無縫地帯

勝利目標を他人と同じに設定するプレイヤー同士は助け合うことはできない

ブロガー界隈で話題となっていた伊賀泰代女史のエントリーを足がかりに、普段私自身が考えていることを取りまとめ直して皆さまにぶつけてみる記事を書いてみました。キャリアとマネジメント、ビジネスモデルです。

やまもといちろうです。きょうは子供たちを連れて遊園地にいってきました。昼間に遊園地で盛大に昼寝しやがったため、ようやく寝たのは22時30分でした。せっかく疲れてもらって早寝させようと思ったのに逆効果じゃねえかちくしょう。

ところで、ネットでの著名人で伊賀泰代女史というのがいらっしゃいまして、荻上チキという名前で論述活動をされているようなのですが、彼女のブログ(はてな)が好きで、よく読んでいます。

自分の強みを活かすというアホらしい発想

議論としては非常に興味深く、いろんな気づきがあるだけでなくて、最近いろんなことが身の回りに起きましたので、何度も読み返しております。といっても、それほど長い文章ではなく、エッセンスは簡潔なのですぐ読めると思います。

そのカウンターとして、私自身が考えていることを他のネタを交えつつ、自分のブログにも書きました。

ちきりん女史の釣果を妄想しつつ2歳になった次男の写真を晒す雑記

ブログでは、ちょっとシニカルに書きましたけれども、私個人としては伊賀女史の言わんとすることはよく分かっているつもりです。しいて言えば、マーケットイン、プロダクトアウトという昔からの議論の延長線上で考えるのであったとしても、個人的には企業や個人のスキル、風土、性格による強みはマーケットからの期待と矛盾するものではないし、またマーケットは必ずしも具体的にやりたいこと、欲しいものを教えてくれるわけではないので、企業はその意思決定の中で「自分が強い中でマーケットに受け入れてもらえるのは何か」という感じで市場との対話をするのが普通でもあると思っています。

自分がやったことのない、弱いところにチャレンジし、投資をするのは、失敗の確率が高いだけでなく、成功しうる仕事に取り組む時間を犠牲にすることとなります。両立しない状況で、どのように身を処すか、どう限りある資源を配分するかは、誰もが悩み考えるところだと思うのですね。

で、表題なんですけれども、命題として勝利条件が固定化されてしまうと、異なる強みを束ねることが困難だよね、という話をずっと考えていまして。というのも、私のおります投資業界では、当然のことですが誰もがフェアな市場における投資収益の拡大を目指すという、分かりやすくも実現は簡単ではない競争がベースとなっています。私は私の資金を運用する形でやっているので投資に失敗をしたとしても誰の責任にもなりませんが、お勤めになっている金融マンではそう簡単に割り切れるものではありません。投資損はすなわち自己評価の低下でサラリーに響くだけでなく、場合によっては一か月分の手当てだけ貰って即日解雇となり得ます。

少しスコープを広げると、同じ投資分野でも事業系投資の世界では、金融マンが起業家と一緒になって新規ビジネスの立ち上げに取り組んだり、製作委員会の中心にいて各種事業者の権利調整をしたりしています。同じ収益性を目指す業界であっても、そこで働いている人たちの顔つきや切迫感がまったく違うのです。前者は、もう文字通り秒刻みでディールの内容について調整を行うトレーダーとして市場に張り付いたり、アルゴリズムの微調整をしていて寝る間もなく働き、投資銀行家もあまり暇な人を見ません。彼らとパワーランチをしても、貧乏ゆすりをしながらスマホか何かでエクゼクティブサマリーを見ながら私と喋りながらランチを食っている感じで、人間らしい生活をしていないんですね。もちろん、当たれば相応に稼げるし、数年猛烈に働いて、40前に億のキャッシュを手にしてリタイヤして欧州旅行三昧…というゴールを描く人もいます。そして、外れた人は投資成績は運悪く振るわず、会社を放り出されたり体調を崩したりして業界にいられないという状態になるわけですけれども。そういう勝者と敗者がはっきりしている世界は、みな同じ目標に直線で走っているからなのでありましょう。

一方で、そこまで瞬間的な稼ぎはないけれども、後者のように金融のスキルはワンオブゼムで、営業や技術といったほかの強みを持つ人たちとマネージメントをしながら上を目指して頑張っていく働き方に身を捧げる金融マンもおります。こっちの世界では、前者と違って金融マンは他で働く金融マンとの積極的な協力を模索しながら成果を出していくことが求められます。相手を出し抜くための情報活用というよりは、相手と自社や製作委員会がより良い収益機会を構築するために情報が不可欠という意味になってきます。逆に、情報を独り占めしたところで、金融マン一人では何もできませんので、抱えた情報と一緒に沈んでしまうわけですね。近い将来やりたい映画やアニメの版権情報を抱えていても誰からも投資を得られなければ版権獲得のために使った資金は寝てしまい金利分は確実に損をするし、時間も無駄になるということでもあります。また、日本国内の最新のトレンドを日本国内でぐるぐる回していても然程の収益を生まないと思ったら、欧米や東南アジア向けにどんどこ発信していく必要が出てきて、そうなると海外にいる金融マンを窓口にいかに収益性を高める工夫ができるかが勝負になるわけです。

ここで、伊賀女史が否定していた立論に興味が俄然湧くわけですが…。

供給者視点:自社の持つ圧倒的に優れた技術を活かして、商品開発!

消費者視点:消費者が熱狂するほど欲しがるものを、世界中から他者の技術を集めてでも開発!自分の強みを活かすというアホらしい発想
これ、難しいんですよ。金融のスキルで頑張ってきた人が、その金融スキル一丁で「消費者が熱狂するほど欲しがるもの」って言われると、それはもうライフネット生命ですよ。これはもう、出口治明さんの世界ですわね。あるいは、ジブリの鈴木敏夫さんとかです。目標としては成立するけど、手の届くところにいる人じゃないような気がします。そういう方面を頂点に、己の才能を燃やして頑張っていきたい、とは確かに思うんですけれども、空高い意欲と地面を踏みしめている足の裏には結構な距離があります。っていうか、それが現実です。なので、やっぱりある程度は自身の強みが集団においてどう活かせるのか考えながら、一方で「何を書いたらおもしろいかな!?」という伊賀女史の問題意識ってのも踏まえつつ仕事を段取りせねばならんと思うのです。

やっぱり、正直「分からない」んですよ。もちろん、取り組んでみたらうまくいったので、それが強みになった、というのはあるかもしれませんし、素養としてあるので毎日勉強を続けていたらいつの間にかそれが強みになっていた、というのはあるかもしれませんが。でもキャリアってそういうものだと思うし、ビジネスモデルとの落差を考えたときに、結構悲観してしまうんだよなあ…。

あんまり考えすぎると「私ってば何のために生きているんだっけ」とか深淵な問題に立ち入ってしまいそうなので、この辺にしておきます。