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最後からの二番目の真実

口下手のラジオ出演

恥ずかしいが、ラジオに出演を頼まれた。TBSラジオの長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」。本日(1日)午前11時にスタジオに来てくれと言われているから、11時半過ぎにキャスターの大沢さんのお相手をちょっとだけ務めさせていただく。

生来の口下手で、滑舌系ではないから、ラジオもテレビも腰がひける。でも、敬愛する先輩に頼まれて、三振覚悟のピンチヒッターのつもりで引き受けた。ああ、たぶん、あがるだろうなあ。

それにひきかえ、と思い出すのは、先週の金曜(9月28日)に連なった能楽師、観世栄夫さんの「お別れの会」。FACTAは8月号で追悼コラム「ひとつの人生」で、観世さんを悼む友人の演出家・俳優、福田善之さんの名文を掲載している。お礼もかねて私も顔を出した。

会に出る機縁になったのは、築地の加津代さんのお店で、榮太郎飴本舗の細田安兵衛さんをご紹介いただいたからである。細田さんは観世さんの友人で、お別れの会でも友人代表として挨拶に立った。その細田さんに加津代姐さんが弊誌8月号をお見せしたところ、「ぜひ、コピーを配りたい」とのお話があり、会にも招待された次第である。

会場は日比谷の東京會舘。能楽界や演劇界のお歴々が顔を見せる会だから、小生なんぞはおよそ場違いに思えた。しかし400人を超す人が集まって盛会だった。ご高齢の方も数多く見えていた。会の途中で倒れた人がいて、急遽、司会が「会場にお医者様はおられますか」と呼びかける一幕もあった。

福田さんはこの会の発起人の一人で、舞台装置の朝倉摂さんと二人で壇上に並び、仲良く故人をしのんでいた。新藤兼人監督は弔辞を寄せ、息子さんが代読した。そこで会場のビデオプロジェクターが明るくなり、生前の観世さんの大きな映像に会場の参列者は見入った。

NHKで放映されたインタビューと、昨年演じた謡曲「邯鄲」の一場面である。インタビューで老いを語った観世さんが、ガンとの闘病を経て演じるシテ盧生は圧巻だった。場内も水を打ったように静まり返る。

(地)かくて時過ぎ、頃去れば、かくて時過ぎ、頃去れば、五十年の栄花も尽きて、まことは夢のうちなれば、皆消え消えと、失せ果てて、ありつる邯鄲の、枕の上に、眠りの夢は、覚めにけり。
(シテ)盧生は夢覚めて、
(地)盧生は夢覚めて、五十の春秋の、栄花もたちまちに、ただ茫然と起きあがりて、
(シテ)さばかり多かりし、
(地)女御更衣の声と聞きしは、
(シテ)松風の音となり、
(地)宮殿楼閣は、
(シテ)ただ邯鄲の仮の宿、
(地)栄花の程は
(シテ)五十年、
(地)さて夢の間は粟飯の、
(シテ)一炊の間なり、
(地)不思議なりや計り難しや、
(シテ)つらつら人間の有様を案ずるに
(地)百年の歓楽も、命終われば夢ぞかし

動作はじれったいほど緩慢だ。いや、ほとんど動いていないのに、枕をおしいただき、床を模した作りものから起つと、静と動とが宿命の自覚をなしていることがわかる。盧生の面が、だんだん無限の哀しみを帯びているように見えてくるから不思議だ。

演技者はいかにして晩年を迎えるか。他人事ではない。観世さんの「邯鄲」のように、居ずまいをただして見るほかないような凛とした演者になれたらとは思う。

しかし、回らぬ舌でラジオのマイクの前に立つかと思うと、やはりゾクゾクする。「夢ぞかし」という境地にはなかなかなれない。

ニュースサイト戦国時代2――ヤフー包囲網の底抜け

私の古巣は新聞社だから、今回のニュースサイト大再編はもともと他人事ではない。私が記者だった時代にも、QUICKなどの速報媒体へニュースを送っていたから、紙と電子メディアの相克は身をもって知っている。

それゆえ、新聞側がヤフーに感じる脅威感はよくわかるつもりだ。しかしFACTAはヤフーと記事提供(雑誌掲載記事の一部)の契約を結び、インターネットではコンテンツ・プロバイダーの立場でもある。攻める側、守る側の両方を見ているのだ。

現在、ヤフーのニュースサイトに読売は記事を提供しているが、朝日、日経は提供していない。共同通信もモバイルを除いては提供をやめた。しかし、毎日、産経、時事のほか、AFPやロイターなど70社がヤフーにニュースを提供している。

朝日の歴代社長はヤフーのようなポータルサイトに記事提供したら「新聞の死刑宣告にひとしい」と思っているらしく、「自分の代では勘弁してくれ」と提供要請に対しこれまで先送りを重ねてきた。

日経は提供する情報がセグメントされていて、ネット時代でも生き延びる可能性がある。コンテンツ・プロバイダーと広告収入をシェアするというヤフーの提案に対し日経は「数億円程度の収入では物足りない。10億円単位でないと」と返答したというが、将来的に新聞の購読部数が落ちて減収になる分をネットで補いたいと考えているからだろう。

朝日、日経と読売が組み、共同でポータルサイトを運営するというANYプロジェクトは、見ようによっては、ヤフーは干される形になるのだろうか。私のそうした疑問に対し、井上社長の返答は余裕たっぷりに聞こえた。



阿部ヤフー・ニュースに対抗するため、読売新聞、朝日新聞、日経新聞が共同で新たなニュース系ポータルサイトを作ろうという「ANY」プロジェクトが噂されていますが、そういった動きついてどう思われますか?

井上沢山のニュースがネットで読めるようになれば、ネットの利便性はますます高まるので、歓迎すべきことだと思います。お互いにメリットのある関係を築くこともできるはずですから、そうなればなお良いですね。

阿部もし、全国紙からのコンテンツ提供が無くなった場合、どういった対策が考えられますか?

井上ヤフー・ニュースにコンテンツを提供することを“メリット”と感じてもらうため、昨年末からメディアネットワークや「アドネットワーク」といった施策を始めたのですが、コンテンツ提供元からも、読者からも高い評価を得ています。ヤフーとしては、コンテンツ提供元にとってプラスになるような工夫を続けていくことが大事だと考えています。

ニュースサイト戦国時代――ヤフー井上雅博社長に聞く(下)





慎重な答えだが、ここに新聞とヤフーの戦略の違いが浮き彫りになる。

新聞社のビジネスモデルは顧客抱え込みの閉鎖系なのだ。これに対しヤフーのビジネスモデルは、オープン化という名の「他力本願」型、コンテンツ・プロバイダーとの共存共栄をめざしている。

ヤフーは本音で言えば「人はニュースのみに生きるにあらず」と考えている。多数の人々がヤフーにアクセスするのは、デパートのように様々なニーズに応える総合サイトの魅力があるからで、ニュースはその一つに過ぎない。

ストレートニュースはいまやコモデティ(市況商品)化していて、記事の提供元が朝日か読売かで選ぼうとしていない。つまり新聞のブランドなんて誰も気にしていない。だから、若いネットユーザーは、ニュースをYahoo!やmixiで見てすまし、新聞を購読しようとしないのだ。

そうなると、仮にANY3社や共同通信がヤフーを“干し”ても、兵糧攻めが効くとは思えない。毎日、産経、時事の記事でこと足りるからだ。だから、ヤフーにとってANYは本当は脅威ではないと思える。この包囲網は底が抜けているのだ。

彼らが「商売上手」と注目しているのはリクルートである。独自のポータルサイト「イサイズ」が伸び悩むとさっさと閉鎖し、ヤフー・リクナビなどライバルと組むかたわら、紙では「R25」などフリーマガジンの新規事業を起こすなど融通無碍だからだ。

ANYにはそうした柔軟なアイデアが乏しいように見える。むしろ新聞の販売網統合の帰結として、ネットでも3紙相乗り構想が出てきたのではないか。販売店統合は読売主導らしい。新聞販売の不振で地方では専売店を維持するコストが重くなっているからで、朝、読で専売店を統合、そこに日経も乗る共販店プロジェクトが進んでいる。

ANY専用の取材網を持つわけもなく、コンテンツが新聞記事と差別化できないのに、どうして成算が?という内部の疑問に対しある新聞社の社長は「販売でのお付き合いがあって」と本音を漏らしたという。ANYは本格的なネット戦略を持たない。だから、閑古鳥が鳴く共同通信+地方紙の「47NEWS」の二の舞になる恐れはなしとしない。

ニュースサイト戦国時代――ヤフー井上雅博社長に聞く(下)

ヤフーへの記事配信をストップ、全国の地方紙と組んで「47NEWS」を始めたものの、ページビュー(PV)が低迷している共同通信の惨憺たる失敗は他山の石と言っていい。ネットレイティングスの調査では、7月月間の家庭からのサクセスがわずか23万6000件で、ヤフーニュースの2024万件のおよそ百分の一である。

新規サイトを立ち上げる企業が、「せめて47NEWSを超えなくちゃ」を合言葉にするくらい、ネット界で失笑を買っている体たらくだ。ヤフーを「干す」ために、単独で対抗しようとすることがどんなリスクを内在しているかの実例といえよう。

そこで合従連衡が出てくる。ヤフーの牙城を崩すためにグーグルの力を借りようとしているらしい読売、朝日、日経の「ANY」と、毎日から離れたMSN(マイクロソフト)と組んだ産経の戦略が、今後奏功するかどうか。自らネット戦略を立てるだけのスタッフを持たない新聞社が、ヤフーのライバルの力を借りて対抗しようというのだ。

しかし、(上)でも書いたように、新聞系ニュースサイトの大再編は、大ポータルサイトの代理戦争でもある。問題はアメリカと日本で明らかなねじれがあることだ。検索エンジン最大手のグーグルは、アメリカではヤフーやMSNなど“旧勢力”に対し優位に立っているのに、日本ではヤフーの後塵を拝している。

なぜ、日本ではグーグルはヤフーを追い越せないのか。ヤフー・ジャパンの「井上ワールド」が強いのはなぜなのか。不思議でならないが、その謎を十分に解き明かしてくれる記事に、残念ながらお目にかかったことがない。それなら、いっそ井上社長本人に聞くしかない。



阿部ヤフー・ニュースに対抗するため、読売新聞、朝日新聞、日経新聞が共同で新たなニュース系ポータルサイトを作ろうという「ANY」プロジェクトが噂されていますが、そういった動きついてどう思われますか?

井上沢山のニュースがネットで読めるようになれば、ネットの利便性はますます高まるので、歓迎すべきことだと思います。お互いにメリットのある関係を築くこともできるはずですから、そうなればなお良いですね。

阿部もし、全国紙からのコンテンツ提供が無くなった場合、どういった対策が考えられますか?

井上ヤフー・ニュースにコンテンツを提供することを“メリット”と感じてもらうため、昨年末からメディアネットワークや「アドネットワーク」といった施策を始めたのですが、コンテンツ提供元からも、読者からも高い評価を得ています。ヤフーとしては、コンテンツ提供元にとってプラスになるような工夫を続けていくことが大事だと考えています。

阿部国内の検索市場におけるYahoo!のシェアはまだ圧倒的ですが、海外に目を転じるとGoogleに差を広げられています。ヤフー・ジャパンとしてはどう対抗していきますか?

井上米国が残念だったのは、検索に対するニーズの変化に気づくのが遅れたことです。日本は米国の失敗を見ていたので間に合いました。この分野は技術力の勝負なので、後から出たサービスのほうが一歩良い状態になりやすい。技術開発競争はこれからも続くでしょうが、現時点ではYahoo!とGoogleの検索結果に大きな違いはないと思っています。

Googleのどんどん新しいサービスを作ったり、買ったりと元気良くやる部分については、ヤフーも負けずに対抗していかないといけない。ただし、Googleは若干乱暴なやり方をする時もありますが、ヤフーとしては国内でビジネスをする以上は、日本の常識や商慣習にあわせてやるほうが良い結果を生むと思っています。

阿部具体的にはGoogleのどういった面が乱暴だと?



井上GoogleNewsやYoutubeで、著作権の問題に対して、自分たちで勝手にルールを作って突っ走ってしまうようなところですかね。あとは、メールの本文を勝手に解析して広告を入れたり、ユーザーの個人情報を許可無くサーバーに送ってしまったりとか。これは、さすがに反発が強く中止したようですが…。まあ、アグレッシブで面白いなとは思いますが、ヤフーとしてはもう少し注意深くやりたいかな(笑)。

阿部モバイル分野では、ソフトバンク携帯からしかアクセスできないポータルサイト「Yahoo!ケータイ」の提供など、ソフトバンクとの連携が強まっています。

井上従来、ヤフーは特定の競争相手を作らずに成長してきました。ところが、「Yahoo!BB」でADSL事業を始め時に、自らがプロバイダーにもなったため、NTTやニフティ、ビックローブなどと競争することになってしまった。本当はその先にいるネットユーザー全員に興味があるのだけれど、その手前のところでYahoo!BBユーザーを増やさないといけないという、二頭を追う形になってしまった。

実は、モバイル事業でもこれと同じことが起こっています。ソフトバンク携帯からYahoo!ケータイを使うユーザーを増やしたいという兎が一匹。ヤフーの本質的な価値は、ほとんどのネットユーザーに使われているところにあるので、モバイルユーザー全てにリーチしたいという兎が一匹。今はその二匹を同時に追っかけている状況です。その両方を獲っていくために、全ユーザーに幅広くサービスを提供する横展開と、Yahoo!BBやYahoo!ケータイの利用者向けに差別化したサービスを提供する縦展開の「T字」で事業を進めています。

阿部ソフトバンクは過去何度かに渡って、ヤフー株を売って事業資金に回してきました。モバイル事業に莫大な資金を必要とするソフトバンクがヤフー株を更に売ることは考えられませんか?

井上過去に株を売って貰ったのはヤフーの事情からです。むしろ、孫さんはいつも増やしたいと言っています(笑)。

そもそも、ヤフーが店頭公開したのは、ソフトバンク側の都合ではなく、ネット企業が日本で成長していくために必要なことだったからです。米国でネットスケープが上場したのをきっかけに、ウォール街がドットコム企業に熱い視線を送ったように、日本でもネット業界を活性化させるためにはヤフーが公開する必要があったのです。その後、東証1部上場のためには親会社の持ち株比率を下げる必要があり、再度、嫌がる孫さんを説得して売ってもらったというのが実際です。

阿部ヤフーとソフトバンク、井上さんと孫さんが今後どういう関係でやっていくかに関心を持つ人は多いようですが。

井上孫さんとは、お互いの会社の取締役に入っているので(※孫氏はヤフーの取締役会長に、井上氏はソフトバンクの取締役に就いている)、言いたいことを言い合ってやっています。

この先も、これまでどおり仲良くやっていきますよ(笑)。

(了:2/2)

ニュースサイト戦国時代――ヤフー井上雅博社長に聞く(上)

新聞のニュースサイトが大再編に突入している。ネットと紙の共食いを恐れていた新聞が、ニュース配信のポータルサイトに食われて、合従連衡に走りだしたのだ。挑戦を受けるヤフーはどうするのか、ヤフーの井上雅博社長に独占インタビューした。

まず、バックグラウンドを説明しておこう。

毎日新聞と組んでいたマイクロソフトのポータルサイト「MSN」が9月末に契約を解消、10月から産経新聞と組んで「MSN産経ニュース」がスタートする。袂を分かった毎日新聞はこれまでの「MSN毎日インタラクティブ」を「毎日jp」に衣替えする。

一方、読売、朝日、日経の3社は共同ポータルサイトを計画中で、朝日の「asahi.com」、日経の「NIKKEI NET」、読売の「YOMIURI ONLINE」を軸に「ANY」(3社の頭文字と英語のanyをかけた命名)をオープンする模様だ。

だが、この大再編の実像は、巨大なヤフーのニュースサイトに対する「恐怖の対抗策」に見える。包囲網とはいえ、彼我の差はあまりに大きいからだ。

ヤフーのニュースサイトは月間アクセス数が34億件、家庭だけで2000万人、その他もあわせると5000万人が利用していると言われる。新聞部数でいえば最大手の読売ですら公称1000万部、読売オンラインは家庭利用が640万人だから(ネットレイティングス調べ)、国内最大メディアの王冠はすでにヤフーに移っているのだ。

読者サービスの一環としてヤフーに記事を提供してきた新聞社が、自社サイトのアクセス数伸び悩みに耐えかね(裏返せばヤフー膨張への危機感から)、新聞発のフラッシュニュースを囲い込んで、ヤフーからメディアの主導権を奪い返そうとしているのだ。

見方を変えれば、ヤフーとMSN(マイクロソフト)、グーグル3社の覇権争いにも見える。MSNは弱体な毎日を見限って、ユーザー参加型のニュースサイト「iza」(※参考記事)や芸能ニュースの「zakzak」でネットに力を入れる産経に鞍替えし、朝日と親密と言われるグーグルは共同サイト「ANY」を支えるのではないかと言われている。

では、ヤフーは毎日をパートナーにするのだろうか。「毎日jp」の発表を見る限り、どうやらそれは毎日側の片思いではないか。ヤフーはどのメディアとも「等距離」を保つ構えのようだ。ユーザーをサイト内に囲い込み、回遊させるよりも、他社サイトに誘導する代わりに広告収入を分け合うオープン化を進めている。

ヤフーの考えるコンテンツ・プロバイダーとサイトの共存共栄が勝つか、新聞資本のニュース囲い込みが勝つか――その行方とヤフーの戦略を聞いてみよう。



阿部今年1月より、従来の“ユーザー囲い込み”戦略から大きく方向転換し、ソーシャルメディア化とオープン化を同時に進めています。ニュース配信事業では、「メディアネットワーク」を導入するなど、コンテンツ・プロバイダーとの関係も強化していますが、狙いは何でしょうか?

井上ヤフーが過去10年間、一貫して取り組んできたのは「ネットユーザーに一番使われるウェブサイトを作る」ということです。自分達がいちユーザーとして、どういうサービスがあれば使いたくなるかを考え、様々なサービスを追加してきました。その結果として、国内ユーザーの約9割が月に1度は使うサイトになった。これは、ひとつの成功だと思っています。



一方で、ネットにおける全利用量のうちヤフーが占める割合はおよそ17%です。つまり、ネットの利用時間の80%以上はヤフー以外のサービスを使っているわけで、もしかしたら、自分もそうかもしれない(笑)。

ネットの良さは、いろいろなものがぐちゃぐちゃにあるところです。だから、面白いし、役に立つ。どんな尖ったニーズに対しても、それに応えてくれる人がどっかにいる。しかし、人によって求める“尖り”は違うので、その全てに対してヤフーが答えることは不可能です。そこで、自前でサービスを作ることは続けつつ、ヤフーに無い尖りを持った事業者とパートナーシップを結ぶことで、17%以外にもリーチを広げていきたい。

また、ヤフーが10年間掛けて作ってきたものを外部から活用してもらうことで、ネットの中により尖ったものが生まれると良いと思っています。それにより、ネット全体の価値が高まり、市場のパイそのものが大きくなれば、ヤフーの事業領域も広がりますからね。そういうWinWinの関係をパートナーの方と築きたい。

阿部ヤフーはネット創世記から時代のニーズに上手くマッチしながら成長してきました。今後、更なる成長を目指すうえで何が必要だと感じていますか?

井上10年前のネットユーザーというのは非常に尖った人達ばかりでした。ユーザー像は非常に明確で、30代男性でエンジニアか研究職、もしくは学生といった具合です。それが今では、ほぼ日本の縮図と言ってもいい状態にまでなりました。

ネットを利用する人が増え、ユーザー像が変化する中で、ヤフーが常に追求してきたことは、その時々の最大公約数のニーズに答えるサービスの提供です。良く言えば誰もがそこそこ使えるもの、悪く言えばどの人にとっても100点には届かないものを出してきた。誰かの100点を目指すことは最初からせずに、共通のニーズを広く取り出し、尖ったところがなるべく無いようにしてきたとも言えます。

しかし、利用者が増え、母数が広がることで、全体の面積に対する最大公約数がどんどん小さくなってきた。あっちの尖りと、こっちの尖りが重なる部分が狭くなれば、当然、最大公約数で作ったサービスの点数は低くなります。そこで、全領域を自分たちでやることは無理だと諦めた(笑)。その諦めを前提にして、じゃあどうするんだと考えたときに、パートナーと一緒にやるのがいいだろうとなった。いろいろな尖りを作ってくれるパートナーに対して、ヤフーは広告配信などの面で協力させて頂こうと。当然、その先にはヤフーの事業につなげたいという思いがあります。

阿部メディアには、コンテンツを作ることと、それを通す仕組みの2つの意味があります。ヤフーがあくまで通す側だけに特化していて、自らがコンテンツプロバイダーにならない理由は何でしょうか?

井上一番の理由は簡単で、出来ないからです(笑)。

ユーザーは「Yahoo!」にいろいろな情報を求めてやってきます。新聞でも雑誌でも、より多くの媒体の記事が載っていることを望んでいる。そのコンテンツを集めるだけでも大変なのに、自ら作るなんて到底無理です。それに、自らが中途半端にコンテンツを作り始めると、本来パートナーとして組みたいコンテンツプロバイダーと競合関係になってしまう恐れがあるので、そこは完全に割り切っています。イメージとして近いのは、地方にある新聞の共同販売店のような役割ですね。

阿部広告も紙からネットへのシフトが加速しています。

井上表面上はシフトしているよう見えるかもしれませんが、ネット広告の価値が向上していることが本質でしょう。ネットの利用者が増えたことや、既存メディアではなくネットを情報収集の中心にする層が出てきたことは、ネットを通じた消費者への接触機会を広げ、広告媒体としての価値を高めました。反対に、新聞はネットやテレビがない時代に比べて、単独でリーチ出来る層が減っているわけですから、広告媒体としての価値はピークを過ぎていると言えるかもしれません。

ただし、ネット広告に足りていない部分もあります。例えば、新聞の全面広告や、テレビの番組を遮って入るCMのような、視聴者との“折り合い”のもとで成り立っている広告手法です。テレビ番組の途中で入るCMというのは、コンテンツをぶった切って入れているわけですから、冷静に考えると凄いやり方なのですが、視聴者とはきちんと折り合いが付いています。リーチや接触頻度といった面では、ネットもそれなりのメディアになりつつあるとは思いますが、ユーザーとの折り合いといった部分は非常に経験不足で、まだまだこれからです。

広告業界全体の売上を見ると、メディアとして成長期のネットが増えて、消費者へのリーチ力が弱まっている既存メディアが漸減しているので、パイを奪い合っているように見えますが、必ずしもそうである必要はない。日本の広告費は対GDP比で米国の半分程度ですから、全体としてもっと増えてもいいはずです。

阿部ヤフーにおける広告収益の伸びはいかがですか?

井上全般的には、まずまずだと言って良いでしょう。検索広告が大きく伸びて、全体を牽引しました。しかし、ここで考えないといけないのは、検索広告というのは広告宣伝費ではなく、営業費や販促費であり、「below the line」なんだということです。じゃあ、ネットは「above the line」としてはどうかと言うと、まだまだじゃないかと思う。本来的な広告メディアとしては、力不足であることは否めません。これからは、認知広告媒体としての見せ方をもっと考えていく必要があるでしょう。

続く:1/2)

写真:大槻純一





井上雅博(いのうえ・まさひろ)
ヤフー株式会社 代表取締役社長



1957年生まれ。東京理科大卒。ソード電算機システムを経て、87年にソフトバンク総合研究所に入社。92年にソフトバンクに入社し、94年から同社の社長室・秘書室長。96年1月のヤフー設立時に取締役へ就任、同年7月から同社代表取締役社長。現在、ソフトバンク取締役も兼務する。


井上久男著「トヨタ 愚直なる人づくり」のススメ

元朝日新聞記者の井上久男氏が本を書いた。「トヨタ愚直なる人づくり--知られざる究極の『強み』を探る」(ダイヤモンド社、1600円)である。

朝日経済部時代に自動車業界を担当、朝日を辞めて大学院で学ぶ身になっても、なお取材して書き上げた本である。

「文藝春秋」で日産の特集記事とカルロス・ゴーンの独占インタビューを行ったと言えば、思い出す人もいるだろう。FACTAも彼に取材、編集等で協力してもらっている。

本書を推奨するのは、在野にあってなお取材を続行するその志を応援したいからだ。

著者のご厚意により、抽選で10名様に本書を進呈します。希望される方はお名前、ご送付先住所、電話番号、メールアドレス、ご職業等を応募フォームにご入力ください(受付は終了しました)。応募締め切りは9月30日です。結果は発送をもって返させていただきます。



誰もがハルバースタムになれるわけではない。覇者を書くのは、ジャーナリストにとって常に困難な作業だからである。

ハルバースタムは今年4月に亡くなったアメリカの優れたジャーナリストだが、ケネディ政権の裏面をえぐった「ベスト・アンド・ブライテスト」や日米自動車産業の攻防を描いた「覇者の驕り」で知られている。その強みは徹底した取材で「覇者」に食い下がることだ。ジャーナリストの鑑と言っていい。

ただ、これを貫ける記者は存外少ない。反権力を標榜して叩くだけなら、ためにする批判と言われかねない。正義感は鼻につくし、脅しの下心を疑われかねない。批判に耳を貸さない覇者も困るが、ろくな裏づけもなく粗探しするさもしさも耐え難くなる。

かといって覇者に迎合すれば、おべんちゃらに堕してしまう。ソニーでも松下電器でも過去に「エクセレント・カンパニー」と呼ばれた企業に取材し、こそばゆくなるような礼賛記事を書いて消えていった記者は枚挙にいとまない。

いま、トヨタを書こうとすれば、たちまちそういうジレンマに直面する。GM(ゼネラル・モーターズ)を抜いて、自動車生産世界一になろうとしているこの「覇者」の秘密を、誰もが知りたい。書店には汗牛充棟、トヨタ本が山のように並んでいる。

だが、トヨタは不思議な企業だ。個々の幹部や社員は個性的なのに、車作りでは金太郎飴と揶揄されるほどひとつの生き物のように動く。私もトヨタの片鱗を取材したことがあるが、このメガカンパニーの複雑な相貌に溜息をついた。

その謎に記者が魅了されてその虜になっていく気持ちも分からないではない。本書の筆者もそのひとりである。元朝日新聞記者で自動車業界を担当してから、ずっとトヨタの謎を追いかけている。

カンバン方式はもう昔語りかもしれない。トヨタはそれを否定したわけではないが、暗黙知と化したものがすでに「進化」を遂げている。その進化とは何か。「カンバン方式」成功物語の続編を、読者は待ち望んでいる。

それが本書の挑んだテーマだろう。この本は「愚直」なまでのトヨタの強さの秘密が、その人づくりにあると見ている。トヨタウエイ、トヨタのDNAと言われるものが漫然と継承されているのではなく、それを骨肉化するプロセスがあるという。

それを追跡するのに、筆者もまた「愚直」な手法をとった。ひたすら人に会って話を聞くこと。多士済々と言われるトヨタマンに、トヨタウエイがどう骨肉化されたかを跡付けること。そこに本書の価値がある。不器用の効用と言っていいのかもしれない。

作業はまだ途上である。意外性はないが、普段着のトヨタの顔が見える。彼らも人間なのだ。チヤホヤされて舞い上がり、皮一枚で踏みとどまる危うさもある。レクサスの国内苦戦に負け惜しみも聞こえる。創業家との微妙な間合いもある。だが、その総体がトヨタなのだ。

これは見掛け倒しのトヨタ本ではない。足で書こうとしたトヨタ論である。

10月号の編集後記

FACTA最新号(10月号、9月20日発行)の編集後記を掲載します。



げに凄まじきは中国、と肩をすくめたくなった。香港の盧四清氏が寄稿した「解放軍内も『江沢民派』一掃」(54~57ページ)の記事のことである。世に「三国志演義」のようなマユツバの中国論はいくらもあるが、現在進行形で胡錦涛vs江沢民の人事抗争の内幕を見せつけられると息をのむ。軍に根を張った前任者の基盤を、爪を剥ぐ拷問のように一つ一つむしる冷酷さ。虫も殺さぬ顔の後継者の前で、江沢民の笑顔は凍りついている。

▼やはり権力は悪なのだ。それに比べて、日本のお坊ちゃん宰相のむくんだ顔が痛ましい。稚拙な人事がたちまち馬脚を現し、自ら引導も渡せない胆力のなさ、見てくれだけの意志薄弱児であることを暴露した。権謀術数のイロハも知らず、鱗翅をもがれていくのは彼のほうなのだ。これじゃ、中国に対抗できません。

▼覇道の中国は、いつ増長と慢心に陥るか知れない。いや、すでにその徴候が見えてきたと最近、香港から帰省した後輩が警告していた。アメリカの衰弱を見透かし、経済でも軍事でも10年以内に凌駕して「世界に冠たるチャイナ」になる、という超強気が横溢しているという。GDP(国内総生産)第2位の日本なぞ、歯牙にもかけない。無知な大衆ばかりか、知識人までもそれを口にし始めた。

▼だが、豊かさは兵を蝕む。盧氏も記事で書いていた。長さの関係で割愛した部分を収録しよう。「多くの日本人にとって、中国軍には滑稽なことが山のようにあるだろう。例えば人民解放軍で最も若い将軍は、オリンピックの卓球男子ダブルスで金メダルに輝いた王涛である。王涛は1992年のバルセロナ五輪で優勝し、10年後の2002年には弱冠35歳で少将に任命された。王涛は現在、軍の八一卓球チーム総監督で、来年の北京五輪の後は中将に昇格する可能性もある。解放軍では3人が国家チームの監督を務めているが、北京五輪で優勝すれば将軍に抜擢されることも夢ではない」

▼「解放軍には歌手、スポーツ選手、監督、詩人、画家から舞踏家までありとあらゆる人材がいる。例えば総政歌舞団所属の歌手で、習近平・上海市党委員会書記の妻、彭麗媛は少将である。北京軍区戦友歌舞団のテノール歌手、馬玉涛は中将だ。長年、毛沢東役を専ら演じてきた八一電影製作所所属の俳優、古月(05年病死)も少将だった」。西欧中世の贖宥状のような「将」の安売り。腐敗の一端が見えるが、こういう脆弱な基盤に立つアロガントな国家はかえって剣呑だ。お人好しではいけない。日本も悪党になれる宰相を必要としている。

【緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫】「亡国の総理」辞任(下)

福田康夫・元官房長官が自民党総裁選出馬の意向を示し、ポスト安倍政局は一気に福田政権誕生へと傾くことになった。安倍総理の続投をいち早く支持しながら、内閣改造人事で主導権を握った、麻生太郎・自民党幹事長に「寝首をかかれた」と安倍氏の眼には映ったのだろう。こうした麻生幹事長に対する包囲網が次第に形成され、党内最大派閥の町村派が福田氏を担ぎ出すことになった。小派閥の麻生氏の“禅譲”路線は危うくなりつつある。



阿部どんでん返しが起きそうですね。福田氏はトリッキーな小泉氏の対北外交には最後は批判的でした。また年金問題を機に政権を去ってから、沈黙を守り続けてきました。小泉・安倍両氏と同じ町村派に属しながら福田氏本人は、靖国参拝で中国や韓国との関係を冷却化させた小泉前総理やその懐刀である飯島勲秘書とは関係がすっかり冷え込んでいましたね。

手嶋森・小泉・安倍と三代の総理を続けてきた町村派の最後のカードが福田氏でした。党内の数の力で言えば、福田氏優勢の構図になってきたと言えるでしょう。

阿部しかし福田政権になっても、安倍氏が残した日米同盟の危機という宿題は、すぐに解決するほど楽観できません。

手嶋安倍政権の崩壊は、日米同盟の危機的な側面が素地としてある――という指摘は、FACTAがかねてから主張してきたことでした。日米同盟は、自由と民主主義という共通の価値観を持つ大きなアライアンスだとされてきました。ですから単なる軍事同盟ではないと説明されてきたのです。それだけに、自由や民主主義の価値観に相反する安倍総理の従軍慰安婦問題に関する発言は、安倍時代の最大の失言の一つとなりました。日米が共通の価値観に立っているというのは虚構ではないかという疑念がワシントン、とりわけホワイトハウスから噴出することとなりました。

従軍慰安婦をめぐる「狭義に国家の強制性を裏付ける証拠はない」とした安倍発言は、日中関係、日韓関係をささくれだったものにしただけではありません。日本のライフライン(生命線)とも言うべき日米関係をも危局に追いやる失言だったのです。政権発足早々に中国と韓国を歴訪、小泉政権の残した宿題である中韓との関係改善を図ることで、対東アジア諸国との関係を安定化の軌道に乗せた功績を一気に帳消してしまいました。「戦後レジームからの脱却」という底の浅いイデオロギーのもたらしたものがこれでした。

阿部安倍氏は戦後レジームの転換を訴えていました。しかし、中韓との関係改善の代償に、靖国参拝については凍結して、就任後は参拝していません。安倍氏を支持してきた自民党右派の保守層はそれが不満で、その突き上げがあって従軍慰安婦問題では強硬な姿勢を示さざるをえなかったのでしょう。

手嶋日米関係そのものを保つためには、細心の注意を払って自由と民主主義という価値観の共有を同盟の柱にし続けなければなりません。しかし、安倍総理のいうレジームチェンジは、内外のいずれの政治勢力の根幹部分にも抵触する恐れがありました。はしなくも従軍慰安婦失言は、その危うさを露呈したということでしょう。

それを機に日米同盟は遠心力が一層働き始めました。北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議が、日米同盟より上位におかれてしまっていることが明らかになりました。対朝政策では同盟国日本の意向を軽く見て、6カ国協議の枠組みを利用しながら、一方では給油の継続を強硬に求めるブッシュ共和党政権。安倍政権がテロ対策特別措置法で躓いたのは、安倍政権が抱えるこうした根本的な矛盾が、テロとの戦いのなかで浮かび上がったからです。

後継が有力な福田氏は、小泉・安倍路線からの訣別を図るのでしょうか。

阿部難しいところですね。福田氏をかつぎだしたのは、森喜朗・元総理による町村派の政権維持が狙いでしょう。そこには麻生包囲網という派閥次元の発想はあっても、日本の外交・安全保障政策や経済政策への真摯な反省があるとは思えません。

先日指摘したように、小泉改革路線――やや教条的、パフォーマンス的な「小さな政府」路線は、すでに安倍政権で後退の色合いを見せていました。小泉政権の一枚看板だった郵政改革(郵政株式会社がこの10月に本格スタートしますが)は、特定郵便局温存などで公社時代の生田前総裁からも批判されるなど、色褪せてしまったことがその象徴でしょう。福田政権の国内政策が「バスに乗り遅れるな」式の派閥政治の延長線上で形成されるなら、この滔々たる「大きな政府」、つまりバラマキ政治回帰の流れは止めようがないのではないでしょうか。

手嶋それは海外の投資家にはネガティブに映りますか。

阿部ええ、海外には明らかに日本の後退と映ります。「大きな政府」への回帰は対日投資の自由度が狭まると見られかねません。サブプライムによる信用秩序の揺らぎで行き場のなくなったマネーが、日本を回避、あるいは日本株からの資金引き揚げという「キャピタル・フライト」(資本逃避)の動きになる恐れがあります。

小泉政権に対してアメリカの資本が好意的だったのは、小泉・ブッシュの個人的関係が親密だっただけでなく、「小さな政府」へようやく日本が動き出したと評価したからでした。安倍政権でもそれが継承されると思ったら、どうも改革に熱がないことが見えてきた。そして参院選で、格差是正など政治にやさしさを欠いていることが敗因とされた。後継の福田政権が小泉政権のように官製国家の利権構造に切り込むとは思えませんね。

手嶋福田政権に小沢民主党はどう対抗しますか。

阿部小沢民主党が公約で全農家への戸別所得補償を唱え、消費税増税も封印しているところを見ると、これまた「大きな政府」路線です。福田対小沢の対立軸がどう形成されるかはこれからですが、福田政権と小沢民主党は来るべき総選挙をにらんで、改革の痛みを和らげる「大きな政府」路線を競うことになるのではないでしょうか。

これは先ほども申し上げたように、海外の資本、これまで株価を下支えしてきた外国人投資家の対日投資熱を冷ますことになりかねません。安倍氏が残した価値観の日米共有への疑念は、福田政権では経済の面でしっぺ返しを食うことになる恐れがあります。

手嶋思えば、安倍総理の祖父、岸信介氏は、日米安保条約の改定を代償に辞任、価値観の共有による同盟関係の礎を築いた人です。それが安倍総理によって幕引きを迎えました。レジームチェンジとは、祖父のつくったレジームを転換し、東アジアに新たな危機を招来してしまうことになりました。歴史とはなんと言う皮肉なものなのでしょう。



政局が激動するなかで、ほとんど同時進行で掲載したこの対談、3日間のご精読ありがとうございました。月刊誌FACTAもこの激動に翻弄されました。それをインターネットでカバーする試みでしたが、いかがでしたでしょうか。9月20日発売のFACTA最新号では、安倍総理が政権を投げ出すに至った舞台裏を詳報しています。時間の制約のなかでどこまでFACTAが食い下がろうとしたか、ぜひご覧ください。

雑誌というメディアが締め切りから発送、発売までのタイムラグを免れ難いことは、週刊誌や月刊誌の最新号を見ればお分かりのことと思います。総理の辞任表明のあとに「総辞職は11月10日」という見出しを広告に載せた週刊誌もありました。同業だけに笑えません。そのハンディを少しでも補おうという試みでしたが、読者の方からは民主党ももっと論じてほしいという意見もいただきました。それらを参考に今後もこうした配信を続けたいと思います。最後に対談にご協力いただいた手嶋さんに感謝します。

(文責・編集長阿部重夫)

【緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫】「亡国の総理」辞任(中)

政局の動きは速い。安倍晋三総理の衝撃の辞意表明から1日たって、後継に麻生太郎自民党幹事長と、「反麻生」陣営の包囲網とが浮き彫りになってきた。反麻生側が担ぎ出そうとしている候補に、福田康夫・元官房長官や小泉純一郎・前総理の名があがっている。額賀福志郎・財務相も出馬の意向を示している。今の時点ではまだ帰趨を予測するのは早いが、後継に誰がなろうとも安倍政権の尻拭いをしなければならない。最大の問題の一つは日米関係だろう。本日はそれをテーマに対談する。



阿部安倍総理がシドニーで「職を賭しても」と言ったのは、インド洋上での自衛艦の給油継続問題です。これが命取りでした。シドニーで何があったのでしょう。

手嶋シドニーで行われた日米首脳会談で、安倍総理はブッシュ大統領に押し切られたのです。とにかく、民主党を落として、給油継続の手形を落としてくれるだろうな、と迫られて、手形を落とす明確なメドがないのに、イエスと答えてしまった。その一方で一枚看板の拉致問題をめぐっては「日本の同意なくしてテロ支援国家の解除なし」という確かな約束を取りつけられなかった。追い詰められるばかりで、その大きな重圧に耐えられず、民主党の小沢代表にも首会談を事実上断られて、万事に窮したという構図でしょうか。

阿部綸言汗のごとしと言いますが、総理なのに安倍さんはどうも言葉が軽い。ああ言ったら、あとがないことが分からなかったのでしょうか。

手嶋ええ、なにしろ「美しい国」なのですから、総理の言葉の重さに本質的な自覚を欠いていたのでしょう。まさにこれは、政局主義者小沢代表の思う壺。アリ地獄に落ちるようにはまっていったのだと言えます。

阿部総理会見では小沢氏に恨み節ともとれるくだりがありましたが、小沢氏には「テーマもはっきりしない党首会談などやっても仕方がない」と一蹴されています。総理が会談を申し込んで、会えなかったから、職を投げ出す。もはや駄々っ子と変わらず、指導者の適格性を欠いています。

手嶋シドニーの日米首脳会談を通じて、安倍内閣が内政だけでなく、外交とりわけ日米同盟の運営に失敗して、政権を投げ出したことが露呈してしまったといえます。安倍政権は、北朝鮮に安易な妥協をしないという「対朝強硬派」であることを鮮明にしてきました。しかし、イラクで劣勢に立つブッシュ政権は、北朝鮮の核無力化を引き出して、東アジアで点数を稼ぎだそうと、テロ支援国家の指定を解除しようとしています。安倍内閣は、この動きに待ったを掛けられずにいました。

アメリカが北朝鮮をテロ支援国に指定した理由の中には、日本の拉致問題も入っていますから、同盟国の日本がウンと言わなければ、ブッシュ政権は指定を解除できないはずです。ブッシュ大統領から、テロ特措法延長を求められたのなら、安倍総理はその代わりに「テロ支援国家の指定を解除しない」との言質を大統領から取りつけるべきでした。しかし、それもできていない。

自民党の部会でその点を質された佐々江アジア・大洋州局長が「日本が同意しないままの指定解除はないと思う」と述べたのは、首脳会談で詰め切れなかったことを窺わせています。

阿部6カ国協議でも日本は取り残されているかに見えます。アメリカのライス国務長官とヒル国務次官補の対朝外交を、手嶋さんはFACTA10月号(9月20日発売)のコラムで批判していますね。

手嶋日本が取り残され、孤立しているのではなく、ブッシュ政権の外交チームが日米同盟を犠牲にしてまで、妥協に踏み込もうとしているとみるべきでしょう。安倍総理は、やはり、日米同盟の運営にも躓いていたのです。それが辞任に追い込まれていった、隠れた、しかし重要な要因です。

阿部蛇ににらまれた蛙のように、アメリカ大統領の前で、言いたいことも言えない。『美しい国へ』では「主張する外交」を標榜していたのですから、あきれますね。

手嶋ええ、「美しい国」には、論理がなくて、ただレトリック(修辞)だけなのです。安倍内閣は「広報内閣」と言われました。総裁選のキャンペーンで田植えをしてみせたり、茶の湯にいそしんだり、見てくれの、テクニカルなPRに励んでいた。G8でそんな指導者は見あたりません。どんな政権にも襲いかかってくる嵐を乗り切るための実力も備えていなかったのですね。

阿部安倍総理は続投を表明した際、改革の継続を訴えました。しかし、改造人事では麻生幹事長に押し切られ、内閣府のスタッフも小泉・安倍路線を支えてきた霞が関の異端官僚がパージされました。彼らを改革派と言うと、小泉政権時代の改革派対守旧派の構図になってしまいますが、「小さな政府」派と「大きな政府」派で見れば、「小さな政府」の敗退を象徴しています。

手嶋7月のFACTAトークイベントでは、安倍政権が陥った機能不全症候群の原因が、4つのポストの人事の失敗にあると指摘しましたね。党幹事長、官房長官、官房副長官(事務)、総理秘書官の4つです。改造内閣はこのうち幹事長と官房長官を変えましたが、官房副長官と総理秘書官は手放さなかった。

ここから誤った教訓が引き出されそうな気がして心配です。霞が関とうまく折り合えなかったために、この政権は倒れてしまった。だから霞が関とうまくやることが政権を維持する要諦だ――と。これでは政治が再び官僚の風下に立つことを意味してしまいます。

阿部先祖返りですか。小泉政権時代の改革路線が全面交代して、また官製国家に逆戻りとなる懸念が出てきました。次回はそれをテーマにしましょう。

続く

【緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫】「亡国の総理」辞任(上)

正午すぎ、携帯が鳴った。メールである。「今、テレビを見ていたら、安倍さん辞任を表明したそうです」。みなさんと同じくのけぞった。さあ、雑誌は大変。でも、先日の遠藤農水相辞任の当日、編集長ブログでこの緊急対談を試みたら、どっとアクセスが殺到したことを思い出した。同業の雑誌編集者からも「あの速さには驚きました」とご好評だった。で、二匹目のドジョウというわけではないが、今回も手嶋龍一氏から電話があり、TOKYOミッドタウン45階でとっさの緊急対談をして、さくさくっとここに載せる次第である。



阿部寝耳に水、というべきでしょうか。安倍総理の辞意表明は。

手嶋小沢民主党と対決する前にタオルを投げてしまった。奇しくも小沢代表が「こんなことは過去40年、前例がない」と言ったとおりですね。この異例の辞め方自体が、政治のプロたるべき総理大臣に、危機をマネージしていく能力が決定的に欠けていることを示したと思いますね。どうせ辞めるのなら、そのタイミングはいくらでもありました。

7月末の参院選で歴史的大敗を喫した直後ならば、日米同盟に亀裂が入ったことを世にさらす前に政権交代するわけですから、まだしも傷は浅かったはずです。しかし辞任要求を強行突破して組閣もし、日米首脳会談まで行ったのですから、まさにこの1カ月余は安倍総理が深みにはまっていく過程だったと思います。

阿部手嶋さんが弊誌FACTAのコラムで早くから予想していたように、その深みとは「政局主義者」氏の登場と、テロ対策特別措置法の延長問題ですよね。

手嶋ええ、そこが主戦場になってしまった。でも、安倍対小沢の「巌流島の対決」になる代わりに、突然、リングから降りてしまったのです。前兆はあったのでしょうか。

阿部ありました。シドニーのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議、日米首脳会談のあと、唐突に「職を賭しても」発言が飛び出す。いやしくも権力の頂点に立つような人間は、自らの進退に触れた途端、権力を失っていくというのが、古今東西を問わず政治の鉄則です。それを承知で口にしたこと自体、あ、これは投げ出す気かな、と誰もが直感しました。

でも、これほど早いとは予想できなかった。実は前日、安倍総理は風を理由に夕方早々と首相公邸に戻ってしまった。顔色は冴えないし、むくんでいたし、あれが前兆でしたね。

手嶋体調不調説も流れていますが。

阿部もともと神経性大腸炎の持病があり、ストレスにさらされると弱い体質です。総理辞任のプレッシャーに参っていたという説もありますが……。

手嶋極端に船酔いの弱い人は、船長の任に堪えないと言いますが、安倍総理もまさに国の舵取りの任に堪えない人だったのかもしれない。昨年9月、安倍内閣が発足してまだ2カ月ほどしか経っていなころ、安倍ファミリーで肉親のひとりが、「晋三はイライラしていて、どうも心配でならない」とこぼしていました。まだ支持率が高かった時期ですよ。それでも、重圧に押しつぶされていたのです。

阿部当時の新聞やテレビなどのマスメディアは、「ポスト小泉」の総理として安倍氏の人気が高いのを見て、この人に総理の資質があるのかと問うことをしなかった。政治の本質である権力闘争抜きで総理の椅子に座った人間が、そのポピュラリティーに押しつぶされていったのは、権力にとりあえずすり寄るメディアの体質にも問題があります。

手嶋まさに人気によりかかって、ふわふわした気分のまま総理になるという、真の間接民主制の原則に反したツケが、いま回ってきたとも言えますね。バスに乗り遅れるな、と未熟な総理を世に送りだしたメディアの責任は大きい。

阿部実は、前夜に官邸内からある情報が寄せられていました。官邸内から電話がかかってきて、「今度の人事、どう思う?」と謎かけされたのです。「麻生-与謝野ラインでほとんど決められて、安倍さんの出る幕はなかったと聞いている」と答えますと、「内閣府でパージが始まっている」と言うのです。手足がもがれるように安倍側近が外されているそうです。いわば「宮廷クーデター」の話でした。

それは官邸内からの「首相辞任近し」の示唆でした。翌日、再び携帯が鳴り、「だったでしょ?」と謎解きされました。クーデターというのは、麻生自民党幹事長と与謝野官房長官が、すでに外堀を埋めかかっていて、引導を渡すのは時間の問題だったということです。自民党の金庫と官房機密費のふたつのカネを握られて、安倍陣営は座して死を待つのみでした。そこで、最後の反攻――外堀を埋められる前に辞任を表明する、という形で、「寝首をかいた」麻生氏の政権を阻止しようとしたというのです。

手嶋政治は非情です。足元を見られたら、すぐ寝首をかかれます。安倍政権の命運は、東京を留守にしてシドニーに行った時点で、定まっていたのかもしれません。シドニーでは安倍政権の外交政策、とりわけ日米同盟について、その空洞化があらわになっていましたから。

阿部これまた、FACTAのコラムでいち早く手嶋さんが指摘していたところですね。このトークの続きで、それを徹底的に論じることにしましょう。

続く

【緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫(下)】テロ特措法、小沢民主党のツッパリ

安倍政権の弱体化で、参院で第一党の座を占めた小沢一郎民主党の攻勢は一段と強まりそうです。当面は11月に期限切れを迎えるテロ対策特別措置法の延長問題が与野党の攻防のヤマ場となりそうです。シーファー駐日大使はじめアメリカのブッシュ政権は、ワシントンで東京でと対日工作を本格化させています。大統領自身が8月30日、「日本が今後も前向きな影響力を保つことを望んでいる」と述べ、異例の形ながら延長へ強い期待感を表明しました。また来日したドイツのメルケル首相もEU側の意向を代表する形でテロ特別措置法の延長を求めています。

これに対して小沢代表は「アフガニスタンでの軍事行動は国連決議の裏づけがない」と延長に反対の姿勢を崩していません。この問題は単なる日本の政局を超えて、国際的な波紋を広げていますが、こうした小沢発言の背景となっている国連の集団安全保障と集団的自衛権をめぐる憲法問題を、FACTAトーク(手嶋×阿部)の対談で論じてみました。



阿部手嶋さんがFACTA9月号のコラム(手嶋龍一式Intelligence「『隠れゴーリスト』の鎧を捨てたオザワ」)で、小沢代表の日米同盟論を書いていますね。「日米同盟は対等なものであるべきだ」と従属的関係を批判した小沢代表は、しかし単純な反同盟派というわけではありません。

小沢氏が1993年に書いた『日本改造計画』では「自衛隊が国連待機軍として国連の要請に応じて出動し、国連の指揮下に入ることは、何ら憲法に違反しない」と論じています。従来の自民党の保守派は、憲法の解釈を変更することで、集団的自衛権の行使に踏み込み、日米の同盟関係を双務的なものにしようと論陣を張ってきました。小沢氏はそうした自民党保守派と明らかに一線を画しています。手嶋さんのコラムは、両者の違いを鮮明に描き出していました。

手嶋今回の小沢発言の文脈を正確に読み取るには90年代前半に遡って検証しておかなければなりません。小沢一郎という政治家は、国連の安全保障に日本の自衛隊を委ねて国際貢献の義務を果たし、同時に日本の安全保障を確かなものにしていこうと提唱しました。当時こうした議論はかなり新鮮なものだったのですが、アメリカの戦略家たちの眼には、オザワは日米同盟から静かに離脱し、国連の安全保障に軸足を移そうとしていると映ったのでした。

阿部FACTA9月号のコラムの末尾でも、手嶋さんは「日米同盟から国連の集団安全保障へ――。こうしたオザワの主張は、アメリカの戦略理論家たちの疑念を呼び覚まさずには置かなかった」と書いていますね。クリントン民主党政権にあって安全保障政策の立案に関わっていたジョセフ・ナイ、カート・キャンベル、エズラ・ボーゲル、それに共和党のリチャード・アーミテージらが一堂に集まって「オザワ問題」を検討する場に居合わせたことが幾度かあった、と。

手嶋ええ、アメリカの疑念は、小沢氏が日米同盟派ではなく、国連の集団安全保障機能に拠ってたつ対米自立派ではないかというものでした。東アジアの安全保障に通じた戦略のプロフェッショナルたちは、オザワのなかに故ドゴール仏大統領のように対米自立を密かに模索する「隠れゴーリスト」の影がちらつくのを見逃さなかったのです。その疑念は今にいたるまで消えていないといっていい。

その小沢氏は、参議院選挙の勝利で10年ぶりに脚光を浴び、「隠れゴーリスト」の鎧すらかなぐり捨てようとしている―ブッシュ共和党政権の戦略家たちはそう見ています。小泉改革によって既得権益を失った人々の胸底に沈殿する反米ナショナリズム。小沢民主党はそれを揺さぶって政権奪取のテコにしようとしているのでしょう。テロ対策特別措置法こそ、政局の秋の主戦場となりつつあります。

阿部手嶋さんも親しいマイク・モチヅキ教授(ジョージ・ワシントン大学)のダイアグラムに、縦軸に「対米自立―対米重視」、横軸に「大砲―バター」を置いて、日本の政治家を分類するモデルがありますね。そのなかで小沢氏は一見「対米重視」「大砲」派に属しているように見えながら、「重視」の裏で「自立」を志向しているのではないか。それが「隠れゴーリスト」の意味ですよね。

しかし小沢氏は手だれの政局至上主義者でもあります。アフガニスタン戦争に関わる海上自衛隊の派遣は、国連安保理の決議に基づいたものではないという論法で押して、法律の延長を葬り去ろうとしています。安易な妥協には応じないとみておいたほうがよさそうです。政府与党には果たしてどんな秘策があるのでしょうか。

手嶋現状では新しい法律を今次の臨時国会で通すほかはないと考えはじめているようです。自民党や民主党の一部には、国連の安保理にロビー工作を繰り広げて、アフガニスタンでのテロとの戦いに改めてお墨付きを与えるため、新たな国連決議を採択してもらう案も出ているようです。日本の現政権が参議院で多数を失った空白を、新たな国連決議で埋めてもらうのはやはり邪道でしょう。政府・自民党は新法を国会に提出してインド洋での給油を継続できるよう淡々と勝負に出てはどうでしょう。

阿部人道支援は現在も法律なしでやっていますが、野党側が求めるなら新法の一部に盛り込むことは可能です。政権を目指す民主党が日米関係を決定的に悪くすることを承知のうえで新法を葬り去る覚悟が果たしてあるでしょうか。

手嶋この問題を精緻に見ていくために集団的自衛権をめぐる論点を簡潔に論じておきましょう。実はこの集団的自衛権の問題は政治改革の議論と似ているように思います。小選挙区制を導入すれば政策論議が盛んになり、政策本位の政治になるといわれました。ところが、結果的には中選挙区制の時代とさして代わり映えがしていないのが実情です。それと同じで、従来の内閣法制局の憲法解釈を見直して、集団的自衛権を認めれば、ほんとうに日米同盟は強化されるのでしょうか。

内閣法制局の憲法解釈にはかなり硬直的なものがあることは事実なのですが、本格的な集団的自衛権の行使に踏み込みさえすれば、日米同盟はより強固なものになるという保証はありません。6カ国協議をめぐって日米の外交スタンスは乖離しつつあり、日米同盟の空洞化は否めないのですが、集団的自衛権の行使がそれを食い止めてくれるわけではありません。より巨視的な検証が必要でしょう。

阿部集団的自衛権をめぐる議論は、大きく2つのカテゴリーに分けてなされるべきです。まず第一は、アメリカが真珠湾を攻撃されるといった事態に、日本は同盟国としていかなる行動をとるのかです。日本という国家はむろん集団的自衛権を有しているのですが、従来の内閣法制局の見解では、それを敢えて行使しないというものでした。

手嶋そうした憲法解釈を変えて日本のイージス艦隊を真珠湾に派遣して、集団的自衛権を行使するように改めるのか。それには従来の内閣法制局の見解を変える程度では十分とは言えないでしょう。徹底的な国民的な議論を深めていくべきです。その一方で安全保障の現場で、同盟国アメリカの理解を必ずしも得られない、あまりに硬直的な内閣法制局の見解も確かに存在していました。そうした憲法解釈を見直そうという声が出て、安倍内閣で検討が進められています。

阿部安倍内閣が有識者を組織して進めている「4類型」と言われるものがそれですね。例えば朝鮮半島の封鎖を第7艦隊と一緒にやっていて、すぐ隣の第7艦隊の艦艇が攻撃された。日本の艦艇は黙って見過ごしていていいのかということになる。「内閣法制局長官が米艦を助けることはまかりならないと言っている」などと傍観すれば、日米の同盟関係は相当なダメージを受けることになります。

隣の家のお嬢ちゃんと一緒に夜道を歩いていたとします。このお嬢ちゃんが暴漢に襲われたときに、助ける義務がないからといって傍観していたら、地域社会の信用を瞬時に失ってしまいます。こういうケースまで、集団的自衛権の行使に当たるとして、行動を禁じていたのですが、ようやくその見直しが緒につきました。

手嶋こうしたケースまで内閣法制局長官が解釈権を持っているのか、大いに疑問です。内閣法制局の設置法によれば「法制局長官は憲法解釈について総理に助言することができる」と定めていますが、憲法の解釈権を明文規定で内閣法制局に与えているわけではない。ところが実際は、冷戦期の国会の論戦では、野党側の攻勢にたじろいだ政権党が、きわどい答弁をプロフェッショナルの内閣法制局長官に頼り、その結果、平和憲法といわれるものをより厳格に解釈した政府見解が堆積していったのです。そして安全保障のリアリティから遠ざかっていったのです。

阿部ブッシュ共和党政権が、イラクのサダム・フセイン政権に武力を行使するに際して、小泉内閣は一連の国連決議に逃げ込んでいきました。第1次湾岸戦争以来、フセイン政権が累次にわたって国連の決議に違反して大量破壊兵器の査察を阻害してきたことなどを挙げて、ブッシュ政権のイラクへの力の行使は正当だと立論しました。従って小泉内閣はアメリカの対イラク戦争を支持するというのが日本の論理でしたね。与党である公明党と創価学会の支持を取り付けなければならず、国連という「錦の御旗」に頼っていったのでしょう。十数年前の国連決議にのみ専ら頼ってイラク戦争を支持する論理構成を打ち立てた国は私の知る限り日本だけでしょう。

手嶋やはりここは、日本が第三国から攻撃されたり、日本の周辺で安全保障が危機にさらされたりしたとき、同盟国であるアメリカが日本防衛に武力介入してくるのを担保しておくため、ここはアメリカの戦争を支持しておくか、理解を示しておくか、といった同盟に関わる国民的な議論を深めておくべきでした。小泉内閣は、外務省の条約官僚に安易に頼って国連決議に緊急避難していったというのが本当のところです。これでは同盟の議論は少しも深まりません。

こんな国はほかにあるだろうかと、先日、コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授にも確かめてみました。「聞いたことはありませんね」と。教授は「自分はイラク戦争に一貫して反対をしてきた。しかしながら、日米同盟の内情をよく知る者として、大義なきブッシュ大統領のイラク戦争を日本政府が支持をしたことは、正直に言えば、正しい選択だったと思う」と言っていました。それほどに同盟関係とは重層的で複雑なものなのです。それは夫婦関係にも似てまことに込み入っている。

阿部夫婦関係のように込み入っているとすれば、集団的自衛権の行使を認めることが同盟という婚姻関係をさらに確かなものにするかどうか保証がないと手嶋さんは言うわけですね。確かに妻が愚痴を言い続けている深夜の帰宅を改め、日暮れ時に帰ってくるように悔い改めても、夫婦関係が円満になる確かな保証はありません。

手嶋メディアの世界で並ぶもののないほど知的な阿部編集長の喩えとしては、いささか戸惑いますが、核心を衝いています(笑)。

阿部そんな憲法解釈の変更の先に、憲法9条の改正問題があります。安倍総理が執念を燃やしていた改憲は参院選大敗で遠のきましたが、憲法9条改正について、アメリカは歓迎するのでしょうか。

手嶋これまた核心に触れる鋭い質問ですね。きょうは冴えわたっている。先の4類型は行き過ぎた憲法解釈を是正するというケースですから、ひとまず横に置きましょう。占領軍が作った第9条に象徴される現行の日本国憲法を、アメリカが変えたほうがいいと本当に思っているのかどうかは大いに疑問だと思います。

ワシントの郊外には「バーニングツリー・カントリークラブ」があります。いまだに女性をメンバーとして認めない伝統的な大統領もメンバーになっているカントリークラブです。その暖炉の前で、大統領経験者とマクジョージ・バンディといった安全保障政策の司祭といわれる人々がブランデーを傾けながら談笑している。こんなときにアメリカのエスタブリッシュメントの本音が語られるのです。

アメリカの世界戦略の要は、ヨーロッパではドイツを、東アジアでは日本を、決して再び軍事大国としてたち現せてはならないことだ。とりわけその両国に独自の核を持たせては断じてならんのだ―。ワシントンのインテリジェンスをようやくすれば、これがアメリカの安全保障をめぐる共和、民主の政党を超えた一番奥深いところにある本音なのでしょう。

阿部第2次大戦の戦後処理にまで遡るわけですね。考えてみれば、国連こそ第2次大戦の戦勝国がいまだに支配権をもつクラブだと見立てることもできますね。米・英・仏・ロ・中の5大戦勝国が、核保有国として、拒否権を備えた安保理の常任理事国として君臨しています。超大国アメリカからすれば、既得権益をがっちりと握りながら、影響力にかげりが出るような国連改革は受け入れられないというのが本音なのでしょう。欧州ではNATO(北大西洋条約機構)同盟によって、東アジアでは日米同盟によって、ドイツと日本の軍事的な台頭を抑え込んでいく。そこには二重の戦略がそれらの同盟体制に埋め込まれていたのですね。

手嶋ええ、これについて「いや、そんなことはないはずだ」と考えている方は、最近機密指定が解除されたキッシンジャー・周恩来会見の記録をご覧になればいい。日本をどう扱うか、本音で話した部分は圧巻です。むろん当時の中国指導部をアメリカに引き寄せる政治的発言ではあるのですが、キッシンジャーは「日米安保体制そのものは日本の軍事化を阻む、つまり核武装を阻む最も重要な手段と心得られたい」とかの周恩来をひたひたと説得しにかかっています。これに対して周恩来も「そういうことであれば」と、無言のうちにアメリカ軍の日本駐留を黙認する場面があります。ここにアメリカの本音が顔を覗かせています。いまの政界で保守派の一部は、同盟国アメリカの意図を読み誤らないほうがいいと申し上げておきます。

阿部多忙な執筆の合間を縫って3日間にわたって当座の重要課題を精力的に語っていただきありがとうございました。1日目からかなりの反響がありました。遠藤農水相の辞任直後でしたから、「どうしてこんなに早く」と驚きの声も聞こえました。ご協力、ありがとうございました。

FACTAでは第一線のライターと読者をつなぐトークの場「FACTAフォーラム」を近くスタートさせます。そこではこうした試みを節目ごとにやっていこうと思います。FACTAのサイトでご紹介申し上げますのでご期待ください。

(了)

【緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫(中)】安倍政権の躓きは内政だけではない

遠藤農水相の辞任を機に、安倍政権は再び揺らぎ始めました。内閣改造による人心一新どころか、リーダーシップの弱体化が一層進む可能性が強まり、安倍総理の「再チャレンジ」は絵に描いたモチとなりそうです。今回は政権の意思決定空洞化が、年金や「政治とカネ」といった内政ばかりでなく、外交や安全保障にも及んでいることをしていることを議論しました(※前回の続き)。





手嶋今度の参議院選挙の結果と内閣の改造は、日本の政治指導部が果たして巨大な官僚機構を統御しているのか、統御する能力をそもそも持っているのか問いかけるものでもありました。小選挙区制の導入にあたっては、その利点として、政党による政策論争が活発になることで、政策本意の政治が実現するというものでした。政治の官僚統御を担保するために、各省に副大臣や政務官のポストが沢山出ました。しかしながら、これらの政治家が官僚機構を統御して政策決定をリードしているかというと、大いに疑問だといわざるを得ないのです。取材の手の内を明かすのは気が進まないのですが、正直に言いましょう。取材対象として政務官なり副大臣に会ったことがありません。なぜならば、彼らは、枢機に少しも参画していないからです。私は、外交や安全保障の分野で申し上げているのですが、金融ジャーナリストでもある阿部編集長は、財務省の政務官や副大臣に取材で会ったことはありますか?



阿部いえ、会ったことありませんね。周辺的な些細な情報なら政務官も知らされているケースはありますが、財政政策の舵取りに関与させてもらっている節は残念ながらありません。むろん大臣なら情報は聞かされています。官僚機構の人事権を一応握っていますからね。



手嶋やはり、外交から財政にいたるまで、政治指導部が全てを決めるというのは、制度上のタテマエに堕しているのですね。いまなお官僚機構が実質的な権力を掌握しているのが現実なのでしょう。「官治国家」という実態は、いまだに変っていない。しかしながら、制度上は、権力が官僚機構から政治の側に委譲されたことになっていますから、日本政治の機能不全は複雑骨折に喩えられるほど、込み入ったことになってしまっています。



阿部制度的には政治が決めなければいけないのですが、実際のところ、2代目、3代目の世襲政治家には決めるだけの情報も経験も構想力もなく権力欲しかないから、官僚がおんぶにだっこせざるをえない。しかし、いまの霞が関には戦前の内務省、戦後の大蔵省のように、他省庁に君臨する司令塔があるとは思えない。いま日本では果たしてどこで意思決定がなされているのでしょう?



手嶋非常に厳しく言うと、総崩れというのが実情なのでしょう。昭和30年代の財政・経済政策は、旧大蔵、通産といったメガ官庁が取り仕切ってきた。しかしながら、いまの財務、経済産業の中堅官僚で「自分が天下国家を動かしている」と思っている人がいれば、誇大妄想だと思われてしまいます。官僚機構も政治もともに国家の針路を決めることができずにいる。つまり、いまの日本には権力の巨大な空白が生まれているのです。権力の空白ほど危険なものはありません。戦間期のドイツがワイマール憲法下で巨大な権力の空白を生んでしまい、そこから醜悪なナチズムを生んだ教訓を想起せよとは言いませんが、権力の真空状態には警告を発しておかなければなりません。



阿部確かに政策を誰がどういう見通しで、どういう情報をもとに決めているかと言えば、もう「誰が」という主体はなくなりつつありますね。経済的にも外交的にも非常に重要な対外関係においても、同盟国に対して誰がどういう狙いで政策を決めているかというのが全然はっきりしません。日本人にとって非常に関心が高い朝鮮半島の核問題が、誰の目から見ても日本は脇役に押しやられている。日本は果たしてアメリカの同盟国なのか。こんな基本的なことさえ曖昧になりつつあります。



手嶋本当に大切なことは小さな声で語られるといいます。阿部編集長は聞き取れないくらい穏やかな口調で聞き捨てならない指摘をするから曲者です(笑)。日本人が半世紀にわたって国家の命運と日々の暮らしを半ば委ねてきた日米同盟に異変が起きています。いまや北朝鮮の核問題を話し合う「6カ国協議」なるものが、多国間対話の外交メカニズムとして、日米同盟の上にずっしりと載っている。6カ国協議が上位で、日米同盟は下位。そんな奇妙な構図になっています。日米同盟が6カ国協議の風下に立っている事実は、安全保障同盟に亀裂が入り、同盟が空洞化していることを意味しているのです。



阿部安倍内閣は、社会保険庁の問題や政治資金の問題という内政上の問題に躓いているだけではなく、日本が安全保障を大きく委ねている日米関係の運営そのものにも失敗しているというわけですね。その具体的な例をもう少し聞かせてください。



手嶋初代防衛相の久間章生氏の原爆発言がその1つでしょう。FACTA8月号のコラム(手嶋龍一式intelligence「久間失言が直撃した日米同盟の『岩盤』」)にも書きましたが、この久間発言こそ日米同盟という固い岩盤を揺さぶったクラスター爆弾でした。



まず大切な歴史の事実関係が全く間違っている。アメリカは戦争の犠牲者を最小限に抑えるため原爆を仕方なく投下した―これは、後に敗戦国としての日本を東アジアの最も重要な同盟相手に選んだこともあって、アメリカの歴代大統領が言い続けてきた政治上のタテマエに過ぎません。



しかしアメリカは真珠湾攻撃の報復と原爆を投下したのです。これはトルーマン大統領の公式声明にはっきりと書かれています。であるいじょう、日本の、それも長崎出身の防衛相が「しょうがない」などと言っていいはずがないのです。



アメリカは重要な戦略上の理由から日本に原爆を投下しました。ヤルタ密約によってスターリンは日本に参戦するという手はずが整っていました。ルーズベルトはスターリンに懇請するように対日参戦に引きずり込みました。しかし、ルーズベルトの死によって冷戦の幕が上がりつつありました。まさにそうしたなかで登場した「冷戦の大統領」トルーマンは、スターリンが対日参戦に打って出る前に、日本を降伏に追い込もうとした。もしソ連の対日参戦を許せば、ヨーロッパだけでなく、東アジアでも、ソビエトに冷戦の主導権を握られてしまうと考えたからです。原爆こそ、スターリンの対日参戦に先駆けて、日本を降伏させる“神の鞭”となると考えた。これは現代史の成果として精緻な資料によって裏付けられています。



この久間発言は、日米間で「謝れ」「謝らない」という応酬を引き起こす危険をはらんでいました。しかし、日米双方とも絶対譲れない国民感情や大義名分を背負っているだけに、日米同盟は抜き差しならない隘路に入ってしまう恐れがあります。アメリカはトヨタ自動車がその利益を半分以上稼ぎだしている。それによって日本経済が成り立っているといった相手です。しかも、北朝鮮が日本に先制攻撃を仕掛けてくれば、アメリカ軍には必ず介入させなければならない。そういう国家との間に歴史論争のパンドラの箱を開けてしまうような発言、それが初代防衛相の「しょうがない」発言だったのです。



阿部久間氏が辞任したあと、小池百合子氏を後任に据えましたが、在任4年を超えた「防衛省の天皇」守屋事務次官を強引に更迭したことで大揺れとなり、内閣改造では小派閥の領袖である高村氏を防衛相に据えました。これは民主党が反対するテロ特別措置法の延長問題に備えた布陣にも見えますが、沖縄の普天間基地返還問題はじめ空洞化する日米関係の修復に対し、安倍総理が確たる成算を持っていないことの象徴ではないでしょうか。



手嶋その通りと申しあげていいと思います。テロ特別措置法をめぐる問題点は次回に詳しく論じたいと思います。こうした日米同盟の不協和音は、従軍慰安婦問題にその一端が見え隠れしていました。安倍総理は「狭い意味では国家が従軍慰安婦を強制的に連れて行ったという強制性は必ずしも歴史的な資料によって裏付けられていない」という趣旨の発言をして米側の烈しい反発を招きました。多少洗練された表現を用いてはいますが、この問題について真正面から謝罪するには、自分の思想・信条からしていやだということでしょう。しかし、民主主義の理念に重きを置くブッシュ政権の存在を考えれば、公の場での発言として通用しないことは明らかだったはずです。



阿部安倍政権は、この問題は日米首脳会談では取り上げなくてもよいと高をくくっていた節がうかがえました。しかし結局、安倍総理は、初訪米でブッシュ大統領に慰安婦問題を直接謝罪し、あろうことか大統領もその謝罪を受け入れると公に言う局面に立ち至ったのです。日米首脳会談でアメリカ国民が直接関わっていない従軍慰安婦問題が取り上げられること自体いかに異例な出来事なのか。安倍内閣は国際関係に対する見立てを誤り、むき出しの思想・信条を表に出して対処して、日米関係に波乱を引き起こしてしまったわけですね。



手嶋「力の外交」と表現すれば、権力外交といった印象を与えてしまいます。しかしながら、自国が持つ実力のノリを超えた外交、国力を逸脱した外交などあり得ないのです。安倍外交にはそのような危うさが付きまとっています。日米同盟は単なる軍事同盟を超えて、自由や民主主義という同じ価値観を分かち合う同盟であるといわれてきました。



であるとすれば、「狭義の強制性を裏付ける根拠がない」という安倍発言は、アメリカと自由と民主主義という価値観をどんなかたちで分かち合ってきたのかと問われてしまいます。現に安倍総理は訪米に当たって、こうした問いに沈黙せざるを得ず、自ら日本国民を代表して謝罪をしなければならなかったのです。一国の総理としてもっと厳しい政治責任を問われてしかるべきだと思います。



安倍総理は就任直後に、北京とソウルを電撃訪問し、5年間実現していなかった首脳会談を行って、日中関係をなんとか安定軌道に乗せました。中国について大変批判的な人も、日中関係が好転したことの意義は認めざるを得ないでしょう。温家宝首相が来日し、国会で雪解け演説をして、日中関係は安定しているのですから。



このとき、日本側は靖国神社を参拝せずと中国側に約束しなかった。私は中国の要求に屈して「参拝せず」と約束するべきではなかったと思います。ただ、安倍総理は中国への電撃訪問と表裏になっている自らの態度表明を忘れがちです。第二次世界大戦でアジア諸国を中心に惨禍を与えたことに反省を表明した村山談話、従軍慰安婦問題について反省を明らかにした河野官房長官談話を受けて、安倍総理はこの歴代政権の基本方針を自分も受け入れると国会で表明しました。そのことで、日中関係や日韓関係が一応安定軌道に入ったのですが、その意義を本当には学ぼうとしなかったのでしょう。もしわかっていれば、従軍慰安婦問題でああした発言は決してしなかったはずです。



阿部改造内閣では麻生外相が自民党幹事長に回ったため、これまた派閥の領袖である町村氏が外相に起用されました。六カ国協議では米朝接近が目立ちますが、北朝鮮に対しては洪水被害への支援物資は出すことを表明したものの、日本の孤立(裏返しにいえば、日米間の隙間風)をどうするかの対案は示されませんでした。



前外相が打ち出した「自由と繁栄の弧」という外交のグランドデザインにも乗り気でなく、
町村外交が何をめざすのかはっきりしないことは、安倍内閣の外交戦略が政権発足当初の対中、対韓関係修復の花火のあと迷走していることと無関係ではないと思います。



手嶋安倍総理の従軍慰安婦問題をめぐる発言は、東アジア諸国を念頭に置いて、なされたのでしょう。自民党右派の論客として、ぜひとも言っておきたかったのだと思います。このとき、安倍総理のなかには、アメリカの存在がなかったはずです。しかし、ちょっと後ろを見てみたら、戦後50年以上にわたって東アジアの安全保障をともに担ってきたアメリカの怒りに歪んだ顔が飛び込んできたのです。安倍発言が日米同盟そのものに亀裂を入れかねないネガティブなものだという情勢判断を欠いていたといわざるを得ません。外交をめぐるシャープな感受性を磨くことこそが総理たるものの条件なのだと考えます。



安倍総理は内政で躓いているだけではない。外交、安全保障、とりわけ日米同盟の運営に躓いている――という先ほどの指摘は正鵠を射ています。



(続く)


【緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫(上)】三度目の正直? 遠藤農水相辞任と安倍政権の命運

7月29日の参議院選挙で自民・公明の与党が大敗を喫してからおよそ1カ月、8月27日に安倍政権は自民党三役から閣僚まで大幅に入れ替える改造人事を行いましたが、わずか1週間で遠藤武彦農水相が辞任に追い込まれる事態となりました。5月に自殺した松岡氏、8月に事実上更迭された赤城氏に続き、3カ月余で農水相が3人もスキャンダルで交代するという異常事態。党内外から上がった「仲良し官邸団」との批判に、この内閣改造は応えていたのか否か。そもそも有権者は安倍政権に何を突きつけていたのでしょうか。

参院選前にFACTAが主催してトークイベント(手嶋龍一×阿部重夫)を行い、参加者の方々から「トークイベントで明らかにされた隠れた争点とその後の情勢の読み方は、他のメディアでは接することができなかったものであり、選挙と改造後のフォローアップと検証をぜひ」という声が数多く寄せられました。こうした要望にお応えするため、参議院選挙で浮かび上がった真の争点を再考してみました。



阿部参議院選大敗を受けて安倍政権は内閣改造を行いましたが、遠藤農水相辞任で出はなをくじかれましたね。

手嶋安倍総理自身の「続投」については、まだ不満だと感じている層が多数を占めています。組閣直後の世論調査では、安倍改造内閣はからくもどん底からは抜けだしたと見る向きがあるようですが、あまり楽観できないでしょう。この内閣が本当に政権担当能力を備えているか、依然としてかなりの疑問があります。現に参院選大敗の原因のひとつ、政治とカネの火種はいまも燻り続けています。安倍改造内閣の遠藤武彦農相が組合長をつとめる農業共済組合が補助金を不正に受給していた問題が早くも表面化しました。遠藤新農相はとても難局を乗り切れないと判断したのでしょう。自ら辞任する意向を明らかにしました。民主党をはじめとする野党側は、自分たちが多数を占める参議院に問責決議案を提出する構えを早々と示したからです。閣僚を任命するに当たって背景にキズがないかどうかを検証する実力がないとすれば、政権の担当能力を疑われても仕方ありません。国民はいま、安倍政権が権力をどう行使するのか。言葉を替えて言えば、霞が関の官僚たちを統御しつつ、どんな関係を築こうとしているのかを息をひそめて見守っています。まさしく平成版の「官僚たちの夏」のドラマの幕があがっているのです。そんな重要な局面でまた閣僚が辞任に追い込まれたのですから改造内閣の先行きにも早くも暗雲が垂れ込めています。

阿部内閣改造直後の世論調査では、安倍内閣の支持率が持ち直していました。ただ、新聞によってその持ち直しの度合いが違いましたね。反安倍色の強い朝日、毎日は30%台前半、親安倍の読売、日経では40%台前半でした。選挙前は最も安倍晋三総理の考え方に近いと言われた産経新聞ですら内閣支持率は29.1%と3割にも満たない水準でしたから、底入れにも見えたのですが、遠藤農水相と坂本外務政務官の辞任で、支持率はまた下がるでしょう。持ち直したのは、続投を批判した舛添氏を厚生労働相に起用したことを好感した「舛添効果」との指摘がありましたが、それも帳消しかもしれません。

選挙前の「FACTAトークイベント」では、第一次安倍内閣は要の人事に問題があると指摘しました。閣僚候補のチェックが甘かった理由のひとつは、官邸に情報があがってこないことでしたが、第一次安倍内閣では霞が関をコントロールする官房長官、官房副長官(事務)、自民党幹事長、総理秘書官(政務)の4ポストで機能不全を起こしていました。

今回の改造では官房長官と幹事長の2ポストが交代、官房副長官と総理秘書官が留任となりました。この一点だけ見ても、霞が関との“関係調整”はまだ半身と言えるでしょう。遠藤農水相の問題も与謝野官房長官が「知らなかった」と言っているように、やはりチェックが甘いからで、官邸いまだ機能せず、が証明されたと言えましょう。

手嶋政権である以上、平時か危機かに関わらず、あらたに持ち上がってくる事態に政権チームとしてきちんと対応できる機能を備えていなければいけません。しかし、第一次安倍内閣はそのような機能を持ち合わせておらず、危機に的確に対応することができませんでした。言ってみれば、「危機対応能力の不全症候群」に罹っていることが、有権者の眼にはっきりと伝わってしまった。この点が問題の核心でした。

クライシスのマネジメントということでは、松岡農水大臣の死去もそうですし、もっと早い段階では社保庁の問題もそうです。微動地震が起きているのに、やがて襲ってくる巨大地震への想像力を欠いていたのです。まだ全体としては平時の部類に入る。だが、そこには他のものとは違う、政権の命運に直接関わってくる本質的な危機をはらんでいると察するインテリジェンス感覚に欠けていたわけです。これでは、危機の到来に先駆けていち早く手を打つことができない。その一方で、インテリジェンス機能を強化する必要を国民に説き、官房長官を中心に答申をまとめていたわけです。どこか山藤章二さんの作品のネタになりそうなブラックユーモアが漂っています。

「チーム・安倍」と呼ばれる官邸団の面々が、政権を守るための役割を担うことができなかった。どうにも動かなかったということなのですね。改造内閣の与謝野官房長官は、それを機能させることができるのでしょうか。阿部さんは金融ジャーナリストでもありますので、どう見ていますか。

阿部小泉内閣で経済財政担当相をつとめたときは、総理の権力を盾に官僚を押し倒すように郵政改革を進めた前任の竹中平蔵氏よりも、ずっと「霞が関に理解がある」スタンスでした。官房長官就任後の会見でも、官僚敵視路線をとらない姿勢を表明していますし、秘書官に気心の知れた官僚を選ぶなど、“融和”的な路線をとろうとしています。

問題は、官邸内に残った安倍側近スタッフと、霞が関との融和を探りたい与謝野官房長官という二重トラック状態でしょう。前官房長官の「俺は聞いていない」病も困ったものでしたが、今度は総理側近と官房長官スタッフが足の引っ張り合いを始めたら、官邸の機能不全は重症になるばかりで、政権交代を早める恐れもなしとしません。

手嶋安倍政権は危機管理能力だけでなく、政策でも国民との乖離が指摘されています。

阿部選挙前の産経世論調査では、1番の争点が「年金問題」で、39%以上です。2番目が「格差」、3番目が「税制」、4番目が「政治とカネ」です。安倍首相が最も訴えたかった憲法改正が6.7%、教育改革が4.5%、公務員制度改革が4.3%と低い。上位にあるテーマがどちらかというと経済、下位にあるテーマが政治という傾向がくっきり現れました。

政治の問題で国民の信を問いたかったのに対し、経済の問題で信を問われたということだと思います。つまり、安倍政権がやろうとしていることと、国民が求めていることの間に相当なギャップがあり、それが支持率の低下に繋がったと思います。

社会保険庁の問題がクローズアップされ、5000万件の宙に浮いた年金記録が非常に大きな不安を国民に与えました。それに対して、安倍政権は迅速に調査することを訴えていますが、この問題には根本的な2つの側面があります。

1つは社会保険庁という組織がデータ管理をちゃんとやっていなかったことです。これは手嶋さんが言うような政権と官僚組織のトップの機能不全とは別に、現場でも機能不全が起こっていることを表しています。これは社会保険庁に限らず、国税庁や日銀、警察、地方自治体の問題でもあります。それまで日本の官僚機構を支えてきたノンキャリア(上級職資格のない公務員)が、小泉政権の5年間に郵政問題をはじめとして相当叩かれたことで、金属疲労を起こし始め、厭戦気分が横溢しているのでしょう。日本の社会を見えないところで上手に回してきた縁の下の力持ち達が、真面目にやることから引きつつあることを国民も感じていて、そこに不安を抱いているのだと思います。

もう1つは、少子高齢化へ向かう年金財政の帳尻が合わなくなる問題に対して、どの政党も政府も税負担を含めたその場しのぎでない解決策を出していないことを国民が分かってしまっていることです。単に名寄せのドジをやりましたということではなく、「あ、こういう形で事実上、踏み倒すのね」と。つまり、払ってもらえないという一番の不安を今回の年金問題が刺激してしまったのではないかと思います。

手嶋安倍内閣は国民がそうした本質的な2つの問題に気づいているというインテリジェンス感覚を持っていなかったんだろうとおもいます。その圧倒的な気迫、問題の所在を直感でつかむ鋭利な直感、マーケットの集団知を象徴するような財布の意識――。そのどれをとっても、世界的な水準にあると私が尊敬してやまない「ナニワのおばちゃん」。彼女たちは安倍内閣が年金問題を打開する真の解を持っていないことにとうに気づいている節があるのですが。

阿部そのとおり、安倍政権はその解は持ち合わせていません。竹中氏や中川秀直氏らが中心となって、安倍政権の経済政策として“上げ潮政策”を唱えました。経済成長によって国民の負担増はある程度カバーできるという非常に楽観的な見方なわけですが、これが政策かと言えば多少疑問符のところがあります。結果的に解になっていないというのが今回の非常に厳しい選挙結果に出ているのではないでしょうか。

また、争点の2番目に挙がった「格差」ですが、この問題は小泉政権から一貫してどんな世界にも格差があるという言い方でやりすごしてきました。実際は2001~02年頃の厳しい金融危機から日本が立ち直る過程で、労働規制の大幅な緩和を法改正で実現しているのです。企業は緊急避難的な措置として、ベースアップを抑えるだけでなく、非正規社員を大量に雇い入れる仕組みを整えました。それが偽装請負などの形で出ているわけですが、そこに生じた格差はあくまで緊急避難的なはずでした。しかし、景気が立ち直った後も緊急避難を解除していない。

当時は、中国やアジアとの競争力を維持するためには、労働条件が多少悪化してもしょうがないといったコンセンサスがありましたが、企業収益が立ち直った今なお、多くの個人には懐が豊かになったという実感がありません。安倍政権はポスターで「成長を実感に」と訴えていますが、実感するためにいったい何をやるかということがはっきりしません。

手嶋いまの日本が抱えている経済、財政上の問題の核心が、これでようやく見えてきた気がします。次回は日本の政治指導部をめぐる意思決定のあり方について「FACTAフォーラム」流の検証を試みたいと思います。

(続く)

内閣改造

FACTAの次号メニューも、改造内閣待ちでしたが、さてね。

一言で言えば、つまらない顔ぶれ。目玉とかそういう意味でなく、魂胆が透けて見えるという意味で。安倍さんの人事の発想の貧困さが如実に現れていると思いました。

細部はこれからなので、詳しい論評は避けますが、これでジリ貧挽回は無理でしょう。



ひやひや2

猛烈な残暑に、東京電力が綱渡りを続けている。

うだるような暑さに空調の使用量があがり、高校野球シーズンが年間の電力需要のピークになるのは常識なのだが、今年は柏原刈羽原発が中越沖地震でストップしている。他電力からかき集めても6250万キロワットの天井に、暑さで届きかねない事態となることは予想できた。

データ改竄で停止中の塩原水力を稼動させ、瞬時調整契約を結んでいる大口需要家には供給を削減するところまで東電が追い込まれたのは、夕刊などで報じられたとおりだ。

どうも泥縄である。クールビズくらいでは、どうにもならないことくらい、事前にわかっていたと思う。

FACTA最新号では原発の「廃炉」リスクの記事は載せたが、天井を突破されてブラックアウト(停電)が起きる可能性については、締め切り日からみて触れないことにした。が、それがアダとなった。当然、なんらかの対策――政府が「非常事態宣言」をするなり、臨時休日などで電力需要を減らすなどの手を打つかもしれないと思ったのだ。

ところが、さにあらず。政府は東電任せ。甘利明経済産業相は、選挙区でお世話になっているせいか、電力会社に甘えているのではないか。内閣改造で留任できるかどうか知らないが、このていたらくでは調査報道の標的かという気になる。

この無策は安倍政権のレームダック化と軌を一にしていると見える。総理も外遊している場合じゃない。停電になったら、ただでさえ株価が不安定なのに、経済にはかなりのダメージを与える。

このブログだってご覧頂けなくる。とたんにあなたも、情報過疎に転落してしまうのですぞ。

ひやひや

読者の皆さん、最新号は届きましたか。自分で言うのもなんだけど、今月はお盆休み後の刊行で、本来なら夏休みの気配が漂うのに、参院選とサブプライムなど激震マターのおかげで、とっても濃い内容になりました。編集はおかげで大変でしたが、ライターの面々もこの記録的な猛暑のなか頑張っていただきました。

でも、実はヒヤヒヤしていたことがあります。今号の売り物――『「防衛省の天皇」解任の裏側』と題した記事で、おそらく週刊誌がやっと追いついたくらいの早さ、月刊誌にしてはやけに速攻と思われたかもしれません。実は先回りスクープが予想より早く的中して、他紙と同着になるかとヒヤヒヤしていたのです。

松葉杖の娘が目の前で行ったりきたりするのもヒヤヒヤするが、かなり早い時期からキャッチしていた市ヶ谷の異変も編集からお届けまでのタイムラグにはヒヤヒヤさせられました。2カ月前にも防衛省出入りの専門商社の疑惑を報じたから、十分な待ち伏せができたのです。

「退任へ」といち早く報じた毎日を追って、産経が首を切った大臣と、首を切られた大物次官が、大立ち回りを演じていると報じた11日には、「今ごろ次官が焦って書かせたのかね」と見ていました。お盆休みのネタ枯れ期で各紙も煽りたて、ついに先週末に痛み分けの決着をみました。

それでも内心、胸をなでおろしました。各紙の防衛省詰め記者がpro守屋にせよanti守屋にせよ、省内抗争に目が行き過ぎて、ことの半面しか見ていないからです。司法記者会詰めの社会部記者との連携の悪さがよく見えました。

まさしく、木を見て、森を見ず、です。

公開中の映画「酔いどれ詩人になるまえに」の原作者、ブコウスキーの文章に、他人の作家が書いた文章を見て、これなら自分は大丈夫、と思うのと似ています。自信過剰?そう思う方はぜひ本誌をお読みください。

9月号の編集後記

FACTA最新号(9月号、8月20日発行)の編集後記を掲載します。



男爵(バロン)エリーの訃報が届いた。90歳、アルプス山麓の狩猟用ロッジで心臓発作に見舞われたという。姓はフランス語でド・ロチルド、英語でロスチャイルド。言わずと知れたユダヤ系財閥の一員、フランスで栄えた分家の4代目である。家業を継いで金融家(フィナンシェール)となったが、その情熱は大戦で荒廃したワイナリー「シャトー・ラフィット」の再興に注がれた。かつてルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人が愛飲したそうで、ボルドーワイン好きなら、必ずや舌鼓を打つメドックの第1級ブランドである。

▼かれこれ12年前になる。エルサレムで男爵と同席した。旧市街の「ダビデの塔」を借り切った豪勢なパーティー、シオンの丘を望む野外のテント……。夏風のそよ吹く日陰で見た彼のシルエットが思い浮かぶ。大きな円卓が幾つもあり、背中合わせで目と鼻の先の貴賓席にいた。隣席の知人が「あれがバロンだ」と囁く。ちらと目をやると、矍鑠(かくしやく)とした老人が談笑していた。「コルディッツの生き残りなのさ」と知人が教えてくれた。

▼1940年、ドイツの電撃侵攻でフランス軍は総崩れとなり、将校だった彼はベルギー国境で捕虜になった。その姓は致命的だ。脱走を図ったが失敗、脱出不能と言われたコルディッツ(映画『大脱走』のモデル)に放り込まれる。彼には幼馴染の恋人がいた。ウィーンのユダヤ系財閥、フールド=シュプリンガー家のリリアンである。エリーは明日をも知れぬ身で収容所から彼女に結婚同意書を送った。42年、リリアンは母の反対を押し切り新郎不在のまま婚姻届を出した。

▼彼がガス室に送られず、生き延びたのは、ナチスに莫大な身代金を払ったからと言われる。ウィトゲンシュタイン家もそうだが、命乞いに資産を差し出して助かったユダヤ人もいたのだ。そんな歴史を聞かされて、エルサレムでは男爵に声をかけそびれた。実はこの席にもう一人のロスチャイルドがいた。ロードの称号を持つ英国分家の嫡男ジェイコブである。「英仏の当主が一緒なんて、戦後初めてじゃないか」と先の知人が言う。

▼2人を観察してみた。会話はおろか、目で挨拶すらしない。といって、避けるでもない微妙な距離。ワインのライバルだからか。英国分家は19世紀に「シャトー・ムートン」を買っている。公式格付けでは2級だったが、エリーの父の肩入れで改良を重ね、73年に奇跡的な1級昇格を果たす。ラフィット対ムートンの見えざる火花、そこにユダヤ人の屈折が透けて見えた。さて、男爵の冥福を祈って、どちらのボトルを開けようか。

120キロの転倒

娘の事故の続報。

16日夕に警察の現場検証なども終わって帰ってきたが、事故の模様を聞いて背筋が寒くなった。

未明の高速道路上の転倒。前の乗用車を追い越そうと、スピードをあげたところ、前の車がなぜかブレーキを踏んだため、バイクが接触、傾いたまま滑走して転倒したらしい。時速120キロと聞いて絶句した。

命に別状がなかったのが不思議なくらいである。

接触した車に巻き込まれたり、路肩に突っ込んだり、後方の車にはねられたりしたら、それで終わりだった。滑走しながら路面との摩擦でスピードが落ちて助かったのか。

幸い、後方の車は避けてくれ、さらに後方から来た車が停車して、発炎筒をたいてくれたという。600ccのバイクは女性の力では動かせない。何人かがかりでバイクを起こして、路肩に移動したという。どこのどなたかは知らないが、感謝申し上げたい。

翌17日、脱いだヘルメットなどの装備が郵送されてきた。ぞっとしたのは、ヘルメットに何箇所も擦過痕があり、摩擦熱で焦げた跡まであることだ。へたをしたら、頭蓋がこういう損傷を受けたのだ。

さらに、膝にパットの入ったドライビングスーツ。ぼろぼろに裂けて見るも無残。膝の皮がむけたくらいで文句は言えない。これがスピードを殺し、命を救ってくれたのだ。いやはや、よくぞ生還した。天命にも感謝したい。

牧野洋「不思議の国のM&A」

この春、日経を辞めた牧野洋君から、独立後の第一作となる本「不思議の国のM&A世界の常識日本の非常識」(日本経済新聞出版社、1700円+税)を贈られた。

せっかくだから、ここで書評をしてみよう。テーマはM&A封じの買収防衛策でガードを固める日本企業の姿勢が、是か非かという今日的なテーマを扱っているからだ。外資脅威論は数々あるが、本書は明らかに日本企業の反応を過剰と見ている。ブルドックソースにTOBを仕掛けた米ファンド、スティール・パートナーズを東京高裁が「濫用的買収者」(グリーンメーラー)と認定するなど、判事まで暴論に走っているなかで、「買収=悪」という偏見に挑んだ本書は貴重な問題提起だと思う。一読をお奨めしたい。

それにしても、こういう主張が新聞紙面でなく、本になって書かれるというのは不思議に思える。

冒頭、いきなり彼の書いたコラムが日本経団連の逆鱗に触れる場面が出てくる。三角合併を骨抜きにしたい経団連に対し、在日米商工会議所や欧州ビジネス協議会が批判声明を出したという記事だが、それが経団連常務理事から苦言を呈されたという。

御手洗経団連が、株主保護をタテに「三角合併」に制限を加えようとしたことは周知の事実である。過剰反応ではないかと私にも思えた。日本企業を買収するのに、キャッシュでなく海外の株をあてることを認める「三角合併」が、言うほど脅威でないのはM&Aをかじった人ならすぐ分かる。

たとえば、シティグループによる日興コーディアル買収はキャッシュだが、日興株買い上げをシティ株で支払うとした場合、いくらにするかの値決めが難しい。内外の制度の違いと、変動する株価のもとで、値決めの妥当性は常に難問である。だから、実質的に「三角合併」は利用されない空文という見方もあるのに、あれだけ財界が騒いだのは経団連の狭量の証明とも言える。それにしても、「民僚」の最たるものである経団連事務方が、露骨に個々の記者に嫌味を言うのには驚く。

むろん、外資恐怖からのM&A“鎖国”は、応分の副作用を伴う。それが海外投資家による日本敬遠、つまりはキャピタル・フライト(資本逃避)である。経団連はそのマイナス面に目を向けない「砂に首を突っ込んだダチョウ」ではないのか。

東証がローカル市場化していく傾向は顕著になっている。陰謀史観は論外だが、その損得を論じない限り、日本の株式会社は持ち合いへ回帰していくばかりに思える。

本書に「甘い」と反論することも含めて、自閉を脱せない日本の資本社会を考えるうえで、本書は貴重な視座を提供していると思う。

牧野君は証券部出身の記者で、私がロンドン、彼がチューリヒ、ニューヨーク駐在時代に一緒に仕事をしたことがある。彼と組んで忘れられないのは、スイスのプライベートバンクの取材や、マイクロソフトのストックオプションが実質的な人件費ではないかという、当時としては画期的な記事(のちエンロン・スキャンダル後の会計改革で人件費扱いとなった)を共同で出稿したことなど、数々ある。

私が日経を離れた後も、彼はウォーレン・バフェットやピーター・ドラッカーなどを直接取材していて、ユニークな編集委員の仕事をしていた。海外赴任が長かったことから、数々のM&Aを取材し、日本と欧米の落差をよく知る経済ジャーナリストの一人である。

午前3時半の電話

16日午前3時半、携帯が鳴った。寝ぼけまなこで出てみると、ピーポー、ピーポーとサイレンの音が聞こえる。救急車の中かららしい。娘の声がして動転した。

「事故った。接触事故。挫創だって。病院に行く途中」

娘はバイク2台を持ち、ときどきツーリングに出かける。先週末には「北海道に行く」といって飛び出した。

どこを走っているのか、時々舞い込む携帯メールでそうとうな強行軍となっていることがわかり、ハラハラしていた。

スケジュールが無茶だった。北海道へ上陸するのに手間取り、16日には仕事が待っている。函館から青森のフェリーに乗り、ノンストップで陸上を南下した。熱気と渋滞で福島まで来たところで眠気に襲われ、ビジネスホテルに泊まって仮眠、16日未明に宇都宮近辺まで来て、接触事故を起こして転倒したという。

幸い、骨折はなかった。600ccの大型だから、膝の横がずるっとむけて縫ったらしい。そのまま栃木の病院で夜明けを待ち、警察の現場検証に付き合っているらしい。接触した車は逃げたという。

こちらもまんじりともしない。

病院に飛んでいこうかと思ったが、友人が迎えにくるからということで、家で待つことにした。声が元気そうなのが救いだが、しばらくは松葉杖だそうだ。

とんだお盆になった。

タルコフスキー5――「雪が降るまえに」

お盆休暇の神保町はさすがにがらんとしている。夏の日差しが眩しい。ふと、本屋でまったく季節はずれのタイトルの詩集を見つけた。「雪が降るまえに」。雑誌稼業で詩などに心ひかれることはめったにないのだが、作者の名前にはっとした。A・タルコフスキーとある。

このブログを描き始めたころ、ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの取材談をツィクルス(連作)にして載せたことがある。詩集は彼の父、アルセーニー・タルコフスキーのものだ。

我が家にも、キリル文字の原文とフランス語の対訳がついた彼の詩集がある。もう15年以上前、末期のソ連で入手した。私はロシア語を知らないから、フランス語と知人の試訳で断片的に読んだ。

日本ではほぼ無名と思っていたが、邦訳詩集がこの6月末に出版されていたとは知らなかった。心ひそかに喝采を送りたい。

私が彼の詩に関心を抱いたのは、90年にアンドレイの足跡の取材に冬のロシアに行ったからだ。息子の自伝的映画「鏡」の中に、アルセーニーの詩を朗読するシーンがあった。息子に乞われて詩人本人がナレーターとして朗読している。

その声調といい、字幕で見た言葉といい、いい詩だと思えた。無味乾燥なスターリニズムのもとで、なおこういう詩を書く人がいたとは驚きだった。

生涯二度結婚した息子は86年にガンで客死、三度結婚した父親は遅れて89年に死んでいる。映画で朗読した詩は、かつての恋人との逢瀬を歌ったもので、自分の母親以前に愛した女性(マリーア・ファーリツ。アルセーニーと別れ、別の男と結婚するが、32年に結核で死亡。同年、アンドレイが生まれる)への思いが忘れられない父の詩を、映画で朗読させた息子の思いは複雑である。

この詩集にもその詩が載っている。「はじめの頃の逢瀬」。ブログに試訳を載せたが、この詩集の坂庭淳史訳は



夜が来ると、僕に慈悲が

与えられた。至聖所の扉が

うち開かれ、闇にまばゆく輝き

ゆるやかにもたれてきた裸身。

それから目を覚まし、「君に祝福あれ!」

そういって僕は知ったものだ、不遜なのだ、

僕の祝福の言葉など。君は眠っていた、

その瞼に宇宙の青で触れようと

君のもとへライラックがテーブルから身を伸ばした、

青に触れられた瞼は

安らかで、手があたたかだった。



だが、詩の最後でこの至福は破られる。剃刀を持った狂人のように運命に裂かれる。それが粛清と戦乱の時代の比喩なのか、それとも実らぬ恋の比喩なのかは分からない。

訳者は30代半ばとおぼしいが、詩人の娘マリーナ・タルコフスカヤ(現在は70代)と親しくなったらしい。羨ましいことだ。ロシアもすこしはいい国になったのだ。

私が取材した時代の旧ソ連は暗かった。そこまでの接近は許されず、会えたアンドレイの旧友たちも、生活苦におびえた顔つきだった。

それでも、アンドレイが生まれたユリエベツ近郊の村までは行ってみた。ボルガ川上流だが、村は水没していて、一面の氷の下にあったことが忘れられない。

いつか夏にもう一度行って、教会の尖塔が沈んでいる川面を透かし見るのが私の夢である。