”有罪”村上世彰氏や堀江貴文氏の迎え方
変革者は往々にして安定を好む人々の逆鱗に触れやすいもの。風雲児と呼ばれた経済事犯の主役二人は、一度は有罪になっているのですが経済革新の担い手でもあるわけで、どう受け入れるべきか悩むところでもあります。
やまもといちろうです。北の大地へ移動しようと思ったら、欠航しやがりましてまだ都におります。
当然、夜の時間を持て余すことになるわけなんですが、濛々と溜まっていた未読メールなどをせっせと読んでおりましたら某氏から「堀江貴文さんの仮釈放の請願について」という内容が目を惹きました。ライブドア事件は2006年1月の強制捜査、そして当時社長であった堀江貴文氏の逮捕と、思い返せばもう7年前なんですね。彼らが買収しようとしていたニッポン放送(というかニッポン放送が持っていた旧フジテレビジョン株式)とソニーは、現在大変しょっぱいことになっております。ライブドアが外資系と組んで買収が仮に成功していたとすると、少しは時代に合致した企業へ脱皮していたのでありましょうか。
時を同じくして、村上ファンド事件で村上世彰氏も摘発の対象となり、事件としての性質は違えども、いろんな意味で日本のエスタブリッシュが日本社会の空気を読んで摘発やむなしの機運を作り風雲児を包囲し追い込んでいった象徴的な事件でありました。もちろん、彼らは目立ちますから並べて論評されるわけでありますが、同様の時期にインボイスが上場廃止、商工ファンドの大島健伸氏、グッドウィルの折口雅博氏など、さまざまな異端な異能経営者がその活動の軌跡にある問題を取り沙汰されたりもしました。
ある意味で、大物に成り上がる過程で、何の後ろめたいこともせず、どんな犠牲も払うことなしに大きな成功を手にするなどということはあり得ません。リスクを払うというのは、金銭だけではなく、人的、法的な問題についても敢えてチャレンジし、他の人たちが固定観念の中で「それはできない」「やるべきではない」というところにも果敢に挑むことで成果を得て成功し、事業の成長や資金を得ていくプロセスもあるのでしょう。
その成功の仕方という意味で言うならば、それこそ西武グループの故・堤康次郎氏について、晴れ舞台である正三位勲一等叙勲の席で当時「ザ・霞ヶ関」といわれた国税の面々が堤家三代に渡ってでも摘発してやると誓った逸話がありました。結果として、執念をもって子・堤義明氏の時代に一連の西武グループの摘発とインサイダー取引の有罪判決に結びついたとも言われております。
その情報収集の責務を担ったのはまさにリクルート事件で先日亡くなった江副浩正氏の告発を担当した人間であり、彼が川崎市の小松秀煕助役に対してリクルートコスモスの株式を譲渡したことをスッパ抜いた朝日新聞のネタ元とも言われています。朝日新聞も度胸があったが、”新興勢力”リクルートに対するエスタブリッシュのアレルギー反応もまた、凄かった。何というか、経営者はたいてい一代限りだけど、国家は半世紀単位でずっと摘発の機会を伺っているというわけです。恐ろしいけど、統治機構というのは恐らくそういうものなのでしょう。
ただ、いまになって思うのは、そういう摘発された経営者もまた、問題を抱えていながらも日本経済の活力を担う重要な機能を果たしていたことであり、違法なことに手を染めて成長することは絶対悪であるとしても、一度摘発された後の再出発の困難というのはなかなかに大変なところであるという点です。確かに一度は有罪判決を受け刑に服したとしても、有意な人材であるならばその社会復帰と、さらなる飛躍、そして経済の成長や社会の活力という意味でも能力を活かせるような、成熟した日本社会の「土壌」というものは必要なのではないかとかねがね思うところです。問題を起こした罪は望ましくないが、その罪によって当人が法で裁かれたのであれば、なるだけ再出発が可能となるような方法を考えるべきではないかと。
まあねえ、犯罪を犯す人の大半はどうしようもない人ですよ。本当に、しょうもない人が、カネ欲しさにやってはいけないことをする。ただ、その中の一定の割合で、真の人物で、法の枠組みというか、そういうものに囚われない発想をして、それを実行できてしまう人たちがいる。そういう人たちが次の時代を拓き価値を創造する資格があるのかもしれないとたまーに思うわけですね。そして、そういう固定概念さえも超越している人たちが、日本で暮らすことに息苦しさを感じ、日本を飛び出してしまうケースも良く見かけるので、これは日本社会にとって、またエスタブリッシュな人たちの足元を考えるに、損失のほうが大きいのではないかとも考えます。むしろ、しっかり罪滅ぼしを終えていると認められる人たちには社会復帰を後押しできるだけの寛容がこの社会には必要なんじゃなかろうかと感じるのです。
私は塀の上を歩いている人をウォッチするのが大好きなんですが、やっぱりみんなウキウキして塀の上を歩いてるのが分かるんですよね。とっても輝いている。超イケてる雰囲気を醸しだしている。とても魅力的な人たちばかりなんですよ。そういう人たちが、うっかり足を踏み外して塀の中に落ちて、出てきたときにはつまんない人になっていたり、資産隠していたので日本に居られないとか、悲しいことだと思うんですよね。
なかなかうまく表現することはむつかしいんですけど…常識にとらわれないから貴重かつ魅力的であり、常識が分からないから法的にアウトで摘発されるという、このジレンマはどうにかなりませんかね?