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「国宝 熊野御幸記」のススメ――「ジャーナリスト」定家
熊本日日新聞09年5月24日付の書評コラム「阿部重夫が読む」で「国宝熊野御幸記」(三井記念美術館・明月記研究会共編、八木書店8500円+税)をとりあげました。
定家の日記「明月記」は、「紅旗征戎吾が事にあらず」の傲然たる非政治主義で有名だが、実際に読んでみると随分人間臭い。三井記念美術館は日銀にも近く、分不相応ながら書評にチャレンジしてみた。
南方熊楠が粘菌の採取に縦横に山河を渉猟した地であり、「一遍絵伝」や「小栗判官」でおなじみだ。「有らざらん」の天誅組も、敗走しながら十津川街道をくだり、熊野に逃げようとして、たどりつけなかった。「義経千本桜」の川連法眼も、ほんとうは熊野別当のことではないかと思う。鮨屋に潜伏して(平安末期に鮨屋があるはずもないが、そこは歌舞伎のご愛嬌)復讐の機をうかがう平維盛は、出身が熊野だったという薩摩守平忠度と重なってみえる。
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いつの世も「下流」は哀しい。「百人一首」の歌人、藤原定家も、下級貴族の不満と呻吟と呪詛を綿々と56年間も綴った日記「明月記」を残した。現代の下っ端役人なみに、揉み手すり手で猟官に励み、その俗っぽく滑稽なさもしさは、中世の奇観と言えよう。
「熊野御幸記」はその「明月記」からの抜抄である。建仁元年(1201年)、後鳥羽上皇の熊野詣に定家が供奉した際の記録で、珍しや定家の直筆本ゆえに国宝に指定されている。和歌山在住の神坂次郎氏の労作などで存在は知っていたが、このたびその影印と訓読、現代語訳、注解や関連論文などを収めた決定版が出た。
影印で見る定家の筆跡は、墨の濃淡といい、書き損じや「、」を連ねた略記、加筆、声点のあとも鮮やかで、定家の筆の迷いが透けてみえる。書道に造詣の深い人は、能書にじかに接する喜びを味わうだろう。
それだけではない。全文を通読してみて、京からはるか南の幽邃の地、熊野三山を「貴賤にかかわらず」野越え山越えめざした欣求浄土の群れが目に浮かんだ。
40歳の定家にこの辺境は初めての地だった。22歳の後鳥羽院はすでに3回、熊野に通っている。定家は足に自信がない。それでも同行したのは、院政実力者の内大臣、源通親が熊野に随従するため、なんとか取り入って権少将から中将に官位をあげてもらおうと切望したからだ。
「御幸記」の定家はいじましい。一行に先駆けて船や昼食、宿所を設営する役――現代でいえば「ロジ(スティクス)役」に励む。席を温める暇もなく暁暗に起き出し、輿に乗ったり馬を馳せたり、御幸の先触れや途中の王子社での御経供養や奉幣と走りまわる。
夜は後鳥羽院のお召しで歌会の講師役、へとへとで詠んだ歌に「霜の心すでにもって髣髴(おぼろおぼろ)たり、卒爾の間、力及ばず」と傍書するほどだ。
やっと解放されて寝るのは「三間の萱葺屋で板敷無し」、窮屈平臥を強いられる。ついに寝坊して白拍子の舞いを見損ねた。そそっかしい人だったようで、民家に宿をとったところ、死人が出た禁忌の家と知って慌てている。
穢れた身では熊野に入れない。水垢離、潮垢離で身を浄めたが、風邪をひいてしまう。鼻水をすすり、咳をこらえながらの強行軍。険しい山道に行き暮れ、土砂降りの雨にあう。権をかさに着た内大臣家の家人に、仮屋をしめだされる屈辱。ちょっとミスター・ビーンを思わせるドタバタだ。
修辞をひねる余裕もなく、「河の深き処は股に及ぶも袴をかかげず」とか「次で崔嵬嶮岨を昇り」とか次第に描写がおざなりになり、熊野本宮に着いても「感涙禁じ難し」とあっけない。那智の滝を拝み、大雲取、小雲取越えで豪雨に遭遇して「こころ喪きごとく」とついに失神する。
艱難辛苦のかいあって、定家は出世できたのか。徒労だった。だが、御幸記は800年の後まで生き延びた。定家の悲嘆が目に見えるようだ。ジャーナリズムがジャーナル(日誌)を語源とするなら、定家は報われぬジャーナリストの祖であった。
牧久『サイゴンの火焔樹』のススメ
本書『サイゴンの火焔樹もうひとつのベトナム戦争』(ウェッジ2520円)の筆者は、駆け出しの社会部記者だった時代の私のセンセイの一人である。遊軍キャップとして、私と夏休みの企画記事「異常気象」を連載したあと、外報部へ移って75年3月にサイゴン特派員に赴任、一カ月余で陥落を迎えた。南ベトナムの崩壊である。
「国が滅びるなんて現場は、一生に一度あるかないかのこと。歴史の証人になれるなんて、これほど記者として幸運なことはない」
帰国後、どこかの酒席で彼がそう言うのを聞いたことがある。その通りだ。私もここまで記者を続けてきたが、国家が滅亡する光景には立ち会ったことがない。サダム・フセインのイラクに侵攻する米軍に同行した「エンベディド」記者たちの気負いも、そんなところにあったろう。私は滅びる前のイラクには行ったが、02年にバグダッドが占領される現場にいあわすことがかなわなかった。
彼を見送った後輩として、当時はそんな現場にいただけでも羨ましいと思った。外報部が身の危険を心配していくら牧氏に撤収を助言しても、頑としてサイゴンに居残り続けたという「逸話」が聞こえてきた。さすが、社会部のガッツと心中拍手を送る。だが、すでに通産省社会部クラブと国税庁クラブの兼任記者になっていた私は、田中金脈事件の応援などで忙しくなり始め、外地のことは遙かに遠のいていた。
もちろん、戦地がどれだけ危険かは知らなかった。すでに砲弾や蝕雷で日経記者も命を落としていることは聞き知っていた。サイゴン陥落後の牧特派員は、一時連絡が途絶したものの、北ベトナム軍と解放戦線の臨時政府の監視をかいくぐって、サイゴンの今を書き送ってくる。ベトナムを出国する誰かに託して送ってくるのだろうが、身の危険を顧みない記事にはタブーのはずの臨時政府批判もあって生々しかった。
その記者魂に憧れた時期があったと思う。彼が死地を脱することができるかどうかは、わがことのように思えた。そのうち、ハノイの逆鱗に触れて退去命令が出たと聞いた。75年10月末、シンガポールに無事脱出との報が入った。
その激動の時期は10年後の85年に「諸君!」に書いていたが、どこかもどかしさを感じた。察しはつく。おそらく支局の現地スタッフの身を案じていたのだろう。ベトナムがドイモイ政策で開放されるまで、彼に協力した人々は反政府分子とされ、辛苦をなめたにちがいない。彼はベトナムにずっとある後ろめたさを感じざるをえないのだ。それが「歴史の証人」の責務なんだろう、と勝手に思っていた。
それが当たらずとも遠からずであったことは、さらに20年以上経ってようやく形をなした本書でわかる。北ベトナムは勝ったが、ベトコンは敗者だったのだ。
現地の情報源として頼ったチャン・バン・トアン氏や、故人となった元日本兵、落合茂氏のその後をたどった個人史「第二部歴史に翻弄された人たち」こそ、本書の白眉だろう。こういう人たちがいたのだと思う。記者に託して自らは沈黙する、そういう彼らなくして「歴史の証人」など成り立たない。
ロンドンで何度もミュージカル『ミス・サイゴン』を見たが、脱出のヘリに鈴なりに人がぶら下がる有名な場面は、メロディーと歌が美しすぎる。現実の修羅は語られざるところに存し、歴史は必ずしも勝者には帰さない、と信じよう。
筆者はその後、日本経済新聞の副社長となり、テレビ大阪の会長もつとめた。いまは悠々自適である。ここは当時と同じく「フトマキさん」と呼ばせていただこう。
フトマキさん、あなたは「ベトナムの敗者」の証人だったのですね。
FACTA 対 オリックス――雉も鳴かずば1
5月21日、オリックスはウェブサイトで「ザ・ファクタ」の記事についてと題するリリースを流した。
「名誉・信用毀損に基づく損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を東京地方裁判所に提起いたしました」とあるので、訴状が届くのを待っています。それ以前に内容についてコメントするのは時期尚早だと思いますが、すでに取材の過程で「書いたら法的手段をとる」という警告書を送ってくるなど、予想された動きではありました。
世の大半の人は、連結有利子負債が長短あわせて5兆2500億円もあり、トヨタ、東電に次ぐ日本第三位(連結)の借金企業ということを知らない人が多い。これだけ不動産価格が下がった時期に、推定で3兆9000億円程度も不動産につっこんだオリックスが危機でないはずがない。資金繰りに問題がないなどと強がりを言うにもほどがある。
そもそも「崖っぷち」という見出しをつけた本誌1月号から、オリックスは弁護士を介してたびたび警告を発しており、「かんぽの宿」問題が騒がれて、一時クビをすくめていただけと思える。オリックスの窮状を暴くメディアを力で押さえ込もうという姿勢に、強い疑問を感ぜざるを得ない。
雉も鳴かずば、という言葉がある。力ずくに対抗するには、メディアは照魔鏡しかない。金融の暗がりに光をあて、「金貸しの業」を明るみに引きずり出そう。
過去10年間、オリックスに融資してきた金融機関の変遷を全部暴露してさしあげよう。どこが逃げ、どこが逃げ遅れたか、メーンバンクなきノンバンクが、どんなババ抜きゲームにあっているかをここにさらしものにする。対オリックス融資の業態別上位リストの第1回目は1999年。当時のメーンバンクは三和銀行で、三和信託と合わせると1800億円台、それに次ぐのが日本興業銀行、農林中央金庫だった。
新生・鳩山民主党
民主党の代表が、鳩山由紀夫に決まった。4月号で「『ポスト小沢』に鳩山指名か」という記事を載せたが、やっぱりという感じである。小沢が辞意を表明した11日の会見で勝負はあった。「補正予算の審議が終わるのを待ったうえで速やかに代表選挙を実施してほしい」と、わずか5日後と決めたが、連休中に小沢・鳩山で周到に仕組んだのだろう。
世論調査では岡田2対鳩山1くらいで、岡田期待論が強かったが、それを承知で両院議員総会での短期決戦としたのは、参院民主が小沢支持で固まっているため、意中の鳩山が有利になると読んだからだ。こういう局地戦になると反小沢派はまるで弱い。野田、前原らは「政治の要諦は日程にあり」ということが読めず、12日の役員会で「党員、サポーターも入れた代表選挙」を唱えたが後の祭。「党の規定と違う」と小沢に一喝されてシュンとなった。結局、鳩山124対岡田95と、岡田は追い上げても100票に届かなかった。
鳩山は99年から2002年まで民主党代表だったので、返り咲きになる。鳩山民主党の布陣は、幹事長に岡田、代表代行に小沢をあて、管や輿石の代表代行を留任とし、一応挙党態勢をとっている。今夏が有力視される総選挙で、選挙に強い小沢は欠かせないということだろうが、結局は党の顔をすげ替えただけで路線や党の派閥バランスに変わりは見られない。
これが国民の支持率を回復させるかとなると、いささか疑問だ。民主党に、自民党政治に対するアンチテーゼを期待する人には煮え切らないものに映るだろう。さすがに、鳩山新代表もそれを意識して、小沢色を薄めようと腐心してるのが見て取れる。就任会見で「私はまだ猛獣使いになれないかもしれないが、それなりの覚悟を持って臨んでいきたい」とジョークまじりに語ったが、旧民主党結党時の代表であり、鳩山家の私費を党に貸した(その後返済)という自負がそう言わせたのだろう(自腹を切って政党を起こしたのは彼くらいではないか)。
具体的な政策でも二人には違いがある。特に安全保障では、国連至上主義で、駐留米軍は不要、第七艦隊だけで十分と言いきった小沢に対し、鳩山は日米安保条約見直し論や改憲構想を持っているものの、もう少しソフトな「友愛」論や共生論で包もうというスタンスだ。
かつて「宇宙人」と冷やかされた鳩山だが、「友愛精神」と言われてもいまいちピンと来ない人も多いだろう。以前、民主党幹事長を辞めて逼塞していた時代に、「友愛」とは何ぞやと聞いてみたことがある。英語で言うとFraternity、同胞愛という意味で、フランス革命の自由、平等、博愛の「博愛」にあたるそうだ。彼の頭の中では由緒正しいコンセプトだそうだが、当時も説明不足は認めていて、これをどう現実の政治で肉付けしていくかは「これからです」と言っていた。その後、小沢代表の下の幹事長として苦労したので、少し人間が練れてきたと期待している。
だが、それで総選挙に勝てるか。正直、麻生対鳩山の「お血筋対決」では盛り上がらないだろうし、鳩山も目標を単独過半数から比較第一党まで下げざるをえないだろうから、どちらが勝っても勢力伯仲が続くことになる。
小沢が見据えているのもまさにそこだろう。仮に麻生自公政権が生き残れたとしても衆参ねじれは残る。鳩山民主党が勝っても、政権担当能力に乏しいから揺れる。どちらにしろ、もう一度、大連立または中連立で打開を図らざるを得ない。そのときは自分が後方に退いて「鳩山党首」のほうが組みやすい。自民党にも「ポスト麻生」に小沢氏とパイプのある与謝野氏がいる――。小沢は心臓疾患を抱えて総理の激職はムリと言われてきた。「黒衣」のほうが動きやすい。水面下に潜ってこれから仕掛けを始めるだろう。(敬称略)
6月号の編集後記
FACTA最新号(2009年6月号、5月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は25日からです。
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もう1年になる。日経連元会長の永野健氏が85歳で亡くなったのは、昨年5月12日だった。彼のご子息2人と学校や会社で親しかった縁もあり、東京・渋谷の桜丘にあった永野家の旧邸が今は懐かしい。その一周忌にご遺族から、小冊子『技術無限――永野健最後の講演から』をいただいた。70ページ足らずだが、目で追っていくと、故人のあの朗らかで野太い声が耳に響く思いがする。
▼歯に衣着せず「銀行の給料は高すぎる」と批判した硬骨の志は、この9年前の6月23日の講演でも息づいていた。「古い産業といえども、形を変えて新しい産業に貢献している。むしろ現実には、古い産業が頑張って生産性を上げているからこそ、新しい産業の発展も可能になったのです」という言葉には、けっして古びないエンジニアの気迫がこもり、今も心を励まされる。
▼彼自身、鉱業という第一次産業に身を置いて、銅の新しい製錬技術を開発した矜恃があった。「資源は有限だ。いつか枯渇する」が口癖だったが、それを克服する技術革新に無限の信を置いていた。それでも「技術は万能ではない」と慢心を諫め、「人こそ経営のカナメ」と安直なリストラに疑念を呈した。別の講演を拝聴したことがあるが、訥々として「ひたむきさ」が胸を打つ人だった。
▼講演は大阪の茨木商工会議所で行われた。かつてのわが古巣の同僚、掛谷建郎君が、家業を継いで当時は副会頭(現在は会頭)を務めており、その頼みに応じたらしいが結局、講演はこれが最後になった。90年代のある時期、掛谷君や私は永野氏の隠れブレーンみたいな役回りで、旧大蔵省の銀行・証券局分離などでたびたび意見を聞かれた。今はすべてが懐かしい。健氏の父、護氏が昭和20年9月に講演して印刷したザラ紙の『敗戦真相記』を目にしたのもそのころだ。日本の岐路に、親子それぞれが残した至言は貴い。
菅原出著『戦争詐欺師』のススメ――21世紀の『おとなしいアメリカ人』
友人の菅原出君が、講談社から『戦争詐欺師』(税+1800円)という、面白いノンフィクションを出した。
私もイラク侵攻直後に『イラク建国』(中公新書)を出したことがあるので一読したが、みなさんにお奨めしたい。彼とはもう10年くらいの付き合いになるだろうか。アムステルダムで修士号をとって帰国後、何かの縁でお会いしたとき、ジョン・フォスターダレスが所属した名門法律事務所サリバン&クロムウェルに小生が感心を持っていると打ち明けたら、その事務所の歴史を書いた本のコピーをいただいた。
へえ、同好の若手がいるもんだ、と感心した。彼の興味は間戦期のアメリカがいかにドイツに投資していたかの研究で、02年に『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』(草思社)という本に結実した。
だが、小生と同じく彼の興味は歴史にとどまっていない。いつしか現在を追いはじめ、国際政治アナリストとして東京財団に籍を置いたこともある。その後、イラク侵攻で脚光を浴びたPMC――民間軍事会社をルポし、自ら訓練に参加して書いた『外注される戦争民間軍事会社の正体』で新境地を開いた(ブログでの書評)。
今回はふたたびワシントン政治に焦点をあてているが、アフマド・チャラビという狂言回しを軸に、ネオコンの「悪の枢軸」たちの壮絶な戦いを的確に描破している。日本人でこれだけ書けるというのは驚異だ。みなさんに一読をお奨めするとともに、拙いながらも書評を試みた。
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まだサダム・フセインが健在だった1996年、国の隅々までムハバラトの監視の目が光る秘密警察国家イラクに私は入国した。いま思えば無謀だった。イラクが大量破壊兵器を隠しているかどうか、石油と食料を交換する国連の計画がどこまで機能するかを、日本人記者の身で取材しようとしたのだ。
だが、入国してすぐ気づいた。どこで盗聴され、どこで拉致されるか、分からない。心臓が喘ぐようなその恐怖は忘れることができない。それは、ヨルダンからの砂漠の横断行のためにチャーターした車で、運転するクルド人兄弟から伝わってきた。
南部のシーア派と北部のクルド人は、サダムがとことん弾圧しただけに、彼らのイラク人憎悪と恐怖は言葉の端々に現れる。すぐ寝返る、密告する、人を騙す、カネに汚い、暴力が好きだ……過去の過酷な経験が、彼らをそう言わしめていた。
そういうイラク人評は、ロンドンに帰ってからも、亡命クルド人の会合に出入りして耳にした。同じ反サダム派でもイラク人は信用ならない、どこにスパイが隠れているかわからない、という。「アフマド・チャラビ」――その名も悪罵されていた。
クルド人は顔を歪めずに、その名を口にできなかった。亡命イラク人組織「イラク国民会議」を率いているのは表向き。「アメリカの金で腐っている」と吐き捨てるように言う。
01年の「9・11テロ」以降、アフガニスタンに続いてイラクがブッシュ政権の次の標的に挙げられるころ、本書の筆者、菅原氏と「ネオコン」論をさんざん戦わせ、寄稿もしてもらったが、私が一貫してネオコンにいかがわしさを感じていたのは、「サダム打倒後にチャラビを新生イラクの指導者に据えようとしている」と聞いたからだった。
瞬間的に、クルド人のしかめ面を思い出した。ヨルダンから銀行不正で指名手配されているような男がなぜ?イラク人はつくづく救われない、と思った。と同時に、本書のタイトルにあるような「戦争詐欺師」の彼を重用するネオコン派の「人を見る目」のなさ、その無邪気な楽天性の悪が念頭に浮かんだ。菅原氏にこう言ったのを覚えている。
「Quiet Americanと変わらないな」
1950年代ベトナムを舞台にしたグレアム・グリーンの小説のタイトルだが、チェイニー、ラムズフェルド、ウォルフォウィッツ、パール……と並ぶ「阿呆船」の面々が、ブッシュ大統領をいかに籠絡し、パウエル国務長官らを駆逐していったかは、米国にもさまざまなドキュメンタリーがあるが、日本人で自ら取材して書こうとした壮図には頭が下がる。
彼らの誤謬は、まだアメリカでも結論が出ていない。オバマ政権の登場で一見、脇に押しやられているが、復活の機を虎視眈々とうかがっている。ベトナム撤兵と同じく、イラク撤退後に、また記憶が遠のけば、彼らの出番がやってくる……。
本書は21世紀の『おとなしいアメリカ人』である。グリーンがそうだったように、「おとなしい」に思いきり皮肉をこめてそう言える。
ラ・トリビューン紙編集長とトーク
フランス大使館からの依頼で5月27日にラ・トリビューン紙の編集長とのトークに参加することになりました。詳細は以下の通りです。朝日新聞の山田厚史編集委員とご一緒らしい。日銀取材時代に接点があるが、さてどうなりますことやら。入場無料です。ご興味のあるかたはどうぞ。
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エリック・イズラエルヴィッチ講演会『危機におけるメディアと情報』
日時:2009年05月27日(水)19時00分
場所:東京日仏学院エスパス・イマージュ
入場:無料
お問い合わせ:東京日仏学院(03-5206-2500)
後援・協力:在日フランス商工会議所
※フランス語&日本語(同時通訳付き)
特集・特別企画「経済危機、如何にして脱出するか?」のイベントです。
メディアと情報は現在の経済危機において重要な役割を担っている。
例えば、情報のグローバル化とその配信の素早さがどれだけ経済市場に影響を与えているかでそれが分かる。ある大陸である証券取引所が開かれたその時から、全ての経済人が地球の裏側にいてもそこでの取引にリアルタイムでアクセスできる。しかし経済市場でよく観察されるこの現象以上に、情報は、国家、消費者、企業などの経済的な活動体の持つ信用及び不信という点で、また、景気対策案の発表が確立する(もしくは確立しない)信用という点で、もっと基礎的な役割を担っている。
今日の経済危機はつまり、迅速でグローバル化された情報という非常に現代性の強いコンテキストによって特徴づけられる面を持つ。
エリック・イズラエルヴィッチは、フランスの第一線で活躍する経済ジャーナリストである。日刊紙「ル・モンド」の経済部門を率いた後、「エコー」紙の編集長及び論説委員を務め、今日では「ラ・トリビューン」紙の編集長に就任している。今回の講演会では、2008年から2009年の危機における情報とメディアについて深く分析する。
5月26日に「有らざらん 弐」出版記念パーティ
「有らざらん弐」の出版を記念して、出版元のオンブックの橘川デメ研代表が記念パーティを開催してくれることになりました。
場所は、銀座のお洒落なラウンジで、オンブックとデメ研の激励会も兼ねます。もし、ご興味のある方がいらしたら、ぜひお越しください。概要は下記の通りです。
日時:5月26日(火曜日)
時間:午後7時より(会場は午後6時30分)
場所:銀座「砂漠の薔薇」
会費:¥8,000円(書籍付)
申込締切:平成21年5月22日(金)迄
申込:お名前、ご連絡先、メッセージ等を明記の上、メールまたはFAX(03-3716-8443)でお申し込みください。
事務局:担当中村邦寿
〒152-0004東京都目黒区鷹番2-8-16-102
TEL:03-3719-8617FAX:03-3716-8443
バーナンキFRBの「出口」
どんな暗いトンネルにも必ず出口がある。いや、出口を考えない「迷える子羊」に、出口はみつからないというのが本当ではないのか。
4月18日、ニューヨーク連銀の市場部門チーフに、38歳とまだ若いブライアン・サックが指名された。彼がアメリカの金融危機脱出の帰趨を制すると言っても過言ではない。前任のビル・ダドリーがNY連銀総裁に昇格した後に抜擢され、そのダドリーも前総裁のティモシー・ガイトナーが財務長官に転出後に昇格したから、いわば玉突き人事。それでも、この布陣に目を凝らすと、「出口」がおぼろげながら浮かんでくる。
NY連銀市場部門チーフの使命は、一般には短期金利の要であるフェデラルファンド金利をオペ(公開市場操作)などを通じて誘導することにあるが、現在のような“非常時”にはその権限が巨大になっている。連鎖リスクを回避するため、大手企業が発行するCP(コマーシャルペーパー)から、ローン債権を担保とした証券化商品まで、中央銀行が買いこんで市場の崩壊を防ぐ「非伝統的手段」の総司令塔になっているからだ。
しかもNY連銀の果敢な買い切りオペでFRB(連邦準備理事会)のバランスシートが膨れあがった。リーマン・ショック前の昨年8月には9千億ドルだったのが、今は2兆ドルである。コントロールを一歩間違えれば、ドルは暴落してしまう。
ベン・バーナンキ議長が理事時代の2004年には、当時、市場部門を統括していたビンセント・ラインハートや、まだ無名だったサックと論文を共同執筆している。
この共同論文(「ゼロ金利拘束下の金融政策オルタナティブ経験的アセスメント」)はリーマン・ショック後のFRBの行動を予告したものとして有名だ。ゼロ金利でも火消ししきれない時――いわゆる「流動性の罠」を抜け出すには、中央銀行が長期国債を買い入れる(マネタイゼーション)ことが有効と示唆していた。
実際、FRBは事実上のゼロ金利まで金利を引き下げ、それでも資本・金融市場の動揺が鎮まらないと見て取ると、3千億ドルの長期国債買い入れに踏み切った。
問題はそこから先だ。非伝統的手段として日銀も06年まで4年半「量的緩和」政策をとったが、出口を「消費者物価が安定的に0%以上になること」としたため紛糾した。
マネタイゼーションは何を出口とするのか。真珠湾攻撃後のアメリカしか、今のところ参考事例はない。「25年国債の利回りを2.5%に釘付けにする」ことで財務省とFRBが暗黙の合意を結び、戦時中の国債大量発行にもかかわらず金利の低位安定に寄与した。
FRBがこの金利釘付け政策から解放されるのは1951年3月。このときの財務省との「アコード」(合意)は「FRBの独立宣言」と呼ばれる。
しかしFRBの国債残高がピークに達した46年(市場性国債の11.5%)の保有比率は、3カ月物財務省証券(TB)で76%と短期に偏重、長期国債は0.8%に過ぎなかった。実態は長期国債オペによる長期金利釘付けではなく、短期金利「釘付け」による間接的な長期金利安定だったのだ。
この釘付けが成功したのは「戦争が終わればマネタリーベースは抑制される」という期待インフレ率の低さがあったからだろう。バーナンキは「大恐慌」研究の第一人者だけに、彼の「出口」もそこらにヒントがありそうだ。
現にサックはインフレ連動債の相場から計るインフレ期待率で金融政策が決まるという「サック・ルール」でも知られる。サックの起用はここからみても「インフレ目標」への下地ならしと思える。期待インフレ率を押さえ込めるという自信があるからこそ、バーナンキはマネタイゼーションという“禁じ手”にも物怖じしなかったのではないか。
五一年には市場性国債を非市場性国債と交換するボンド・コンバージョンもあった。国債相場の混乱を回避するためだったが、結局、交換に応じた個人や機関投資家は到来したインフレで機会損失を被る。しかし裏返せば、期待インフレ率さえ押さえ込めれば、それを避けることができるのだ。
そこにバーナンキやサックらが「出口」を見ているとすれば、いやいや「非伝統的手段」に追随した白川日銀はどうするのか。(敬称略)
※環日本海6紙のシンジケートコラム「時代を読む」への寄稿
5月号の編集後記
FACTA最新号(2009年5月号、4月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は27日からです。
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商売柄、徹夜して朝帰りすることが少なくない。車を降りて耳を澄ます。がらんとした夜明けの街に、さやさやと風が吹きわたる。新聞配達のスクーター、早朝出勤の靴音やジョギングの人の息づかい、散歩の犬のざわめきがだんだん高くなる。目覚めようとする都会の地鳴り。殷々と響くあの通奏低音は何と呼ぶのか。眠りに落ちる前に、幕末の風俗百科『嬉遊笑覧(きゆうしようらん)』を枕頭で開こう。
▼最近完結した岩波文庫版の最終巻は「乞丐(こつがい)」「禽虫」「草木」を収め、物売りの声が出てくるから、200年前にタイムスリップできる。たとえば、菜売りが「なさう」(菜さぶらふ)、鰯売りが「あこぎがうらのいわしかふゑい」、馬売りが「馬かはふ、革かはふ」、提灯売りが「挑灯やちん」、牡蠣売りが「かきんよ、かきんよ」、雪駄なおしが「でいでい」(手入れ?)、とっかへべいと呼ばれる飴売りは「めげたらしよ、きせるの古いのとつかへべにしよ」……姿が目に浮かぶようで陶然としてくる。
▼演技派の立ち売りもいた。室町の平五三郎は手が込んでいる。「そらばかをつくり、田舎ものを近付て物をうらんと工(たく)みて、髪ひげむさむさとはへさせ、紙頭巾を目の上まで引かぶり、綴りたる古小袖を着、木綿袴のよごれたるをむなだかにきなし、手に長数珠をつまぐり、口に題目をとなへ、みせ棚に打かかり、そらいねふりして居たり」。わざと愚か者を装い、客を釣る仕掛けだ。派手な露店主が並ぶ市に、土産を買いにくる田舎者が怖じ気づくのを見越しておためごかし。そのやりとりは狂言のように笑える。
▼これこそ正真正銘のvox populiだろう。「市声浩々として沸かんと欲するがごとく/世路悠々として涯(きわま)らず」。モンゴルに祖国を滅ぼされた鮮卑族の詩人、元好問の亡国流亡の詩「東平を出ず」だが、なぜか乱世の山東省の城市より、永遠のアジアの喧噪が浮かぶ。「市声」は今も悠々と変わらない。
「有らざらん 弐」自薦文――「レイシズムの野史」という試み
弐" />
FACTA創刊時、オンブックの橘川デメ研代表の世話になって『有らざらん壱』を本にしました。中公新書で出版した『イラク建国』のあと、9・11以降のテーマをしばらく模索する時期があり、レイシズムを取り上げようと思い立ったからです。六本木で出版記念会まで開いていただきましたが、雑誌編集に追われて続巻の執筆がなかなか進まず、ときどき人から「第二巻は出たの?」と聞かれて、恥じ入っていた次第です。
実は残る4巻もほぼ書きあげていたのですが、どうしても何かが欠けている気がしてなりませんでした。昨年、アンリ・ヴェイユ(シモーヌ・ヴェイユの兄)、エルヴィン・シュレーディンガー、そして若きヨシフ・ジュガシビリ(スターリン)の伝記を読んで、ようやく吹っ切れた気がしました。
第2巻を全面的に書き直し、構成を大幅に変えて、ひとまず上梓することにしました。鳥居民の『昭和二十年』のようにあまりお待たせしないよう、続刊の推敲にも意を注ぎますので、ご容赦を。出版取次を通さないため、書店にはほとんど置かない予定です。アマゾンなどのウェブサイトか、オンブック社のサイトにアクセスして、直接お求めください(予約受付中)。
どんな本かといわれると、要約が難しいのですが、カバーの裏に添えた登場人物リストと、オンブック社から求められた梗概を、自薦文の代わりに掲載します。
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★主な登場人物
第二代リーズデール卿デヴィッド・ミットフォード
その四女ユニティ・ミットフォード
ヴァグナー家の女婿ヒューストン・チェンバレン
その兄の日本研究家ベイジル・チェンバレン
批評家ヴァルター・ベンヤミン
その愛人のボルシェビキアーシャ・ラツィス
図像学の祖で富豪の長男アビ・ヴァールブルク
ベルンシュタイン城主の二男ラースロー・アルマーシ
復員将校エルンスト・ユンガー
ナチス幹部ヨーゼフ・ゲッベルス
政界に進出した塹壕世代の准男爵オズワルド・モズレー
『論理哲学論考』を出版した教師ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン
神学を断念した少壮哲学者マルティン・ハイデッガー
その愛人の女学生ハンナ・アーレント
サモアで野外調査マーガレット・ミード
文化人類学の先達でその愛人ルース・ベネディクト
言語学者エドワード・サピア
国際連盟委任統治委員会の日本代表柳田國男
博覧強記の粘菌学者南方熊楠
歌人兼精神病理学者斎藤茂吉
政治犯となった男爵石田英一郎
その祖父で天誅組石田英吉
日本人と結婚したロシア人学者ニコライ・ネフスキー
★「壱」と「弐」の梗概
レイシズム(人種差別)はモダニズムの畸形である。肌の色や体格など生理的な差異にはじまり、異言語、異文化を経て生活様式や文化伝統の違いにいたるまで、外的な差異を必ずしも必要とせず、いかなる同化も許されない絶対的なレイシズムは、近代の遊民の発生と軌を一にする。それを論述でなく、野史として実証するのが「有らざらん」である。
まず縦糸。1868年の戊辰戦争のさなか、パークス英公使を襲ったテロリスト、三枝蓊と目撃者のA・B・ミットフォードの系譜を追う。ミットフォードは帰国後、19世紀の三大レイシストの一人、ヒューストン・チェンバレンを後援したが、紹介したのは兄の日本学者ベイジル・チェンバレンだった。第一次大戦でミットフォードの長男が死に、家督を継いだ次男デヴィッドの四女ユニティがレイシストに育っていく。他方、ウィーンのユダヤ系富豪ヴィトゲンシュタイン家に生まれたルートヴィヒは大戦に従軍した。
横糸は、進化論から派生した民族学の系譜である。ベイジル・チェンバレンはヴェーダ研究家マックス・ミュラーに師事して沖縄を踏査する。ロンドンに乗り込んだ南方熊楠は、ミュラーもベイジルも浅薄として認めない。ベイジルが隠棲したジュネーヴに赴任した柳田国男は、南方との文通を契機に独自の南島論へ傾斜した。
「有らざらん弐」は、第一次大戦後に舞台を移す。革命か復古か、そのはざまで呻吟する遊民たちは性愛に躓く。縦糸はミットフォード、ヴィトゲンシュタイン家の変奏であるハンガリーのアルマーシ家、ハンブルクのヴァールブルク家である。
後の砂漠探検家ラースロー・アルマーシは王政復古派クーデターに敗れ、図像学の祖アビ・ヴァールブルクは発狂して精神病院に幽閉される。ヒトラーやエルンスト・ユンガー、オズワルド・モズレーら「塹壕世代」は、小学校教師になった復員兵ヴィトゲンシュタイン、亡命地スイスから帰って女ボルシェヴィキと恋に落ちたベンヤミン、神学から哲学に転じユダヤ人女学生ハンナ・アーレントと不倫を重ねたハイデッガーと、実は紙一重だった。
横糸は『桃太郎の母』の文化人類学者、石田英一郎に移る。三枝とともに天誅組の義挙に参加した石田英吉の孫だが、左傾して京都学連事件で逮捕され、上海で国民党のクーデターに遭遇する。
その青春は祖父が鷲家口で壊滅した天誅組の軌跡に重なる。下獄した彼は非転向を貫くが、彼が求めた救いはロシア語を学んだ亡命者ニコライ・ネフスキーと柳田や折口信夫が拓いた民俗学だった。
アメリカでも文化人類学が黎明期を迎えていた。コロンビア大学の早熟の“小悪魔"マーガレット・ミードが単身、南島サモアで行った野外調査は、優生学の横行に風穴をあけようとしたユダヤ系亡命ドイツ人教授の狙いに沿ったものだが、ミードに求愛する言語学者エドワード・サピア、ミードと眷恋の仲にあるルース・ベネディクトの三角関係の所産だった。
その南島観は、明らかに柳田のベクトルとは逆の史観に染まっている。
FACTA 対 経営共創基盤 (5)「最高顧問」中国人に関する回答
いよいよ、FACTAが3月13日付で経営共創基盤から得た回答状の本体部分である。この謎の中国人の“素行”については、FACTA4月号(3月20日発売)の「冨山和彦の裏に『怪中国人』」で詳報してあり、そこに回答状の骨子も掲載されている。この回答状の意義は、経営共創基盤が社員ですらその実態をよく知らない中国人、関継軍氏と顧問契約を交わしていることを認めた点にあると思う。その率直さを評価するとともに、無防備というかノーチェックには呆れました。
回答状は6項目の質問に対するQ&A方式となっています。
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1) 中国からの資金受け皿会社として設立された中柏ジャパンおよび経営共創基盤は、中柏グループの総裁と称する中国人、関継軍氏とはどのような関係ですか。
回答)弊社は、関継軍氏との間で顧問契約を締結しております。弊社の顧問制度につきましては、弊社の取り扱う案件、テーマに応じ、見識・ネットワークをお持ちの方々と秘密保持の観点と業務上の必要性から、顧問契約を締結し、「顧問」「最高顧問」「アドバイザー」などの肩書で名刺の発行等の対応等も行っております。但し、あくまで顧問(一般観衆的にも誤解を生じない呼称であると考えております。)は、弊社の業務執行に関わる権限を有する立場ではなく、現時点で顧問に就任頂いている方々の指名についてHP等で好評しておりません。
2) 関継軍氏は経営共創基盤の「最高顧問」の名刺を持ち、御社内にオフィスを持っているという情報は事実でしょうか。
回答)弊社は、関継軍氏に対し「最高顧問」の名刺を与えております。なお、「最高顧問」は弊社の業務執行に関わる権限を有する立場ではありません。
3) パシフィックHDのアドバイスをしているGCAからの紹介で、経営共創基盤は中国からの資金調達の仲介をしたのでしょうか。
回答)先方との秘密保持契約上、お答えは差し控えさせていただきます。なお、PHIとの関連で私どもの立場は、資金を「仲介」する立場ではなく、投資家側のために出資融資に関わる「助言」や「支援」を行う立場です。
4) 関継軍氏は誰から紹介を受けたのでしょうか。御社代表の冨山氏とは、どのような形でお知り合いになったのでしょうか。
回答)個人のプライバシーに関する事項ですのでお答えは差し控えさせていただきます。
5) 関継軍氏が水産会社から詐欺で民事訴訟中であることをご存知でしょうか。彼の経歴について調べたことがありますか。
回答)個人のプライバシーに関する事項ですのでお答えは差し控えさせていただきます。
6) 関継軍氏が会長を務める名古屋のラハイナの不動産をパシフィックHDに買い取らせようとした席に、菱田氏と関氏は同席していますか。
回答)ご質問の件は、ラハイナ社とPHIとの取引関係に関わる事項であり、弊社としてお答えする立場にはなく、またその席の存在・内容も存じ上げません。
なお、菱田につきましてはPHIの社外取締役でありましたが、この件に限らず、PHIの行う個々の不動産取引に関しては、社外取締役としての通常の責務である取締役会に上程されたものに対して意見を述べ、決議に参加することは除き、関与しておりません。
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回答は以上である。とにかく、これで「最高顧問」関継軍氏の実在は立証できたが、経営共創基盤側はFACTA4月号に対し、いまだにほっかむりの姿勢である。冨山氏もインタビューに応じる気配がない。時がたてば、ほとぼりがさめると思っているのだろうか。
甘い!だから、この編集長ブログで「FACTA対経営共創基盤」シリーズの掲載をはじめたのだ。とたんに経営共創基盤は、「学生易者」が昭和39年に創刊した某経済誌に相談に駆け込んだらしい。何とか黙らせようとツテを求めたのかもしれないが、笑止というか、お気の毒の極みである。
その程度の認識では、ちゃんとしたコンサルタントは務まりません。FACTAはジャーナリズムであって、ドッコイショ経済誌と何の接点もありません。その肝心なところがお分かりいただいていないようなので、次のFACTA5月号(4月20日発売)では、問題の関継軍氏の写真でも掲載しましょうか。
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経営共創基盤「最高顧問」関継軍殿
あなたは自称「胡錦涛国家主席の“腹違いの子息”」だそうですが、それは事実ですか。事実でなかったら、今後は中国当局からも追われる身となり、帰国できなくなるでしょう。これはFACTAによる「指名手配」です。困るというなら、インタビューに応じていただけますか。ご一考いただければ幸いと存じます。
FACTA 対 経営共創基盤 (4)質問状に関する経営共創基盤の回答
さあ、いよいよ本番の経営共創基盤の回答である。冨山氏本人からの条件に合意したので、回答も見せてもらえることになった。だが、回答の前に長文がついている。これはFACTAの報道に対する事実上の抗議文だった。経営共創基盤がFACTA記事のどこを「事実無根」としているか、公正を期してここに公開しよう。
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前略
2009年3月9日付にて弊社宛お送りいただきました「パシフィック・ホールディングスに関する質問状」に関しまして、下記のとおり回答申し上げます。
回答の前提として、コンサルティング会社としてクライアント・案件に関わることについましては、業務上の守秘義務に関わることであり回答できないことをご了承ください。従いまして、回答については弊社に関わる部分についてのみとさせて頂きたく存じます。
なお、先般パシフィックホールディングス株式会社(以下、「PHI」といいます。)が2009年1月27日付で行っている対外公表(「平成20年11月26日付投資契約における優先株引受に係る前提条件未充足の状況及び中柏ジャパンとの新たな優先株発行条件の合意に向けた協議について」)のとおり、株式会社中柏ジャパンは、PHIの債務超過等の事由により、投資契約上の投資前提条件を満たしていないため、少なくとも平成21年1月27日時点ですでにPHIに対する投資義務を有していないことを念のため申し添えます。
また、過去に貴誌に掲載された記事について、弊社に関連するもののうち、少なくとも下記のものは明らかに事実に反していることを申し添えます。
1.日経へのリークは経営共創基盤の代表、冨山和彦の側から行われ、高塚は事前に何も知らされていなかったという。
その様な事実はありません。
1.6憶5千万円の振込人が、第三者割当増資の引受先の中柏ジャパンではなく、冨山の経営共創基盤となっていた。
その様な事実はありません。
1.6憶5千万円が二重に振り込まれ、しかも契約した覚えのない企業からの入金。冨山側の説明では、二重入金は、470億円の出資者が事前に振り込んでしまったせいだという。重複した6憶5千万円は経営共創基盤に返金された。
その様な事実はありません。
1. 冨山とその右腕とされている公認会計士、菱田哲也
その様な事実はありません。
1.「払込日変更」と「中国10社好評」のIRに同意したのは、東証に中国企業と交わした契約書を見せて了解を取った、と冨山側が説明したからだという。
その様な事実はありません。
草々
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以上、ここまでが回答書の前半、前書きの部分である。本体の後半は次回に。
FACTA 対 経営共創基盤 (3)編集長の見解
FACTA4月号の記事「冨山和彦の裏に『怪中国人』」の取材過程で、経営共創基盤に発した質問状に対する回答の条件として、冨山氏から手紙をいただいた。これは本人から直接手交されたわけではなく、同社の広報代理人と会った際に見せられたものである。
FACTA編集長として、その場で書簡の大原則に同意するかどうかの返答を迫られた。結論からすれば、この原則に同意した。それは口頭で述べたから、冨山氏には間接的に伝わったはずである。このブログで改めて、編集長の立場を公にしよう。手紙をお寄せいただいた冨山氏にも、それが礼儀だと信じるからである。
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株式会社、経営共創基盤がコンサルティングの私企業であり、その業務に関して守秘義務が発生し、個人のプライバシーについても侵害にあたる回答ができない、という●の第1項は、弊誌も理解します。守秘義務とプライバシーの前で、国民の知る権利が制約を受けざるをえないことは、弊誌も蔑ろにしておりません。この原則にはまったく異存ありませんが、基本的には弊誌の取材が会社や個人の知られたくない部分に及ぶことはありえます。ただ、それを報じるにあたって、守秘義務とプライバシーに十分配慮することで弊誌の義務は果たせると考えています。
●の第二項、本件の利害関係者の正当かつ実質的な利益に重大に関連すること、公共の重大な福祉に関連するという明白かつ合理的な理由が見いだせないこと――に関わる質問には返答できない、という部分は、その定義を誰が決めるかという問題が生じます。利害関係者、いわゆるステークホルダーの範囲は、単に経営陣や社員だけでなく、株主、取引先、さらにパシフィックHDが運営するREITの投資家等まで広げるのかどうか、そこに解釈の余地がでてくるでしょう。
公共の福祉という言葉も同じく曖昧で、債務超過企業を存続させることは社会にとって是か非かという問題に帰着します。この点は下手をすると水掛け論になる恐れがありますが、質問状に関してその判断は自動的に回答者に与えられ、回答できないとしたものを弊誌は「ノーコメントだった」とするしかありません。ただ、それはあくまで経営共創基盤の側の解釈に基づくものであり、弊社の解釈の余地も残っていると判断して、この項目についてもOKとしました。
事実誤認云々の件は、名誉毀損または偽計による業務妨害「にも該当しうる」と指摘されていますが、弊誌としては名誉毀損、または偽計にあたるとは毛頭考えておりません。冨山氏が危惧されているような、公権力の走狗となって弊誌が編集されることはありません。4月号の記事をお読みになれば分かるように、経営共創基盤の「最高顧問」の名刺を持つ中国人の身元を照会し、彼が日本で行ったビジネスの足跡を徹底追跡する以外の意図はありません。
もちろん、事実関係については、今後もフォローアップすることは申すまでもありません。具体的な指摘は回答書の前半に記載されているので、次回に載せて公正を期することにします。
マスコミ操作については、12月末の日経夕刊報道をどう考えているのでしょうか。これによって、すでに実質債務超過にあると見られる企業が5日連続でストップ高をつけました。買った株主はやむをえないで済むのでしょうか。アドバイザーは株価に責任は持たないのでしょうか。誰がこの情報をリークしたのか。それこそマスコミ操作の最たるもので、金商法違反にあたる恐れが強いとFACTAは見ています。
FACTA 対 経営共創基盤 (2)冨山CEOからの手紙
前回掲載した質問状に対する回答期限の3月13日、経営共創基盤の冨山和彦・代表取締役から、回答の条件として以下の書簡を読み、その条件を応諾するなら、正式回答するとの返答があった。
その手紙は以下のような内容である。
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拝啓早春の候、貴社ますますご繁栄のこととお喜び申し上げます。
さて、貴誌から先日「パシフィック・ホールディングスに関する質問状」を頂戴いたしました。貴誌には、過去においていくつかの重大な事実誤認を含む記事を掲載された経緯もあり、今回のご質問については、以下の点に関する編集長の阿部様ご自身にご確認、ご了解をいただいた上でご回答申し上げたいと存じます。
まず私どもの取材協力の基本姿勢について、以下の原則を確認させていただきます。
●アドバイザーとして守秘義務に関わることや個人のプライバシーにかかわることはご回答できません。
●本件の理外関係者の正当かつ実質的な利益に重大に関連する、あるいは公共の重大な福祉に関連するという明白かつ合理的な理由が見いだせない質問にはご回答できません(私どもは従業員100人足らずの一民間企業、しかも非公開企業という私人にすぎません。)。
従って、回答するにあたっては、以下の大原則のもとで、国民の知る権利という公共の福祉に、一市民として奉仕できる範囲でお答えするという観点から取材にご協力申し上げることになります。
繰り返しになって恐縮ですが、以前の二回の記事は、重大な事実誤認、しかも弊社および本件に関わる個人の名誉毀損あるいは偽計による業務妨害にも該当しうるような内容を含むものを、担当の記者が裏取り取材もしないまま掲載した格好の記事となっています。
しかし我々としては、報道機関が民主主義国家において果たしている役割の重大性に鑑みて、また、パシフィックホールディングス株式会社がいろいろな意味で不安定な状況にあり、そこに関わる様々な理外関係者を不要なリスクに晒すことを避けるために、あえて何らの対抗手段も取らずに受忍して参りました。
報道の重要性は、私自身を含め弊社のスタッフの多くが、産業再生機構時代に官と民のはざまで、言わば純粋民間出身の外様の改革勢力として、少なからずの権力者や(一部のマスコミを含みます。)守旧派勢力と体を張って戦ってきた当事者として、誰よりも実感しているところです。
ご記憶かと思いますが、ダイエー騒動などでは、生涯の所得と生活が保障された官僚たちが、自らは安全な場所からいかに汚い手(マスコミ操作を含みます。)で、権力基盤も将来の生活保障もない民間出身者の我々を攻撃してくるのか、そこに政治権力者がいかに巧みに便乗するか、を嫌というほど味わわされました。そこで貴誌のように、大手メディアがいろいろな配慮から取り上げない事実を、ありのままに報道する雑誌メディアの重要性、とりわけ色々と伝え聞く阿部編集長のジャーナリストとしての骨太な基本姿勢は、私自身、強く認識、共感しているつもりです。
このような問題意識からこの度のご質問には、上記の原則の中で可能な限りお答えすることを検討しております。また、言わずもがなではありますが、回答内容を報道に利用されるに際しても、公権力を乱用するもの、権力者、既得権にあぐらをかく者たちに立ち向かうという、メディアの本旨にのっとったファクトベースの誠実なる報道がなされることが大前提であると考えております。
以上の点、編集長ご自身より確認、ご了解いただけるか、まずは早急にご回答頂きたく宜しくお願い申し上げます。
FACTA 対 経営共創基盤 (1)FACTAの質問状
FACTA4月号(3月20日刊行)は、パシフィックホールディングスの会社更生法申請に関連し、同社に助言していた経営共創基盤について、「冨山和彦の裏に『怪中国人』」と題する調査報道記事を掲載した。この取材過程で、これまで沈黙を守ってきた経営共創基盤に対し質問状を送った。その回答の要約は誌面に掲載したが、紙数の関係上、全文を掲載できなかったので、そのやりとりも含めてこのブログに掲載し、公正を期すこととしたい。
まずFACTAの質問状から――。日付でお分かりの通り、送ったのはパシフィックHDが会社更生法を適用する1日前である。
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経営共創基盤広報
+++++様
パシフィック・ホールディングスに関する質問状
拝啓春寒の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。
ご承知の通り、弊誌は昨年12月から、パシフィック・ホールディングスの資金調達について二度にわたり報道して参りました。同社は2月27日の払込日にも予定の払い込みがなく、監査法人の意見も得られずに東証監理銘柄となっていますが、中国からの資金調達を仲介した経営共創基盤からその間の経緯の説明がまったくありません。弊誌は独自の取材の上に立って次号(3月20日号)で次の記事を掲載する予定で、御社に対しいくつかの確認事項がございます。以下の点につきご回答をいただきたく、お願い申し上げる次第です。
1)中国からの資金受け皿として設立された中柏ジャパンおよび経営共創基盤は、中柏グループの総裁と称する中国人、関継軍氏とはどのような関係ですか。
2)関継軍氏は経営共創基盤の「最高顧問」の名刺を持ち、御社内にオフィスを持っているという情報は真実でしょうか。
3)パシフィックHDのアドバイスをしているGCAからの紹介で、経営共創基盤は中国からの資金調達の仲介をしたのでしょうか。
4)関継軍氏は誰から紹介を受けたのでしょうか。御社代表の冨山氏とはいつ、どのような形でお知り合いになったのでしょうか。
5)関継軍氏が八戸の水産会社から詐欺で民事訴訟中であることをご存じでしょうか。彼の経歴について調べたことがありますか。
6)関継軍氏が会長を務める名古屋のラハイナの不動産をパシフィックHDに買い取らせようとした席に、菱田氏と関氏は同席していますか。
以上です。なお、締め切りの都合もございますので、ご返事は3月13日までに、文書またはメールでいただければ幸いです。あわせて可能なら、代表取締役、冨山和彦氏、または取締役、菱田哲也氏にお話がうかがう機会を与えていだきたく、ご一考のほどお願い申し上げます。
敬具
09年3月9日
北朝鮮 弾道ミサイル発射へ
北朝鮮が4月4日から8日の「人工衛星」打ち上げを予告している。発射されるのは「テポドン」(長距離弾道ミサイル)ではないかと言われているが、実のところ、衛星か弾道ミサイルかの区別にはあまり意味がない。ヘッドコーンと呼ばれる先端部に搭載されるのが弾頭か衛星かと違うだけで、ロケットのブースター部分は、どちらにせよ「テポドン2号」の改良型とみられるからだ。
北朝鮮が衛星と称しているのは、国連安保理非難決議を意識しているからで、98年のノドン発射の時もそうだったように、衛星の打ち上げなら「平和目的で軍事目的ではない」と他国の批判をかわせると考えているからだろう。
アメリカの偵察衛星がムスダンリの発射台を撮影しているが、日本にも偵察衛星があり、これまでの日米韓3カ国による分析で、打ち上げるのは「短距離か中距離タイプ」と推定されている。2006年に発射された7発はすべて日本海に落下したが、今回は日本が射程距離に入り、ロケットは本州を飛び越えて太平洋に落ちる見込。途中、第一段ロケットが秋田沖に落下するとみられる。
しかし、前回の北朝鮮のロケットはむしろ失敗だったとの見方もあり、今回も弾道が不正確なら日本に落下する恐れがある。迷惑千万な話だが、しかし軌道にあたる東北地方は不安であろう。
河村官房長官は「北朝鮮から飛しょう体が発射された場合、政府から速やかに情報を伝える」という注意喚起をしており、浜田防衛大臣も「北朝鮮弾道ミサイルの日本領域への落下・着弾に備えて破壊措置命令」を発した。自衛隊は、迎撃ミサイルを秋田・岩手方面に移動させて厳重警戒態勢に入っている。
ただし、このアメリカが開発中のミサイル防衛(MD)システムには日本も開発協力しているが、実験では百発百中ではないなど不安な面もある。結構、お金をかけているのに外しているのは、それだけ飛んでくるミサイルを撃ち落とすのが難しいということだろう。だが、映画「マトリクス」で弾丸をとらえるようには簡単にいかないにしても、発射日程もおよそ判明していて、打ち上げまで準備ができるのだから、迎撃実験のチャンスとしては格好の機会とも言える。
政府内では、日本に落ちそうだと分かる前に撃ち落としてしまえという強硬論もあり、もし外れたらどうするという慎重論を押し切って東北だけでなく首都圏にも配備されることになったが、実はアメリカではミサイル防衛システムに対する異論も少なくない。現国防長官であるロバート・ゲーツ氏が90年代後半にミサイル防衛システム不要論を唱え、導入積極派のラムズフェルド前長官と対立した経緯があるが、そこへ降って湧いた98年のノドン発射により一気に導入に決着して今に至ったことには歴史の皮肉を感じざるを得ない。
ゲーツ長官としては、東欧や中欧へのミサイル防衛システムの配備によるロシアとの関係悪化を気にしており、今回も手を引きたいはずだが、またも北朝鮮のロケット発射によって導入積極派に対して不利な形勢になってしまった。ミサイル防衛システムを受注した日米の防衛産業にとっては北朝鮮は思わぬ援軍とも言え、関係者の間では、「金正日総書記はネオコン(ラムズフェルド氏らブッシュ政権のタカ派が属していた)の回し者ではないか」というジョークがあるほどだ。
ただ、不況脱出に加えて、イラク撤兵とアフガニスタンへのテコ入れで手いっぱいのオバマ大統領にとっては泣きっ面にハチの事態だろう。新政権はアジアは大人しくしていてくれと願っているだろうが、北朝鮮は踏み絵を踏ませる気である。つまり、ミサイルを発射しても、6カ国協議を続けるかどうかを問うのだ。核開発再開と脅しているが、ブッシュ政権末期のようにそれに釣られるか、国連安保理で非難決議を採択しようとする日本と慎重な中国のどちらに気を遣うか、まさにリトマス試験紙。アメリカも中国もロシアも北朝鮮に自制を促してはいるが、非難決議や経済制裁となると及び腰に見える。もし、日本だけが強硬論を主張して孤立すれば、それこそ北朝鮮の思うツボだろう。
もう1つキーポイントがある。北朝鮮は4月9日にピョンヤンで最高人民会議を開くが、その直前のミサイル発射の背景には国威発揚だけではなく、重大決定が行われるためとの観測があるのだ。最近の金総書記の写真の痩せかた、老いこみ方は深刻で、昨年夏の脳梗塞報道が本当ならば、何らかの後継者選びが行われ、その祝砲としてのミサイル、もしくは衛星打ち上げとも考えられる(2009年4月号「金正日『後継』に祝砲テポドン」参照)。
小沢一郎の進退
今日、拘留されている、民主党・小沢代表の公設第一秘書、大久保隆規(たかのり)容疑者の拘留期限が切れる。容疑は政治資金規正法違反の虚偽記載で、形式犯に見えるが、検察のメンツを考えれば、十中八九「起訴」になるだろう。
小沢代表も一貫して不正を否定、民主党も鳩山幹事長ら幹部が「総選挙を前にした民主党狙い撃ちという検察の政治介入」と正面から批判しているだけに、樋渡検事総長、岩村東京地検検事正、佐久間特捜部長にしてみれば、もはや引くに引けないという判断だろう。
そうなると、いよいよ小沢代表の進退問題になる。
21日に民主党幹部が明らかにしたところでは、秘書が起訴されても政治資金規正法違反の罪にとどまり、他の罪状に広がらない場合、小沢代表は続投する意向だという。これまで政治資金規正法違反を問われた国会議員は、たとえ本人は起訴を免れても、秘書が起訴された段階でほとんどが議員辞職に追い込まれてきた。しかし、今回の強引な捜査手法への批判は民主党にとどまらず、民主党は検察との全面対決の道を選ぶことになる。
非小沢系議員の間でも小沢氏の判断を尊重する声が出ており、代表交代となって「後継選びでごたごたが起きるのは避けたい」という雰囲気が民主党内にあるようだ。ただ、新聞などの世論調査では「小沢辞任すべし」の声が大きく、続投で民主党支持率が下がってくれば、党内の動揺も広がるだろう。
では、政治資金規正法以外に事件が広がる可能性はあるのか――。
政治家の立件において、これまで特捜部が最大の武器にしてきた受託収賄罪だが、政治団体を隠れ蓑にした西松建設の政治献金から贈収賄にまで延ばすのは容易ではない。特に野党党首で職務権限がない小沢代表の場合は常識的にみてまず無理そうだ。
となると、この献金の構造的な問題は、小沢事務所が東北地方の建設談合に関わっていたことを立証しなければならない。東北ではかつて鹿島を中心に談合が行われており、ゼネコン大手の元仕切り役が任意で事情聴取されたのもそのためだろう。
しかし、談合関与と言っても、「小沢事務所の天の声」の有無を問う立件は難しい。佐久間特捜部長は汚職捜査の叩き上げではなく、正直に言って、そんな難しいヤマが登れるとは思えない。結局、検察は社会部記者へのリークで世論を巧みに誘導し、最後は小沢氏本人の事情聴取という搦め手からの詰め将棋で辞任に追い込むという狙いではないのか。
一方、与党・自民党のほうといえば、漆間官房副長官のオフレコ懇の失言でとんだ迷走状態。西松建設と聞けば、誰もが二階経済産業大臣を思い浮かべるほど関係は近かったし、パーティー券の購入もあるが、どうも検察はほんとうに二階氏を追及する気はなかったらしい。漆間官房副長官が知ったかぶりで本当のことを言ってしまったために、検察は二階氏側も捜査のふりをせざるをえなくなったという。漆間発言の後、急に二階氏の身辺をめぐるリーク情報が流れたが、あれは検察が慌てて与野党のバランスをとって世論をなだめようとしたためだろう(参照:2009年4月号「樋渡検察が救った『霞が関』」)。
鳩山幹事長が「検事総長をはじめ説明責任を果たしてもらいたい」と強調し、参議院の西岡議運委員長が「検事総長の証人喚問を検討する」と言ったことは、牽制球としてかなり利いたはずだ。森法相がガードしたが、前代の但木氏、今の樋渡氏と二代の検事総長が「法務・検察も政府の一環」と検察統治論を展開していただけに、中立が損なわれる恐れがあるとして国会の“被告台”に立たされたら憲政史上の一大事である。
はたして、政界全体は奇妙な構図である。自民党にしてみれば、秘書起訴で疑惑の雲が晴れない小沢代表に続投してもらい、民主党の支持率低下につながるほうが得だし、民主党も人気が離散した麻生首相に踏みとどまってもらったほうが総選挙には有利。双方とも望まれない党首をかついでの「敵失」待ちで、もはや一種の千日手と言えそうだ。
そんな中、麻生首相はどんどん外交日程を入れていて、一時言われていた4月解散、5月総選挙の線は遠のいた。この分では9月の任期満了まで延びそうである。しかし、自民党内でも「西松事件で民主党の大勝がなくなり、比較第一党にはなっても民主230対自民200くらいに差が縮まる」という見方が優勢。5月に提出という09年度予算の大型補正が自民党の“選挙資金”になるという指摘すらある。
4月号の編集後記
FACTA最新号(2009年4月号、3月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は26日からです。
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石の上にも3年、というが、弊誌も06年4月の創刊以来、丸3年を経た。歴史のある「月刊現代」も「諸君!」も姿を消していき、週刊誌も休刊の嵐になりそうな活字メディアの逆風。ジャーナリズムの暗夜に一灯を掲げる思いで、今までひたすら走り続けた。それもこれも大勢の寄稿者、購読者ほか、関係者に支えられたおかげです。社員一同、誌面を借りて心よりお礼申し上げます。
▼「とにかく3年」と思ってきたが、石が浮かび木の葉が沈む、紛れもない「恐慌」の到来に、タブーなく斬り込む弊誌のような雑誌を渇望する声はますます大きい。心を鎮め、刮目して、この阿鼻叫喚をみつめよう。過日そう思い、乱世を生きた晩唐の詩人、李商隠の「井泥四十韻」をひとり低吟してみた。
▼生涯不遇だった李商隠の詩は、縦横な引用、博引旁捜の典拠で、難解を極める。私も注なしでは読めないが、作家の故高橋和巳の訳詩と注釈を読んで以来、折にふれてひもとくようになった。不思議なことに、晦渋な換喩や暗喩に慣れてくると、艶詩の裏に潜むこの不幸な詩人の宇宙が浮かびあがってくる。「井泥四十韻」は井戸から掘りだされた汚泥に、我が身をなぞらえたものだ。
▼地中の闇から解き放たれた詩人は奇想に奇想を重ねていく。「猛虎は双つの翅(はね)を与えられ、さらに角までそえられる。鳳凰は五色を失い、翼をならべて鶏小屋にのぼる」。その滑稽、そのシュールこそ、乱世に誰もが覚える違和感と寂寥なのだろう。F・S・フィッツジェラルドの小編『バビロン再び』のリッツホテルを思い出す。大恐慌で賑わいが消え、荒涼として人影のないロビーを、主人公はさまよい歩く。李商隠の詩はこう続く。「浮雲はふり返らず、がらんとした大空に誰も梯子をかけない。悶々として夜半を過ぎた。ただ歌う、井中の泥」と。さあ、臆するな、と心して4年目へ漕ぎだそう。
初の麻生・オバマ日米首脳会談
2月23日(月)のTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」に3週間ぶりに出演して、日米首脳会談の解説をしました。その大筋をここに採録しますが、会談前の放送でしたので未来形で語ったのですが、24日午前(日本時間では25日未明)に会談が終わって麻生首相が帰国した後ですので、修正を加えて会談後の報道なども盛り込みました。
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麻生首相は、24日午前(日本時間では25日未明)にオバマ大統領と初会談を行った。オバマ大統領が就任以来、外国の首脳とホワイトハウスで会うのはこれが初めてで、支持率低迷の麻生首相にとっては久々に晴れの舞台となった。
クリントン政権時代には「中国重視」のジャパン・パッシング(日本素通り)に、日本はいたくプライドを傷つけられた。ブッシュ政権時代になってからは、小泉首相とブッシュ大統領の蜜月が続いたが、安倍首相の時は靖国神社の遊就館で東京裁判否定の陳列があったことで米国の機嫌を損ね、関係がギクシャクしたままだった。さらに、福田首相のアジア重視で、日米同盟の空洞化が言われるようになった。
これに対して、麻生首相はスタンフォード大学への留学経験もあり、もともと祖父の吉田茂譲りの対米関係重視派なだけに、首脳会談の早期実現は、政権のメンツと意地がかかっていた。ところが、オバマ大統領就任後の電話首脳会談では十数番目。4月2日開催の第2回金融サミットで「初顔合わせというのはまずい」と外務省幹部も心配していただけに、24日の一番乗りはまさに起死回生、政権浮揚のチャンスと捉えていた。中川昭一・財務金融担当大臣が、ローマで開かれたG7でのしどろもどろ会見で世界に大恥をさらして辞任した直後だけに、自ら日米同盟の絆を強めるとともに、オバマ人気にあやかりたいところもあっただろう。
しかし、初めての会談は、共同声明も昼食会もないものとなった。麻生首相は、1時間20分の会談後、「中身の濃い内容だった」と満足げだったが、日米同盟の絆の強化から基軸通貨ドルの維持の確認、クリーンエネルギーまでとテーマが総花的で、やや抽象的な印象だ。「ジャパンファースト」の演出に、中身が準備不足になってしまったのではないか。
さらに、オバマ大統領が会談後に議会で施政方針演説を行っており、その一言一句に拍手が上がった演説のほうを目立たせて取り上げた日本の新聞も多く、米国のメディアでも埋没した感がある。
会談では、オバマ大統領が冒頭に「グレート・パートナー」と日本を持ち上げたが、その裏にはしたたかな計算があることを忘れてはならない。一番乗りと優遇したからには、当然高い代償を求めてくるだろう。
まず考えられるのが、ブッシュ失政の尻ぬぐいとしてのアフガニスタン戦況の立て直しだ。イラクは撤退を公約しているが、アフガニスタンには1万7000人の増派を決めた。つまり、それだけタリバンに手こずり、駐留軍とカルザイ政権は点と線しか支配できていないのだ。会談では、日本がアフガン・パキスタン問題担当大使を任命、ホルブルック特別代表と対アフガン戦略の包括的調整をすることになった。しかし、自衛隊のアフガニスタン派遣などには踏み込んでいない。インド洋上の自衛隊海上補給は昨年12月に1年延長されたが、9月までに総選挙の洗礼を受ける麻生首相としては、空手形を切れないからだ。もし、日本が政権交代すれば、民主党政権にとってもアフガニスタンが踏み絵になる。直前にヒラリー・クリントン国務長官が来日して、小沢民主党代表と会ったが、米国側にはそこらの感触を探る狙いもあったのだろう。
クリントン長官は会談の下地ならしに日本や中国、韓国を訪問し、胡錦涛・国家主席とも会談しているが、これはオバマ外交が日米同盟と中国重視のバランスをとっていくということを表しているかに見える。クリントン長官は軍事一辺倒から脱する「スマートパワー」を唱えているが、注目すべきは、21日の胡錦涛会談後の会見で外貨準備高で世界一の中国が、今後も米国の国債を購入し続けるよう強い期待感を表明したことだ。やはり、オバマ政権の現下の課題は、金融から経済全般に及んだ危機対応で、中国にドル資産買い支えを要請したということは、同盟国日本に対してもドル防衛に協力するよう、大統領が暗に要請したと思える。基軸通貨ドルの維持や、日中への内需拡大要請はその文脈にある。
しかし、金融の傷は比較的浅いとはいえ、日本も10~12月に実質成長率が年率換算で12.7%も低下する異常事態。自国の経済危機に手いっぱいで米国支援に回せる財源があるはずもない。米国もいくら公的資金を突っ込んでも「穴のあいたバケツ」。大手銀行国有化のうわさで、シティグループの株価は1ドル台のうえ、ビッグ3の再建計画にしても、4月以降の生き残りは楽観できない。日米首脳会談もオバマ大統領の施政方針も、株式市場では反応なし。市場の認識は、オバマのカリスマだけでは変わらないほど厳しい。
ただ、悲観的な話ばかりでもない。日米はクリーンエネルギーや省エネの協力を具体化させることになったが、麻生首相がそこで「高速鉄道をもう少し考えたほうがいい。米国の自動車文化を変えることにもなる」と発言している。これは日本の新幹線輸出でオバマ大統領の「緑のニューディール」計画に協力するというアイデアで、ちょっと面白い。
オバマ大統領は、石油依存を改めて、環境重視の産業振興で300万人の雇用をつくり、縮小する自動車産業からの離職者の受け皿にすると言っている。この壮大な「緑のニューディール」に日本が協力するという手だ。開業以来の無事故記録を誇る日本の新幹線は、システムの優秀は証明済み。欧州高速鉄道より軽く、建設も安価で保守も容易だ。CO2排出量で言えば、飛行機と比べて10分の1ほど。連邦政府が州を口説いて高速鉄道網整備に乗り出せば、公共投資にもなるし、日米ともに雇用を創出できるだろう。
支持率がひとケタになる恐れもある麻生首相だけに、それくらいの大風呂敷を広げたい気持ちだろう。だが、それで空気が一変したかとなると難しい。日本の新聞の論調は、日米関係の今後という外交論や経済関係論よりも、会談が首相の追い風にならなかったという政局論が大半だった。