EDITOR BLOG
人知れず微笑まん――日銀総裁の奇妙な会見
笑ってしまった。でも、声を立てずに。
先週末、12月18日の日銀政策決定会合と白川方明総裁の会見である。決定会合の結論は政策金利である無担保コール翌日物金利の0・1%目標を維持する、つまり変更なしということなのだが、「この機会をとらえ、措置の背景にある物価安定に関する日銀の考え方をより明確な言葉で表現する」として、妙なことを言い出したのである。
日銀として消費者物価指数の前年比ゼロ%以下のマイナスの値を許容しえないこと、および委員の大勢は1%程度を中心値と考えていることをより明確に表現することにした。
これが笑わずにいられようか。ちょうど同時期に本誌1月号(12月20日発売)で「白川日銀は『デフレ誘導』」という目玉記事を載せて、日銀の金融政策が06年の量的緩和、ゼロ金利政策解除以来、コアCPI(エネルギー・食品を除く消費者物価指数)で一度も「マイナス領域」を脱出していないことをグラフで立証しているからだ。
ゴッツアンです。一雑誌の日銀批判に政策決定会合と総裁会見で反論していただくとは光栄の限り。白川総裁の“前代未聞”の友情に感謝します。私はこの会見に同席していないけれど、まだ本誌記事を読んでいなかった日銀クラブの記者諸兄はキツネにつままれたような顔をしたらしい。こんな質疑応答がある。
記者従来の0~2%程度の何が問題なのか。
総裁時として、日銀がマイナスの領域を容認しているとか、デフレを容認しているとの声が一部にあったことは事実である。そうした誤解があるのであれば、といた方がいいということである。何か実質を変えたということではない。
あとで「FACTAを読んで、総裁が何を気にしているかがわかった」という声を聞いた。もっとも早くから(08年10月の世界協調利下げ不参加から)日銀を批判していた本誌の主張に先回りしようとした努力があらわで、これまたまことにうれしい。
だが、本誌の記事を読めば分かるように、総裁会見の内容は弁明に終始している。結果として「マイナスを脱せなかった」原因の分析がない。本誌は日銀の金融政策、とりわけインフレ・ターゲティングを拒むあまり、デフレ・ターゲティングに陥った白川総裁、山口副総裁の臆病と判断ミスを糾弾している。金曜の会見自体、「(政策の)実質は変わらない」が「マイナスを許容しない」ことを明確にしたなどと、総裁自らリップサービスでしかないことを白状している。
しかも今度は「広い意味で時間軸効果」だとか。新型オペは「広い意味で量的緩和」。よほど「広い意味」という曖昧な表現がお好きらしい。はしなくも速水総裁時代の「量的緩和」や福井総裁時代の「時間軸効果」ではないと言っているにひとしく、そこに透けて見えるのはマネタイゼーション(日銀の国債買い入れ)を最後の抵抗線とする彼および日銀主流派の頑固一徹の姿勢である。
世界が危惧しているのは、病気あがりの日本経済に「大リーグギブス」をはめて、肩甲骨も肋骨も折ってしまう星一徹流のスパルタだ。金融危機の深刻だった米国はマネタイゼーションに踏み切って、ようやく改善の端緒をつかみ、買い入れをやめた。出し渋ってきた日銀は一足早く「出口」の布石を打って、すぐ事実上の撤回に追い込まれた。
そのジグザグを棚にあげて、「総裁はどうしたらデフレを脱却できるか悩んでいる」と聞く。おいおい、青い鳥は家のなかにいる。元凶のあんたが辞めたらいいんや。
1月号の編集後記
FACTA最新号(2010年1月号、12月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は28日からです。
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彼は若かった。20年前の1990年5月、国会議事堂2階の自民党幹事長室で、初めて小沢一郎氏にインタビューした。当時の写真を見ると、今より恰幅がよく髪も多い。が、口は重く「ちょっと観念的で青っちょろいというか、自分なりの考えかたをもつというかね」という自画像を引き出すのがやっとだった。時移り世は変わり、今は民主党幹事長として同じ部屋に陣取る。門前市をなす陳情――デジャヴに襲われた。
▼「目白御殿が国会に引っ越したみたいで」。そんな話を久しぶりに会った麻生太郎前総理にした。憔悴から解き放たれた前総理は「天才、大河内正敏の真似かもしれん」と言う。大河内は長岡半太郎や鈴木梅太郎らを擁した戦前の理化学研究所所長で、理研コンツェルンを興した子爵である。1934年、16歳の田中角栄はその書生になろうと上京し、果たせなかった。が、ひっきりなしの陳情の列が目に焼きつき、後に目白でそれを真似した。そのDNAは代沢の故竹下登、そして小沢氏に継がれる。
▼「あれは八面六臂の天才、大河内だからできたこと。凡人は無理なんだ」と麻生氏に語ったのは、日本医師会に君臨した故武見太郎である。彼も大河内家の元書生で、理研の仁科芳雄研究室で放射線の研究をしたこともある。麻生氏の曾祖父、牧野伸顕伯爵の孫娘を妻にしたから、親戚のよしみで若き麻生氏に「大河内の真似はするな。凡人は一人で仕切らず他人に任せろ」と語った。それから声を落として「いつか見てろ。角栄は必ず身を誤る」と囁いたという。それからほどなくロッキード事件が起きた。
▼そして今また600人の小沢訪中団。天皇陛下と習近平中国国家副主席の特例会見をめぐる傲岸不遜の発言。本人は目白方式の原点を知るまい。だが、「権力の集中には魔が潜む」というのは古人の知恵。10人の声を聞き分けられた聖徳太子の頭脳がない限り、過度の集中は個人の限度を超えて墓穴を掘る。それは角栄が残した「魔のDNA」なのだ。
中国軍事パレードの初公開ミサイル5機種――盧四清寄稿より
FACTA最新号(09年12月号)では、香港の中国人権民主化運動情報センター主席の盧四清氏が「中国『人権抑圧』にドイツ首相が痛烈な一語」を載せているが、その前段の中国軍事パレードの分析をここに別途掲載します。12月掲載の誌面ではいささか古いので、雑誌ではなくブログで載せる次第である。
読者の方はご覧になりましたか?建国60年の盛大なパレードは見るとぞっとするせいか、日本ではあまり詳細に報道されていない。しかしインスパイアの成毛眞氏のブログ(10月2日)には、その延々と続くCCTVの中継画像がYouTubeをエンベッドする形で引用されている。
さすが読書家の成毛さん、ミリオタから歌舞伎まで相変わらずなんでも好奇心をお持ちのようで、まさにこれを見ると百聞は一見に如かずと思える。習近平国家副主席がなんで人民軍事委副主席の座を手にいれたくてならないかがよくわかるからだ。
しかし国家の夜郎自大というのはどこでも退屈なもので、壮大であればあるほど辟易してくる。中国の軍事力誇示が爪を隠しているのか、弱さの反動なのかは正直よくわからない。中国語が分かろうが分かるまいが、胡錦涛の演説は空疎だったろうと思う。
YouTubeも一本では収まらず、10分割して収録しているが、やはり成毛さんの言うピンクのミニスカ女性民兵が行進する06がハイライトのようだ(※下記の動画参照)。胡錦涛の演説よりぐんと高いのは、世界の目もミーハーなのだろう。ともかく盧さんの文章である。
初公開ミサイルが5種類――中国建国60年軍事パレード
中国は10月1日、「国慶節」に伴う軍事パレードを行ったが、軍事パレードは、1979年の改革開放の開始以降、まだ3回しか行われていない。
1984年の軍事パレードは、鄧小平が自ら提唱した「軍事の近代化」の成果をチェックするために行われたもので、中国共産党による建国35周年の節目に、改革開放が始まって最初の軍事パレードとして実行されたものであった。当時、中国は初めて戦略ミサイルを公に披露し、世界を震撼させた。
次に中国が軍事パレードを行ったのは25年後の1999年である。当時は江沢民が政権を掌握していた時期で、江国家主席は自分が政権の座に就いて以来10年間の成果を披露しようと企図し 、共産党政権樹立50周年の機会に、中国では有史以来最大規模といわれた軍事パレードを行った。このときも中国は、対地短・中・長距離戦略ミサイル多数を披露し、96年に熊光楷・人民解放軍副総参謀長が豪語した通り、中国にその気さえあればロサンゼルスを壊滅状態にすることができることを海外の人々に印象づけようとしたのである。
そして今年、中国当局は建国60周年の機に軍事パレードを行ったのだが、いかなるミサイルが披露の対象になるのか、外部関係者の注目の的となった。
披露された弾道ミサイルは、すべて初公開された新型主力兵器で、射程距離の異なる2種類の対地型通常ミサイル、さらに地上型巡航ミサイル1種類、核攻撃・通常攻撃兼備型の地対地中距離ミサイル1種類、加えて大陸間戦略核ミサイル1種類も披露された。
この5種類の新型ミサイルが披露されたということは、かつて1種類しかなかった中国の戦略ミサイルがすでに現在では近距離用、中距離用、遠距離用、さらには大陸間弾道用へと、バリエーションが増えつつあることを物語っている。
特に中国当局が今回大陸間戦略核ミサイル を披露したことで、2005年に朱成虎少将が米国に対して行った警告――中国は核兵器により米国本土を攻撃できる、との主張がいよいよ現実味を帯びてきたと見る向きも出ている。
中国が行う軍事パレードは毎回、国際社会で「中国脅威論」を勢いづけるイメージを強めるだけで、中国自身が唱えている「世界と和諧(調和)的な関係を結ぶ」との希望を実現させるのに役立っていない。
1999年以降、は2003年の米英軍イラク侵攻以外に大きな国際戦争は起きていないことを考えると、中国があえてこの時期を選んで軍事パレードを行った事実は、中国自身が宣伝に努めてきた「平和的台頭」 の理念に合致していない。軍事パレードの度に自国開発の新兵器を誇示すれば、アジア太平洋地域の周辺国家の脅威を招くだけである。
国際的に注目された中国の軍事パレードだが、西側のメディアは憂慮の念を抱いて報じていた。
英「ガーディアン」紙は、新たに明らかになった中国の新型兵器が、西側諸国にとって北京五輪の開幕式以来最大の驚きの種となっていることを認めざるを得ないと伝えた。
CNNのニュースサイトは、今回の軍事パレードについて「中世の武威発揚を彷彿とさせる儀式」「社会主義特有の機械的な儀式」であると形容。ブルームバーグは軍事パレードの盛大さを伝える一方、「新疆7・5暴動事件」にも言及している。
中国国内で日々拡大している貧富格差こそ、中国が現在直面している問題であるとして、一部のオーストラリアのメディアは中国モデルの直面する危機だと報じている。
常に中国に対し辛口のメディアは、中国の軍事パレードは西側に対する警告的意味合いを意図しており、独裁国家が軍事的パワーを持つと即座に世界への脅威になった歴史的教訓を強調している。
(現在の中国と)同様に軍拡に熱中し、海洋への拡大志向を鮮明にし、軍人が闊歩していたかつてのナチスドイツは、軍事的な台頭を遂げるや、たちまち世界を戦争に巻き込んだ。
今回の北京軍事パレードを報じた各メディアは、ロバート・ゲーツ米国防長官が最近の中国の大幅な軍事費増大、その不透明性や今回の軍事パレードについて、米軍事当局がこの十数年間に行ったことがなかったほど厳しく批判したことも併せて報じている。
この軍事パレードが改めて証明したことがある。中国がこのところ攻撃性の高い兵器開発に力を注いでいる理由は、アジア太平洋地域における米国の軍事パワーに挑戦するためであることを示すためなのだ。
中国の軍事的台頭は、アジア太平洋地域における米国の戦略的利益を損なうとの強硬な意見が、米国内に一貫して存在していると一部メディアは報じる。オバマ政権誕生後、多くの政策が調整局面に入っているが、米国がその軍事的戦略の中心を欧州からアジアに移すとの方針には変わりはない。
北京軍事パレードは、中国のこれ以上の軍事的拡張を防ぎたい米国防総省(ペンタゴン)にその「動機」を与えたようなものである
中国の一部の国際問題専門家は、こうした西側メディアの見方に反論している。
彼ら専門家は、そうした報道は西側メディアが中国の実情を全く理解していないことの表れであるという。彼らにいわせれば、北京五輪は中国台頭の象徴であり、建国60年軍事パレードは共産党の指導する中国の発展モデルの成功を物語るものなのだ。
彼らはまた、中国はもはやイデオロギーに頼らずとも人心を結集させることが可能になっており、今回の建国60周年記念行事の成功は、中国人の内面にある愛国的熱情が発露されたものなのであると主張している。
さらに、現在の中国は強い経済力のもとで統合されており、こうした状況の中で中国人の国家意識や公民意識の高まりが遺憾なく発揮されているのであるとし、今年の軍事パレードはこのような現代中国の国家意識形成のプロセスを余すところなく外部に伝えたものであると賞賛しつつ、西洋人には全く理解されていないと主張している。
軍事パレードを見た人は、西欧と中国とどちらの見方に与するだろうか。
藤原美喜子さんの本「人生好転のルール55」
小生はめったにノウハウ本を読まない。単純に忙しくて読んでいる暇がないからだ。記者などというヤクザな稼業は、常にあたって砕けろ式の取材が要求され、究極のOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)だから、それが習い性になってしまっただけのことである。
取材方法は見よう見まね、誰も教えてくれず、記事がだめなら黙ってボツ、という日々で、なぜボツかは自分で考えろと突き放された。べつに人生のノウハウ本など不要、などとエラソーなことが言えるほど、楽に生きていたわけではないから、ハウツー本嫌いなわけではない。実は手に負えない事態になったときなどは誰か「人生好転のルール」を教えてくれないかと、内心天を仰いでいたくらいである。
さて、藤原さんである。ロンドン大学でMBAを取得して、外資系金融機関をいくつも経験した、キャリア・ウーマンの走りみたいな人だ。彼女にはFTの記者を通じて紹介された。
先日電話がかかってきて、本を書いたという。「阿部さんところの雑誌で紹介してくれる?」と頼まれた。しかし編集が終わって刷り上がったばかりなので、掲載は1カ月は先になるから、ブログで紹介することにした。それが「人生好転のルールビジネスのプロは、上手に働いて幸せをつかむ」(小学館、税込み1155円)という本だが、表紙がほほえましい。というか、親バカ丸出しだなあと思った。
自慢の娘さん(一度、虎ノ門のお店でちらっとお目にかかったことがあるが、なかなかかわいらしい)と一緒に親子でご出演である。たしかオクスフォード大学を優秀な成績で卒業したらしい。
これだけでトクした気分になるから不思議だ。本の中では、成績がいいので医学部に行かせようと思った娘だが、本人のたっての希望で英文学を専攻したという。ふーむ、オクスフォードでも文学より医学のほうが格上なのだろうか。とにかく、歴史学者の英国人の夫に「自分がハッピーでないと人を幸せにできない」と娘の希望を通すよう諭されたエピソードがでてくる。
で、ルール55のうちの「32」ができあがったというわけだ。誰もがそうだろうなと思うちょっとした人生のコツがならんでいて、どれも難しいことではない。軽い人生訓で困難は乗り切れるという、彼女の楽天人間のエキスである。それは悩める若い人のための緩和剤なのだ。
トルストイだったか「不幸は千差万別だが、幸福はひとつの顔しかない」という格言があった。55のルールも畢竟、ひとつに帰すると思える。この本で幸福になる人はすでに幸福なのだ。
12月号の編集後記
FACTA最新号(2009年12月号、11月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は25日からです。
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雑誌編集長はストリッパーと同じで、自分の内臓をさらして生きている。だから、この因果な稼業に明け暮れる人は「餅は餅屋」ではないが、他人の雑誌も一目見ればたちどころにその本性を見抜ける。灰色の脳細胞が明滅して「こいつは同類」と直感するのだ。中国の隔週刊誌「財経」(Caijing)の女編集長、胡舒立(フーシュリ)さんも、私にとってはそんなジャーナリストだった。
▼1998年の創刊以来11年間編集長を務めてきたが、11月9日に辞表を出した。その経緯は70~71ページの記事を読んでほしい。検閲や報道管制が厳しい中国では、ほとんど奇跡とも言えるような小気味いい攻撃的な暴露(調査)報道を売り物にしてきた。小誌と志を同じうすると言っては、彼女に不遜だろうか。少なくともジャーナリストの嗅覚がよく似ていることは確かと思える。
▼たとえば、彼女の編集の最終号トップ記事。「黎強紅与黒」がタイトルだが、重慶で逮捕されたマフィア黎強の「赤と黒」(全人代代表の顔と闇社会の顔という意味)の悪行三昧を追跡した記事で、スタンダールを連想させるように、表紙の写真は黒衣に赤い囚人チョッキを着せられた黎強の連行姿だ。思わず、うまい!と唸りたくなるそそらせ方である。
▼02年8月、さる人の紹介で北京に飛び、彼女にインタビューしたことがある。早口でまくしたてるブロークン・イングリッシュに圧倒された。会社近くの中華料理店で円卓を囲んでスタッフと食事したが、「あなたと私、雑誌が似てるかもね」と言われた。「財経」は単なるスキャンダル誌ではなく、株価や通貨、IMFなどマクロ政策の問題提起も得意だった。頼まれて日本特集に協力したこともある。その変調は今年初めに感じた。急ぎの取材を頼まれたが、性急すぎた。今の彼女の年齢は、小誌の創刊準備を始めたころの私とほぼ同じ。ぜひ再起を期待したい。
ののちゃんとファド2――LUSOの秘密
朝日新聞の社会面連載マンガ「ののちゃん」に時々でてくる、不遇の高校生ストリート・ミュージシャン、吉川ロカが、ファド歌い(ファディシュタ)であることは、ファド好きの人たちの間ではよく知れわたっているらしい。
「ののちゃんとファド1」で紹介した知人で、ファドのCD「桜桃酒」を出したばかりの槇さんが、「LUSO」の謎解きを教えてくれたので紹介しよう。
前回引用した「謎の婆」(4272回)の3コマ目で、「ウェーン」と吉川ロカが泣き伏せる店のシャッターに「LUSO」と落書きがしてある。あれは何のこっちゃと思っていたら、槇さんが解説してくれた。
LUSOはポルトガルの地名で、鉱水がでるのか、ポルトガルのミネラルウォーターのブランドに「LUSO]があるという。また、そういう名のカーサ・デ・ファドもあるそうだ。
ふうむ、いしいひさいち、いよいよ芸が細かい。しだいに「磯野家の秘密」みたいになってきた。
その槇さん、11月12日に東京・四谷のポルトガル・レストラン「マヌエル」で行われたLIVEに行って来た。
ファドのポルトガルギターを弾ける人は日本でも数少ないが、もっともよく知られたアコースティック・デュオ「マリオネット」(ポルトガルギター湯淺隆、マンドリン吉田剛士)のLIVEである。私は雑誌の編集作業があって行けなかったが、彼女はお礼をかねて聴きに行っている。
お礼というのは、新宿・歌舞伎町にあるBというお店のママの快気祝いに、マリオネットが出演した際、演奏後にもかかわらず気さくにその伴奏で歌わせてもらったことがあるからだ。
そのお店は私の尊敬するジャーナリスト伊藤博敏君が昔からつきあいのある店で、彼に連れられて私も行ったことがある。まさにポン引きの声がかかる歌舞伎町ど真ん中だった。槇さんは伊藤君の付き添いで憧れのマリオネットに会えたというわけだ。
その槇さん、12日の夜には「マリオネット」の湯浅さんと話をしていて、話題が吉川ロカに及んだという。そしたら、その場にいたファンの一人に彼女は「あら、吉川ロカに似てるかも」と言われたそうだ。湯浅さんに言わせると、槇さんはやはりファディシュタのミージア(MISIA、同じスペルだが日本のMISIAではない)に似ているという。さ、どうだろう。
見比べるため、ここにいしいひさいちのマンガを引用したいところだが、朝日に著作権があるので、コピペしたらしいQuinta do Qimのブログ(11月3日)に載っている吉川ロカをご覧ください。
もうひとりのミージアはYouTubeに動画が載っています。
さて、みなおかっぱ風とはいえ……うーむ、どうですかね。槇さん本人の歌ってる写真と比べてください。
さて、ついでに宣伝しよう。槇さんのCD「桜桃酒」(税込み2500円)をお求めになりたい方はhttp://maki.sampoh.jp/へどうぞ。
ののちゃんとファド1――ロドリゲスの「春」
朝日新聞は商売柄、よく読むと言ってあげたいところだが、最近はさっと目を通すだけで、ほとんど関心の外にある。どうも中身が後ろ向きで、「新聞」というより「旧聞」といったほうがいいような気がする。
どうせ万古不易なら、いつまでも年をとらない「さざえさん」でいい。その後継者ともいうべきいしいひさいちの漫画は「タブチくん」以来のファンだが、最近は毎日読む習慣がなくなったせいで、あの大勢の登場人物が把握できなくなってきた。それが11月3日朝刊の4465回を見てはっとした。
山田家の隣のキクチ食堂でバイトしている高校生のストリート・ミュージシャンが歌う歌詞が目に飛び込んできたからだ。漫画は吉川サンが文化祭で歌おうとして、先生の服装審査を受けるシーンなのだが、その歌詞が「Ai funesta primavera」とある。ポルトガル語で「ああ、不吉な春よ」という意味だ。
言わずと知れた「ファドの女王」アマリア・ロドリゲスの「春」(Primavera)の一節である。なにも知らない教師には「インドネシア語か」と言われて「ポルトガル語です」と吉川ロカはむっとするが、ファドを知らない読者にはチンプンカンプンの謎かけである。
あれれ、いしいひさいち、いつのまにかファドファンになっていたのか。
と思って調べたら、「ののちゃん」4272回にはその歌詞が日本語で載っていた。
ああ、不吉な春よ
夜は影を追い
やってくる
わたしたちに
投げ与えられるのは
孤独という固いパン
後ろに伴奏としてポルトガルのギターラを抱えるいがぐり頭の男の子がいるから本格的だ。しかしシャッターの前に立つこの3人の歌に耳を傾けるのは「演歌」とまちがえて拍手するお婆さん(キクチ食堂のおばあさん)一人だけ。吉川ロカは「ウェーン」と泣くが、ところがどっこい、この婆さんがタダ者ではない。
『モウラーリア』は走りすぎじゃが『アルファーマ』はよう歌いこんどる
と、ファド通でなければ吐けない台詞を言う。ポルトガル通とおぼしきQuinta do Quimのブログでは、この2語について「呆け防止の新薬か、金鳥の新しい殺虫剤か」と冗談を書いているが、いずれもファドの定番となっている歌のタイトル。モウラーリアもアルファーマも、ポルトガルの首都リスボン(現地名リシュボア)の町名である。
てなことを思うのは、小生も知人にファド歌いの女性がいて、そのポルトガル語の歌詞の日本語訳のお手伝いをしたからだ。できるだけ原語に近い邦訳の歌詞にしたいという要望だが、小生、ラテン語系のイタリア語やスペイン語には見覚えがあるが、近いとはいえ、ポルトガル語のニュアンスを生かすのはなかなか難しい(いしいひさいちの漫画で引用された日本語歌詞でも、Quimのブログは「夜の影を追い」という言葉が原詞にはないと鋭く指摘している)。
その彼女――「槇」さんも10月にファドのCD「桜桃酒Ginjinha」を出し、10月23日に早稲田のBlueDragで「レコ発LIVE」を行った。マイナーと言われるファドだけに、ののちゃんという援軍がいるのは心強い。しばらくこのブログで吉川ロカと槇さんらファディシュタ(ファド歌手)を応援しよう。
CD(税込み2500円)をお求めになりたい方はhttp://maki.sampoh.jp/へどうぞ。
弱身につけこむ「風邪の神」
日本海沿岸県7新聞のシンジケートコラム「時代を読む」を10月31日に掲載しました。文中の落語家、桂米朝師匠はその3日後の11月3日に文化勲章を受章しましたが、ちょっと偶然です。車椅子姿でしたが、彼の高座が聞けないのがちょっと寂しい。テーマは新型(豚)インフルエンザです。仮タイトル(各紙で多少異なるかも)は、
弱身につけこむ「風邪の神」
上方落語に「風の神送り」という噺がある。一時忘れられたのは、この噺の主題である「風の神送り」という風習が、明治以降廃れてしまったからだ。
この「風の神」はインフルエンザ。葛根湯くらいしかなかった江戸時代、人死がでるほど猛威を振るっても、今以上に庶民は無力だった。やむなく藁でハリボテ人形をつくり、祭壇に祭って退散を願い、カネや太鼓や三味線で賑やかに川に流すしかない。精霊流しに似たこの風習を「風の神送り」と呼んだのだ。
この噺を復活させた桂米朝は、川流しの場面を冒頭に置いている。
「風の神送ろ」
「お名残惜しい」
「誰やおかしなこと言う奴がおるな」
何度、「風の神送ろ」と唱和しても、ほおかむりした男が「お名残惜しい」とつぶやく。「このがきゃ~」とひきずりだしたら町医者だったという。
笑いごとではない。10月19日から新型インフルのワクチン接種が始まったが、「年金男」長妻昭衆議院議員が大臣として乗り込んだ厚生労働省が10月1日に発表したワクチン接種「基本方針」を読むと、どうもこの笑い話を連想してしまう。
自公連立政権下で日本のワクチン不足が懸念されていたのが、この基本方針では一気に7700万人分、国民の約60%分を準備できることになっている。内訳は国産2700万人分、輸入5000万人分だが、国産は9月初めに「製造効率が高くならない」ことを理由に1800万人分が限界としていたのが、なぜか上乗せできたのだ。
政権交代のどさくさ紛れに、厚労省内の医系技官が鉛筆をなめたとしか考えられない。しかも8月末までは、厚労省が欧州メーカーと結んだワクチン輸入予約の仮契約(期限9月18日)が放置されていたという。離任間近の舛添要一前厚労相が9月11日、「輸入4200万人分を確保」と発表してやっと輸入が実現した経緯がある。
国内メーカーを擁護するため医系技官たちが輸入をサボタージュ、その“障壁”が破られてしまうと、今度は国産分をカサ上げしてシェアを確保、備蓄体制の遅れを糊塗しようとしたのではないだろうか。12月末までに人口の50%へのワクチン接種を完了させる予定のアメリカや英国に比べ、日本は20%にすぎない。
日本のワクチンメーカーは化学及血清研究所、大阪大学微生物研究所、北里研究所など学校法人系が中心。海外ではこの急成長市場に巨大医薬産業が参入、日本にも上陸してくると、国内医薬業界を支配する医系技官の牙城がゆらぐ。
備蓄の遅れと輸入サボタージュが権益確保の結果だとすれば、医系技官たちの罪は大きい。人の命もものかは、風の神に「お名残惜しい」とつぶやいた町医者と変わらない。
しかも医系技官たちの抵抗はまだ続いている。輸入ワクチンの安全性について厚生省がパブリックコメントを募集しているが、「がん原性はないが腫瘍原性がある」との厚生省コメントは、「輸入品は怖い」という誘導の下心が透けて見える。
現に腫瘍が専門の東京大学医科学研究所の上昌広特任准教授は、医療メルマガ「ロハス・メディカル」でそうした問題を指摘、専門用語めかした「不適切」な表現と、根拠を示さない厚労省を批判している。輸入品が細胞培養法で生産され、アジュバント(抗原作用増強剤)を使用していることの危険性を厚労省は強調するが、海外メーカーが治験を公表しているのに、国産は治験をせず、上准教授は「どちらが安全なのか分かりません」とあきれている。
落語の「風の神送り」のサゲは、川に流したハリボテが漁師の網にひっかかり、「ああ、それで夜網(弱身)につけこんだな」で締めくくる。これは元気な人でも体が弱ると風邪を引く、という当時の慣用句「弱身につけこむ風邪の神」にひっかけたものだ。医師としては二流だが利権は手放したくない医系技官も、新型インフルに怯える国民の弱身につけこむのか。
長妻厚労相は「年金」は強いが「医療」は素人と言われる。ジャーナリスト時代は私も同僚だっただけに、「医系技官の檻」に幽閉されないことを祈るばかりだ。
11月号の編集後記
FACTA最新号(2009年11月号、10月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は25日からです。
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本人がカミングアウトしちゃったから、もういいのだろう。旧大蔵省の異能官僚でありながら霞が関に反旗を翻し、特別会計積立金の不明朗を暴いて「埋蔵金男」と呼ばれた高橋洋一氏(元内閣参事官)が、半年余の沈黙を破って新著『恐慌は日本の大チャンス』(講談社)を出した。3月に起きた書類送検のてんまつは、序章で4ページほど書いてある。
▼彼に電話した。「本、読んだよ。微妙だな」「どうして?」「例の一件、あれでみんな納得するかな」。本の腰巻きには「国家の陰謀!」とあるのに、本文は「ロッカーにあったなにかを届け忘れた」という落ち度は決して弁解できないもの、と恬淡と綴っている。陰謀説を読みたい野次馬、それをあてこみたい出版社の下心をあっさり外していた。実は不起訴処分以降、私は何度も彼に会って聞いているから、何があったかより、どう書いてあるかが関心事だった。
▼彼は数学科出身のせいか無邪気なほど合理的で、言い訳は無用と割り切っている。羊頭狗肉の腰巻きの惹句に文句も言わず、身なりにも無頓着で「ブルガリの時計」と言われて「なにそれ?」と聞き返すほどだ。しかしバットマンではないが「高橋リターンズ」は、脱官僚が旗印の民主党政権下で霞が関の脅威だろう。公約を実行する財源捻出のための「埋蔵金」絞りだしは彼の主張をパクったものだし、彼が批判した「過去官僚」(官僚OBの議員)の跋扈は、自公政権と顔ぶれこそ違え、鳩山政権でもほとんど変わらないからだ。
▼彼には「法案づくりのプロ」という自負がある。民主党が政策決定の内閣一元化で議員立法を放棄、法案は官僚丸投げになりそうなので、むしろ出番と睨み、法案づくり専門の個人シンクタンクを立ちあげる。天下りしなかった元役人の知人と組む「たった2人の霞が関」ベンチャーは名づけて「政策工房」。その意気やよし、FACTAは応援する。
京セラ稲盛氏に日本郵政社長就任を打診
FACTA最新号の目玉は「企業スキャン京セラ」で、そのタイトルは「鳩山政権『後見人』稲盛の報酬」です。小沢一郎・民主党幹事長の最大のスポンサーである、京セラ名誉会長、稲盛和夫氏(77)の政治との関わりをこれまでにない深さで追ったレポートで、稲盛氏自身だけでなく、京セラ社員を動員しての総選挙での民主党支援に対し、鳩山政権がどんな見返りを用意しているのかを徹底追跡しています。しかし締め切りの関係でどうしても詰め切れなかったことがあり、この連休明けにようやく複数の関係者から事実確認が取れましたので、25日朝のRKBラジオ番組で報じました。それをこの編集長ブログで再録します。
鳩山首相は選挙前に「西川氏には当然、お辞めいただく」と発言しているので、更迭か辞任は必至ですが、民主党首脳が京セラ名誉会長、稲盛和夫氏を後任にしたいと本人に打診したことが明らかになりました。FACTAの最新号は「鳩山政権『後見人』京セラ稲盛の報酬」というトップ記事を掲載していますが、その取材の過程で「ポスト西川」は稲盛との情報をつかんでいました。ただ、最終的な確認がとれず、締め切りに間に合わなかったのですが、連休明けに政府筋から確認できました。
総選挙大勝後の9月1日、小沢一郎民主党代表代行(当時、現在は幹事長)が稲盛氏と横浜で会いました。場所は「みなとみらい」地区のホテル「パシフィコ横浜」。小沢氏は支援のお礼とともに、日本郵政の西川善文社長の後任を引き受けてくれないかと打診したとのことです。正式の返答はまだだが、稲盛氏本人は「乃公いでずんば」と満更でもなかったそうで、最終的には受諾の可能性が高い。
鳩山氏も首相就任前の9月8日、平野博文役員室長(現官房長官)と京セラ東京八重洲事務所に稲盛氏を訪ねていますが、ここでも日本郵政社長就任を要請した可能性があります。
西川日本郵政社長の更迭問題は、自民党政権の歴史的大敗をもたらした「火中のクリ」。「かんぽの宿」騒動で当時の鳩山邦夫総務相が更迭を主張、西川氏が辞任を拒否し、竹中平蔵元総務相の場外応援も得て粘りました。その裏で麻生太郎首相周辺は後任探しを進めましたがなり手がいない。
三顧の礼をもって民間から迎えた西川氏を「使い捨て」にすれば、晩節を汚したくない有力財界人は誰もが尻ごみする。前経団連会長の奥田氏も神通力はなく、まして御手洗経団連では泥をかぶる人もいない。日本郵政には郵便事業部門を率いる元郵政省官僚の団宏明氏もいるが、官僚OBの起用では世論が納得しないでしょう。
この構図は民主党政権になっても変わらず、自民党支持だった財界主流と民主党がどう折り合うかで注目されていました。小沢氏もそれは承知していて、総選挙勝利の直後に電光石火のごとく、稲盛氏に白羽の矢を立てたということになります。確かに総選挙後の1週間で小沢氏の党幹事長就任が決まりましたが、水面下ではさまざまな動きがありました。
たとえば亀井静香・郵政担当相兼金融担当相。大臣就任後の会見で「おれが決める。相談する必要もない」と原口一博総務相をけん制していますが、実は小沢幹事長がとうにポスト西川人事を決めていて、社民党・国民新党との三党連立合意でも、また亀井氏の防衛相から郵政担当相への振り替えも、「稲盛後任」が条件になっていた可能性があります。
FACTA最新号では稲盛氏と政治のかかわりを特集しましたが、京セラの通信事業進出で懇意になった小沢氏を支援する数少ない財界人が稲盛氏です。稲盛氏も第三次行革審で霞が関の猛反発を食らい、細川政権瓦解で京都商工会議所会頭になって雌伏15年を経ました。ここで日本の難題である日本郵政の立て直しに成功すれば、主流派財界人を見返すことができる。
それが小沢氏が稲盛氏に与える最大の見返りではないのでしょうか。
しかしポスト西川は、日本郵政を再国有化する「後退戦」の指揮官です。戦争でも退きながら戦うのは至難の業であり、成功はおぼつかない。かつて郵貯と国債は入口と出口で金利は同率。人件費等はすべて国費投入でまかなってきました。国民新党の主張も26万人、2万4000郵便局のランニングコストは税金を投入せよということに尽きる。
これは民主党が志向する「ちいさな政府」に逆行し、いずれは有権者の反発を食いかねない。稲盛氏が受諾すれば、まさに「火中のクリ」を拾うことになります。
10月号の編集後記
FACTA最新号(2009年10月号、9月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は28日からです。
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不思議な本がある。部落解放同盟系の出版社から贈られたが、差別の本かと思ったら、さにあらず。タイトルは『楽しい騙しのインテリジェンス? マリック直伝! サギのイロハと撃退法』(モナド新書)。筆者が伊東乾氏なので、あれっと思った。東大で物理学の修士号を取りながら、作曲家兼指揮者として現在は東大大学院情報学環の准教授。オウム真理教信者になった同級生を書いた『さよなら、サイレント・ネイビー』で賞を取った多芸多才の人である。
▼この本ではマジシャンのMr.マリックが対談のゲストになり、手品のような無害な騙しの「シロサギ」と、悪質なペテンの「クロサギ」のミソを鮮やかに解いてみせる。伊東氏は幼いころ手品に憧れ、百貨店売り場で実演販売しているマリックを見て師事したというから、師弟談議は堂に入っている。マジックは畢竟、早業とミスディレクション(目くらまし)に帰すというのは至言である。
▼話が貨幣論から電子マネーを自称した「円天」詐欺の解剖に入ってくると、こっちも本気になる。東大の岩井克人教授の『貨幣論』に依拠した貨幣=情報論は目新しくない。「商品価値の商品体から金体への飛躍は商品の宙返り(Salto mortale)である」と書いたマルクス『資本論』のほうが記述としては上出来だ。「ループが閉じていない」円天よりも、通常の貨幣取引に潜むトリックは、はるかに高度なのではないか。
▼社会部駆け出しのころ、ねずみ講やマルチ商法を追いかけたが、どれも似たりよったりですぐ飽きた。現実の市場こそマジシャンである。が、この本ではウォール街をコントロール不能に陥れた金融技術の手品に届かない。伊東氏は理系だから、「伊藤のレンマ」が土台のブラック&ショールズ確率偏微分方程式がなぜ「クロサギ」に使えたかを証明してほしい。ループがメビウスの輪のように別次元に潜りこみ、デリバティブのゼノンが生まれたのだから。
中国4中全会の裏側の権力闘争――盧四清寄稿より
9月15~18日に中国共産党は第17期4中全会を開く。FACTAに定期寄稿している香港の中国人権民主化情報センター主席、盧四清氏から、そこでの最大の注目点である人事の予想を書いてもらったが、締め切りの関係で雑誌に掲載しても間に合わない。そこでその部分を切り離し、このブログで4中全会以前に公表することにした。チャイナ・ウォッチャーのみならず、北京の権力動向に関心のある方はぜひお読みください。
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今度の17期4中全会では、次期18期代表大会(18大)における中国共産党指導部の権力配置をも占えることになりそうだ。
83歳の江沢民・前国家主席は最近頻繁に中国各省を訪れて活動しているが、もちろんその一番の目的は習近平・国家副主席を中央軍事委副主席の地位に据えることである。江沢民の家族はあまりにも多くの腐敗問題を抱えており、例えばある親族が杭州の不動産分野で関与しているとされる巨大な腐敗問題により、江沢民の死後に遺族は粛正される可能性が極めて高い。したがって、江沢民が自分の死後もその粛正から遺族を免れさせるには、習近平を胡錦涛・国家主席の後継者の地位に就かせるしか道がないのである。
しかし習近平が中央軍事委副主席から胡錦涛の後継者の地位に就く可能性はなお極めて低い。というのも中央軍事委主席の任期には「期」[第17「期」など共産党の用語でいう5年に一度のこと]による制限がなく、胡錦涛は2017年まで中央軍事委主席のポジションにとどまることが出来る。胡錦涛は2017年の時点で74歳に過ぎない。
中国憲法が三選を禁じている国家指導者の職務は、
・中華人民共和国主席
・同副主席
・全人代常務委員会委員長
・同副委員長
・国務院総理
・同副総理
・国務委員
しかし「中央軍事委員会」に関してはその規定は当てはまらないのであり、中央軍事委員会主席、副主席、軍事委員が二期を超えて留任してはならないとは規定されていない。つまり、中央軍事委主席は三期、四期と留任できるのだ。
2012年の中共18大で李克強が総書記に任命されれば、李は同時に中央軍事委第一副主席に任命されることも間違いない。さらにこの時点では胡錦涛が引退するまで3~5年の時間が生じることになる。実のところ中国軍において最も複雑、重要で最も理解に時間がかかるのが、空間軍事技術やロケット、弾道ミサイル、警戒機、潜水艇など先端軍事技術の研究開発や生産に関する事項なのだが李克強は2007年に政治局常務委員に就任後、多くの時間を[この分野の]軍事産業視察に費やしてきた。
これに対し、習近平は大部分の時間を「科学的発展観」の学習指導および党理論研究、[中央]党校、香港関連などさほど重要ではない事項に費やしてきた。
新疆の「7.5」暴動事件の際、胡錦涛は同日早朝ローマに飛んでいたにもかかわらず、新疆情勢の緊迫を知るやいなや7月8日には予定を早めて帰国した。胡錦涛のような指導者が国事訪問を取りやめて緊急帰国するような事態は中国でこの30年間初めてのことである。
一方、習近平は7月5日の夜から8日までの間北京に戻らずに遼寧省で、工場や農村での科学的発展観に関する学習視察に費やしていた。このことは習近平が間違いなく胡錦涛の後継者などではないことを示しており、習が目下中国で最大規模の事件に際して処理し、統制し、指揮する権力など持ち合わせていないことを証明している。
習近平の能力や多くの分野での素質は、胡錦涛・李克強に比べてかなり劣る。さらに、今後の中国状勢はますます複雑化し、社会的矛盾もますます先鋭化していくことは間違いないにもかかわらず、習近平は中国最高指導者に求められる、こうした状況を統御していく能力など持ち合わせていない。加えて中国の絶対的大多数の市民たちは「太子党」に対する反感も根強い。
こうした中で習近平を最高指導者に据えていくことは中国を崩壊に招きかねない。こうした予測は多くの人々の共有する常識となっている。だが、江沢民の家族やそのシンパはあまりにも多くの腐敗問題を抱えているにもかかわらず、江が死亡していない現状では江の家族は当然ながら粛正を免れている。ただ江沢民は83歳で多くの深刻な疾病を抱えており、もし死亡すれば、その遺族および彼が在職時に抜擢し、今なお処分を免れている官僚やその関係者も全て粛正される可能性が極めて高い。これがすなわち、江沢民が習近平を中国最高指導者の地位に就けたがっている原因なのである。
中国共産党は4月、浙江省紀律検査委員会書記の王元華、広東省政治協商会議主席の陳昭基を、6月には深圳市長の許宗衡を処分したが、これらの事実の背後には権力闘争が絡んでいる。
王元華、陳昭基は元広東省政法委員会書記であり、許宗衡は江沢民のシンパで、前深圳市共産党委員会書記の黄麗満から直接抜擢された人物である。どうしてこれが権力闘争に絡むのか?中国共産党第18大政治局常務委員は必ずや、若手の17期政治局委員から選出されるからである。年齢もきわめて重要なファクターである。年齢順に幹部を配した下表から見れば、許宗衡、王元華、陳昭基の事案から、2012年の第18大の政局を占うことが出来るのだ。
この案件から権力闘争に絡んでくる人物には胡錦涛、温家宝、李克強、習近平、汪洋、兪正声、王楽泉、薄熙来、劉延東、張徳江、張高麗、王岐山、李長春、周永康がいる。
李克強が[共産党]総書記となり、汪洋が[国務院]総理になるというのが胡錦涛の中心的な構想である。一方、最近の江西、湖北、新疆、吉林の大暴動から見ても、習近平はその「太子党」としての背景からしても中国第一の指導者となることは全くあり得ない。これもまた現在の共産党指導者が政権を維持する上での中心的な考えとなっており、習近平は江沢民派からの支持以外には、党内で全く支持を得られていない。
李克強、汪洋態勢をどのように胡錦涛の敷いたラインの中で強化していくか、そのためには必ずや反対派をつぶしていくことが必要になるが、江沢民派こそが胡錦涛にとって最も忌まわしい反対派になっている。張徳江、張高麗、李長春は江沢民派に比較的近い人物であり、今回の許宗衡、王元華、陳昭基の事案は間違いなく、張徳江、張高麗という二人の広東、深圳の大物に対する大きな圧力となっていると同時に、広東省の責任者である李長春の18大人事への影響力を間違いなく削ぐものである。
周永康は、江沢民派と胡錦涛派の二つをつなぐ中間に属する人物であり、王元華、陳昭基という二人の元政法[司法]関係者が逮捕された事実は周永康の18大人事上の発言権をも牽制するものである。
18大政治局常務委員は68歳というのが一つのラインになるだろう。2012年18大前の時点で王楽泉は67歳であり、王は共産党政治局委員の中では、周永康に比べると政法分野の経験があるのだが、現在の政治局委員の中で政法委員会書記に任命される可能性の高い兪正声、薄熙来は実はこの分野の経験が浅く、ましてほかの人物はなおさらそうである。
2012年時点で66歳になる劉延東が全国政治協商会議に任命されるかどうかはまだわからないが、しかし可能性は高い。というのも彼女は「団派」の中での人間関係もよく、能力も極めて高い人物である。加えて党内では女性を政治局常務委員に任命すべきだとの声も日増しに高まっている。薄熙来の目標はもちろん、全人代常務委員長である。彼は兪正声よりも4歳若い。
中国当局は現在、「国慶節60周年記念式典」および閲兵式の準備を進めており、現在安全保安上での緊張局面が続いている。北京の警察当局は全市各社区で80万人のボランティアを動員して安全確保に努めている。現在北京全市の各社区、中心部公園地区、公共施設、胡同[北京独特の路地]、旧市街地、流動人口居住区、農村との境界地点では、ボランティアが24時間態勢で巡邏を行っている。
7月31日に政治局委員で、中央軍事委副主席の郭伯雄が自ら新疆の部隊に治安維持活動のチェック・指導に赴き、この新疆の部隊に対し地方政府がいかなる形式の暴力活動を撲滅する場合にも積極的に支援を行うよう求めた。伝えられるところでは、総参謀部、蘭州軍区、武警部隊の幹部が同行した。
これより前の中国国内報道によると、郭伯雄はもし国連により権限が与えられた場合、人民解放軍はウイグル武装勢力撲滅のために中央アジア諸国に進駐することを検討中であると明らかにした。ここで注目すべきは、7月25日にもう一人の中央軍事委副主席、徐才厚が新疆部隊の視察を行ったばかりであったということだ。
ほぼ同時に新疆に到着した郭伯雄、徐才厚は8月2日に新疆で「ウイグル撲滅」を目指す一網打尽式の作戦指揮を開始させた。この作戦は、新疆に駐留する野戦軍および武警、特殊警察20万人を動員し、「10月1日」以前に南部新疆のウイグル族居住地域に対し鉄壁の包囲網を作り一網打尽式の軍事行動を仕掛けることにより、南部新疆地区に居残った「ウイグル独立」武装勢力を粛正することを目指すもので、8月2-6日の5日間で少なくとも500人のウイグル族が逮捕された。
中国民航局の要求に応じて、現在多くの空港では、「空港安全防止警戒レベル3措置」を実施し、昨年の「オリンピック基準」を復活、旅客と貨物に対し、荷物の開封検査率、人身チェック率をも強化した。
また北京の閲兵部隊による突然の発砲に備えて、国慶節で閲兵が使用する銃には指紋認証を使用、指紋での認証を経なければ銃を操作できないシステムを導入した。このシステムは、遠隔コンピュータによりいかなる人物がいかなる時に銃を操作したかがたちどころに分かる新型のシステムであり今年の北京での閲兵式で初めて導入される。このシステムには伝統的な指紋画像技術ではなく最新のサーモセンサーが使われており、環境による影響を受けない上に容易に解読されないという優位性を持っている。
中国の異様とも言える建国60周年式典の予行演習と厳重警戒は、単なるテロ警戒ではないと言える。
「サバタイ・ツヴィ伝 神秘のメシア」のススメ――「偽メシア」という逆説
もしかして、と思う。サバタイ・ツヴィは「ナザレのイエス」を凌駕するメシアだったかもしれない。偉大という意味ではない。エソテリック(秘教)の極限を示したからだ。
ツヴィは十七世紀ギリシャに生まれ、エルサレム第二神殿破壊以降、ユダヤ最大のメシア運動の頂点に立った。北はポーランドから南はエジプトまで、西はアムステルダムから東はクルディスタンまで、広大な地域に離散したユダヤ人社会が、「聖地にメシアの王現る」の報にこぞって熱狂し、悔悛し始めたからである。
ツヴィがなしえてイエスにできなかったことは何か。メシア自ら「転んだ」ことである。
イエスは総督ピラトゥスの前で「神の子か」と問われて否定せず、磔刑に処されたが、ツヴィはオスマン帝国のスルタンの脅迫に棄教してイスラムに改宗した。キリスト教徒は彼をペテン師と嘲り、保守的なラビたちも軽蔑を隠さなかった。
殉教を否定した「メシア」とは恐ろしい逆説だ。これほどの瀆神はない。だが、「首」を失ったサバタイ主義運動は瓦解せず、地下に潜って生きながらえた。
なぜか。それがユダヤ神秘主義「カバラー」の碩学ショーレム(『パサージュ』の批評家ヴァルター・ベンヤミンの親友)が、この伝記で挑んだ謎である。
米国に亡命したカントロビッチの『王の二つの身体』のように、ショーレムの解は「メシアの二つの身体」にあると思える。
ツヴィは躁鬱で意志薄弱、妄言と奇行で知られた。単なる霊媒だけでは運動は起こせない。ツヴィには「黒衣」がいた。「預言者」と呼ばれた、敬虔なラビの子「ガザのナータン」である。
カバラーに霊感を得たナータンが、ツヴィにメシアを幻視したのが発端だ。卑弥呼と兄弟、大本教の出口なおと王仁三郎のように、秘教は往々にして二重星の構造をとる。
カバラーはオカルトではない。旧約聖書の読みかえによって、神の退却(ツィムツーム)というユニークな創世神話を生み、その空洞(テヒルー)に射す光=メシアという思想が終末論と結びつく。そこにツヴィの運動が生まれた。
ナータンは唱えた。「イスラエルはしるしや奇蹟なしにメシアを信じなければならない」。キリスト教の初期ラテン教父、テルトゥリアヌスが唱えた「不合理ゆえに吾信ず」と同じである。メシアは示現しない。
裏返せば、だれでもメシアたりうる。棄教しても、いや、「偽メシア」こそメシアかもしれない。ツヴィ転向のあとも運動が持続した内的な理由は、その背理にあると思える。
それはユダヤ人とは何か、という問いを超えたもう一つの問い――「秘教はなぜ滅ぼせないか」という謎に直結する。
現代も、殉教と秘教は駆逐できない。スターリニズムやナチズムも殲滅以外に手がなかったし、アフガニスタンにアメリカが注ぎこんだ強大な軍事力もいまだに掃討できない。
メシアには二つの身体がある。限りある肉体(コルプス)は滅びても、不合理を信ずる逆説の化体(コルプス)は滅びない。ツヴィとナータンはそれを証明した。
『1Q84』の作者は爪の垢でも煎じて飲むべきか。彼の得意なレティサンス(黙示法)では、とてもこの「信の背理」に歯が立たないから。
(熊本日日新聞「阿部重夫が読む」2009年8月23日)
9月号の編集後記
FACTA最新号(2009年9月号、8月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は25日からです。
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8月の森閑とした炎天に、いつも「最後の賢治」の姿を思い浮かべる。昭和8年、つまり1933年の夏、宮澤賢治は死の床にあった。結核の病躯に鞭打って、生涯書きためた詩稿を浄書していく。すべて文語詩だった。ただの筆写ではない。推敲魔の彼は、最後まで鉞(えつ)を加えずにはいられなかった。8 月15日に『五十篇』、22日には『百篇』(実際は101篇)を終える。何かにせかされたような速さだ。弟清六につくらせた赤い罫の特製原稿用紙に、息を凝らして一字一字記す賢治は鬼気迫る。
▼浄書を収めた和紙の箱に「本稿集むる所、想は定まりて表現未だ足らざれども、現在は現在の推敲を以て定稿とす」と書いたが、恐らく二度と推敲の機会はないと覚悟していたろう。透明で哀しい響きの文語詩稿をここで批評するつもりはないが、なかに一編、選挙と競馬(馬追い?)を重ねて比喩にした『選挙』という詩がある。なかなかユーモラスで、日蓮宗国柱会の信徒だった賢治の政治感覚をうかがわせる。
▼詩の話者はふたり。同時通訳のような二重唱で、丸カッコの中が政治語、外が彼の私語である。
(もつて二十を贏(か)ち得んや)
はじめのをやらふもの
(さらに五票もかたからず)
雪うち噛める次の騎者
(いかにやさらば太兵衛一族(まき))
その馬弱くまだらなる
(いなうべがわじうべがわじ)
懼(おそ)るヽ声はそらにあり
▼俗っぽい選挙の皮算用の会話が、雪の競馬に対置される滑稽。この腹話術は賢治の独創だが、死にゆく者の耳に政治言語はどう響いていたのか。救生(くしょう)の思いからは絶望的に遠い。暗い病間から日向を見るように、彼は丸カッコで政治言語を濾過している。この総選挙で心に響く政治の言葉はあるか。「八月の石にすがりて/さち多き蝶ぞ、いま、息絶ゆる」と詠った伊東靜雄の詩のように、賢治はその1カ月後に息絶えた。
中国に抜かれる日本のGDP――「時代を読む」寄稿
新潟日報など環日本海6紙のシンジケートコラム「時代を読む」に先週末寄稿しました。それをここに再録します。
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総選挙である。
国破れて山河あり。ふと杜甫の詩が思い浮かんだ。稲穂を揺らす風の波紋、日だまりの村道の人影、闇に回されるペンライトの光……。西川美和監督の映画『ディア・ドクター』が撮ったあまりにも美しい日本の里山を見たからだ。
かつて無医村だった村の診療所で奮闘していた一人の医師が失踪する。村人の半ばは老人で、寝たきりや認知症も数多く、「神」を失った村はパニックに陥る。一見、よくあるニセ医師の美談のようで、それほど単純ではない。落語家の笑福亭鶴瓶が演じる医師は、ニセを自覚し、ニセだと告白しながら、ニセでない「名医」を演じつづけなければならない。
前作『ゆれる』でもそうだが、直木賞候補になったこの若く才気のある女性監督の不安なショット、感情移入をそらす微妙な間のとり方、意表をついて人が豹変するシーンは、とても緻密に計算されていて、かえって人を夢想に誘う。
他人事ではなかった。私の知り合いにも新潟の山奥の出の医師がいて、「親戚が町長の時に町の病院で雇った医者が他人のなりすましで、慶応大学卒業の免状はコピーでした。発覚して病院は診療所に格下げ。親戚も責任をとって町長を辞めました」
よほど悔しかったのか、その親戚が出した奨学金で、若かった彼は医学を学びに上京したという。それでも、彼はいま東京で開業していて、故郷に帰る気はまだない。
いまの日本の姿は、こうした無医村に象徴されるのかもしれない。
国家の農業政策の失敗とグローバリズムに取り残された、音もなく老いて朽ちゆく農村の荒廃。年金も医療も福祉も、少子高齢化で借金が膨らむばかり。とうに破たんしているのに、それでもニセの繁栄を演じつづけ、明日は草ぼうぼう、無人の野と化す予感――。
長く「世界第二の経済大国」の座を維持してきた日本が、年内にGDPで中国に追い越される可能性が高まってきた。昨年の日本のGDPは492億ドル、中国は440億ドル。今年は自動車、電機などの輸出不振で日本がマイナス成長の泥沼でもがいているのに、中国は大規模な財政出動で4~6月期の成長率が前年同期比7.9%に回復している。
日本は逆転を覚悟しなければならない。前に進んでいるようで実は後じさりする故マイケル・ジャクソンの「ムーン・ウォーク」のような経済では、追いつかれるのは当然だろう。なのに、悲憤慷慨はもとより起死回生策の揚言すらない。とうから諦めた顔である。
末端では、補助金漬けで崩壊に瀕した農村をどう立て直すのか、さっぱり知恵が働かない。政権の座につきそうな民主党は、前代表肝入りの戸別所得補償で「アメを与えて安楽死させる」だけ。片や自民党農水族も、落選を恐れて大盤振る舞い、減反見直しなど石破農水相の改革検討を封じこめて得々としている。
ラクイラのサミット(主要国首脳会議)では、世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンド(多角的貿易交渉)を来年妥結させることで合意したのに、日本の農水守旧派は「WTO脱退」と息まく。待ったなしの現実に目をつぶっているにすぎない。
もちろん、脱退などしたら、日本の輸出産業が立ちゆかなくなる。隣の韓国は欧州連合(EU)と自由貿易協定(FTA)を締結する交渉が妥結、サムスンや現代自動車など韓国の工業製品は世界第2の市場である欧州で、3年以内に9割以上の製品の関税が撤廃され、5年以内に全面撤廃となる。農水族の抵抗でEUとの貿易連携協定(EPA)交渉が進まない日本とは対照的だ。今後はパナソニックやソニー、さらにトヨタなど日本のメーカーが高率関税の障壁で不利になることを意味する。
経済大国は一場の幻だったのか。日本は「中国に負けたのではない、高齢化に負けたのだ」と負け惜しみで自分を納得させるのか。
『ディア・ドクター』の結末に観客はかすかな慰籍を与えられるが、沈みゆく日本にニセの処方箋を与えても息を吹き返すことなどありえない。
天は自ら助くる者を助く。
8月号の編集後記
FACTA最新号(2009年8月号、7月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は27日からです。
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日が沈む刹那、山脈の万年雪が紺碧の空に金冠のように輝いた。毎年7月になると思いだす。中国側の山麓でなく、裏のカザフスタン側からふり仰いだ。首都のホテルでは、中央アジア視察に訪れていた小渕恵三自民党外交委員長、その通訳の米原万里さん、筑波大学の秋野豊助教授(気がつけばみな故人)らの一行と一緒になった。香港が中国に返還された1997年のことである。
▼旧知の小渕氏には「何しにカザフまで?」と聞かれた。「香港返還時の中国を背中から見る取材。次は新疆ウイグル自治区の出口イリを、中国がウイグル人に返還する番かもしれません」と答えた。天山山脈の東西一帯はかつて東トルキスタンと呼ばれ、突厥(チュルク)族が西遷した地で、習俗も住民も漢族の地でないことは現地を見れば明らか。中国は背中では攻守が逆になる、と。
▼ヘソ曲がりの発想かもしれなかったが、20代でシベリア鉄道から中央アジアまで旅した小渕氏はにやりと笑って理解した。そして予想どおり返還記念式典当日、ウイグル族の騒擾を恐れて、中国はイリの国境検問所を閉鎖した。それから12年、天安門事件以来最悪の暴動が新疆の首府ウルムチで勃発した。急遽帰国した胡錦涛主席の「徹底摘発」方針を聞くと、西方ではいまだに「漢帝国」の侵略が続いていると納得できる。
▼日本書紀が下敷きにした前漢の百科全書に『循(したが)いて一隅のむねを守るにあらざる」多様性を包摂しようと道家らが編纂した。中国には神話がないが、太古、共工との争いで天の柱が折れ、大陸が傾いて西が高く東が低くなったとの説話――儒教が滅ぼした神話の断片が『淮南子』にある。共工と顓頊は、今の漢族と少数民族の衝突にひとしい。武帝の儒教帝国に逆らった劉安は謀反を咎められて自決した。
「バカヤロー経済学」のススメ――ホームズとワトソンの漫才
世に新書のたぐいはいくらでもある。疲れたサラリーマンが、もうろうとした頭にむち打って、なにか知識をつめこもうとするとき、つい手にとって買ってしまうのが、こういう新書である。「バカの壁」から「サオダケ屋」など、いかにも手軽そうなタイトルについ釣られるが、トクしたと思う本はめったにない。
だが、ときどき心にひっかかる新書がある。タイトルからして「知識ゼロから始めるバカヤロー経済学」(普遊舎新書、800円+税)と人を食ったものだが、中身は本来合理的であるべき経済につきまとう「理不尽」を、ホームズとワトソンの問答形式であえてやさしく書いたものだ。
しかし、このホームズとワトソン、なかなかのタマとみえる。「小学生に戻ったつもり」で素朴な質問をぶつけるワトソン君は、1960年生まれで東大の教養学科と物理学科を卒業、カナダのマッギル大学で高エネルギー物理学の博士課程を修了したというサイエンスライターの竹内薫氏である。
ランドセルを背負った半ズボン姿で表紙に登場するが、要するに理系の人間で、ただの「知識ゼロ」とは違う。まず第一問が「経済学ってお金持ちになれるの?」である。おお、グッド・クエスチョン!
ホームズ役の最初の回答は「経済学って勉強してもお金はもうかりません」とある。笑ってしまうが、まことに正しい。ケインズは為替で儲けたというが、今ならインサイダーだろうし、ミルトン・フリードマンもユダヤ人らしく投機が好きだったが、理論通り儲けたかどうかは疑問。損を言わないのは競馬でも同じだ。
とにかく、そういううがった問答が続いて、トクするというより、経済学漫才のおもむきだ。このおふたり、どうも理系同士で肝胆相照らす気配だ。
でも、このホームズ役の先生は誰なのだろう。「国内外の一流大学で数学と経済学を専攻し、政府首脳のブレーンを務めた人」とあるが、名前はない。竹内氏はあとがきで「発売直前になり、突然、先生はスキャンダルに巻き込まれた。先生は、本書に出てくる本間教授や中川昭一元財務大臣のように、ある日突然、社会から消された」と書いているのだ。
当然ながら、先生には敵が多かった。中川さんの後に財務大臣、金融担当大臣のイスに座った与謝野馨さんも先生の敵のひとりであり、財務省全体も先生の敵だった。いや、天下りが必要な官僚全員が敵だったといっても過言ではないだろう。
ふーむ。私が思いあたるのは一人しかいない。みなさん、わかりますか。
その謎解きも、この新書を読む最大の楽しみと言っていい。
7月号の編集後記
FACTA最新号(2009年7月号、6月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は26日からです。
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90年代初め、「FORTY LOVE(40/0)」というムックがあった。40代になった団塊世代向けで、今はもうない。テニス好きならピンと来るだろう。「ラブ」とは0点のことで「40/0」とは、あと1本でゲームになるスコアだ。「本当は『0/40』というタイトルにして、絶体絶命の意味にしたかったけど、語呂が悪くて」と編集長が笑っていた。
▼当時、日経出版局の編集委員だった久さん(石田久雄氏)である。6歳年上だが、日経では社会部同期だった。私はただの新人、彼は週刊誌記者を経た途中入社である。文章も取材も知識もまるで歯が立たない。酒も強かった。故田中小実昌とのサヤ当てなど、ゴールデン街の武勇伝も数々あり、六本木、半蔵門、赤坂、新宿……お酒の師匠も務めてくれた。その彼が6月3日、癌で逝った。
▼前の日、病院を見舞ったばかりの訃報。息子さんの電話を聞き、彼が創刊した「FORTY LOVE」を本棚から取りだして、茫然と眺めた。「安吾が来た」――坂口安吾特集である。いかにも彼らしい。私も寄稿している。アイルランドの歌手エンヤの長時間インタビュー。よく載せてくれたものだ。もちろん、18年後の紅白歌合戦に、彼女が出演することなど想像すらしていない。
▼すべてが懐かしかった。私はエンヤの曲「Cursum Perficio」の由来を尋ねている。マリリン・モンローの最後の家の映像でみかけたラテン語の銘だそうだ。意味は「旅は終わる」。久さんは、葬儀など一切の儀礼を「要らない」と断った。車イスを転がし、酸素ボンベを引きずり、食事が喉を通らず、リンゲルだけで生きていても、今日と同じ明日があることを疑わなかった。死は向こうから来るもので、ジタバタするもんじゃない、死ねば死にきり……。吉本隆明を信じた世代にふさわしく、ひっそりと旅を終えた。病室には書きかけの原稿が残っていた。
「ジャッド」(Jade)のススメ
FACTA次号では世界最大の鉄鋼メーカー、アルセロールミタルのジャン・イヴ・ラマンさんにインタビューした。
彼とは不思議な縁で出会った。先日、日仏学院でフランスの「ラ・トリビューン」誌編集長と鼎談した際に、聴衆のなかにいらして質問されたのだ。やけに日本語が上手な人で、日本のメディアのインタビューを受けたことはあるのか、と聞いたら、07年10月に朝日新聞で仏和・和仏ミニ辞書について取材されたことはあるが、アルセロールミタル(もしくはその前身のアルセロール)の日本代表としては受けたことがないという。
もったいない!7月に帰国する前に「ぜひ」とインタビューをお願いし、面白いエピソードをたくさん聞くことができた。その際、彼に約束したことがある。6月に出たばかりの「ジャッド生きることの不思議」(河出書房、税別1900円)の紹介である。ラマンさんの奥さんの寺田文子さんと、文子さんの幼友達の石川弓子さんが翻訳したフランスのベストセラーだ。帯には「少女版『星の王子さま』」とあり、50万部以上売れたという。インタビューでは、そこまで載せられないので、番外編としてここで紹介しよう。
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読んで驚いた。子ども向けなのに、甘味料がない。翻訳も漢字をふつうにつかっていて、児童本にありがちな平仮名だらけではない。
少女ジャッドは、「世の中をおいしくするために」考え遊びする女の子なのだ。つまりテツガクする少女である。で、最初に考えるのは大文字の「D」、つまり神さま(Dieu)のことだ。
ひとつの謎が、鳥のように頭の中で飛びまわって、枝に舞い降りる。謎とは神の遍在。見えないのに、どこにでもいるってなぜなの?ある朝、幸せな気分で目覚めたとき、体の中に青空が広がり、ギリシャ人のいう「泡立ち」を感じて、ジャッドは神を実感する。耳にささやく「ジュテーム」……一瞬が永遠に溶けあうとき。そこから思考が始まる。
謎という見えない鳥は、サンテスプリ(聖霊)と呼ばれているから、カソリック神学が土台になっているのだろう。それを少女に追わせる形で「考え遊び」は、巧みに読者をいざなって、晴れと雨、キボウとシンパイの表裏一体へと導いていく。
ママが聞かせる「二人の占い師」のエピソード。そして親友ラファエルとの会話。少し引用しよう。
君は滝を見たことがあるかな。まるでなだれのようで、永遠の生まれ変わりのようだよ。水はおびただしく落ち続け、流れれば流れるほど、どんどん湧いてくるんだ。エネルギーと情熱を使えば使うほど、豊かな滝になる。水って言うのはまとまってどっと出るほど純粋になるんだ。君だって、同じなんだよ。
「あげればあげるほど豊かになる」――というサンテグジュペリの言葉まで持ち出して、ラファエルは利他のテツガクを説いている。
こういう仕掛けがふんだんにあるから、あとは読んでみてください。見神から化神へと、少女ジャッドはいつしか、読者を誘惑する巫女のようになる。
絵はすべて切り絵のような影絵だ。『星の王子さま』のように、象をのんだ蛇や、バオバブの星など、目を楽しませるイマージュなない。テーマが「神」だけに、考え遊びの邪魔になる絵は避けたのだろう。
ジャッドがどんな顔をしているかは「鏡の中にある如く」わからない。仕草のシルエットだけだ。しかしこれほどよく思考の世界を象徴するものもない。ものを思うとは、影を歩むことだからだ。
で、最後は?もちろん、神がウインクを返してくれる。
出版記念会のお礼
昨夜、東京・銀座の「砂漠の薔薇」にて、拙著『有らざらん弐』の出版記念会を開いていただきました。
ご挨拶をたまわった諸先輩をはじめ、ご出席いただいた方々や、この会を準備していただいた方々に、また当日所用があり会場外からエールを頂いた方々にも、心から御礼申し上げます。
もちろん、小生の本業は雑誌にあり、日々ニュースを追うことに忙殺されています。でも、ともすると我を見失うことがあり、閑暇を盗むようにしてこのシリーズを書き継いでいます。『有らざらん参』もあまりお待たせしないように努力するしかないと思っております。今後ともよろしく。
自分のことばかり宣伝しては申し訳ないので、弊誌の表紙を担当している江口暢彌氏の個展が28日から開かれますのでご案内申し上げます。また、ほぼ同時期に湘南美術学院主催の団体展にも出品されます。
★江口暢彌unidentified
5月28日~6月9日12:00~18:30(定休日は水曜と日曜)
art gallery closet
港区西麻布2-11-10霞町ビル3F(外苑西通り沿い)
★Archives
6月2日~7日10:00~18:00
シンワアートミュージアム
中央区銀座7-4-12ぎょうせいビル1F(旧電通通り)