無縫地帯

『GQ』でボツになった「五輪エンブレム」佐野研二郎さんのネット炎上関連の原稿と経緯について

例の五輪エンブレム問題で佐野さんの件について雑誌『GQ』から受けたインタビュー内容がボツになりまして、本文をそのままネットに掲載して良いというご承認が得られましたのでここにボツ原稿を掲載いたします。

山本一郎です。身の回りでいろんなことが起きておりまして、退屈することのない刺激的な日々を送っております。

ところで、先日コンデナストの「GQ」という雑誌に原稿の依頼を頂戴したんですが、入稿までに日が無いのでお断りする寸前に知人のライターが立って担当編集さんから聞かれたことに答えるというインタビューを文字起こしする喋り書きで良いのでという話になって、それならということで某東北地方に出張する前の小一時間を無理やり空けてインタビューを受け、記事ができたわけです。

しかしながら、その原稿をご覧になった「GQ」の鈴木正文編集長がどうも「言い逃れのハウツー」であり「この内容は卑怯だ」ということで掲載を見送りたいという話になったと担当編集さんから伝えられるという事態になりました。

さすがに「なんだそれは」という話になり、「この私が訊かれたことを素直に答えた内容が卑怯だといいたいのですかーっ(震え声)」ということであって、少しすったもんだした挙句、当の鈴木正文編集長から「他誌や私的メディアで本件経緯を含む言論を発表することも妨げてはいけない」とご判断があったとのことで、鈴木編集長のご理解も得られたということでせっかくですので字数の都合で割愛していた内容を添削した原稿を以下に掲載したいと思います。ご承認いただき、ありがとうございました。

念のために付け加えるならば、今回の佐野さんの炎上劇についていうならば、メカニズム自体はとてもオーソドックスな経緯を辿っています。別に物凄く特別な何かがあったというわけではないと思います。ただ、今回の佐野さんはタフな人でしたからそれほど心配要らないかもしれませんが、人生時間をかけて積み上げてきた実績や名声が、ネットでの炎上において言いがかりも事実もひっくるめて人格ごと否定されて自殺者でも出ようものなら今度は「ネット炎上に対するやりすぎ批判」だけでなく、文字通り炎上に乗せられてガセネタ流した奴とかガセネタまとめて拡散した奴などが次々と訴えられることはあり得ると思います。

その辺は、炎上が楽しいのはわかるけどやり過ぎないようにね、と「お前が言うな」感満喫の但し書きを冒頭に述べておきたいと思うわけであります。自戒ですよ自戒。

それまでに、ヤフーニュース個人などに寄稿したものもついでにリンクを置いておきます。

佐野研二郎さんのエンブレム問題の先にあるもの(ヤフーニュース個人山本一郎15/9/1)

オリンピックエンブレムのデザインに剽窃は無かったであろうと判断するに十分足る論考を読んで(ヤフーニュース個人山本一郎15/9/7)

というわけで、以下本文。

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投資家として、またはブロガーとして、炎上を見物にいくこともあれば、幾度かの炎上も経験した。自分で「おかしい」と思うことがあれば、問題意識を明らかにし事実関係を調べウェブに書いて知ってもらおうと考える。炎上はネット特有の摂理であって、良いものとも悪いものともいえない。自分の例で言えば10年ほど前、自分が手がける投資ファンドについて、「山本のファンドは実在するのか?」と騒がれたことがある。投資ファンドの具体的な中身など、別に利害関係者でもない人に公開する義務はない。適当にあしらっていたところ、本当に運用しているのかと言われ続け、3ヶ月ほど燃えたわけだ。説明を尽くしても、素人の思い込みで疑いにかかっている人々を納得させることはできない。

炎上させる側は、ネット上で騒ぎ、嫌がらせをしていれば公私ともに困るだろうと考えるようだが、実際にきちんと仕事に取り組み実績があって利益を上げていれば、外野が何を言おうが取引先との関係はそれほど悪化しないものだ。実際、疑いをかけられた当時の投資家と共に、満期を迎えたファンドは収益を上げて分配金を出し、再組成されていまなお運用されている。自分としても、炎上を経験したからこそそのメカニズムについていつでも冷静になれるし、燃やされた側の心理もかなり理解できるようになった。

なぜこんな話をしたのかと言うと、五輪エンブレムの盗作・模倣疑惑で佐野研二郎氏がネットで炎上するという事件がまだ騒がれ続けており、感じることは多々ある。佐野氏の対応の是非、炎上したときの具体的な対策、そして今後のネットの言論と炎上の行く末を考察してみたい。

まずは佐野氏の対応について。一般的な炎上の場合、叩く側だけでなく、叩かれる側を擁護する支持者が一定数はいる。佐野氏の場合、当初ネットに対するカウンター勢力は仲間内である広告業界やデザイン業界の面々だった。しかし、そうした"業界人"たちは最初こそ佐野氏を擁護したものの、問題の経過とともに風向きがおかしくなり、どんどん掌を返していった。何より、実際にネット上にあった画像を流用したと思しきトートバッグがネットでパクリの確定情報とされると、その前の謝罪会見で佐野氏が釈明した「剽窃はありません」という内容が嘘だったことになってしまう。そうなると、エンブレム問題で擁護していたプロたちも、さすがに批判サイドに転向せざるを得なくなってしまう。そんな"転向"が、叩く側だけでなく、炎上を見ているだけの人々にまで「佐野研二郎は袋叩きにしてもいいんだ」というシグナルを送ってしまったことになる。頼んでもいない援軍が矛を向ける先を変えただけで、エンブレム問題のネットでの取り扱われ方が大きく変わったのだ。

本来なら商用ロゴなどにまで疑惑が延焼した時点でもっときちんと謝罪するべきだったのだが、佐野氏サイドは「部下がやりました」と釈明してしまったのは課題を残した。事実はそうなのかもしれないが、マネジメントとしてもダメージコントロールとしても、最悪の一手だった。「部下の作品を監修したのは佐野研二郎、あなたではないか」と、誰もが思うだろう。「本人の所業を説明するはずが、部下に責任を押し付けている」と見られては、炎上が収まるはずはない。
一般的に言って、速やかな消火のためには「かなり早い段階で謝罪する」ことが肝要だ。お詫びの仕方も「パクりました、すみません」と模倣・盗作ついて謝罪するのではなく、「お騒がせしてすみません」と、世間を騒がせたこと、関係者に迷惑をかけたことについて謝罪するほうが良い。それなら説明も関係者に向けての内容になり、理解できない外野は分からなくても仕方がないが、プロとしてプロに説明するという体裁を取り繕うことはできるからだ。一通りの謝罪がきちんとなされていれば「そういう議論があったんだね」という認知にしかならず、そんな謝罪でも対外的には謝ったことにはなる。
一方で、初手の有力な方法として「徹底的に無視する」ことも採用し得る。この場合は、その件に一切触れない心構えが必要で、炎上の規模の見極めが重要だ。騒ぎが大きくなりすぎると、謝罪が遅れることで取り返しのつかない話になりやすいが、一方で今回の佐野氏のように謝罪自体がネットでの炎上に対する"燃料"となることもある。逆に言えば、燃料が無ければ炎上は物件を焼き尽くし、収束に向かう。無視し、静かにするということは、燃えるものが燃え尽きることを促し、結果として鎮火は早い。ただし、問題が起きて釈明が無ければ、関係者の界隈はその誠実さを疑う。このあたりは機微がむつかしい。
鎮火を促す最後の方法は、ネットで騒ぐ連中を次々と訴えること。行き過ぎた、間違った情報を元に話題を炊きつけている人物を特定し、徹底的に、すべて訴えていくのだ。ネットでの炎上に絞るならば、誰がどういう書き込みをして、それらがどのように連鎖した結果、この問題のクラスター(特定の興味関心事)が形成されたのかは調べればそれほど時間をかけずに全容は分かる。今回の件で言えば、蓋を開けてみれば、定期的に騒いでいるのはせいぜい60人だ。であれば、その内で不確かな推測を元に過剰な言説を繰り返している人間を15人ほど特定し、名誉毀損だ、営業妨害だと訴えれば、だいたいの事柄においては一気に沈静化させられるし、今回も佐野氏はそのようにするほか方法はないだろう。
今後、ネットの言論空間はますます過激化していく可能性もある。炎上の質を比較しても、オリンピック関連のように皆が面白がって騒ぐようになった分だけ、より救いは無くなってきた。数年前までは一般人が暑い夏の日にコンビニのアイスの入った冷蔵ケースに入って涼を取ったり、回転寿司チェーンの醤油差しの先を鼻の穴に入れるなどの悪ふざけの様子をブログやツイッターに載せて炎上していた。それが昨年頃から傾向が変わり、メディアが持ち上げた著名人が炎上を機に転落していく事例が増えている。佐野氏だけでなく、佐村河内守氏、小保方晴子氏と、この傾向には拍車がかかり、次々と名前が挙がるだろう。
劇場型の炎上が増えていく中で、もし"健全な炎上"があるのだとしたら──それは"公論"として考えるべきだ。
例えば、2020年東京五輪・パラリンピックの組織委員会会長で、元首相の森喜朗氏は、新国立競技場の建設をめぐって「国がたった2500億円くらい出せなかったのかね」と発言した。森氏はかねてから失言が多く、ネットユーザーの多くは「あぁ、またか」と失笑するだけで終わった。しかし、本当にそれでいいのだろうか?もし、森氏が会長にふさわしくないと考えるのなら、笑うだけでなく彼の発言の背景こそきちんと検証しなければいけない。穿った見方かもしれないが、森氏の発言は7月17日、その前日の16日には安全保障関連法案が衆院本会議で可決されているのも見逃せない。確かに佐野氏は悪かったし、やらかした事情を暴いて糾弾することも大事な一方、それが行われたオリンピックの組織委員会はどういう構造であったのか、さらにはそういう事情を成立足らしめる広告業界、デザイン業界に通弊はないのかということもまた、考えなければならないわけだ。
誰が出来レースのようなコンペを作り、彼を神輿として担ぎ、賞を獲らせ、彼のエンブレムで五輪をやろうとしたのか。このことを、本当は検証しないといけない。佐野氏もおかしいが、選考委員も変だし、五輪組織委員会も怪しい。そこにこそ、本来"炎上"するべきものがあるかもしれないのだ。佐野氏一人に問題を叩きつけるだけでなく、問題の原因となったそもそもの仕組みを発掘し「正しく」騒がなければならない。ネットの集合知は素晴らしい力を発揮する分、周辺で見る側もきちんと全体を俯瞰するべきだろう。
(了)