EDITOR BLOG
たまには心を洗われる話題
連日、ソニーと応酬していると気分が暗くなる。クリスマスも近いし、きょうくらい気分を変えよう。
FACTA最新号の追悼録「ひとつの人生」は、漢字学者の白川静先生である。
生前の先生に親昵していた編集者、西川照子さん(エディシオン・アルシーヴ主宰)にご寄稿いただいたが、悼むということがどれほどの深い悲しみと温かさを要するかを示す、出色のObituaryだと思う。いかなる新聞や雑誌の追悼記も書けなかった内容で、先生の人柄と学問をまざまざと示す名文だった。
本誌を手にとられた方はぜひご一読を。
西川さんは親族以外では、ただひとり先生のお骨を拾った人だそうである。白川先生の本を数多く出版した平凡社の下中直人社長にご紹介いただいた。心よりお礼を申し上げたい。
先週16日には白川先生の四十九日の法要が行われ、先生の長女である津崎史さんほか、参会したご親族の方々に西川さんから弊誌のコピーが配られた。ご遺族の方々にも喜んでいただいたそうで、FACTAにとってこれほどの名誉はない。
私は「説文新義」以来私淑していた門外漢にすぎないが、偉人の供養に誌面を捧げることができて、編集者冥利に尽きる。先生の浩瀚な研究が世々末代まで読まれることを望みたい。
(注)誤字修正で23日18時50分改版
もういちど「ソニー病」4――屁のつっぱり
弱った魚は目で分かる。ソニーは非接触型ICカード「フェリカ(FeliCa)」のセキュリティについて、コメントを発表した。
感想の1/なんだか弱々しい否定である。弊誌はもちろん掲載前にソニーに取材し、彼らの言い分も載せている。だからなのか、わが社には何の反論も来ていない。
感想の2/このコメントは日経プレスリリースで読めるが、ソニーグループのサイトの「プレスリリース」の項ではなぜか見当たらない。新聞社用で、他には見せたくないコメントなのでしょうか。ここらも何だか姑息。
さて、「ケータイWatch」のサイトでも弊誌報道に対するソニーの否定談話が載った。こちらは「FACTA」の名すら出していないし、弊誌に電話さえしない一方的なものだが、独立行政法人「情報処理推進機構」(IPA)の談話を載せている。
フェリカの暗号が破られたという情報が持ち込まれたとする弊誌報道に「持ち込まれたのは事実。ただ、IPAはソフトの脆弱性は受け付けているが、ハードについては対応する権限、および検証能力がない」などとわけのわからないことを言っている。「半分事実で半分事実無根」とはあきれて口がきけない。半分無責任、とでも言ったほうがいい。
こういうノーテンキな方々が仮想貨幣である「電子マネー」を扱っていることの恐ろしさをFACTAは指摘したのだ。いずれ抜き差しならなくなりますよ。そこまで四の五の言うなら、さりげなくグサッといきましょう。
11月、ソニーの子会社、フェリカネットワークスはNTTから個人情報流出の警告を受けたという。サービス事業者が行うフェリカ申請時のデータやセミナー参加者、月々の請求書などの情報が流出したからだ。この3月までフェリカネットワークスに在籍していた派遣社員が会社のデータを持ち帰って自宅で作業したのが原因。自宅のPCがウィルスに感染し、ファイル交換ソフトを通じて流出したものである。
フェリカネットワークスの担当者は、情報が漏れてしまった関連事業者を回って事情を説明している。だが、マスメディアにはまだこの流出を公表していない。流出内容および範囲が判明しているからというのは理由にならない。情報が漏洩したサービス事業者に不利益になることを恐れているのだろう。
幸いなことに、最も重要な「リソース定義ブック」と呼ばれるデータ(チップの定義書)や鍵情報は流出しておらず、セキュリティー上すぐ問題が発生する状況ではないとはいえ、フェリカご自慢のセキュリティとはこの程度のものでしかなく、絶対安全と言い張るのは屁のつっぱりに過ぎない。
一事が万事。ソニーのコメントの“弱気”は、後ろめたいからではないのか。この漏洩、いったいいつ発表するの?
もういちど「ソニー病」3――太鼓もちメディア
ITMediaはソニーの太鼓もちかね。
12月20日20時28分配信の「Felicaの暗号が破られた?――ソニーは完全否定」という記事を書いた記者は、ソニーの言い分を鵜呑みにしただけである。
当方には電話で数分聞くだけの手抜きで、それでもって記事をすぐ書いてしまう厚顔無恥が信じられない。メディアがメディアに取材して、「本当ですか?」とか、「ソニーは否定していますが」とか聞いてどうするのかね。愚問である。こういうのを御用聞き記者という。魂胆が透けて見えるから、こちらも手の内は明かさない。それだけのことだ。
ITMediaは単に、FACTAへの取材に失敗しただけなのだ。「客観的に見て、説得力に欠ける内容になっていることは否めない」と評しておられるが、冷たくあしらわれた腹いせですかね。
追っかけ取材の礼儀を教えてあげましょう。まず、自分独自のソースを持ちなさい。電話取材ですまそうなんて甘い。誰もほんとのことなんか言いやしない。この記事はソニーの広報とFACTAに電話をかけただけで、ベンダーや暗号の専門家、felicaのユーザーに取材した形跡がない。
かわいそうなものだ。3分の1はFACTAの記事の引用、3分の1はソニー広報の言い分の引用、最後はご自分の判断とFACTAのコメントである。かろうじて体裁を整えているだけで、足弱記者の典型と言っていい。引用とまた聞きだけで一丁あがりなのだ。
ひとつだけ、お尋ねする。共通カギと公開カギって分かってますか。暗号のイロハですよ。
記事は情報源の秘匿などさまざまな配慮から、取材した事実をすべて書くわけではない。キンシャサでジョージ・フォアマンと戦ったモハメド・アリのように、ロープを背に「来い来い」と誘う戦法でもあります。書くのは5-6割、残りは第2弾用に温存、というのが調査報道の鉄則なのだ。
それも知らないのは、ITMediaが実地の調査報道取材をしていないからである。FACTAは、電話と検索で安易にニュースをこしらえるメディアのアンチテーゼをめざしている。だから、誰が情報提供者かと、鵜の目鷹の目のソニーにスキを見せるつもりはない。
真実を追究する資質と経験がない人には何を言っても無駄である。
もういちど「ソニー病」2――自覚なきデファクト
このFACTAオンラインへのアクセスが急増している。日興コーディアルとソニーの「フェリカ」のトピックスが原因のようだ。1年前を思い出す。あのときは想定外のアクセスが殺到して、サーバーが落ちてしまったが、さすがに今度は大丈夫だった。
雑誌最新号も届くころだし、ソニーの「フェリカ」論を本格的に書いていこう。
*****
改札口でチョキチョキと鋏を鳴らす光景が消えてから久しい。JR東日本管内の改札口で、「スイカ」カードをぽんと置いてすっと通る――だれも不思議とは思わない。だが、あれが可能になるには、カードを認識し、残高を差し引くなど複数の作業を極めて短時間で行えなければならない。でないと、たちまち改札口で渋滞する。
それを可能にしたのは、ソニーの非接触型IC技術「フェリカ」である。が、世界を見渡せば、唯一というわけではない。非接触型IC技術にはタイプA、タイプB、タイプCとあってフェリカはタイプCなのだ。
それが電子マネーの「エディ」、さらにNTTドコモの「iD」などお財布ケータイに採用されたのは、ひとえにスイカの成功にあったと言える。JRの厳しい要求に耐えた技術なら大丈夫、という安心感が、これらさまざまな形態の電子マネーの「デファクト・スタンダード」(事実上の標準)としてフェリカが広がるきっかけになったと思える。
しかし、電子マネーという「貨幣」は「デファクト」でいいのだろうか。ここでいうデファクトとは、国家や中央銀行などの信用力の裏づけのある「標準」でなく、単に市場占有率の大きさで寡占により「標準」視されるにいたったものを言う。紙幣や旅券、政府管掌の規格などは前者であり、OS(基本ソフト)のウインドウズなどは後者だろう。
デファクトはあくまでも市場競争の結果だが、それが寡占によって社会のインフラ化した場合、マイクロソフトのように企業分割か、「標準」を維持するための負担に耐えるかの岐路にさらされることになる。マイクロソフトは反トラスト法を逃れ、デファクト維持を選んだ。それはこのガリバー企業に応分の負担を強いたのだ。
ウイルスやマルウエアの氾濫を放置できず、OSへの侵入や感染を防ぐため、「ビスタ」の開発に膨大な投資と人員と時間を割いた。リナックスのような集合知による改良でなく、高収益を維持するための囲い込み(ブラックボックス化)の改良である。いい教訓だろう。「デファクト」とはそういう歪みをもたらすのだ。
翻って「電子マネー」の規格もまた、ソニーのようにデファクトをめざすなら、応分の負担に耐えねばならない。フェリカの暗号が破られ、事実上の偽マネーの温床になることが証明されたら、それを防ぐための投資と人員と時間を割かねばならない。精巧な偽札が出回ったら、それを上回る精巧なすかしや印刷技術で対抗するのと同じである。
その永遠とも言えるイタチゴッコは、友人手嶋龍一氏の「ウルトラ・ダラー」取材のお手伝いをしていて、一端をうかがい見た経験がある。紙幣や貨幣の偽造は、国家の信用を損ない、社会を混乱させるという意味から、どこでも重罪視されている。北朝鮮の精巧な偽ドル紙幣が米国の安全保障を損なうものと重大視され、05年9月にマカオの銀行などその窓口の預金凍結で平壌を追い詰めたのは周知のことである。
ソニーにそれだけの覚悟があったとは思えない。「デファクト」のシェア拡大の一面だけ見ていて(収益は度外視していたが)、自ら「マネー」の発券業務を担っていることなど考えていなかったのだろう。フェリカの暗号が破られ、香港や中国のマフィアの餌食になる可能性の高い電子マネーに、自ら警告を出しもせず、回収さえしないのは、それ自体が罪ではないのか。
日興コーディアル“粉飾”暴露の殊勲
18日晩は、六本木のエーライフでデメ研(デジタルメディア研究会)の忘年会と、小生の出版記念会を兼ねてパーティーが開かれました。師走の忙しいなか、出席していただいた方々に改めて御礼申し上げます。
お祝いに、ポルトガル語の歌2曲と山口百恵の歌一曲というメニューで、素敵な歌をご披露してくださった槇さん、美恵子さん、伴奏の梶原さんに心よりお礼申し上げます。
会場にはさまざまな方がお見えになりました。日経時代の社会部の先輩、石田久雄さんとも久しぶりに再会、風格のある髭を生やしていました。
出席できない代わりに、とお祝いの品をいただいた方々には恐縮のほかありません。ほかにもお顔をお見かけしながら、十分にお話できなかった方々にお詫び申し上げます。
余人は知らず、私にとっては忘れられない一夜になりました。
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さて、昨日の午後は日興コーディアルが子会社をつかった決算操作でもちきり。証券監視委員会がようやく課徴金5億円の処分に踏み切り、日興は有価証券報告書の訂正と役員報酬カットに追い込まれた。
粉飾もこれだけ大掛かりになると、やはり刑事告発が筋ではなかったか。地検に行かず、証券監視委どまりとなったところに限界が見える。FACTAは12月号(06年11月20日発売)で「内部メモが明かす『ベル24』疑惑の主役」を載せたが、これは監視委の動きを察知したためだ。
しかし、このニュースの功績の第一は、日経、選択で一緒に仕事をしたことのあるフリーランス記者の町田徹君だろう。彼が「月刊現代」で抜いた完璧なスクープからおよそ1年。まだFACTAが創刊していないころだが、2月には国会でも質問された。ようやく日興が白旗を掲げたのだ。電話して「おめでとう」と言った。実を結んだのは喜ばしい限りである。
ソニーの話は1回ずらそう。読者の一部にはすでに1月号(12月20日発行)がお手元に届いているだろうから、詳細は「企業スキャン――ソニー」をご覧ください。ブログではそこから先の話を書いていきたい。
もういちど「ソニー病」1――1年たってもビョーキ
このブログ「最後から2番目の真実」がスタートからもう1年たった。
忘れもしない。05年12月、ソニーのウォークマン「Aシリーズ」のお粗末と、ソニーBMGのCDスパイウェア事件から始まったのだ。爆発的なアクセス数で、サーバーの容量を超過、数日で落ちかけるという事態になり、正直、背筋が寒くなった。
別にソニー専門ブログをめざしたわけではなかったのだが、1カ月ほどはその続報で次々と埋めていった。でも、自分でやってみてブログという負荷がかえって自分を縛ることに気づいた。ソニー批判専門と見られては困るので、かえってソニーを扱いにくくなったのである。
さて、そこで1年ぶりにソニーのトピックスに舞い戻ってみようかと思う。
とにかく見て見ぬふりをしてからも、ソニーはお騒がせだった。サッカーW杯もあってサムソンと合弁の液晶テレビ「ブラビア」が売れたのはいいが、ソニー製リチウム電池を装備したデルのPCが炎上し、少なめに見積もっていた処理費用も、時を追うにつれて膨らんだ。さんざん発売を遅らせたPS3の値段を急に下げたり、デバイスが間に合わずに海外発売を遅らせたり、などのジグザグ路線。次世代DVDブルーレイも再生だけで録画機能がないなど、トホホのニュースばかりである。
しかし、FACTAが次号(12月20日発売)で取り上げるソニーの「企業スキャン」は、これまで言われてきた「致命傷」とは別のアングルである。すでに9月号で警告を発していたが、あの記事がヒントである。
私個人は取材に参加しなかったが、取材陣は苦労させられたようである。一段とかたくなになり、正直ではなくなっている。これはリスク管理の破綻を意味する。1年の時間があったにもかかわらず、企業としては病篤しである。
少しずつ書いていこう。
しらふのテレビ出演
土曜はBS朝日に呼ばれて、年末放映の「ニュースにだまされるな!」という討論番組の収録に参加した。
司会は遥洋子さんというタレント兼作家。その相方は慶応大学の金子勝教授。あとは立教大学のアンドリュー・デウィット教授、経済ジャーナリストの萩原博子、法政大学の杉田敦教授、東京大学の石田英敬教授という顔ぶれで、ちょっと小生は場違いかなという感じでした。
とにかく新聞の社説を気にしているのには驚いた。私も論説委員で書いていたことがあるが、大蔵省の役人がしきりと気にするので驚いた経験がある。「どうせ誰も読んでやしないんだから」と当時の大蔵次官に言ったら、「いや、とんでもない。政治家と役人は読んでいる」と反論されたことがあった。
なるほど、霞が関と永田町のためのコラムか。でも、実はアカデミアも数少ない読者だったらしい。もっと読むものはほかにもありそうなものだが。
現に自分が記者だったころは、自紙の社説なんて読んでいなかった。安楽椅子に座ったきりのご隠居さんのように、取材もしないで審議会の資料だけで社論を書くなんて、記者の風上にもおけないと思っていたからだ。が、そのバチがあたって、自分が書かされる羽目になって、さあ、困った。あんな空しい作業はない。
論とは自らを明らかにすること、「述志」だと思う。だが、社説は自らを殺さなければならない。記事なら事実報道という救いがあるが、論ではまるっきり救いがない。ジキルとハイドみたいな気持になる。金子教授が各紙の社説を「これはひどい」と難ずるのを聞いていて、苦笑するほかなかった。
身すぎ世すぎ。どうせ本気じゃないのだから、無視するに限る。社説への墓碑銘は――。
旅人よ、黙して通りすぎよ。それがせめてもの憐憫なり。
さて番組はCMを入れて3時間も放映するという。一挙収録だったので途中でビールが飲みたくなった。12月30、31日放送ですが、ま、手馴れた手嶋氏のようにはいかない。
しらふでお喋りってほんとに難しいな。TBSのときのように、ほんのり赤い顔で喋ったほうがよかったかも。
12月18日に「有らざらん」出版記念パーティ
ときどき聞かれます。「『有らざらん壱』は本屋に置いていないのですか」と。
大手出版取次を通していないので、「アマゾン」にアクセスしてご購入していただくのが早道です。
また、「オンブック」のサイトでも他の書籍とともに紹介されていますので、こちらもご覧ください(アマゾンへもリンクしています)。
さて、忙しさにとり紛れているうちにもう年の瀬。忘年会シーズンだが、オンブックとデジタルメディア研究会(デメ研)の忘年会に便乗して、出版記念パーティも一緒にやらせてもらうことにしました。
もし、じかに本を買いたい、とか、筆者がどんな顔をしているか見てみたい、という奇特な人がいらしたら、ぜひどうぞ。ディスコ・フロアごとカラオケボックスみたいに貸している広い会場なので、「有らざらん」も含めたオンブック刊行本の販売コーナーもできると思います。
日時場所は以下の通り(「デメ研のお知らせ」参照)。
★日時12月18日(月)午後6時30分
★場所六本木エーライフ1階
地図(六本木通り沿い、ヒルズの向かい側を少し西麻布よりに行く)
★会費6000円
★特別出演槇さん+美惠子さん
(本の装丁に協力いただいた槙さんとお友達の美惠子さんが、プロのギタリストの伴奏つきでお祝いの歌――ポルトガルのファドとブラジルの歌を歌ってくださいます)
忙しい歳末ですが、お時間がありましたらどうぞ。デメ研ファンの若い人々の熱気をご堪能ください。
インタビュー:池田信夫氏(5)電話代はタダになる
池田信夫氏のインタビューの最終回を掲載します。ムーアの法則に逆らう「ボッタクリ」が携帯電話料金の本質。その手品が通用しなくなったとき、通信キャリアの利益構造はがたがたになります。すでに海外では、料金の高止まりを突き崩すFONのような企業が登場してきました。
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阿部携帯電話で言えば、ソフトバンクモバイルの「0円」広告に不当表示だという批判が集中しましたが、そもそも業界全体の料金体系に問題があります。
端末を買うときに1円にして、あとから料金に上乗するため、長く使えば使うほど損するようになっている。すでに総務省もインセンティブはやめるよう言っています。やはり、携帯電話の料金もぼったくりに近いですか。
池田そうでなければ1兆円もの利益は出ないでしょう。ソフトバンクモバイルの「0円」キャンペーンのやり方がいいとは思いませんが、彼らがいままでのビジネスモデルを変えようとしていることは確かです。
キャリアにとってインセンティブの負担はかなりきつくなってきています。最初に契約してもらうためには払う意味がありますが、買い替えのときに払うメリットはないですから。日本の流通業にありがちな販売店との馴れ合いのなかでずるずると続いている。ソフトバンクモバイルはそれを断ち切ろうとしているんでしょう。
阿部総務省の報告書に、SIMロック解除に向けた一文がありました(参照:IP化の進展に対応した競争ルールの在り方について)。
池田やめることが望ましいということは書いてありましたが、直接的に規制するのは難しいでしょう。SIMカードだけを売っているヨーロッパでも全面的な規制はしていません。ただし、キャリア間の競争を阻害していることは常識ですから、それを総務省がどこまで強く言ってくるかでしょう。
いっそのこと、ソフトバンクモバイルがSIMロックをやめて端末とSIMカードを別売りにして、端末のほうはメーカーの自由にさせたらいいんです。そうすれば、インセンティブはいらなくなるので、そのぶん料金も毎月3000円ぐらい下げられるし、世界中からブラックベリーやノキアの端末が入ってきて、ドコモやauの何倍ものバラエティが揃う。そういうグローバルなビジネスモデルで、インセンティブの負担に苦しむ在来キャリアを攻撃すれば面白くなる。
阿部通信コストがどんどん下がってきて、それに利用者が気づき始めたとき、通信事業者のビジネスはどうなっていくとお考えですか。
池田固定電話のサービスはすべてSkypeのようなIP電話になるでしょう。すると、電話料金が取れなくなってくる。
携帯電話も各所に張り巡らされた無線LANからIP電話を使えばタダになります。すでにPDAにはSkypeが入った機種が出てきていますから、携帯電話にも対応した端末がでてくれば、料金もゼロに近づく可能性があります。
最近、GoogleやSkypeなどが出資しているスペインのFONという会社が話題になっていますが、FONは個人が所有する無線LANのアクセスポイントを開放し、世界中で共有しようというサービスです。端末にあらかじめFONが提供するソフトをインストールしておけば、FONをサポートしている基地局をどこでも使えるようになります。
似たようなサービスは以前からありましたが、FONが恐れられているのは、FONをサポートした無線LANの基地局をただで配り始めているからです。こういった動きがどこまで広がるか注目しています。
ITの業界というのは、1年先がどうなるかはほとんど分かりませんが、10年先にどうなるかというのは分かるんです。固定電話も携帯電話も10年先には事実上タダになるでしょう。どういう経緯をたどって行くかは分かりませんが、タダになることは間違いありません。
(完:5/5)
インタビュー:池田信夫氏(4)時代錯誤のNGN
池田信夫氏のインタビューの第4回を掲載します。今回は「次世代ネットワーキング」がテーマ。この12月からNTTの実験サービスが始まりますが、まだ世間では9月から頻発するひかり電話の不通(輻輳)と裏腹の問題であることが理解されていない。電話交換機にあたる部分をすべてSIPサーバと呼ばれるコンピューターに切り替えようとしているのですが、池田氏はそこに隠された矛盾を突いています。
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阿部現時点での限界はあるにしても、全体的にはIPの方向へシフトしています。当然、そこではネットワーク・インフラが重要になってきますが、ここに大きな問題がある。
11月号で、NTTで起きたIP電話の不通問題を調べたときに、ネットワークのルーターにあたるNEC製のSIPサーバに原因があったことが分かりました。専門家に言わせると、NGN(次世代ネットワーク)の中心的なシステムを担えるのはシスコシステムズしかないという。実は子会社のNTTドコモは内部をIP化するのに、シスコシステムズを使い始めています。非常に残念ですが、国産では駄目だと。
NGNを取材していて感じたのは、NTTには電話交換機(PBX)技術の意識が残っていて、IPに発想がついていってないのではないか、ということです。旧態依然たる電話交換機意識を持ったままNGNができるのかと不安になりました。
池田NGNの問題は、NTTの考えている全体像がよく見えないことにあります。最初にNGNの話が出てきたときに、SIPでNGNを管理するという発想にみんな驚いた。普通、SIPといえばIP電話の通信制御プロトコルとして用いられるものですから、それで映像から何から全部管理するというのには正直驚きました(※編集部注:この段落の記述に一部誤りがありましたので、該当部分を削除しました。お詫び申し上げます)。
これは非常に電話屋的な発想なんですね。常に1対1でセッションを張って、回線交換に似たセンスで通信させたいんです。NTTは品質保証を重視しますから、インターネットのように届くか届かないかわからないというのは大嫌いで、きちっとセッションを張って届くことを確認してから送ろうと思うんでしょうね。それで、その対価として一定の高い値段をいただきましょうとなる。
もちろん、そういう品質保証への需要はありますし、大切なことだとは思います。しかし、企業などは別にして、多くの人は今のいいかげんなインターネットでも問題なくやっているわけです。
NTTがNGNでやろうとしているのは、ハガキを全部(確実に届く)書留にしましょうというようなものです。その書留がいまのハガキよりも安くなればユーザは喜びますが、どうなるんでしょうか。NGNの計画をみると、技術的なことばかり書いてあって、肝心の料金が示されていない。
光ファイバーになって大きなコンテンツが流れるようになれば、ユーザがインフラにお金を沢山払ってくれると思っているのかもしれませんが、残念ながらいまの技術革新はその方向へは向かっていないと思います。
ムーアの法則では18か月で半導体のコストが2分の1になるとされていますが、1960年頃に集積回路が発明されてから約40年を計算すると、価格はおよそ1億分の1になっている。これは、実際に実証研究でも証明されています。つまり1回の計算にかかるコストが40年間で1億分の1になったのです。コンピューターの世界ではそれだけ技術革新が早い。
ところが通信料金は、この40年で100分の1にもなっていない。物理的なコストを考えても、もっと下がる余地が大きいはずです。
通信事業者の方には気の毒ですが、いまの通信料金というのは明らかに本来のコストよりも高いんです。Skypeを見ると分かるように、インターネット上の音声通話のデータ量など微々たるものなんです。その何倍もパケットを使う映像はタダで見ているのに、音声通話に毎月何千円も払っている。いままでの不当に高い料金に慣れてしまって、ユーザは騙されていることに気づいていない。
こんなぼったくりサービスが終わるのは時間の問題ですから、その前に新しいビジネスを考える必要がある。それなのに、NGNは「高品質・高価格」のサービスを提供しようというISDNの発想に似ている。ビジネスとしての採算性を考えないで、技術的な検証だけをやるのは危険です。
(4/5:つづく)
FACTA、ヤフーと提携し記事提供――権力ほど面白い娯楽はない
FACTAは国内最大のポータルサイト「ヤフー」と提携し、本誌掲載の最新政治記事の一部を提供することになりました。12月7日からヤフーの「みんなの政治」に掲載が始まり、誰でも無料でご覧になることができます。
FACTAは「プリントとウェブの二刀流」のメディアとして、月刊の雑誌媒体と、インターネットの「FACTAオンライン」の両方で、もっとも高度なジャーナリズムを追求しています。
創刊以来、経済や政治、外交などで新聞をも出し抜くスクープを連発したため、FACTAは大手ポータルサイトからも注目を集めました。徹底した取材力と着眼はネットのコンテンツとして有望と見られたのでしょう。
何社から記事提供の打診を受けましたが、最大手のヤフーは、もっともプロ的な知識を要する政治記事の開拓に力を入れており、その熱意に共鳴を覚えました。
ネット利用層の中心である若い世代に対し、芸能やスポーツ、ITなどの話題を提供するのは誰でも考えつきます。でも、オッさんぽくて、とっつきにくい政治が、意外に面白いことは、小泉劇場で証明されました。しかし政治という権力闘争は、テレビなどの画像メディアでは追いきれません。そこで深く深く掘り下げて、政界と官界を震撼させる政治記事を満載しているFACTAに白羽の矢が立ったというわけです。
権力ほど面白いエンタテインメントはない。精神の格闘技として政治のアリーナは最高です。スターあり、悪役あり、喜劇あり、悲劇あり。若い世代にも堪能してほしい。
そういう思いをこめて、一部記事(全部をお読みになりたいならやはりご購読をお願いします)を提供します。味をしめた方々には、どんどん奥義を紹介しましょう。
とりあえず、12月号からは以下を掲載します。
間違いだらけの「チーム安倍」
あだ名は「インテリ長官」塩崎官房長官は力不足か
大田弘子経済財政担当相が参院選に出馬か
※FACTA onlineでも同じ記事をフリー公開しています。
インタビュー:池田信夫氏(3)通信と放送の未来
池田信夫氏のインタビュー第3回を掲載します。今回は空洞化しているテレビ局に、放送と通信の融合なんて語る資格も力もなくなってきたと、1対多の放送と、多対多の通信がどう仕切りわけすべきかをうかがいました。
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阿部ライブドアや楽天が放送局を買収してまで欲しかったのは、放送局そのものではなくその利権です。通信と放送の融合をM&Aで乗り越えようとしたわけですが、一連の騒動をどうご覧になりましたか。
池田正直何がやりたいのか分からなかった。仮にライブドアがフジテレビの買収に成功しても、それを使って何をしたいのかが見えてきませんでした。
ただ、制作プロダクションの中には、ライブドアがニッポン放送買収を仕掛けたときに非常に期待した人もいたようです。今の制作プロダクションは完全に放送局の下請けで、番組を再利用する権限も全て放送局に握られている。下請けから脱し、独自の制作や編成を行うことが悲願なんです。もしライブドアがフジテレビを買収して、インターネットで自分たちのコンテンツを出せるような方向になれば、状況が変わるのではと思ったようです。
阿部テレビ局のプロダクションへの外注率は8割近くに達していると聞きます。それはテレビ局に新しいコンテンツを作り出す能力がなくなってきていることの表れではありませんか。
池田ますますなくなってきてますね。ある意味でライブドアが仕掛けた騒ぎが逆に効いちゃった。それまでのテレビ局はよくも悪くものんびりと各社横並びでやってきた。この時間帯はバラエティ、このアンテナはドラマというようにバランスを取っていた。
でも、最近は経営陣への時価総額に対するプレッシャーが強くなって、考え方が変わってきた。目標の視聴率を狙いながらもコストはなるべく下げるようになって、以前のような編成上のバランスは二の次になった。
例えば6時台のアニメは視聴率が取れないからほとんどなくなったし、ドラマのような作品性の高いものは敬遠される。すると結局、バラエティやワイドショーなど、低コストで漫然と長時間見られる番組ばかりになる。私自身あまりテレビを見ないから分かりませんが、民放のテレビがますます低俗になっていることを嘆く人は多いです。
阿部バラエティ番組はタレントたちの楽屋落ちみたいな話ばかりで、見ているほうも楽しくないだろうなと思います。資本力の圧力によって、かえって番組の質が低下してしまったのは皮肉としか言えません。
放送がいずれ通信の一部として融合され、今のような産業としては成り立たなくなると、通信(放送)の形態はどうなっていきますか。
池田ニュースやスポーツのように一度に何百万人が見るものや、災害情報などリアルタイム性が必要とされるものは、1対多の通信としてずっと残るでしょう。
一方、放送局側が録画して作ったものを視聴者がリアルタイムで見る必要はないわけです。例えば、NHKの番組の約90%は録画です。長期的に見れば、番組も本や雑誌と同じように、欲しいときに取りに行くオンデマンドが当たり前になる。そうなれば通信と放送を区別することに意味がなくなります。
阿部おっしゃることは分かります。しかし、いまのインフラ状況では難しくありませんか。
池田問題がないわけではありません。映像は他のメディアに比べ帯域の消費が大きいので、簡単にはいかないでしょう。
いまのテレビ画質の映像をオンデマンドで見るには、DSL(電話線を使った高速デジタルデータ通信)では難しいし、何百万人が一斉にオンデマンドで接続しても耐えられるサーバはありません。パイプの部分は光ファイバーになれば何とかなりますが、サーバがボトルネックになってしまう。
また、事業者側から見ても、IPを使って快適な映像配信サービスを行うには、利用者数に比例した設備増強が必要でコストの負担が重い。事業者曰く、テキスト主体のサービスとはコスト構造が異なるのだそうです。USENの「GyaO」がインフラコストに苦しんでいることがその証左でしょう。
仮に今後もムーアの法則どおりに半導体技術が進歩しても、日本全国の視聴者がオンデマンドで映像を見られるようになるまでは、5年から10年は掛かるかもしれません。
阿部海外の動きはどうですか。
池田いわゆるIPを使った映像配信にはオンデマンドの他にも2つ方法があります。
1つは従来からあるダウンロードですが、これはiPodの登場で一気にコンテンツが増えた。米国ではドラマなどをiPodに入れて持ち歩くことが当たり前になりつつあります。
もう一つがIPマルチキャストという方法です。これはインフラはIPを使うのですが、実体はケーブルテレビと同じ1対多の通信です。配信側は一度流せば全員に届くので、オンデマンドに比べてはるかにサーバ負荷が軽い。回線もDSLで可能で、料金もケーブルと同程度かそれ以下でできるでしょう。
世界的に見るとIPTV(IP経由のテレビ向け映像配信)はだいたいマルチキャスト方式です。この前、米国とイタリアのサービスをいくつか見てきましたが、マルチキャスト方式をメインにして、必要に応じてオンデマンドとダウンロードを併用しているパターンが多い。しばらくは、その3つを組み合わせたサービスが主流になるでしょう。
(3/5:つづく)
畏友からの「有らざらん」評
大学時代の友人から手紙が届いた。「有らざらん」を評していただいた。私信だが、心励まされたので、ここに載せる。お世辞ぬきに、いい文章だと思う。
*****
今朝、「有らざらん壱」を拝読。二晩で読んだ。あるいは読まされたと言うべきか
長い仕事だね
小生はレイシズムは皮相しか分からないけど、それに額付きそのよだれを舐め回る島国の奴隷根性の人種は多少なりとも知っている。
三枝もだけど、天心や熊楠や漱石の眼力胆力を忘れた日本人のその陰画のような所に幕末の維新後のチェンバレンやロチなどひかれたのかしら
屈折もイロニーもなくした
この国の言論は
「有らざらん」というより
「今ひとたびの」という想いすら
抱かせてくれない
人の心は大いなるまさかりのような振子の
ごとく揺れ大いなる悲しみの河を
どんぶり流転してゆくのだという
想いだけが小生にはあります
一昨日、某エッセイに、こう書いたよ
至れり尽せりの支援より、人をぺしゃんこ
にさせる試練が、時に本物の人を育てる
希望はないよりあった方がいい。
だが希望のぬるま湯に、慢心と保身の
ボウフラが湧くことだってある。私はもの
作りは、絶望を友とすべきだと
いつも自分に云い聞かせている
自分のことばかり書いたが
久しぶりにこういう手紙を書いて嬉し
かった
ご多忙なれどご自愛祈る
インタビュー:池田信夫氏(2)「第2東京タワー」は全くムダ
昨日に引き続き、経済学者の池田信夫氏のインタビューを掲載します。
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阿部池田さんが著書「電波利権」でも書かれているように、田中角栄時代以降、電波は稀少性のある資源として国家が分配してきたましたが、政治の恣意が絡みおかしな配分になっています。現在、総務省では電波再配分の議論がされていますが、その動きをどうご覧になっていますか。
池田問題になっているのは、NHKを8チャンネルから5チャンネルに減らすという竹中懇のNHK改革案(「通信・放送の在り方に関する懇談会報告書」2006年6月)ですが、自民党内の協議が終わるまではどう転ぶかは分かりません。
むしろ考えるべきは、電波利用全体に占める放送の割合はごくわずかだということです。電波の問題というと放送のイメージが強く、そのことばかりが論じられますが、電波利用の内訳を見ると実態は大きく異なります。
例えば、2003年時点での電波使用比率は、携帯電話の約11%に対して放送局は約8%です。ところが、電波利用料で見ると、総額540億円のうちの93%以上を携帯電話の端末と基地局で占めています。一方で、放送局は1%しか負担していない。
携帯電話は基地を非常に稠密に建て、同じ電波を全国で何千回も繰り返して効率よく使っています。しかし、放送局は1本の電波を関東エリア全域に送るというように、非常に無駄が多い使い方をしている。
ひとつのアンテナから広域にドーンと電波を出す方法では、1つの周波数は同じ地域で1回しか使えない。携帯電話のように、その地域に何千と基地局を置けば、その何千倍ものユーザが同じ周波数を使えるんです。
だから、付加価値にして90倍以上も違う。そういう技術があるのに、なぜ地上デジタル放送というかたちで非効率な方法を繰り返すのか。
阿部2011年の地上デジタル放送完全移行に向けて、第2東京タワーを建設するという話もあります。
池田全くの無駄使いです。今の東京タワーでもデジタル放送はできるし、タワーの位置が変わると、ビル陰対策なども全部やり直しになります。唯一のメリットはワンセグが受かりやすくなることぐらいですが、広告収入増にならないワンセグのために500億円もかけて、投資は回収できるのか。
そもそも地上デジタル放送の概念は、米国のテレビ局と移動体通信の電波の奪い合いから生まれたものです。米国では同じ周波数を繰り返して使う「セルラー電話」の特許が1940年代には成立しています。1980年代には移動体通信の技術が発展し、モトローラなどの移動体通信機メーカーはテレビ局に割り当てられたままで使われていないUHF帯の再分配を政府に求めました。テレビ局側がそれを阻止するために考えついたのが、高精細度テレビ(HDTV)で余分な帯域を埋めることだったのです。そこには利用者への配慮などは全くありません。
電波利用という観点から考えれば、携帯電話のように同じ周波数を何千倍にも使うほうが明らかに効率がよく、利用者の利便性も高まる。いまだって、技術的には携帯電話の基地局で映像を流すことは可能なんです。実際、キャリア側がNHKに提案したこともある。効率の悪い電波の利用方式とメディアの利権とが絡んで、新しい技術を阻んでいる。そこが根本的な問題なんです。
阿部FACTA11月号でも取り上げましたが、デジタルラジオがこけた問題の背景を探ると、既得権を必死に守る民放の姿が見えてきます(参照:デジタルラジオでこけたFM東京)。
今年9月、それまでFM東京主導で進んでいたデジタルラジオの計画が白紙に戻されました。ハシゴを外したのはデジタルラジオにお墨付きを与えたはずの総務省です。背景には、FM東京がリードするデジタルラジオにアナログ放送停波後に空くVHF周波数帯域を3セグメントも使わせたくないという民放の思惑があったのです。
民放業界は空き地になっても自分だちのものだという意識が強く、そういう既得権を手放さない意識が効率的な方式に移ることを妨げるのでしょう。
池田今は総務省もそれなりに電波利用を改善しようとしていて、通信事業者やメーカーを集めた研究会を開き、空きチャンネルをどう利用するかについてを検討しています。そのなかに、デジタルラジオや携帯電話、無線ブロードバンドなど、いくつかの提案が挙がっているのです。ただ、デジタル“ラジオ”という名前は付いていますが、実際には携帯端末に映像を送るようなサービスになるのでしょう。
つまり放送の帯域だから次は“デジタル”ラジオをやる、“デジタル”テレビをやる、という発想ではもう駄目なんです。これからは全部の帯域が携帯電話や無線LANのような使い方になる。つまり通信になるのです。放送はもともと通信の一部ですから、放送だけを議論しても意味がない。いまのかたちの放送産業がいつまで存在するかを真剣に考えてほしい。
(2/5:つづく)
インタビュー:池田信夫氏(1)「先祖返り」するNHK
久しぶりに「メディア論」をテーマにしたインタビューを連載する。登場していただくのは、経済学者の池田信夫氏です。池田氏はNHKで報道番組の制作などに携わり、93年に退職。その後は論客として通信問題を中心に幅広く活躍している。
総務省の電波再配分論やNHKへの放送命令など、通信と放送を取り巻く環境は騒がしい。ライブドアや楽天に端を発した放送局の買収騒動もいまだ決着はついていない。この状況をNHK出身の池田氏はどう見ているのか。今回はメディア論から少し枠を広げて、通信と放送の本質まで切り込んだ。
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阿部菅義偉総務相がNHKに対して、短波ラジオ国際放送で北朝鮮による日本人拉致問題を重点的に扱うよう命令しました。これはメディアのあり方を考えた場合、非常に大きな問題だと思うのですが、マスコミのNHK擁護論は盛り上がりませんでした。この問題をどうお考えですか。
池田今回の国際放送に対する政府の命令は、菅総務相の点数稼ぎにはなっても、実質的な意味はほとんどないでしょう。短波ラジオを持っている日本人がどれだけいますか?終戦直後は短波で謀略放送をやることに意味があったかもしれませんが、いまは北朝鮮でも短波ラジオを持っている人がどれほどいるか。そもそも北朝鮮は妨害放送をしていますからね。どれだけ効果があるのか疑問です。
それよりも、どうも基本的な事実関係があまり知られてないのではないかと思います。
まず第一に国際放送(NHKワールド)はNHKの独自放送ではなく、政府が毎年20億円位の補助金を出してますから、ある意味では半分国営放送なんです。命令という言葉には強い印象がありますが、政府が放送内容に干渉することは想定されていたことです。総務省のNHKへの命令は今回に始まったことではなく、儀礼的ですが毎年行われています。マスコミ各社の騒ぎ方を見ると、いかにNHKの問題がいままで理解されていなかったかを感じます。
阿部政府にお金を出してもらっている以上、干渉されるのは当然ということでしょうか。
池田当然です。それにNHK擁護論が盛り上がらないのは、NHK自身が国営放送へ先祖返りしようとしているからではないでしょうか。私は、今年1月に竹中懇(竹中平蔵前総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」)が始まったときに、NHKを改革するなら民営化の方向で考えるべきだと様々なメディアを通じて申し上げた。しかし結果的には受信料の支払い義務化というかたちで、国営化の方向に舵を切ってしまった。
今回の国際放送の問題も、NHKはこういう方向へ進んでますよ、ということを示しているだけです。それが問題なら、何で支払い義務化の話が出たときに他のメディアはきちっと議論しなかったのか。ルビコン川を渡ってから騒ぐなと言いたい。
阿部冷戦時代、西側諸国は鉄のカーテンの向こう側に意図的に放送を流し、自陣営の豊かさを宣伝しました。ボイス・オブ・アメリカやBBCの海外放送が代表的ですが、国際放送とはそもそも国家戦略として行われてきたものです。冷戦時代に限らずとも、国家にとって海外にいかなるイメージを発信するかは重要なことです。
池田戦後の日本ではNHKの国際放送がそれに近い役割を担ってきました。それを政府は強化しようとしているわけです。
阿部ということは、NHKが国営放送の方向に舵を切っている以上、視聴者は政府のバイアスが掛かっているのを承知のうえで番組を見るしかないと。
池田そう考えるべきです。もっとも、普段からNHKが政府の干渉なしで自由に放送していると思っていることのほうが不思議ですけどね。他のメディアの感覚だと、行政が直接何かを言ってくることはないかもしれません。しかし、NHKでは日常的に行政の干渉があるのです。
私が在籍した当時のNHKには、総務省との間にホットラインがあり、番組に何かあると直接電話が掛かってきました。たとえば「国会中継」を打ち切って相撲を放送するのはけしからんとか、そのレベルのことも細々と言われます。ただし、総務省に番組を変更するような直接的な権限はありませんから、慇懃に無視するのが担当者の仕事でした。
はっきり言ってしまえば、NHK自体がもともと国の管理下に置かれていて、自由にやっている放送局ではない。命令という露骨なかたちではなくても、日常的に役所にいろいろ言われている放送局です。どうもそこを分かってらっしゃらない方が多い。問題は日本でいちばん大きなマスメディアが役所の管理下に置かれているという現状で、本来はそこを考え直すことを議論すべきなんです。
(1/5:つづく)
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池田信夫(いけだ・のぶお)
経済学者。1953年生まれ。78年に東京大学経済学部を卒業、93年までNHK勤務。国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、2005年から須磨国際学園・情報通信研究所理事。学術博士。著書に『電波利権』(新潮新書)、『ネットがテレビを飲み込む日』(共著、洋泉社)などがある。自身のブログは『池田信夫 blog』。
許し難い会社2――投稿
ネットに詳しい知人から連絡があった。先日このブログに書いたB-CAS記事に対して、2chに投稿があったらしい。
それによると、B-CASは最近まで自社サイトに会社の代表番号どころか所在地も載せていなかったようだ。それが、総務省の情報通信審議会で「地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割(PDF)」と題したパブリックコメントが出された10月6日直後に改変されたのだという。パブリックコメントの中にB-CASのウェブサイトにおける情報開示の姿勢を批判する文面があったからだ。
おまけに、その証拠がインターネットにしっかりと残っているのだ。おやおや、連綿とインターネットの情報を保存し続けているINTERNET ARCHIVEには、所在地すら公開していない頃のB-CASのウェブサイトが記録されている。
B-CASに確認すると、10月11日になってからウェブサイトに所在地を追加したことは認めたが、総務省のパブリックコメントとの関連性は否定した。掲載した理由は「他の会社も載せているから」らしい。
いまさら信じろと言われても無理がある。が、B-CASをカスタマー対応の反面教師として弊社も身を引き締めよう。名無き投稿者に感謝します。
気晴らし
週末は気晴らしに、公開早々の「007」を観に行った。笑うなかれ、寅さん映画や鬼平や水戸黄門と同じである。毎度おなじみのストーリー(不死身の主人公のアクションと誘惑シーン)だが、もう陳腐とは感じない。出来の良し悪しに一喜一憂しないぶんだけ、映画館の暗闇に心を休めていいられる。
そういう見方をするようになったのは、ロンドン駐在のときに007を見てからだ。ハリウッドの向こうを張って英国の意地を見せる映画のせいか、観客席のロンドンっ子はいちいち拍手して、どっと沸く。ボンドと一体になってハラハラドキドキ。あたかも高倉健の任侠映画に「健さん、後ろが危ない!」と声をかけていた60年代の三流館のように。
ああ、こういう楽しみかたもあるんだ、と思った。
ボンド役がピアース・ブロズナンから交代した新作「カジノ・ロワイヤル」の批評をする必要はないだろう。よき家庭人みたいで、あまり不良っぽくなかった前任者のイメージを払拭するためか、今回のボンドは孤独な殺し屋の要素を強調していると思えた。007は派手なアクションの割に血の流れることの少ない上品さがウリだが、今回はリアリズムを追求して、残虐の一歩手前まで行こうとしている。
主演のクレイグは瞳が青く、ちょっと「禿げていないプーチン」を思わせる。上司Mは引き続きジュディ・デンチ。しかし初期007で常連だった「C」(俳優が死亡)や、本部でボンドに思いを寄せる「ミス・マニーペニー」が、もう登場しないのが寂しい。寅さんで和尚役の笠智衆が消えたのと同じである。
ふたつ、気づいたことがあった。国産品愛用精神からか、ボンドが毎度乗りこなす英国のスポーツカー、アストンマーチンはこれまで、BMWなど他の外国車が派手にぶっ壊されるのにほぼ無事だった。今回はリアリズムを優先してか、アストン・マーチンも無残に4転5転させられて壊される。
もうひとつは、今回も商魂たくましいことだ。納期の遅れで窮地に追い詰められているエアバスの総二階建てジャンボ機A380とおぼしき旅客機が出てくるが、やはりスポンサーになっているのだろうか。
もっと露骨なのはオメガである。ヒロインに「ロレックスの腕時計?」と聞かれて「いや、オメガだ」と応じる場面が出てくる。この台詞を台本に入れさせるため、オメガはいったいいくら払ったのだろう。つい、そんなことを考えた。
さて、気晴らしはここまで。本日から編集期間入りで、そのために英気を養ったようなものだ。その間、ブログを休載するのも申し訳ないので、インタビューの連載をしようと思います。よろしく。
ナベツネ「客演」のこわさ
この季節は苦手だ。ロンドンの冬至までの暗い12月を思い出してしまう。日中が午前9時から午後4時半くらいまでしかなかった。たちまち日が暮れてしまう。
東京も街の飾りつけがクリスマスになってきた。なんだか働いているのがむなしくなる。しかし、新聞記者の時代は12月は予算の季節で休めた記憶がないし、雑誌に移ってからも年末の締め切り繰上げで四苦八苦した記憶しかない。せわしない暮れから逃れられるのはいつのことなのか。
さて、ナベツネこと、読売新聞グループ本社社長・主筆の渡邉恒雄氏が、日経新聞の「私の履歴書」に登場する。これはFACTA最新号で記事を載せた(たぶん、あの時点ではささやかなスクープだった)。その記事の予告通りに、きょう(12月1日)から掲載が始まる。
業界人には評判である。公称日本最大の新聞のトップが他紙の看板企画に自叙伝を掲載するというのは異例のことだからだ。
だが、なるほどと思うふしがあった。一度、渡邉氏にインタビューしたことがあって、主筆室には山のように本が積んであった。なかなかの勉強家らしい。もっと感心したのは、株価をリアルタイムで知ることができるロイター・モニターの端末が置いてあったことだ。金融機関ならいざ知らず、こういう感覚は新聞経営者では珍しい。
彼が目を光らせているのは政治やプロ野球だけではない。株価や経済にも敏感なのだ。そういう一面をかいま見ると、あえて日経に登場するのも納得できる。日経の杉田亮毅社長が「私の履歴書」掲載50年の目玉に上手に口説いたそうだが、受けたナベツネは新聞の購読層の違いを意識して、あえて自ら“敵地”に乗り込んで、ヨミウリを売り込もうというのではないか。
読売は過去にも、読者層の重なる産経や東京(中日)を猛然と食おうとしたことがある。ナベツネが朝日の「論座」で若宮論説主幹と対談したのも、朝日の読者に食い込む下心があったのではないか。とすると「私の履歴書」登場も、日経の読者への食い込み策の一環と見える。
若者の新聞離れで新聞業界の淘汰が進むのを見越し、食い合いが始まろうとしている。そこに一歩先んじようと、ナベツネが自分をタレント化する根性は、なかなか手ごわい。
許し難い会社
堂々とウェブサイトを開き、住所も公表していながら、カスタマーセンターの電話番号以外は代表電話ひとつ登録していない企業がある。「104」で社名を言い、住所を言っても、「ご登録がありません」と言われるだけだ。こういう企業の経営者はいかがなものか。
カスタマーセンターなんて、どうせクレーマー対策の窓口で、外注のコールセンターだろう。案の定、そこに電話をかけて聞いてみても、「こちらから連絡しますから、お名前とお電話番号をどうぞ。係の者があとで電話します」などとしゃあしゃと言う。取材なんてはなから受けない態度だ。
こちらが名乗って、そちらが名乗らないのは失礼だ、というと「会社に聞いてみます」の一点張りである。コールセンターをいじめてもしょうがないが、「クレームでなくて取材だ」と言っても、らちがあかない。
あげくに「いつ電話をいただけるのか」と聞いても、「わからない、たぶん1時間もすれば」という。それまでこっちに電話口に待っていろというのだ。あきれた。あげくに質問状を送らせ、しばらくたってから、回答を遠慮したいなどと、横柄な口調で答えた。
こういう社会性ゼロの企業だから、あえて実名をあげよう。
・商号株式会社 ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズ
・略称B-CAS(ビーキャス)
・英文BS Conditional Access Systems Co., Ltd.
電話をかけてきた失敬な社員の名は伏せるが、株主の名と役員の名はここに挙げる。
日本放送協会、株式会社ビーエス日本、株式会社ビーエス・アイ、株式会社BSフジ、株式会社ビーエス朝日、株式会社BSジャパン、株式会社WOWOW、株式会社スター・チャンネル、株式会社東芝、松下電器産業株式会社、株式会社日立製作所、東日本電信電話株式会社
代表取締役社長浦崎宏
代表取締役専務吉永弘幸
取締役藤森敏充
取締役(非常勤)緒方徹
取締役(非常勤)田中豊
取締役(非常勤)新見博英
取締役(非常勤)山根聡
取締役(非常勤)佐藤光一
取締役(非常勤)北林由孝
監査役久木保
監査役(非常勤)廣瀬敏雄
監査役(非常勤)丸山竜司
放送業界である。さもありなん、免許業種(お上の奴隷)のくせに、一見さん、お断りというわけだ。
よろしい、たっぷり吠え面をかかせてあげよう。ほかにも、代表電話も公表しない反社会的企業がある。そういう企業は後ろめたい部分があるとみなす。宣戦布告する。
Dangling Conversation
手嶋龍一氏と一緒の勉強会のあと、みんなで新橋の居酒屋で飲んだ。別れてから私だけ、ハシゴをしたので帰りが3時になってしまった。
帰りのタクシーで運転手とありきたりの会話を交わした。
「景気どう?」
「お盆以降、急にさっぱりで」
「へえ、六本木界隈は賑わってるように見えるけど」
「いやあ、午前2時前にはもう客待ちの車ばっかりですからね。去年の暮れはこんなじゃなかった」
「今年の忘年会は地味になりそう?」
「期待はずれに終わるんじゃないんでしょうかね」
街角景気診断ならぬ、ショーファー景気診断である。新聞記者の時代、とりわけバブルの時代に、こんなとりとめのない会話で景気の体温を計るのが癖になった。
ふと、サイモンとガーファンクルを思い出した。たしか「サカボロ・フェア」が入っていた66年のアルバムの一曲。Dangling Conversation(とりとめのない会話)というタイトルだった。
ひとりでくつくつ笑った。思いだしたのだ。ハイデッガーの『存在と時間』のアメリカの註釈本のことである。マイケル・デルヴェンという人(北イリノイ大学教授)が1970年に書いた初心者向けの本で、しばらくして邦訳が出た。
なにせ英語だからやさしい。あの奇怪なハイデッガー語がすらすらほどかれて、なんだい、そんなことか、と納得した。ところが、ちょっと勇み足でつんのめった。第35節「空談」(おしゃべり)の解説に、このサイモンの歌をつかっていたのだ。
そして僕らは座ってお茶をのむ。
海辺の貝殻みたいに知らん顔に丸まって、
見せかけの会話とわざとらしいため息の海鳴りが、
ほら聞えてくる。
何だこりゃ。けらけら笑い転げた。ハイデッガーが『存在と時間』を書いたのは1927年。ワイマール共和国が行き詰って、ナチスに傾斜し始めるころだ。「空談」とはそういう時代背景抜きには考えられない。しかし、それを1960~70年代のアメリカの講壇哲学者は、やさしく流行歌のサイモンで説明しようとしたのだ。学生のウケ狙いは明らかである。
そりゃ、無理だ。アメリカはハイデッガーの暗さがどうしても理解できないのだ。スピノザとシオニズムのはざまにいたレオ・シュトラウスが、亡命後はいつのまにかシカゴ大学の教祖になり、没後にはネオコンの始祖に祭り上げられる国である。このすれ違い、どこかコミカルではないか。
と思いだし笑いをしていたら、前の席の運転手に聞かれた。
「お客さん?どうされました?」
(注)サイモン&ガーファンクルの曲「スカロボ・フェア」と書き損じました。正しくは「スカボロ・フェア」ですので、修正します。