無縫地帯

いよいよ「情報銀行」時代到来か

日経やNHKで三菱UFJ信託銀行が情報銀行業務を開始するという報道があり、ちょっと気になったので触れてみました。

名目GDP600兆円に向けた成長戦略という壮大なゴールを目指して打ち立てられた「日本再興戦略2016」ですが、その中で提案されている事案をなんとか実現すべく関係各者が日々精進している中、その一つである「情報銀行」構想がいよいよ来年には実用開始となるようです。

「情報銀行」大手信託銀行参入へ(NHKニュース 18/7/18)

本人の同意を得て預かった個人データを企業に提供する「情報銀行」と呼ばれる新たな事業に、信託大手の「三菱UFJ信託銀行」が来年度中にも参入する方針を固めました。
(中略)
具体的には、スマートフォンの専用アプリを使って個人に、健康診断の結果や月々の支出の内訳など、企業に提供してもいいデータを登録してもらいます。NHKニュース
「健康診断の結果や月々の支出の内訳」を赤の他人の企業に教えても差し支えないと考える人がはたしてどれぐらい存在するのかはたいへん興味を覚えるところですが、こうして個人情報を提供することで場合によっては1企業あたり500~1000円程度の金銭やそれに相当するようなサービスが得られる仕組みということから、もしかするとポイントカードサービスに比べてずっと小遣い稼ぎになるという理由から意外と多くの人が参加するのかもしれません。もちろん、普段使いの銀行口座やクレジットカード、Suicaなど交通機関の定期一体型のカードなどは、定期収入だけでなく細やかな支出などの「ライフログの塊」ですから、普段はこれらの情報を銀行やクレジットカード会社に預けっぱなしにしていることを考えると「企業は有効に個人情報を使い、個人はすでに知られている情報を活用してもらって生活がより便利になったり、ポイントが還元してもらえる」と思えば少しは良いことだと感じることもあるのでしょうか。

これまでのよくありがちなポイントカードサービスでは個人の購買活動情報などが収集されているのは多くの人がなんとなく分かっていたとしてもそうした状況をはっきりと自覚して利用していることはあまりなかったかもしれません。しかし、新しい情報銀行の場合は利用する時点で明確に個人情報を第三者に“売る”ことでその見返りとして金銭やサービスを受け取るわけですから、相手に個人情報を提供した後になって思った形とは違う形で個人情報が利用されたとしてもそれは世間でいうところの“自己責任”の一言で片が付けられてしまう危惧があります。いわゆる「情報銀行構想」は情報を提供した個人が思ったような利用がされなかったときに、望まぬ個人に関する情報の利活用の現状を知ったり、提供を止めたりすることがどこまで可能なのかというのは常に議論となってきました。そこまで理解してサービスを利用する人ばかりであればいいのですが、ともすれば新たなリテラシー問題に発展する可能性があるのかもしれません。そして、こういう問題は「そのような利活用がされていたとは知らなかった」という個人が損害を蒙って検証してみて初めて露顕する、という類の事件ばかりを起こすでしょうから、制度設計やそれへの評価は慎重にならざるを得ません。

このあたりは実際の情報銀行サービスが運用開始される時点で改めて状況を見つつ論考してみたいと思いますが、スマホ経由で気軽に利用できるこうしたサービスが増えれば増えるほど、エンドユーザー側のリテラシーを高めるための機会も増えないとまずいのではないかなと強く感じます。

なお、情報銀行とはなんぞやということについては以下の記事などが分かりやすいですが、基本的には前向きな考え方で導入ありきの視点でもって書かれているということを理解しつつで読むのが良いかもしれません。

「情報銀行」は消費者に受け入れられるか?(NRIジャーナル 18/4/18)

約4割の人が「情報銀行」を利用したサービスに対して前向きな反応でした。また、自身のパーソナルデータが企業に一方的に管理・利用されていることに対して違和感を覚える消費者の方が、利用意向が高い傾向が見られました。ここから推測されるのは、今後、「データは個人のものだ」という考え方が広まっていくと、「情報銀行」がさらに受容されやすくなるのではないか、ということです。NRIジャーナル
ちなみに記事中の図2にあるグラフを見れば分かるとおり利用意向についてはまだまだ否定的な見方をしている人が過半数超ですが、記事本文だけを読むと上のように肯定的な雰囲気になるのが面白いです。

一方で、情報銀行構想で持て囃される「ライフログ」ですが、Tポイントなど小口決済に関する個人情報をいくら蓄積してもなかなか企業にとって有効な情報としてアウトプットしづらいという現状はあります。リターゲティング広告のように、一度関心を持って訪れた消費者リストを入手するような牧歌的で陳腐な手段のほうが、変に統計的アプローチで導き出した解析よりもはるかに有効だという事実もまた存在するようにも感じます。

データは資本主義の中核にくるのは間違いないにせよ、そのデータを分析して予測できる未来は非常に不確実で、情報銀行はもっと地べたの、疾病を患う可能性を「健康診断の内容と日々の食事を類推させるデータを統合して判断する」ぐらいのもので終わってしまう可能性は充分にあります。それが言われているほど意味のあるデータドリブンの事業を実現するのかはなんだかんだまだ未検証なんじゃないのかなあ、やってみなければ分からないというレベルなのではないかなあと思うのですが、如何でしょうか。