EDITOR BLOG

最後からの二番目の真実

「石原慎太郎銀行」の深き闇――1年前のFACTA第一報で明らか

新東京銀行をめぐる東京都の石原慎太郎・知事の「責任転嫁」は目を覆わせる。3月10日に新銀行東京の津島隆一代表が発表した調査報告書は、いっさい都も知事も責任をとらないという姿勢で一貫し、トヨタ自動車から三顧の礼で迎えた仁司泰正・元代表取締役に全責任を転嫁する内容である。新銀行東京が不良債権の山に呑まれ、破綻の危険水域に達していたことを、経営陣が都に隠していたかのような強弁に終始している。

明らかに事実と違う。月刊誌FACTAは07年1月20日発売号で、どこよりも早く「重篤『慎太郎銀行』の深き闇」を報じて警鐘を鳴らした。そこでは06年12月に金融庁が最後通牒を突きつけていたスクープが書かれている。それを都や知事が知らなかったとは言わせない。少なくともこの記事は、同年4月の都知事選を控えたスキャンダルとして石原陣営を緊張させたのだ。彼は3選のためにひたすら「臭いものにフタ」で済ませた。

当時、FACTAは都の産業労働局金融部から「新銀行東京は都の機関銀行ではありませんから、大株主ではあっても経営の細部に口出しできませんから」という逃げ口上を聞かされた。知事キモ入りの銀行だから、どんなひどい状態でも見てみぬふり、という木っ端役人根性を痛感した。FACTAが当時、どこまで深く抉っていたかは、記事をフリー公開するのでご覧いただきたい。

現在の新聞などの報道の原点はここにある。都知事選前に報道を手加減し、新銀行東京の惨状を追及しなかった都庁クラブ詰め記者は恥を知るべきである。日ごろ大政翼賛型の記事しか書いていないから、責任回避に汲々とするだけの知事に恫喝されるや、呑まれて怯んでしまうのだ。それを悔いるなら、今からでも知事の首を取る覚悟で臨むべし。都議会で400億円追加増資に賛成するような都議は、次期都議選で落選させなければならない。

石原ファミリーの選挙区(石原伸晃の東京8区、石原宏高の東京3区)で、新銀行東京に対する情実融資例が一つでもあれば、知事は一発辞任である。無理な融資に奔走させられたあげく、辞めさせられて恨み骨髄の行員諸君に訴えたい。

ファミリー後援者で新銀行東京の融資を受けた例をご存知でしたらぜひご一報を。FACTAが徹底的に取材し追い詰めます。いや、それ自体、捜査対象になることは間違いない。情実が証明できれば、知事は土下座では済まない。

都と石原知事は旧経営陣の刑事・民事責任を追及するつもりらしいから、旧経営陣と責任のなすりつけあいが起きるだろう。皮肉なことに東京地検特捜部長や名古屋高検検事長を歴任した弁護士の石川達紘氏までいる。仁司氏は石原知事が一橋大学人脈をたどってトヨタの奥田碩・経団連会長(当時)に頼んだものだ。検察人脈やトヨタにまで責任を転嫁する都と石原知事は、猛烈なリアクションに見舞われるだろう。

FACTA 2007年2月号「重篤『慎太郎銀行』の深き闇」

3月号の編集後記とお知らせ

FACTA最新号(3月号、2月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は26日からです。

昨日より、FACTA onlineの一部リニューアルを進めています。創刊3年目を迎えるにあたり、より使いやすく充実したオンライン・サービスを提供できるよう作業を進めているところです。4月からはオンライン広告も始めます。ご興味のある方は、ad@facta.co.jpまでご連絡ください。

さて、以下は最新号の編集後記です。



冷たい冬の小糠雨に肩を濡らしながら、東京・四の橋の坂道をのぼっていくと、ひっきりなしに外交官用の青いナンバープレートを付けた黒塗りの車とすれ違った。イラン大使公邸に次々と吸いこまれていく人影。誰かの声が聞こえた。「様変わりですなあ。つい昨年まで、腫れ物に触るようだったイランに、こうもお客さんが殺到するとはね」

▼前任大使が外務次官に栄転、後任のお披露目レセプションが2月12日に開かれた。日本人の姓にもありそうなセイエッド・アッバス・アラグチ新大使と名刺を交換し、「私は9年前にイランを訪れました」と語りかけると「もっと来ていただかないと」と笑顔を見せた。会場はすし詰め。そこここで聞こえるのは「たくさんお仕事をいただいておりまして」(We have a lot of business)という挨拶だ。商社や石油会社のビジネスマンに交じって、金糸銀糸の飾緒(モール)を帯びた中国人民解放軍やロシアの軍服が人目を引く。

▼みなケバブをぱくつきながら、目と目が火花を散らしている。米軍がいつイランの核施設に「外科手術的攻撃」を行うかわからなかった昨年半ばまで、誰もが君子危うきに近寄らずだった。ところが、アメリカの情報機関が「2003年にイランは核開発を中止した」との“政治的”報告を行うや、百年の知己のごとく人が群がる。その分析には英国もイスラエルも否定的(66ページ参照)で、ある日本の外交官も「あれから状況は何ひとつ変わっていないんですがねえ」とため息をついていた。

▼ペルシャ散文の粋『ゴレスターン』(薔薇園)はイラン人お気に入りの警句集だ。シーラーズで、私も作者サーディの墓に詣でた。身を揺らして暗誦する少年にやんやの喝采。ひとつ引こう。「寛容は好もし。されど暴君の傷に膏薬を塗るなかれ。知らざりき、すべて蛇を憐れむものは人の子を苛むことを」

のけぞります86兆円救済

1日以降、編集が本格化してブログを書けませんでした。病気かと心配している人もいたようなので、本日から再開します。東京は例年より寒く、過労もあって風邪気味だが、とりあえず元気です。

しかしいまはまだ編集は大詰め。12日(日本時間では13日未明かな)にCNBCで流れた大富豪ウォーレン・バフェットのサブプライム救済提案には仰天した。いや、誌面上は慌てた。

厳密に言えば、格下げの危機にさらされている金融保証会社(モノライン)の救済策なのだが、金額にたまげたのである。8000億ドル、日本円にして86兆円である。いくら金持ちとはいえ、彼が率いる投資・保険会社のバークシャー・ハサウェイ1社で、日本の国家予算に匹敵する規模の再保証を行い、ドミノ式に格下げリスクにさらされている地方債や証券化商品を救いだそうというものなのだ。

日本政府だって、いくら「なんでもあり」の小渕政権でも、不良債権処理にこんな巨大な債務保証はしていない。まさに国家の屋台骨が揺らぐ規模だからだ。それをバークシャー・ハサウェー1社でできるのだろうか。市場はとっさに好感して、NY株は一時200ドル急騰したものの、その後上げ渋ったのは、さすがにウォール街でもそうした疑念がきざしたからだろう。

バークシャーが保有する株などの資産の時価評価額は2000億ドル。その4倍もの再保証リスクを取ることになる。誰だってこの背伸びは大丈夫なのかと心配になるくらい、天文学的数字だ。

しかし、バフェットには勝算があるらしい。まずこの再保証、バークシャーが得意とする再保険ビジネスの一種とも見えることだ。しかもこの爺さん、なかなか計算高い。再保証料として要求しているのは、モノラインが得ている地方債の保証料の1・5倍。つまり足元をみてそうとう高くふっかけているのだ。口が悪い向きは、弱みにつけこんだ荒稼ぎというだろう。

彼なりの読みがあるのかもしれない。地方債は低格付けの社債より手堅い金融商品だった。自治体が債務不履行を起こすような事態にはまずなるまいと見越して、ここを買い場と見たのだろう。

ただ、この手法、1973年に流言飛語で取り付け騒ぎになった愛知県の豊川信用金庫のケースを思いださせる。私が日経入社早々の時期だからよく覚えているが、日銀は取り付けを沈静化させるために、信金店舗に札束の山を積ませ、「現金はある」と顧客にみせつけた。

バフェットの8000億ドル、この「見せガネ」に似ている。質素な生活と、ほとんど投資金言集の塊のようなカリスマ性は、いかにもアメリカン・ヒーローであり、その彼がはったりにせよ、ひとりでアメリカ経済を背負って立つことで、市場に安心感を与えようとしたのだろう。

ところが、バフェットの神通力にも翳りが見えた。ウォールストリート・ジャーナル紙などはいたって冷静で、バフェット効果はすぐはげ落ちた。ある記事の見出しは、A Buffet in Sheep's Clothing。「羊の皮をかぶったバフェット」。羊頭狗肉に近い意味である。バークシャーは長期投資が基本で、短期売買はしないとはいえ、これだけの株価下落は時価総額の縮小にはね返らざるをえず、それを防衛するために一世一代、自作自演の大芝居に打ってでたとの意地悪な見方もある。

やはり彼のパフォーマンスひとつでは解決できないほど、サブプライム問題は深刻だということだろう。豊川信金のパニックはひとまず収まったが、その背後にあったインフレ警戒、マネー不信はやがて火を噴き、石油価格高騰で増幅されて、やがて狂乱物価を引き起こした。

バフェット効果も後世から見たら、何かの前兆だったということになる気がする。誌面は責了寸前だったが、その予感を外すまいと腐心した。われわれにはまだその「何か」の正体が分からない。いつか突き止めたい。胃が痛くなるような編集だったが、なんとかそのベクトルを外すまいと懸命の作業だった。

ふー。気がつけばバレンタインデー。銀座のクラブから「営業用チョコ」が届いた。人に連れられて覗いたお店で、ああいうところで散財する趣味はないが、このチョコに義理を感じて店に顔をだしたら、大変だろうなあ。エビタイどころか、いくらの請求書が届くことやら。くわばらくわばら。

日銀総裁は大学入試で落第か?

30日、年来の友人と久しぶりに赤坂で歓談した。ちょっと緊張したのは、今年の大学入試センター試験のある問題で、金融政策のイロハを試された時である。友人はニヤニヤ笑いながら言う。

「いや、ちょっと面白い出題でね。阿部さんは解けるかな。日銀の記者クラブにいたでしょ。洗脳されてる記者は、この問題が解けないんです。つまり大学受験生以下になっちゃう。日経はじめ大新聞の記者もかなりが落第組に入るんじゃないかな」

「ふーん。解けなかったら丸坊主かな。経済ジャーナリストの踏み絵にしてはちょっと怖いね」

こういう出題だった。



おやおや、高校で「公民」を教わった生徒に、今はこんな難問が出るのか。確かに背筋が寒くなる。現実の日銀のとった政策を多少知っていればいるほど、それがとんだ落とし穴になる。ここはオーソドックスに考えるべきなのだ。

皆さんはいかが。私はしばらく眺めていて、幸い正解を答えることができた。面目を保てて胸をなでおろしたが、さて、彼が言うように「日銀ズレした記者」はこれに答えられないだろうか。

「本石町日記」というブログがある。明らかに日銀詰めのどこかの社の記者が書いているのだが、1月23日にこの出題が取り上げられている。題して「大学入試センターの問題はおかしい=日銀にも解けないよ」とある。やっぱり。問題のせいにしているあたり、歯切れがよくない。原文のまま引用しよう。



日銀マンはこの問いには答えられない。「実際にやった政策はどれか」という問いであるなら、「通貨供給量」を「ベースマネー」に置き換えると、①が正解となる。去年の前半は物価ややマイナスの中、ベースマネーは前年比で激減状態でありましたので(笑)。



福井総裁がもし受験生だったら、どう答えたろうか。確かに福井総裁が率いる日銀は、デフレにもかかわらず異常低金利からの脱却――金利正常化と称して、ハイパワードマネー(ベースマネー)を減少させ、市中国債の買い切りオペの増額をしなかった。もし自らの政策を信じているなら、本石町日記が言うように①を正解としなけらばならない。しかし、もちろん、大学入試センターは×点をつけるだろう。

1958年に東大法学部を卒業、日銀入行時からプリンスと言われた福井氏にとっては、トホホの出題だろう。本石町日記の筆者はこう弁護する。



ちなみに正解は③なのだが、なぜ正解かは不明。推測するに、不況(デフレ)になり、量的緩和を確実に実施するために国債買い入れを増やす手段も応用する、であろうかな。厳密に言うと、この問いの正解はないので、全員に点をあげた方がよいね。

でも、上記の問いに答えられる受験勉強とはどういうものなのか。教科書にいろいろ変なことが書いてあるのだろうか。日銀はもっと教育関係に関与した方がよいと思った。この問題はかなり変なので、日銀は指摘した方がいい。



お気の毒。この記者は日銀病に感染している。高校の教科書でも自明とされている金融政策の原則を、日銀は自ら違反してきたと解釈すべきである。本石町日記の筆者は知ったかぶりしてこう続ける。



金融政策の理論面については学会でもいろいろな考えがあり、高校生レベルで教えるなら、あまり異論の出ない極めてシンプルものに限定すべきであろう。不況のときは利下げする、好況のときは利上げする、という程度で十分な気がする。こういった無駄を省けば、意味のない知識の詰め込みは避けられると思うが…。



高校生の問題も解けずに教育論とは笑止の限り。余計なお節介だと思う。こういう記者は、日銀のHPに子供向けの「にちぎん☆キッズ」というコーナーがあり、その「ニチギンマンのきんゆうせいさく」のページをご覧になって、よおく勉強してください。

さて、1月31日の毎日新聞は、早々と日銀の次期総裁に武藤副総裁昇格と打った。財務省OBの武藤氏に難色を示していた民主党が、暫定税率のつなぎ法案とり下げで腰砕けになり、日銀総裁人事でも強硬な反対論は唱えないだろうとみたのだろう。これはちょっと早漏れかな。

だが、サブプライムの損失が膨らむ米欧では、さらなる利下げが見込まれている。世界的な景気減速のなかで、日銀だけが金利のノリシロが小さい(短期目標金利の無担保コール翌日物で0.5%)ことを理由に、知らんぷりをしていられるとは思えない。

金利正常化に意地になっている福井総裁は、まだ利上げに余地を残したい口ぶりだが、むしろ逆だろう。政府・与党(とりわけ上げ潮派)は、金融政策による景気下支え、つまりなけなしのノリシロを吐き出せと日銀に迫るのではないか。

武藤氏が何としても総裁になりたいなら、その踏み絵を踏まされる公算大である。彼がめでたく総裁になれたら、その条件(利下げもしくは金融緩和)を呑んだあかしと見たい。水面下で落としどころを探るのが巧みな彼のこと、そこらは融通無碍の人で、福井氏ほど使命感に駆られていないからだ。

そこで、本石町の記者諸君、次の総裁会見で先に日銀執行部に踏み絵を試してみませんか。このセンター試験の出題を聞き、福井総裁が正解を答えられるかどうか試すのだ。福井総裁にこれまで異論を唱えてこなかった武藤副総裁も同意見かどうか聞けばいい。

一概には言えないなどと、本石町日記のブログ子のような言い逃れは許さない。総裁および副総裁のご意見と、「にちぎん☆キッズ」の原則が一致するのかどうかを試せばいい。それだけの気骨のある記者が、さていまの日銀クラブにいるのだろうか。

東京電力の筆頭株主は米国ファンド――シンジケートコラム

外交ジャーナリストの手嶋龍一氏や、建築評論家の隅研吾氏と、日本海側の10紙に輪番で掲載しているシンジケートコラム「時代を読む」に寄稿しました。仮みだしは、「市場鎖国ニッポン」の株安。



日経平均株価が535円も急落した1月21日、官邸のブラ下がり取材で「株安は内閣の経済政策に市場が突きつけた不信任ではないか」と聞かれた福田首相はムッとした。

「そんな(ことを言う)専門家いますか。ちょっとお顔を拝見したいですね」

残念ながら、この株安を「福田売り」「官製不況」と見る識者は山といる。

新聞は株安を海外発と書き立てた。アメリカで起きたサブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)のバブル破裂の余波だというのだ。

だが、海外発だけでは説明できない。日本はサブプライム禍が軽症にもかかわらず昨年1年間で株価が11.1%も下げたのに、ニューヨークの株価はむしろ上昇していた(08年初からは下落)。下期に外国人投資家が2兆4000億円もの売り越しに転じたのが大きい。

なぜ日本株は嫌われるのか。原因は国内発ではないのか。

1月17日、東京・日比谷のホテルで英系投資ファンド「ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド」(TCI)のアジア代表、ジョン・ホー(何志安)氏に会った。電力卸大手の「電源開発」(Jパワー)の筆頭株主(持ち株比率9.9%)だが、昨年6月の増配要求も、同11月の社外取締役選任など7項目要求も、すべて経営陣に拒否されて、16日に「株式を20%まで買い増しする意向」と報じられたばかりだった。

TCIは「アクティビスト」(もの言う株主)の一つで、欧州ではドイツ証券取引所やABNアムロの株主として辣腕をふるっている。その彼らを「黒船襲来」とばかり排除しようとする電源開発の姿勢は、まさに格好の餌食と思えた。

ホー氏は、経済産業省に株買い増しを差し止める権限があることも承知の上だ。外資が電力会社の株を10%以上保有する場合には、外為法により事前届け出しなければならず、安全保障に支障があれば変更や中止を勧告される。

――もしストップがかかったら?

「法的手段に訴えることも考えます」

――訴訟は国内?国外?

「訴えが可能な裁判所で。つまり、欧州でも。EC(欧州委員会)は我々の主張を支持してくれるでしょう」

もともと電源開発は1952年に設立された特殊法人。株式の3分の2は政府、残る3分の1は電力9社が保有していたが、90年代の「電力自由化」政策で完全民営化が決まり、2004年10月に東証上場を果たした。

ただ、常に電力会社に「半人前」と見られたコンプレックスをはね返すため、電力との持ち合い株をゼロにして“自立”を図った。中垣喜彦社長らはむしろ外国人株主を歓迎した。TCIの登場は想定外だったのだ。

それでも、この強気は、最後は「お上頼み」があるからだろう。現に北畑隆生・経産省事務次官は「公益事業の一つである電気事業に投資したところに、日本の電気事業の性格について正式(ママ)な認識がなかったのではないか」と発言した。飛んで火に入る夏の虫。TCIは電源開発に当事者能力がないと見抜き、電力自由化をなし崩しに骨抜きにしている政府を「お白州」に引きずり出そうとしている。

そこへ株価急落。甘利明大臣はじめ経産省は沈黙した。金融庁などは、“攘夷”政策を打ち出せば、株価が底抜けになると危惧している。

電力業界も固唾を呑んで見守る。東京電力も実質筆頭株主(発行済み株式数の5.5%を保有)が米系ファンドのアライアンス・バーンスタイン(総運用資産額93兆円)になっただけに他人事ではない。電源開発の苦境には「自業自得」と冷ややかだが、「ゼロ回答」一点張りの強硬策には「喧嘩腰では四面楚歌になるばかり」と気を揉む。

英国のTCI代表の妻ジェイミー・クーパー=ホーン氏は、アフリカの子供たちを救う慈善活動に熱心(ファンド名はそれに由来)で、ゴードン・ブラウン首相と会食する予定だという。また、クリントン財団の有力後援者でもある。このコネは怖い。

お白州の日本政府が、洞爺湖サミットや横浜開催のアフリカ開発会議(TICAD)で槍玉にあがれば、「市場鎖国ニッポン」の烙印を押されかねない。その時、福田首相は?ちょっとお顔を拝見したい。

今ごろですがケインズ「一般理論」新訳

ケインズが1930年代の大不況のまっただなかに書いた「雇用、利子および貨幣の一般理論」。読まれざる名著にこの本も入るのではないかと思う。ただし、日本では。

私がその邦訳を読んだのは昭和44年(1969年)、つまり安田講堂のあとである。難解だった。何度も放り出そうかと思ったが、途中ではたと気がついた。

訳が悪い。当時は東洋経済新報社が版権を独占していて、私が買ったのも戦前の昭和16年に塩野谷九十九が翻訳したものの第42刷である。戦後に何度か改訳したのかもしれないが、とにかく文体が古色蒼然だった。タイトル冒頭の「雇用」が昔の「雇傭」だもの、あとはお里が知れる。

こんな訳に頼れるか、と当時奮発して英語版を買い、直にケインズの文章に触れてようやく腑に落ちた記憶がある。東洋経済は九十九の息子(?)の塩野谷祐一に新訳を出させて、90年代に普及版を出したそうだが、手にしたこともない。正直、懲り懲りだったのである。

私の古巣の新聞社でも、歴代論説委員でこの本をまともに読めた人がどれだけいたのだろう。偉そうに反ケインジアンだの何だのと吹聴する経済部出身者が、一般理論を視覚化したIS-LM曲線のイロハも知らぬお粗末な経済学の知識しかないと知って唖然とした記憶がある。彼らも塩野谷訳に歯が立たず、さりとて「資本論」も理解できず、ずっと薄っぺらなマックス・ヴェーバーあたりでお茶を濁した口なのだ。それだけ塩野谷訳は罪が大きい。

東洋経済の版権独占期間が切れたのか、最近ようやく岩波文庫が新訳(間宮陽一訳)を出した。東洋経済版にはアレルギーのある私も、岩波版はどんなものかと読んでみる気になった。「カラマーゾフの兄弟」の新訳版を読む気にはならないと書いたが、あれは訳者の亀山郁夫の「大審問官スターリン」をまったく評価しない(コラージュと称する切り張り本)からで、ケインズ新訳には少々期待したのである。蜘蛛の巣が張ったようなあのひどい訳で、どれだけのミニ・ケインズの卵が日本で失われたことか。新旧訳を比較してみよう。



たとえば、ピグウ教授のほとんどすべての著作を通じて流れている確信、ならびに生産および雇傭の理論は(ミルの場合と同じように)「実物」交換に基礎をおくものとして構成することができるものであって、貨幣は後の章に申訳的に導入すれば足りるという確信は、古典派の伝統の近代的翻訳である。現代の考えは、もし人々が彼等の貨幣をある仕方で支出しないならば、他の仕方で支出することになるという観念になお深く根を下ろしている。



ひどいもんでしょう。この乱れた文脈は、原文を逐語訳しようとするからで、英語はこんな下手な文章ではない。いや、ケインズはかなりの文章家なのだ。新訳はこうである。



貨幣は摩擦が生じた場合を除くと実質的にはなんの重要性ももたず、生産と雇用の理論は(ミルの理論がそうであったように)「実物」交換を基礎にして構築することができる――貨幣は章を追って、取って付けたように導入される――という確信、これはたとえばピグー教授のほとんどすべての著作に流れている確信だが、このような確信は古典派的伝統の現代版である。現代の思考には、貨幣がある方面に支出されなければそれは別の方面に支出されるという考えがいまなお深く染みついている。



改善の跡は歴然としている。これなら期待できる。東洋経済の直訳は、今なら機械翻訳のチンプンカンプンに近い。これでケインズを論じたのだから、日本のエコノミストが軒並みダメなのも理解できる。ただ、間宮新訳が完全に塩野谷訳の呪縛を吹っ切ったかとなると、定着した訳語には妥協したところもあるようだ。

たとえば「国民分配分」。これは塩野谷訳も間宮訳も同じだ。が、私の書棚にある旧訳「一般理論」には、書き込みがいろいろあって、何だこりゃと思った訳語に原語を付してある。この「国民分配分」はNational dividendとある。国民の配当――なるほど、それなら分かるんだけどなあ。

また、訳語がどうなっているのかと気になったのが、conundrumsである。グリーンスパン前FRB議長が長期金利の不思議な低位安定に発した言葉だ。28日の日経「私の履歴書」でも本人が書いていた。もちろん彼は「一般理論」でケインズがこの言葉を使っていることを承知で、ややぺダンチックに口にしたのだろうが、日本のエコノミストでそれを指摘した人がいただろうか。前議長は、ジョークの通じない浅学菲才と思ったのではないか。

先の「国民分配分」という概念、純産出量という概念が不要というくだりでケインズはその言葉を使っているのだが、旧訳では、



しかもなお、これらの諸困難はまさしく「解き難い難問」とみなさるべきものである。それら諸困難は、事業決意を困惑させることもなければ、また如何なる仕方においても事業決意に入りこむことがないという意味で、「純粋に理論的な」ものであって、経済諸現象――それは、これら諸概念の数量的不確定性にもかかわらず、明快かつ確定的なものである――の因果的継起に対してなんらの関連ももつものではない。



これまたひどい。講壇エコノミストの朦朧体というべきだろうか。「解き難い難問」が新訳では「空の問題」になる。



とはいえ、これら〔国民分配分、実物資本ストック、一般物価水準といった概念〕にまつわる問題は「空の問題」と見るのが相当である。それらは事業場の意思決定を当惑させることはないし、そもそも意思決定に入り込むことさえなく、経済自称の因果連関とも無関係である。



例をあげていくときりがない。旧訳の読みにくさのもうひとつの理由は、ケインズが数式を文章化しているのに対し、訳者が数式を念頭に浮かべられないことに起因する。「確率論」を書いたケインズの数学的頭脳は、思考法も数学的なのだ。英語で読めばそれがはっきり分かる。

それにしても27日のテレ朝「サンプロ」はひどかった。ガソリン税の暫定税率の是非を論じるのはいいが、道路建設が乗数効果の期待できない失業対策にすぎず、ガソリン値下げの乗数効果との比較をひとつも論じられないのには驚く。政府が算出した暫定税率廃止によるGDPマイナス効果の予測は怪しい。社保庁とおなじく、例によってお手盛りの数字ではないか。暫定税率を維持すればガソリン高で車の走行自粛が起こり、地方の道路はがら空きになる。道路を増やせば増やすほど、がら空き道路が増えるという矛盾に誰も触れようとしなかった。

財務相をつとめた谷垣禎一・自民政調会長は、財政通といっても法学部出身だから、ケインズの弟子カーンの乗数理論をまともに勉強したことがないのではないか。乗数効果の低下を主張して、道路予算を削ろうとしたのは財務省ではないか。堂々と「私はケインジアン」と胸を張っていた師匠の故宮沢喜一と比べてあまりにお粗末と思えた。小泉政権下で右往左往した古賀誠・元幹事長も、およそ乗数理論とは縁がなさそうな面構えである。これだから宏池会は駄目になったのだ。

いい機会だから、新訳「一般理論」を読み直し(?)てみたら。ケインズを金科玉条にするつもりはないけれど、第三篇「消費性向」8~10章は古びていない。古代エジプトが暮らしの役に立たない貴金属探しとピラミッド建設に血道をあげ、その巨富を築いたというケインズの皮肉(?)のきいた文章を味読するがいい。里山を蹂躙するあの醜い道路こそ、日本のピラミッドなのだ。

手嶋龍一×阿部重夫「米大統領選を100倍楽しむ」トークイベント4――度はどんなツケを日本は払うか

トークイベント抄録の最終回です。日米関係、とりわけ外交と通商面でどこにはね返るかを論じました。



阿部今、日米関係は大きな岐路に立たされています。安倍政権時には、テロ特別措置法の延長問題や沖縄の普天間基地移転問題、従軍慰安婦問題などで、日米の不協和音が目立ちました。米大統領の政権交代は今後の日米関係にどう影響しますか?

手嶋共和党政権に比べて民主党政権の方が日本に対して辛口であるとか、ヒラリー候補は日本が嫌いだから、クリントン民主党政権が出現すれば、日米関係は暗転するという見立ては、間違いと断じるほどではないにしても、俗論の一種でしょう。そもそも、現在は共和党政権ですが、どこが日本に甘いというのでしょう。いまの日米関係のどこが良好なのでしょう。そんな事実はどこを探しても見当たりません。

日米関係が一般に考えられているより思わしくない事例ならいくらでも挙げることができます。その典型例は、北朝鮮の核問題に対する日米の対応に生じた亀裂でしょう。米国は表向きは北朝鮮に毅然とした姿勢を示しているように装っています。ブッシュ共和党政権は、北朝鮮が核技術をテロ支援国家に売り渡すといった「核の拡散」には一応厳しい対応をとっています。しかし、北朝鮮がいま程度の核を保有することでは事実上容認するに等しい態度をとっています。なぜか。北朝鮮のテポドン・ミサイルは、米国本土には届かず、アメリカの直接の脅威にはなっていないからです。この点で日米同盟を構成する両国の間には重大な差違が生じているのです。

米国が北朝鮮の核保有に危機を感じていれば、北朝鮮をテロ支援国家のリストから外そうとは動かなかったでしょう。実際、昨年の11月中旬、ブッシュ政権は議会に指定解除の通告をし、発表の準備を進めたいと考えていました。この時機に福田総理の訪米を考えていた日本の外交当局が慌ててこうした動きを止めたのが真相です。米国側はしぶしぶ日本側の要求を呑み、そのうち北朝鮮の約束違反が明らかになったため、テロ支援国家のリストから外すことを先送りしたのが実情です。これをみても、共和党政権が日本に甘いなどと言えるでしょうか。

阿部いま指摘のあった対北朝鮮外交の温度差、普天間基地移転計画の停滞、新テロ特別措置法の延長の遅れ、これらはどれも日米の安全保障に大きな溝が生まれている証左ですね。

手嶋その通りです。新テロ特別措置法を巡る日本政府部内のドタバタに、ペンタゴンの関係者からは「これでも日本は本当に同盟国なのか」という声も漏れてきたほどです。米国側にすれば、イラク戦争で大わらわの最中に、日本の給油が戦争に使われていないことを証明する資料を3万ページ超も提出させられたことを挙げ、ペンタゴンの機能が停止状態になったという不満が噴出しました。彼らの言い分がすべて正しいわけではありませんが、日本はいったいどうなっているのか、という苦々しい思いがあるのでしょう(注:新テロ対策特別措置法は2008年1月11日に成立。25日に海上自衛隊の補給艦がインド洋に向けて出航した)。

阿部残念ながら、外交の表面をなぞるだけのテレビや新聞からは、そういったニュアンスを窺い知ることはできませんね。

手嶋日米関係の基調は悪くなっているのです。本当のインテリジェンスを持っている人なら、今日の日米同盟が悪化の様相を見せていることを認めざるを得ないでしょう。日米同盟は「空洞化」の危機にあるのです。米国のブッシュ共和党政権は誤ったイラクへの力の行使のゆえに、東アジアでのプレゼンスが低下しています。北朝鮮も、米国の懐にもはや「北朝鮮への先制攻撃」という選択肢が残されていないことを知っています。それゆえ、核の放棄に動こうとしないのです。

日米の安全保障を取り巻く状況がこれほど悪いと、共和党とであれ、民主党とであれ、一度仕切り直してから同盟関係を再構築していくほか道はないでしょう。そういう理由から、どちらの党の政権が出現すれば、日本にとって良いなどという議論は、あまり意味をなさなくなっています。

阿部手嶋さんが指摘したように、日米同盟のパイプはどんどん先細りしています。特に、共和党政権が8年続いたため、民主党への繋がりは手薄になっています。もし、今回の選挙で共和党から民主党に政権の座が移った場合、新政権の中枢にアクセスできる人間が日本政府にどれくらいいるのか。とくに新顔のオバマ候補となると、ツテのありそうな人材は日本にほとんど見あたりません。

手嶋とりわけ外交面では、アメリカの民主党陣営は、人材供給で共和党に比べて厚みがありません。クリントン政権時代の末期に北朝鮮を訪問したマデレーン・オルブライト元国務長官は、共和党政権では次官補にもなれない二流の人材でした。新政権になって、誰がどんな重要ポストに就くかが予測できない。そんな怖さが民主党政権にはあります。

磯村今のワシントンを動かしている人の多くは、レーガン政権時代に出てきた人たちばかりです。その後の政権からは、殆ど人材は輩出されておらず、この20年近く、ほとんど人が育ってきていない。これは米国が抱える不安要素の一つです。果たして誰がこれからのアメリカを作っていくのか。日本にとっても大きな関心事です。

手嶋大統領選挙中の“公約”が、日米の経済関係にはね返ることもありました。古くは佐藤栄作政権のもとで起きた、沖縄返還交渉と日本の繊維産業の自主規制問題ですね。

阿部「ナワ(沖縄)とイト(繊維)」と言われたニクソン政権との“バーター取引”ですね。先日亡くなった故宮沢喜一氏が通産相だった時、佐藤首相がいわば頭越しに密使若泉敬氏を渡米させ、キッシンジャー補佐官との交渉で、沖縄返還を実現するために国内の繊維産業の輸出自主規制をのんだことがありました。

手嶋これが1968年の大統領選挙でニクソン陣営が打ち出した「南部戦略」といわれるものです。当時、ニクソン候補は、保守的な南部の民主党票を共和党に取り込むため、繊維産業の票田に狙いを定めて「共和党政権になったら日本政府に繊維製品の輸出を自主規制させる」と約束したのです。ニクソン政権は佐藤政権が政治生命を賭けた沖縄返還を実現させたのですが、その一方で選挙公約の手形を落とすために日本に繊維の自主規制を迫ったのでした。こうした烈しい競り合いは、後に思わぬ結果を招きます。ここでも大統領選挙恐るべしとお分かりいただけましょう。

阿部最近ではブッシュ再選で、小泉政権は同じような立場に直面しました。

手嶋ええ、2004年の大統領選挙では、ブッシュ候補が共和、民主伯仲州(スイング州)だったオハイオ州を取り込むため、同じように貿易カードを密かに切っています。当時、BSE(狂牛病)問題で、日本が米国産牛肉の全面禁輸に踏み切り、オハイオ州の肉牛農家は困り果てていました。そこに目をつけたブッシュの選挙参謀長、カール・ローブ氏は、「ブッシュ大統領が小泉首相に頼めば、牛肉輸入をすぐにも再開してくれる」と手形を切り、オハイオ州を共和党が握ることに成功しました。

この州は選挙人を多く抱えるは大州ですから、まさにブッシュ勝利の決め手となりました。ところが、小泉首相は、佐藤首相と違って、ブッシュ政権の要請を容易には引き受けようとせず、ブッシュ大統領は感情を露にして小泉総理に解禁を迫ることとなりました。

阿部アメリカ大統領選挙のプロセスとは、それほどまでに日本の政策に決定的な影響を与えるものなのですね。いま手嶋さんが触れたローブ氏はすでに辞任していますが、「選挙の天才」と言われただけに、目のつけどころが鋭い。昨年末には「民主党の大統領候補にヒラリーがなれば、共和党にも勝機がある。ヒラリーに反感を抱く人は多く、民主党ではいちばん弱い候補だ」と予言したことが気になります。

手嶋選挙の神様の予言が果たして当たるかどうか、皆さんには、ぜひ選挙戦の個別の局面を注意深く見守っていただきたい。あらゆるアメリカの政治は、大統領選挙の戦いのなか紡がれていくのですから。

(了)

手嶋龍一×阿部重夫「米大統領選を100倍楽しむ」トークイベント3――勝負を決める2つのファクター

手嶋×阿部「米大統領選挙を100倍楽しむ」の抄録版第3回をお送りします。



阿部さて、ここで一人飛び入りの方をご紹介します。米国シンクタンク、ハドソン研究所の上席研究員の磯村順二郎氏で、東京とワシントンを往復しながら安全保障の研究と助言をされています。

ヒラリー候補は初の女性大統領を、オバマ候補は初の黒人大統領を目指して接戦を繰り広げていますが、磯村さんは今回の選挙をどうご覧になっていますか。

磯村今のところ、ヒラリー候補はジェンダー(女性)カードを、オバマ候補はジェネレーション(世代)カードを上手に使って闘っていると思います。最近はメディアが盛り上げるために人種問題を取り上げ始めましたが、民主党としてはレイス(人種)カードは使いたくないでしょう。

本選では、それぞれのキャラクターの濃さがアキレス腱になる可能性があります。ヒラリーかオバマの一方が勝ったときに、もう一方の支援者がそのまま民主党に投票するのか、という問題です。上手くやらないと共和党に有利な結果になってしまう。ワシントンでは、今度勝てなければ、民主党はもう十年以上も政権の座に就けないだろうとの見方が強いですから、まさに正念場。メディアの脚光とは裏腹にかなりきつい選挙戦のはずです。

手嶋今のアメリカの政治状況は、一言で言い表せば、「ふたつのアメリカ」ということになります。2000年の大統領選挙の州ごとの戦いを勝敗を見れば明らかです。さながら2つの国が共存しているのではないかと思えるほどです。民主、共和の両党にはっきりと二極化しています。ロッキー山脈から南部に広がる「レッド・ステイツ(共和党)」(赤は共和党カラー)と、ニューイングランドから東海岸一帯の都市部、それに西海岸沿いの「ブルー・ステイツ(民主党)」(青は民主党カラー)の真っ二つに分かれています。

この構図は2004年の選挙でもほとんど変わっていないのです。今回、民主党にかなりの風が吹いても、民主党が中西部の共和の地盤を席巻できるとは考えにくい。特にロッキー山脈沿いの一帯はキリスト教右派が強いネットワークを張り巡らせていて、熱心な共和党支持者が多い。バプティスト派教会の牧師だったマイク・ハッカビー候補の躍進は、まさにその証左と言えるでしょう。全米的には、イラク戦争の泥沼化によって逆風が共和党に吹いているものの、この政治バランスを大きく突き崩すのは容易なことではないはずです。

阿部最近の世論調査を見ると、最大の関心がイラク戦争にあることは変わらないものの、経済を気にする割合がだんだん高まってきていて、サブプライムローン問題の余波として景気後退懸念が強まってきています。このまま手を拱いていれば、ハイリスクな証券化商品を大量に抱えるヘッジファンドが火を噴くのは明らかで、それが金融機関に与える影響は決して小さくないでしょう。最終的には公的資金の注入も避けられないといったシナリオもあります。

日本円にして十兆円単位の大掛かりな景気てこ入れ策を打つには財源が必要です。どこにあるか。アメリカ人にとって目先明らかなのは、イラク戦費の削減で捻出することでしょう。これには時間もかかります。当面は経済が悪化する状況で、各候補者はどんなカードを切ってくるのか。とくに民主党はウォール街への資金注入にアレルギーがありますから、有権者の支持を得るためにどんな政策を打ち出すかは注目に値します。

手嶋阿部さんが指摘したように、今後の経済政策とイラク戦争の2つのファクターが「2008年の大統領」を決めると言っても過言ではないでしょう。ブッシュ共和党大統領が始めた戦争を誰が手仕舞いするのか。この点だけに限って見れば、民主党、それもオバマ候補にもっとも有利でしょう。ヒラリー候補はイラクへの武力行使に関する上院の決議案に最終的には賛成しています。このことは言い訳のできない事実です。一方のオバマ候補は当時まだイリノイ州議会議員で、決議に一票を投じる立場にはいませんでした。上院議員になってからも一貫してイラク戦争に批判的な立場を貫いている。「遅れてきた青年」のメリットを存分に活かしています。しかし、外の世界から見るほど、アメリカ国民は、イラクの戦いとテロとの戦いを峻別していませんので、ヒラリー候補も過去の投票歴だけで決定的なハンディキャップを負っているわけではありません。その投票歴のゆえに、軍部を含めた保守・中道票の一部を取り込んでいるからです。

(以下、次回につづく)

2月号の編集後記

FACTA最新号(2月号、1月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は25日からです。また、新春特別企画として「メディアの深層」というコーナーを設けました。過去のメディア関連記事のまとめコーナーです。こちらもフリー公開なので、ぜひご覧ください。



ふと思いたって、絶版になったブルバキ『数学原論』を書棚で探してみた。学生時代に第1巻の難解な集合論をしゃにむに読んだ記憶がある。ブルバキとはフランスの一流の数学者集団のペンネーム。野心的な彼らは、ユークリッド『原論』の現代数学版をめざした。高校教科書に唐突に集合論が加わったのも、彼らのおかげなのだが、頭が硬くなった今は、悲しや、とても歯が立たない。

▼でも、群論は覚えている。ブルバキの一人、アンドレ・ヴェイユ(『重力と恩寵』のシモーヌの兄)が、文化人類学者レヴィ=ストロースに協力し、アボリジニの難解な婚姻法則を群論で解いてみせた。目から鱗の論文は、古典となった『親族の基本構造』に載っていて、一読、数学の快楽に酔い痴れることができた。で、ブルバキとは何ぞやと『数学原論』に挑み、卒論に応用してみようとしたが、あえなく失敗した次第だ。

▼しかし私だけではない。あれだけ透徹した「構造」を、レヴィ=ストロースも二度と抽出しえてない。大著『神話論理』は楽曲の構成をとっているが、単なる衒学としか私には思えない。神童ヴェイユのほうが、数学の頭脳があるだけ、遥か遠くまで行けたと思う。彼はサンスクリットを覚え、原文で『バガヴァッド・ギーター』を愛唱し、1930年代にはインドの大学に赴任して、カレー三昧の暮らしを送ったのだ。

▼かつて、サンスクリットの詩人はみな詩を暗誦していた。それを生きた言葉としていた師に、彼がカーリダーサの詩歌を伝授される光景が美しい。mandam mandam nudati pavanah……と原詩を読んで逐語訳していく。「さやかに、さやかに、風がおまえを吹きやる……」。ああ、喧騒を離れたそういう静謐に浸って、数学と戯れていたいな。

手嶋龍一×阿部重夫「米大統領選を100倍楽しむ」トークイベント2――「アメリカン・トライアスロン」に潜む罠

手嶋×阿部「米大統領選を100倍楽しむ」の抄録第2回をお送りします(第1回はこちら)。



阿部予備選挙が集中するメガ・チューズデー(今年は2月5日)で、民主・共和両党の本選候補は大勢が決まるというのが一般的な見方ですが、今年は3月のスーパーチューズデーまでもつれる可能性もなしとは言えません(第1回の図参照)。

手嶋とりわけ共和党は、各馬横一線といった混戦となっています。過去には夏の党大会まで決着がつかなかったこともありますから、デッドヒートから目を離せません。その共和・民主両党の全国大会は「大統領選の華」といわれます。今回は挑戦者である民主党大会から先に開かれます。党の選挙戦略家たちは、この党大会でどんな政策を打ち出すのか、秘策を練っているのですが、まずは誰が大統領候補になるのか、そして共和党の挑戦相手が誰かが分からなければ、どういった政策を打ち出すのか基軸が定まりません。実は各陣営とも党内の予備選の段階では、あまり明確な政策は打ち出したくない、というのが本音なのです。

民主党の候補者選びの段階では、思い切ったリベラルな政策、大きな政府の政策を打ち出せば、党の候補者にはなれるかもしれません。しかし来るべき本選挙で、共和党候補と争う際には、どの党にも属していない無党派層・中間層の取り込みが勝負となりますが、党派色が強すぎれば、これらの中間層を取り逃がしてしまう。ですから、党内の予備選挙では、政策の各論にはできるだけ入りたくないと考えているのです。明確な手形を切らずに予備選を勝ち上がり、本選挙に臨みたいと願っています。

阿部しかし、今回のような激戦、混戦では本選挙まで本当の政策カードを温存しておくのは至難の業ですね。

手嶋まさにその通りです。髪の毛一本の差となった2000年の大統領選挙では、ジョージ・W・ブッシュ共和党候補は、ニューハンプシャーの予備選では苦戦を強いられました。このため南部でのスーパーチューズデーに勝ち残りをかけたのです。そのためキリスト教右派が握る大票田に頼らざるを得ませんでした。当初は本選挙での中間層の取り込みを狙って「思いやりの保守主義」を掲げていたのですが、ここで党内の右派にぐんと傾くことになりました。人工妊娠中絶に断固反対し、同性愛者の婚姻にもノーと言い、重要な手形を右派陣営に切っています。それで何とか勝ち上がったのですが、結果的には司法長官のポストまで最右派に渡すことになります。キリスト教右派陣営は、堅い票田を背景に、ブッシュ氏が掲げた「思いやりの保守主義」を絞め殺していったのでした。予備選恐るべし。

阿部ずっと全米の支持率でトップを走り続けてきたヒラリー候補が、アイオワ州党員集会でまさかの3位。オバマ候補に10ポイント差をつけていた支持率も、ニューハンプシャーの予備選挙前日には逆転されます。メディアはどこもがヒラリーの連敗を予測したのですが、土俵際で粘って逆転しました。

私も含め、この逆転劇に驚いた人は多いと思います。いったい裏側には何があったのでしょうか?

手嶋アメリカのメディアは、財政基盤が弱いこともあって、世論調査の数字頼みでさほどの独自取材はしていません。だからこれほどの激戦では、予測はなかなか当たりません。それに大統領選挙では、じつに複雑な力学が働きます。まず大統領選挙に圧倒的な影響力を持ち、これで飯を食っているといわれるメディアにとって、この一大興行はいま少し続いてもらわなければ困る。何とか接戦をと望む大きな力が働いていると見るべきでしょう。民主党の側も、ホワイトハウスを奪還するために、いま少しメディアを予備選に惹きつけておきたい。ヒラリー候補に簡単に連敗してもらっては困るという力が作用したのでしょう。

阿部しかしながら、圧倒的な資金力、党内に持つ強固な組織力、全米での知名度。とりわけそうした蓄積が生きるといわれる党員集会でよもやのヒラリー敗北でした。党内のヒラリー候補の支持率下落とオバマ候補の躍進をどう見るべきでしょうか。

手嶋実は、2004年のアイオワ党員集会でも同じような現象が起きています。当時の民主党では、ハワード・ディーン候補が優勢で、最終的に民主党の大統領候補に選ばれたジョン・ケリー候補は全くもって冴えない存在でした。スーパーマーケットの前でケリー候補が立っていても誰も気付かない。しかし、ある時を境に、ケリー候補がディーン候補をさっと抜き去ってしまうのです。まさしくアイオワに鷲が舞い降りたのです。

ずっとトップを走ってきたはずの候補者の支持率が急落してしまう。こうした現象を読み解くキーワードは「賞味期限」。米国の大統領選挙は、そのあまりの過酷さゆえに「アメリカン・マラソン」と言われます。実際はあまりに長くてつらい「アメリカン・トライアスロン」と言ったほうがいい。本選挙の1年半も前から走り続けるため、どんなに瑞々しい候補者もメディアの圧倒的な照射にさらされて萎んでしまう。ディーン候補もあっという間に干からびてしまいました。圧倒的な支持率と資金力を誇り、党の中枢を握るヒラリー候補も「賞味期限の罠」から逃れることはできないのです。

阿部アイオワでの敗戦後の集会で涙を浮かべたヒラリー候補の映像がテレビで何度も流れたことが影響しているのでは、という見方もあります。

アメリカ社会では、リーダーが涙することは弱さの証だと受け取られがちですが、ヒラリー候補の場合はそうはならなかった。有名なタフネゴシエーターの弁護士として知られ、冷たいイメージのあるヒラリー候補を何となく嫌う人は多く、ブッシュ氏の選挙参謀のカール・ローブ氏は、ヒラリー候補が勝てば共和党は中間層を取り込めるからチャンスだ、と言っていたくらいです。そんな彼女にとって、涙は人間味を感じさせ、同情を呼ぶ武器、とりわけ女性の同情を呼んだと言われます。この涙が演出だとしたら相当な賭けだったですね。

手嶋過去の大統領選挙を振り返ると、涙は命取りになっています。選挙中に妻に飲酒癖があるという記事を書かれたマスキー上院議員は、その新聞社の前で反論しました。そこで悔しさのあまり涙を流したと報じられ、陸海空軍を統率しなければならないアメリカの指導者として適格性に欠けるとされレースから脱落していきました。ヒラリー陣営は、その故事を知り抜いていたはずですから、演出だとしたら、決定的な賭けだったのでしょう。しかし、それほどのリスクを犯すでしょうか。涙ぐんだことが投票行動に影響を与えたにしても、それで逆転劇をすべて説明するのは無理があるでしょう。それにしてもヒラリーという政治家はリング脇に追い詰められると強い。アーカンソー州の知事選で再選に失敗したビルを再起させ、モニカ・ルインスキー事件を乗り切った主軸はヒラリーです。

阿部対するオバマ候補が掲げる“CHANGE”は、アメリカの心理状況を反映しているように見えます。すでに知事として統治経験があるブッシュ、クリントの両政権がもう16年も続いたので、そろそろ違うタイプの大統領を求める人はかなり多いのではありませんか。

手嶋バラク・オバマという若者を一躍全米のスターにしたのは、2004年の民主党全国大会という晴れ舞台でした。この若き旗手を満場の聴衆に紹介したのが、ファーストレディ候補のテレーザ・ハインツ・ケリー(ジョン・ケリー大統領候補夫人)でした。彼女は、有名なハインツ・ケチャップ財閥のオーナーにして上院議員だった故ジョン・ハインツ氏の妻だったひとです。将来の有力な大統領候補といわれた夫を飛行機事故で亡くした後は、ピッツバーグでハインツ財団を経営するやり手の事業家です。彼女はモザンビークの出身ですので、ケニア人の父を持つオバマ氏に共感を抱いていたのでしょう。あの演説を間近で聴きましたが感銘を受けたのは僕だけではないでしょう。

オバマ候補は優れた資質をもつ政治家だなと思った場面を思い出します。彼は一貫してアメリカのイラクへの力の行使には大義が欠けていると主張してきました。ある集会で彼の主張を聞いていた年輩の女性が「それでは、イラクで戦死した私の息子は何だったのでしょうか」と尋ねたことがありました。彼は、その瞬間に彼女に駆け寄り「いや、あなたの息子は我が合衆国のために命を落としたのです」と抱きかかえました。それは政治家のパーフォーマンスを超えた、心のこもったやりとりでした。

しかし、一方のヒラリー候補も大変優れた政治家です。とにかく恐ろしく論理的で、2分間のインタビューのなかに沢山の意味を込めることができる。どこの部分を抜き出してもメッセージになるような、進化した英語を操る人です。アメリカではじめての女性大統領を目指す資質を秘めているといっていいでしょう。

阿部民主党にしてみれば、ヒラリーvs.オバマの接戦を長引かせて、メディアと聴衆の注目を引きつけ、本選挙を有利に戦おうという思惑があるのでしょうね。

(以下、次回につづく)

手嶋龍一×阿部重夫「米大統領選を100倍楽しむ」トークイベント1――「先行指標」ニューハンプシャー

1月15日、FACTAのオフィスの近くにある明治大学紫紺館の会議室で開いた、第3回FACTAフォーラムのトークイベント「アメリカ大統領選挙を100倍楽しむ方法」は、120人の会場が140人の満席になるほど盛況でした。ニューハンプシャーの予備選挙が行われた先週開くことを決めて、きわめてショートノーティスだったにもかかわらず、熱心に耳を傾けていただきました。応募者多数のため抽選となってしまい、応募されながらご招待できなかった方々にはお詫び申し上げますとともに、会場で机のない席を設けざるを得ず、一部の方々に窮屈な思いをさせたことをお詫びいたします。

正直なところ、太平洋の彼方の大統領選挙に皆さんがどれだけの関心をお持ちかな、と半信半疑でしたが、アメリカ滞在が10年を超す手嶋龍一さんの経験も交えた具体的な選挙戦の裏側をじっくり聴いていただき、その関心の高さには驚きました。実はQ&Aの時間がなくなるほど盛りだくさんで、聞き役に徹した私も、内心ご質問をしたい方々には申し訳ないと思いつつ、ついつい面白いエピソードを無情にカットする気になれませんでした。また、飛び入りの形でワシントンのハドソン研究所で上席研究員を務めておられる磯村順二郎氏にもディベートに加わっていただきました。磯村さんも「濃いディベートでした」と感心していらっしゃいました。

会場にいらした聴衆の皆様に感謝申しあげますとともに、このイベントにご協力いただいた方々に心よりお礼申し上げます。なお会場でできなかったQ&Aについては、support@facta.co.jpメールで受け付け、ディベートで盛り込みきれなかった部分について、このブログなどでお答えするつもりです。

さて、当日のトークの抄録を以下、分載しますが、いつものようにチャタムハウス・ルールで行い、オフレコ部分については手嶋氏と協議の上で割愛しました。なお、引用などもご容赦ください。

では、ニューハンプシャーという特異な「先行指標」選挙区のお話から――。



阿部アメリカの大統領選挙は序盤の予備選挙・党員集会から荒れ模様です。順位が予想以上にくるくる変わります。日本にとっても、唯一のスーパーパワーがイラク戦争の泥沼からいかに立ち直るかどうかが重要な分かれ目。それをフォローアップするのが今日のトークイベントです。手嶋さんは、NHKのワシントン支局員、支局長、そして大学のフェローとして十数年もアメリカの政治をご覧になってきましたが……。

手嶋民主・共和両党8人の候補者リストをご覧ください。なかなかの顔ぶれです。アメリカという国のスケールの大きさを伺わせる人材がずらりと並んでいます。このうち、大統領になれるのはたった一人。しかし、この戦いに挑んで消えていく人たちの存在も重要です。敗れ去るものたち、彼らはアメリカのデモクラシーの懐の深さを体現しています。

日本が半世紀を超えて安全保障同盟を結んでいるアメリカという国の奥深さを感じない訳にはいきません。いま、イラク戦争のゆえに、アメリカは世界の中で孤立し、評判が悪い。だからといって、アメリカに留学するのを辞めてしまうという気の早い日本の若者がいますが、これほどの戦いを繰り広げる国の動向には、やはり関心を払っておかなくてはなりません。

阿部誰もが驚いたのは、ニューハンプシャーの予備選挙ですね。大本命ヒラリー・クリントン候補が負けるのではないかと直前まで言われていたのに、蓋をあけたら辛勝ではあるが、意外なことにヒラリー候補が勝ちました。

手嶋雪深いニューハンプシャーの予備選で大統領候補としての産声をあげ、戦い抜いていく候補者たちの姿はすさまじいものがあります。

私は馬券師としてはいささか自信があるのですが、今の段階で大統領選の勝ち馬をあてるのは邪道だと思います(笑)。なぜなら、まだ最終的な勝者を当てるだけの判断材料が出揃っていないからです。どうしても勝ち馬をというひとは、アイルランドのブックメーカーにお金を掛けることをお薦めします。今でも、もうすでに賭が始まっておりその掛け率は選挙情勢をを映してなかなかに正確です。

アイオワ州、ニューハンプシャー州の結果から言えば、大きな影響を及ぼしたのはアメリカのメディアの存在でしょう。アメリカのメディアにとっては、ここでヒラリー候補が二連敗を喫して戦線から消えてしまえば、大統領選挙という巨大な興行が成り立ちませんからね。これから、ヒラリー対オバマの鍔迫り合いがかなり長期に渡って続くという想定でアメリカのメディアはビジネスを組み立てていたのですから。

阿部本選は11月4日ですが、そこにいたるまでのプロセスが複雑なので、ここで説明しておきましょう。



基本は2段階。予備選や党員集会を経て民主、共和両党の全国大会でそれぞれの候補を絞り、本選で決戦投票になります。ただ、ニューハンプシャーのように、インディペンデンツと呼ばれる無党派層の投票を認めたり、認めなかったりと、州ごとに違って、仕組みは複雑です。

手嶋選挙戦を闘っている候補者ですら、完璧に仕組みを理解している人がいないくらい、アメリカ大統領選挙の仕組みは複雑です。

ただ、ニューハンプシャーは全米で最初に予備選挙をする州(アイオワは最初に党員集会を開く州)ですが、全米で最初に選挙をやると決めたニューハンプシャー人は、アメリカ政治史上、最大の天才なのかもしれません。選挙人はわずか4人、本選挙ではほとんど影響力を発揮することができません。そのため、予備選挙を全米に先駆けて行うことで北辺の小さな州の発言力を担保したのです。

候補者によっては、10年も前から大統領選挙に出ることを想定して、ニューハンプシャーに布石を打っているほどです。ニューハンプシャーにテレビ局を持つ経営者は、経営の心配がまったくありません。たった2週間で4年分のCM収入を稼いでしまう。あらゆる候補が惜しみなくCMを流しますからね。

私も見たことがあります。ニューハンプシャーの小さな新聞社の社主が、ワシントンの空港で上院議員に出迎えられる光景を。それほど絶大な影響力を持っているのです。上院議員はほぼ全員が大統領選に出る可能性があるので、この州の利害に反するようなことは絶対にしないのです。

とりわけ、午前0時を期して投票するハーツロケーション村では、30人ほどの有権者が全員集まって投票します。0時5分には全米で最初の選挙結果として報じられるので、有力な大統領候補はこぞって雪の中をたった30人の村を訪ねて行くのです。

30人しかいませんから、それぞれに会って誰に投票したかを取材することも可能で、ゴアvs.ブッシュの選挙の時に、あるおじさんは「ゴアには2回しか会ったことがない」と言っていたほどです。

当時、90歳を過ぎたお婆さんに一番印象に残っている選挙を聞いたところ、「1960年のケネディvs.ニクソンの激戦が凄かった、ケネディからはサイン入りの大きな写真をもらった」と言っていました。でも、どこにしまったかは憶えていないんですね。それほど多くの有力候補に投票を頼まれているのです。全米で最初に大統領を選ぶ村の1票の重さが窺われます。

阿部ちなみに今回の選挙でのハーツロケーション村の結果を見てみましょう。まず、注目の民主党ではバラク・オバマ候補が9票と断然優勢で、それを追うヒラリー候補は3票、エドワーズ候補が1票。一歩の共和党は、マケイン候補が6票、ハッカビー候補が5票、ロムニー候補が1票です。

手嶋順位そのものはニューハンプシャーの結果とは必ずしも一致しませんが、やはり新星オバマ候補がかなりの人気を集めているのが分かりますし、共和党ではマケイン候補の躍進をはっきり予測した形になっています。ハーツロケーション村の結果はあなどれないと言えましょう。

(以下、次回につづく)

ジョン・B・テイラー「テロマネーを封鎖せよ」のススメ

熊本日日新聞の年初(1月6日付朝刊)の書評欄に寄稿した原稿を再録します。書評したのは

ジョン・B・テイラー著
テロマネーを封鎖せよ~米国の国際金融戦略の内幕を描く』(中谷和男訳、日経BP社、2200円+税)

です。いかんせん、タイトルが問題。スリラーみたいだが、こういう邦題で釣ろうというには、あまりに内容がきちんとした本である。見ようによっては、ドル基軸通貨最後の日のドキュメンタリーなのに、安手のミステリーと見紛うようなタイトルは、この本の編集担当者の良識を疑う。

もうひとつ、日本経済新聞朝刊1面の正月企画「YEN漂流」は、本書を引用していながら引用の表示がない。いくら出版社が同系列でも仁義にもとると思う。それに、引用のくだりはこの書評でも触れているG3会合だが、その出席者の一人、溝口元財務官(現島根県知事)に取材するのを怠っている。

なぜ溝口案が拒否されたかの突っ込みがない。格好の素材なのだから、デスク、および筆者は取材のチャンスを逃したようなものである。昔の日経の正月企画は、こんな手抜きはしなかった。

ついでに申しますと、日経本紙文化欄のグリーンスパン「私の履歴書」も、グリーンスパン自伝「波乱の時代」(これは日本経済新聞出版社)に、就任前のエピソードを付け加えた程度ではないのか。後半が本のダイジェストになるなら、読む価値はないのでは?それとも本の販促なのかしら。

さて、では、書評を――。



お公家集団――日銀のセントラルバンカー(中央銀行マン)たちは、時にそんな陰口を叩かれる。気位が高くて神経質だが度胸はない、といったニュアンスだ。東京・本石町の「金融政策のパルテノン」にいると、雲上人のような錯覚にとらわれるからだろう。たとえば、自衛隊員と一緒に自らイラクの戦場に飛び込む日銀マンがいるだろうか。

本書の筆者ジョン・テイラーはセントラルバンカーではない。もとはスタンフォード大学教授、そして9・11テロ直前に財務省次官(国際金融)に任命された。しかしその名は、1993年に中央銀行の金融政策決定を定式化した「テイラー・ルール」で知られる。連邦銀行入りしてもおかしくない業績だし、広義の金融パルテノンの人と言っていい。

その彼が2003年6月、つまり侵攻からわずか2カ月後のバグダッドに飛んだ。治安が悪くて護衛の出迎えがなく、空港の野外テントも簡易ベッドはすべて、疲労困憊して眠る兵士たちで満杯だった。やむなくスースケースをマット代わりにして、丸めた背広を枕に一夜を過ごす羽目になる。

常在戦場。アメリカの政府幹部は「戦士」らしい。テイラー自身は9・11の当日、財務長官らと東京に出張中だったが、軍の輸送機で空中給油しながらワシントンまでとんぼ返りした。それからはテロ組織の資産凍結、アフガニスタン侵攻後をにらんだ経済復興計画の策定、金融市場の危機に連鎖しかけたアルゼンチンなど途上国経済の救済、と息つく暇もなかった。

そしてイラク侵攻前夜、前線基地になるはずのトルコを抱き込む金融支援策を練りあげたものの、トルコ議会の拒否で蹉跌。それでも、二重スパイを使ってフセイン政権にガセ情報を流し、トルコから侵攻の可能性を信じさせて、南部を手薄にしたことなど、金融と戦略の一体化を如実に物語っている。

国家の崩壊は通貨の崩壊でもある。ディナール通貨切り替えの舞台裏は、この本のハイライトだろう。イラクで流通していた通貨は二つ。フセインの肖像がほほえむ「サダム・ディナール」と、北部クルド人地域に残る第一次大戦前の旧紙幣「スイス・ディナール」である。前者は経済制裁で窮迫したフセイン政権がやたらと増刷し、減価が著しい。評者がイラクで取材した11年前にすでに100ドル紙幣1枚の両替で袋いっぱいのサダム・ディナール札を渡されたほどインフレだった。

それでも廃札にすれば、天井知らずの超インフレで経済が破綻する。といって旧紙幣の増刷(欧州の印刷会社にあった原版で)ではクルド優遇と思われるというジレンマ。結局、当座は米ドルで支払い、準備に時間がかかる新紙幣は国民の選択に委ねる(新紙幣のデザインはスイス・ディナールを踏襲)という二段階になった。かくてテイラーは、金融の究極である通貨のデミウルゴス(創造主)を体験できたのだ。
彼はイラクの債務削減のための国際交渉にも関わったが、最終章は通貨協議が「G7」からドル・円・ユーロの「G3」に移行した秘話が語られる貴重な章になっている。

日本が「失われた10年」から脱出できたのは、02年末から外為市場で合計3200億ドルにのぼる大規模なドル買い・円売りを続け、その非不胎化で金融をジャブジャブにしたおかげと思える。その過程で初のG3会合が03年7月に開かれた。米国からテイラー、日本から溝口善兵衛財務官(現島根県知事)、欧州からコッホ=ヴエーザーEU経済財政委員長が集まった。

場所はスタンフォード大学近くのレストラン。シリコンバレーのベンチャー起業家が集まる「バックス・オブ・ウッドサイド」だった。G3通貨協議の合意ができたが、テイラーはプラザ合意をもじってこれを「バックス合意」と呼ぶ。初会合では溝口氏が中心(レファレンス)レートを提案、フーバー研究所の便箋に手書きしたコピーが本書に載っている。米欧の二人はこの溝口案を拒否したらしい。

テイラーは05年2月に次官を退任、再び学究生活に戻った。本書は「明快な任務」と「チームワーク」が要諦というアメリカ型リーダーシップの信念に貫かれている。

それはまた、「均衡名目金利」(均衡実質金利×目標インフレ率)と「目標インフレ率との乖離幅」「需給ギャップ」の3項で政策金利を決めるテイラー・ルールとも共通している。狐疑逡巡に政策決定の余地を残そうとするウェットな「お公家集団」と比較するには、格好のドキュメンタリーと言っていい。

やります、手嶋&阿部で緊急トークイベント

手嶋龍一氏と相談していた緊急トークイベントの開催が決定しました。題して「アメリカ大統領選挙を100倍楽しむ方法」。

昨日のブログでニーズをサーベイしたところ、思いのほか沢山の方からご連絡をいただき、これは開催せねば、と思った次第。雑誌が届くのを待っていられないという読者の方もいらっしゃるようだし、ひとつライブとネットの力を借りましょう。詳細とお申込み方法はFACTAフォーラムの告知をご覧ください。

編集期間中につき、取り急ぎ。


ヘルダーリンを慕いて

たまには頭を空っぽにしたい。編集長は四六時中、気苦労している因果な商売だからです。で、このお正月は、DVDと箱根駅伝と三鷹高校のサッカーに明け暮れた。さすがに、これでは痴呆状態だと反省しきりである。

そこで罪滅ぼし。夜、寝静まってから、フリードリッヒ・ヘルダーリンの詩集(川村二郎訳、岩波文庫版)を、ドイツ語の原文と首っ引きで読んでみた。学生時代、保田與重郎の「清らかな詩人」を読んだが、あの朦朧体の文章に目をくらまされて、ヘルダーリンと聞くと、感激性のロマンチスト像しか浮かばない。與重郎の文章は屈折が多すぎるのだ。



カント哲学が実現される、これが夢想であらうか。かくの如く理解したといふことが。ギリシヤは今後ドイツにもなければならない。しかもここに於ける現実との距離、そしてかかる距離に妥協しないことこそ、清らかな詩人の本質である。イロニイもパラドツクスも、しやれも地口も、真の詩人の世界ではそれを手段とすることは許されない。と信じた詩人を誰が侮辱し得るであらう。



一読、文脈がとれない。少なくともディルタイの『体験と創作』を読んでいないと、何に反駁しているのか、さっぱり分からない文体である。與重郎は詩の一行も引用していないから、これを彼のマジックというべきだろうか。

学生時代の印象はわずかに冒頭のエピソードだけ。フランス革命の報を聞いて、チュービンゲン大学の学生だったヘルダーリンやへーゲル(二人は学寮で同室)、そして後輩シェリングらが広場に「自由の木」を立てて、ラ・マルセイエーズを歌い踊ったというのだ。これとて、実はディルタイからの孫引きであり、だからどうした、と言いたくなる。

「ヒュペーリオン」も「エンペードクレス」も訳文で読んでみたが、どうもぴんと来ない。最悪だったのはヘルダーリン研究が専門の手塚富雄の訳詩を読んだことだ。リルケの翻訳でもそうだが、いかにもドイツ文学でございといった、やたら振りの大きな手塚の措辞(一部は訳者のせいでもある)に辟易して、尻に帆をかけて逃げ出した。

それから何年たったろう。本屋で表紙に「ディオティーマの恋文」とある古本を目にしたのがきっかけかもしれない。あ、ヘルダーリン、と思ったが、買わずに書棚に戻した。次に探したときには、もう影も形もなかった。あれを買う奇特な人もまだいるのか、と再び驚き、この詩人が急に気になり始めた。

ディオティーマとはプラトンの「饗宴」に出てくる女性の名だが、ギリシャに惚れていたヘルダーリンは、「ヒュペーリオン」の主人公が恋する女性にその名を与えたのだ。そのモデルはヘルダーリンがフランクフルトで家庭教師をつとめた銀行家の妻で、淑やかさと気品と古典的な美貌の持ち主だったという。



かくわれらは地上をさすらひぬ。かの北風、

愛するものの怨敵の悲しみを誘い

木の葉枝より落ち、風雨は荒ぶとも

われら静かにほほゑみてしたしげに語り合ひ

魂の歌を合せて、かたみに睦びあひ

幼な児のごとく愉しく、われらの神を感じたりき。

(ディオティーマを悼むメノンの嘆き)





伝記的な興味だけではない。昔から不思議でならないことがあった。ひとつは第一次大戦の開戦とともに親友が恋人と自殺してしまったヴァルター・ベンヤミンが、亡き友のために書いた批評文は、ヘルダーリンの詩「臆病」とその原作の比較論だった。あれはいったいなぜなのか、という疑問である。大戦前の「昨日の世界」があっけなく崩壊して、一生にして二世を経ることになったベンヤミンが、ヘルダーリンの神話(ミュトス)に何を見ていたのだろうか。

もうひとつは、ナチスに加担した悪名高い哲学者ハイデガーが、フライブルク大学総長就任式で「ハイル・ヒットラー!」の挙手礼を求めながら、わずか1年で辞任して引きこもり、ヘルダーリンの講義をはじめたこと。レームら突撃隊の粛清で失望し、ナチスに距離を置いたこの「狡猾な哲人」がなぜ、ヘルダーリンに回帰し、稠密な解釈を続けたのか。



生まれざらんこそこよなけれ。生まれたらんには生まれし方へ急ぎかへるこそ願はしけれ。(ソフォクレス)



1934年以降のハイデガーは続いてニーチェ研究に打ち込む。その必然性が今ひとつ腑に落ちない。日本回帰の前にまずドイツのロマンティカーに憧れた與重郎ら日本浪漫派は、その屈折をどこまで理解できたのだろうか。ハイデガーの謦咳に直接接することのできた九鬼周造は、日本でこの転回をどう見ていたのだろうか。

そこで、ヘルダーリンを読み直してみようと思った。ついでにハイデガーのみならず、ディルタイやグンドルフのヘルダーリン論も読んでみた。いや、與重郎の「英雄と詩人」も九鬼周造の「偶然性の問題」も読み直してみた。ヘルダーリンの後半生は狂気に閉ざされた。ネッカー川のほとりの「ヘルダーリンの塔」に幽閉され、白いとんがり帽をかぶった姿が窓辺にちらついたという。



かつて私は広き野の泉のほとり、常春籐のからむ岩陰、蔽ひかぶさる藪のもとに坐してゐたことがある。それは私が知ってゐるうちで最もうららかな昼であつた。そよ風は吹き、故郷を偲ばす大気の中に日光が静かに微笑してゐた。人々は昼休みの食事にかへり野良には人影もなかつた。私の愛は春ととものただひとりで居た。そこはかとないあこがれが胸に湧いて来た。「ディオティーマよ」と私は叫んだ。「何処にゐるのか。おお何処にゐるのか。」(ヒュペーリオン)



ヘルダーリンとは何者だったのか。にわかハイデゲリアンだけに、まだ結論は出ない。

やろうかな、手嶋&阿部で緊急トークイベント

米大統領選挙予備選の第2弾、ニューハンプシャー州で開票が始まった。直前の形勢では、3日のアイオワ州の勢いを引き継いで、オバマが勝ちそうだ。これで雪崩を打つのだろうか。

雑誌の編集中で気が気でない。締め切りが目前で、どこまで「三歩先が読める」か分からないからだ。いま、盟友、手嶋龍一氏と緊急のトークイベントをやろうかと相談している。

こんなことを考えるのも、The Economist誌のウェブサイトをのぞいてみたからです。あちらは週刊誌だけど、1月5日号では3日のアイオワの結果が入っていない。逃げのテーマでしのいでいた。ところが、ウェブサイトでは1月7日に「A hill to climb」が載っている。締め切りと締め切りの谷間はウェブでしのごうとしているのだ。

これは勇気づけられる。こちらもニューハンプシャーで、ヒラリーが急転直下瀬戸際に追い詰められたら、どうしようかと思っていた。マイルレースの競馬が中だるみのあと、ホームストレッチだけで決まってしまうことがあるが、あれのようなものだ。しかも2月も5日にスーパーチューズデーが来て、これまた谷間寸前である。我が誌のもっとも弱い時期に、決定的瞬間が来るのは困ったものだ。

その谷間をFACTAもウェブで埋めてみたい。とくに来週は下版後になるので、誌面が身動きできない。こういうときこそライブでやるチャンスかなとも思います。

アメリカに黒人大統領?というテーマ、みなさんもご興味ありますか。時間が切迫していて人集めは容易でないけれど、ちょっとこのブログでニーズをサーベイします。

トークイベントの開催は15日(火)夜に都内の会場で考えています(※変更の可能性あり)。詳細はこれからですが、ご興味のある方は、support@facta.co.jpまでご連絡ください。詳細が決まり次第、お知らせメールをお届けします(※詳細が決まりましたのでメールの受付は終了させていただきます。お申込みはこちらをご覧ください)。

「滝山コミューン」のうそ寒さ

暮れの忘年会のひとつで、日経BP社の柳瀬君、新潮社の横手君、そして杉並区の校長先生になった藤原和博氏と同席する機会があった。そこで奇妙な本とその作者の評判を聞いた。

滝山コミューン1974」。書いたのは明治学院大学教授、原武史氏である。どこかの書評で70年代団地のうそ寒い集団教育の話を書いた本だということはうっすら知っていたが、タイトルもなんだか不気味そうで読む気になれなかった。ところが、優秀な編集者二人が絶賛しているのだ。

こちらは話についていけない(総合誌編集者がこれでは勉強不足と言われる)。新宿駅の423列車とか、遠山啓だとか、何のことやらさっぱりである。しかし作者がもともとわが古巣の日経社会部記者だと聞いて、なんだ、後輩かと急に親しみがわいた。新聞社で落ちこぼれてアカデミズムに転じた(すでにサントリー学芸賞などを受賞しているそうだから慶賀に耐えない)ところまでは、私の軌跡に似ている。

本を取り寄せて正月に読んでみた。しだいに背筋が冷たくなった。ヴェルヌの『十五少年漂流記』を裏返しにしたゴールディングの『蝿の王』を彷彿とさせるが、登場人物の一部を匿名にしても小説ではない。筆者が少年時代に体験した実話なのだ。それも私が生まれ育った東京の中央線沿線のすぐ北側に広がっている西部池袋線沿線の滝山団地が舞台だから、他人事ではない。武蔵野の雑木林が残る閑散とした平野に、突如出現したグリッド状空間である団地がどれほど場違いな存在だったかはよく分かる。

ただ、「滝山コミューン」という意地の悪いタイトルから察せられるように、これは東京のサバービアに出現した逆ユートピアを検証する試みである。滝山団地にできた新造の小学校で若い教師が遠山啓の算数教育法「水道方式」を取り入れ、日教組の全生連の方針に従ってソ連式の集団教育を応用、民主集中制に基づいてクラスを班に分けて競わせ、何の役目も割り当てられない「ダメ班」「ビリ班」をつくることで、生徒をかえってスポイルした。今なら容易にイジメが起きる事態を人為的につくりだし、まつろわぬ生徒を槍玉にあげたらしい。その"地獄”は生徒の一人だった筆者のトラウマにもなった。

それを自分の日記や、全生研の機関誌、そして秀才兄弟の母親が書いた受験自慢本まで引用して、執拗に実態を追いかける。集団への帰依を強いる教師に対する言葉にならない怒りが、この本のディテールにはこめられている。激することのないドライな文体は新聞記者的だが、体制に反発する自分を主人公にして過去の屈辱にこだわっているから、何か異様なリアリズムになっている。

かつての同級生を訪ね、教師にもインタビューしていて、執念は見上げたものだ。が、20年以上もたって、誰もが奇妙なほど記憶が欠落していたという。集団教育を主導した教師とそのクラスの生徒の口から「コミューン」が生まれていくプロセスをたどることはできても、渦中にいた当時の心理は再現できていない。彼らが忘却したのか、自分がこだわりすぎなのか、筆者はもどかしさを感じたはずだ。

ふつうなら、この本は日教組への恨み節で終わったろう。作者のユニークなところは、そこに団地という「空中庭園」の書割を登場させたことだろう。――どの家も同じサイズ、同じ間仕切りで、友達の家に行っても自分の家にいるような錯覚すら呼びさます画一的な空間の恐怖。そういう空間にソ連式の集団教育が適用されたから、小学校に民主主義の仮面をかぶった民主集中制(日本共産党の語彙)の細胞が移植され、癌細胞のように広がっていくのだ。

地元民と隔絶した団地暮らしの母親たちを中心に、PTAもそれを支持した。教師と親が結託しては生徒は救いがない。その抑圧から筆者が辛うじて逃れられたのは、公立中学に行きたくないばっかりに通った進学塾「四谷大塚」と、その途上で新宿駅で潜りこんだ中央線の423列車(筆者には鉄道趣味がある)だった。それが、ともすれば単調になりがちな校内の暗闘の描写を救っている。

少年は最後に東急沿線へのエクソダスを果たす。それが慶応高校への進学というのは、いささか滑稽で哀れでもある。サバービアの精神的荒廃は、ケイト・ウィンスレットが主演した映画『リトル・チルドレン』でも描かれたが、日本では私の知る限り大友克洋の『童夢』(1983)が最初だろう。ボケ老人と幼女の超能力者が、多摩ニュータウンか高島平団地をモデルにした高層団地で戦う筋立てだが、大友の細密描写でとらえた高層団地のぞっとするような無機質は忘れがたい。

同時期に描かれた『アキラ』より、よほど東京が廃墟であることを思い知らされた。70年代にすでに始まった団地の衰退と退廃をまだ誰も書いていないというが、漫画はおそらく20年先行しているのだ。ただ、それは前年に公開されてカルト化した映画『ブレード・ランナー』の荒涼たる近未来をイメージとして拝借したものかもしれない。批評家、吉本隆明が書いたように、無限遠の彼方から地球を鳥瞰し、空がまったく見えない「世界視線」の息苦しさは、団地空間の高度化から生まれたはずだからだ。

それにしても、筆者の「全共闘世代」への憎悪は根深そうである。問題の教師が71年大学卒業で「全共闘世代」に属していたこと、吉本隆明が東工大の師、遠山啓を褒めていることが、この世代をひとくくりにしている理由なのかもしれないが、ちょっと首を傾げたくなる。「世代」と「全共闘」は別である。

この教師は学園紛争直後にすんなり卒業していることからみても全共闘に参加したとは思えない。集団教育に熱心だったことからみても、むしろ代々木系だったのではないか。この本の唯一の欠点は、教師にインタビューしながら、彼の政治的加担とその経緯を問い詰めていないことだと思う。

学園紛争の波が引いたあとも、全共闘世代がサバービアの団地で学生時代の「サヨク」の理想を実現しようとしたいうのは、代々木対反代々木の相克を知らない世代の勝手な幻想だと思う。ああいう仲良し民主主義など嫌悪の対象だった。民主集中制など聞くだに鳥肌が立つ。

私もその世代である。金輪際、教師にだけはなるまいと思った。

新年のご挨拶

皆様、よいお正月でしたか。年末年始のお休みもそろそろ終盤、私は4日金曜は出社しましたが、会社でほとんど年賀状整理に終始しました。

実は個人的には喪中なのです(妻の母を旧年中に亡くした)が、欠礼のお知らせを出したすぐ後で、編集発行人名の賀状を出すのも変なので、欠礼のほうは思い切って省略させていただきました。その分、賀状もそっけなくなったことをお詫び申し上げます。いやはや、靖国参拝ではないですが、こういうときの公人と私人の使い分けには往生します。

ちなみに私の名義で出す年賀状は公私あわせて2000枚以上。こうなると、ほとんど人間わざを超えています。新聞記者時代も多いほうでしたが、それでも1000枚以下でした。編集長となると交換する名刺も膨大で、イベントなどをやりますと、どんどん名刺の山が増えてくる。名刺箱では対応できず、今は名刺をスキャンするソフトを使っています。

さて、最近は年賀状が戻ってくるケースが多くなりました。個人情報管理上から企業の名簿が姿を消したからで、うかうかしているとポストも自宅住所も変わっています。いたずらに郵便配達の手間を煩わせるのは恐縮なのですが、相手先のデータの入手難は深刻で、不便な世の中になりました。

いただいた賀状でそれを確認して、住所録を整理するのは大事な正月行事。とりわけ、ご自宅の住所は大事な情報で、いちいちご本人に確認するのは大変ですが、賀状だとすんなり更新できるのです。われわれ団塊世代は定年期を迎え、昔の職場に賀状を出してももう届かない。第二の人生の職場もほどなく代わり、最後は自宅で悠々自適となると、今のうちから自宅住所録を完備しておかないと、相手が(こちらも)行方知れずになってしまいます。

また、私用メールアドレスや携帯電話などが付記されている場合もあり、「あの人は今ごろどうしているやら」と思いたったら善は急げ、すぐ連絡できる便利さがあります。

年賀状は虚礼だ、と廃止論が出たこともありましたが、そんな思わぬ効用もあるのです。歳末に少なからぬ枚数を書かねばならない人には重労働ですが、データ更新のチャンスだと思えばいい。更新を怠ると、社会保険庁の年金記録のように後で漂流することになりますから。

とりあえず新年のご挨拶に代えて。



望月迪洋著「コメは政なれど…」のススメ

新潟日報の編集委員だった望月さんのこの本は、後書きにもあるように私も多少の助言をし、タイトルの相談にも応じた経緯がある。出版前にざっと斜め読みしたし、登場する政治家や官僚の一部は私の取材先でもあったから、書評するなら身びいきと思われないものを書こうと思っていた。歳末の忙しさに紛れて時間がかかったが、この連休でようやく居住まいを正して精読する機会を得た。

副題にあるように1980年代半ばから90年代半ばにかけてのウルグアイ・ラウンドで、コメの市場開放を迫られた日本が、「一粒も外国米を入れない」という強硬な国会決議を背に徹底抗戦、ついに米欧の妥協で梯子を外されていく経緯を、海部政権の農相と宮沢政権の官房副長官を歴任した佐渡出身の政治家、近藤元次を通して追ったものだ。

近藤は利害が錯綜する困難なアジェンダに何とか落としどころをみつける政治家だったらしい。「らしい」というのは、ほとんど戦死のように1993年12月にガンで早世したからで、私は生前まみえるチャンスがなかった。幅広い人脈と情報通、素朴な新潟弁で口説かれると誰もが抗し難かったという「人たらし」「爺いごろし」、そして時代の流れを見誤らない見識のある人物だったという評判を後で聞き、つくづく惜しい人を失ったと思う。

望月さんは同郷人だけに、この政治家の苦闘にぴったり寄り添って、コメ交渉を取り巻く巨大な圧力――農業団体から自民党内の農林族八人衆やアパッチ族(強硬派)、そして農林省や大蔵省、外務省の官僚、さらに米農務長官やECの農業委員の凄絶な駆け引きを活写している。米価調整の際、近藤とともに吹田愰、田名部匡省、野中広務の4人組が連携してまとめ役に動いたエピソードなどはなるほどと思わせる。私の知人が野中氏に本書を褒めたところ、本書にない裏話も教えてくれたという。

「大近会」(大蔵の「大」と近藤の「近」)と名づけた大蔵省主計局の官僚たちとの勉強会の顔ぶれには驚く。涌井洋治、竹島一彦、武藤敏郎、伏屋和彦、田谷廣明、佐藤謙、溝口善兵衛、田波耕治らで、のちのポストを調べれば優駿ぞろいであることがわかる。範囲を広げて主税局の薄井信明、尾原栄夫、外務省から加藤良三、東郷和彦、折田正樹、自治省から遠藤安彦、通産省から中川勝弘、大宮正、経済企画庁から新保生二、郵政省から江川晃正らも加わった。県議あがりで元官僚でもない政治家で、これだけの人脈を持つ人が今いるだろうか。

だが、近藤の壮図は病死によって中絶したと言っていい。政局も彼に利さなかった。竹下派の分裂と政治資金規正法で揺さぶられ、ついに解散で自民党を分裂させた宮沢政権の瓦解はいかんともし難かった。

コメの「特例措置」によって関税化を先延ばししただけのウルグアイ・ラウンドの最終合意は細川政権下でなされた。95年から部分開放が始まり、99年にミニマム・アクセス(最低輸入義務)米が70万トンを超えた時点で、世界貿易機関(WTO)での交渉の不利を考慮して、タブーであった「関税化」(それでも関税率778%)に踏み切る。近藤はすでに世になかったが、こうなることは見越していたのではないか。そこに彼の苦衷もあった。

「モトジが生きていれば……」。ないものねだりかもしれないが、そういう嘆きの声が聞こえる。

本書は政治家の単なる伝記ではない。日本の農業の惨状に対する作者の危機感が随所に顔をだす。それは霞が関の机上の空論に比べて、農業の窮状をよく知っていて優しい目を向けているからこそだろう。文章は冷静だが、これは警世の書なのだ。

「あのとき宮沢首相はコメの自由化に背中を押されて思い切った農政転換を断行する腹積もりだった。ところが、実際はアメリカとEUの二国間談合によって、いわれていた自由化路線からみればかなり後退した内容になって、おかげで日本は一息つけたのであった。だが、それから今日までの十三、四年の間に日本の農業は時間を有効に活用して、体質強化できたのだろうか。答えは『ノー』である」

まさしく農家戸数が200万戸を割り、主業農家はわずか42万戸、しかも65歳以上の農業従事者が57%である。大規模農地への集約は進まず、都会に出て農業をやめても農地を手放さないため、耕作放棄地は38万ヘクタールに達している。まさに田園荒れなんとする農業の没落が、皮肉にも農政改革を遅らせたコメ交渉に胚胎していることは明らかだろう。

03年策定の米政策改革大綱に基づき、07年度からの「品目横断的経営安定対策」で大豆、麦、コメ生産農家に条件付きで所得補償する政策は、農民に零細足切りの恐怖を呼びさまし、参院選一人区での自民党大敗を招いた。農相の自殺やスキャンダルでなり手がなくなった現状こそ、農政の混迷の象徴でなくて何だろう。これで単なる補助金バラマキに回帰するのでは、まさしくいつか来た道である。

「コメは日本固有の文化」などと唱えたばかばかしさは、コメ離れで消費量低下に歯止めがかからなくなって化けの皮がはがれた。農業基盤整備に膨大なカネを投資しながら担い手がいないのでは、地方の土木業者の失業対策費に化けたと言われても文句は言えない。都会近郊の二種兼業農家が農地転用でタナボタの収入にありつき、農協バンクの預金量は膨らんでいくが、農家内では格差が広がるばかりなのだ。農業は失政の塊である。

だから、本書は15年前のことを書きながら、ひとつも古びていない。国際交渉の失敗は百年の不作――その教訓は貿易交渉ばかりではない。「ポスト京都」を議論する温暖化ガス規制のCOP・MOPでも、日本は同じ愚を繰り返そうとしているかに見える。

「ネット生保」トーク3――質疑応答

トークイベントでは最後に質疑応答を行いました。会場からは出口治明ネットライフ企画社長にビジネス・モデルに関する質問がいくつも投げかけられました。ここでは、その一部をご紹介します(前回の記事はこちら)。



会場他社とのコラボレーションは考えていますか?

出口まだ認可が下りていないので、話を進めることはできませんが、株主にはコラボレーションできそうな企業を選ばせていただいてます。

会場出口社長が言われたようなシンプルで分かりやすい保険商品が実現し、お客様が本当に必要なものだけ購入するようになれば、マーケットは縮小してしまいます。ネットライフとしては、縮小した規模でも充分やっていけると考えているのか、それとも縮小したマーケットに別の要素をプラスアルファして膨らませようと考えているのでしょうか?

出口もし、仮に今の45兆円マーケットが過剰補償ゆえに、適正な規模に縮小するならば、それでいいと思います。しかし、この先、「自助」と「公助」が成り立っていけるかどうかを考えると、「共助」のマーケットはもっと大きくなると思います。高齢化も進んでいます。大坪さんのお話にもあったように、先進国の米国では所得補償保険や介護保険のマーケットが大きいと聞きます。

我々はネット生保でスタートしますが、「ネットの保険会社」を作りたくて始めるわけではありません。目指しているのは、共助の精神に立脚し、保険の原点に立ち返った会社です。もっと共助の仕組みを実現する商品を作ることで、むしろマーケット全体を大きくしていきたいと思っています。

会場ネットで保険を買うのはどんな顧客と想定していますか。FPに相談するような、補償をトータルで考えたいという意識の高い層なのか、それとも県民共済にサクッと入りたいと考えている層でしょうか。

出口顧客調査などを見ると、保険に加入する際には複数社を比較してから決める方が結構います。初期にお客様になってくれるのは、普段から商品を比較していて、ネット保険ができたからちょっと比べてみよう、というような方かもしれません。しかし、だからといって、ネットリテラシーが高い層とは限らないでしょう。ネット証券の利用者に40代、50代が多いように、既に保険にいろいろ加入している中高年かもしれません。でも、こればかりは始めてみないと何とも言えませんね。

会場消費者に商品を比較してもらうためには、比べやすそうなものから開発していくのでしょうか?

出口比較というのは、しようという気持ちがあれば出来るものだと思っています。パソコンや携帯電話のように機種によって機能が全然違うようなものでも、消費者は判断して買っています。シンプルで分かりやすい商品を世に出せば、消費者自身が比較する気になるのでは、と期待しています。

(3/3:了)

※本記事はディスカッションの内容を編集したものです


「ネット生保」トーク2――大手生保がネットに踏み切れないワケ

トークイベントの続きをお送りします(前回の記事はこちら)。歳末の取材やテレビ出演などが立て込んで、掲載が遅れたことをお詫びします。ディスカッションの参加者は、出口治明ネットライフ企画社長、大坪勇二ホロスプランニング東京オフィス長、そして司会はFACTA編集長、阿部重夫がつとめました。



阿部消費者にとって、対面販売の大きなメリットはなんでしょうか?

大坪保険商品を買ってもらうには、お客様に現状を認識してもらい、新たなニーズを掘り起こすことが大事です。生命保険はボーナスが入ったから加入しよう、といった商品ではないので、お客様がなるべく直視したくないようなことも説明し、自分自身の言葉でニーズに気付いてもらう必要があります。これは、保険を沢山売るためではなく、正しく認識してもらうためです。なので、対面販売でない場合に、お客様が心理的に直視したくないことを自分自身で正しく測定できるのかは疑問です。特に長期保証の場合は難しいかなと。

ただ、現状で1万円払っているものを7千円にしたいというお客様も大勢いて、感覚的には最近増えている気がします。そういう層にとっては、面談は自身のニーズを認識しようというより、見積作業の一部ですから、ネット保険のビジネスチャンスはあると思います。

出口我々はネットで保険を売る会社を作っているわけですが、セールスパーソンや代理店が果たしているファンクションは絶対に省略できないと思っています。ネットだからといってそれらが担っている要素を省略したら売れません。100%充足できるかは分かりませんが、セールスパーソンが果たしているファンクションを丁寧にネットに入れ込むつもりです。

阿部日本と欧米で保険商品のニーズに違いはありますか?

大坪金融先進国である英米の同業者に売上の中身を聞くと、日本でいうところの生命保険のコミッション比率は概ね2~4割位で、大部分はアセット(※資産を預かって運用するサービス)だと言うんですね。保険商品では何を多く売っているのかというと、アカウント商品、所得補償保険、介護保険の3つを挙げる人が多かった。僕のコミッションの半分を占める定期保険なんて、年に1回売ったかなといった人もいるぐらいで、比率の違いに驚きました。

日本の場合は、保険会社と証券会社でテリトリーがはっきり分かれていますが、米国では流通部分が完全に融合しています。消費者からみればその方が合理的で、分離しているのはあくまで供給側のロジックなんですよね。

阿部かつての銀行・証券・保険といった厳しい垣根はだんだん下がってきているので、今後はワンストップサービスの方向に向かっていくのかもしれませんね。

大坪日本の消費者は、メディアの啓蒙もあって、保険という名の付くものにお金を払い過ぎているのではと思い始めています。地球的には、健康保険の制度を持っている国すら少ないですし、年金にしても高福祉国家のデンマークでさえ国民年金しかありません。日本は厚生年金まであるのに、さらに身銭を切って保険に入る必然性があるのかという本質的な疑問があります。個人的には日本でも今後はアセットが重視されるようになっていくと思っています。

阿部ネットライフが既存の生命保険会社に挑む姿は、まさに巨象に挑戦する子犬の構図です。生命保険会社の多くは相互会社なので、単純に比較することはできませんが、資本には歴然とした差があります。当初はどれ位の規模を目指すのですか?

出口我々としても闘っていけるくらいの自己資本を目指して頑張っていきますが、大手は2~3兆円ですから気が遠くなるような差です。しかし、どんな産業でも新規参入というのは小さな資本から始まるものです。小さい会社が大きな会社と闘っていくには、消費者の支持を得るしかチャンスはありませんので、ただただ愚直に良い商品と良いサービスを作っていくことに尽きます。まさにFACTAのパンフレットに阿部編集長が書いた「無人の野に立つ」という気持ちです。

阿部以前、出口さんに「既存の生命保険会社がネットに参入してきたら厳しくなりませんか?」と質問したところ、「大手が本格的にネット販売するとなれば、必ずセールスパーソンとの均衡問題に突き当たる」と答えられた。つまり、セールスパーソンのコストを含んだ商品とネット向けのダイレクト商品を作った場合、一物二価の矛盾が起きてしまうので、当面はネット保険には本気になれないのでは、と予測されているわけですね。

出口日本生命で働いていた当時に奇異に感じたのは、新しいチャネルを議論するときには必ず「既存のセールスパーソンの領分を犯さない範囲で検討する」という前文がついたことです。つまり、何万人という専属セールスパーソンの巨大な販売力を脅かすものを企業論理として嫌がることが身に付いてしまっているのです。ようやく銀行窓口での保険販売が解禁になりますが、いったい何年かかったことでしょう。他にもいろいろな規制がありますが、こういう業界の体質を考えると、大手は全国に築いた販売網のコストを捨てきれないのではないかと思います。

もちろん、ネットライフのアイデアは単純なものなので、誰でも真似できますし、他社の参入も想定しています。実際、SBIホールディングスとアクサジャパンホールディングが共同でネット生保会社を準備していますが(※SBI生保設立準備株式会社)、これはとても良いことだと思っています。ネット生保という波を1社で起こすより、2社、3社で起こした方が、保険業界のパラダイムシフトに繋がりますから。

ただ、先行者利益についてはあまり無いものと思ってます。参入までの時間差も免許取得の期間ぐらいしかありませんから。商品とサービスが消費者の共感を得られるかどうかが勝負でしょう。

阿部銀行窓販やかんぽ生命など、販売チャネルが広がることはセールス最前線での競争激化を意味します。そこで勝ち残るためには何が必要ですか?

大坪僕らみたいな対面営業に期待されるのは、プランニングとジャッチなので、まずはその2つを磨いていくことだと思います。僕はカタカナ系生保の代表格であるソニー生命出身ですが、ソニー生保について当時のマスコミはコンサルティング・セールスで成功したと報じていました。しかし、実際は商品の比較優位で勝っていたようなもので、僕自身を振り返ると本当の意味でのコンサルティング・セールスはやっていなかったように思います。なぜなら、お客様の利益極大化だけでなく、売る側の利益極大化も図る必要があり、どうしてもバイアスの掛かった情報を流してしまうからです。

既に米国などでは、エージェントがどれだけお客様側に寄ったプランニングをしているかで選別されるようになってきていて、金融機関経由で入ってくるコミッションよりもお客様からプランニング・フィーを直接いただくケースが増えてきています。国内でもそういう中立・公正さが求められるようになってくると、専属エージェントはどんどん苦しくなっていくでしょう。

阿部ネットライフでは、資産運用はどうされるおつもりですか?

出口集まる保険料が少ないうちは、国債を中心にリスクを取らない運用をしていくことになると思います。保険は確率の産業とも言えますから、デュレーションをきちんとコントロールすれば相当有利な運用ができるはずです。例えば、デュレーションを3年で考えるのと、15年で考えるのとでは1%位違ってくるかもしれない。保険の原理原則にあったマッチング運用をちゃんとしていけば、リスクが低く、相対的に高い運用ができると考えています。

今までの保険会社というのは営業が最優先で、営業現場を経験した人でないと出世しづらかった。しかし、これでは運用のプロは入って来ません。10年、20年先を考えた運用に強い会社を作るには、営業と運用は等しく大事だという意識で、計画的に強い運用チームを作っていくことが大切だと思っています。

(2/3:続く

※本記事はディスカッションの内容を編集したものです