軽々な敵地攻撃論は同盟に支障
イージス・アショアで実物が存在しないレーダーの防衛省選定作業は問題。ミサイル防衛に「傘」でなく「屋根」を設ける計画の断念は最悪の選択だった。敵地攻撃ミサイルは代替抑止力にならず、「盾」と「矛」の分担に無理解だ。
1986〜87年に、今の自衛隊の主要装備である、イージス艦、AWACS(早期警戒機)、空中給油機の導入検討が防衛庁(当時)で行われ、私もそれに参加した。
イージス艦は、当時のミサイル艦から2世代ぐらい進んだ対空システム装備の護衛艦を倍の予算で導入するものだった。それまでの自衛隊の装備の概念では、経費も含め簡単に受け入れられるものではなかった。それ以前に野党が米軍との一体化や過剰装備として、厳しく追及する恐れさえ予測された。村山談話のほぼ10年前で、「自衛隊が憲法違反」と平然と言われている時期であった。
だからこそ、日米共同でシーレーン防衛研究を行い、防衛庁単独としての洋上防空の在り方検討を行うなど、当時の全力を挙げた作業を実施した。多くの疑問に答えるため、取りうるオプション、我が国防衛構想との関係、導入の効果と他への影響、説明できない場合の代替案などについて、2年間にわたり徹底的に検討しつくして予算化にこぎつけた。振り返れば、防衛庁と自衛隊の総力を挙げた入念な準備作業であった。
非常時の「傘」と恒久的な「屋根」
ところが、今年6月になって、2017年に導入が決定していたイージス・アショアの計画断念が発表されたが、その経緯をみれば、かつてのような、国民を納得させ得る精緻な、防衛省挙げての作業の跡が全く見られない。
しかも、わが国のミサイル防衛の本質を詰めていないという杜撰さが根底にあることから、イージス・アショアがダメだと見限ったら、突然、敵基地攻撃(以下「敵地攻撃」)論が浮上した。そこで議論されている内容も、現在の脅威と将来見積もられる脅威を同じ土俵で論ずるなど、極端に言うと根拠に乏しい発言の集まりになっている。
この荒っぽい論議は、国民に対する明確な説明がなされないだけではない。現行憲法下の日米安全保障体制のもとでのミサイル防衛システムの重要性が、防衛関係者に満足に理解されていない疑念さえ惹起させるに十分である。
北朝鮮の核とミサイルの脅威に自前で対処可能な防衛体制の構築を目指してイージス・アショア導入計画は始まった。
我が国現有のミサイル防衛システムであるイージス艦とPAC3(パトリオットミサイル迎撃システム)は、機動的展開はできるが、「嵐の際に傘を差す」という一時的な性格のものに過ぎない。それでは心もとないということで常時稼働、つまり恒久的な「屋根」を造ろうという発想であった。
2017年7月にシステム選定が行われ、12月に閣議決定となったが、この間、防衛省は、かつての防衛庁が実施したような精緻な検討を行わず、厳しい言い方になるが、寝ていたとしか評価できない。
他国で運用されているイージス・アショアの現行システムは、米海軍が将来の脅威も考慮して開発した最新システムである。レーダーはレイセオン社製のSPY-6、ソフトとしてのイージスシステムはベースライン10、ミサイルは今運用されている全種類を発射可能である。アメリカの開発品のため、導入する場合、日本は、米国の総開発経費に対する割掛け分と装備品経費の負担となる。また、米国開発装備のため、自衛隊による性能確認は、導入後の装備認定試験という迎撃試験のみという従来と同じ方式が見積もられた。
実物が存在しない機種選定の怪
防衛省が検討したもう一つのシステムは、ロッキード・マーチン社製のレーダーを使用するものであった。
同社は、長年イージスシステムの主担当企業であったが、前述の最新イージスシステム選定において敗退した経緯がある。このため、同社が防衛省に提案したシステムは、ソフトを最新のベースライン10とすることができず、同社がかつて手掛けたベースライン9とせざるを得なかった。レーダーは、遠距離探知能力に優れるとされる開発中の米本土防衛用レーダーの技術を応用したSPY-7を新規に開発することが売りで、結果的に防衛省は後者を選んだ。
この場合、防衛省発注の2基のみの開発生産となることから、開発経費の我が国総額負担や少数生産に避けられない価格高騰が指摘された。また、防衛省の特注品ということで、開発に関わる各種発射試験も我が国のみの負担となることが懸念された。
さらに、当時、実物が存在しないSPY-7レーダーの開発リスク及び同レーダーと武器管制用のイージスソフトのベースライン9とのインターフェイスも問題視された。これらの多くの、しかも根本に関わる疑問について防衛省から明確な説明はないままである。
もっと言えば、旧型のベースライン9を使ったシステムの、将来の新たな脅威への対処能力に関する発展性にも疑問が呈されているが、防衛省は沈黙を続けている。
繰り返しになるが、防衛省が選定したシステムは、実物が存在しない特注システムであるにもかかわらず、防衛省は、未だに「自らの選定したシステムの性能の高さ」を強調して、正当性を主張している。しかし、実物が存在しないシステムの性能の高評価という、子供でも自然に抱く疑問に関する防衛省の説明さえないのである。
配備断念の最大の理由とされたブースター落下についてはさらに拙劣であった。SM3ブロックⅡAミサイルは日米共同で開発され、ブースター落下への対応が必要なことは防衛省も当初から理解していたはずだ。また、導入後の配備地検討作業の順番としては、ブースター落下を考慮した住宅地から離れた海岸地区などの立地を最初に考えるのが筋であろう。
実際は、それが真逆となった。導入決定後の予算化過程においてはじめて、用地取得手続きの簡素化と予算削減の観点から自衛隊演習地を候補地としたが、周囲の住宅地の存在に気付いて狼狽したというのが実情であろう。その結果、切羽詰まった地元説明として「ブースターの落下管制が可能」という無責任な対応となったとしか言いようがない。
肝心なことになると防衛省は「アメリカからの回答」という理由で、詳しい説明を避けることが多い。ブースター問題でも米側の改修見積もり(10年間、2000億円)を示しているが、それに対する日本側の評価には何ら触れていない。SM3ミサイルの共同開発者でありイージスシステムを運用する日本にも多数の技術者と運用者がいる。米側の回答に対する日本独自の評価の有無、及びその結論についての説明もない。
「官邸マター」で結果ありき?
冷戦末期の1986〜87年のイージス艦導入時の防衛庁を挙げた研究や検討に比べると、今回の防衛省の選定作業は全くもって論外としか言いようがない。
一部マスコミは、「これは官邸マターということで防衛省が結果ありきで作業をした」としている。
仮に官邸の意向があったとしても、防衛省は国防主務組織としてそれを自らの問題として受け止めて咀嚼し、入念な検討と機種選定作業をする責任があったことは明確である。それによってのみ国民に明確に説明することができ、防衛省、自衛隊の責任が果たされることとなる。
この観点からは、当時の防衛省上層部のガバナンス、特に国防主務組織としての責任感の欠落は明白である。
戦後の国際秩序であるパックスアメリカーナを支えたのは、NATO(北大西洋条約機構)と日米安保という二つの同盟だ。
NATOは加盟国のアメリカと欧州各国が攻防とも集団的自衛権を行使して実施する。一方、日米同盟は、日本自体を守るのは自衛隊、米軍は最も得意とする敵地攻撃を担う。アメリカは敵国の戦争遂行能力を弱らせて侵略を早く終わらせるという考え方だ。結果として日本国憲法の規定によって生じる安全保障上の不備はこれで補完している。
中東での戦争の際に日本に所在する部隊や装備を戦地に展開したように、日米同盟はアメリカの世界戦略を具現し推進する一番大きな要素だ。また、ユーラシア大陸に近い日本が、自国の防衛を全うすることにより中ロの太平洋侵出を食い止める結果、ハワイやグワムという戦略的前進拠点のアメリカによる直接防衛を不要にするか、大幅に軽減している。
この体制下のミサイル防衛の意味とは何か?アメリカは同盟上の防衛義務を果たすため米軍を外国に展開している。東欧のイージス・アショア配備は、欧州防衛はもちろんであるが、とりわけ同地域に展開する米軍とその基地をイランの核とミサイルの脅威から守るための措置である。NATO各国はミサイル防衛に関し切迫感を持っていなかったため、アメリカが自前で配備した。朝鮮半島でも韓国がミサイル防衛を行わないので、NATOと同じ理由で米軍が自らTHAAD(終末高高度防衛)を配備したのである。
現在、日本は、最大の米軍海外戦力を1カ国で受け入れている。日本を守ることが在日米軍を防御することに直結するイージス・アショア配備は、日米同盟に大きく貢献するはずであった。その中止は、在日米軍を弾道ミサイルの脅威に無防備でさらすことになる。最悪の場合、アメリカは日本を無視して、ミサイル防衛システムを自前で展開する恐れさえある。
私は今でもイージス・アショア配備断念は日米同盟にとって最悪の選択だと考えている。防衛省は、これまで述べたような国民の疑問に配慮して速やかに機種選定をやり直し、国民の理解を得た上で最適システムを配備すべきだ。
イージス・アショアの中止決定直後に自民党の国防部会で敵地攻撃論が沸き上がった。
敵地攻撃は、日本国憲法で認められる自衛権の範囲という鳩山一郎内閣の解釈が定着している。ただ、これが簡単にイージス・アショアの代替になってよいのだろうか?提議は自民党であるが、その背景には、防衛省のミサイル防衛に関する精緻な検討と説明双方の不足がある。
現行憲法下での敵地攻撃は、緊急避難・正当防衛に類することから、できることは限られており、これだけでは抑止力とならない。
北朝鮮は、最後の抑止力、つまり第二撃能力として弾道ミサイル搭載潜水艦を開発している。これは核ミサイルを3発搭載できるが、うち1発の核ミサイルは東京を照準していると考えなければならない。
この対応策は何か?敵地攻撃用のミサイルで潜水艦は叩けない。対潜哨戒機や護衛艦などによりミサイル搭載潜水艦を探知、追尾して阻止する能力を向上させなければならないことは明白だ。
さらに、太平洋に侵出した中国の爆撃機や艦艇、潜水艦から発射される巡航ミサイルは我が国全域を射程に収めることは明白である。これの対処も、敵地攻撃とは別に論議されなければならない。
しかし、今次敵地攻撃論議において、それらへの配慮は全くない。突然始まった観のある敵地攻撃議論の内容は、非常に失礼な言い方になるが「極めて偏っている」と見える。
日米同盟下の両国は「盾」と「矛」の関係、つまり日本は防衛に専念し、アメリカが敵地攻撃で敵国の侵略能力をそぐという役割分担で律されてきた。今、ここで日本が敵地攻撃能力を持つ場合、日米の攻撃機能が重なることから、そこに指揮権の問題が出てくる。
NATOの場合、集団的自衛権の下、攻防両面で全責任を持つ唯一の最高指揮官が指揮権を行使して作戦を遂行する。
現行憲法下の日米同盟ではそれができない。「盾と矛」で代表される自衛隊の防勢作戦と米軍の攻勢作戦という、全く異なる基本任務を日米別個の独立した指揮系統により任務を遂行する制度が日米の指揮関係の柱である。
「盾と矛」がチグハグになる
仮に、自衛隊が敵地攻撃能力を保有する場合に、敵地攻撃時期や攻撃目標について日米の判断が異なることは容易に起こり得る。つまり、敵地攻撃という攻勢作戦を日米共同で実施する際に予測される、両国の作戦構想が不一致となる場合の両国の指揮の問題である。
現行の日米独立した別個の指揮系統で本件の解決は不可能であることは戦理の常識であり、自衛隊の敵地攻撃能力が憲法解釈の基本にかかわる大きな問題を提起する。この検討と解決策なくして、軽々に敵地攻撃を論議することは、日米の同盟関係に亀裂さえ生じさせかねない危険をはらむ。
敵地攻撃の論議の前に、大前提の「盾」としての役割を我が国が十分に果たすこと、すなわち敵地攻撃の主力となる在日米軍を敵の第一撃から防御する地上配備の恒久的な「屋根」を築くことが日米同盟下で我が国を守るための絶対条件となるのである。それを万全としたうえで初めて我が国の敵地攻撃を論議するのが戦理の常識であろう。
残念ながら、現在の敵地攻撃論は、この問題をすべてジャンプしている。
もちろん、敵地攻撃能力が独立国固有の権利であること自体を否定してはならないし、今次論議の背景として、自衛隊に欠落する敵地攻撃能力を早期に回復して、完結した武力組織としての自衛隊へ成長させることが筆者も含め防衛関係者の「宿願」であった。
そうであるとしても、世界有数の国防軍事組織となった自衛隊ではあるが、自国防衛という本来任務遂行に必要な機能でさえ不十分な部分が多くとり残されているという、別の現実から目を背けてはならない。
9月11日の安倍首相談話は、この混乱したミサイル防衛議論について、期限を定めて憲法の範囲で精緻な検討をさせるものである。恐らく、その検討が防衛省にとってミサイル防衛議論を正常化させる最後のチャンスであることは明白である。(敬称略)■