無縫地帯

乙武洋匡さんとガチで話してみたんですが、結局出馬するのかどうかは教えてくれませんでした

先日、乙武洋匡さんとガチで話す機会がありまして、いま騒がしくなっている乙武さん選挙出る話について突っ込んで聞いてみたんですけど、政治全般の話になってしまいました。面白かったのでお裾分け。

山本一郎です。山本太郎ではありません。

先日某所で乙武洋匡さんと私のメルマガや某業務でご一緒する機会があり、あれやこれやお話しまして「で、結局選挙に出るんすか」という興味本位の話をぶつけてみたんですけど微妙な雰囲気でしたのでご報告いたします。さすがに込み入った話を全編出しちゃうといろいろ差し障りがあるので、面白い部分を公開します。乙武さんが手がけるグリーンバード新宿の話題や、教育のことや子供たちの未来のことは現実の問題として結構ずっしりとくるものがあります。ご関心のある方は、乙武さんのオフィシャルサイトからぜひどうぞ。

乙武洋匡オフィシャルサイト

山本一郎『人間迷路』

というわけで、以下本題。

◇はじめに

山本:イタリアンレストラン問題で燃えてるとこすいません。

乙武:何年前の話を蒸し返すんですか(笑)。あれはさすがにもう炭になってますよ。

山本:そうでしたか…感無量です。ところで、最近乙武さんの話題が絶えません。ある大正義政党の元副幹事長が「乙武さんが候補者に加わるだけで、竹中平蔵のときの倍にあたる120万ほどの比例票が座っていても入るのだから、どうしても必要。ほかにとられることだけは避けたい」とかいうアタック25みたいなことを言ってましたよ。

乙武:『アタック25』って、いつのまにか司会が谷原章介さんになっていたんですね。やっぱり、児玉清さんのイメージが強いなあ。独特のトーンで「アタックチャーンス」と言う姿が浮かんできますもん。

山本:複数球団から指名される大物ルーキーみたいになってきました。

乙武:山本さんご贔屓のヤクルトは高山俊(明大)を外したのが痛かったですね。「1番・センター」あたりを任せたかったんでしょうけれど…。高橋純平(県岐阜商高)はもっと重複するかと思いましたが、最後の夏に甲子園を逃したこともあり、3球団止まりでしたね。

山本:夏はダブル選挙かもしれないねとか言ってたりタイミング的にいろいろアレですが、東京都の教育委員会のポストも、任期途中ですがお辞めになられたということで、あれやこれや噂がでておりますね。

乙武:まあ、選挙のたびにあれこれと憶測記事を書かれるのは、もう慣れっこです(笑)。でも、ただ知名度があるだけで、何の実績も残していない私にこれだけ評価をしていただいたり、注目していただいたり、なんだか恐縮してしまいますね。ありがたいかぎりです。



◇湯浅誠と津田大介の立場が入れ替わった

山本:一方、社民党は津田大介を担ぐのかと思いきや、不思議系の暴言活動家が東京選挙区で立候補指名され、きわめて不思議な事態となりましたね。乙武さんもいろんな人から「選挙に出てくれ」と言われて悩まれたりはしますか。

乙武:そうですねえ。被選挙権を得てから14年くらい経つんですけど、昔からちらほらとそういう話はいただいていまして。もう選挙のたびに周辺が騒がしくなるのがデフォルトになってきているので、自分としては「乙武が選挙に出る」という話を書き立てられても、特に「驚き」というものはありません。ただ最近は、そういった記事がネットで拡散されるようになったので、一応、憶測でおかしな噂を立てられないように、その時々の状況については、こちらからも発信していかなければいけないのかなと思っています。

山本:去年の対談でも少しその話をさせていただきましたけど、どうしても乙武さんはやっぱり選挙に出ることを求められていると思いますよ。あるいは「津田大介、出ろ!」という話もありましたけど。

【対談】乙武洋匡×山本一郎自分の人生を使って、どんな絵を描くか(1)(夜間飛行プレタポルテ 14/7/28)

乙武:津田さんは最近、かなりご自身のスタンスを明確に出されるようになりましたよね。今までは透けては見えるものの、一応は「中立」的な立場から、もろもろの状況を世間に伝えるという立場を取ってこられたじゃないですか。でも最近はかなりご自身の思想を鮮明に出されるようになった。

山本:彼とは、メールでもたまにやり取りするんです。津田さんからのメールはだいたい「俺をいじるな」というごもっともなクレームなんですが(笑)。彼が私のことを鬱陶しく思う気持ちはもちろんわかりますけど、でも彼が表に出た瞬間、私はいじりますし、面白がります。これも私にとってはヲチャーとして譲れないところなんで。まあ、それはいいとして、津田さんが目に見えてスタンスを変えてきたというのは、彼自身、このタイミングで自分の思想を前面に打ち出していくという「決意」をしたということじゃないかなと思うんです。ご自身のメディアであるポリタスでも、多様な記事というよりも、津田さんの信じる思想と親和性のある記事が選択的に掲載されていると思います。アリバイ的に準備されている記事もありますが、安倍政権批判を行うデモも応援するという立場を明らかにしている。

それは、誰に流されるということもなく、彼本人が決めて動いているわけですから、非常に立派なことだし、否定するつもりもありません。ただ、今までの津田さんを見て支援してきた周りの人としては、相当な混乱をしているようにも見えますね。そのことについて津田さんがどう思っているのかというのが、あまりよく分からないんです。津田さんは、ウェブの世界では先進者ですけど、政治活動・社会活動の世界では違います。右も左もいろいろな方が先行して活動していて、津田さん一人で目立つことのできる場所じゃない。もう少しゆっくりと周囲の人と連携して、活動範囲を広げていけばよかったのにと、私なんかは考えています。

乙武:津田さんはすごく稀有なポジションで活動をされていたと思うので、よほどのご決断があったのか、さすがに腹に据えかねた部分があったのか。そういう意味では、湯浅誠さんと津田大介さんのポジションが、いつの間にか入れ替わったような印象がありますね。

山本:そうですね。湯浅さんはものすごく落ちつかれました。彼自身、政府の仕事をする中で、理想と現実との差異を目の当たりにしたと思うんです。別に政府の中に「悪」がいるわけでもない。けれども、自分の理想とする世界がすぐに実現できるわけでもない。この社会は、世代や住んでいる場所、収入その他によって、それぞれ立場が違う人が自分の生活を守るために必死になって押し合いへし合いしているわけで、そう簡単にみんな幸せにすることは難しいことが、誰よりも鮮明に見えてしまった。

でもそこで、自暴自棄になるわけでも、理想を捨てるわけでもなく、自分にできることを淡々とやるという方向に舵を切られた。これは、相当に大変な決断だったと思います。


◇冷静な人たちが、さらに興味を無くしてしまった

乙武:私としては、政治的立場を「真右」「やや右」「やや左」「真左」と4つに分類したとして、「やや右」と「やや左」の勢力が力をもって、建設的な議論をしていくのが理想的な環境のように思うんです。でも、311以降、原発関係や安保の問題を経る中で、「やや右」あるいは「やや左」と思われていた人が、どんどん「真右」や「真左」に寄っていってしまって、まともな議論が行われず、不毛な戦いになっていったように思います。

山本:まさに極論VS.極論みたいな状況ですね。

乙武:そうなんですよ。「お互いにとって妥協できる着地点を探そう」とか、「不満の残る人はいるかもしれないけれど、社会全体にとってとりあえずベターな状況はどういったものなのだろうか」といった議論ではなく、「どちらに正義があるのか」という本当に不毛な話になってしまった。この数ヶ月のそうした状況には、正直、「議論ではなく、ただのケンカだな」と冷ややかに見ていました。

山本:乙武さんの周りには、どちらかというとリベラルの人たちが多くいると思うんですけど、これからの活力ある活動家のグループはいろいろ注目されました。その中でも、乙武さんはシールズ(SEALDs)に対してのシンパシーはあったんですか?

乙武:若者が社会問題や政治に関心を持ち、声を上げるようになったということに関しては、非常に肯定的に捉えています。しかし、世間的な注目を集めるうちに本人たちも高揚感に煽られたのか、発言内容が比較的ロジカルなものからエキセントリックなものへと移行していった。安倍首相に対するヘイトスピーチとも捉えられかねない発言は、はたして本当に彼らが目指すところだったのか。彼らの伝えたかった内容や抱いていた危機意識はわからないでもないですが、終盤になって、少し戦術を誤ったのかなという印象は否めません。

山本:なるほど。実は、私のように「やや右」の人間から見ても、シールズの主張したかったことはわかるんです。実際に「中の人」と対談して、自分にもシールズに共感する部分ははっきりとありました。例えば、確かに、今の政治は若者の意見がしっかりと反映されていない状況です。自分が政治的に抑圧されているという知覚はある。敏感な人ほど、日本の若い人には将来があまり約束されていないことを知っているのです。それに気づいて政治主張しようにも、そもそも政治参加する余地がない。こうしたことは、日本政治が反省すべき点で、そこについて若者自身が主張するのは、すごく意味があることだと思っています。デモのやり方はともかく、「声を上げて政治への関心を表に出す」ということ自体は、これからもどんどん取り組んでいってもらいたいと思っているんです。

ただ、そこに「真左」の人が入ってきたことで、話がおかしな方向にいってしまった。安保時代の活動にノスタルジーを感じるおじいちゃんがどんどん集まってきて、いわゆる往年の「反権力的闘争」みたいになったのは、本当に残念だったと思っています。もちろんおじいちゃん達のことを考えれば、豊かで張り合いのある老後の一形態として、そういう活動に精を出すのもいいんでしょうけれど、そうであるならばあくまで「老後の楽しみ」として終わってもらわないと正直きついと思います。下手をすると、シールズにとって、若い人の暗い未来を作り上げてしまった「戦犯」は、この年老いた左翼だという議論さえも成立しかねません。なんというか、両極に行ってしまった人たちが真ん中の風景をすっとばして石を投げ合っている状態をもって、「これが政治だ。これこそが真の政治活動だ」と言われてしまうと、むしろ市民運動に対する幻滅が広がっていって、もともと少ない若者の発言機会がさらに減ることにつながる気がするんです。

数字で見ると、政治的立場が極右、極左という人は本当にマイノリティなんです。安保法制関連以前から、政策風向き調査をあれこれやってますが、どんなトピックスにおいても民族主義的な極右は4%弱くらいで、日本政府に反対し中国韓国に肩入れする反権力的な極左は7%くらいしかいない。ここは、硬い層なので、どんな調査でもだいたい同じような「コア層」を形成します。でも、ここの人たちはとにかく声が大きいし、一方にはWILLや産経、SAPIO(小学館)とか、一方には朝日や毎日、web媒体ではli-teraなど、しっかりとした大手メディアやウェブでの発信力のある媒体がくっつくことで、健全な議論もありつつも、彼らの極端な意見が日本を二つにわけている主要な意見であるように、錯覚されてきている。単なる極論のぶつかり合いが、あたかも重要な議論であるように、思われてきているわけですよ。これはまずいですよね。

乙武:極論同士のぶつかり合いは、派手だし耳目を集める。ただ、そこが「政策論争の主戦場」に見えてしまうのは一番恐ろしいところです。現実的な政策論争には絶対にならない。

山本:極論が力を持つとまずいのは、乙武さんのおっしゃるような是々非々の議論ができなくなるからです。とにかく議論が雑になる。例えば、集団的自衛権にしても、「駆けつけ警護」は必要だと考えている人はいるはずです。アルジェリアで日揮のプラントが攻撃されて日本人が10名亡くなった事件を受けて、「駆けつけ警護が必要だ」と考える人はたくさんいる。ISIL(イスラム国)でも湯川さん後藤さんが殺された件がそう。私だって、ロシアやカザフスタン出張していると怖いもの。日本政府はなぜ彼らを救えなかったのか、情報をなぜ取っていなかったのか、という話になります。でも、その人たちが同じ口で「安保法案、絶対反対!」「賛成議員は辞めさせろ!」とか叫んだりしているわけです。これはちょっと寂しい話ですよね。そもそも、情報部門がイスラム圏に入ってテロ情報を取るところでさえ、なかなか充分な活動支援ができません。「駆けつけ警護」といっても、先方の国にも主権があるのだから、日本の法律の改正だけの問題ですらなく、日本の都合だけで自衛隊を送り込むわけにはいかない。でも集団的自衛権があれば、紛争国と日本双方にとって、ギリギリの落としどころになるかもしれない・・・といった可能性を模索する議論が全部すっ飛ばされて、「とにかく違憲なものだからダメだ!」という話になってしまう。

もちろん、違憲だとする主張は理解できます。そのうえで、本来の政治というのは、「どこまでが憲法に抵触しないか」を見極めながら、自国そして他国の現状と合わせて、是々非々の議論をしながら、少しずつ折り合わせていくものですよね。それが今は、すぐに「全部ダメ」か「絶対通せ」といった単純化された話になってしまった。

数字から見ると、「デモの後に、安倍政権の支持率はデモ前まで回復してしまった」んです。これは反対の人たちにとっては残念だけど、事実です。つまり、反自民・安倍政権に否定的な人たちがデモに参加して盛り上がっただけで、穏やかに批判的な目を向けている人や、穏やかな支持をしていた人は、ほとんど彼らの過激な活動やデモ、主張に興味を持たなかったことが、数字から読み取れます。ただ無視されただけならいいのですが、一連の騒動を受けて、日本の主流であり、もっとも政治に興味を持ち、積極的に議論に参加してもらわなければいけない「やや右」の人も「やや左」の人も、政治に対してこれまで以上に冷たい目を向けるようになってしまったようにも見えます。


◇戦術としては理解できるけれど

乙武:世の中をなんとかしたいと思っている人にも二パターンいると思うんです。一つは、「革命を起こせる」と思っているタイプの人間です。自分たちなりの価値観で新しいOSを作って、それを今の世の中にインストールすればいいんじゃないかと考えている人たちですね。家入一真さんとかが代表的だと思いますけど、あたりは、そういうタイプかもしれない。もう一方が、OSをまるごと入れ替えるのではなく、今のOSをちょっとずつマシなほうにアップデートしていくほうが、現実的かつ結局は近道だよねと思っている人間です。多分若い人たちにも、この二タイプがいるんだと思うんですよ。私は普段から学生たちとの勉強会を定期的に開催しているのですが、彼らの多くは後者でしたね。ですから、彼らはデモとはある程度距離を取っていた印象です。

山本:なるほど、ここでまさかの家入さん。彼とは何度かイベントで一緒になったり対談までやっているんですが、思った以上に懐の広い人なんですよね。期待したい気持ちは私にもあります。ただ、いつも帽子を被っていて、ムレて禿げないといいなと思います。

studygiftは「もったいなかった」―やまもといちろう×家入一真対談【前編】(BLOGOS 12/10/6)

一方で、デモに参加していた人たちも、それぞれが強い意志を持って、「革命を起こそう」と考えていたわけでもない気がします。ある種の集団心理みたいなものが働いて、彼ら自身が彼ら自身に酔っていたところもあったはずです。自己陶酔的な感覚が、集団心理と相まって「俺たちはすごいんだ」と勘違いしてしまった。どのタイミングで冷静になれるのかなと見ていたんですけど、最後まで冷静にはなれませんでしたね。

乙武:ただ、それも無理はないように思います。「何かを成し遂げてやろう」という高い理想を持っていたというより、本当にごく普通の学生たちが「民主主義ってなんなの?」という素朴な疑問から始めた活動がいつのまにかテレビにも取り上げられて、国民全体から注目をされるような扱いになったわけですから、高揚感を抱くのも当然だと思う。実際、初期の頃は、自分たちとは意見の違う人に対してももう少し冷静な話し合いができていたけれども、後半は罵倒するまでに先鋭化してしまった。これは私自身の経験からもよく理解できるのですが(笑)、注目を浴びたことによる高揚感から、もっと目立ってやろうと考えてしまった結果のように思います。途中から、せっかく「大人」たちが彼らと活動をともにしたわけだから、本来なら「大人」たちが彼らに対して冷静になるようにアドバイスすべきだったのに、一層煽り立てていたのは、残念でした。

山本:まあ、意見が違う人に対して口汚く罵るというのは、私もよくやるので共感できるわけですけど(笑)。「バーカ」「お前こそバーカ」とやりあうのは、実に気持ちのよいものです。ただ、主張もスローガンもシンプルにしていったのは、あきらかに彼らの理念で動いたというより、「活動」を効果的にするための戦術ですよね。一人でも多くの人が自分たちの旗のもとに集まれるようにわかりやすい言葉を使おうと考えたはずですし、既存の政党や政治団体やマスコミが乗っかりだしたので、それらからの支持を集めるために、わかりやすい切り口を用意した。「戦争法案反対!」のスローガンを立てたのも、共産党などの既存政党の活動に乗っかりたかっただけのように思います。そもそも集団的自衛権についての法律は、「戦争法案」ではないですからね。憲法違反かどうかについても、憲法に抵触する可能性があるかもしれないといったものでしかなくて、法律もあがっていないのに、「憲法違反だ」と叫ぶのは、本来はおかしいわけです。もしおかしなところがあれば、法律を修正していけばいいだけですから。ただ、そうしたことを細かく議論しているようでは、彼らとしても自分たちの活動を大きなものにしていくことができない、ということで、シンプルに「戦争法案反対!」に舵を切ったのは、戦術としては理解できます。

◇デモクラシーではなく、デモンストレーション

乙武:基本的にデモというのは、デモクラシーの「デモ」ではなくて、デモンストレーションの「デモ」なわけですよ。示威行為です。ある法案や理念に対して、「俺らはこう思っているよ」「私たちの意見はこうだよ」というのをあくまで示す行為ですよね。それが良い悪いではなくて、デモというのは、それ以上でもそれ以下でもないものだと考えているんです。

そういう視点から見ると、脳科学者の茂木健一郎さんや憲法学者の小林節さんがデモに参加されるのはまったく問題ないんですけど、バッジをつけている人が参加する姿には違和感を覚えました。野党議員がデモに参加したことで、私には彼らが「自分たちは国会での論戦をあきらめました。国会ではかないません」と白旗上げているようにしか見えなくて、一人の有権者として悲しい気持ちになりました。

山本:ある種の欺瞞もあるのかなと思いますが、デモに参加していいのは共産党までですよね。共産党は良い意味で政権を取る気がありませんから、あそこはある意味で仕方がない。もっとも、最近党名変えるぞとか、少し色気が出てきたみたいですけど。ただ、民主党が行くのは筋が違うし、「真左」に迎合しすぎだとされて、結局、より票数の多い「やや左」の人からの支持を落とすことになったと思います。もちろん民主党が野党として自民党に反対するのは当然ですよ。でも、やり方もタイミングもセンスが悪かった。

そこで、民主党は「真左」「極左」の7%を取りにいってしまった。マイルドな反対者がたくさんいたのに。反対は反対だけれども、合憲な部分に関しては容認する、もしくは手続論としてきちんと憲法改正が踏まえられているのであれば賛成する、という人が20数%もいた。このあたり人がマイルドな左のコアなんですよ。彼らは「強引なのは嫌だ」という感覚を持っているので、強行採決も嫌がりますが、デモも嫌がる。どうせ敵いっこないデモに、平日昼間から身を投じる連中は暇人だと思っているわけです。本来は民主党は、この「やや左」層をしっかり取り込まなければいけないのに、「真左」の人に迎合した結果、そっぽを向かれてしまったのは、単純に政治戦略としてもったいなかったと思います。

(おわり)

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この対談の続きは私のメルマガで掲載しますが、この「日本の政治に何を期待して議員になるのか」や「政治が果たすべき本来の役割はなんだったのか」という結構プリミティブなところに乙武さんが繰り返し言及されたあたりはとても興味深かったです。単に票が取れるからではなく、自分の理想とする政治と、直面している現実をうまくすり合わせていこうという部分はまったく同感です。