ヘイトスピーチはなくならない。どう制御するか、だけ。
一連の在特会関連もそうですが、橋下徹さんの「従軍慰安婦は必要だった発言」以下かなり話題沸騰しているヘイトスピーチ関連。いま起きていることは、いろいろな意味で、興味深いです。
山本一郎です。電車の対面に座っているおじさんがビール片手に携帯電話見てニコニコしているのを見て羨ましく思うぐらいはフライデーな感じです。
ところで昨今、在特会その他、さまざまな団体が我が国の韓国人街新大久保に繰り出しては騒ぎを起こすという話がネットでトピックスになったりしておりまして、いわゆる「ヘイトスピーチ問題」に発展しています。
とはいえ、この「ヘイトスピーチ」については定義がとても曖昧で、あまり共通して納得のいく線引きの意味で意味を共有して議論しているのを見たことがありません。ある人は、韓国人が嫌いという言葉自体がヘイトスピーチであるとし、またある人は理屈に基づかない憎悪発言がヘイトスピーチなのだといいます。ニュアンスが細かすぎて良く分かりませんので、取り急ぎ本稿では法律の解釈に基づき「差別」に関連して行われる言動であるとしておこうと思います。
で、この「差別」という問題ですけど、平たい話が英語圏のカントリーサイドにいくと日本人であっても嫌な顔をされるときがあります。留学時代、アメリカ人クラスメートの父親のホームパーティーに呼ばれたら、ホストが「うちのプールに飛び込んでみろよ」というので本当にやってみたら、それまで入っていた白人たちがみんな上がってしまったとか。逆に、今年訪れたロシアの僻地でホテルのサウナに入っていると「韓国人は出て行け」と言われ「日本人だ」と言うと急に愛想が良くなってサウナの中でウォッカを振舞われ、泥酔させられた挙句、気がつくとそのロシア人が御代を払わずこちらが彼の分も全額払うことになるなど楽しい思い出がたくさんあります。
海外を旅していて思うのは、日本人だろうが外国で暮らしている人たちだろうが、一番重要なのは風習、価値観、行動様式に対する相互理解を深めることが差別感情を拭い去るファクターだということです。基本的には、相手が何を考えているのか分からなければ、やはり人間は恐れます。相手の顔つきや風習で、自分に対してどんな感情を持っているのかさえ分からなければ、私たちは彼らを理解できるようになるまで距離を置かなければならなくなるでしょう。
そして、ある程度相互認識ができたとしても、今度はその相手の風習が好きか嫌いかという選択が待っています。これは、その相手国の人とどういう体験をしたか、彼らと付き合うことによってどんな思いを持ったかというところに依拠するんですけど、私の場合はやはり韓国が嫌いです。ビジネスでご一緒したときに、やはり交渉ごとだけでなく決まったことがきちんと守られるのか、大事な知的財産やパートナーを無断でもっていかれないか、事業が完遂するまで監視し見届けなければならないという、非常に手間のかかる業務を余儀なくされるのです。
では、韓国人が全員嫌いなのかと言うとそうでもありません。あまり多くはありませんが、韓国人ともお付き合いはいまなお続いています。まあ、呼ばれても「爆弾」と呼ばれる高度数の酒を混ぜ合わせた飲料を一気飲みさせられたり、あまり食べないようにしている牛肉を喰わされることになるのでソウルはなるだけ足を向けませんが。
あるいは、以前私が住んでいた赤坂では一本二本道を隔てるとそこは韓国街で焼肉や豚バラ焼きなどが建ち並ぶ韓国料理屋や、本場の中国火鍋に中華料理をマジもんの中国人が営んでいたり、インド人がやっぱりカレー屋をやっていたり、タイ人がやってるタイ料理屋があり、ベトナム人がやってるベトナム料理屋があります。最近はかなり減りましたが、一時期は韓国人ホステスが仕事終わりなのか路上で大声で深夜喋っていて煩いであるとか、歩いている腕を掴む感じで客引きをする韓国女性の顔に湿疹を隠したような厚化粧が広がっているとか、彼らは必死で生きているんだろうけれどももう少し日本の風習に配慮して欲しいと思うことは数多くあります。
私はまだ、ある程度韓国人とのお付き合いがあり、良い人も微妙な奴も見てきているのでそれほど腹も立たなくなってきましたが、そういう日韓間や他の国との関係のコンテクスト(文脈)を特に知らず、友人も当該国には少ない人たちからすると、やはりネットや一部報道などで「自分が信じたい情報」で補強された韓国人をイメージとして強く持つことになってしまいます。
ヘイトスピーチとは、つまりは自分から遠い存在、自分を脅かす存在、嫌いな存在などなど、対象がどうなっても構わないような相手であれば、驚くほど自然に口から出てくる代物だと思います。8年9年ぐらい前は、私自身も一再ならずブログで韓国人に対するヘイトスピーチ記事を書いた記憶がありますが、一度仕事でご一緒してそういうものかと理解するようになってからはあまり腹も立たなくなって、ここ5年ほどはそういうことは書かなくなりました。
昨今の排斥的なヘイトスピーチに関して言うならば、偏狭なナショナリズムの発露だというような批判も高いのかもしれませんが、ただ彼らは正直に韓国人に対する感想を隠さず述べているだけです。ただそれが差別感情に基づいており、行う発言のレベルも高度とは言えないものも多く含まれるので、品がないと思われているのでしょう。間違っても「殺せ!」「死ね!」というような発言を軽々しく使ってはいけません。私は生まれてこの方「死ね」など言ったことも書いたこともありませんので、彼らの気持ちをまったく理解することが出来ません。
申し訳ございません。嘘を吐きました。
ただ、心がけるべきことと言うのは「ヘイトスピーチというのは数が多くなれば感染する人もまた増えていくこと」です。この手の差別感情というものは、誰かを自分よりも下に位置する存在と心のどこかに持っておかなければ、自分のプライドやアイデンティティをうまく保つことが出来ない人にとっては「死に至る病」です。
ネットであれ、自身の周りであれ、延々ヘイトし続け呪詛を垂れ流さずにはいられなくなってしまう。それは、当然生産的なことではないし、一時の気は晴れてもそれが具体的に何の意味に繋がっているのかも分からず、またせっせとヘイトスピーチを書き綴る羽目になります。
それがある途中でその人の「正義」に変わることがあるんですね。
だからこそ、ヘイトスピーチを考えるときに必要なのは彼らのいるレベルにみだりに降りていかないということです。そうすると、先日の津田大介さんと荻上ちきりん女史の問題のような状態になってしまいます。つまりは、ヘイトスピーチと同次元でこれに反論する者は、絶対に議論では解決しない、和解の余地の乏しいところへ自らの人生を構成する時間をブチ込むことに他ならないわけです。
しかし、自分が好きなものが誰かに口汚く貶される、あるいは自分が嫌いなものが図らずも賞賛されているというのは辛いものです。つい、反論したくなります。頭にくることもあるでしょう。ただ、ヘイトスピーチは一度使ったら人生で何十分か何時間かを無駄にする可能性が高くなります。19歳から33歳ごろまでにいたるまで、時間を無駄にし続けてきた私が言うのですから間違いありません。
そして、一番の落とし穴は、日本で起きているヘイトスピーチというのもまた、韓国や中国の一部で起きている反日、抗日の考え方や価値観、教育といったものをバックグラウンドにした、批判されるべきシステムによって成り立っているのだともいえます。在特会の在日韓国人に対するヘイトスピーチに反感を抱くものは、同時に韓国政府が韓国人青少年に対して行っている反日・差別教育についてもおおいに批判しなければならないのです。
実際、例年の世界各国の好影響調査では、我が国は中韓という隣国から否定的な感情を抱かれているだけで、それ以外の諸国からは相応の評価を頂戴しています。この中韓とは、国益において競う部分があるだけではなく、やはり反日的な教育を続けてきた結果として、その影響が色濃く残ってしまっているという部分もあるのではないかと考えます。
BBC Global Poll: Japan Has Most Positive Influence in the World
実際、諸国を仕事や旅行で旅してみると分かるのですが、日本人は日本人なりに各地で尊敬されています。それは、戦後日本がその経済成長を達成したこと、それそのものに対する評価もあるでしょうが、本当は60年以上の長きに渡り、戦後の日本人が世界の人たちと一緒に繁栄しようと各国へ進出し、信頼関係を築いてきたからなのだと実感します。
その中で、中国や韓国の日本に対するヘイトスピーチの奨励は、格式高く撤回を求め、反日教育の即時撤回をお願いしつつ、相手の日本へのヘイトスピーチと同じレベルでやり返さないことが、それ以外の国々から最大の敬意を勝ち取る方法だろうと思います。
とかなんとか書いていたら、移民成功国とEUからも羨まれていたスウェーデンで大暴動が起きているようです。大丈夫なんでしょうか…とまあ、各国ではこのようにナショナリズムと移民の間での大きな衝突が起きる世界が広がっており、日本はまだ面白団体の人々が道を練り歩くという状態で収まっているというのは幸せなことなのかもしれません。
スウェーデン暴動、5夜連続 移民問題浮き彫りに