無縫地帯

子どもにどうやって戦争の経験を伝えるべきか

今年も8月15日、終戦記念日を迎えました。日本や各国が引き起こした悲惨な戦争の教訓を子どもたちの世代にも引き継ぐために、どういう話をしたらいいのか、親としてとても悩んでいます。

今年はとても日差しの強い終戦記念日を迎えました。

独身時代から8月15日は大掃除をする習慣があり、山本家の行事を済ませ、実家の周辺では右翼の皆さんが何か騒いでおられます。
拙宅山本家も、まあ戦争に関してはいろいろとあり、家内の実家も戦没者の皆さんもありますので、あまり穏やかではいられない日でもあります。

子どもができてから、まあ毎年悩むのは「戦争ってなあに」というやつであります。私が子どものころは、まだ身の回りに戦争体験を持つ大人たちがうようよしておりましたので、うっかり私が「戦争ってなあに」と訊くと怒られたり殴られたりしたものです。世代は下り、あれから40年がさらに経過しようとしているいま、戦争を起こした当時の日本といまの日本とを見比べつつ、何を次の世代に言い伝え、どう語り継いでいくべきなのか、物凄くモヤモヤしています。テレビや雑誌、新聞ではさかんに戦後何年だ、戦争の記憶だと特集されてはいるけれど、そういうちゃんとした報道とは別に、家の中で「戦争ってなあに」を語り継ぐには微妙な状況になっているのではないかと思うわけです。

一方で、一家でよく滞在するアメリカやロシアなどにおいては、戦争という状態自体は一般的なもので、危機的な状況になるたびに緊張がそれなりに走り、自分は何者であるのか、どう考える人間なのかを否応なく問われる環境にあります。日本では、紛争も抗争も戦争も基本的には誰かがやってくれるものであり、どこかで起きていることであって、我がこととして捉える意識が希薄だとも感じます。

この平和はまさに何物にも代えがたく、平和だからこそ、日本は良い社会だなあ、良い国だなあと思うわけです。東アジアや南シナ海ほか各地域の安全保障で日本の役割が問われる中で、世界で唯一の核被害国として、同時に戦争当事者であった国の末裔として、どういう立場で何を言うのか、かなり具体的なことを他の国の人たちに訊かれたときにどう答えるのか考えておかなければなりません。

日本人として、海外に出たとき「私はこう思う」と言える人間でありたいとは思ってきたものの、"対海外の人"だけでなく、最近は"対うちの子ども"という別の問題が広がっていることに気づきました。自分が日本国内や海外において安全保障をどう考えるのかという横軸だけでなく、次の世代に何を伝え、教え、遺していくのかという縦軸、時間軸もバッチリあることにようやく気付いたのです。拙宅三兄弟からすれば、外で変な人たちが騒いでいるという認識しか持たない状況から、あれはあれで国や社会を大事に思う人たちがいて、と一つひとつ説明していくこともまた、大事なんだろうと。

そこで、はたと思い至るのです、私のこの戦争観、安全保障に関する考え方って、いったい誰から学んだんだっけ。一生懸命思い出すんですけど、それがはっきりせんのです。戦争の遺品をいじって、親父や大叔父に怒鳴られた記憶しかありません。遠く思い出すならば…関東大空襲で、逃げ惑う人々の記憶。同級生が何人も、何人も亡くなって、葬式もあげられない家があったとか。疎開で行った先の親戚が悪い奴で家財一式騙し取られたとか、一族郎党で吊るし上げたとか。まあ、戦争の悲惨な体験というよりは、戦争下でもしたたかに生きた当時の日本人の記憶のほうが、私には強く伝わっているのかなあと思います。

子どもたちには、戦争で大事な人がたくさん、死んだんだよ、って教えてはいるんですけど、まあ、なかなかむつかしいのです。「なんで戦争って起きるの」とか訊かれると、これはもう、小学校低学年に「安全保障とは何か」を教えることに他ならない。繰り返し繰り返し、話し合い、議論し、価値観を作り上げていかなければいけない作業なんじゃないか、単に「戦争とは何か」を教え込み、一方的に伝えて終わるものでもなく、これからの日本を生きる子ども自身がどう感じているのってのを聞きながら対話して、次の世代の戦争観を形作るほかないんじゃないかって感じたわけであります。

ほかにも「平和だと何がいいの」って言われます。「お互い争っても、意味がないからね。平和だと美味しいものも沢山食べられるよ」と伝えると、今度は「美味しいものはどこからくるの」やら「牛や豚のお肉は牛や豚を殺すの。可哀想じゃね?」などと哲学的な方向に行くのは仕方がないのでしょうか。

子どもたちの興味や関心を見ていると、やっぱり「戦争したくねえな」と思います。その「戦争をしないようにする」ために、法律と軍備を揃えて戦争が起きないようにするのか、戦争できないよう戦力を持たないようにするのか、いろんな考え方が国内にあるわけですが、まずは子どもたちに「思っていることを、思っているように主張できるようにしてごらん」とでも伝えていこうと思います。思っていることを言えなくて、我が国は悲惨な戦争を起こしてしまったように思うので。