無縫地帯

「情報銀行」事業者の熱い認定状況が示す、日本の情報政策の方向性

総務省で「情報銀行」解禁の構想に絡んで、総務省が事業者向けの説明会を行っているようですが、個人に関する情報の安易な「データドリブン」の収益化はなかなか道が険しいものがあります。

近年粛々と準備が進められてきた「情報銀行」構想ですが、いよいよ来年には具体的な運用開始が見込まれており、同施策に参加を希望する事業者向けに総務省の説明会が行われたようですが、この新しい波に乗っかってやるぞという野望に溢れた人々の熱気がすごかったようです。

「情報銀行」説明会に200社データ流通の枠組み始動(日本経済新聞 18/10/19)

東京都内で開いた説明会には400人ほどが会場を埋め尽くし、認定条件に耳を傾けた。日本経済新聞
個人が自ら“データ”を預ける「情報銀行」、2019年3月に事業者認定へ--「お金目的では本末転倒」(CNET Japan 18/10/19)

募集人数を大幅に超える多数の来場者が会場に詰めかけ、情報銀行への関心の高さを伺わせた。CNET Japan
まあ、この手のもしかしたら濡れ手に粟で金になりそうだという匂いがする新制度の認定申請であればとりあえずは枠を押さえるために応募しておこうというのがほとんどの事業者の思惑であります。

で、我も我もと雲霞のごとく押し寄せる事業者を前にして、説明会では総務省側からも切れ味鋭い発言があったようです。

「生半可な情報銀行は認定されない」日本経済新聞
「お金につられてデータを提供するのでは本末転倒」CNET Japan
こうした字面だけからではその場の雰囲気までは分かりかねるのですが、説明会に押し寄せた事業者達のなんでもいいから申請だけはしておこうというあからさまなお気楽さに対するあてつけの言葉だったのではないかと想像するとなかなか面白いです。

既存のプライバシーマーク制度などにしても事実上意味のある形で機能しているとは残念ながらいえないような状況を考えると、この情報銀行認定についてもあまり楽観的な期待はできないなという諦観もあったりのですが、データドリブンな事業がどんどん普通になってくる時代を迎えるにあたっては、こうした個人情報流通について一定のルール作りを政府主導で行っておくことはとても重要なことであり、真っ当な志を持った人達がしっかりと手綱を握って事を進めてほしいと願う次第です。

なお、懸案となるデータドリブンにまつわる事業については正直死屍累々の様相で、いわゆるテック系のプライベートエクイティ界隈でも「投資・拡大局面」から「収益化」のフェーズに入れないままそのまま廃業になるベンチャー企業や、自社の持つ”豊富な顧客情報”をデータドリブンの名の下に展開しようとして無理な投資を繰り返し、イシュー設定のミスを引きずったまま埋没している大手企業も数多あります。情報銀行に名乗りを上げようとしている企業の中には、収益化に大きな課題を抱えたままのデータドリブンの旗頭を降ろそうにも降ろすことができなくなって、対外的にデータを売ったり共有することで利得を得ようとするマネタイズの一環としているケースも少なくないように見受けられます。

アリペイからインシュアテック相互保険型商品「相互保(シャンフーバオ)」が発売開始!(Glo Tech Trends 18/10/17)

例えば、中国での保険事業と個人情報およびブロックチェーン技術を組み合わせたこの相互会社的な仕組みは、極めて合理的なテクノロジーが安価で実現できたことで、却って原始的な保険事業に回帰した事例ですが、簡単に言えば「リスクはいつ顕在化するか分からないこと」と「その人がどういうリスクを抱えているかは事業者側(情報銀行や保険会社)が利用者よりも多くの情報を握っているので、情報は不均衡であり、常に利用者側は不利な契約を強いられること」とが内在しているため、いままで「分かっているけど倫理的な問題も含めてやってこなかったタイプの事業」であることは間違いありません。

日本でもネット専業の生命保険会社や損害保険会社は以前から営業していますが、契約者個人の持つリスクファクターをどこまで開示させ、どのようなロジックでひとつの保険商品の中に押し込んで利益を出すかは、保険会社の企画部門が既存の法制度(金融庁保険行政当局が何を言うかも含め)の中での最適解を出す方向にいっていました。ネット専業保険大手のライフネット生命がKDDI傘下になった際も、水面下では「携帯電話の契約情報が生命保険契約者の可否を左右する可能性の是非」については当時かなりの議論が勃発しましたし、いまなお履歴情報が利用者を差別する可能性については憲法上の問題があり得るという主張は一定以上の合理性をもって受け止められている、というのが現状です。

極論を言えば、毎日深夜コンビニで塩っぽい夜食を買って帰る個人は独身世帯と勝手に判断され、早死にのリスクが個人履歴に紐づけされると本人の知らないところでスコアを割り引かれ、保険料が割高になったり就職が不利になったりするディストピアは成立し得るわけで、そこへの入り口が情報銀行になりかねないということで、金融庁も情報銀行をみだりに認可したくない、という表明の理由になっているわけです。

しかしながら、それらの個人に関する情報の利用制限はあくまで国内事業者のものであって、海外にある大型の名簿屋は、本人の同意を取らずに大量の情報を売買し、また仲介しています。それらの中には当然日本人の情報も含まれ、場合によっては決済情報から本人の健康に関する情報まで取られている可能性があります。すでにデータドリブンの主戦場は国内よりも海外との競争の渦中にあって、日本で事業を行う事業者単独の問題ではなくなりつつあります。

そもそも「データ資本主義とは何なのか」「データ資本主義時代に稼げる仕組みとは何か」を考えるべきときに、いま起きているGoogleやFacebookの不適切な情報の取り扱いが暴露され議論になっているのは、非常に重要な観点であろうと思います。やはり、日本はこの「情報銀行」構想時代に相応しい情報と社会と政策が目指すべき理想と哲学を固めるべきなのかなあと感じる次第です。