第9波は杞憂か、全数把握なき感染予測

コロナ興亡記 第5類に格下げ 1

第9波は杞憂か、全数把握なき感染予測

マスクの日々はもはや過去のものか。5月大型連休が終わり、新型コロナ感染症は感染法第5類に格下げされた。WHOも緊急事態の終了を宣言、ガードが一斉に下げられたが、一部専門家は警戒を緩めるなという。弱毒化したコロナと共生する時代の始まりか。=無料記事、約6600字

WHO(世界保健機関)が5月5日、新型コロナウイルスCovid-19は「もはや健康を脅かす世界的な緊急事態ではない」と、3年余に及ぶコロナ禍が事実上終息したとする宣言を発表した。事務局によると、2021年のピーク時に世界で週10万人を超えていた死者は、この4月24日時点で3500人をわずかに上回る水準まで低下したという。

テドロス事務局長によると、WHO緊急委員会の第15回会合で「終息宣言」の発表を決めたという。しかし事務局長は全世界累計の死者数は、おそらく公式集計のおよそ3倍、2000万人に達するだろうと述べ、このウイルスの脅威が去ったわけではないので、この終息宣言を理由に、感染防止網を全面解除したり、せっかく築き上げた治療体制を全廃したりせず、「もうコロナは心配ない」などと根拠なき楽観論に惑わされないよう警告した。

コロナ緊急事態の終了を宣言するテドロスWHO事務局長(BBCより)

2020年の感染爆発当初から対応の遅さや不徹底が批判され、大国間の思惑に揺れ続けてきたWHOだが、この幕引きにあたっても「分断された世界」の不信はぬぐい難い。5月8日からCovid-19 を感染法の2類から5類に格下げする日本も、その例に漏れない。

そのいい例が「8割おじさん」こと、京大大学院医学研究科の西浦博教授と、実業家の堀江貴文氏の子どもの喧嘩めいたサヤあてである。

発端は政府の感染症対策分科会の尾身茂会長が、共同通信のインタビューに対して、第5類格下げに理解を示しながらも「まだ完全に普通の病気にはなっていない」「第5類になったからといって感染者がすぐにゼロになることはない」などと警戒感を示したことだ。テドロス局長らWHO事務方の姿勢とほとんど歩調があっている。

これにホリエモンが「いつまで言ってんだこいつ」とツイッターで噛みついたことから、悪乗りしたフォロワーが憂さ晴らしに専門家をけなし始めた。それに厚生労働省の専門家組織「アドバイザリーボード」(ADB)に参画する西浦教授が反応、ツイッターで「うるせーばか」と応じたから物議を醸すことになった。

ホリエモンのような素人インフルエンサーと、真顔の感染症専門家の喧嘩では、どだい勝負にならないが、この場外戦から浮かびあがるのはコンセンサスの欠如である。

過去3年余の「緊急事態」のマスクの日々にうんざりしている国民感情がある一方で、この間に露呈した日本の欠陥医療体制への不信が、マグマのように地下で煮えたぎっている。「平常化」しようにも、その平常化とは何を意味するのか。感情的になるばかりでは、中国政府が「武漢発生源」や「ゼロコロナ政策失敗」論にいきりたつのと大差ない。

第8波で死亡者数が2倍?

その根幹には「超過死亡数」の謎がある。西浦教授が「うるせーばか」と反射的にキレたのは、以下のようなツイッターでの主張があるからだろう。コロナ初年度の2022年、当時の西村康稔コロナ対策相直属の感染症対策分科会から外れて、厚労省のADBに“隔離”されたいきさつがあるだけに、内閣府の政府対策本部の見解とは明らかに距離がある。重症化度合いの低いオミクロン系の変異株へのシフトが進んだにもかかわらず、第8波は第7波より報告された感染者数が減ったのに、顕著に死亡者数は2倍近くになっているというのだ(4月19日の厚労省アドバイザリーボード資料より)。

これはむしろ、全数把握の手法が変わり、感染者の検出率が下がったせいかと考えられるが、これを指摘したツイッターに対し、“反西浦”サイドからは「超過死亡数」の謎と同じく、反発するリツイートが寄せられている。

この「超過死亡数」とは、国によって死因の報告基準や精度がまちまちなため、より正確にCovid-19の死者数を推計するための統計的手法で、WHOは2020/2021年の死亡データとCovid-19パンデミックが発生しなかったという仮定に基づいた予想死亡者数との比較から、不完全な死亡データしかない国や死亡データがない国も含め全世界の死亡者数を推計するものである。

WHOのWilliam Msemburiチームが昨年12月に発表した数字は、パンデミックが始まってから2年間の世界の超過死亡数は1483万人(正確には1330万〜1660万人と幅がある)で、以前の研究で報告された542万人の2.74倍に相当するというものだった。科学誌「ネイチャー」に掲載されたが、コロナの重症化による死者から、医療サービスひっ迫などの間接的な影響による死者まで含まれるため、慎重な解釈を求めている。

「超過死亡数」が増えた謎

しかしこの「間接的影響」が曲者になってしまった。

22年3月10日に米ワシントン大学チームが医学学術誌「ランセット」に発表した論文は、74カ国と地域を対象に2020年1月から2021年12月までの超過死亡を推計している。それによると、日本の超過死亡数は11万1000人と推定され、報告されたコロナによる死者1万8400人の6.0倍もあった。この数字は、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中で最大である。

これは衝撃だった。コロナ死者の正確なデータが入手できるのは世界100カ国(52%)程度とされ、日本もそこに含まれる。にもかかわらず、日本で報告されたコロナ死者数は、直接死でない間接死を含めた実態より6分の1も少ないというのだ。

共同通信は「新型コロナによる直接死のほか、医療逼迫の影響で医療機関にアクセスできず新型コロナ以外の疾患で亡くなったケース、外出抑制など生活習慣の変化に伴い持病が悪化したケース、経済的な困窮によって自殺したケースなど間接的な影響も考えられると専門家はみている」と報じた。しかしこれらの理由による間接死が、直接死よりケタ違いに多いというのは実感にそぐわない。これは統計のゴーストなのだろうか。

パンデミック初期に、都市や地域を完全閉鎖(ロックダウン)する手法を強行したゼロコロナ政策で完全封じ込めを図った中国や北朝鮮とともに、部分的クラスター対策しかとらなかった日本までなぜか超過死亡数はマイナスだった。この不可思議な現象は日本の「Xファクター」とも呼ばれたが、東京都などが率先した「三密」政策やマスク着用などで、例年流行するインフルエンザの感染が大幅に抑制されたこと――前シーズンのインフル感染者728万、前々シーズンは同1200万人だったのが、20年冬は1.4万人に急減したほか、行動制限で交通事故による死者も大幅減を記録するなど「間接的影響」によって説明されてきた。

ところが、厚労省の人口動態統計では、21年から非コロナも含めた全国の死亡者数が前年より10%程度増え始め、「コロナ対策の優等生」日本のメッキが剝げてきた。しかしこれはインフルエンザ抑制の一時的要因が剝げ落ちて、日本も「普通の国」になったせいだろうか。

日本の超過死亡数(週次)http://exdeaths-japan.orgより

22年10月16日付の日本経済新聞は、「コロナ以外の死因大幅増 1~3月、高齢者の在宅死影響か」という記事を載せ、死因別では、最も増加したのは心不全など「循環器系の疾患」で約1万人(10%)増え、「老衰」も約8000人(21%)増えたとしている。つまり、コロナを恐れ外出を抑制、それが高齢者の持病を悪化させたという、新たな「間接的影響」の説明である。

そして22年の年間超過死亡数は約4万7000~約11万3000人と、21年の1万1000~約5万人から倍増した。これについて、今年4月6日の会見で松野博一官房長官は「(コロナ感染症が)決定的な原因かを答えるのは困難」「(ワクチン接種も)特段の懸念はないとの結果であった」と断定を避けた。

もっとも厚労省ADBの4月19日ペーパーでは、ウイルスの変異に伴い、重篤患者の症状が呼吸器の不全から、循環器の不全へとシフトしていることが指摘されている。「2022 年以降、循環器疾患による超過死亡が増加していることが知られており、同様のこ とは感染者数が過度に増加した経験を有する米国や英国からも報告されてきた」という。そのメカニズムは研究途上だが、「⑴循環器疾患で治療の時間を争うものが医療逼迫のために適切に時間内に対応できなかったことによる関連死と、⑵COVID-19 の合併症として発生した循環器疾患の増加、のそれぞれが影響した」と考えられている。

ワクチン主犯説の台頭

ただ、ワシントン大学チームの発表もあって、超過死亡数を「隠れコロナ」と一概に決めつけるのは間違いではないかという主張が強まってくる。そこに乗じたのがワクチン陰謀論者たちで、ワクチン主犯説を流布し始めた。21年の東京五輪開催時、菅義偉内閣が総力を挙げて急がせたファイザー、モデルナ製のワクチン接種が、かえって死亡者数を増やしたという説である。若年層のなかには「絶対(ワクチンを)打たない」「子どもはコロナに罹らない」とカルト性を帯びるものまで出てくる始末だった。

ファイザーやモデルナなどワクチン・メーカーはむろん否定しており、厚労省や国立感染症研究所など専門家はエビデンスがないとしている。だが、3月30日にWHO予防接種戦略諮問委員会は「高齢者および基礎疾患を有する高リスク者の追加接種は、6~12カ月の間隔を置くことを推奨する」とした。副反応による発熱や疼痛にうんざりしていた国民の一部はこれに飛びついた。第8波が第7波より波高が小さく、政府も3月13日にマスク着用を自主判断とするなど規制を徐々に緩和していたこともあって、変異種にも対応できる2価ワクチンの接種率は高齢者でも大幅に低下している。

高知大医学部の佐野栄紀特任教授のチームが、ファイザー製ワクチンの初回接種後に発生した成人水痘の症例研究で、二度目の接種で症状が悪化、皮膚からスパイク蛋白が検出されたと発表すると、反ワクチン論者がすぐ飛びつく。「スパイク蛋白によって、全身の免疫を短期、あるいは長期にわたって抑制する可能性が疑われる。皮膚だけでなく他の重要な臓器に影響を及ぼす可能性があり、接種によって全身の免疫に影響が出ないか心配だ」という教授のコメントを鬼の首でも取ったように引用する。

スパイク蛋白が血栓症を引き起こすと見る点では厚労省ADBと大きく変わらないが、パンデミック初期に売れていた井上正康『本当はこわくない新型コロナウイルス』(方丈社)のように、そこからmRNAワクチンは人体実験だとする説にいきなり飛躍する。その託宣に従ってワクチンを忌避していた出版元社長が、不覚にもコロナに感染してICUに収容され、意識不明で九死に一生を得たのは究極の皮肉だった。井上氏は大阪市立大の名誉教授だが、参政党の外部アドバイザーであり、ワクチンハラスメント救済センターの代表理事でもある。ここらが陰謀説の淵源なのだろう。

「第9波の可能性高い」

根底にわだかまるのは、専門家不信と生活貧困化のはけ口を探し、それを政治化しようとするフラストレーションの塊である。これに対し「うるせーばか」と切り返す専門家側も寛容度を失っているようだ。4月19日、脇田隆字・国立感染研所長や西浦教授ら4人が「新型コロナウイルス感染症のこれまでの疫学と今後想定される伝播動態」のペーパーを発表した。いわば総括である。

この総括が静態的で優等生のまとめに過ぎないのがもの足りない。とはいえ、「3.今後想定される展開」では「23 年 4 月 12 日時点で全国的に感染者数は徐々に増加に転じている地域が増えてきている。今後、第 9 波の流行が起きる可能性が高い」とかなりはっきり第9波を想定している。

これが尾身会長の共同通信インタビューの背景にあるのだろうが、第9波の警告が、3年前のオオカミ少年的「8割」と変わらない“脅し”に聞こえたことが、ホリエモンの「いつまで言ってんだ」の反発を招いたに違いない。そこに、一日でも早く「コロナ禍の悪夢」を忘れ、平常化による景気回復を演出したい岸田政権の政治的思惑が絡んでくる。インフルエンザと同程度なら規制を緩めてもいいだろ?――その代わり自己負担は少ししてもらう、が本音だろう。厚労省サイトでそれがよく見える。

厚生労働省ホームページより

ここからは心理学だ。ホリエモンのような刹那的な心情は、行動制限を何度も呼びかけた感染症専門家たちが目障りだと言いたいのだ。トレンドへの感性しかない彼らは、尾身氏の会見がなくなることが平常化だと思っている。だが、ADBの専門家にとって平常化とは、従来のサーベイランスの縮小以外のものではない。政府の感染者把捉はHER-SYSによる全数把握から、国立感染症研のモニタリングポイント(定点観測)方式に切り替えられるが、そこで生じるデータの断層に懸念を隠せないでいる。

水際対策は4月29日終了

確かに空港や港などの水際対策を緩和し、海外インバウンド客が押し寄せて観光界が息を吹き返したのは結構だが、3月に外国クルーズ船の寄港を解禁したことにより、検疫での陽性者発見が相次いだ。陽性者は3月8日~4月3日の間で110人で、この間に空港検疫で発見された陽性者の総数70人より多い。その水際対策も大型連休前の4月29日に前倒しで終了させてしまった。

海外からのウイルス持ち込みに無防備になったわけで、今後、強力な変異株が現れたら、20年春の「ダイヤモンド・プリンセス」の悪夢が再来しかねないと危惧するのも分かる。しかも、オミクロン株(B.1.1.529)以降もコロナウイルスの変異はずっと続いているのだ。中国からBA.5.2, BF.7、米国からXBB.1.5.1とXBB.1.9.1、東南アジアからBN.1.2とBN.1.3が流入、最初期の「武漢型」BA.1に対応したワクチンでは利かない可能性大とみられる。無防備のままでいいのかという懸念である。

ADBペーパーが日本の水先案内にしようとしているのは英国である。献血者の自然感染による抗体陽性率が86%超と日本の42.3%を大きく超えており、PCR陽性率はおおむね2%と横並びだからだ。自然免疫をめざした英国を先行例とみて、日本も英国のように波が次第に縮小していく傾向だとみているのだろう。ただし日本の抗体陽性率が低いことから波が高くなる可能性もあるとみているのだ。

しかしこの推論は根拠が怪しい。日本と英国をその他の環境要因や習慣などを度外視して、時差だけつけて重ね合わせているだけで、モデルとして古めかしい。ADBの理論的支柱である西浦教授がこだわるSEIRモデルと実効再生産数R0も、前提は病原体が決まればR0一定の単純な数理モデルだけに、新型コロナのように激しく変異が起き、健常キャリアが混在し、ワクチン効果の経時変化もあるような複雑な病原体だと、このモデルでは歯が立たない。

西浦教授の予測がかなり大胆な前提を立てて、えいやで計算したものであることは、専門家たちも分かっていた。しかしADBでは西浦教授が相変わらずR0の計算役になり、それをもとにしたやや悲観的予測を掲げている。

西浦教授がツイッターに載せたパワーポイントの説明図

代替(オルタナティヴ)が必要なのだ。内閣官房の新型コロナウイルス等感染症対策推進室(コロ対)には「COVID-19 AI・シミュレーションプロジェクト」がある。ソニーコンピュータサイエンス研究所代表、ソニーAIのCEOの北野宏明氏らが中心になって、SEIRモデルだけでなく、多様な要素がダイナミックに連関して感染が拡がる状態を考慮するために、マルチ・エージェント・モデル(MAS)や複雑ネットワーク理論を考慮したプロジェクトを進めている。

例えば、名古屋工業大学先端医用物理・情報工学研究センターのセンター長である 平田晃正教授が「東京都における新規陽性者数 長期プロジェクション」で試みているような、駅の人流やツイッターのデータを使うシミュレーションである。

5月以降は、地域コホートで得られる定点観測データだけになる政府の感染症予測が、全数把握のHER-SYSデータがなくても、こうした複合指標でおおよそ当てられることが期待されている。その平田教授が4月5日、厚労省ADBに提出した最新の予測では、マスク着用の緩和の度合いによって、第9、10波を予測している。

 

厚労省ADBの4月5日資料より

それによると、GW連休直後の5月上中旬に都内で新たな感染のピークを迎え、マスク着用率が20%にとどまる場合、1日8000人程度の新規感染者が出る(第9波)。その後は8月下旬に5000人がピークのさらに小さな山が来る(第10波)との推定を示した。ピークが4万人を超えた第7波、2万人を超えた第8波に比べて、第9、10波の波高はかなり低い。もちろん、劇的に重症化率が高く感染力の強い変異種が、新たに登場しないという前提である。

西浦教授らの悲観モデルとはかなり対極的で、WHOの終息宣言に沿って、次第に感染の波が小さくなっている傾向にあり、第9波脅威説は杞憂に終わるとの見方だった。■