EDITOR BLOG

最後からの二番目の真実

肘痛

しばらくブログを書けなかったおわびをします。

職業病、ということになるのか、肘を痛めました。テニス・エルボー状態といったらいいでしょうか。キーボードを打てないというほどではないのですが、右半身がかなり重く、肩と腰とふくらはぎまで影響が及ぶ事態となりました。マッサージも試みましたが、なかなか痛みが消えません。

雑誌の編集作業もあるので大事をとって、できるだけ肘を温存していた次第です。

編集作業がほぼ終わりましたので再開しますが、しばらくは騙しだまし。それにしても、ブロガーの皆さんはどうしているのでしょう。筆力とは体力のことだと言いますが、ほんとうは肘力かもしれません。


購読者からのお叱り――請求書の二重送付

ご購読継続のお願いと請求書について、ご購読者のお一人からお叱りをいただきました。前月号に入っていた請求書に従い7月17日に入金したのに、7月20日に届いた8月号にまた請求書が同封されていたというお叱りです。ごもっともなことで、二重払いを起こす危険があり、お詫び申し上げます。

問題点ははっきりしました。入金者を確認し消しこむ作業は毎月15日にいったん締め切っていますので、それから発送までの間(16~19日)に空白期間が生ずることです。この間に入金された方は20日以降に原簿に記載されるので、請求書が同封されてしまうのです。今回は17日入金でしたので、この空白期間にあたり、二度請求書を送ってご迷惑をかけてしまいました。

支払い期限は29日までとしているので、ご購読者が不審にお思いになるのも無理ありません。今後、この空白期間(物理的に入金確認が発送に間に合わない期間)をどうするか、弊社で検討し、改善策なり事前通知なりを検討しますので、よろしくお願い申し上げます。

この読者の方には「雑誌はまだ発展途上」とのご叱正もいただき、今後の充実を期待してとご購読を継続していただきました。お礼申し上げますとともに、心して内容の充実につとめることを誓います。

政治トークイベントのお礼

23日夜、東京・大手町で「政権交代は起きるか」と題してトークショーを開きました。弊誌コラムの執筆者で外交ジャーナリストの手嶋龍一氏と二人、それに司会をヤフーの川辺健太郎氏にお願いしました。

幸い、参院選への関心は極めて高く、ネットで告知してたちまち申し込みが満杯になるほどで、120人ほど入る会場は満席となり、盛況でした。正直、こんなに目を輝かせた聴衆を相手にお喋りすることは、とても緊張させられる体験でした。

心よりお礼申し上げたいのは、会場で我々の話を聞いてくださった方々、また残念ながら申し込みに間に合わなかったけれど関心をお寄せいただいた方々です。その背後には政治へのアンガージュマンを求める無数の方々がいらっしゃるのでしょう。そこに一石を投じることができたとすれば、これに優る喜びはありません。

また当日、会場からブログで発信していただいた方々、さらにボランティアで会場の運営をお手伝いいただいたドットジェーピーなど関係者の方々にも、謝辞を申し述べたいと思います。

とりわけトークショーの相手役、手嶋氏には熱弁をふるっていただき、感謝の言葉もありません。さすが放送記者出身です。新聞記者出身で訥弁の私を補って余りある彼の明快な分析に、聞かれた方々も得るところは大きかったと思います。

また、司会の川辺さんはやフーで「みんなの政治」というユニークな試みをされているだけに、ネットで本格的な世論が形成されはじめたことをデータを通じて的確に紹介していただきました。

このトークショーが単なる政治座談会でなく、新聞やテレビ、雑誌という既成メディアの外に新しい「政治アリーナ」を形成できるとすれば、彼の試みに負うところ大だと思います。

FACTAにとっても刺激的な実験でした。ポータルサイトにすでに弊誌記事の一部を提供していますが、ネットの向こう側にいる方々に雑誌メディアがどういう発信をし、知名度や影響度を高めていくか、は大きな課題です。こういう発信のしかたに手ごたえがあったことは心強い限りです。

手嶋氏とも話しあいましたが、今後とも「FACTAフォーラム」として定着させ、適宜テーマを選び、ゲストを迎えてこういうトークショーを開きたいと思います。次の段取りが決まりましたら、またご通知申し上げますので、よろしくお願い申し上げます。

追記:当イベントを裏方から支えて頂いたgooの藤代裕之氏が7月30日に「検証・ネットは参院選に影響を与えたか」と題したシンポジウムを行うそうです。こちらは選挙後に検証を試みようというもの。興味のある方は告知サイトをご覧ください。

8月号の編集後記

FACTA最新号(8月号、7月20日発行)の編集後記を掲載します。



後期のハイデガーが真理(アレーテイア)の比喩によく使った言葉が「リヒトゥン」(Lichtung)である。英語のライトと語源が同じだ。鬱蒼としたドイツの森で樹木を間伐し、日の光が差し込む空き地のことらしい。森の闇にぽっかりと浮かぶ光臨のイメージは美しい。誰かが「空開地」などと奇怪な訳語をこしらえたが、心屈する日には、どこかに天窓がないかと誰でも空を仰ぎたくなる。

▼思い立ってアビ・ヴァールブルクの「蛇儀礼」講演を読み直した。日露戦争の戦費調達に力を貸してくれたユダヤ資本、ヴァールブルク銀行の嫡男ながら、家督を捨てて蔵書家になった民間美術史研究者である。第1次大戦の敗北で精神に異常を来し、分裂病(統合失調症)と診断されて入院する。4年余、妄想を脱せず完治は絶望的に見えたが、阿片投与で症状が緩むと、アビは医師にかけあう。かつてのような学術講演ができたら、退院許可を出してくれるか、と。

▼病院長は現存在分析のビンスワンガーだった。精神の闇に沈んだこの病者に「リヒトゥン」の場を与える。1924年4月21日、アビは医師や患者の前で自己の存在証明を賭けて、スライド付きの「蛇儀礼」講演を行った。27年前の北米旅行の記憶を呼びさます。訪れたリオグランデ沿いに住む先住民プエブロ・インディアンの村では、ガラガラ蛇を生け捕りにし、雲と稲妻の描かれた砂絵に投じたのち、くねる蛇を口にくわえて集団で踊ってから、野に放つという。

▼雨乞いを蛇に代願させているのだ。「仮面舞踏とは踊られる因果律です」。そこからアビの連想は東西の蛇礼拝に飛ぶ。最後にサンフランシスコで撮った男のスナップ写真を見せた。「蛇礼拝や稲妻恐怖を克服した男、つまり金鉱を求めてインディアンたちを追いだし、先住民たちの相続人となったアンクル・サム」が誇らしげに歩いていた。頭上に電線がある。「エジソンの銅の蛇のなかで、彼は自然から稲妻をもぎとっているのです」

▼そしてアビは驚くべき「リヒトゥン」にたどりつく。「電信と電話は秩序ある世界を破壊します。神話的思考と象徴的思考は人間と環境世界を精神的に結びつけようと闘うなかで、礼拝や思考のための空間を生み出してきました。しかし今、そのような場所は瞬間的な電気接続で死に絶えているのです」。グーグルの知の森の、祈りも思考もない不毛を、早くも予言したのか、それとも妄言か。狂人による正気の証明――エピメデスのパラドクスみたいだが、ビンスワンガーはしばし退院許可を延期した。

手嶋+阿部で「政治トークイベント」をやります!

人間には、生まれつきの「政治人」と「非政治人」がいる。私はどうやら前者ではない。ただ、記者という職業柄、色々な政治家の謦咳に接した。文句なく面白い。ほとんど「ニンゲン動物園」である。権力欲がむきだしになると、人間というのはある意味、愛らしい存在なのだ。と思っても、自分でなりたいとは思わない。

音痴の演奏会好き、CD好きみたいなもので、聴衆のほうが楽しい。政治は肉薄しながら「高見の見物」をするのがいちばんと思ってきた。わけ知りの政治評論とは無縁で、同僚だった政治部記者の漫談を聞くたび、羨ましくてしようがなかった。政治家が漏れなく俳優であるように、政治ジャーナリストも演技が上手だ。

しかしポリティクスという劇場は、不思議なもので舞台上の俳優だけではない。かぶりつきや天井桟敷にいる、無名の観客も劇を構成する。いや、彼らの票を得なければ舞台に残れないから、俳優たちは懸命に手を振り、腰をかがめ、愛想笑いを浮かべ、絶叫し、哀訴する。いよいよ、ニンゲン動物園である。ジャーナリズムも商売繁盛でメデタシメデタシ。

今度の参院選は政府・与党が喜怒哀楽のネタをたっぷり提供してくれたおかげで、夏休み中なのに熱を帯びている。カウチポテトはもったいない。で、畏友の外交ジャーナリスト、手嶋龍一氏と参院選直前に「トークイベント」でもやろうという話になった。7月23日(月)夜7時から9時15分まで、場所は東京・大手町の「大手町カフェ」である。

言いたい放題だが、どの政党にも加担しない。プロパガンダでも、政治評論会でもない。安倍政権がどこでドジを踏んでいるのか、ちょっと内幕のインテリジェンスを交えながら、「セミ・プロ」的にわいわいやってみたい。パネラーにもう一人くらい追加があるかもしれません。飛び入り歓迎!

お申込みは事前予約制です。定員になり次第締め切らせて頂きますので、ご希望の方はお早めにお申込みください。イベントの詳細とお申込み方法は「参議院選挙直前トークイベント開催!」ページをご覧ください(※イベントは終了しました)。

一足先に年間購読会員向けのご招待(先着10名様)案内をメルマガでお送りしたが、あっという間に倍以上の応募があり受付を締め切らせていただいた。せっかくアクセスしたのに、申し込みに間に合わなかった会員の方にはお詫び申し上げます。今回は100名少しの会場なので、ご招待枠は10名様と限定させていただきました。ご了承ください。

泣く子も黙る? 笑う? 1年で550億円寄付

先週4回にわたり、電源開発(Jパワー)と筆頭株主の英国ファンドTCI(ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド)の攻防を論じたが、TCI側関係者から昨日、メールをいただいた。

「TCIの(慈善)基金が、日本で懐疑の目で見られていることは私も承知しております。そこで本日(7月1日)のフィナンシャル・タイムズ(FT)に載りました記事に興味をもたれるかもしれないと思い」云々とある。

「TCI代表が2億3000万ポンドを慈善で寄付」(TCI chief donates £230m to his charity)という見出しの記事だった。記者はJames MackintoshでPublished: July 1 2007 22:02Last updated: July 2 2007 00:05とある。

それにしても、一口に2億3000万ポンドというが、米ドル換算で4億6000万ドル、日本円では550億円以上ということになる。これをTCI代表のクリス・ホーン氏が昨年1年間で寄付したというから、ちょっとたまげますね。

アフリカなどで貧困やエイズなどに苦しむ子どもたちのために盛大に寄付しているのだ。だからファンドの名も「チルドレン」としている。泣く子も黙るアクティヴィスト(モノ言う株主)というと日本ではよくないイメージだが、慈善だって半端じゃなく本気ですよと言いたいのだろう。

もしかして、Jパワーの配当原資よりも多いのでは?もちろん、こんな巨額の慈善はJパワーにできるはずもない。

細川呉港「草原のラーゲリ」――熊本日日新聞掲載の書評

熊本日日新聞に書評を頼まれた。以前、月一回のコラムを担当した縁である。

第1回の掲載は6月24日。もう一週間以上経ったからここに再録しても支障はないだろう。実は抑留された叔父の死という事情もあり、冥福を祈るつもりで書いた。原爆をめぐる久間防衛相の心ない言葉が問題になっているが、誰にも忘却できないものがある。それは政治を超えた「語られざるもの」なのだ。

書評したのは細川呉港の「草原のラーゲリ」(文藝春秋社、2600円)。作者は1944年広島県生まれ。集英社勤務を経てフリーになった人、東洋文化研究会を立ち上げて中国研究者の交流の場としている。この本は埋もれてはもったいないと思うので、微力ながら紹介したい。



5月にわが叔父を亡くした。89歳。よく生きたと思う。

長兄だった私の亡父がしきりと「不憫だ、不憫だ」と言っていたが、満州(中国東北部)で終戦を迎え、シベリア抑留が9年。奇跡のように日本に帰ってきた。わが家の茶の間に座り、私を膝に乗せながら、何ごともなかったように、人懐こい笑顔を浮かべていた日を思いだす。

が、抑留体験は黙して語らず、シベリアのどのラーゲリ(捕虜収容所)で強制労働に耐えたかも口にしなかった。「よほど辛いことがあったんだろうねえ」と母が忖度していた。

逝ってはじめて知った。昼は笑顔でも、夜になるとよく夢にうなされ、何やら寝言も呟いていたと喪主が言う。

「あれはシベリアの夢でした」

茫々たる草原、無人の凍土……。そんな風景が眼底に浮かぶ。

『草原のラーゲリ』。タイトルを見ただけでつい手に取った。が、よくある敗走記でも抑留手記でもない。満州西部のハイラル(海拉爾)近傍の村に生まれたモンゴル人、ソヨルジャブの信じ難いような波瀾の生涯である。

昭和20年(1945年)8月9日未明、ハイラル県公署(県庁)のエリート青年職員だった彼は、突如飛来したソ連軍機の空襲に遭った。数日もすれば、ソ満国境を突破して怒涛のようにソ連戦車が押し寄せてくるに違いない。彼は南の草原に逃れて難を避けたが、それは苦難の始まりに過ぎなかった。

ソ連支配の外モンゴルと中国支配の内モンゴルの間で、興安四省のモンゴル人は右往左往する。結局、ヤルタ会談の密約があって独立できず、外モンゴル統合もかなわず、中国領内にとめおかれる。ソヨルジャブは社会主義を学ぼうとウランバートルに留学した。

だが、スターリニズムは決してユートピアでないことに気づく。そこから運命は暗転した。留学を終えた1947年、公安に逮捕された。日本の対ソ要員育成施設だったハルピン学院で学んだ(一期上には『生き急ぐ』の故内村剛介がいた)経歴が、スパイと疑われたのだ。懲役25年。首都の南にあるラーゲリに放りこまれる。囚人の中には、ドイツ帰りの知識人や詩人もいたという。

彼はそこに7年いて突然、中国への引き渡しが言い渡された。やっと帰郷できるかと思いきや、国境を越えると「反革命」「反中国」の烙印を押され、内モンゴルのフフホトの監獄に入れられる。一難去ってまた一難。ラーゲリのたらい回しである。

同じ運命をたどったモンゴル人に、戦前「徳王」と呼ばれたドムチョクドンロブがいる。内モンゴルで諸侯を集めて会議を開き、自治を求めて蒋介石軍と戦った。のち日本軍の協力で蒙古連合自治政府を樹立した。汪兆銘の「内モンゴル版」とも言えたが、日本敗戦後も逃げず、49年に最後の決起を試みる。

が、衆寡敵せず、外モンゴルに逃れた。ウランバートルでは監獄が待っていた。7カ月の訊問を受けたのち中国へ送還、北京の監獄に幽閉され13年後に獄死している。

ソヨルジャブは56年、青海省の西寧労働改造所へ移送された。モンゴル人囚人のなかで彼だけ、北京から1800キロ、チベットの裾にある高原地帯に送られたのだ。郷里はいよいよ遠い。そこに9年半――。65年にやっと仮釈放が実現した。ラーゲリ暮らしは合わせて17年である。ところが、文化大革命が始まろうとしていた。流浪はまだ終わらない……。

国家の崩壊を目のあたりにするのは一生に一度あるかないかだが、日本撤退後の中ソの谷間で翻弄されたこんな人生もあったのか、と驚かされる。満蒙開拓団の悲劇は語り伝えられても、日本の傀儡国家に協力した人々の運命は知られていない。

ソヨルジャブが正式に帰郷できたのは、ハイラルを離れてから36年後である。気が遠くなるような歳月だ。彼に比べれば、わが叔父はまだしも幸運だったかもしれないが、どんな人生も比較できない。

ソヨルジャブは存命らしい。名誉回復後にフフホトで日本語塾を開き、のち民主化されたモンゴルでも日本語学校(展望大学)を開校した。いまはフフホトで暮らす。この本は自伝ではなく、日本の元出版人がフリーランスで書いた労作だ。筆力があって読みやすいが、物語仕立てより史書で読みたかった。どこまでが聞き書きで、資料のどこを参照したかの注がほしい。

ソヨルジャブの背後には、黙したまま去った無数の死者がいる。わが叔父もわが父母ももう世にない。

風吹草低見牛羊――。

Jパワー対英ファンドTCI(4)――肩透かしの株主総会

このサイトで3日間、Jパワーのバーチャル株主総会を連載したが、27日にはリアルな株主総会が開かれた。2時間余の総会で、注目の英国ヘッジファンド「ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド」(TCI)の増配提案は否決され、会社提案どおりとなった。

総会後に会見した中垣社長によれば、会社側提案に賛成したのは「60%台半ば」とのこと。細かい数字は明かさなかった。「TCI提案は30%台の支持を得たということか」との質問に対し、「大方の推測とそう大きく違っていない」という微妙な言い方だったから、おおむね2対1で勝ったということなのだろう。

肩透かしだったのはTCI。事前に盛んにメディアに露出、株主にも提案を説明する手紙を送ったのに、総会ではなぜか「提案の趣旨説明や質疑に応じることは差し控えさえていただきたい」と事前に申し入れ、株主やメディアが期待していた論戦は行われなかったのである。

がっかりである。アクティヴィスト(モノ言う株主)がもの申さないのは寂しい。いわばJパワーの独り相撲で、ちょっと欠席裁判的になるのは面白くない。

しかし総会に欠席したわけではない。TCIアジアの本拠がある香港から社員らが来ていたそうで(代表のジョン・ホー氏の姿は見えなかった)、総会の審議をじっと見守っていたが、論戦に加わることはなかった。「ガイジン」への反発から他の株主に非難されて、TCIのイメージを悪くすることを避けようとしたらしいが、一部株主からは「自分で提案しておきながら失礼」との意見も出ていた。

TCIの正式コメントは、提案に賛成してくれた株主に感謝の意を表するとともに、投票結果を分析したうえで今後の姿勢を明らかにするというものだった。出口を含めてまだ先がありそうだ。

Jパワー対英ファンドTCI(3)――会社側の反論

27日はJパワーの株主総会である。午前10時から東京プリンスホテルで開かれる予定だ。バーチャル総会はこれで最終回とするが、増配要求を出している筆頭株主TCIのアジア代表、ジョン・ホー氏のインタビューを受ける形で、Jパワー側には質問状を出しており、最新号のFACTAの記事に使った。

しかし誌面の制約から全問を掲載できなかったので、このサイトでJパワーの反論として掲載しよう。ただし、ここに載せた回答は要約であことをお断りしておく。要約の文責はFACTAが負う。

Jパワーの反論は以下の通り。



――TCIの主張は、かつて10%台前半と低かった電力会社の自己資本比率がこの10年で倍増、Jパワーも5年で6%台から23%台に増え、余資を積み上げすぎているというもの。また自己資本比率(自己資本/資産総額)より市場資本比率(時価総額/資産総額)を優れた指標とみなし、Jパワーは45.8%だから積みすぎと主張しています。反論は?

Jパワー過去10余年にわたり、電力会社の自己資本比率は大幅に改善した。95年以降の電力自由化を契機に、電力会社の信用格付けの優位性を担保してきた認可料金および参入規制の枠組みが、緩やかに崩れてきたからである。電力会社は、自己責任原則のもと、料金値下げと内部留保充実という、相反する政策的課題の両立を図ってきた。

Jパワーも、ほぼ同時期に民営化と自由化という事業環境の大きな変化を睨んで、事業基盤、資金調達の安定を図るため、自己資本の増強を図ってきた。自己資本比率等の財務戦略については、この点だけを単独で取り出して論ずるべきものではなく、今後の経営環境、経営戦略等を総合的に検討した上で判断するものと考えていいる。

Jパワーは、卸電気事業者という社会的役割を担っており、受電会社との契約の経済合理性を維持することが事業基盤と考えている。資金調達条件で、受電会社に劣後することは好ましくない。06年度からは設備形成期に入っており、これから数年間は多額な設備投資を予定している。さらには順次償還期限を迎える1兆4千億円の負債の借換えも含めて、大きな資金調達が必要となる。受電会社と遜色ない資金調達を実現することが事業基盤の維持には不可欠と考えている。

2007年3月末の自己資本比率は23.1%と、3カ年計画の最終年度目標値をクリアしているが、依然として他の電力会社とは劣位にあることも踏まえ、今後も、経営環境の変化、他の電力会社の動向等に対応して、柔軟かつ適切に目標を設定していくこととしている。

簿価ベースの自己資本比率は、発行会社の財務安全性をはかる指標として、依然として格付機関などにおいても重視されている。時価ベースの自己資本比率は、それと両立かつ補完するものであり、どちらが優れているという比較問題ではないと考えている。

――TCIは将来への布石である長期の設備投資には反対していません。むしろ資金調達面での負債と株式の組み合わせが最適でなく、これこそ長期的に維持できないというもの。現在の低金利下では、負債を増やしても調達コストは安いとしています。

Jパワー資金調達については、電気事業の特性を踏まえ、資金調達源として借入金を最大限に活用してきたが、電力自由化の流れの中で財務基盤・資金調達の安定性を主体的に確保するため、自己資本の強化に取り組んできた。低利の借入金の活用を図りつつ、一方では安定性確保のために自己資本の増強を図ってきたものであり、そのバランスを重視している。

借入金を増加していった結果、ある均衡点を超えてしまうと、格付けが悪化し、資金調達コストは上昇に転じうるからです。現状よりも財務レバレッジを高め、借入金の増加を進めた結果、均衡点を超えてしまう懸念がある。

財務戦略については、今後の経営環境、経営戦略等を総合的に勘案した上で判断するものと考えており、資金調達の最適化もここだけ取り上げて論ずることは大きな意味はないと考える。


――単純な株式・負債でなく、プロジェクト・ファイナンス、優先株などのハイブリッド証券、資産担保証券(ADS)による調達で、配当余地をつくれとTCIは提案していますが。

Jパワー派生的な資金調達の方法は、それぞれの特性やニーズに応じて使い分けるべきものだが、スキーム組成のコストなども含めて割高となることが一般的。コーポレートファイナンスで十分に低利な資金を調達できる場合、派生的な方法によって資金を調達するインセンティブは高いと言えない。

Jパワーの場合、国内事業では通常のコーポレートファイナンスで低利な資金を調達し、海外での事業ではプロジェクト・ファイナンスを活用している。海外事業に伴う様々なリスクを考慮し、それらをレンダーと合理的に負担しあうことを目的に敢えて選択しているものだ。

――配当+買戻し/営業キャッシュフロー(CF)の比率がJパワーは6.3%と他の電力会社の半分ですが、TCIは営業CFのうち、メンテナンス資本支出を除く資本支出(成長を生み出す国内新規設備投資と海外事業など)の一部を借り入れで調達すれば、電力業界平均の配当は可能としています。

Jパワー業界平均との比較は、各社個別の事情も考慮すべきだ。設備形成期にある会社と投資回収期にある会社では、営業キャッシュフローの使途の構成が異なることは自然である。

Jパワーは設備形成期にあり、営業キャッシュフローを利益の源泉たる成長投資に振り向ける一方、財務安定性を確保・向上させることが、現時点では重要であると考えている。

Jパワーの株主還元の方針は、毎年度のキャッシュフローを一定比率で分配するという考え方に立っていない。設備形成期と投資回収期で、極端な差が生じうるからだ。投資の積み重ねにより事業基盤を築き、利益創出の手ごたえに確信が持てたときに、その一部を持続的に株主様に共有していただくという考えである。

――増配要求提案が否決された場合、低配当の対日投資は敬遠されるようになり、長期的にはマイナスというのがTCIの主張ですが。

Jパワーグローバルな資金調達を意識することは必要と思うが、リスクプレミアムの異なる通貨、株式、債券一概に比較することはミスリーディングである。

重要なことは、会社として市場の声に耳を傾け、市場と対話を続けることだと考える。今般、いくつかの電力会社が増配に踏み切りましたが、Jパワーはこれらに先駆けて、昨年時点で株式分割により実質2割の増配をおこなっており、80億円の配当を100億円に増やしていることを、あらためて強調させていただきたい。



回答は以上である。現実の株主総会が、このバーチャル論戦に近いものになったかどうか。それはまた稿を改めよう。

Jパワー対英ファンドTCI(2)――経営への圧力メカニズム

電源開発(Jパワー)に27日増配提案する英国ファンドTCI(ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド)のアジア代表、ジョン・ホー氏のインタビューの続きである。

ちなみにインタビューはホテル・オークラのオーキッド・ルームで行われた。



――日本の電力会社は、経済産業省・資源エネルギー庁の規制下にあっても、戦略を選択する自由はあると?

ホー私が言いたいのは、「政府がすべて決めるから、企業にできることは多くない」というのは、正しいものの見方(マインドセット)ではないということです。私が観察したところでは、経産省もそれはわかっています。経産省は電力に決断させたいのです。目標達成のためによりよい道を追及する企業の邪魔はしません。もちろん、電力会社の一挙手一投足に経産省は常に神経を尖らせています。でも、それは悪いことではない。過った道を行けば、停電や電力の質の低下など、リスクはとても大きいからです。エネルギー安全保障もあれば、環境問題、市場原理など問題は山積していますからね。

達成しなければならないエネルギー政策の大目標のほかにも、電力会社が責任を負うべき他のソフトな課題もあります。この大目標を効率的に達成するためには、他の問題も考慮に入れなければならない。国際金融市場(の評価)とか、責任ある企業行動とか、株主マインドセットの理解とかです。

――株主マインドセットとは?

ホーここでそうしたマインドセットを説明してみましょう。電力会社がしなければならないキーポイントは投資です。私は電力会社の投資を三つに区分します。第一は「メンテナンス資本支出」。これは不可欠です。これなしではキャッシュフローが消えてしまうし、日本の市民は安定した良質の電力を得られなくなる。これは日本にとっても大事だし、われわれ株主にとっても大事な投資です。

第二は「新たな設備投資への資本支出」。Jパワーなら大間原発や磯子火力の建設計画です。これは単なるJパワーの戦略というより、日本が達成しなければならない今後10年のエネルギー戦略の一環です。これは株主にとっても損ではない。経産省はこの新発電所からJパワーがリターンを得なければならないことを理解しており、それはハイリターンではないが、3-4%にはなりそうです。しかし(政府のお墨付きがあるので)リスクは低い。株主にとってリーズナブルだと言えます。

第三の区分は、第二の「新規設備投資」と似ているが、新しいタイプの資本支出です。これも企業の成長に寄与します。成長は資産の基盤を大きくし、結果として将来の営業キャッシュフローを増加させる。ただ、これは必ずしも国家目標ではない。

――ええ、海外での発電事業などですね。

ホーそうです。ですから商業的です。私の見るところ、この支出は企業、経産省、株主間でいがみあう問題ではありません。三社は同じボートに乗っています。支出するかしないかが論議の的ではなく、いかに効率的にするかです。国家目的とは別の海外事業は、ほんとうにやる価値があるとして、それをどう効率的にやれるでしょうか。

キャッシュフローを上回る投資プロジェクトを始めれば、すべてが台無しになることだってありえます。では、もっとも容易、かつ安価なファイナンスは何でしょうか。忘れないでください。電力会社は負債だけでなく、市場で新規発行株を発行できるのです。市場で株式を売れるのです。

ちょっと理論的ですが、高株価と低金利、それを組み合わせた低コストのファイナンスは、利用者にとって低料金の実現になる。それは経産省および利用者の立場から言えばメリットになり、その目標と相反するものではないが、株主の立場から言えば必ずしもそうとは言えません。でも、経産省が望むことと、株主が望むことが正反対というわけではない。経産省はよく分かっています。政府は資金手当てをしたくない。ファイナンスの100%、もしくは大半を民間で調達させたいのです。

しかし、経産省は電力業界の規制官庁であるとともに、世界に顔を向けた官庁でもあります。安倍総理は2010年までに海外からの対日投資を2倍にしたいと述べました。経産省の官僚たちは「でも、どうやって?」と呟くでしょう。電力はとにかく低コスト、低料金、その他は忘れていい……これでは経産省のエネルギー官僚は世界的に孤立します。そうさせるわけにはいかない。

――しかし電力会社もJパワーも、TCIへの反論はひとつ。アクティヴィスト(もの言う株主)はどうせ短期的収益狙いで、長期投資の企業にはそぐわない、と。Jパワーへの投資は結婚のようなものだと言っていましたが、性格の不一致で離婚することもありえますか。

ホー私は全体で考えるので、時にちょっとフラストレーションを感じます。これは批判ではありませんが、日本のロジックがとても島国的で一方通行なのです。「ここで変わったら破滅しかねない」というマインドセットですね。変化のための変化じゃないのに、誰もがTCIの狙いは「長期か短期か」と聞きます。それはマインドセットの問題です。

長期とは短期的に無為でいいということではない。長期とは前進し続けること。「やあ、いい手があれば、やってみよう」ということなのです。何も言わず、何もせず、何かが起きるのをただ待つことこそ、短期思考でしょう。日本が改善を続ける強力なマインドセットを持たず、変わる意志もないのなら、私は自分の投資家のために使命を果たさなくではなりません。「この国には投資できない」。中国かインドか、他国のほうがいいからです。

日本では「出るクイは打たれる」と言いますね。日本に来るたびに、袋叩きにあい、卵を投げつけられ、こんな提案はクズだと言われるようなら、私は日本株を売らなければなりません。売らなければ、私はクビになるでしょう。しかし私は日本に友人がいます。彼らは言ってくれます。「ジョン、触媒として君のような人が日本には必要なのだ」とね。

――かつてエンロンが日本に上陸しようとして、自由化論の夢を語ったが、会計不正で吹っ飛び、電力会社は「それみたことか」と溜飲を下げた。今度も耳を貸そうとはしていませんね。

ホー我々が一株30円配当を提案しても、ノーと言うでしょうね。「Jパワーには計画がある。キャッシュフローを使って、成長のための収益をあげたい。ファイナンスはすべて資本をあてるので、オカネは残っていません」と言うんです。私にいわせれば、そう簡単ではない。しかし我々の提案はもっとスマートです。

事業を成長させるためにいくらか負債で充当することで、会社に努力させる経営圧力をかけられるのです。資産ベースが大きくなるのでさほどの負債ではありません。負債ゼロだと義務もない。配当も横ばいではプレッシャーにならない。むしろ経営陣の自由裁量になってしまいます。子供を自由放任にするようなもので、彼らは勉強しやしません。経営に真の長期思考を持ち込むなら、経営を効率化させるメカニズムを入れるべきです。

――村上ファンド問題もあり、日本の企業社会はアクティヴィストに反感が根強い。

ホー「アクティヴィスト」はいやな言葉です。でも、われわれは他のファンドとは違うと思います。我々は一部はチャリティ(慈善活動)です。これは本気で、まやかしではない。我々は世界が相互接続していると信じており、あらゆる行動が効果をもたらすと思っています。それに我々は投資家であって、デイトレーダーではない。我々に投資している人々は3年から5年、資金を固定してくれている。TCIの人々は高級時計もスーパーカーも保有していない。ありきたりの眼鏡、ありきたりの靴を履く。けばけばしい成金をTCIは嫌っています。我々は誠実で、地に足のついた、知的で倫理的な存在になりたい。

(以下、次回に続く)

Jパワー対英ファンドTCI(1)――バーチャル株主総会

今週は株主総会シーズン。見たことがありますか。シャンシャン総会が主流の日本では、ま、事前のシナリオどおりであまり面白くない。しかし今年は外国人株主の多くがモノいう株主(アクティビスト)となって盛り上がりそうだ。でも、残念ながら、株主でないと会場には入れない。そこでこのサイトでバーチャルな論戦をお見せしよう。

バーチャルといっても現実の企業、現実の大株主である。委任状争奪戦(プロキシーファイト)をしているわけではないというが、電源開発(Jパワー)経営陣が戦々兢々の英国ヘッジファンドである。すでにFACTA本誌で報じたように、9・9%の株式を保有する英国の「ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド」(TCI)が、年130円への増配(会社提案は60円)を要求する株主提案を提出しており、その可否が注目されている。

FACTA7月号では「電源開発に挑む英ファンド株主の『倫理』」と題する記事で、TCIのアジア代表ジョン・ホー氏のインタビュー抜粋と、電源開発側の反論を掲載している。しかし誌面の制約から掲載できない部分も多かった。

そこで株主総会直前の今、ウェブサイトを使って、その詳細版を掲載しよう。現実の定例総会は6月27日午前10時から。株主の方々も場外の野次馬も、このサイトの仮想論戦なら誰でも傍聴できる。さあ、バーチャル総会の試みへどうぞ。

まずはホー氏のインタビューから(インタビュアーは編集長)。



――TCIの主張の柱は、電源開発の資金調達を効率化し、資本で賄っている分を借入金で調達すれば、配当を増やすことは可能だというものですね。

ホー(アナリストが集まる朝食会で話したのは)電源開発の配当問題ではありません。彼らがいないところで欠席裁判するのはフェアじゃありませんから。私の目的は電源開発や他の企業を貶したり、批判したりすることではなく、日本の多くの賢明な方々と私の知識、われわれの分析や洞察を共有することです。そうすれば、第一に日本の重要な賢明な方々との接触から学ぶことができる。第二にわれわれが問いかけることで、日本の電力業界と日本のものの見方(マインドセット)をより大きく、そしておそらくよりよくすることができるのではないでしょうか。

日本の電力会社はもっと負債を増やせとTCIが望んでいる、などと早とちりしないでいただきたい。そうした結論は、TCIと資本構造のごく一面に焦点を絞ったものにすぎないからです。むしろ結論はこうあるべきです。日本の電力業界が今日行っていること、とりわけ資金調達(ファイナンス)は、これまで適切に分析され、考えられてきたのでしょうか。改善の余地があるのではないでしょうか。私の主張は、その枠組みとデータ、そして分析を示して、問題を提起することでした。

この問題はTCIより大きい。比喩を使えば、広大な砂漠のなかの一粒の砂がTCIなのです。木を見て森を見ずではないが、砂の一粒をみて砂漠を忘れてはいけません。われわれは代わりにこう言うべきでしょう。どうすれば、この砂漠全体、この広大な絵をよりよくすることができるか、とね。私がすべての回答を知っているわけではありません。誰も完璧ではないのですから、間違えることだってありえます。でも、分析と議論、そしてその応酬を通じて、日本がよりよい回答を得て、価値をさらに創造することを望みます。結果として私は収益をあげる。これはテイク・アンド・ギブでもなく、勝ち負けでもありません。パイを大きくする。で、私はそれを享受できる。でも、いちばん大事なことは日本が享受できることです。長期に稼ぎ、価値を創造するにはこれが最善の方法なのです。

――単に資金調達手法の多様化を求めるのであれば、株主である必要はなく、フィナンシャル・アドバイザー、もしくは投資銀行でいいのでは。なぜ筆頭株主になる必要があったのでしょう。

ホーこうした思考は一夜にしてできるものではない。われわれは2年間、(日本の電力業界を)学んできました。世界の電力業界については10年学んできて、ミニ・エキスパートなのです。われわれは責任あるグローバルな投資家として、パイを大きくするお手伝いができると考えています。私は「自分が正しい。他のすべては間違っている」という印象を与えたくありません。メディアはTCI、TCIと騒ぐが、これはすべて日本のためなのです。

日本の方々は聞きます。「あなたのほんとうの狙いは?」。私は「ええ、利益を得たいです」と言いますが、それでどうだというのでしょう。ほんとうはこう聞くべきなんです。「日本の長期目標を達成するために、あなたのような方々の持つ専門知識、思考法、その問いをどう生かせばいいのでしょうか」と。



――日本の電力業界は電力10社の地域独占という規制下にあり、教科書どおりの市場原理が通じるとは思えません。商社などの新興電力会社は大口電力のマージナルなシェアしか取れず、エネルギー価格高騰で自由化そのものが烏有に帰しつつある。そもそも電力会社は総括原価方式(コストプラス)で価格決定力がなく、そこではTCIの分析も提案も通じないのでは。

ホーあなたはこの業界をよくご存じだ。単なるリポーターではありませんね。たいがいのリポーターは目先のことを知りたがるだけで、長期のことに関心がない。しかし大事なことは規制機関と企業、顧客、株主の間の力学です。この力学は複雑で、いまや世界中でこの問題が噴出してきています。大雑把にいえば、私が明らかにした枠組みは、政府と企業は協力すべきだというものです。規制下の企業が「知ったことか。政府が何でも決める。われわれに責任はない」と開き直るべきではないし、政府も「彼らは上場企業だから、すべてを決める」などと拱手傍観すべきでもありません。

現実には、日本は世界でもベストの力学、企業・規制機関・顧客・株主の力学が働いていると思います。ベストというのは顧客満足のことです。日本の市民は、こうした電力供給が投資を必要とし、それによって良質の配電を期待できることを理解しています。米欧社会は、日本の官民協力をもっと学ぶべきだと思いますね。

パイを大きくするという我々の観点からすると、せっかくの好循環なのですから、これをどう続けられるかという点に絞られます。政府は電力料金を決め、その質も決定し、その目標を達成するための規制の変更も行う。しかしそれは電力会社が指示待ちで、「何でもご命令を」でいいということを意味しません。電力会社の役割の鍵は、規制機関の枠組みに従いつつ、「これらの目標を達成するために必要な(経営)資源をいかに最小化できるか」を自問することなのです。

(以下、次回に続く

対談:萩原雅之ネットレイティングス社長(下)デジタル時代に割を食った世代

阿部社会的に帰結することで、もうひとつ心配なのが階層の固定化です。何だかんだと言っても、ホワイトカラーに就くにはエクセルやパワーポイントが使えるかどうかなど、PCスキルは最低限の職能です。アルバイトをするにしても、PCを使えるかどうかで時給は全然違ってきます。

思春期を迎えてコミュニケーション欲求が高まると、韓国などの携帯からのネット利用が活発でない国では、PCで一生懸命やるわけです。ところが、日本ではかなりの程度が携帯で済んでしまうのでPCまでいかない。じゃあ、いつPCスキルを身につけるのかというと、日本の大学進学率は5割位しかありませんから、高校を卒業してそのまま職に就いた場合、学ぶ機会はほどんどありません。そのうえ、最近ではブルーカラーでもPCを使うことを求められ始めていますから、そこでも新たな格差が生まれる可能性がある。

萩原PCスキルが仕事の選択機会を増やすのは事実ですから、家庭にPCがない子供たちにもPCに接する機会を増やすのは重要なことですね。この点では現在の20代よりも、小中学校でPC教育環境が整いつつある10代の方が恵まれています。

ただ、PCスキルがないと幸福になれないというのはちょっと違う気もします。格差問題といのは単なるPCスキルの有無には帰結できない複雑さがあると思うのです。ネットの恩恵を受けるという意味では、携帯のサービスや機能が発達したことで、PCを持っていないことをカバーしている面もあって、むしろハンディを埋める役割を果たしているとも考えられないでしょうか。

阿部そういった角度から考えるのも面白いですね。

言われるように、今の10代は小学生の頃からある程度PC教育を受けているので、リテラシーについてそれほど心配する必要はないでしょう。しかし、減っている20代に1980年代前後の生まれが含まれていることに危惧を感じます。

その世代の多くは比較的早い時期からポケットベルやPHSを使ったコミュニケーションをしてきていますから、携帯を使いこなすことには長けています。しかし、現在のような教育課程でのPC教育を受けないまま社会に出ているうえ、当時の大卒の就職環境は最低の水準でした。本来であれば、就職してから PCスキルを身につけられた層も、その時代にはブルーカラーやフリーターにならざるを得なかった。最近は就業環境は改善されきていますが、学ぶ機会に恵まれなかったためにステップアップできない人も少なくないでしょう。そういう時代の断層にスポット落ちてしまった世代に新たなデバイドが生まれていて、そこが固定化しつつあるのではないかと思うのです。

萩原確かにそういった断層はあるかもしれませんが、そういった面を実証データとして出すのはなかなか難しいですね。問題提起としては「下流」という言葉ではなく、損をしたとか、ちょっと割を食ったとか、そういう視点がいいとは思いますが(笑)。

阿部では、今回のタイトルは「デジタル時代に割を食った世代」にしましょう(笑)。あまり言うとオッサンくさいとか言われそうなので、これくらいにしたいと思いますが、日本の将来を情報力という点で考えるといろいろと心配になってしまうのです。新しいデータが出てくるのを待ちつつ、引き続きウォッチしていきたいと思います。

(3/3:了)

対談:萩原雅之ネットレイティングス社長(中)携帯文化が社会に及ぼす影響

阿部たとえば、ある携帯専用のストリーミング動画サイトのユーザ属性を見ると、100万人以上いるユーザのうち、6~7割がPCを所有していないという結果が出ています。ストリーミング動画を見るサイトですから、事実上、ユーザは全員がパケット定額制です。FOMAのパケット定額制になると4000円を超えるため、これは一般的な携帯ユーザのネット支出の倍近くになります。要するに、パケット代の支出が高いユーザーは、結果的にPC所有率が低いという傾向を暗示しているように見えます。こうした相関関係については、まだあまり明確な統計は存在していませんが、最近ではこうした、傍証となるデータが少しづつ出始めているようです。

萩原それはあり得るでしょう。PCを所有していないがゆえにパケ放題4000円の利用価値はPC所有者よりも高いという見方もできます。あるいは、PCを利用するためのブロードバンド回線代と携帯のパケ放題料金をシビアに比較して携帯を選んでいるのかもしれません。

一人ひとりのユーザーにとって、PCが快適か、携帯が快適かというのは感じ方と習慣の問題なので、PCユーザーが携帯ユーザーに向かってそれだけじゃ不便でしょうとか、面倒くさいでしょうと言うのは可笑しい話なんです。彼ら彼女らはライフスタイルと予算に合わせたチョイスをしているわけで、PCがどうしても必要になったら多少無理してでも買うだろうと思います。

総務省の情報通信白書に世帯年収とデジタル・デバイドの状況に関する項目があるのですが、PC、携帯ともに年収が高いほどネット利用率が高くなっています。必ずしも低所得だから仕方なく携帯からネットを利用するということではありません。

阿部PCユーザーと携帯ユーザーに本質的な違いはないということですね。しかし、PCと携帯の両方から使えるオークションサイトなどでは、やり取りを巡る摩擦が顕著になっています。PCユーザーにしてみると、携帯ユーザーのリテラシーが低くて困るというわけです。

萩原リテラシーの高い低いではなく、一種の文化摩擦と考えるべきではないでしょうか。90年代のネット黎明期にも、それまでのパソコン通信ユーザーとネットから入ってきたユーザーの間にマナーを巡る似たような問題もあったわけで、いずれ落ち着いてくることでしょう。

阿部あくまで一時的な現象だと。

萩原ただ、例えば携帯ユーザーの文化が主流になったときに、社会全体に帰結する問題として考えた場合の心配というのは確かにあります。オークションというのは、出品物への質問とか落札後のスムースな取引など、匿名の他人に対する想像力や配慮などが必要とされます。PCユーザーからみると携帯ユーザーはそういったコミュニケーション力が不足しているように感じてしまい、それがリテラシーが低いという表現になっているのでしょう。

例えば、国立情報学研究所の小林哲朗氏などが研究しているのですが、携帯メールのみの利用者はPC利用者に比べて社会的寛容性や公共への関心が低いという実証データなどもあります。気に入った仲間に偏ったコミュニケーションが、人間関係のタコ壺化に繋がるのではないかと言うのです。PCより携帯が快適だという若い人が増えることは、本当にコミュニケーションが閉じる方に向かっているのか、それが社会にどんな影響があるかということは考えていく必要があるかもしれません。

(2/3:「(下)デジタル時代に割を食った世代」へ

対談:萩原雅之ネットレイティングス社長(上)20代はPCを使わない?

今回は2007年3月号に掲載した「パソコン見放す20代『下流』携帯族」の続編として、記事中で引用した「衝撃的」なデータの調査元であるネットレイディングスの萩原雅之社長との対談を掲載します。

この記事で論じたPCユーザーと携帯ユーザーの「デバイド」問題は、ネットで非常に大きな議論を巻き起こしました。最近、入社してくる新人にその傾向が強いという感想もあれば、PC音痴より携帯音痴のほうがヤバイという意見もあり、ブロゴスフィアでの議論も尽きない。

高機能な携帯電話が優れたプロダクトであることは承知だが、従来のPCユーザーと携帯しか使わないユーザーの間に断層は生じていまいか。携帯の制限された世界では、本来のインターネットが持つ知から知へ繋がるハイパーリンクの恩恵をユーザーは享受しきれていないのではないか。そこに「格差社会」が見え隠れしていないか――。

ネット視聴率調査の第一人者として知られる萩原氏はこの問題をどう見ているのか。率直に語り合った。



阿部FACTA3月号の「パソコン見放す20代『下流』携帯族」という記事が、賛否両論の大きな議論を呼びました。ひとつには、「下流」という言葉をメインに据えたことに要因があるでしょう。しかしながら、この記事で提起した問題は今後のPCと携帯市場の方向性にとっては非常に重要なことですし、社会における格差がこういう形で露頭しているのではないかという観点でも、一つの現象として考え得るに足るテーマだと思っています。

この記事でネットレイティングスのデータ(下のグラフA)を使わせていただいたのは、構成比だとは言え、20代が非常に大きく下がっていたことに驚きがあったからです。記事に対する反響が大きかったのも、今の20代にPC離れの傾向があると漠然と感じている人が多かったからだと思います。

萩原そういった漠然とした感覚が何かのきっかけで一気に表出することはよくありますね。

阿部一方で、FACTAのデータの見方については、批判的なものも含めて色々な方からご指摘を頂きました。調査した側としては、20代の利用者数は増えているにも関わらず、全体における構成比が大きく下がっていることについてどうご覧になっていますか。

萩原まず、データの見せ方については、我々もちょっと想定外のところがありました。最近はこちら(下のグラフB)も使っています。実は全く同じデータなんですが、受ける印象が大きく違ってきます。もし、このグラフ(B)で出していたら、これだけ世間の注目は浴びなかったかもしれません。

決して話題性を狙っているわけではありませんが、数字は同じでも引用の趣旨によってグラフの見せ方は当然変えています。シェアの推移を表すときでも、帯グラフを並べるのか折れ線で書くのかは、目的に応じた使い分けが必要だと思っています。

阿部グラフから受ける印象ではなく、実態として20代の構成比が下がっていることはどう捉えていますか。

萩原20代の構成比低下と、中高年齢層の構成比上昇は表裏一体の現象です。2000年頃までのネットユーザーは20~30代の技術職やホワイトカラーの男性が中心でした。それが、家庭へのブロードバンドの普及で、それまではネットに無縁だった中高年齢層がどんどん使うようになった。その年代は人口ピラミッドで大きなボリュームを占めていますから、構成比に大きな影響を与えたのだと思いますし、これからどんどんその世代の比率が高まると思っています。どれ位増加するかを予測するのは難しいですが、第一線を退いた世代が沢山の時間を持っている事実はあるわけです。

例えば、家庭からのネット利用を時間ごとの推移で見ると、専業主婦の中年女性(F2)と50歳以上の男性(M3)のトラフィックが非常に似た動きをしていて、朝9時になると跳ね上がって、正午になるとぴったと下がるんです。つまり、朝食の後、さあ何をしようかと、まずはPCの前に座ることがだいぶ一般化しているんじゃないかなと思います。

阿部日本の人口構成比は逆ピラミッドですから、相対的に若年層が減っていく中で、今までアクセスの主軸だった20代が伸び悩んでいるというのは分かります。ただ、10代や30代に比べると、どうしても低すぎるように見えるわけです。なぜ、若年層の中でも20代だけが低いのでしょうか。

萩原ご指摘のように、構成比ではなく各年齢層別の家庭でのPC利用率をみた場合、20代があまり増えていないのは事実です。特にここ3、4年はその傾向が強いですね。

これは恐らく、今の20代が家庭やプライベートではPCに依存していないというのが大きな原因だと考えられます。今の20代のホワイトカラーの多くは会社でPCを使いますから、キーボードは当然打てるし、ある程度のリテラシーもあります。しかし、仕事以外の場面ではPCを使う必然性とか、モチベーションが我々PC世代に比べると低いように感じます。それは、いい悪い、できるできないの問題ではなくて、彼らにとっては、それが当たり前なのです。

阿部PCスキルはあるけど、日常生活では使わない20代が増えているということでしょうか。

萩原定量的なデータがあるわけではありませんが、20代と話をすると実感することも多いですよ。友人とのコミュニケーションでも時間つぶしでもショッピングでも、我々がオフにPCを使ってやり取りすることの多くはほとんど携帯でできます。プライベートの時間に家でPCの前に座る理由が減ったということでしょう。これは、リテラシーの問題ではなく、たとえPCと携帯を併用していても、オフでは携帯のほうが快適だと感じる人が増えていることの現れかもしれません。

記事で引用して頂いたことに関して言えば、PCを使わない20代を「下流」と言いきってしまうのは一面的ではないでしょうか。このデータが家庭のPCからのアクセスをもとにしていることを前提に、今の20代がどんなふうにPCと携帯を使い分けているのかという視点もあると面白いのではないかと思います。

(1/3:「(中)携帯文化が社会に及ぼす影響」へ

写真:相原理歩





萩原雅之(はぎはら・まさし)

ネットレイティングス代表取締役社長



1961年宮崎県生まれ。東京大学教育学部教育学科卒。84年に日経リサーチに入社し、日本経済新聞の世論調査などを担当。日本経済新聞ヨーロッパ社への出向、リクルートリサーチを経て、99年にネットレイティングス代表取締役社長に就任。同社のチーフアナリストでもある。オンラインコミュニティ活動として、メンバー3,500人を抱える「Internet Survey Mailing List」を主催。


7月号の編集後記

明日の発売日に先んじて、FACTA最新号(7月号、6月20日発行)の編集後記をご紹介します。

先日、このブログで告知したとおり、今号には「ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド」のアジア部門(香港)を代表するジョン・ホー(何志安)氏のインタビューを掲載しました。編集後記と併せてご覧ください。



トッチャン坊や――失礼ながらそんな印象だった。電源開発(Jパワー)と電力業界、そして経産省を震撼させた英国のヘッジファンド、TCIからやって来たホー氏の風貌である(本誌12~13ページ参照)。学者然とした30代で、端正で流暢な英語を話す。理路整然としていて講義を聞くようだった。140億ドル(約1兆7千億円)の運用を任されたTCIでアジア・太平洋および日本の統括責任者(香港代表)を務める人には、とても見えない。

▼ふーん、“ハゲタカ”色を払拭するには白人よりアジア人か、と内心思った。シドニー育ちの中国系オーストラリア人で、ピアノ教師の専門資格を持ち、金融と数学を学んだという知的な雰囲気に、つい引き込まれそうになる。遠くを見ながら日々孜々として励む「毎日が長期」の哲学を倦むことなく説く。しきりと口にするのが「マインドセット」(ものの見方)という単語。魂胆は何か、と上目づかいに探りを入れてくる日本人たちの根深い外資恐怖に、眉をひそめていた。

▼無理もない。インタビューの前日、日本のアナリストを集めて説明した会合でも、反応の多くは「外資は短期の利を求めるだけ」という予断に立っていた。ホー氏のファイナンス最適化論は、電源開発の主幹事証券、野村に対する批判にも聞こえるが、野村証券金融研究所のH主任研究員は黙々とメモするだけで質問しない。本誌が「どう反論するのか」と聞こうとしたら逃げの一手。お客大事と敵情視察してご注進に及ぶだけなら、アナリストを名乗る資格はない。

▼日本生命など電源開発の日本側株主も、ホー氏に会わないらしい。「日本のマインドセットが成長をよしとせず、パイを大きくする価値を求めないのなら、私はとても悲しい」。しかし投資は投資である。資金をTCIに長期間固定して運用を委ねた投資家たちが背後にいる。現に40歳のTCI創業者ホーンと、39歳のロシア一の富豪デリパスカ(本誌62~63ページ参照)の間には、英国ロスチャイルド卿の子息ナサニエルという接点がある。その不思議な人脈に、ホー氏の言うきれいごとでは済まない影がちらつく。

▼東電や関電株も買う気はあるかと聞いてみた。「我々は世界的な大インフラ投資家で、公益企業、道路、港湾、空港などに投資している。でも、資金に限りがあるから、ベストの機会に恵まれれば投資を考える」と否定も肯定もしなかった。証券取引所も経済のインフラで、TCIはドイツ証取の株主でもある。で、東証株が上場されたら買うか、と重ねて聞いたら答えた。Why not?

安倍晋三・折口雅博のツーショット

編集作業がほぼ終わりなのでブログを再開します。

さすがにコムスンは次号編集に間に合わなかった。折口雅博会長の目を赤くした顔が、こう毎日テレビに露出していては、月刊誌という形態では追いきれない。いま無理をしても1週間後には、コムスンの売却とか、事件化とかで状況が変わってしまいかねないからだ。

罪滅ぼしに「FACTAブックマーク」には入れたが、コムスンのサイトにまだ堂々と載っている安倍晋三首相と折口氏のツーショットをご紹介しよう(2007.06.11 19:10 追記:元ページが消されてしまったのでGoogleに残っているキャッシュのアドレスを掲載します)。安倍氏が官房副長官時代のものだが、佐藤正忠氏の司会で長々と対談、介護保険実現にいかに尽力したかを得々と語っておられる。一見の価値があると思うので、スクリーンショット付でを紹介しよう。

一読、ひでえもんだと思いませんか。折口氏は例によって自分の父親の介護体験を売りにする。安倍氏は「美しい国」でも唱えた家族の絆論で受けをやる。



安倍介護保険が導入されたときに、私は自民党社会部会長をやっていて、当時の亀井(静香)政調会長の下で、保険料徴収を延期する、しないという大論争がありました。結果的には国民的な動きを起こすきっかけになり、スムーズに介護保険制度をスタートすることができたと思います。



何のことはない、コムスンの今日を招いた制度設計の欠陥は、自分にありと言っているようなものではないか。この大論争とは、介護は社会や国がやるものという主張と、介護を他人まかせにしていいのかという主張の激突で、安倍氏は後者に「極めて抵抗を感じました」という。



安倍むしろ家族の絆を守るために、介護保険の導入が大切だという位置づけなのです。そういう大論争もあったのですが、その観点は大切です。施設介護もやり、在宅介護もやる。在宅というのは家にいて、子どもたちとも一緒に生活し、家族のぬくもりを維持しながら、国や社会が責任を持っていくという姿勢だと思うのです。



これに折口氏が合いの手を入れる。



折口私たちは「家族は愛を、介護はプロに」という考え方です。家族は絆、団欒を持ちながら、大変なことはプロの介護士が行う。……今の介護保険は、大変なところは公的な力を借りるという部分が、きちんと活かされていると思います。



よく言うよだが、安倍氏はさらにコムスンをどっこいしょする。



安倍あとはやはり民間の方の機動力で「事業として成り立つ」ことが大切ですね。……コムスンは一生懸命やっておられる。ただ、これからの課題は今のペースで要介護者が増えていっていいのだろうかということです。



安倍氏は予防に力を入れると言いたいのだが、制度設計の無理を自ら予言しているようなものである。いったい、安倍氏はコムスンが何を一生懸命やっていると見ていたのか。制度設計に関わった政治家として、アフタケアは何をしていたのか。

コムスンが事件化した場合、捜査線上に安倍氏もあがるのだろうか。

シティバンク、7月に東証上場へ 預託証券でなく株式公開の公算

本日午前11時にFACTAオンラインのメルマガ会員に発信し、その後、ポータルサイト「goo」に特報として掲載されたスクープ記事をフリー公開します。



日本国内25店舗を持つシティバンク(在日代表、ダグラス・ピーターセン)は、7月にも東京証券取引所に上場する。当初、予想されていた日本預託証券(JDR)ではなく株式公開となる見込み。シティバンクは米国最大手金融機関シティグループの銀行部門だが、日本では年内に5店舗を開店、数年で店舗数を倍増させる計画で、上場で調達した資金はこの対日攻勢にあてる予定である。米国企業の東証上場は6年ぶりだ。

シティグループは4月27日に日興コーディアル証券へのTOB(株式公開買い付け)を成功させ、9200億円で61%強の株式を取得したばかり。会計疑惑で上場廃止の瀬戸際に立った日興の危機を逆手にとって、証券ではリテール(日興コーディアル)とホールセール(日興シティ)の両輪を手に入れたが、もう一つの柱である銀行部門でも東証上場を機に攻勢をかけ、1500兆円の個人金融資産を持つ日本市場で地歩を固めようとしている。

日本のシティバンクは、長く米国シティバンク、エヌ・エイの支店である「シティバンク、エヌ・エイ在日支店」の形態だったが、この3月27日の取締役会で「金融庁長官の認可を条件として、7月1日をメドに日本におけるすべての事業をシティバンク準備会社に譲渡する」ことを決議、4月10日に銀行法に基づいて公告した。準備会社(代表取締役、門田潤)は事業譲渡までに「シティバンク銀行株式会社」に商号変更する。

これは東証上場への下準備と見られる。東証上場自体は、日興に対しシティグループが包括的な資本・業務提携に踏み切る3月以前から計画されていた。 2004年にプライベートバンキング部門の不祥事が金融庁に摘発され、同部門の閉鎖とともに、シティグループ本体のプリンスCEOが陳謝する事態に追い込まれた。以来、日本では謹慎状態だったが、ようやく事業拡大が許されるようになり、2月には日本経済新聞が「年内にも上場申請」と報じた。当初は昨年の信託法改正で可能になったJDRを利用する案が有力視されていたが、海外企業の日本上場を促すJDRの解禁は、改正信託法の政令がいつ出るか見通しが立っておらず、法務省民事局も「施行は一応9月予定だが、今のところ未定」としている。

このため、日興コーディアルのリテール網を手にして、銀行の支店網とシナジー効果を狙いたいシティグループは、施行を待たずに株式上場へ傾いたと見られる。5月には海外企業による日本企業の買収を容易にする「三角合併」が解禁されたが、東証上場を急いだほうが将来、日本企業を買収する場合に有利になると判断した模様だ。

また、JDRは海外企業が海外で発行した株式を裏づけに、日本国内の信託銀行などがこの株式に相当する額のDRを発行して日本で上場させる仕組みだが、その第1号にはシティバンクのような先進国企業よりも「中国やインドなどの魅力ある企業がふさわしい」(金融庁関係者)と政府は考えているようだ。インドなどには自国資本保護から海外投資家の議決権に制限を加えており、東京で上場させるなら株式ではないJDRのほうが容易だし、日本の投資家にとっても海外株相当の証券を円建てで取引できるメリットがある。

新しい実験「寝耳に水」方式

今度の実験はひとことで言えば「予告なきスクープ」。今まではこのブログで予告し、翌日に購読者のメルマガ会員に限定してスクープの中身を報じ、他メディアが追いかけたらフリー公開にしてきました。今度は「寝耳に水」の新方式を試みます。

メルマガ会員にまずスクープをお届けし、数時間後にこのFACTAのサイトだけでなく、ポータルサイトでフリー公開します。他メディアが、ネットの追っかけを余儀なくされる環境をつくってみようと思います。「安倍訪中」などのスクープでは抜かれたことを糊塗する傾向が見られたので、今度はポータルサイトという反響板を使って、この壁をぶち破ろうというものです。

「寝耳に水」方式第一号は、まず6月1日午前11時にFACTAオンラインのメルマガ会員限定で発信、その数時間後にあるポータルサイトで同じ内容を掲載し、このFACTAのサイトでもフリー公開します。

このブログを見た人は、時間帯によりスクープがどこに載っているかを探すのも一興でしょう。お楽しみに!

松岡利勝農水相の自殺

先週、地元熊本で元秘書が首吊り自殺していたから、特捜部にじわじわと外堀を埋められていたことが察せられる。

ハンナン畜産と並ぶフジチク事件でも、彼を追及する取材をしたことがある。当時は鈴木宗男元官房副長官にぶら下がり、官僚たちを怒鳴りあげていた。その後、いつのまにか安倍氏に擦り寄って大臣の座を射止めた。要するに変節小心の人。身辺はつねにきな臭かった。とうとう観念したのだろうか。

FACTA最新号の記事(「現職閣僚をめがけ東京地検が臨戦態勢」)では、松岡氏を追い詰めた直前の捜査状況を知ることができるので、ここに特別公開します。


TCIのジョン・ホー氏

FACTA前号(4月20日号)の「企業スキャン」でとりあげた英国のファンド「ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド」のアジア部門(香港)を代表するジョン・ホー(何志安)氏に会った。4月の取材時には連絡が取れず、今度は来日したので会うチャンスができた。

ホー氏は24日、元衆議院議員の近藤鉄雄氏が開いている新時代戦略研究所(INES)のゲストスピーカーに立った。ホテル・オークラでアナリストやジャーナリストらを前に熱弁をふるい、電源開発(Jパワー)に増配要求したバックグラウンドを2時間以上にわたって説明した。

ホー氏は30代と若いが、頭と舌の回転の速い人だった。慎重に言葉を選んで、日本の市場を味方につけようとしている。その論理にJパワーや経済産業省、そして日本の大株主たちは納得するかどうか。

6月のJパワーの株主総会に増配提案をしているから、この来日はプロキシー・ファイト的な側面もあるのだが、公益事業として規制に守られた電力業界に市場原理を貫徹させようとするチャレンジは、単なるハゲタカ外資襲来では片付かないものを持っている。

電力自由化が資源価格の高騰とエンロンの破綻で進まなくなったいま、TCI対Jパワーの帰趨次第では、地域独占の電力業界に風穴があくかもしれない。TCIは何を狙いとしているのか。ホー氏へのインタビューは次号掲載の予定である。お楽しみに。