大和なでしこ、オーディション一発合格

闇市のキャットウォーク 森貝光子一代記 【2】

大和なでしこ、オーディション一発合格

日本でのファッションモデルの仕事に見切りをつけて、勇躍ニューヨークに飛び込んだのが一九五五年末。モデルには小さすぎ、凍った歩道で捻挫して、散々の滑り出しだったが、ファッションスクールに通いだすと、ある日スカウトの声。ブロードウエーの舞台の主役が降板して、代役を探しているとか。=敬称略、一部有料

 

第一部ニューヨークの蓮の花1

 

そろそろ、八ミリに映っていた蓮の花役の女性におでまし願おう。

森貝光子さんという。

キューさんの奥さんに住所を教えてもらい、東京・三田のマンションを訪ねた。眼下にひっきりなしに車列が続く第一京浜が見える。

『茶屋』の映画版は、VHSでも見たことがなかったらしい。マーロン・ブランドと京マチ子の共演に、目をキラキラさせて画面に見入っていたが、最後にひとこと呟いた。

レッド・バトンズのほうが、ずっと上手だったわ

光子が共演したバトンズは一九一九年、ニューヨーク生まれのコメディアンで、直訳すれば「赤いボタン」。彼の赤髪からついた芸名で、本名はアーロン・チワットというユダヤ人である。八ミリに映っていた仮設舞台で、彼女の相手役サキニを演じていたのは彼なのだ。ニューヨークのヴォードヴィルやバーレスクで叩きあげ、草創期のテレビに抜擢されて三年間、「レッド・バトンズ・ショー」の番組を主宰して人気を博し、サキニの大役を射止めたのだろう。

光子の相手役だったレッド・バトンズ
(Wikipediaより)

かたやマーロン・ブランドは、『欲望という名の電車』『波止場』の演技ですでにハリウッドの堂々たる若手スターだが、研究熱心な俳優だった。『茶屋』では日本語なまりの英語を習得しようと、何度もテープを聞いて練習したほど。ブロードウエー初演でサキニを演じたデヴィッド・ウェインら他人の演技を参考に、彼なりのサキニ像を練り上げたのだろう。

彼の好みは、オリエンタル風の女だったらしい。撮影に訪れたのは近畿地方だったというが、雨ばかりでロケにならず、その間、尻を追いかけたのは京マチ子ではなく、蓮の花に対抗して「あたしも芸者をやりたい」と言い張る農家のオバチャン「比嘉ジガ」役の清川虹子だったそうだ。もっともアメリカには、一九五七年十月に最初の妻となる女優アンナ・カシュフィ(一九五九年離婚)がいたから、ちょっとした浮気心だろう。

カシュフィはインド系の触れ込み(実はウェールズのカーディフ生まれ)だった。二番目の年上妻モヴィーダも、三番目の妻タリータも、映画『戦艦バウンティ』のタヒチ女として出演しているように、共通しているのは東洋系のやや浅黒い顔立ちだったことだ。

ところが、ブランドはあの長身とバタ臭いハンサムボーイで、短躯の沖縄人には見えない。それにひきかえ、バトンズは小柄で顔も剽軽ひょうきんで、本職がコメディアンだから、彼のほうが適役だったというのもうなずける。ただ、バトンズと光子の共演は、映画の撮影よりずっとあとのことで、バトンズのほうがブランドの演技を研究していたに違いない。

「蓮の花」京マチ子をエコひいきする配給係の淀川長治(左手前)。左端が清川虹子

ほかにチョイ役で、大映の二枚目スターだった根上淳、村の少女役で沢村みつ子が出ているが、なんと言ってもおタカラ映像は、後に映画評論家として知られた淀川長治が米の配給係で出演、村人の行列の前で京マチ子に「姐さんは並ばなくてもいいですよ……暑いですからね」と猫撫で声で語りかける場面だ。昔の日曜洋画劇場の「では、サイナラ、サイナラ」のあの調子なのだ。

次作では二人の「サキニ」共演

柳の下の二匹目のドジョウで、『茶屋』につづいて翌一九五七年にも日米合作映画ができる。題して『サヨナラ』。しかもブランドとバトンズという二人の「サキニ」の共演が実現している。

原作は『南太平洋』や『ハワイ』のジェームズ・A・ミッチェナー。朝鮮戦争で「撃墜王」となった米軍パイロット役のブランドと、宝塚歌劇団をモデルにした少女歌劇団のダンサーを演じた高美以子のラブ・ロマンスだった。歌劇団にはモノセックス(恋愛禁止)の掟、米軍には「占領国駐留兵士は被占領国の女性との結婚が制限される」というGI婚約者法があって、そのタブーに恋人たちが悩むという設定だった。

それぞれの同僚役としてバトンズとジャズ歌手のナンシー梅木(梅木美代志)が配され、バトンズは丹前姿でブランドの前に現れる。京都の友禅流しの川べりに建つ日本家屋で、密かに日本人の梅木と同棲しているのだ。妊娠した同棲相手を連れて帰国したい、という希望が却下され、別れられないふたりは心中してしまう。このカップルは五八年のアカデミー助演男優賞と助演女優賞を受賞した。

映画『サヨナラ』で心中するカップルを演じて
日本人唯一のアカデミー助演女優賞を受賞した
ナンシー梅木と助演男優賞のレッド・バトンズ

このロケは一九五六年に京都で行われた。宿泊先の都ホテル四階の和風の客室で、ブランドを五時間にわたってインタビューしたのが、あの作家トルーマン・カポーティーである。ファンの女たちにちやほやされ、過食で腹をだぶつかせたブランドは「以前あった内気さ、ほんとうに傷つきやすいことを示す陰影は消えていた」と書かれた。さすが才気煥発かんぱつなこの作家の底意地の悪い目を感じさせる。カポーティーは優れた芸能ゴシップ・ライターでもあったのだ。たとえば、ブランドのこういう実もふたもない発言――。

「この愛と花に包まれたナンセンス、これが日本についてのまじめな映画ってことになっていたんだからな。だからと言っておなじことさ。どっちみち、おれは金のために出てるんだ」

記事自体がスキャンダルだった。ブランドは小男のカポーティーに激怒した。

「あのチンチクリンめ、ぶっ殺してやる。べらべら自分のことばかり喋ってるから、ちょっと話をあわせてやったのに」

パトリシア・ボズワースの評伝『マーロン・ブランド』(ペンギン評伝双書、田辺千景訳)によると、ブランドは出演する条件として脚本を書き直させた。だから、彼と高美以子の主役カップルは救われそうな予感で幕となる。

やっぱり当初は『蝶々夫人』の焼き直しのような悲しい結末だったのだ。

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