小学館、外務省のやらかしで「チンギスハン肖像画に落書きのコロコロコミック発売中止」の不幸なやばみ
小学館が発行する「コロコロコミック」ギャグマンガの表現を巡り、朝青龍など著名人やモンゴル大使館が外務省に抗議し、それを外務省が小学館に通達してしまうというチョンボが問題を広げています。
小学館が発行する「コロコロコミック」18年3月号で、掲載されているギャグマンガ「やりすぎ!!! イタズラくん」において13世紀にモンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンの肖像を見て問題に答えるシーンで、twitter上で元横綱の朝青龍が怒りのコメントをつけたうえ、モンゴル大使館が日本の外務省に抗議した結果、小学館が当該雑誌の発売を中止する騒ぎとなりました。問題となった描写は、チンギス・ハーンの肖像の額の部分に男性器を模した落書きが描かれていたり、肖像画を見て人物を当てる問題の解答にチン・チンと記述したため問題となった経緯はあります。
チンギスハン肖像画に落書きした漫画掲載コロコロコミック販売中止小学館「混乱避けるため」(産経ニュース 18/3/6)
確かに、民族の英雄をギャグマンガとはいえ男性器で貶められる描写を見て怒らないはずはありません。「モンゴル人に対してまずいことをした」という反応になるのはもっともで、これ自体は小学館としても話が大きくなる前に謝罪して発売を中止し、大人の解決をしようとしたということになります。
しかしながら、話はモンゴルが外務省を通じて日本の外務省にクレームを入れた結果、本来ならば表現の自由を尊重し「民間の話であり、外務省は取り次ぐ立場にはない」と普通に定型文で回答するべきところが、モンゴル大使館と一緒になって小学館に圧力をかけて問題を大きくし、結果的に事後検閲に近い形で発売中止の判断を小学館に強いた形になってしまっています。
モンゴルとしても、日本に表現の自由に対して検閲を求める形で内政干渉をしたいわけでもなかったでしょうし、純粋に日本の外務省のチョンボとしか表現のしようのない案件ですが、仮に「自分の民族についての人物や事件、事象で、望ましくない表現は外務省にクレームを入れれば対処される」という前例になってしまうようなら問題です。
かねてから、日本のヲタ表現において小児性愛のように海外からは見えてしまう問題で、実態とは異なりどうしてもロリコン画像の王国と揶揄されかねない状況にある中で、画像として少女への性的暴力が肯定されていると外務省に圧力がかかったら発行中止に持ち込めるのか、あるいは、よく欧州と日本の表現問題で持ち出されるジャンヌダルク問題では、一部のフランス人がいまなお英雄視しているジャンヌダルクが日本では美少女化されポルノ表現の一大ジャンルになっている件もあります。他国の歴史上の偉人を勝手に女性に表現し脱がせたり、暴力の対象にしたり、一部の侮辱・凌辱表現が認められているのは、ひとえに表現の自由を外務省など公の機関が圧力をかけない前提で成立しているのが実際です。
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コロコロコミックの今回の件は、モンゴルの歴史や国民・民族を名指しで差別をしようという意図のないギャグマンガであったことも、かえって災いしています。明らかに「どこそこの民族を殺せ」というような差別や抑圧を主張する言説であれば、望ましくない表現として問題視することはできたかもしれませんが、品のないギャグマンガが政治問題化し、事後検閲にまで発展してしまうというのは誰も幸せにしない結論にしかなりません。
日本は民主主義国であり、言論の自由の認められた法治国家です。ギャグマンガの侮辱的な表現が、当事者にとって怒りを誘発する問題あるものだと主張するのは当然です。怒って当たり前です。一方で、日本には日本の仕組みとして一定の限度までそのような表現は認められており、その表現内容に賛成か反対かにかかわらず許容されなければなりません。日本に大量にある中国・韓国ヘイト本も、内容として賛成できなくとも存在するのは致し方ない一方、海外で日本を馬鹿にする本が出ていたとしても、その国において認められている表現の枠内であれば抗議こそすれ対象国外務省に動いて善処してもらうことは内政干渉に繋がりかねないのです。
繰り返しになりますが、私自身も今回のコロコロコミックの表現は望ましくないものだと思っています。しかしながら、日本人が持つ表現の自由は大多数の人たちから嫌われる少数者の表現も許容され、守られるために存在すると認識しています。日本が言いたいことを言える世の中であり続けるためにも、本件のような問題はきちんと考察しておくべきでしょう。