私たち日本人は、着実に貧しくなってきている
政府は来年度予算の方針がまとまったと発表しました。しかし、高齢化と税収不足で今の世代に使える自由な予算も少なくなっていく一方、貧しくなる我が国を取り巻く状況もまた、悪化してきています。
本日12月18日、来年度予算の方針がまとまったと報道がありました。
関係各所の皆さまもお疲れさまでした。
来年度予算案 一般会計総額 102兆6600億円程度 過去最大(NHKニュース 19/12/18)
2019年中は、米中経済対立と主に中国の景気後退もあって日本の輸出が伸び悩む形で、日本もついに景気後退を肌で実感するべき時期に差し掛かりました。4-6月期にはすでに景気は後退し始めていたようですが、そこへ社会保障費への充当を企図した消費税の増税が重なり、我が国の景況感は年末に向けて一気にダウントレンドとなって、おそらく次の四半期にはさらなる不況の雰囲気を醸しつつあります。株は高いけど財布は寒いという状況は、投資家ならずとも実感せざるを得ないのではないでしょうか。
そして、今回閣議でまとまった来年度(2020年;令和2年)予算で言えば、金額こそ102兆円と大台を超えているのですが、報道にもある通り年金や医療・介護などの国庫負担分となる社会保障費は今年も順調に過去最大となり35兆8100億円程度、また過去に発行した国債の償還費用が財務省概算要求段階で25兆円ほどですので、102兆円のうち都合60兆円ほどが、過去の日本を支えてきた高齢者と、過去の日本を作り上げてきた借金の返済に充当され、いまを生きる日本人や、これから日本で暮らす人たち(赤ちゃんや海外からやってくる人たちも含め)のための予算は言われるほど多くないというのが実情です。
令和2年度概算要求(財務省)
先日、畏友の中川淳一郎さんが「私たち日本人は先進国どころか貧乏になり果て始めているのだぞ」と彼らしい筆致で喝破したところ、賛否両論、かなりの議論を呼び起こしておりました。
「日本は貧乏」説に「でも日本は住みやすいし楽しいから充分」と反論するのはもうやめないとオレら後進国まっしぐらだぞ(中川淳一郎 19/12/16)
実際、海外各国では相応の景気でも雇用の逼迫から賃金の上昇を呼び、労働生産性を向上させて産業の国際競争力を引き上げていく形でグローバルな経済競争が発生しています。しかしながら、日本ではここ20年近く、新しい輸出産業の育成に失敗し、デフレの脱却にも失敗して、むしろその生産性の低さ故の物価の安さで外国人旅行者が大挙してやってくるサービス産業構造・地方経済へと転換しつつあります。
「日本は26位に転落」一人当たりGDPの減少に見る日本経済の処方箋(ヤフーニュース 山本一郎 19/10/28)
アベノミクスが失敗に終わったのは、産業面では先進技術や海外市場開拓に関して国家が合理的な戦略を打ち立てることができず、また、国民生活においては少子化で働く若者が減って空前の人手不足になってようやく賃金が上がるところで安い賃金で働く高齢者の再雇用や外国人労働者の受け入れを積極的に行った結果、いつまでも、誰も賃金が上がらないという大失政をしてしまった点に尽きます。それでも、社会に出たての若者からすれば人手不足ですから仕事にありつけないということはないので概ね安倍政権を支持する傾向にありますが、対外比較でみると我が国の若者の低賃金傾向は目を覆うほどで、優秀な日本人科学者やエンジニアが安く雇えるという理由だけで外資系企業が日本に研究施設を作ったり、海外の拠点へスカウトしていく姿が目に付くようになりました。
為替水準は日本円対米ドル、対ユーロなど基軸通貨ではほぼ変わらず、低金利も似たようなものなのに、日本国内で投資案件を見つけられない資本が海外で大口投資をしたり、大規模なM&Aを行うケースが出ています。また、日本企業が海外のグループ会社同士で取引をして現地で利益を上げる場合では、法人税の高い日本で決算をする必要はもはやないと判断して本社ごとアメリカや東南アジア諸国に移したりしています。
出生、教育、研究開発、産業政策、労働政策、公衆衛生、社会保障、インフラ、そして安全保障と、ほぼすべてにわたって日本の国力低迷とともにカネもヒトも行き渡らなくなり、カネやヒトがまだあった時代のとおりにすべてで頑張ろうとした結果が、低出生率、学校や病院のブラック企業化、論文数の低迷、切り札となる新産業の不在、諸外国と比べて上がらない賃金、貧困・独居老人の急増と、我が国の問題のあらゆる症状を生み出していると言えます。これらを日本政府の怠慢、政治家の落ち度、官僚の不始末と詰るのは簡単ですが、一連の制作の不在は優れた政治家の輩出を促してこなかった私たち日本人そのものの写し鏡であり、また、おかみの依存の体質の証左でもあります。「政府の政策が悪いから結婚できない」と叫んだところで、その人の人生は政策によってすべてが左右されているのかということを冷静に考えるべきです。駄目な理由のいくらかは日本社会や政府にあり、残りは私たち自身にあるのです。
景気が悪くなっていくことや駄目な新閣僚を据えて改造内閣を組成したのだからスキャンダルは出て当然であることは分かっていながら、どういうわけか安倍晋三総理は確実に勝てるはずの年末の解散総選挙に打って出ることをしなかったので、もう憲法改正を彼の手でやる機会も失われたまま転がり落ちていく景気を憂いながら与党内の然るべき人物に政権を譲ってキングメーカーになる方法しか残されていない気もします。
また、来春来日が予定されている中国国家主席である習近平さんは、どうしても国賓として迎え入れたい意向を変えないようです。貿易摩擦から本格的な米中対立構造が世界を新しい冷戦にいざなう中で、本来であればよりアメリカとの関係を堅牢にし、東アジアに強くアメリカの関与を引き留めておかなければならないはずの日本が、なぜか新疆ウイグル自治区やチベットでの弾圧を行い、香港や台湾、南シナ海でのプレッシャーを強めてオーストラリアとの対立を深めてきている習近平さんを最大限の礼節を持って国賓として呼ぼうというのです。もちろん、中国は日本にとって大事な貿易相手であり、東アジアの安全を考えるうえではパートナーであるべきですが、アメリカとの関係が薄くなってしまえば、増大する中国のプレゼンスの中で日本は孤立する恐れすらあります。
それでも、トランプ大統領との関係が深いと信じる安倍官邸にとって、先のロシア・プーチン大統領との和平交渉の事実上の失敗を超えるチャンスとして習近平さんの来日成功の引き換えに日中で共同ドクトリンの策定を急ぐ考えであると言われています。それは、単に貿易や人の往来の強化だけではなく、研究開発、海洋・航空宇宙開発、通信に関する取り決めも含めた広範なパートナーシップと共に、安全保障面での日中共同演習やサイバー対策も含む「対等な」パートナーシップを目指す宣言を計画しているとされます。事前交渉がどこまで上手く着地するのかは分かりませんが、いまや安倍官邸は前述のような日本を貧しくしてしまった諸政策についての反省や再起の方策よりも安倍晋三という戦後最長の宰相の栄誉以上に何か大きいレガシーを求めて独走してしまっているようにすら見えます。
中国も景気が低迷するとはいえ、いまや日本をはるかに上回る軍事費を誇るアジア地域の覇権国家を目指す状況で、一番の目のうえのコブこそアメリカであり、アメリカと親密な関係にある、韓国、フィリピン、そして日本はどうにか抱き込まなければならない地域です。ここにおいて、仮に習近平さん来日でサプライズ的に踏み込んだ日中共同ドクトリンが宣言され、戦略的パートナーシップが実現してしまうと、当然のことながら、いくらトランプ大統領があの調子でもアメリカの心ある人たちは日本に対して失望し、絶対的であった日米同盟が相対的なものへと後退することを余儀なくされます。そして、一回日米の関係が破綻するような事件・事故が起きれば、中国は日米関係が崩壊するのを待ってから、対等であったはずのパートナーシップのはしごを外すことぐらいは考えるでしょう。
日本の自主独立、というのは美しいスローガンであり、理想としては是非取り組みたいテーマです。しかしながら、すでに日本は貧しくなる局面に入り、他国よりも一足先に少子高齢化が国力を押し下げる状況で、しっかりとしたアメリカとの同盟なしに民主主義国としてやっていけると考えるのはリスクが大きい判断です。情緒的な従米ポチ論とは別に、私たちは民主制と人権という普遍的な価値を持ち、西側陣営として戦後それなりに頑張って取り組んできた無形財産です。完璧ではない民主制でも香港の人たちは自治と普通選挙の拡大を求めてあれだけのデモを市民総出で行ったことと同様に、民意なく悲惨な戦争を引き起こしかねない独裁制の国家をビッグブラザーに迎えることだけは、いかに貧乏になろうとも避けなければならないと私は考えます。
いずれにせよ、我が国は社会が貧しくなることは前提としつつも、その貧しくなり方こそが重要です。どう貧しくなり、何にカネをかけ、どんな未来を描き、次世代の日本人に希望を紡いでいくのか、考えていくべき時期に差し掛かっているでしょう。そのような議論のないまま、モリカケ騒動から桜を見る会で盛大に時間を使ってしまったのは仕方がないとして、賛成理由が「他に良い人がいないから」反対理由が「人柄が信頼できないから」がダントツの安倍政権についてはもっときちんと監視し、一つひとつ検証し考えていく必要があるのではないでしょうか。