EDITOR BLOG
ああ志賀、女川、浜岡原発
FACTA最新号で、電力業界のリーダー、東京電力を取り上げたので、この「原発事故隠しドミノ」について一言述べたいと思います。
正直に言うと、今は亡き父は北陸電力の社員でした。戦後早々の9電力発足時に入社しています。電気のエンジニアだったからで、私が幼少のおりに日本海沿岸の大雪で「送電線が切れるかもしれない」と豪雪地帯の山奥に決死の思いで入っていったことを覚えています。
その後、東京出身の父にお呼びがかかり、政治担当の東京駐在秘書に異動になりました。家族はその裏側をさんざん見せられて、電力会社の裏方である総務の仕事がいかに辛いものかを知りました。
ですから、今回の北陸電力その他の事故隠しは私個人にとっても悲しい事態です。その後始末に駆けずり回る総務のご苦労はよく分かります。さはさりながら、志賀はひどかった。アラームが12回も鳴ったのに、ほっかむりでは罪万死に値します。これでは、もっともカバーエリアが小さな北陸電力を、中部電力に吸収合併させろ、という意見が出るのもやむをえますまい。
とにかく電力各社には、一日も早くこの窮地を脱してほしい、としか言えない。京都プロトコルもあるし、石油・ガス高騰でエネルギー資源確保が喫緊の課題になっているのですから、ぐずぐずしてはいられません。
健闘を祈ります。21世紀日本の明日は、そこにかかっていると言っても過言ではないのです。
初心に帰って読者にお礼
きょうあたりからFACTA最新号(3月20日刊)が読者のお手元に届き始める。ちょうと1年分を送り届け終わったことになる。創刊号からご購読いただいた方々に感謝申し上げるとともに、引き続きのご購読をお願い申し上げます。最新号の編集後記にもその感謝を書いた。42キロを走ったマラソンランナーが、競技場のゲートをくぐったような気持である。もちろんまた、新たなレースが待っているのだが……。そこで、編集後記をブログでも公開します。
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早いもので、もうFACTAも12号目になる。つまり創刊から1年を経ったのだ。雑誌を一からつくるのは私には初体験で試行錯誤の連続だったから、感慨なきにしもあらずである。しかしここまで来たのも読者の支えあればこそ。誌面を借りて心よりお礼を申し上げます。改めて初心に帰って日本で唯一のクオリティー・マガジンをめざし、いっそう精進したい。
▼書棚に古びた戦前の本が100冊ほどある。亡き叔父の蔵書を形見分けしてもらったのだが、紙事情が悪い時代の製本だから、黄ばんだ酸性紙はショウが抜けて、触れなば散らん薄葉と化している。背表紙は剥がれ、紙箱もボロボロで、壊れたガラス細工のようだ。それでも私の宝物で、とても手放せない。保田與重郎の『和泉式部私抄』から大熊信行の『マルクスのロビンソン物語』まで、昭和10年代の青年の懊悩がうかがえるからだ。
▼わけても六藝社版の岡倉天心全集全五巻は昭和14年の刊行で、戦雲垂れこめる時代のものだから、訳者の浅野晃の文体が鬼気迫るほど悲痛で、憤怒と殺気が濛々と立ちこめている。なるほどこれが日本浪漫派か、と思うほどパセチックなのだが、実はその一節を何度も暗誦して、ほとんど諳んじるようになった。1年前の創刊時にもこわごわ覗いては、自分を励ます心棒にしていたのだ。ちょっと長いが、ここでご紹介しよう。
▼「われわれはもろもろの理想の間を、長いことさまよつてゐたのだ。いま一度、現實にめざめようではないか。われわれは無感動の流れに漾つてゐたのだ。いま一度、あの過酷なリアリテイの岸邊に上陸しようではないか。われわれは、水晶のやうに透明なことを誇りにして、お互ひに離ればなれになつてゐた。いまこそ、共通の苦難の大洋に溶け合はうではないか。西洋の犯した罪の苛責は、しばしば黄禍の亡霊をわれとわが想像裡に描いた。東洋の静かな凝視を、白禍に對して向けようではないか。わたしは諸君を暴力へと呼びかけるものではない。男らしさへと呼びかけるのだ。わたしは諸君を攻撃へと呼びかけるのではない。自覺へと呼びかけるのだ」
▼天心が唱えた「アジアは一つ」は、これを標語に軍部が大陸や南方を侵略したため、戦後は長らくタブーだった。天心が書いたのは第一次大戦前で、本人の咎ではなかったのだが、時代の落差と曲解を超えてこの煽動は今もなお人の心を揺さぶる。天心が「アジアの兄弟姉妹たちよ!」と呼びかけるように、私もまた読者に「兄弟姉妹たちよ!」と呼びかけたい。それが私の初心である。
個人データ漏洩の信販3位、ジャックスで今度は致命傷の「マル秘トラブルリスト」
大日本印刷から43社863万人分の個人情報データが漏洩し、インターネット通販詐欺グループなどに売り飛ばされていたことが発覚し衝撃を与えたが、その発端は信販第3位、ジャックスの15万人分のカード番号や有効期限などのデータが漏洩、667万円の不正使用が確認されたという事件(2月20日発表)である。
ここではジャックスは被害者だが、同社で今度はマル秘の内部文書が明るみに出た。昨年秋から年末にかけての信販加盟店トラブルの一覧で、信販大手で唯一、黒字決算見通しのジャックスの「堅実経営」の内実が、深刻な事態に至っていることが明らかになった。そのマル秘リストを一足早く、当ブログで公開しよう。
ジャックスが戦々恐々としているリストである。不可解なのは「クレジット金融」や「名義貸し」などの用語。その背後に何があるのか。詳しくは本誌記事(3月20日発行)を読んでもらうしかないが、この惨状に忠実に引当金を積み増せば、決算が大幅赤字に転落することは確実。入手したFACTA編集部に「何か資料があるのか」と逆取材してきたほどだ。
彼らには悲報だろうが、金融庁は同じリストを入手している模様である。ジャックス経営陣の背筋が冷たくなるリスト(加盟店名はアルファベットにしてある)をご覧あれ!
もう一度のけぞった日興CG
ありゃ?である。東証がこういう判断をするとは思っていなかった。
これできっと、確実に私の寿命は縮まったと思う。
幸か不幸か、次号のFACTAではそれほど大きく扱っていなかった。しかし多少、間が抜けた短信記事がある。作業上、部分直ししかできなかった。悔しいが、タイムアウトである。
全紙予想外だったらしく、東証の姿勢に疑問符をつける論調が目立った。が、ハスレはハズレ。日経1面の言い訳めいた囲み記事は、悔しさありありだった。その気持ち、分かるなあ。
それにしても西室社長の会見は不可解。さんざん迷った、といいながら臨時執行役会では「全員一致」というのはどうしてだろう。何事も自力で決められない東証が、寝耳に水の「仏壇返し」をどうやって決めたのか。シティの受け皿が用意されたにもかかわらず、それを覆す胆力が西室社長にあったのだろうか。
疑問だらけである。政治から圧力が働いた、という説もある。シティーにデューディリジェンス(資産査定)されたくない人が政府内にいるのだろうか。すべてが振り出しに戻り、TOBもやり直しだろう。取材もやり直しだろうか。
吐き気がする「敗軍の将」本間教授の弁
本日からブログに復帰する。午前中に次号の編集作業を終えた。
自分が編集中は他人の編集したものなど読む気にはならないものである。だから、先週はろくに新聞、雑誌に目を通していないし、本も読んでいない。FACTAブックマークにもほとんど保存できなかった。編集者が月に一回、こういう空白状態に陥るのは、紺屋の白袴というのか、奇妙なものである。
で、久しぶりに雑誌を手にして、おやおやと思う記事をみつけ、それからおもむろに吐き気に襲われた。
「日経ビジネス」3月12日号の「敗軍の将、兵を語る」である。週刊ポストが配備した延べ10人のパパラッチのカメラにみごとにつかまり、愛人の女性と官舎住まいしている光景を暴露されて、政府税調会長の座を棒に振った本間正明・大阪大学教授である。辞めてどこかへ雲隠れしていたが、同誌上で自ら弁明を語ったという次第だ。
よくぞ、この厚顔な人をつかまえた、とまずは「敗軍の将」担当を称えたい。何であれ、本人に語らせた殊勲は大である。さはさりながら、読んでのけぞった。
(経済財政)諮問会議の議員のときに私は国有資産の売却を積極的に提案していました。それで、国有財産を売れといっておきながら、自分は官舎に住んでいるのはけしからんと批判されました。
そんなバカな批判はありませんよ。確かに、財政状態が厳しい中で国有資産の売却は急ぐべきです。しかし、その話と今は使われていない遊休資産を活用することは別個の問題です。
私は空いている官舎に住み、その対価として家賃を払ってきました。わずかかもしれませんが、それ自体は国の財源収入につながります。
あいた口がふさがらない。本人が言うように、原宿から徒歩5分の官舎に月7万5000円である。広さと場所から言ったら月40万円はするだろう。この経済学者は引き算も知らないのか。安すぎる家賃を払ったから、国の財政再建に貢献したなぞ、笑止のきわみである。
空いている?考えられない。入居をすすめたのが財務省高官だったとしても、その甘言に乗って入居を応諾したとき、篭絡の下心が見えなかったはずがない。その慢心があったからこそ、愛人を官舎に住まわせ、パパラッチが見張っているなかを堂々と闊歩していたのではないか。まったく「別個の問題」ではない。
「地方から来た人間が東京で仕事をするのはとてもハードルが高い」だと?笑わせなさんな。権力にすり寄ろうと、せっせと東京に出てきたのは、誰の野心だったのでしょう。
愛人問題については「身から出たサビ」と殊勝らしいことを言うが、もちろんあなたを刺したのは霞が関の官僚である。自民党税調のいわゆる「インナー」も足を引っ張っただろう。
だが、文句を言っちゃいけない。ろくな研究成果も見識も持たない大学教授が、権謀術数で権力の階段を駆けあがったのだ。スキを見せれば、蹴落とされるのは当然と言っていい。
それにしても往生際が悪い。FACTAはヘソ下スキャンダルは追わないが、「水に落ちた犬」はやはり打たなければいけないのかもしれない。官舎住まいの間、大阪からの出張費をもらっていなかったかどうか(これは税金の横領にあたる)――もう一度調べる必要がある。
辞めたから、追及がやんだ。なのに、まだ四の五の言っている。なんにもわかっちゃいない。
もうひとつ。こういう「敗軍の将」を誌面に載せるのなら、編集者のスタンスも問われる。それが雑誌のケモノ道ですよ。
しばらく編集期間
5日から編集期間入り。従って今週はブログに時間が割けなくなると思います。編集初日にもかかわらず、外部の会合がいくつか重なった。
昼はジョージ・ワシントン大学からいらしたアジア政治の専門家、ヤン・C・キム先生のご高説をうかがった。最初は低い声で始まったが、だんだん話が佳境に入ると、声に力がこもり圧倒された。6カ国協議の合意の裏で、ワシントンがどう動いているのかがよく理解できた。感謝したい。
夕刻、外務省で「国際協力に関する有識者会議」。第一回会合なので顔合わせ的だが、鈴木宗男事件あたりでODAの意義が疑われ、海外援助の整理・一元化などの霞が関改革もあり、微力ながらメンバーに名を連ねた。
残念だったのは途中で退席せざるをえなかったこと。日程がショートノーティスだったので、他の会合と時間が重なったためだ。みなさんがまだ自己紹介の最中に抜け出す羽目に。身の縮む思いだった。
すでに雨が振り出していた。大手町に飛んでいって経営者の方々の前で講演。こちらは遅刻。講師がいなくては始まらないので、二重に義理を欠いたのが心苦しい。
私のような者が連戦練磨の経営者の前で壇上に立つなどおこがましい気もしたが、ファンド規制と富裕層課税強化の背景について、いささかの私見を披露させていただいた。
Q&Aでは株価の質問が出た。日経平均が1万6000円台に続落したから当然だろう。しばらく動揺は収まるまい。
御茶ノ水へ戻る8時過ぎ、土砂降りの雨だった。
上海株急落、FACTAで助かった人も
お気づきの方もいらっしゃるだろうが、このブログにはコメント機能がついていない。反響をいただくのはありがたいのだが、コメントに応じていたらとても身がもたないのと、まるきり読まないでいたら失礼だと思うからだ。雑誌の性格も考え、ブログを持つ人から送られてくるトラックバックのみ受け付けている。
でも、FACTAブックマークや記事アーカイブなどの会員向けサービスも始めたので、ご意見やお問い合わせ用のメールアドレス(support@facta.co.jp)を設けている。ここに、読者のナマの声がたびたび寄せられる。耳に痛いこともあれば、胸がはずむこともある。
最近、こんなメールが届いた。
表題「3月号の中国株情報有り難うございました」
おかげさまで、暴落直前に売り抜けることが出来ました。本当に感謝しています。
フリーコンテンツにはしていないが、「中国金融株『ブル』の息切れ」の記事のことだろう。3月号は2月20日刊行、上海株が一日で8%以上急落したのが27日。あの記事を読んで株価の先行きに不安を覚え、株を売りはなすには1週間の時間的余裕があったことになる。
ご承知のように、上海株急落は欧州、米国、東京と地球の自転といっしょに世界を一周した。もちろん、ブラックマンデーの同時株安とはショックの程度が違うが、1997年のタイ発のアジア通貨危機に次ぐアジア発の株価急落。しかも今回は上海発というところが不気味だ。
タイのときも通貨当局の不慣れがショックを大きくした。今度は市場としても歪んだままの上海である。記事に書いてあるように、中国の投資家の「投機性」は博打に近く、ショックアブソーバーも薄い。08年の北京の建設需要はもう一段落(今から着工したのでは間に合わない)、不動産バブルの終息でカネ余りが株式市場の「根拠なき熱狂」を招いていたことは容易に見てとれる。これは末期症状ではないのか。
売り抜けた読者の方には、助かってよかったですね、と素直に申し上げたい。日経時代を含めて相場記事は難しいことが骨身に沁みている。新聞社ではデスクで座っていて、「日経の記事で損した。どうしてくれる」と執拗にからむ電話に悩まされたことがある。なかなかお礼は言われないものだ。
しかし、ささやかな読みがあたったときは、心密かに誇りを感じる。今回株で損をした人には、FACTAの購読をお薦めします、と手前ミソを申し上げよう。
ところで、ポールソン米財務長官がまた訪中する。不測の株価変動に備えて指南するためとも見えるが、みなさんはどう思いますか。
カザフの「川の流れるように」
高校時代の同期生がカザフスタンにいると聞いて、へえと思った。私が取材で行ったのは10年前の7月。アルマトイのホテルで、自民党訪ロ団長としてモスクワから飛んできた故小渕恵三氏らの一行と出会った。最上階のラウンジで天山山脈の冠雪に輝く黄金の夕日をみつめたことが懐かしい。彼に同行した通訳でのちに名エッセイストになった米原万里さんも、あのころは元気だった。
たまたま胸のボタンがひとつ外れていて、それを小渕氏に見つかり、「米原さん、みかけよりグラマーだからな」とからかわれて、頬を染めた彼女の顔が思い浮かぶ。何かみごとな台詞で打ち返したが、その言葉をもう思い出せない。
が、治安は悪かった。へたに強盗に捕まると、追いかけてこないよう、鼻をそがれると聞いて、ぶらぶら歩きもできなかった。が、そこへいま、おなじ高校にいた日本人が飛び込んだというのだから、拍手を送りたい。
彼のメールによれば、Stepnogorsk(いかにも草原の町という名)という人口4万人の小都市で仕事をしているとのこと。ソ連時代には炭疽菌と核燃料の濃縮をやっていたので地図には存在しない秘密都市だそうです。カザフのセミパラチンスクには旧ソ連時代、核実験場もあった。放射能漏れでガイガーカウンターが鳴りっぱなしの地域と聞いて、10年前は行くのを断念した。セミパラチンスクにはかつてシベリアに流刑されたドストエフスキーがいたこともあり、その地の博物館に行ってみたかったのだけれど。
そうした大量破壊兵器のデータを狙ってか、数カ月前には潜入したアル・カイダのメンバーが逮捕されたそうです。炭疽菌では数年前にアメリカで騒ぎがありましたが、今のアメリカの炭疽菌の最高権威者はこのステップノゴルスクの出身だそうで、ソ連崩壊後にアメリカにわたって大金持ちになったとか。
このステップノゴルスクの町はロシア人とカザフ人が半々だけど、音楽は日本とそっくりだという。
演歌に近い音律です。カザフ語はトルコ語の祖先なのだけど、文法は日本語と似ている。動詞は最後に来る。インターネットで調べると縄文人の遺伝子はここカザフの地と同じそうです。私らのいくばくかはカザフに祖先を持つのかも。ちなみに僕は喋らなければ日本人とは思われません。カザフ人、アゼルバイジャン人、タジキスタン人、最後にはロシア人と言われます。それほど外見は似ています。
彼はカザフのCDをプレゼントされたお返しに、日本のCDを贈ったどいう。不評はMr.Chirdlenとモーニング娘。逆に好評は石原裕次郎、美空ひばりや東儀などだったそうです。グルジアレストランで美空ひばりの『川の流れるように』がかけられた時、食事中のロシア人とカザフ人が全て席を立ち、メロディーに乗ってダンスを始めたという。ああ、心温まるいい光景だ。
音楽と言うのは、人と人が共有できる空間を持つための手段ですよね。言葉が見つからないのだけど、多分それは理屈ではなく恋愛感情なのでしょう。
そうかもしれない。お雛様の日に贈るささやかなエピソードである。
下流か否か――携帯厨とPC厨
先日ご紹介したFACTA最新号の「パソコン見放す20代『下流』携帯族」の記事。筆者から「あちこちで引用されています」との報告があった。もちろん、否定的なものもあるが、やはり論議を呼ぶのだなと思いました。彼が寄せたのはこんな感想だった。
まず、はてなブックマークでは、「統計のミスリード」など否定的反応が目立ちましたが、2ちゃんねるでは、この記事で、新たなケンカのタネが出てきますね。
はてなブックマークの傾向を以前から見ていたのですが、明らかに理系・技術系のユーザーに偏重しており、実を言うと生粋の携帯ユーザーと接したことがある人自体が少ない、携帯ユーザーの実態を知らない、という印象があります。
それに比べると、2ちゃんねるでは最近、「携帯厨」「PC厨」という言葉で、携帯ユーザーとPCユーザーの対立が顕著になりつつあるようです。以前「2ちゃんねるのPVはすでに3割が携帯電話経由」と聞いていましたが、2ちゃんねるなどでは、すでに、携帯電話ユーザーの情報リテラシー、ネットリテラシーがPCに比べて非常に低いことが問題になっていました。
携帯厨とPC厨とは耳新しい。どうやら2ちゃんねるにスレッドが立っているらしい。
さらにFACTA記事の筆者が言うには、
ヤフーオークションやamazonマーケットプレイスなど、携帯電話ユーザーも使えるPCサイトだと、PCユーザーが、携帯ユーザーを嫌がる傾向も顕著に出始めています。理由は、「書いてあることをちゃんと読んでない」「オークションやマーケットプレイスの仕組み自体を理解しておらず、売り手に直接教えてもらおうとする」、「売買のルールを知らず、規約にないクレームを付ける」などです。ヤフオクの板などでは、「携帯電話ユーザーの利用を禁止せよ」という意見すら結構出てると聞きました。
ますます面白い。この内ゲバを野次馬根性でみなさんも見守るべし。
「有らざらん 壱」をお届けしています
1月のFACTAキャンペーンとして、編集長の新著「有らざらん壱」のご希望を募りました。抽選の結果、当選された方々に順次、本をお送りし始めましたことをお知らせいたします。すでにお手元に届いた方もいらっしゃいますが、これから届く方もいらっしゃるでしょう。ちょっと面映いのですが、何卒ご笑覧いただきますよう、お願い申し上げます。
では、本日公開のフリーコンテンツの紹介。
「ビジネス・インサイド」に載った記事で「ホンダにTOBとの観測資源マネーが狙う環境技術」。資源マネーの実例として挙げられているのが、ロシアの“アルミ王”オレグ・デリパスカ氏である。ロシア第二位のアルミメーカーとスイスの商社グレンコアのアルミ部門の買収を決めた「ルスアル」のデリパスカ氏は、ちょうどいま日本に来ている。
来日したロシアのフラトコフ首相とフリステンコ産業エネルギー相、さらにキリエンコ原子力庁長官とともに飛来したロシア産業界の大ミッション90人の一員なのだ。デリパスカ氏は昨年、米ゼネラル・モーターズ(GM)の株式10%を買収するとの観測がドイツ紙に出て大騒ぎになった。もともと知日派で年に数回は日本に来ているというが、ウラン濃縮委託と並行して日ロの経済交流拡大が進む方向だけに、デリパスカ氏の動きは目を離せない。
彼は何に食指を動かすだろうか。浮上したなかに「ホンダ」の名も……。
このルスアルの動きはなかなか奥が深い。グレンコアの背後は、ベルギー出身の謎のユダヤ人富豪マーク・リッチ(新潮文庫のA・C・カピダス『メタル・トレーダー地球を売買する男たち』参考)の筋につながるというから、なかなか手ごわい。リッチは武器や石油などの不正取引に手を染めて米国から刑期300年の犯罪の容疑で追われる身となり、スイスに亡命していたが、クリントン政権の末期に恩赦を受けた。それを批判したウォールストリート・ジャーナルの記事を覚えておられる方にはいろいろ考えさせる短信である。
花粉で涙ウルウル
知人から「生きてますか?(^_^)v」というメールが届いた。仕事にかまけてブログに手が回らないと、病床に臥せっているかのように思われるのが、ブロガーのつらいところだ。
健康には支障がないからご安心を。とはいえ、恒例の花粉症で目がかゆく、鼻スプレーと点眼薬を持ち歩いているくらいです。映画で泣けなくても、涙はウルウル状態なのだ。
ただ、2月は28日しかないから、取材期間が短く、少々焦っている次第。通常の月より2日ないし3日短いのは、弊誌のような雑誌にとって致命的なのだ。
がんばりましょう!
「生きてますか」メールによれば、さる青年会議所の方と呑んでいて、FACTAをあげたら「その場で読みふけって、面白がってました」そうな。ああ、心励まされます。
ブログでもっと雑誌記事を宣伝しなさい、と人に言われたので、昨日公開した最新号フリーコンテンツの記事をちょっと紹介させていただきましょう。
「パソコン見放す20代『下流』携帯族」。これは編集者としてもショックだった記事である。20代がもうパソコンの前に座らなくなったというのだ。ご承知のようにパソコンは高いし複雑だし、ソフトと買い替えをあわせると相当なカネ食い虫と化している。ところが携帯が進化して、インターネットはフルブラウザで十分、ということになってきたらしい。
ネットレイティングスのグラフで、20代が劇的に右肩下がりになっているのがドキッとする。10代は横ばいを維持しているといっても、これは親掛かりだからだろう。自分で稼ぐようになったら、割高なパソコンにカネは割けないというのだろうか。
記事にもあるように、ここに「下流」社会の断面が見えるのかもしれない。ウインドウズ95から12年でパソコン文化の寿命が尽きようとしているのか。記事はまだ仮説である。しかし、くっきり現れたこの傾向が示唆するものを、マーケティング業界はきっちり分析すべきである。VISTAの売れ行きも芳しくないらしい。マイクロソフトがXPからの追い立てを進めても、これまでとは違うかもしれない。
ただ、いくら携帯でフルブラウザが可能(スクロールしなくていい)と言っても、字が小さすぎる。キーボードと画面を何とかしてくれないか。別売で接続可能にするとか、工夫の余地はある。おっさん世代はメガネでも難渋するのだから。
変化の兆しをどう読むかは、あなたの課題でもあります。
泣ける映画2
このブログで、最近、映画で泣けない、とSOSを送ったら、経産省OBの知人からメールが届いた。
今週末から有楽町で再度かかる「フラガール」見てください。
ラストシーンは泣けるハッピーエンドだと思います。
蒼井優のダンス(と笑顔)が凄いです。ふつう、あれだけ
賞を取って誉められると、必ず悪口を言うヤツが出てくる
ものですが、こと、蒼井優のあのダンスだけは誰が見ても
「参りました」というレベルだと思います。
なるほど。まだ見ていない。炭鉱の跡地の村おこし、常磐ハワイアンセンターだっけ、そんな粗筋は聞いている。なんだか、ロンドンで見た「フル・モンティ」を思わせる設定だな、と思っていた。あれもシェフィールドの炭鉱失業者たちが、男のストリップで自信回復という話だった。「フラガール」も日本アカデミー賞を5部門で受賞、教えてくれた知人も、かつて九州に赴任していたから、産業転換が他人事ではなく、むしろ胸にじんと来るのだろう。で、見てみた。
滂沱の涙、というわけにはいかなかったが。すこしウルウル。が、周囲は鼻をすする音ばかり。みんな泣きにきてるのかしらん、と思ったとたんに少し目がさめた。
コテコテの泣き笑い映画。だが、「幸福な食卓」よりはましなのは、岸部一徳らの脇役陣が演技過剰に徹しているからだろう。やはり泣かせるには、その前に笑わせるのがコツ。寅さんだってそういう仕組みになっていた。泣けなかったのは、単に映画の出来が悪かったからなのか。
別の読者の方の厳しい感想をここに紹介しましょう。
今の日本映画でそんなに「のめりこむ」ものがあるか。私はNOだと思ってます。観客動員数は邦画が洋画を抜いたそうですが、私自身、たとえばDVDなどで話題になったという日本映画を何本か見た限りでは、およそのめりこめるような作品には出会った事がありません。単に主役のアイドル系に宣伝に煽られた野次馬が群がってるだけじゃないでしょうか。
矛盾だらけで一方的に主人公に都合の良い安易な脚本や、決まりきった芸のないカメラワーク、一貫していない照明、変に格好つけた編集などは言うまでもなく、アイドル系に頼った出演者の演技力に至っては論外です。CGが話題だと言うので見てみると、CG画面と実写画面の画質が全然違う。だからどこからが作り物かはっきり分かってしまう。これでは泣く以前の問題です。
まあ、私自身、邦画というのはさほど見ず、見るとしても洋画が多いのであまり大きな事も言えないのですが、スカパーなどで見る古い邦画なぞから感じる事は、昔の方が少なくとも「その他大勢」がちゃんと演技していた、ということでしょうか。
ところで、行った映画館は有楽町のシネカノン。韓国映画「シュリ」や邦画 「月はどっちに出ている」、「パッチギ!」・・・などが シネカノンの制作または配給である。李鳳宇氏という代表者が映画ファンドで資金を集めているという。名前からして在日韓国人の人だろう。「フラガール」 監督も李相日氏。ふーむ、演歌と同じく、韓流のほうが泣かせるツボを心得ているのかしら。
ボタ山へのノスタルジー、なせばなる努力賛美、悪人は一人もいない――「フラガール」の世界はそういう要素から成り立っている。これが泣かせる条件なのか。昨晩は「世界最速のインディアン」を勧められた。これもそういう条件にかなっている。娘がライダーだし、次はこれで涙腺をゆるめてみるか。
やれやれ日銀利上げ
盟友、手嶋氏から貴重なアドバイスを受けた。「メルマガによる予告スクープで4勝1敗」とかこのブログに書いたが、そういうこだわりはよくない、とのことです。なるほど、仰せはごもっとも。
1カ月遅れで実現した21日の再利上げも、下手にはしゃがないことにする。いわんや、これで1敗が、0.5敗に割り引かれたなどとは、口が裂けても言わない。
されど、である。
どの新聞も驚くほど慎重だったなあ。前回外した朝日ばかりか、全国紙はどこも21日朝刊では、「政策決定会合始まる」だけの報道で、0・25%上げを報じたのは同日夕刊。つまり後追いで書いたのだ。
最後まで読みきれなかったのだろう。FACTAも悩んだ。どう書いたかは最新号のカバーストーリーを読んでもらうしかないが、見出しが「円安が催促した利上げ」と過去形にしたのがミソ。これを「円安が催促する利上げ」とやると、おとついの新聞みたいになってしまう。
うううう、と唸りながら過去形にしてよかった、と胸をなでおろすばかりである。といいつつ、取材の過程で今度はやるぞという漠然とした感触を得たのは確か。それが過去形でかろうじてセーフとなった秘密である。
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文春からキメこまやかな助言。FACTA最新号の書評欄には、同社刊の「周恩来伝」上下のもっとも早い書評が載っていますが、発売されるのは2月28日だそうです。早くも書店には問い合わせが来たそうなので、次回からは発売前の本の書評には発売日を入れましょう。
最近、映画で泣けない
「週刊現代」の加藤晴之編集長が、滂沱の涙を流したという映画を見てみた。思い切り涙腺をゆるめて、スクリーンをみつめた。ひたすら、ウルウルになるのを待った。ひたすら待った。だが、来ない。まったく一滴も流れなかった。トホホ、もうスレッカラシになったのか。
あらかじめフリージャーナリストのI氏に頼んでいたのだ。泣ける映画を教えてください、と。で、すすめられたのが「幸福の食卓」。去年から単館上映しているが、いまだにかかっているところを見ると、やは泣けるのだろうと期待した。でも、ダメ。
発端は「泣ける」ことで評判の「三丁目の夕日」である。DVDで見てみたが、戦後の焼け跡を知る身には、あのCGがいけない。東京タワーのたもとといえば、日比谷通りの芝あたりの設定なのだろうが、あんな広い道路だったはずはない、と記憶との乖離が気になって、まるっきり泣けなかった。
ラストシーンで上野から東北線に乗って、車窓から土手の上を併走する三輪車に気づくシーンがあるが、荒川を渡る線路にそんな場所はないとついつい思ってしまう。背景だけではない。いくら原作が漫画とはいえ、人物にもリアリティがない、などと悪態をついたら、冗談半分に「冷血」と言われてしまった。
そこで、名誉挽回のために「映画で泣く」ことが至上命題になったのだ。が、失敗した。「幸福の食卓」もさっぱりリアリティがない。いまどき、ありえないような純情でけなげ少女と、ナイスガイの初恋物語なのだが、悲劇がぴんと来ない。さあ、泣けといわんばかりに、雪が舞ったりするのだが、学芸会みたいに見えて、涙腺は一度も湿らなかった。
泣くのに必要なのは笑いとか間だが、そのリズムがつかめないのだ。しかし、I氏によれば、自分の思春期と重ねて、ノスタルジーで泣けてくるのだという。「こうなることは分かってましたよ。だから、インテリジェンス誌の編集長は困る」と言われても、そんな理由は受け入れがたい。「じゃあ、どんな映画で泣きましたか」と問われてぐっと詰まった。
「フェリーニのラ・ストラーダ。『道』。知恵遅れの妻ジュリエッタ・マシーナを置き去りにした、大道芸人のアンソニークインが海岸で嗚咽するだろ。あれは泣けた」
「ほうら、そんな古いの。外国映画はダメですよ。シチュエーションが違うもの。最近の邦画でありませんか」
「……」
愕然とした。最近、映画で泣いた記憶がない。涙腺の硬化が感受性の枯渇だとしたら、これは危機である。
だれか、泣ける映画を教えてくれませんか。涙腺の弱い加藤「現代」編集長にならって、FACTAの編集後記で激賞しますから。
うんざり東京マラソン
かつて体力なら怖いもの知らずだった時期、長距離走はわりと得意だった。高校時代に皇居一周は毎日の日課で、さほど苦とも思わなかった。だから「ランナーズ・ハイ」はよく知っている。
いまは中長距離走からは引退した。嬉々として走っているランナーたちをくさす気にはなれない。が、このイベントの臭さには辟易した。要するにこれは、石原慎太郎知事3選のために案出された人気取りの企画ではないか。長時間の交通規制と、都内移動の不自由を我慢させられたマラソンとは縁のない衆生にとっては、思いっきり腹立たしい日曜だった。
スタートが都庁前、品川と浅草を往復して、湾岸のビックサイトが終着点というコースは、選手を選挙のPRに使っているようなものだ。ゴールで待ち構えるのは、もちろん石原知事。優勝者の横にはりついて、目立とう目立とうとする卑しさが丸見えだった。あのへつらい笑いは傲慢の裏返しである。
優勝者へのインタビュアーが、石原知事の息子の良純氏である。石原身内(クローニー)政治はこんなところまで発揮しているのだ。起用するテレビ局もあきれたもんだ、と思ったらフジテレビ。うーむ、裏にはやっぱり電通さんですかね。
こういう手法、メディアミックスというより、公私混同と言ったほうがいい。何の疑念も持たず、完走の喜びにひたっている数万人のランナーたちに対する冒涜である。企画者たちだけがほくそえむ「クローニー・ハイ」なぞ、見たくもない。
FACTAの最新号(2月20日刊)は、前号に続き「石原都政の研究2」をお届けする。前回の新銀行東京――“慎太郎銀行”の大赤字問題は、2月12日付の日経が経営陣刷新を報じて後追いしてくれたから溜飲を下げた。今度は副知事更迭から不死鳥のごとく蘇った側近、浜渦参与についてだ。
あとは読んでのお楽しみ!
予告スクープ4勝目――東京証券取引所とロンドン証券取引所(LSE)の提携正式合意へ
2月12日付で「東京証券取引所とロンドン証券取引所(LSE)の提携正式合意へ」の記事が、読売新聞と産経新聞に掲載された。1月24日にFACTAオンラインのメルマガ(購読者限定)でお送りした予告スクープの後追いである。
これで昨年からの予告スクープの勝率は4勝1敗になった。「後追いされたら無料公開する」とのお約束通り、そのメルマガを以下に載せる。
その前に一つ言いたいことがある。FACTAのメルマガ報道に対し、東証広報は兜町記者クラブで「中身はデタラメ」とブリーフィングした。さてさて、落とし前をどうつけるのか。
東証は1月末に西室社長が訪米、ニューヨーク証券取引所(NYSE)との提携を発表している。LSEとは2月末に西室社長が訪英して提携に合意する予定だという。要は1カ月遅れの時間差で、FACTAメルマガが報じた「二股提携」を実現するのだ。
ただ、メルマガでは、東証首脳陣内の角逐――西室社長ら外人部隊と飛山専務らプロパー派の間で冷戦があることを書いた。西室社長らがNYSEとの提携を優先、プロパー派が対抗してLSE提携推進と割れているのだ。それが広報の気に入らず、「デタラメ」呼ばわりした理由だろう。
だが、事実が証明する。現にFACTAメルマガで、東証内は大慌てだったではないか。それを隠してオトボケ、1カ月も経たずに馬脚をあらわすような嘘をつくなら、仇は必ず討ってみせましょう。
LSEが東証に言い寄った背景のナスダックの敵対的TOB(株式公開買い付け)は、価格が低かったため失敗した。だが、これからまだプロクシーファイト(委任状合戦)などLSEの経営陣を動かす大喧嘩になる可能性も残っている。
ナスダックと、TOB支持のナスダック株主は、まだ諦めておらず、LSE経営陣としては引き続き自分たちの経営の正当性、合理性を証明しなくてはならない。そのための方便として依然、東証との提携がLSEには必要なのだ。「ほら、こんなにLSEは国際展開で頑張っている」とPRしたいのだ。
とにかくLSEとの提携は、予想どおり中身がかなりゆるめ。八方美人もいいかげんにしたら?
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“窮鼠”ロンドン証取が東証に急接近<
対ナスダック防衛で業務提携に合意へ
英国のロンドン証券取引所(LSE)が東京証券取引所に急接近し、新興市場運営やETF(上場投資信託)の分野で業務提携することに近く合意に達する見通しだ。
LSEは現在、米国のナスダック市場を運営するナスダック・ストック・マーケットに株式の29%を保有され、ナスダックから敵対的なTOB(株式公開買い付け)を受け、その期限が1月26日と目前に迫っている。このため、その「盾」として日英提携が浮上、 LSEが東証に持ちかけ、合意発表を迫っているという。東証はニューヨーク証券取引所(NYSE)とも提携交渉を進めており、米欧の証券取引所陣取り合戦が日本に飛び火し、「娘1人に婿2人」にも似た日米欧三極のもつれあいに発展したことになる。
LSEと東証の業務提携は、具体的にはLSEのベンチャー市場「AIM」と東証マザーズの情報交換、上場審査プラットフォームの相互利用、ベンチャー銘柄などからなるETFの共同開発や相互上場の促進など。しかしもともと企業防衛が主眼だけに、日本の金融庁幹部は「発表を急ぐ余りに精神規定ばかりで、提携の中身がスカスカになる可能性が高い」と危惧している。
LSEが必死になっているのは、LSEの身売りに賛成する米著名投資家のサミュエル・ヘイマン氏が経営するヘッジファンド「ヘイマン・インベストメント・アソシエーツ」とヘイマン氏自らが経営する別会社がLSEの株式を買い漁り、合計で10%を超えた模様だからだ。ヘイマン氏の発言力が強まり「ヘイマン=ナスダック連合」が形成されるのを、LSEは何よりも警戒している。
ロンドンのマスコミ関係者によると、LSEは英フィナンシャルタイムズ(FT)紙などを使って、米企業改革法(SOX法)の弊害を訴える「米国市場のネガティブ・キャンペーン」を張っているという。ナスダックがLSEを買収すれば、米SOX法並みの厳しい規制が英国に持ち込まれ、「柔軟なルールが売り物だったロンドン市場の空洞化を招く」などと吹き込んでいる。これがそのままFT紙の論調となっている。
LSEは今後、ナスダックが経営陣退任の株主提案や訴訟提起することも視野に入れており、東証など他取引所と形だけでも提携して買収提案拒否を正当化したい考えだ。
しかし、看板市場「AIM」の全上場銘柄で構成する株価指数AIM全株指数は、過去1年で5%ほど下げている。主要市場の英FTSE百種総合指数がほぼ1割上がっているのに比べると、AIMの不振が目立つ。理由は上場企業の情報開示に対する不信感で、ここをナスダックが突いてくる可能性がある。
大手監査法人アーンスト・アンド・ヤングによると、AIM上場企業の業績下方修正は昨年、2005年比14%増えた。上場したての企業が業績を修正するケースも目立つ。AIMは上場ルールが緩く、決算や財務内容の数値基準も設けられていない分だけ、上場企業の質が劣化している。このため、クリーンな日本勢と組むことでダーティーなイメージを払拭したい。
では、なぜ香港、上海、シンガポールではなく、東証を狙ったのか。そこは外交大国の英国人。東証内部でくすぶる内ゲバを逆手に取ろうという戦略らしい。
東証では現在、西室泰三会長兼最高経営責任者(CEO)、取締役の氏家純一・野村ホールディングス会長、元NTTの鈴木義伯常務という「進駐軍」経営者と、プロパー出身の飛山康雄専務、長友英資常務の対立が先鋭化している。「進駐軍」は国際展開を急いでおり、米国での駐在経験が長いとあって、まずはニューヨーク証取やシカゴ商品取引所(CBOT)など米取引所との関係強化を目指している。
これをプロパーは面白く思っておらず、同じ秘書上がりプロパーで国際業務担当の清水寿二執行役員が西室会長に恥をかかせる材料はないかと独自戦略を探していた。それを察知したLSEがあえてプロパー勢を窓口に提携を申し込んだという。
東京金融特区の構想が飛び出るご時勢であり、東証の国際展開は結構なことだが、 1月26日の敵対的TOB期限という向こう側の事情にあわせて生煮えのまま契約すれば、日本が損することになりかねない。マネーロンダリング疑惑のあるインターネット・ギャンブル企業が平気な顔で上場するAIMの汚水が日本に逆流する恐れもあるからだ。
ハラハラ円相場
編集作業でブログがお休みになった。そろそろ再開するが、実はまだ編集が完了したわけではない。現実と同時進行になって「責了」とできないページがあり、最後まで気が抜けない。
締め切りに間に合わないトピックスは二つ。日銀の利上げ問題と北京の6カ国協議である。
後者については、平壌の予測し難さ(米中は楽観的だったが)から見て、とても無理はできないと判断した。はたして6カ国協議は難航、内心は胸をなでおろしている。マカオの口座凍結一部解除の見返りに、寧辺の黒鉛炉の停止という事前予測を前提にしなくてよかった。雑誌編集はときにリスク回避も必要である。
残るは利上げ問題。これは先月のメルマガで事前予想を「外した」だけに、逃げるわけにもいかないが、政策決定会合はデッドラインのはるか彼方、しかも9-10日にエッセンでG7が開かれるとあって、はなはだ難しい判断を迫られた。ご承知のようにG7の共同声明では「円安=低金利」への言及が避けられた。円安を利上げの理由にさせまいとする、財務省の裏方の懸命の働きかけがあったのだろう。
問題はこれに市場がどう反応するかである。ところが、日本は建国記念の休日で、月曜の東京市場は開かない。こういうときは祭日が恨めしい。うーん。
とりあえず、シンガポールなどのアジア市場、さらにロンドン市場をにらむしかない。外国為替のボードとにらめっこという、せっかくの連休も台無しとなりました。苦悶の末に13日に今度こそ「責了」を宣しなければならないが、さて……。
ラスプーチン2審判決(2)――もう一人の被告
昨日の続きである。外務省元主任分析官、佐藤優被告の控訴を棄却した東京高裁・高橋省吾裁判長の判決のロジックを丹念に追うと、驚くべき司法の素顔が浮かびあがる。裁かれたのは佐藤被告ではなく、外務省だったのではないか。
「背任」とされたロシア支援委員会の支出が、協定違反かどうかをめぐるポイントで、高橋判決は外務省の「決裁」を単なる「回覧」だったという、唖然とするような決めつけを行うのだ。判決理由の要旨によれば、
「外務省の文書決裁基準等に関する訓令によれば、本件各案件は欧亜局長までで決裁を了する事案であり(合議先の条約局の決裁は別論)、本件派遣案件が外務事務次官等の決裁に回されたのは、回覧という意味合いであったと認められる上、外務省の最高幹部が、多忙等のため、協定解釈上の問題点を明確に認識しないまま決裁を与えたとしても、あながち不自然、不合理ではなく……」
この論理はひどい。外務省はコケにされたのだ。事務次官ら最高幹部は多忙なため、ろくに資料も読まずに、決裁のメクラ判を捺していると言われたにひとしい。公判で外務省の証人がこんなことを認めたはずはないから、検察官と裁判官の両方に「外務省蔑視」があったとしか考えられない。
もともと霞が関の他省庁は、海外で優雅な暮らしをしていると見える外務官僚への反感が強い。外務省の斜め向いの東京高裁でもそうなのだろう。機密費問題で信用を失墜した後遺症で、外務省はずぼらな決裁、ずぼらな官庁という烙印が押されていて、その先入観にこの判決も染まっているのだ。
ただし、先の引用文中の「あながち」という言葉に注目。言葉を使い慣れた人間ならピンとくる。牽強付会のときにつかう言葉である。不自然、不合理でないという二重否定も、内心は自信がない証拠である。高橋裁判長はおそらく後ろめたいのだ。しかし引き返すわけにはいかないから、無理に無理を重ねる。
「さらに、本件各案件の決裁自体が、案件に関する正しい情報に基づきされていないと認められることに照らすと、外務省内の決裁手続きを経ていることは、本件協定に違反しないことの証左になりえない」
またも二重否定である。しかも、ここでも「照らすと」が顔を出す。ストレートに「外務省内の決裁手続きには意味がない」と言ったらどうだ。あるいは「外務省は官庁ではない」と。
官庁は全知全能ではない。正しい情報に基づかない決裁など日常茶飯事である。その業務がすべて「適正でないことの証左になりえない」のか。これでは外務省に限らず、官庁は何にもできませんぜ。
裁判所はいつから、霞が関の勤務評定を始めたのか。この裁判自体が外務省批判の一環だというなら、正面から堂々と批判すればいい。二重否定だらけの卑怯な論理で、隠微にやっつけるのはいただけない。世論と検察に迎合するから、こういうグロテスクな文章になるのだ。
外務省も天を仰ぐ。「国際法の実務をまったく知らない裁判官なんでしょうねえ」と長嘆息である。飯のタネにならない国際法は司法試験でも選択科目。超ドメの国内の刑事裁判では国際法に関わることなどまずないから、判事もほとんど勉強していない。試みに聞いてみたいものだ。高橋裁判長よ、国際法の本を何冊お持ちですか。あなたの知識で有権解釈権の議論なんて理解できたのか、と。
最高裁判事も事情は同じだから、佐藤被告が上訴しても判決が覆ることはありえないだろう。外務省がまともに決裁すらできない官庁だというなら、裁判所も被告台に立つべきだ。遮眼帯をかけた裁判官に、どうして外交が裁けるのか。ああ、無知は強い。
ラスプーチン2審判決(1)――死の飛躍
背任と偽計業務妨害の罪に問われていた外務省の元主任分析官(休職中)、佐藤優被告の控訴審判決(高橋省吾裁判長)が1月31日、東京高裁刑事第五部で言い渡された。予想通りというべきか、嘆かわしいというべきか、佐藤被告の控訴は棄却された。
判決理由の全文はまだ入手していないが、とりあえず理由の要旨を手に入れて読んでみた。FACTAの昨年7月号(6月20日刊)の「佐藤ラスプーチンに『爆弾証人』」で、彼の上司だった東郷和彦元条約局長が証言台に立つことをスクープし、この裁判の盲点を指摘した経緯があるだけに、論評する権利と必要があると信じる。
一言で言えば、高橋裁判長は一審判決よりましとはいえ、先入観の罠から出ることができない“凡庸”な判決を下したと思う。
この裁判のポイントは、ロシアの内情に通じたイスラエルに食い込むため、ロシア情報の権威であるテルアビブ大学教授を2000年に日本に招待、その後に同大学主催の国際学会に日本の学者を派遣した費用3300万円を、外務省関連の国際機関、ロシア支援委員会から支出させたことが、検察の言う「背任」にあたるかどうか、だった。
背任であるためには、この支出が国際協定違反でなければならないが、当時の外務省条約局条約課の結論は「協定違反にあたらない」だったのに、検察側は「鈴木宗男(当時は内閣官房副長官)の圧力に屈して協定解釈を曲げた」というシナリオで通している。
外務省は捜査の過程でも1審、2審の公判でも、このシナリオを認めていない。支出の決裁に関わった東郷元局長も、国際協定などの有権解釈権は外務大臣―事務次官―条約局長―条約課長のラインに属し、それに沿って「協定違反にあたらない」と判断したのだから、背任は成立しないという論理だった。
2審判決は、この国家意志の分裂を十分に理解したとはいえない。東郷証言が「結局は協定に合致するという決裁をした条約局の有権的解釈がある以上それが正しく、違法になることはありえない旨繰り返し述べているにすぎない」「説得力ある根拠を提示てきていない」とされる理由を、以下のように決めつけているからだ。
「東郷は条約局長当時、本件協定の解釈に関する見解を記載したメモを条約課に回覧したところ、その見解が本件協定の文理を離れて、甚だ抽象的かつ恣意的な基準により支出対象を無限定に拡大することを許容するという、解釈論としておよそ説得力に欠けるものであったため、部下である条約課の職員からも無視されたことに照らすと、東郷の上記供述は、本件協定の解釈にあたって考慮に価する見解とはいえない」
これは理由の要旨だから、本文はもう少し精密な文章なのかもしれないが、いかにも粗雑なロジックである。問題は「照らして」にあると思う。ここでいうメモは一般論としての簡単なメモであり、この3300万円の支出をロシア支援委員会に支出させることの是非ではなかった。一般論に局内で疑義が呈されたからと言って、この個別の支出が協定違反と断ずるのは、明らかな飛躍である。
「照らして」はそのギャップを埋める強弁の措辞としか思えない。よほど1審判決を覆したくないという意志が働いたか、あるいはもとから高橋裁判長に論理的能力があったのかを疑わしめるに足る。この飛躍はまさにモルト・サルターレ(死の飛躍)であり、「考慮に価する見解とはいえない」のは判決のほうだと言っていい。
東京高裁って程度が低いなあ、というのが正直な感想だ。滑稽なくらいのアウト・オブ・ポイント。有権解釈権の細部になると、高橋判決はもっと馬脚をあらわす。それはあすまた書こう。
「対朝包囲網」の続報
先週末の金曜、金融庁がメガバンクと中小金融機関の監督指針の強化に乗り出している、と人に教えられた。そこで、金融庁のサイトを覗いたら、ありました。要は、ガイドライン強化案を世に示し、パブリック・コメントを2月26日までにお寄せくださいというものだ。
強化案の概要を引用すると――。
本人確認や疑わしい取引の届出を的確に実施しうる内部管理体制の構築が組織犯罪による金融サービスの濫用を防止し、我が国金融システムに対する信頼確保の観点からも重要である旨を明確化するとともに、そのための内部管理態勢の整備にあたり①コルレス先や顧客の属性把握の重要性、②金融サービスが濫用されている惧れがある場合における銀行内部の適切な報告・管理態勢の構築の重要性、③これらを可能にするための、研修態勢・マニュアルやシステムの整備の重要性等、監督上の着眼点を明確化する。
なるほどねえ。金融庁が推進する「日本版SOX法(企業改革法)」の眼目である「内部管理」に滑りこませるあたり、さすがに霞が関官僚らしく巧みである。FACTAの1月号(06年12月20日刊)で載せた記事のように、本来の内部管理と、マネロン防止のシステムとは別次元だと思う。前者は企業会計の不正防止だが、後者は国家によるマネロン封鎖の代行を民間にさせるのが主眼で、むしろ「外部管理」だからだ。
とにかく、マネロン封じといいつつ、アメリカ主導の対朝包囲網が着々と形成されていることが、これでお分かりいただけたろうか。バンコ・デルタ・アジア(BDA)の数口座の凍結を解除しても、アメリカにとっては痛くもかゆくもない。肉を切らせて骨を断つどころか、数本の毛をむしらせて、マネーの大動脈を断つようなことをしているのだ。BDAのエビで、しばらく核の挑発がやむなら、アメリカにとってオンの字ではないか。