無縫地帯

人工知能(AI)が重要な技術だからこそ語られるべき本質と展開

人工知能(AI)に関する議論が広がっていっている2017年ですが、単なるバズワードとして消費することなく本質を理解すること、見極めた本質を駆使した活用を促すことはとても大事な視点になってきています。

山本一郎です。このところテクノロジー方面でのニュースに接していると、人工知能(AI)にまつわる話が急激に増えていることを実感します。手前味噌になりますが、仕事柄もあり、私自身もまたそうした話題を取り上げて記事を書く機会が増えております。

AIの犯したミスは誰が責任をとるのかについて今のところ正解がありません(Yahoo!ニュース 個人 山本一郎 17/2/13)
喜ぶ日経「AIで記事自動配信」の時代遅れ感と希望(Yahoo!ニュース 個人 山本一郎 17/2/1)

もちろんネットでの記事ですし、取り組んでいる最先端のものを無償でというわけにはなかなかいかず、AIという言葉に込められた概念自体が広範でありすぎるため、現状のメディアに出てくる話は総論・各論含め得てして焦点がどこに当たっているのか分かりにくくなるきらいがあります。知っていること、考えていることをそのまま全部記述するわけにもいかないけど、AIが社会とのかかわりの中での役割を大きくしていく発展的な技術体系である以上、触れないわけにもいきません。それは自分自身の書き物についても気をつけねばなと思う次第です。

そんなわけで、AIを語るということになると、どうしても壮大な与太話に展開してしまいがちなのかもしれません。

「ヒトの脳とAIは統合される」――イーロン・マスク、自動化社会における人間のあり方を語る(Engadget日本版 17/2/16)

マスク氏は、人間が無関係な存在にならないようにするために、機械の速度で通信できる方法でAIと統合する必要があると言う。
とりあえずは「遠い将来」を見据えての提案だそうですから、ああそうですかという感じではあります。現実的なAIに対する認識については以下のお話の方がずっと有意義ですが、逆に多くの人にとってはちょっと退屈で夢のない話になってしまうのかもしれないですね。

AIで仕事はなくならない ―― なぜか過剰被害妄想の日本の本当の危機(Business Insider Japan 17/2/14)

AIといえばヒューマナイズした姿だけを当然のように妄想しているのは日本特有だと思います。
(中略)
人工知能といって、いま生まれつつある変化として、ドラえもんみたいなのを想定するというのは、夢としては正しいが、危な過ぎると言わざるを得ない
私などは、父親の仕事の関係もあってファクトリーオートメーションが凄い勢いで工場から雇用を奪いながら生産性を引き上げていった残骸を知っているので、AIに限らず新しい技術を使った道具が人間に置き換わっていくことを予想し悲観してしまうのは、必ずしも被害妄想とは思わないという立場です。

とはいえ、こういう「AIとはなんぞ?」みたいな記事が色々とあるのですが、その中で以下の対談は出色の出来だなと読んでいて感心しました。

人工知能に「接待将棋」はできない――羽生善治と石山洸が語る将棋とAIの進化(WIRED 17/2/14)

人間のやっていることは「過去にこういうことがあって、こういう発見があって前に進みました」と、基本的に体系的です。でも、AIとか将棋のソフトがやっていることは、ばらばらなんです。膨大な量の情報をつくれるけれど、ただただ離散したままでたくさんのデータが出続けているという状態になってしまう。その離散しているものを集めて枠組みをつくる人間という“まとめ役”が必要なんです。
(中略)
人間が100万局の将棋対局をやろうとすると、2人分の人生が終わってしまう。だから、できないことはAIに任せて、そこからさまざまな私見を得ていくことがいいアプローチなんじゃないかなと思っています。WIRED
この記事、基本的にはプロ将棋棋士の羽生善治さんがAIについて感じるところなどを色々と語っておられるのですが、羽生さんならではの知見をもってしてAIというものの本質を見事にとらえられているなと。やや長めの記事ではありますが、これは是非皆さんもリンク先の記事をご自身で読まれることをおすすめします。

一方で、経産省などはこのところ「AI」を錦の御旗にしたような政策提言をいろいろと展開しているようですが、掛け声ばかりで地に足がしっかりと着いていないのではと心配してしまいます。

VR、AI活用、24時間開催…「大阪万博」テーマ4案を議論経産省で有識者会合(産経WEST 17/2/15)

VR(仮想現実)やAI(人工知能)などの科学技術を駆使した「常識を越えた万博」を打ち出し、夜間の会場案内をロボットやAIだけで行う事業アイデアなども例示した。産経WEST
夜間の会場案内をロボットやAIに任せれば、AIを駆使した“常識を越えた”万博になるという発想自体がすでにちょっとどうなんでしょうか。記事を読んでいても羽生さんの見識とは違って、きっとこういうことなのだろうという万博イベントのイメージがまったく湧かないんですよね。単なるバズワードとしての「AI」に振り回されているだけに見えるような気がしてしかたありません。

長崎のハウステンボスにロボットが運営しているというテーマの「変なホテル」というのがありまして、人気を博しているのですが、これなども人間が大枠のテーマを構築しているからこそ周辺のロボットによる接待が持つ意味がはっきりしているのだろうなあと思うわけです。

やはり、AIという道具が持つ特性が織りなす向き不向きもしっかりと想定に入れたうえで、単なるスローガンでは終わらない何かを目指して万博でも技術投資でも行っていってほしいなあと願っております。