用して、読売では小さなコラムになっているのには驚いた。ぶら下がり取材してるなら、直に本人に聞けばいいのに。

そういう記事のひとつをここに引用しよう。ただ、インタビュアーの立場から言わせていただければ、ニュアンスは逆で、与謝野氏は埋蔵金論争の敗北を認めたのだ。



同党の中川秀直・元幹事長が特別会計の資金を「霞が関の埋蔵金」として取り崩すよう主張していることについて、「お金持ちの2世が家の財産を売り払いながら生活しているのと同じ話だ。どこの特別会計を調べても、そんなお金は眠っていない」と批判した。



「仮に埋蔵金があるとしても」という仮定句の形で、特会の繰越利益を取り崩したとしても2年で消えてしまうと言っていた。国の借金ははるかに大きいのだから、やはり消費税上げは必要だというロジックである。明らかに目先より中期に比重を変えていた。

1メートルの距離で聞いたインタビュアーが、そう思って深追いを避けたのだ。どうしてそれが「埋蔵金はない」と自説を曲げなかったように書かれたのか、不思議な気がする。記者の政治家発言に対するリテラシーが著しく落ちているのかもしれない。

番組をご覧になった方はどう思いますか。

何を今さらカラマーゾフ

世界文学全集がはやらなくなって久しい。なに、どうせ怠惰になっただけである。もう舶来物は信奉しない、と大見得を切るならいいが、情けなや、相変わらずハリウッド拝跪ではないか。ミステリーはやっぱり洋物と相場が決まっている。書斎のスノビズムに縁なき衆生は、薄型テレビと携帯の液晶画面に涎を垂らすだけになっただけのことだ。

出版業界はいにしえの「円本」の夢が忘れられない。売れなくなった翻訳の在庫を抱えて、ひとひねり工夫を加え、古典新訳文庫なるシリーズを売り出した。店ざらしの品の埃を払うばかりでは芸がないので、ちょいと甘く味付けして包装を替え、新品同然と売り出したにひとしい。

そうして出た亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」が飛ぶような売れゆきだという。ああ、まことに慶賀に耐えない。光文社の努力がようやく実って、隠れた需要を掘り当てたというべきだろう。だが、毒舌家の山本夏彦が生きていたら、「何を今さら」と嗤ったに違いない。

いい年をした人間が、カラマーゾフすら読んだことがないなんて、昔は恥ずかしくて言えなかったことだからだ。いや、正直言って、ドストエフスキーを旧訳で読めなかったような人間が今さら平易な新訳で読めたところで、何が分かるというのだろう。「新訳」を口実にようやくカラマーゾフに手をのばしたような人は、もとからドストエフスキーなど読む資格もなければ、必然性もない御仁である。

ドミトリー、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフ、ゾシマ長老……その呪縛に囚われる青春のなかった人、苦悩や失意や暗澹を大時代と蔑んできた人が、スノビズムの胃袋でカラマーゾフを消化し始めたのだ。さあ、どんどん召し上がれと、舌にやさしい味付けにした訳者は恥ずかしく思わないのだろうか。

米川正夫、原卓也、江川卓……ほかにも訳者はいた。翻訳の語彙は時代の制約を受けるから陳腐化したのは当然としても、能天気な口語体の新訳が流行するのは納得がいかない。それに悪ノリしたようなNHKの教養番組を運悪く目にした。東京外国語大学学長になったこの訳者が出演していたが、そのドストエフスキー理解は、素人向けなのか、正直、唖然とするような浅さだった。

カラマーゾフがもう読まれないなら、それでいいではないか。私は再読しようと思わない。徹夜して読み明かし、自分がロシアを彷徨しているような異様な熱狂に捕われた。あの愚をもう繰り返したいとは思わない。ドストエフスキーは毒なのだ。毒を糖衣でくるんだ新訳は、私にはいたたまれない。

ロシア語は私の領分でないから言うが、日本のロシア文学者はそもそも怠惰ではないか。ずっと待っているが、いまだに翻訳されない大著がある。ワシーリー・グロスマンの「人生と運命」(Zhizn i Subda)。軍史家のアントニー・ビーバーが英訳した「赤軍記者グロースマン独ソ戦取材ノート1941-45」のほうが先に邦訳が出てしまったのは皮肉で、ロシア文学者にとっては恥ずべき事態でないのか。

グロスマンの何たるかを日本に紹介していないから、アマゾンの同書コメントに「赤軍に味方しすぎている」などと寝とぼけたことを書かれてしまうのだ。スターリングランド攻防戦を描いてナチズムとスターリニズムの同質性を暴いたために、この大著は発禁となり、原稿は没収されて著者も陋巷に死したのである。

マイクロフィルムが奇跡のように国外に持ち出されて、海外で出版されたのは1980年代である。それから四半世紀を経た。いまや20世紀の「戦争と平和」と評価が定まり、ソルジェニツィンよりも優れているという評判の「人生と運命」が邦訳されないのは、いったい何ごとかと思う。

ついに我慢できなくなって、Harvill版の英訳を読み始めた。表現は古めかしい。が、その収容所の描写は、グロスマンの体験を経て、リアリズムのもつ透徹した哀しみを湛えている。無理を承知で、その冒頭を英訳から重訳しよう。



低い霧が漂っていた。道路沿いの高圧電線に反射する前照灯の光茫が見える。

雨は降っていなかったが、地面は露で濡れていた。信号がアスファルトにぼんやりと赤い光点を投じている。何マイルも先の収容所の息づかいを感じる。道路も線路も電線も、すべてがそこに収斂していく。ここは直線の世界だ。矩形と平行四辺形の格子が、秋空と霧と大地そのものを劃していた。



この一端だけで「人生と運命」の美しさがわかる。ドストエフスキーは流刑を体験し「死の家の記録」を書いた。だが、20世紀の「死の家」を書いたのはグロスマンである。誰か訳してくれないか。

BSデジタルの報道番組キャスター

また冷や汗ものである。10、11月のラジオ出演に続き、12月はテレビに出演する。現役編集長がのこのこ画面に出てきていいのかとは思うが、雑誌の発行人として広告塔もつとめねばならず、えいやっと決断した。

先月まではTBSラジオの長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」だったが、今度は開局したばかりのBSデジタル放送「BS11」である。三井物産やビックカメラがスポンサー(訂正:2007.12.11)ビックカメラや毎日新聞がスポンサーになって12月1日から放送が始まった。平日は毎晩10時から11時の時間帯に、報道番組「インサイド・アウト」が放映される。金曜日のキャスターを頼まれ、今週7日から恥ずかしながらテレビカメラの前に立つ。

コメンテーターでなく、女子アナと並ぶキャスター役である。舌が回らない私のような非おしゃべり系にとって、かなりの恐怖だ。大丈夫かいな、と本人がハラハラしている。

ディレクターによれば、ゲストを呼んでの聞き役。毎日新聞の論説委員(松田喬和氏)と2人がかりだから少々気楽だが、CNNのラリー・キングのようなわけにはいかないだろう。それにあんなにドスのきいた声で笑いをとる芸もない。まあ、丁寧に押し付けがましくなく聞いていこうと思います。

で、初回の7日は与謝野馨・前官房長官がゲストである。当然、消費税がテーマのひとつになるだろう。もしご興味があれば、ご覧になってください。ラジオ出演には「ポッドキャストしないのか」との声があっても「何卒ご勘弁を」と答えたが、テレビは録画に無防備。くれぐれも動画投稿サイトに投稿されないようお願いします。自己嫌悪に駆られますから。

ちなみにBS11はデジタルの第11番。BSアナログの11チャンネルはNHKですので、お間違えなきよう。少々手前味噌になりましたが、今後は編集期間を除いて、しばらく毎週金曜に画面でお目もじしますのでよろしく。

トークイベントのお礼

12月3日夜、東京・秋葉原のUDXカンファレンスで、FACTAフォーラムの第2回トークイベントを開きました。会場は満席の盛況でした。かなり難しいテーマと思っていたのですが、保険業界のみならず幅広い金融関係者の方々にお聴きいただき、主催者としてお礼を申し上げます。

テーマは「生命保険はネットで買えるか」でした。自動車保険など損害保険商品はネットで売られていますが、生保はこれからなので、既存の生保業界にネット生保がどんなインパクトを与えるかに関心が集まり、パネルディスカッションやその後のQ&Aでも熱い議論になりました。

パネラーにお呼びしたのは、ネットで生命保険を売る会社を設立、金融庁に認可申請中のネットライフ企画の出口治明社長と、流通の現場をよく知る凄腕保険セールスマンの大坪勇二氏です。一口にネット生保といっても、どんなコンセプトに基づいているのかを説明していただくために、ネットライフ企画の岩瀬大輔副社長にプレゼンテーションをしていただきました。司会役の小生が余計なくらい、皆さん能弁で率直な意見をご披露いただき、心より感謝申し上げます。

お聴きいただいた方々には、ネット生保のキラーコンテンツが、安さとシンプル、そして多様性と比較にあることが分かったと思います。特約だらけで複雑怪奇な商品が誰にも理解できず、不払いや未払いなどで不信を呼んでいる既存生保の盲点を突く可能性があり、また一社専属の既存セールス体制を直撃する「アリの一穴」になるかもしれません。会場に来られなかった方々のためにも、FACTA本誌やこのウェブサイトで、いずれ抄録を公開しましょう。

またイベントでは、弊社が検討中の「プレミア・サービス」についてもご紹介申し上げました。これは限定会員に特別講師を招いたミーティングや、とっておきの情報提供を行う内容です。

昨年はメルマガで何本かFACTAオンライン会員に予告スクープ(安倍訪中など)をお知らせしましたが、その延長線上のサービスです。月1回の月刊誌ではタイミングが合わない特ダネをネットで知らせる工夫でしたが、もっとグレードアップしたいと考えています。

3日のトークイベント会場に来られた方には、まだ新聞等で報じられていないスクープネタを一部披露しました。山田洋行事件など調査報道スクープで常に先行しているFACTAならではの発信が可能だという事例としてあえてお教えした次第です。

トークイベントもまた、そうした特典つきです。今後ともエッジの効いたテーマを選んで開催しますので、よろしくお願いします。

高橋洋一「財投改革の経済学」のススメ2

日本経済新聞の11月25日付朝刊書評欄に、以前このブログで紹介した高橋洋一氏の著作「財投改革の経済学」が載っていた。学術書の体裁をとっていて、出版社の東洋経済新報社も部数を期待していなかったと思うから、こういう形で評判になることは著者のためにも、また日本の政策立案者(ポリシー・メーカー)たちにとってもいいことだと思う。

それにつけても、自民党の財政改革研究会(会長・与謝野馨前官房長官)が11月21日に発表した「中間とりまとめ案」はいささか大人げなかった。この手の中間報告には珍しく、敵意むきだしで「霞が関埋蔵金伝説」批判が書かれている。

「埋蔵金」という言葉自体、UFOや幽霊話などとともに、民放がよく流すこけおどし番組を連想させるもので、それに「伝説」とつけているから、よけいウソというニュアンスがこもっている。これは消費税引き上げ反対の民主党にあてつけたようでいながら、与謝野氏や財務省の宿敵、高橋氏がこの著作で主張している特別会計の「離れですき焼き」論を揶揄したものだろう。

しかし高橋氏の論拠は、04年の経済財政諮問会議で提示された特別会計の資産負債差額(清算バランス)に基づいて、「見えない資産」が50兆円あるとはじき出している。この清算バランスを正面から論じることなく、頭ごなしに「埋蔵金伝説」と罵倒しているのはいかがなものか。どうも与謝野氏の「高橋憎し」の私情が先に立って、論議になっていない気がする。

さて、11月14日にはバーナンキFRB議長が講演し、金融政策の透明性を高めるための追加措置を実施すると発表した。バーナンキ議長は、中央銀行が物価安定の数値目標を明示する「インフレ目標」論者だが、インフレ目標の導入は当面見送り、その代わりに3年先まで(現行は2年先まで)の経済見通しを年4回公表する(現行は年2回)。市場がFRBの政策意図を汲みやすくするのが狙いで、20日から実施の運びとなった。

英国やオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、スウェーデン、スペイン、韓国などに続いて、世界最大の経済大国の金融政策が「インフレ目標」の手法を採用するかどうかは、日銀にとって他人事ではない。ECB(欧州中央銀行)もすでにインフレ目標に準じた金融政策を実施しており、日銀が世界の孤児とも見えかねないのは、小泉政権時代に福井日銀が「政府に手足を縛られまい」と総力で抵抗したからだ。

今回、バーナンキFRBが、サブプライムなどによる市場の混乱もあって「インフレ目標」見送りを余儀なくされたため、日銀はほっと胸をなでおろしているという。インフレ目標論者のキング・イングランド銀行総裁が、ノーザン・ロックの取り付け騒ぎで非難を浴びたことも、日銀の溜飲を下げたようだ、

しかし、代替措置を見る限り、マクロ経済のパフォーマンスは金融政策が鍵を握り、インフレ目標によって市場に予測を共有させるにしくはないというバーナンキ議長の基本的な考え方が揺らいだとは思えない。11月20日に発表された向こう3年間の経済見通しを見ると、事実上のインフレ目標として機能し、ここから逆算される短期金利の指標フェデラルファンド(FF)レートは4.6~4.1%の範囲で、現状(4.5%)はその上限に近く、下げ余地があるとも見えるのだ。

表:向こう3年の経済見通し(中心予測)
2007200820092010
実質GDP2.4-2.51.8-2.52.3-2.72.5-2.6
前回2.25-2.52.5-2.75
失業率4.7-4.84.8-4.94.8-4.94.7-4.9
前回4.5-4.75約4.75
PCEインフレ率2.9-3.01.8-2.11.7-2.01.6-1.9
前回なし
コアPCEインフレ率1.8-1.91.7-1.91.7-1.91.6-1.9
前回2-2.251.75-2

数字は、4Qの前年同期比。失業率は最終四半期の平均。



高橋氏の「財投改革の経済学」のもうひとつの目玉は、彼自身がプリンストン大学でFRB議長になる前のバーナンキ教授の謦咳に接し、その翻訳「リフレと金融政策」(バーナンキの著作の翻訳としてはエーベルとの共著である教科書「マクロ経済学」以外で唯一)の訳者であるという立場を生かして、「最適金融政策」とは何かを論じていることだろう。

数年前に日本の経済学界を騒がせたインフレ目標をめぐる論戦は、われわれ門外漢にもほとんど得るところがないほど低調なものだった。東大の教授連も日銀や民間のエコノミストも、誰ひとりインフレ目標がなぜ必要なのかを理論的に説明できない。賛成論者は欧州などで趨勢になりつつあるというファッション論でしかなかったし、反対論者は過去の理論を並べたてて反対の論拠とするだけだった。

本尊のひとり、バーナンキの主要業績とされている大恐慌分析ひとつ翻訳されていないし、バーナンキの同僚マイケル・ウッドフォードの主著「利子と価格」も未訳であることが、論戦の低調を裏付ける。あれでどうしてインフレ目標論の是非を論じられるのか、不思議でならなかった。が、理由が分かったのは、業を煮やして「利子と価格」の744ページもある原著を買ってみてからである。

恥かしながら私には歯が立たない。そういう経験をしたのはこれで2冊目、フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンスタインの「ゲームの理論と経済行動」以来である。相当高度な数学の素養がないと、延々と続く数式に耐えがたくなる。両著とも英語の原書を買ってみたが、途中で投げ出してツンドク状態である。

幸い、私は専門のエコノミストではないからさぼっているが、一知半解のエコノミストたちは明らかにてあてずっぽうを並べ立てている。冗談で高橋氏に「どうせなら、ウッドフォードを訳したら」と言ったら。出版社が首を縦に振らないそうだ。なんとなれば、まず売れない(難解すぎて)、そして数式が理解できる人は日本語を必要としない、からだそうだ。日本の経済学とはその程度らしい。

「財投改革の経済学」では、そのウッドフォードの立論に基づいて数式で最適金融政策を導きだそうとしている。「利子と価格」にも第八章に「最適金融政策ルール」という章があり、高橋氏にそれに準拠したのかと尋ねたら、むしろプリンストンでの講義録に準拠しているという。

その議論を上手に説明する自信はない。高橋氏の記述に従えば、最適金融政策とは「経済に発生するショックに対して経済厚生の損失を最小化する政策」であり、家計の効用最大化を中央銀行の損失関数の最小化に置き換え、これを「インフレーションとGDPギャップの二次関数」で表すという。

マクロ経済の全体構造からみると、最適金融政策は、総需要曲線と総供給曲線のもとでこの中央銀行損失関数を最小化することによって得られる。これは「ラグランジュ乗数法」(制約条件のもとでの最小、最大の解法)によって解が得られるのだそうだ。高橋氏はここで、「裁量」と「コミットメント」に分ける。

裁量とは「金融政策が経済主体の期待に与える影響を所与として政策を実行することをいい、民間主体の期待を所与のものと外生化して、ラグランジュ乗数法によって最小解を求める」が、コミットメントとは「金融政策が経済主体の期待に与える影響を内生化し、それを考慮に入れて政策を実行することをいい、民間主体の期待を内生変数としてラグランジュ乗数法で最小解を求める」ことだという。

インフレ目標とは後者を指す。前者は金融政策の目標達成に責任を取る明確なものでなく、「曖昧で信認が得られないと、予想形成に及ぼす効果も不確定になる」として、高橋氏はコミットメント解からインフレ目標ルールと思える数式を導きだす。少なくとも私にとって、こういうロジックは新鮮だった。

政策論と言うより政治論のような、中途半端なインフレ目標論争とは次元が違う。水準の低い金融政策論はもう聞きあきた。財革研のような低次元の小股すくいでなく、ウッドフォードの数式の是非を問い、高橋氏に正面からチャレンジする論争を望みたい。

12月号の編集後記

FACTA最新号(12月号、11月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は26日から。お楽しみに。



無人の野を歩んで、不安に耐えられる人はそう多くない。茫々と地の果てまで道もなく、案内もいない。響くのは自分の足音だけ。調査報道も似ている。6カ月前、山田洋行疑惑を初めて報じたときはそうだった。元専務や本社の写真すらない。リアリティーは文章の中だけだ。自ら掘り出すスキャンダルとは、がらんどうの無音室で声を発するようなものだった。

▼でも、今は検察が“解禁”したから、どの新聞も思い切り書き飛ばしている。名誉毀損のリスクも、賠償訴訟のリスクもなし。人のあとからついていくのは楽なのだ。そのかわり、スクープの恍惚もないし、予見のときめきもない。時の権力者に徒手空拳で挑む恐怖もないし、他人の人生をぶち壊して覚える慙愧(ざんき)の念もない。

▼あれほど意気揚々としていた標的が、見る影もなくやつれて被疑者になっていく。それを見て快哉を叫びたくはない。スクープは逮捕にたどりついたらノーサイド。相手に恨まれたとしても、痛みを心の奥で抱えて、原野の電信柱のようにぽつんと立っていたい。

▼さて、トークイベント第2回として「FACTAフォーラム」を開こう。前回は手嶋龍一氏と参院選直前に政治を論じたが、今度は生命保険。年金不安が高まって「もう国には頼らない」とはいうが、自力で設計できるのだろうか。対面販売の生命保険をインターネットで売る試みが始まろうとしている。大手生保出身の出口治明氏(ネットライフ企画社長)を招き、敏腕セールスマンでファイナンシャルプランナーの大坪勇二氏と論じてみよう。12月3日19時30分から、東京の秋葉原UDX南ウイング6階のUDXカンファレンスで。参加費は一般4000円、本誌ご購読者と学生の方は2000円。詳細とお申し込みはウェブサイトで。

今度は「生命保険」でトークイベント

7月の参院選直前、本誌コラムニストの手嶋龍一氏とトークイベントをしたのが好評でしたので、12月3日(月)に第2回を開きます。今度のテーマは生命保険。それもちょっとひねって「生命保険はネットで買えるか」――。

「保険見直し本舗」なんてトランクスをはいて、亀田大毅を破ったボクシングのチャンプがいましたが、年金データ問題など公的年金の先行きに不安が広がるなかで、自分の生命保険も見直してみたいという人が増えています。

そういうニーズに応える保険の販売方法として、インターネットで保険を売る試みが本格的に始まろうとしています。年末から年初にかけて2社が金融庁の認可を受けてスタートしそうなので、このタイミングで「ネット生保」の可能性を探る議論をしてみたい。

パソコンなら、デルでもHPでも好きなパーツを組み合わせてネットで注文できます。しかし保険の仕組みははるかにややこしい。契約書の頭が痛くなるような細字と項目、そして何十年も先を見越した複雑怪奇な特約を知る人には、よほどのことがなければお得な商品をみつけるのは至難のわざと思えます。

それをテーラーメード化できるのでしょうか。「国にはもう頼れない」とみんな口にしますが、自力の設計は容易ではありません。では、対面販売で売り込まれるものが本当にいいのでしょうか。保険のセールスマンやセールスウーマンを見ていると、あのコストが保険料を高くしている気もします。

もともと、最先端のネットマーケティングに生命保険を乗せられるかどうかに興味がありました。ネット生保に挑むネットライフ企画の出口治明社長は、彼が日本生命の大蔵省担当やロンドン支店長だった時代からの知り合いで、会社を辞めて東大で恩返しのお手伝いをしていたのに、この新たな試みに身を投じた人です。インドのムガール朝の始祖バーブールの本を紹介してくれるなど、なかなかの教養人でもありました。その胸のうちをぜひ尋ねてみたい、というのがこのイベントを企画した出発点です。

ただ、私は日経の金融記者出身ではありますが、保険セールスの現場まではよく知りません。ここはセールスのプロ、それも凄腕の方をお招きし、新旧の保険販売を比較して、論戦を戦わせていただこうと思います。こちらはベテラン・セールスマンでファイナンシャル・プランナーの大坪勇二氏(ホロスプランニング東京オフィス長)をお招きしています。中南米や旧共産圏、アジアなどを放浪し、マッサージ師から大道芸までユニークな経験をお持ちの方です。司会役の私も辺境好きですので、ウマがあうかもしれません。

トークイベントの詳細は以下の通りです。本誌ご購読者に限りません。生命保険の未来に関心をお持ちの方は、業界人も素人さんも、ぜひふるってご参加を。



トークイベント「生命保険はネットで買えるか?」

■概要

日時:2007年12月3日(月)19:30~21:30(開場 19:00)
会場:東京・秋葉原UDXカンファレンス RoomA+B
定員:120名(先着順)
参加費:定期購読会員2000円、一般4000円、学生2000円

■パネリスト

出口治明氏
(ネットライフ企画株式会社代表取締役)
1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当。生命保険協会において初代の財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事。ロンドン現地法人社長、国際業務部長、公務部長などを経て、同社を退職。2005年より東京大学総長室アドバイザーを勤めた。07年より早稲田大学大学院講師(非常勤)。著書の『生命保険入門』では、生保の真実を鋭く指摘し業界内で話題になった。

大坪勇二氏
(株式会社ホロスプランニング東京オフィス長、ファイナンシャルプランナー)
1964年九州生まれ。86年大学を休学し、世界を放浪(南米、北米、旧共産圏、アジア)。88年から鉄鋼メーカー・総合商社で9年間経理と人事を担当。 97年ソニー生命保険株式会社に入社、2003年エグゼクティブライフプランナー。05年株式会社ホロスプランニング東京オフィス創設に参画、オフィス長に就任。HPC®(ブレインズ株式会社開発によるヒアリングを主体とする顧客との信頼関係を短時間で構築する手法)研修講師として大手証券会社等多数実績を持つ。FP業界での起業グループ「キーストーンアライアンス」副代表を務め、IFA(インディペンデント・フィナンシャル・アドバイザー)等海外の新しい潮流を日本に取り入れることに熱中している。CFP®。02年MDRT日本会大会委員長、04年同国際委員長。MDRT7回会員(COT2回)。


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覆水盆に返らず――出戻り小沢氏

読者の方から大連立について数行でもコメントを、というご要望が寄せられました。

実はTBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」で、月曜から水曜まで3回、この問題でコメント、というか、まあ感想を問われまして、私見を披露しました。一言でいえば、ジャーナリズムの側も翻弄され、小沢氏の辞意撤回とその裏で進んでいた大連立構想を軽々しく批評するのには躊躇せざるをえません。

こういうとき、あまり気のきいたこと、訳知り顔のことを言う人は、信じる気になれません。秦の王政(のちの始皇帝)に招かれた挙句に殺された吃りの貴公子、韓非の言葉を借りれば、「乱をもって治を攻むる者は亡び、邪をもって正を攻むる者は亡び、逆をもって順を攻むる者は亡ぶ」です。

つまり、政治の要諦は秘密にあるとはいっても、「お国のため」を名分にしたアクロバチックなサプライズでは、誰もついてこないし、わが身を滅ぼすということでしょう。ナベツネさんは奇をてらいすぎで、冗談で言えば、巨人軍がリーグ優勝しながら日本シリーズに出られなかった憂さ晴らしを、こんなところでしてもらっては困ります、ということでしょう。

小沢さんも、福田さんも、元の鞘には収まらないでしょう。政治に逆戻りなんてない。大連立は自民一党支配への郷愁で、中選挙区制にすれば公明、社民、共産などみなハッピー。そういう既得権みたいな思考が、永田町の各党には底流としてあって、大連立はいかにも後ろ向きの発想です。

先輩の田勢さんが言うように、法案が一本も通らず、国政が停滞しているのは事実。でも、政争となれば政治家ほどエゴな人たちはいない。血が騒いで国民などそっちのけ、ましてや自分の選挙にかかわることですから、国政停滞なんて常に口実か隠れ蓑にすぎません。

さて、次号をどうするか。大沢さんには言いましたが、日替わり政局で誌面は大混乱、綱渡りの日々です。いまは締め切り期間で、連日のように帰宅は午前4時すぎ。木曜はラジオは勘弁していただきました。どの雑誌の編集長も、過労死すれすれで悲鳴をあげているのではないかしらん。

高橋洋一「財投改革の経済学」のススメ 1

著者の名を見て、おや、と思った人は、相当な永田町・霞が関通である。彼は小泉・安倍政権の知恵袋だった財務省出身の官僚なのだ。だからこそ、安倍政権の崩壊直前、内閣府参事官の職を事実上追われる身となった。詳しくは、安倍晋三氏と同じ山口出身である元テレビ朝日政治部長の末延吉正氏(立命館大学客員教授)の手記「我が友・安倍晋三『苦悩の350日』」(月刊現代11月号)を参照。

偶然とはいえ、その当人が一月も経たないうちに、自ら設計した「改革」の手の内を示す本を出版したのだから、これは手に取らずにはいられない。小泉・安倍政権の改革とは何だったか、凡百の駄本を読むより、当事者が書いたこの一冊を読めば、それで事足りるからである。

本の帯に竹中平蔵・慶応大学教授の推薦の弁――「今後、公的金融システムに関する分析や政策論議において、本書は間違いなく改革の基本バイブルとなる」という言葉が載っているが、当然だろう。竹中氏が立て板に水で語る政策論は、高橋氏のアイデアによるところが多いからだ。

現に10月30日、竹中氏は来年、慶応大学創立150年記念で誕生する大学院システム・デザイン・マネジメント研究科とメディア・デザイン研究科の記念シンポ(司会・村井純教授)で講演して、「政治家でなく学者として」プロモーションに励んでいたが、そこで得々と語った成長万能路線は、高橋氏のライジング・タイド(上げ潮)を見事に踏襲していた。

高橋氏とはもう15年近くの付き合いだから、ここで書評を試みたい。でも、本書は小泉・安倍政権の改革アジェンダのほとんどを網羅しているのだ。財政・財投改革、郵政民営化、特殊法人改革から金融政策論まで広すぎて小生の手に余る。そこで、最後の章の「他の政策への影響」だけに絞ろう。

まず政府資産・負債管理政策。ここにめっけものの数字がある。国の貸借対照表から浮かびあがる特別会計の「見えない資産」である。これまであるあると言われてきたが、霞が関の「隠しポケット」が、本書で裸にされている。かつて塩爺、こと塩川正十郎が言った「母屋(一般会計)でおかゆ、離れ(特別会計)ですき焼き」の実態はこれなのだ。

高橋氏のデータは、05年4月27日の経済財政諮問会議で明らかにされた数字に基づいている。これは各特別会計について、継続中の事業をのぞき新規事業を行わないという前提ではじきだした資産負債差額(清算バランス)の推計額である。

それによると、特会に隠された主な「見えない資産」、つまりプラスの清算バランスは

財政融資資金特別会計53兆円(現在価値23兆円)
国有林野事業特別会計4・5兆円(同4・5兆円)
労働保険特別会計6・5兆円(同5・1兆円)
空港整備特別会計2・3兆円(同1・9兆円)
自動車損害賠償保証事業特別会計1・2兆円(同0・7兆円)

当時の奥田委員が「こんなにあるのか」とのけぞったという数字だ。道路特別会計にもこの「見えない資産」があるのに、経財諮問会議には数字を公表しなかった。新規の道路需要がそれほど増加していないことを考えると、独自財源が余剰する可能性が高く、「見えない資産」は10兆円以上あるという。

省庁はこうした特会の隠し資産を手付かずにしておいて、一般会計から国費を繰り入れている。高橋氏の指摘では、労働保険特会は資産負債差額4・2兆円は、責任準備金8・0兆円に対し50%以上あり、保険料が高すぎるおそれがある。空港整備特会も同じだ。資産負債差額が2・3兆円もあるだけに、一般会計からの繰入額も空港使用料も「ぼったくり」の可能性があるという。

高橋氏は「離れですき焼き」は計50兆円規模とみる。民主党が知ったらほくそ笑むだろう。消費税1%引き上げで税収が1兆円の増収になるが、50兆円も「隠しポケット」に抱えていながら、一銭もたくわえを崩さずに消費税引き上げが通るはずもない。

皮肉なことに、高橋氏のこの本は消費税引き上げ論を覆す決め手になるのだ。

この書評の続きは次回に書こう。金融政策論までとても手が回らない。

田淵節也氏と青木昌彦氏

1日から野村證券元会長の田淵節也氏の「私の履歴書」の連載が日経で始まった。取材等でお世話になった。思い出したのは、日経ビジネスで4回連載のインタビューを載せたことである。証券不祥事などで国会に呼ばれ、苦労したあとだったが、さまざまな苦悩を洗い流したような静かな表情が忘れられない。

今回の履歴書でも、初回から食道がん手術2回、目の下の腫瘍に放射線治療したことを書いている。あのゆっくりした口調そのものの淡々とした文章だ。

最後にお会いしたのは何年前だろうか。笹川平和財団の定期刊行物に田淵さん自身がインタビュアーになるコラムがあって、私がインタビュイーになるという、いつもとは逆の立場になった。日産ゴーン論などを語ったのが恥ずかしい。そのお礼に行ったのが最後で、ご病気とうかがって遠慮したままになっている。近況の写真が元気そうなので安堵した。

田淵氏も書いているように、昨日連載が終わったスタンフォード大学名誉教授の経済学者、青木昌彦氏の「私の履歴書」は出色だった。60年安保の全学連のエピソードが面白い。故唐牛健太郎とあんなに親しかったのかと驚いた。

先月19日、履歴書を手伝った日経の元編集委員のパーティーで青木氏の顔をお見かけした。いつ書くかと最後まで期待したのが、桐島洋子氏とのエピソードである。あれだけ全学連時代のことを率直に書くのだから、新藤兼人が愛人乙羽信子を書いたように書くのかなと思っていたが、結局肩透かしだった。

エコノミストの大半はそれを期待していたのではないか。でも、やはり相手が生きていては書きにくいのだろう。今の奥さんに気兼ねした、とも漏れ伝わってくる。

自叙伝は常にヴェールに包まれる。残念だが仕方がない。

プレゼント発送のお知らせ

9月25日にブログでお知らせした「井上久男著『トヨタ愚直なる人づくり』プレゼント企画」へご応募いただいた方の中から、抽選で10名様を選んで本書を発送いたしました。先週の木曜日に送ったので、当選者にはもう届いていると思います。たくさんのご応募ありがとうございました。


ライブハウスとお詫び

あまり日常生活はブログに書かないことにしている。編集長の人脈は企業秘密でもあるし、何を仕掛けているか手の内が読めてしまうという理由もある。今回はその例外。ワケアリなので、あえて24日夜の行動の一部をご披露する。

赤坂のライブハウスへ行った。竹内まりあもかつて加わっていたという慶応大学のバンド「リアス・マッコイズ」のOBが結成しているおじさんバンド「マッコイズ・カンパニー」のライブを聴きにいったのだ。バンドのリーダー、前田君が日比谷高校時代の同学年なので、もう3、4回ほど聴いている。

バンドのメンバーの一人が、大和証券グループ本社社長の鈴木茂晴氏である。現役社長ながらライブハウスの狭い舞台に立って、ベースギターをひく珍しい光景にお目にかかれる。学生時代に「リアル・マッコイズ」に加わり、その味が忘れられずにバンド活動を再開した経緯は、最新号(11月号)の月刊「文藝春秋」で彼自身がエッセイを書いているので、そちらを参照してください。

いつもは大和証券の秘書軍団がずらっと中央座席を占めているのだが、24日は日比谷OBが大勢だったので、中央の座席を占めた。先週の土曜に同窓会をしたばかり。私も誘われて遅れて行ったら、なんとかぶりつきの席だった。いつも遠目に見ているバンドを眼前で拝見する事態になった。

日比谷OBの一団は「遅刻坂合唱団」(日比谷高校前の急な坂のことで、始業時間に息せききって登っても間に合わないので「遅刻坂」と呼ばれる。詳しくは庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を参照)の面々で、この晩は臆面もなく舞台にあがって「誰もいない海」を合唱した(恥ずかしながら私も引きずりこまれた)。伴奏はマッコイズの方々だから、恐れ多くも鈴木社長に伴奏していただいたことになる。



さて、このバンドの客分扱いで、毎回、ギターを抱えて参加する社長さんがもうひとりいる。帝国ホテルの小林哲也氏である。この晩は「コットンフィールズ」と「カントリーロード」を絶唱、やんやの喝采を浴びた。目の前の席だったので、携帯で写真を撮らせていただいたが、ライブが終わってから名刺を交換、「ああ、FACTAさんですか。書いていらっしゃいましたね」と言われて冷や汗をかいた。

FACTAも最新号(11月号)のディープ・インサイドで取り上げたのだが、見出しを間違えた。サーベラス主導で進められた国際興業保有の帝国ホテル株が三井不動産に売却された一件は、すでに新聞等でも報道されている。会見の席には、三井不動産の岩沙弘道社長とともに小林社長も出ていたから、ご記憶の方も多いだろう。FACTAの見出しは「三井不動産」を「三井物産」と誤記して校閲も見落とし、印刷されたのだ。

明らかに編集者のミスである。ごめんなさい、小林さん。

というわけで、このブログで帝国ホテル、三井物産、三井不動産、そして筆者も含む関係者にお詫びし、訂正させていただく次第です。記事はこのウェブサイトで無料公開し、見出しを直して掲載しています

それがこのブログのワケアリの理由。いやはや、世間は狭いというのが実感ですね。

日経新聞に広告掲載

FACTA最新号は本日(10月20日)発売ですが、FACTAの新聞広告が20日付の日本経済新聞朝刊9面(国際2面)に掲載されます。表紙など誌面のリニューアルとともに、広告もデザインを一新し、高級情報誌にふさわしいものを目指しました。お目にとめていただければ光栄です。

これまで朝日、読売、産経新聞に掲載してきましたが、編集長の古巣である日経の紙面を借りて、広告を掲載する運びとなりました。関係者のご尽力に感謝いたします。

なお22日月曜には、産経新聞朝刊に全5段広告が掲載されます。こちらもよろしく。


防衛省スキャンダルの根っこ

10月19日付の朝日新聞と産経新聞の朝刊は、防衛省と防衛専門商社「山田洋行」の癒着疑惑を報じた。朝日は前防衛事務次官、守屋武昌氏と山田洋行元専務が多数回にわたって一緒にゴルフを楽しみ、自衛隊員倫理規定違反の疑いがあること、産経はこの元専務に特別背任の疑いがあり、東京地検特捜部が事情聴取を進めていることを報じている。

同日朝の民放ニュースショーでは、レポーターが「この疑惑は6月に一部で報じられており、関係者の注目を集めていた」と述べた。この「一部」とは月刊 FACTA6月号(5月20日発売)「防衛省震撼「山田洋行」の闇」である。当時、守屋氏はまだ現職の事務次官であり、「防衛省の天皇」と呼ばれる実力者だった。新聞に約5カ月先んじたこのスクープをここにフリー公開する。

FACTAは9月号(8月20日発売)でも、守屋氏が解任された小池百合子前防衛相との角逐の裏側に、この山田洋行疑惑があることをいち早く報じている。旧住友銀行(現在の三井住友銀行)の不良債権処理にまで広がる根の深い問題であり、防衛省をめぐるスキャンダルの根っこは、FACTAの記事によってこの赤い糸を手繰らなければ理解できない。

11月号の編集後記とお知らせ

まずお知らせを先に。

FACTAは10月20日発売の11月号から小リニューアルを行っていますが、発売と同時にご購読者に配信している最新号ご案内のメールマガジンも、1日早く繰り上げて19日正午に配信します。

さらにご購読者のうち、オンライン会員にご登録いただいている方は、このFACTA onlineサイトで最新号の全記事を閲覧することができますが、その閲覧可能時間も19日正午からとします。

地域により雑誌がお手元に届くのが19日から21日までとばらつきがあり、一刻も早く記事を読みたいご購読者が地域差で損をしないようにするための変更です。これまでの20日オープンだと、19日に雑誌を手にした人に遅れを取る人が出てくるので、閲覧可能時間を前倒しすることにしました。

今後ともサービス向上につとめますので、よろしくお願い申し上げます。

さて、以下は最新号の編集後記です。



お気づきのように、今号から表紙を変えました。創刊以来1年半、第18号までアラーキーこと、写真家の荒木経惟氏の鮮烈な花の写真で飾らせていただきました。蘭や菊に直にリキテックスを塗った原色のイメージは、ヌードよりもヌードを感じさせ、隠れたファクツを裸にすることを使命とするFACTAにふさわしいと考えました。優しさと残酷さ、終末と未来を予感させるこの稀有なカメラマンに、あらためて感謝申し上げます。

▼新しい表紙は江口暢彌(まさや)氏。岩絵具で和紙にモダンな日本画を描く若手の画家です。今度は原色だけではありません。でも、その色彩とフォルムに心惹かれるものを覚えました。贅言は無用。彼の言葉を引きましょう。「ぼんやりと辺りを見ているとドキッとする時があります。いままで持っていたもののイメージが一瞬にして変わる瞬間です。普通だと思っていた光景が非日常になる。……このようなとき、人は多くのことを『目』ではなく『記憶』で見ていると感じます」。今号の絵は「ふたり」という題です。

▼表紙の変更とともにAD(アートディレクター)も代わります。荒木氏の表紙を担当していただいたインフォバーンのAD木継則幸氏と、小林弘人会長には、これまでのご協力に感謝申し上げます。新しいADは長谷川オフィスの長谷川周平氏。父上が小沢書店社長だった長谷川郁夫氏です。ご自分で執筆した『美酒と革嚢第一書房・長谷川巳之吉』は惚れ惚れするような美本。芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。文芸書づくりの名人で、かねてから尊敬していた長谷川父子のお力を借りることにしました。

▼ほかにも誌面デザインなどを小リニューアルしています。定期コラムの「隗より始めよ」「インサイド」「メディアの急所」「ローカル・アイ」「レリージャス・ワールド」などのレイアウトを衣替えしました。読みやすくするのが主眼ですが、雑誌は何より生き物なので、生々流転でうつろいゆくのが宿命です。女性のように、今後も誌面デザインは季節や年齢に応じて装いを順次替えていきます。新しい企画も掲載準備を進めていますので、追い追い誌面に登場するでしょう。

▼もうひとつ。編集長自身も10月から少し広告塔を始めました。滑舌系ではないので冷や汗ものですが、英国駐在時代にBBCラジオの質の高さに憧れていたので、むげに断れませんでした。TBSラジオの長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」で、しばらく毎週火曜午前9時からパーソナリティーのお相手をつとめます。トチったらご容赦を。

強行軍ラジオ

ええ、また恥ずかしながら、TBSラジオでピンチヒッターをつとめます。前回と同じく「大沢悠里のゆうゆうワイド」ですが、今度は時間帯が違います。9日(火曜)午前9時の「朝の事件簿」のコーナー。

いつもこのコーナーで大沢パーソナリティーの相手役をつとめている元「サンデー毎日」編集長の鳥井守幸さんが都合によりお休みで、不肖、私が代役をつとめることになりました。

前回は鳥越俊太郎さんの代役でしたが、今度はその大先輩の代役。確か鳥井さんといえば、「イエスの方舟」の密着取材で有名になった方。ちょっと荷が重いうえに、相変わらず喋りには自信が持てないので、迷いますね。

しかも、今は雑誌の編集期間中。実はこれを書いているのは、9日午前3時近く。まだオフィスにいてようやく出稿が一段落したところ。とほほ。編集長はきついなあ。

8時にスタジオにといわれているから、あと何時間寝られることやら。睡眠不足はいつものことながら、ぼーっとした頭で喋れるのかね。

ま、それもこれもエクスキューズ。わけの分からんことを口走ったら、寝てないせいと居直るしかない。ああ、大丈夫なのだろうか。いよいよ、羊が一匹、羊が二匹……と数える羽目になるかも。

山本一生著「恋と伯爵と大正デモクラシー」のススメ

熊本日日新聞に数カ月に一度、書評を寄稿している。「阿部重夫が読む」という気恥ずかしいタイトルだが、今回は9月30日付の朝刊読書面に掲載された。とりあげたのは、山本一生著「恋と伯爵と大正デモクラシー有馬頼寧日記1919」(日本経済新聞出版社 2000円+税)である。

有馬頼寧と言っても知る人は少ない(「ありま・よりやす」と正確に読めない人がいるかも)。でも、「有馬記念」の名を残した人なのだ。戦前の伯爵であり、華族の身ゆえ、麗々しい名前だが、本人はその名を「タヨリネー」と読み替えて、悦に入っていたというから面白い。

自嘲だけではない。そこには秘められた恋物語があったという。

玄人好みだが、万人に読んでほしいな、と思った本である。掲載から4日経ったので、もう熊日に礼を失することもないだろう。熊日の読者以外にも紹介したいので、ここに再録する。ただし熊日版は行数が溢れたので、これよりもっと短くなっている。



歴史は時代の哀しみを語る。それなくして史家を名乗る資格はない。私は生来の怠惰に加え、古人の書牘を読み解く学識と考証が不足している。書物の森に深く分け入って、徒労も辞さず埋もれた固有名詞を追う「訓詁探偵」の無垢の情熱にも乏しいから、そういう史家には脱帽するばかりである。

けれど、いつのまにか、そんな史家が消えて久しい。平成はたった一人の司馬遷、一人の森鴎外も出せずに終わるのか。

今は、否、と言おう。

久留米藩二十一万石の伯爵家を背負った有馬頼寧(一八八四~一九五七)の人生の一隅を照らした史伝がここに出現した。一見、トリヴィアルな秘話発掘とも読めるのは、頼寧の名がすでに忘却の波間に沈みかけているからだろう。

辛うじて記憶にとどめている人でも、中央競馬の年末のフィナーレを飾る「有馬記念」のもとになった中山グランプリの生みの親、そして精々が直木賞作家、有馬頼義の父というくらいの知識だろうか。

しかし、この本は頼寧の波乱万丈の一生を追うものではない。大正八年のたった一年、頼寧が断念した恋に絞って、あとは枝葉と思い切り刈りこんでいる。だから狷介詰屈な『渋江抽斎』のように、素養がなければ歯が立たない鴎外の重苦しい史伝とは趣を異にし、優れた小説のように芳醇で読みやすい。

頼寧の生涯を知りたいなら、巻末の年譜(簡にして要を得た記述は春秋左氏伝の筆法である)で一望すればいい。華族の桎梏に屈したこの哀しい恋を浮かびあがらせ、一斑にして全豹を知らしめんとした工夫がよく分かる。

歴史上の頼寧はA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに八カ月半収監された人だ。学習院高等科時代から近衛文麿や木戸幸一、志賀直哉らと親しく、襲爵前は農商務省に入省しており、貧民教育や差別撤廃運動、農民運動や労働運動などに私財を投じた善意の華族政治家である。

産業組合中央金庫(現在の農林中金)理事長から産業組合中央会(のちの全中)会頭を経て、第一次近衛内閣では農林大臣に指名された。その後も近衛の新体制運動に参画、「大政翼賛会」の事務総長を務めながら、国策イデオローグたちに「アカ」と呼ばれて集中砲火を浴び、近衛の切り捨てによって失脚した。

山あり谷あり、人物も魅力的なのに、本格的な伝記が書かれなかったのが不思議である。もっとも「世の中で一番嫌いなものは銅像と伝記」と頼寧本人が峻拒し、戦後に沈痛な自伝の筆を執っただけに、なまなかな史家や伝記作者の手には負えなかったのだろう。

作者はそこに挑戦した。アカデミシャンではない。石油会社で経理を担当し、のちフリーランスとなって競馬の血統研究の翻訳や、秀逸な競馬文化論を書いてきた在野の人である。九〇年代から刊行が始まった有馬頼寧日記全五巻を編纂した伊藤隆東大名誉教授に薦められ、索引づくりを手伝うことになった。

日記には詳細な注が必要で、フルネームでない名称、略称、愛称の正体を突き止めるのは容易なことではない。資料渉猟は頼寧日記のみならず、有馬家を支配した枢密院議長倉富勇三郎の日記や、信愛学院史、民俗学の柳田国男から俳人の松根東洋城など広範囲に及ぶ。その徹底した博捜からこの作品は生まれた。

劈頭、都立中央図書館の検索キーボードを叩く場面に始まるように、これは一種の追跡ミステリーである。読者はいつのまにか「検索の猟犬」となって、ひたすら謎を追っている。日記に点綴された「ミドリ」「M」とはいかなる恋人なのか。親友「八重ちゃん」の業病は何だったのか……。

驚くべき発見があった。意外さは奇遇の域を超えている。やはり、優れたノンフィクションは凡百のミステリーにまさるのだ。私のようなジャーナリストはそこで納得するが、作者は立ちどまらない。頼寧とミドリの別れのクライマックスは虚実の境を越え、ほとんど二人に仮託したモノローグになっていく。

実を言うと、作者と評者は高校以来の友人である。彼は伊藤門下の優駿だったが、大学紛争の余燼で院を受験しなかった。当時は「ボンクラが大学に残るのさ」とうそぶき、在野の意地に生きた。「所詮、学者は史家ではない」というのが僕らの結論である。身びいきでなく言うが、この本はその渇を癒してくれた。

「思い残すことはもうない」

作者はそう言う。でも、この本を読ませたかった友がいる。五月に亡くなった作家、藤原伊織である。大学でみな一緒だった。

二人の作品は同じ哀しみをたたえている。消えた時代の哀しみを。

ひやひやラジオ

あがった。1日正午すぎ、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」に初めて出演したが、案の定、マイクを前にした途端、何をしゃべったか記憶が飛び飛びである。

もしかして、胡乱なことを口にしたのではないか。座る前は口調ははっきり、「えー」とか「あー」とか「要するに」とかを連発するまい、と考えていたのだが、りゃりゃりゃ、と思うまに早口になる。声帯が緊張して声が枯れ気味になるなど、自覚はするのだが、どうにもならない。


大沢さんの目配せや、フォローアップの言葉がなければ、どうなっていたことか。多謝多謝。

真っ昼間なのでアルコールにも頼れず、コメンテーターとしてはつくづく下手だなあと思いました。終わったら「テープ要りますか」と言われて、さすがにあれをもう一度聞く度胸が出てこない。自己嫌悪に駆られるでしょう、きっと。プロになるなら、おしゃべりの欠陥を知るために聞きなおすのでしょうが、自分はまだその踏ん切りが……。

とにかく、いい経験になりました。