無縫地帯

新年早々「初詣にベビーカー」論争から2017年の社会問題を占う

子育て世代に社会は冷たいのか、混んでるところにベビーカーを乗り付ける親が悪いのか。初詣でベビーカーを禁じた神社を巡って、ネットで論争になっていました。

山本一郎です。子供が三人大騒ぎして今回も収拾がつかない新年を迎えましたが、皆さまは如何だったでしょうか。

さて、子育て世帯、とりわけ乳児から未就学児ぐらいまでを抱える家庭の大問題、ベビーカーと公共にまつわる話題が新年早々盛り上がっておりまして、言いたいことがたくさんある私としましても両論見て思案してしまうところであります。

結論から言うと、子供が一人だったころは、混雑しているところにベビーカーで行かざるを得ない経験から、「混んでるからベビーカーで来るなと言うのは日本は子育てのしにくい社会だ」と憤っておりました。しかしながら、子供が三人になり、7歳5歳3歳を抱えるいまは、子供三人を夫婦で連れ歩くにあたって、当たり前のように「これから行こうとしているところが混雑しているか」を重視し、混んでいるようであれば家族での外出を可能な限り控えるようになりました。自分たちも超大変だし、周囲も迷惑だろうし、何より子供たちがはぐれて迷子になるリスクが大きいと感じるからです。

「初詣ベビーカー論争」に感じる、相変わらず少子化一直線な社会の不寛容さについて(おときた駿公式サイト 17/1/3)

おそらくは、子育てに対して社会が不寛容なのではなくて、人混みに赤ちゃんを連れていくリスクを考えたときにベビーカーであるべきか、抱っこ紐かを合理的に考えてねということで考えれば、私は理解しやすいと思います。ごった返す神社などでは不要不急のモノでもない限りベビーカーであるべきではないし、もしもそういうベビーカーで乗り付けるタイプの人混みであれば、通常はベビーカー置き場が設置されたりしています。

問題は、なぜこの神社の対応が「Twitterで炎上めいた論争にまで発展したのか」であります。これが病院や駅、空港のような公共機関であればベビーカーで行かなければならない理由はあるかもしれませんが、初詣ですからねえ…デパートの初売りで大混雑の売り場にベビーカーに突っ込んできた母親にほかの女性たちが文句をつける現場を目撃したり、東京の交通事情を知らない外国人が通勤ラッシュの電車に子供を乗せたベビーカーで乗り込もうとして修羅場になったりするのは頻出しますが、このあたりは使い分けだと思うんですよ。

どうしようもない状況で、重たい子供を背負い続けられない、抱っこしていられないのでベビーカーを使う、それを子育て世代へ配慮として社会的に抱擁するのは、大変大事なことでしょう。子供の移動はマジで疲れるので、日常使いでベビーカーが容認されるレベルを引き上げるのは私は賛成です。

一方で、年末のアメ横とかコミケ開催中のゆりかもめなどで立ち往生しているベビーカーの夫婦とかを見ると、社会の不寛容というより保護者の想像力の欠如としか言いようがない状況になるわけです。

かくいう私も、自動車を出せないときにタクシー代ケチって地下鉄でベビーカー乗り込もうとして乗れなくて何本も見送って途方に暮れた経験を経て、自分や周囲のことを考えるとやっぱり空いている時間帯に無理なくベビーカーを使おうという気持ちになります。混んでいると予測されるところにはなるだけ子連れでいかない、ベビーカーを使わないという当たり前の発想ですね。それでも行かなければならない用事もあるので、そういうときのために、それまで使っていたあんまり折り畳めない三輪バギーから軽くて小さく畳める国産ベビーカーを外出用に買い、混雑する電車では子供を抱っこして畳んだベビーカーを手持ちして電車に乗る、電車に乗っている間はみんなも大変だろうから我慢する、という知恵や身のこなしにシフトするのです。

思い返すに「子育てに対して社会が不寛容だ」ということだけではなく、というか都合のよくないことは社会が悪いと騒いでも仕方がないので、社会に受け入れてもらえやすいように自分も配慮する、努力はする、そのうえで折り合えないほどどうしても大事なことは「どうにかしてよ」と声を上げるといったところなのかなあと。

同様に、電車内で居合わせた乗客が一番イラッとする子供の泣き声や騒ぎ方の問題は、子供が泣いたり騒いだりすることそのものではなく、それを見てあやしたり、騒ぐのを注意しない親の態度を見てみんなイライラするのだ、というアンケート結果を思い出しました。好き好んで混雑しているわけでも満員電車に乗っているわけでもないほかの人が、社会という言葉一くくりにして不寛容扱いされるのは理不尽です。みんな、仕方なくイライラしてる状況に身を置いているわけでね。だからこそ、「子育てしているから配慮しろ」と問題提起は必要の限りにおいてしつつも、迷惑をかけないで済むような一工夫をすれば丸く収まるんじゃないのかと思う次第でございます。

とはいえ、今年の年末ではありませんが、数年前の年末の大混雑新幹線で指定席通路にまで乗客が溢れているところで拙宅次男が防波堤となるオムツを乗り越えるほどの下痢便のくっさいのを大量に漏らして車内で心理的阿鼻叫喚を呼ぶ大異臭騒ぎを起こしたことがあります。咄嗟に手持ちのちり紙を大量にくださったご婦人がおられたので真の大惨事を逃れた経験がございまして、社会の寛容さを深く感じ入った次第です。その節は本当に申し訳ございませんでした。

今年も、読者の皆様におかれましては健康でより良い一年となりますよう、心から祈念しております。