NHK対民放は「谷脇康彦的」成分が不足

山本一郎「新・無縫地帯」ブログ

NHK対民放は「谷脇康彦的」成分が不足

某「寒い国」から帰ってきた切り込み隊長が、某「ぬるま湯の国」の茹でガエルとなっている放送村に、秋霜烈日の風を吹かせています。要は「土管とコンテンツ」。上下分離を棚上げにして、NHKのネット業務拡張の是非など論じても仕方がないということです。件のテレ東問題にも通じる重要な問題提起です。(編集部)=無料記事、約5800字

共同通信がNHKどうするよ問題でストレートニュースを配信していました。

 

NHKネット事業「公正競争を」総務省の有識者会議

 

現在、NHKも放送村の政策審議において特に、テレビ地上波の長期的な衰亡が予見されることから、その収入の根幹であるNHK視聴料をテレビだけでなく、ネット配信からも取ろうと画策していることが報じられ、大きな反発を招きました。もっとも、これ自体は放送を巡る諸課題に関する検討会(諸課題検)でもかねてNHKが主張してきたことではありますが、ここに来て民情を掻き立てるような報道の展開が始まったのは、新聞協会や読売新聞筋がこの方針に大きな反発をした経緯があるからでしょうか。

一時期、立花孝志さん率いるNHK党が「NHKをぶっこわーす」の決めゼリフと共に一部の国民からの支持を集め、インディー政党として議席確保する先駆けになるぐらいには、ワンイシューとして「NHKは問題だ」と思わせる何かがあるのだろうと思います。私の家内も独身時代にNHK受信料の集金人に失礼な態度を取られたことで、完全なるアンチNHKとなっており、我が子たちが熱心に観るNHK教育番組を一緒に楽しむようになってなお、NHKに対する不満を漏らすほどNHKの集金システムは不快なのだろうと思います。

地上波TVのビジネスモデル崩壊

で、この総務省の有識者会議の資料なども展開されていたのでしげしげと読んでいると、先の共同通信の報道内容とは違う印象を受けます。短く「NHKが手がけるネット事業の範囲に関し、新聞や民放など他のメディアの経営への影響を念頭に『公正競争の観点から客観的に判断する仕組みが必要だ』との意見が出た」とされるも、資料をよく読むと「NHKと民放各社は規制産業であった地上波テレビ局のビジネスモデルが崩壊し、コンテンツベースで各国のコンテンツファンドやビッグビジネスに戦いを挑まれている構図」とそれへの危機感が提示されています(青山学院大学教授の内山隆さん資料便覧「ネット配信時代のメディア産業」)。

 

デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会

 

また、同じく委員からの資料として京都大学大学院教授の曽我部真裕さんがNHKのインターネット業務への拡張など業務範囲の規律のための仕組みに関し「具体的なサービスの可否は別途、NHKの設置目的及び公正競争の観点から客観的に判断する仕組みが必要」(「デジタル時代における公共放送の役割と受信料制度の在り方」)とされており、要するにNHKをどうするか方針が決まらないと、客観的にこれは民業を圧迫するかとか是非の判断がつかないじゃないかという結論となります。

東京工業大学の西田亮介さんも本件事案の解説で「ガバナンスと業務改革の進捗程度の周知、社会的合意の獲得が今後ますます重要になるのではないか。そのなかではSNS時代における『公共メディア』とはなにか。そういった議論も必要ではないか」とも書いておりますが、裏返せば、内外の有識者においても必ずしも「何で公共放送ってあるんだっけ」というそもそも論に立ち返らざるを得ない事情があるからなのだろうとも思います。

つまり、国民の貴重で固有の資源である電波(地上波)を使って国民の知る権利を担保してきた公共放送としてのNHKという、その電波利用にあたって国民から税金とは別に受信料を取って成り立ってきた制度自体を、電波によるテレビ放送という仕組みが摩耗した後でどうネット時代に対応させたらよいのか分からないというブループリント不在の状況に陥っていることになります。「(民放事業者に対して)公正に」「客観的に」判断するとしても、そもそもの成立も、組織の性格も異なるNHKと民放を同じ土俵で論じること自体に無理があるし、さらに電波に乗せて流すコンテンツ自体も海外のコンテンツファンドやビッグビジネスとの競争に晒されて相対的に低迷していくことが予見される状況では、NHKの受信料を国民からネット利用においても広く徴収しようとしても政策的につじつまが合わないことになります。

BBCには受信料廃止論

特に、2022年1月に、イギリス文化相のナディーン・ドリスさんが突然Twitterで英国公共放送BBCの受信料制度廃止をブチかまし、その後下院でも煽ったところ、野党から「BBCを攻撃するな」と騒動の種となったのも記憶に新しいところです。

 

英文化相、BBCの受信料制度廃止を示唆

英文化相、BBC受信料凍結を議会に報告野党は批判

 

日本では、NHKは政府の犬と勘違いしている野党が、NHK三位一体改革などではあんまり強硬な対案を提出することなく平穏な反面、18年の第四次安倍政権が放送法を改正して放送改革をしようという動きの中で出た民放不要論に対抗するため、新聞協会に借りのある民放連がつるんで、NHKネタで受信料に不満を募らせる国民を煽り、改革を骨抜きにしたいのではないかという観測もまた出ます。ちなみに、当時の総務大臣はあの野田聖子さんです。

 

焦点:動き出す放送法改正、政府は公平規制緩和に意欲

 

結論としては、私などはゲーム業界がパブリッシャーとデベロッパーが分かれていったように、テレビ業界もNHKを含めて、土管とコンテンツ屋とで上下分離するしかないだろうし、47都道府県で分かれた放送権も人口減少と経済合理性を考えた地域・資本統合で着地させる以外の方法は見繕えないのではないかと思うのですが、政治的には当然のように大難題となります。相当な政治的リソースを空費する可能性もありますし、放送村全体のグランドデザインが乏しく、当面の政策実現に向けたブループリントも満足に合意が得られないのではどうにもならないわけですよ。

「集中排除原則」にも疑問

国内既存勢力同士の抗争が繰り広げられている一方で、いまや世界的なコンテンツ開発競争となっています。放送法に定める多様性の確保を目的とした「マスメディア集中排除原則」規定で多数の放送局の所有を制限され、47都道府県ごとに県域放送制度を担保したところでネットによるデータ資本主義時代が到来すると地方局総倒れになりかねません。

 

#374 マス排&放送対象地域の見直しは何のため? ~総務省「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」第5回から~

 

他方、同じ総務省でさらに微妙なプラットフォームサービスに関する研究会が立ち上がっており、国内の政策取りまとめにこちらも難渋していることはネット業界にいるまともな人であれば誰もが知るところです。

 

プラットフォームサービスに関する研究会

 

会合が進むごとに手詰まり感が強くなり、読んでいる全員が心配そうに資料のpdfを回覧し合う類いの座組みになってしまっているのですが、これはここに関係している総務省の役人や有識者が問題だという話ではなく、真の意味で国家全体の命運を左右するようなデータ資本主義の奔流激流濁流に対して、我が国が国民や産業のデータをどう保全し、強力なプラットフォーム事業者に対して国家全体の利益をどう守っていくのかという方策を打ち出すという非常に重い難題を取り扱っているからに他なりません。

本来ならば、これこそ国民国家全体の問題として、民主的なプロセスの下で国会にて与党野党の選りすぐりの議員たちが集って議論するべき性質のものであって、総務省は所轄官庁ではあるけれど意思決定権者そのものではないため、本件の研究会を呼び水にあれこれ議論したところで、政府方針を打ち出して意志決定を行うのは俺たちの岸田文雄政権である以上、たぶんいかに議論が煮詰まっても政治的に話が動かないのではないかとすら思うわけです。

プラットフォーム規制で欧米先行

その一方で、2020年以降プラットフォーム事業者をめぐる各国政府の動きは加速しており、プラットフォーム業者への規制は、欧州の個人データ関連法制だけでなく、EU(欧州連合)にデジタルサービス法があり、アメリカは反トラスト法など、競争政策の枢要に位置しています。これが、次世代の社会と産業の根幹を担う政策分野であると位置づけられ、さらに日本を含む世界のサイバー空間に適用されていく国際ルールをどのようなものにするのかという議論とダイレクトに関係していく領域になっています。

 

EU・デジタルサービス法(DSA)の概要

 

とりわけ、国連の専門家会合(GCE)ではサイバー空間における国際法の適用可能性について喫緊の課題としてとらえられる一方、サイバー空間のルールはアメリカや欧州を中心とする西側諸国と、中国、ロシアとイランなど新興諸国の間で利益相反が顕在化しており、日本も否が応でもこれらの問題でどのような立場で臨むのかが問われています。また、それに見合った日本国内の政策策定と実効性ある行動まで踏み出していかないと、結構簡単に負け組になってしまう怖れさえもあります。

というのも、いまの西側でのインターネットの考え方は、マルチステークホルダーを前提としており、政府もその関連するプレイヤーの一つでしかないというものです。インターネットで流通する情報が国家による管理下にあるのだとした場合、公権力が表現の自由や国民のプライバシーに直接関与することを前提としてしまうからです。中国やロシアの考え方というのは米元国務長官ポンペオ演説にもある通り、専制主義の輸出のために情報機器や発電能力などインフラ丸ごと借款(一帯一路や上海経済協力機構)で縛り上げて監視国家を技術、思想両面で包含する政策に近いものと危惧され、ここに大きな対立の構造があるわけです。

 

サイバー行動に適用される国際法に関する日本政府の基本的な立場

 

このような国際的なインターネット事情を巡る問題が山積しているところで、周回遅れも甚だしいNHK受信料におけるネット利用をどうするかとか、プラットフォーム事業者に対して政府が国民や産業の情報を守るためにいかなる政策を打ち出すかとかの問題のみにかかずりあい、最悪なことにマイナンバーカードに対する国民の忌避感のために各種情報の統合が足踏みするなど、一様にイカれた事態が発生しているのは悩ましいことです。

そもそも、本来は政治がこれらの問題に主体的に取り組み、データ資本主義への移行に対してデジタル庁を含めた霞が関改革やマイナンバー、匿名加工情報の活用法、通信と放送両業界の統合などの日本におけるデータ資本主義とは何かを語る議論こそが、おそらくは成長戦略の根幹でありグランドデザインであって、それらの分野、領域に一つひとつブループリントを構想する真の意味での司令塔が必要であったことは間違いないのです。

接待スキャンダルで司令塔不在

(ディスインフォーメーションの中の)フェイクニュース対策ひとつとっても、それらのガセネタが流れて国民が騙され、大いに社会的に混乱する事態となっているのは、プラットフォーム事業者が自社の利益のために行うCGM(Consumer Generated Media=参加ユーザーがコンテンツを形成するメディア)的サービスがその大きな原因のひとつであるのに、これへの対策についてはコンサルのアクセンチュアに丸投げしたり、ファクトチェック機関に出資してアリバイ作りをするのみで、いまだプロパガンダも偽情報も垂れ流しになっているのはどうなのかとも思います(もっとも、個人的には古田大輔さんが編集長に起用された日本ファクトチェックセンターには実直な活動の積み上げを期待したいと思っています)。

一足飛びに問題解決ができないのは間違いなく、また、霞が関各位も問題意識を高く持ち、解決に向けた議論を進めていても、ことは政治的決断と、その裏付けとなる「我が国をどこに向かわせようとしているのか」というグランドデザインの問題であるので、これは本当にどうにもならなくなってきたぞというのは肌で感じます。成長戦略の不在や、日本の研究開発の劣化が著しい問題なども、概ねこれらの閉塞的な状況に強く相関をしているのです。

結局、データ資本主義の問題を総務省が引っ張る形になったのも、単に所轄官庁が総務省であり、議論を担える優秀な人材が残っていたというだけでなく、谷脇康彦というかなりの異才がたまたまこの時期に総務省にいて取り仕切れる立場にいたからなのは間違いのないところです。物事を進めるエンジンというか、ブルドーザーの役割も担っていた山田真貴子さんも、ついでに失脚してしまい、属人的な才能に依拠してきた検討のプロセスが頓挫しかねないのは恐怖でしかありません。

うっかり変なスキャンダルで谷脇さんや山田さんが失脚してしまった結果、これに代える人材がついぞ総務省から出てこず政策課題の全体像を見極める人材をあてがえなかったことで、冒頭にあるような有識者でさえも基本的な方針を示されないまま、何か言えとなって「公正に」「客観的に」としか言えないような状況に陥ってしまうのでしょう。

もちろん、接待を受けるのはイカンとか額面上の問題はあるわけですが、かかる議論のリード役が追い出されて機能不全となり、議論が低迷して政策に反映されなくなるのは国難としか言いようがありません。

世界的なデータ流通を担うインターネットガバナンスの変容に対して、真正面から問題を受け止め担える人員がいま以上にどっかから出てこないと、この米中対立の中で日本だけが国民の貴重な資源であるデータを他国にむしり取られて沈没することにもなりかねず、この失脚劇で数年を無駄にしたんじゃないかとかなり本気で心配をしています。■