無縫地帯

猫も杓子も「マイルドヤンキー」で熱く語る時代のようです

現代の地方在住低学歴層に新たな「マイルドヤンキー」なるラベルが開発されたようです。意外と便利なこの言葉、果たしてどこまで定着するのでしょうか。

山本一郎です。マイルドでもヤンキーでもありません。

そして突如、日本のネット論壇が挙って「マイルドヤンキー」なる言葉に夢中な状態のようです。

新保守「マイルドヤンキー」に注目(web R25 2014/3/6)
未来の消費のあり方を左右する?「マイルドヤンキー」について知る(2014/3/14)
マイルドヤンキー賞賛とその先にあるもの、、、(アメリカ/米国不動産投資日記 2014/3/20)
『マイルドヤンキー』の楽観と悲観/奥深いヤンキー問題(Huffington Post 2014/3/24)
「マイルドヤンキー」という言葉があぶり出した日本の階層(日経ビジネスオンライン 2014/3/27)

「マイルドヤンキー」という単語がツイッター上で100回近く登場する日もあり、現代の若者を捉えた「マイルドヤンキー」は、着実に認知度を高めつつあるようだ。web R25
で、マイルドヤンキーとはなんぞやということですが、以下のように定義されているようです。

現代日本の若者の一類型を表す言葉。2014年1月、博報堂ブランドデザイン若者研究所のリーダー・原田曜平が著書『ヤンキー経済消費社会の主役・新保守層の正体』(幻冬舎)で提唱した。かつてのヤンキーから攻撃性といった激しさを除いたような性向を持つため、マイルドヤンキーと名づけられた。コトバンク
ただ、マイルドヤンキーとされる人達の特徴として挙げられている「上京志向がなく地元で強い人間関係と生活基盤を作り上げ、家族生活を楽しもうとする」「身近な世界以外に関心が低く、出世などの野心が乏しい」といった項目を改めて見直してみると、それは単に昔から綿々と続く地方におけるサイレントマジョリティー層が抱えていた価値観と何が違うのか今ひとつよく分かりません。結局は「マイルド」と「ヤンキー」という相反する意味性を持った単語を結びつけた新語を提案することで、皆がこうした社会事象をより積極的に語りたいという欲求が生み出されたのだろうなと感じます。

ちょっと分かりにくい例えになって申し訳ないのですが、この「マイルドヤンキー」という言葉が存在しなかった時分にはこうした社会問題に興味がなかったような人達は、意外とビッグデータについても今熱く語っていそうな気がします。そして、そういう人達はやはり同じように「ビッグデータ」という言葉が存在しなかったときには統計的な思考にはあまり興味が無かったのではないかなという気がしなくもありません。「クールジャパン」などもそんな感じでしょうか。まあ、話題になったときに話題に乗っかることが大事なのはよく分かります。

で、ここでマイルドヤンキーを取り上げたのは何もそういう言葉で盛り上がっている人達を批判をしたいという訳ではなく、言葉を言い換えると同じモノを語っても違うものが色々と表出して面白いということであります。

例えば、相変わらずネット界隈では「萌え」を起点にした色々なビジネスが成立し、また注目されている訳ですけれど、あれを違う言葉に置き換えると途端に波が引いてしまう可能性があるのかなと。たとえば、DeNAがコミケという独特な市場で新しい展開をしてそれなりの成果を得られたという記事が出ておりました。

新規インストール約10万--美少女Mobageがコミケ出展で得た“数字だけではない効果”(CNET Japan 2014/3/27)

で、この事案は記事中では直接「萌え」という言葉は使われていませんが、明らかにそういうベクトルでユーザーへの訴求を行うことで商売が成り立っていることはまず間違いありません。社内外でもこのプロジェクトを評価する際の共通認識として「萌え」という概念を理解できるかどうかは重要なのではないでしょうか。しかし、ここで「萌え」がある日突然、社会の中で「マイルドエロ」という言葉に置き換えられてしまうような事態が発生したとするとどうでしょうか。萌えビジネスは単なる性風俗ビジネスの一環に貶められてしまい、DeNAの「美少女Mobage」への評価もネガティブな面が大きくなる可能性はありそうです。

逆に言えば、「エロ」でも「萌え」という言葉でマイルドな存在にして、社会的な評価を高めることができる日本はまさにクールということなのかもしれません。「艦これ」もあれはエロではなくて萌えだからこそ、大人が電車の中でWindowsタブレットで遊んでいても大きな社会問題にならないということでもあるのでしょう。

物事の本質を言葉だけで語ることはむつかしい反面、何か分かりやすい言葉でもってして括ってしまえばその見え方はいかようにも変えられるという話でもあるのかなと。

いずれにせよ、ビッグワードの「開発」でいままで知られていたけど統一的な見解を持ちえなかった何かが再発見され、そのビッグワードの語感でマーケティングが為される、という繰り返しなのかもしれませんが。

mixiはいつ繰り返すのでしょうか。