天智天皇と内蔵助の誇り

藤兵衛伝 第Ⅱ章 2

天智天皇と内蔵助の誇り

藤兵衛の故郷、山科は義侠心と自治の里である。1956年に実家が倒産するまで、彼は差別をほとんど意識せずに育った。だが、出自である「夙」は千年以上昔の律令制度まで遡り、山科の天智天皇陵の守り手としての矜持、山科に雌伏した大石内蔵助の不屈は、祖父・松三郎譲りの精神性として彼の中に深く根付いている。<敬称略>=約1万200字

 

第Ⅱ章山科〈後編〉

 

天智天皇はしゆくと密接に絡む。

部落研究は、戦後、部落問題研究所の開設や解放運動の盛り上がり、同対法による予算化などで、多くの人が取り組むようになったが、戦前は限られ、著名なところでは、民俗学の泰斗である柳田国男の『所謂特殊部落ノ種類』(1913年刊)、歴史学の重鎮だった喜田貞吉の『民族と歴史第二巻第一号特殊部落研究』(1919年刊)などだった。

喜田は『特殊部落研究』のなかで、<夙の者と賤民>と題し、次のように規定する。

「シュク」は守戸で、昔の陵の番人だという説があります。是には有力な反対説もありますが、私はやはり此の守戸説を取りたいと思います。守戸は同じく陵墓の番人でも、賤民であった陵戸とは違って、もと立派な良民です。陵戸はいづれ罪人とか、その他社会の落伍者をもって之に当てたのありましょうが、守戸はそうではありません。

律令制度に始まる「良」と「賤」

守戸が良民で陵戸が賤民というのは、大化から始まった律令体制が、天智天皇の近江令(668年)、持統天皇の飛鳥浄御原令(689年)、文武天皇の大宝律令(701年)として進化、完成するのに伴い、身分制度も定まったからだ。

2015年の考古学調査で、鳥居の奥にある古墳が八角形の墳丘であることを確認した山科の天智天皇陵

人は「良」と「賤」に大別され、良民はさらに、皇族・貴族・公民・雑色ぞうしき品部しなべ雑戸ぞうこ)に分けられた。賤民は、「五色の賤」と呼ばれる陵戸・官戸・家人けにん公奴婢くぬひ私奴婢しぬひである。

天皇を中心とする統一国家をつくる基礎としたのが律令で、律は刑法に相当し、令は行政法に相当、官僚制度を確立、税制、兵制、学制を定めた。そうして国家秩序が形成されると、律令に沿った役割がそれぞれの身分で発生する。皇族・貴族は支配層であり、大半を占める公民が田地(口分田)を与えられて農民となり、良民の下層の品部、雑戸が手工業的な労役奉仕をした。人口の1割に満たない賤民は、陵戸が陵墓の警備や清掃、官戸や家人が個人に仕える準奴隷、公・私の奴婢は売買される奴隷である。

夙は守戸でそこに住む「夙の者」は良民だということだが、奈良時代(710~794年)を経て平安時代(794~1185年)に入ると、寺社や藤原氏を始めとする荘園が発達、律令制度は揺らぎ、身分制度も崩壊する。だが、卑しい職業という意味で差別される賎民がいなくなったわけではなく、喜田は『特殊部落研究』で次のように書いている。

中世陵墓の制も廃れて、守戸の扶持も行き届かぬ。人口はだんだん増してきて、生活に困難を生じてくるという事になっては、彼らも自然慣れた職業からして、陵墓以外一般世間の墓番をさして貰う。葬儀の世話もする。死体の取片付けもするという事になって、しょせん隠坊おんぼうに堕落してしまっては、名は良民の守戸たるシュクでいても、世間から蔑視せられるに至るのは、やむを得なかったでありましょう。

夙が良民か賤民かは議論の分かれるところで、時代により状況により変化もしたという。例えば山科の竹鼻は、良民であった者が、「竹鼻の彦三郎らが寛正4年(1463年)の『土一揆』で、幕府から主謀者と目されて処刑されました。以降、夙身分に落とされたと聞いています」(上田)という。

鎌倉時代(1185~1333年)と建武の新政(1333~1336年)を経て室町時代(1336~1573年)に入ると商品経済が発達、農業生産性が向上、それに伴って幕府や守護大名への要求が高まり、地侍や農民が集って一揆を起こした。当時、農民を「土民」と称していたため土一揆というが、徳政(債務免除)令の発付を求める一揆でもあったため、徳政一揆とも呼ばれる。

上田家が、天智天皇陵を守る守戸、あるいは陵戸を、何代遡って務めていたかは、現時点ではわからない。ただ、上田家の墓は御陵天徳町の片山墓地にあり、墓地には1100年の歴史があるという。少なくとも江戸期には夙の住人として陵の警備に清掃、加えて御門の警備にも当たっていたのだが、上田は日本の礎を築いた天智天皇を敬愛、最終章に触れるが、宗教法人「天智教」を立ち上げた。

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