荒ぶる「戦狼」中国 何がそうさせたか
アクション俳優の吳京(ウー・ジン)が監督・主演した映画「戦狼」は、特殊部隊の元隊員が主人公で、中国版ランボーと呼ばれ、強硬な中国外交の象徴となった

荒ぶる「戦狼」中国 何がそうさせたか

習近平治世7年半、実績乏しく香港・台湾取り込みに大失敗した焦りで民族主義を煽。終身国家主席や「一国一制度」への逆戻りは、鄧小平路線を否定するもの。990年代以降の「小粉紅」世代が、閉鎖的ナショナリズムの厄介な担い手となった。

2018年の憲法改正で終身国家主席への道を開いた習近平を批判し、停職処分となった許章潤・清華大学教授は、現在の対外強硬外交に対し「このままでは中国は世界の『孤舟』となる」と警告した。

また1999年にグローバリゼーション下で分野を限らない戦争の在り方を主張した「超限戦」の筆者の一人、人民解放軍の喬良少将は、むしろ好戦論を諫める側に回った。ネット上などで「新型コロナ感染拡大で米海軍の戦闘力が落ちている間に、台湾問題を解決せよ」との主張が見られること、中国首脳も台湾統一に「平和的」という表現を使わなくなった状況に反対の立場を示した。

「米国がウイルス感染により再起不能となるようなことがない限り、台湾武力統一後に起こる西側の台湾への資源供給停止や、投資の全面撤退に伴う台湾経済破綻をはじめとする戦略的な苦境を解決することはできない。台湾問題が中国復興の大業のすべてではない。復興の大業は主として14億人が幸せな生活を送れるようになることが目的であり、台湾問題もそのために道を譲らなければならない」

これらは、明らかに合理的、理性的な発言だが、中国の世論からは喬氏に対し「弱腰だ」などの批判があったという。中国で何が起きているのか、そのような中国とどのような関係を持てるのか、考察してみたい。

習近平が「加速」したもの

5年ほど前、『中国の歴史はどう作られたのか』の著者、米国シートン・ホール大学の汪錚(ワン・ジョン)准教授から、「天安門事件当時の西側諸国は、中国に制裁を科すのはあくまでも学生運動を鎮圧した中国政府に対してと考えていたが、中国は集団的な文化が非常に強い国で、民衆は政府への制裁にもかかわらず、中国全体に対する制裁と受け止め反発した」という解説を聞いたことがある。

今回の新型コロナ・パンデミックも同じ構図といえる。西側諸国はあくまで中国政府が発生当初情報を隠蔽したことや原因について十分な説明責任を果たしていないと批判しているのだが、一般の中国人の意識では、対政府批判でも自分たちへの批判と受け取られている。最近も台湾の学者がSNS で「中国は伝統的な華夷秩序や王朝体制の中で、自分たちを世界の構成要素の一つとみるのではなく、自分たちとその他という分け方をする。そのため、自分たちとその他の対立という図式に陥りやすい」と述べている。

習近平政権は、その傾向に民族主義が加わった今の国民感情に総乗りになってしまったわけだが、そこには習近平の焦りが背景にあるとの見方がある。彼が政権トップについてから7年半の統治の間、目立った業績を上げていない。反腐敗キャンペーンでは多少成果を上げたが、その他は「一帯一路」などで成功を収めたとは言い難い。

経済も伸びが鈍化し、香港でも台湾でも民意の取り込みに大失敗した。米国を中心とした西側との対立は、かなり決定的なものになってきている。政権の座は結果責任を問われるから、何か目に見える形でポイントを稼ぎたいと考えるだろう。結局、西側に好戦的な態度を取り、民族主義を煽ることで、支持を得ようと前のめりになっていないか。

天安門事件や旧ソ連・東欧の政変後、中国共産党の指導イデオロギーは、もはや共産主義ではなくて愛国主義に傾斜している。そこで中国を西洋列強による貧しい半植民地状態から救ったのは共産党だという「物語」を作り、そこに国民の意識を流し込んできた。だからこそ旧植民地である香港の「完全回収」、さらには台湾の「回収」に躍起になっている。習はこれらによって、逆転ホームランを打てると思っているかもしれない。

特に「国家安全法」で抑え込もうとしている香港問題への対応は極めてまずい。当初、目の前の課題は20年初頭の台湾総統選だった。18年末の台湾の統一地方選で、国民党が圧勝し、独立派の民進党・蔡英文総統が窮地に立たされていた(中国のさまざまな介入があったとされる)。今この機会だと習近平は考えたのだろう。19年初に「台湾同胞に告げる書」40周年談話を発表、「一国二制度による統一」という表現をとった。だが蔡英文は「一国二制度の押し付けは、台湾住民の意思に反する」と反論、支持率が急回復したのである。

そのうえ19年、香港で、中国本土への犯人引き渡しを可能にする「逃亡犯条例改正案」に反対する住民の抗議運動が起こると、これを強権で抑え込もうとした。その激しい弾圧の姿を見て、台湾の世論はさらに反発し、総統選は蔡英文総統の地滑り的勝利となった。これにより、本来台湾統一のモデルでもあった「一国二制度」は破綻してしまった。

さらに、新型コロナウイルスへの対応で台湾が目覚ましい成果を上げ、国際社会での評価が上がると、台湾「回収」の方針から「平和的」という文言を取り除き、香港の民主化運動抑圧のため「国家安全法」を制定した。

言論統制が生んだ政治の退化

「戦狼外交」(「中国版ランボー」と言われた15年と17年の映画『戦狼』シリーズに由来。「我が中華を侵す者は、遠きにありても必ずや誅せん」のセリフで大ヒット)も国際社会の反発を強めるだけの結果になっている。今や外務省は外交をせずに、対外的な緊張を作り出す部門になり「外務省は国防省ではない」といった批判すら中国国内で出ている。中国の有識者も最近「これは外交官が個人のスタンドプレーでやっているのではなく、上からの指示や忖度がなければできないことだ」と筆者に語った。外交とは本来、国家間の問題を巧みな交渉により自国の利益の最大化を図るものだが、「戦狼」たちは逆のことをやっている。

このように、外交もメディアも、内向きの論理しか見られなくなったのは、やはり言論統制の負の側面が強く出てきたと思われる。情報面でのネット規制(Great Firewall、防火長城)を作り、外からの情報を遮断した結果、中国内部では内向きのナショナリステッィクな言論ばかりが流通し、自ら囲い込んだ国内世論に政権が逆に拘束されてしまっている。

その結果、新型コロナ禍の生活をつづった「武漢日記」を公表した作家の方方を「西側の中国批判に手を貸す売国奴」とつるし上げ、政治的に気勢を上げようと毛沢東像を掲げて行進する集団が現れるなど、過去の文化大革命時代のような閉鎖性に戻ってしまった。

「改革開放の総設計師」鄧小平には国際感覚があった。留学経験もあり、列強内に身を置いて世界の中での中国の実情を見てきた。軍を率いた経験もあった。天安門事件では弾圧に手を貸したが、政治家として手練れだった。周恩来元首相もそうだった。しかし、「総加速師」の習近平には周恩来や鄧小平のような百戦錬磨の経験や国際感覚がない。

習近平の終身国家主席志向は、鄧小平が文化大革命の災禍から教訓を得た集団指導体制、個人崇拝否定から逸脱している。文革は毛沢東の個人崇拝により中国に10年間の破壊と停滞をもたらしたが、習は鄧小平路線を否定する道を選んだ。香港問題はその最たるものだ。香港返還は、鄧小平の最大の功績の一つであり中国の経済発展に大きなメリットがあった。しかし今回の全人代での決定は、事実上「一国一制度」への後退であり、「英中共同声明」への明らかな約束違反だ。

今の中国指導部は、支離滅裂なトランプ政権の下で米国は国内の分裂が進んで勢いが弱まり、じきに国内総生産(GDP)で追い抜けるとみているかもしれない。しかし、中国の輸出の多くを占める軽工業品などは、ほかの国で代替可能だし、そもそも世界中の企業が中国に工場を作り、米国に輸出していくことでこの経済規模を達成している。米国市場から締め出されれば成り立たないはずだ。

いまや香港人750万人中100万人を占めるほど増えてきた大陸人は「蝗虫」と侮られているが、
香港乗っ取りの日が来るか(香港通識小百科「搞明堂 」より)

もちろん、14億人の人口を持つ中国国内市場はあるが、李克強首相が全人代で、人口の約4割、6億人が月収1千元(約1万5千円)と暴露するような貧しい状況にある中で内需はたかが知れている。王朝時代は他国に依存しなくとも超大国であり続けた。毛沢東時代は、国は貧しくなったが自給自足の閉鎖国家として生きてきた。しかし、現在は違う。経済規模は巨大になったが、国際的な経済秩序の中でなければ生きていけず、食料もエネルギーも自力で調達できない。

しかし、習近平は毛沢東時代の発想から抜け出すことができないのではないか。中国が改革開放の中で、政治改革(民主化)を行えなかったツケが回った形だ。

1980年代は、胡耀邦、趙紫陽など開明的な指導者の下で民主化への機運が高まったが、天安門事件で頓挫し、政治改革の動きが全部止まってしまった。代わりに持ち出されたのが、政治は一党支配が続く代わりに、経済はある程度自由にやらせていいという「中国の特色ある市場経済」路線だった。

鄧小平没後も西側は、中国の世界貿易機関(WTO)加盟を認めるなど、急速な経済発展を許容したが、硬直的な政治体制との歪みはむしろ大きくなった。経済は国際的な一体化が進んだが、政治的には国際社会、特に中国の経済発展を支えた西側諸国との対立が強まった。政治改革を先延ばしにしてきた体制がいよいよ限界に達しているのではないか。

このような結果に、中国を国際社会へ引き込むことで、徐々に民主化を促す「エンゲージメント(関与)」政策は失敗だったという反省の声が、米国で広がっている。

香港返還(1997年)当初、一国二制度を維持する期限である50年がたてば、むしろ中国本体の方が香港の体制に近づくという見方もあった。しかし現実は逆で、政治や経済で圧迫を強める中国に対して香港で不満、不安が出始め、結局強権的に押さえつけるしか方法がなくなってしまった。

改革開放の前提は失われたか

そうした外部からの指摘に、国内世論はますます反発を強めている。「小粉紅」と言われる世代の若者がナショナリズムの主要な担い手だからだ。彼らは90年代に生まれ、閉鎖的な言論空間で愛国教育を受け、現政権に肯定的だ。「80後」と呼ばれる80年代生まれはまだ少しは言論が自由な時代を知っているが、「90後」「00後」になると、ネットが完全に統制、封鎖された時代に育った。彼らは、日本の神社に行って「香港独立」と書かれた絵馬を土中に埋めてSNSに投稿したり、金持ちの子弟は留学先のカナダ、オーストラリアでフェラーリに乗り、五星紅旗を振りかざす“愛国デモ”に興じている。そういうナショナリズム、ポピュリズム的傾向が強い若者たちが育ち、学校では自由主義的な教員を告発するなど、思想的貧困が生じている。

日本は難しい対応を迫られることになる。少なくとも天安門事件以降続いていた「エンゲージメント」はもはや通用しないのではないか。以前、外務省の友人と話したことがあるが、中国への警戒感は極めて強く、米国に対し働き掛け、東シナ海などでの拡張主義的な行動を取る中国を牽制しようとするという考えが、基本にはあるようだ。

とはいえ、日本はすぐさま、米国や英連邦諸国のように中国と対決姿勢を示し、関係を切ってしまっても構わないかといえばそうではない。歴史学者のエズラ・ヴォーゲルは近著『日中関係史』の中で、「西側世界と比べて、日本は中国と数千年の交流の歴史がある。どう中国と向かい合うべきかということをよく理解している」と述べている。

中国とは付かず離れず、和して同ぜずというか、どのような距離感を保てば、大国とうまくやっていけるかという感覚、そんな国民性を日本は有しているのかもしれない。

中国も、冷静に見ると日本に対して決定的な関係悪化に陥らないよう、慎重にふるまっているように思える。天安門事件以後、92年の天皇訪中をきっかけに国際社会へ復帰していったように、日本を国際的な孤立が起きた時の最後の頼みの綱と考えている面もある。

この30年間の政治改革の挫折と急速な経済発展が、文革的イデオロギーを持った荒ぶる「戦狼」国家という厄介な存在を生んでしまった以上、日本の中国への立ち位置は国際社会と同列であるしかない。しかし「引っ越しのできない隣国」として、関与政策の可能性は最後まで捨てきるわけにはいかないのもまた日本の立場だ。筆者としては、中国国内の官民の改革派の声に耳を傾け、彼らの立場が強まるよう働きかけることが必要と考える。=敬称略■

(本論は筆者の個人的見解で所属組織を代表するものではない)