無縫地帯

酷いインターネッツが織りなす素晴らしきネット社会の実情

アドフラウド(広告詐欺)問題がようやく日の目を浴びつつあり、ネット上のビジネスにまつわる諸問題が少しは整理されようというのは、「漫画村」のような海賊版が話題になったからというのは救いがたい現状ですね。

いわゆる「漫画村」問題は単に犯人捜しをするだけでは解決しない様々な要素を孕んでいるわけですが、ことアドフラウド(広告詐欺)の件については「裏広告」などという漠然としたイメージ表現でお茶を濁したままで終わらせることなく、業界全体が真摯に取り組んで事態を改善していかなければならない喫緊の重要課題であると改めて感じるところです。

アドフラウド問題については、いわゆるステルスマーケティングと並んで外部からは検証のむつかしい事案ではあるのですが、今回NHKでも不適正なアクセスカウントを使って広告費を詐取するポピュラーな手口の一部が番組内で紹介されていて、そろそろ一般化して、問題になってくれないかなあといったところです。

海賊版サイト「漫画村」に “裏広告” 大手企業も(NHKニュース 18/4/18)

NHKの取材に答える広告主側の反応が「驚いている」「責任を感じている」などという妙にナイーブなニュアンスであることに逆にこちらが驚いてしまう部分もありますが、まあ素でそういうことを知らないクライアントも中にはいるのでしょうか。しかし、今どきの常識的な社会人であれば日頃ネットサービスを使わないということはほぼ皆無でしょうし、ユーザーとしてネットにアクセスしていれば不審なネット広告に出会わないことのほうが稀であり、ましてやネット広告に携わる仕事をしていれば、いかに技術的なことが分からなくても、ネット広告が抱える問題点について完全に無知であるということはありえないはずなんですよね。「知らないということにしておく」のはリスク対応の常道かもしれませんが、物事には限度があります。もしかしたら、こういう事態の処し方は、財務省方面で現在話題沸騰中のセクハラ問題への対応のあり方と根っ子は同じなのかもしれません。

ネット上のサービスについてはテクノロジーの発展に伴い旧来のアナログな現実社会におけるやり取りの中では実行不可能だったことも色々と実現できるようになり、社会的なモラルやルールを完全無視すればかなり自由自在な行為が可能となりました。先に挙げた漫画村のような海賊コンテンツ商売をはじめ情報操作を目的としたフェイクニュースの流布などもその一つかもしれませんが、もう少し頭のいい感じにテクノロジーの粋を集めて頑張れば以下のようなこともできるようです。

データ企業がFacebookやLinkedInの情報から個人プロフィール作成、4800万人分が流出か(ZDNet Japan 18/4/19)

ほぼ無名のデータ企業がFacebookやLinkedIn、Twitter、Zillowなどのサイトやソーシャルネットワークから入手したデータを組み合わせて、4800万件の個人プロフィールを構築することができたという。ユーザーはそれを知らされておらず、同意もしていない。ZDNet Japan
謎の企業がFacebookやYouTubeなどから収集した膨大な画像から顔認識データベースを構築していることが明らかに(GIGAZINE 18/4/18)

少なくとも5年にわたってFacebookやYouTubeなどソーシャルメディアから集めた映像や写真を元に、巨大な顔認識データベースを構築するイスラエルの企業の存在を、アメリカの経済誌Forbesが明らかにしています。GIGAZINE
まさにここは酷いインターネッツですねという感を免れないところです。今回の「漫画村」もアクセスデータの販売を一部行った経緯がありますが、海賊版の使用を日常的に行う、いわゆる「カモ客リスト」はまさか自分の素性がバレていると思わずアクセスしているに違いありません。しかし、現実的にはこれらは日ごろ運用しているTwitterアカウントから通っている学校、職場まで、かなりのデータがスマートフォンの閲覧記録からバレたり、巧妙に置かれているダミーリンクから情報が抜き取られていることはもう少し知られていいと思うのです。

さて、今日のインターネットサービス隆盛が起こるきっかけの一つはネットを介してブラウザで様々な情報を閲覧できるワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の発明にあると思いますが、そのWWWができて今年で29年だそうです。それを記念してWWWを考案したティム・バーナーズ=リーさんが興味深い文章を発表し、ありがたいことに日本語に訳されたものが公開されております。

ウェブは危機に瀕している。我々とともにウェブのために戦おう。(YAMDAS Project 18/4/20)

我々は、プラットフォーム自体に答えを期待してきた。企業は問題を認識し、それを正す努力をしている――変更を行うたびに、何百万もの人々に影響を与えることになる。そうした決定を行う責任――と時に負担――が、社会的利益を最大化するよりも収益を最大化するよう作り上げられた企業にのしかかる。社会目標を構成する法的ないし規制の枠組みが、そのストレスをやわらげる助けになるかもしれない。YAMDAS Project
うーん、やはりネットが人々の役に立つようにするためには、企業などの自由にまかせないで、なんらかの規制が必要なのでしょうか。しかし、その規制を誰がどう決めれば良いのかもまた大きな問題ではありそうです。誰が猫の首に鈴を付けるのか。むつかしいですね…。もちろん、かつて話題になった「インターネットの利用は免許制にするべき」みたいな暴論は、いまでは中国内の「でっかいイントラネットにして、世界と繋がる外部から遮断する」ことで情報の統制と管理を目指す、ある種のディストピアになってしまっているのは理解しておく必要はあると思います。

逆に言えば、海賊版対策で頭を悩ませている程度はまだそこまで危ないわけではない、という困った現実がそこにあるのかもしれませんが。