危うく「ヒゲダン」を救った7人の侍

フジサンケイの「万骨」 3

危うく「ヒゲダン」を救った7人の侍

すんでのところで、ポニーキャニオンの致命傷だった。フランスの音楽プラットフォームと包括契約を結ぼうとして、ヒゲダン、aikoなどドル箱の歌い手が大幅減収となるスキームに、現場が寸前でブレーキ。社長ら取締役は何食わぬ顔だが、実現したら民法違反だったかも。追及第3弾。 =20日まで全文無料、以後は一部有料。

 

クリエーターの乱 3

 

「トロル」をご存じか。北欧神話に出てくる洞穴に棲む「魔物」のことで、容貌魁偉かいいで巨体、怪力で悪臭を放ち、いくら深手を負っても再生する。『ハリー・ポッター』でも、山トロル、森トロル、川トロルが登場した。

インターネットではそれが転じて、投稿を釣りの餌に見立てて、人をだまして食いつかせる「釣り」「荒らし」「あおり」などの投稿者を指すようになった。なかには、勝手に特許権を主張する「パテント・トロル」、商標登録で先回りして請求書を突きつける「商標トロル」、そしてありもしない著作権を主張して支払いを要求する「著作権トロル」がいる。

その著作権トロルだとネットで批判され、訴訟も起きているフランスの〝黒船〟に、アーティストの著作権管理には手慣れているはずのポニーキャニオンが、昨年危うく食われかけた。毎年、1億PV以上のメガヒット曲を生む人気絶頂のバンド「Official髭男dism」(ヒゲダン)などの収益をごっそりさらわれそうになって、あわや寸止めという大騒動が起きた。

「ヒゲダン」はアニメ『東京リベンジャーズ』のオープニング主題歌も歌っている(オフィシャルホームページより)

この黒船を引っ張り込もうとしたのは、ポニーキャニオンの執行役員兼マーケティングクリエイティヴ本部長(当時)だった今井一成氏(現在は嘱託のエグゼクティブプロデューサー)である。生え抜きではなく「外部人材」なのは、今井氏が日本ビクターの出身で、2019年6月に子会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント取締役を退任、翌年4月にポニーキャニオンの嘱託社員に移籍したからだ。

今井氏はまた、今年4月に元社員、てい淇輿きよ氏からパワハラで賠償訴訟を起こされた当人でもある。ビクター子会社を辞めた理由も、パワハラ被害に遭った社員が組合を通じて弁護士つきで親会社に直訴、事実上退任させられたとビクター関係者は言う。しかもポニーキャニオンでの経緯から、単なるパワハラではなく、実は黒船問題と表裏一体であって、そこにポニーキャニオン音楽事業の暗部がみえてくる。

ボカロ系アーティストに嫌悪感

訴えた鄭氏は台湾人で、台北生まれの元ミュージシャンだ。ギタリストになって台湾でプロデビューしたが、大学を出てから日本に渡り、葛西のシェアハウスに住んで音楽専門学校Tokyo School of Music(TSM)に通い、最終学年の2015年、ポニーキャニオンの子会社エグジットチューンズにインターンで採用された。

エグジットはボカロ系アーティストや歌い手のライブの企画・制作や著作権の管理などバックオフィスを手がけていて、鄭氏も最初は楽器のメンテナンスなど雑用係から始まった。

「ボカロ系」とは、仮想アイドル「初音ミク」の爆発的ヒットで、ヤマハが開発した音声合成技術「ボーカロイド」とその応用ソフトにクリエーターがなだれこむ現象が起き、ストリーミングなどを通じて日本の音楽界に新風を吹きこんだ米津玄師やAyaseらのアーティストを指す。これまでは、音楽プロダクションがライブやオーディションで新人を発掘、手塩にかけて育ててヒットを生み出すマスプロダクション方式だったが、アニメとツイッター(現X)などソーシャルメディアを組み合わせ、ストリーミングでバズらせて、ネットでページビュー(PV)を稼ぐ仕組みが優勢になってくる。

ポニーキャニオンの別動隊として、エグジットもボカロ系アーティストのプロモーションを担うようになり、中国語も英語も流暢な鄭氏(日本語は独学)は、中国版ツイッターである「微博」(weibo.com)など海外ソーシャルメディアで呟くには便利な人材だった。やがてボカロ系出身の歌い手、まふまふのギターを手入れするなどの雑用のかたわら、得意な言語を生かした海外ネットプロモーションに仕事の比重が移っていった。

ポニーキャニオン本体もその趨勢に遅れまいと組織を再編、資本提携先だったエグジットを14年に100%子会社としたうえ、さらに19年7月には音楽出版と作家マネジメント事業だけ残して「エグジット音楽出版」(現EMP)と社名を変更した。プロモーションの主部隊は親会社ポニーキャニオンに移籍して、その売り上げを本体に取り込んだため、鄭氏もそれに伴ってポニーキャニオンの社員となった。

鄭氏は引き続きストリーミング系アーティストのプロモーションを担当し、翌20年にはマーケティングクリエイティヴ本部デジタルマーケティング部に所属した。そこにビクター子会社ビクターエンタテインメント役員を辞めて、ポニーキャニオンの嘱託となっていた今井氏が、20年6月、執行役員兼同本部長に就いた。ビクターでは一時、看板バンド「サザンオールスターズ」のチーフプロモーターに任じられていたというが、鄭氏の訴状によると、ネット系アーティストに嫌悪感を隠さず、「ET(エグジット)はお荷物」「こんなの売れねえんだよ」「ETは要らない」などと日常的に口が悪かったという。

現に鄭氏が担当するアーティストを音楽配信アプリのバナーに載せるよう指示しながら、その予算を与えず、取引先との懇親のために飲み会を開こうとしても「会社はそんなことを求めていない」などと露骨に否定的だった。鄭氏が担当するバンド「空白ごっこ」に音楽配信事業へのお祝いのメッセージを送らせるはずが、バンドメンバーの体調不良で締め切りを延ばすと、関係者に許可をとったのに「締め切りを守るのが最低限のマナー」とccメールで執拗に咎めた。ところが、エグジット担当外のaikoや花澤香菜らの人気アーティストには、同じような遅れが出ても咎めないなどのチグハグな行為が相次いだ。

21年秋、度重なる嫌がらせに思い悩んだ鄭氏は十二指腸潰瘍と気管支炎を発症、新型コロナウイルス感染症が蔓延していたのでリモート勤務を求めても認められず、出社を厳命された。人事評価も新入社員か問題社員並みのBマイナス、またはCに落とされた。鄭氏は22年9月、ポニーキャニオンを退社、古巣のEMPに戻ったが、抑うつ症状が続いて24年3月から休職中で、嫌がらせによる精神的苦痛に対し慰謝料を求める訴訟を東京地裁に起こした。

これがパワハラにあたるか否かは裁判所の判断に委ねるしかないが、根底にあるのはマスプロ時代の成功体験が忘れられず、ストリーミング系アーティストに「売れる」「売れない」と頭からプライオリティーをつけて選別する世代と、クリエーターにできるだけ寄り添い、共生しようとする「推し」の若い世代の埋め難い溝だろう。

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