無縫地帯

ネットの与太話に信頼性を判断するシステムを入れて大丈夫なのかという話

Facebookが世論に押される形でFacebookのタイムライン内に流れるガセ記事を排除するシステムを導入するにあたって、是非が議論されているので取り上げてみました。

山本一郎です。ネット古参時代の生き残りの一人です。

もはや古参ネット民でないと通じない言い回しの一つかもしれませんが、どうでもいいような話がネット上、とくに巨大掲示板などに書き込まれると「チラシの裏にでも書いておけ」と揶揄されたものです。

そうしたいわゆる“チラシの裏”がテクノロジー的に最適化された状態がいわゆるSNSのようなネットサービスだったりするわけですが、このSNS周辺にあふれるチラシの裏にでも書いておけばいいような与太話を真に受ける人々が増大するのは世界的な傾向にあるようです。ネット民だけで右往左往してる分には被害も少ないのでしょうが、ネット発の根拠希薄な噂話がそのまま商業メディアにまで波及してしまうことが最近は少なくなく、こうした事態を憂えてローマ法王までがコメントを発表しております。

ローマ法王がメディアに強い警告、「偽りの情報拡散は罪」(ロイター 16/12/8)

で、いまや「現代のチラシの裏」筆頭となるのがFacebookですが、でたらめな話を効率良くネット上で拡散しまくった結果、世界中から非難を浴びてしまい、渋々の体ではありますが怪しげな情報にフラグを付けるシステムの試験運用を開始したそうです。

フェイスブックが虚偽ニュース対策、「異論あり」表示で警告(ロイター 16/12/16)

インターネット交流サイト(SNS)最大手の米フェイスブック(FB)は15日、虚偽ニュースの拡散防止策を導入すると発表した。米大統領選期間中、問題に十分対処しなかったとの批判が強まる中、一転して取り組みに乗り出す。
(中略)
ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は数週間前、虚偽や誤解を招く記事がトランプ氏の勝利を後押ししたとの指摘に「ばかげている」と一蹴。だが、米国内外で保守派の目を引くためにセンセーショナルな記事が捏造(ねつぞう)されたとの報道もあり、批判が収まらなかった。ロイター
以前から「Facebookはテクノロジー企業であり、メディア企業ではない」と発言してきたザッカーバーグ氏としては、単なるチラシの裏でしかないFacebookにこうしたシステムを導入することにはかなり抵抗を感じていたようですね。しかし、世論の圧力には抗いきれなかったようです。

Facebook、虚偽ニュース対策でAPなど第三者の判定で投稿にフラグを立てるテストを開始(ITmedia 16/12/16)

Facebookは人々が公に発言する新しい種類のプラットフォームであり、それはわれわれに新しい種類の責任があるということだITmedia
個人的には、あくまでプラットフォームであるFacebookがメディアを事実上品評し検閲するようなシステムを導入することに難色を示すのは当然です。うっかり「システムを導入してガセネタ弾きます」と宣言して、そこから漏れたガセネタに責任を持たせられる可能性があるとするならば、事業上のリスクが大きいと判断するのも当然と言えます。

しかし、一方でFacebookはテクノロジーを駆使することで人々の感情を煽ることに最適化してきたという現実もあり、以下の論考記事ではそのあたりが指摘されています。

トランプ氏の勝利、ソーシャルメディアから見る現実との乖離が起きた理由(CNET Japan 16/12/19)

Facebookのフィードでは、個々のユーザーの嗜好に合わせたコンテンツが表示されるようになっている。プロフィールでの政治的志向や過去の「いいね」「共有」の履歴を基に、そのユーザーが気に入るであろうコンテンツがパーソナライズされる。つまり、右派ユーザのフィードには右派のニュース、左派には左派のニュースが流れるのだ。
(中略)
ニュースのソースも非常に偏った新興メディアやオピニオンサイトが多く、両派とも「見たいものだけを見ている」のであり、嘘のニュースによって左派(クリントン支持者)が右派(トランプ支持者)に寝返ったわけではないのである。CNET Japan
こうなると、どれだけSNS上で流布されるニュースの真偽について精査しようと、「見たいものだけを見る」ことを欲する読者は自分に都合の良い情報だけしか読まないのですから結果はあまり変わらないのかもしれません。

極端な例え話になりますが、2ちゃんねるのような掲示板においてネタ記事に「この記事は内容に虚偽の疑いがあります」というフラグがあったとしても、そこに集うネット民は虚偽だからこそ面白がって祭りになるという可能性もあります。また、その祭りネタが虚偽フラグを外された形で他へ拡散されてしまえば、もはやどうしようもありません。そういうチラシの裏の戯れ言に一々手間暇かけて信憑性を担保するような行為は徒労ばかりで思ったほどに期待される効果は望めないのではないかと懐疑的になってしまいます。もちろん、それでもやらないよりはましでいくらかはデマ拡散を防止できるということなんですが、どうも微妙に感じずはいられません。どうしたものなんでしょうか。