EDITOR BLOG

最後からの二番目の真実

プレゼント発送のお知らせ

9月25日にブログでお知らせした「井上久男著『トヨタ愚直なる人づくり』プレゼント企画」へご応募いただいた方の中から、抽選で10名様を選んで本書を発送いたしました。先週の木曜日に送ったので、当選者にはもう届いていると思います。たくさんのご応募ありがとうございました。


ライブハウスとお詫び

あまり日常生活はブログに書かないことにしている。編集長の人脈は企業秘密でもあるし、何を仕掛けているか手の内が読めてしまうという理由もある。今回はその例外。ワケアリなので、あえて24日夜の行動の一部をご披露する。

赤坂のライブハウスへ行った。竹内まりあもかつて加わっていたという慶応大学のバンド「リアス・マッコイズ」のOBが結成しているおじさんバンド「マッコイズ・カンパニー」のライブを聴きにいったのだ。バンドのリーダー、前田君が日比谷高校時代の同学年なので、もう3、4回ほど聴いている。

バンドのメンバーの一人が、大和証券グループ本社社長の鈴木茂晴氏である。現役社長ながらライブハウスの狭い舞台に立って、ベースギターをひく珍しい光景にお目にかかれる。学生時代に「リアル・マッコイズ」に加わり、その味が忘れられずにバンド活動を再開した経緯は、最新号(11月号)の月刊「文藝春秋」で彼自身がエッセイを書いているので、そちらを参照してください。

いつもは大和証券の秘書軍団がずらっと中央座席を占めているのだが、24日は日比谷OBが大勢だったので、中央の座席を占めた。先週の土曜に同窓会をしたばかり。私も誘われて遅れて行ったら、なんとかぶりつきの席だった。いつも遠目に見ているバンドを眼前で拝見する事態になった。

日比谷OBの一団は「遅刻坂合唱団」(日比谷高校前の急な坂のことで、始業時間に息せききって登っても間に合わないので「遅刻坂」と呼ばれる。詳しくは庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を参照)の面々で、この晩は臆面もなく舞台にあがって「誰もいない海」を合唱した(恥ずかしながら私も引きずりこまれた)。伴奏はマッコイズの方々だから、恐れ多くも鈴木社長に伴奏していただいたことになる。



さて、このバンドの客分扱いで、毎回、ギターを抱えて参加する社長さんがもうひとりいる。帝国ホテルの小林哲也氏である。この晩は「コットンフィールズ」と「カントリーロード」を絶唱、やんやの喝采を浴びた。目の前の席だったので、携帯で写真を撮らせていただいたが、ライブが終わってから名刺を交換、「ああ、FACTAさんですか。書いていらっしゃいましたね」と言われて冷や汗をかいた。

FACTAも最新号(11月号)のディープ・インサイドで取り上げたのだが、見出しを間違えた。サーベラス主導で進められた国際興業保有の帝国ホテル株が三井不動産に売却された一件は、すでに新聞等でも報道されている。会見の席には、三井不動産の岩沙弘道社長とともに小林社長も出ていたから、ご記憶の方も多いだろう。FACTAの見出しは「三井不動産」を「三井物産」と誤記して校閲も見落とし、印刷されたのだ。

明らかに編集者のミスである。ごめんなさい、小林さん。

というわけで、このブログで帝国ホテル、三井物産、三井不動産、そして筆者も含む関係者にお詫びし、訂正させていただく次第です。記事はこのウェブサイトで無料公開し、見出しを直して掲載しています

それがこのブログのワケアリの理由。いやはや、世間は狭いというのが実感ですね。

日経新聞に広告掲載

FACTA最新号は本日(10月20日)発売ですが、FACTAの新聞広告が20日付の日本経済新聞朝刊9面(国際2面)に掲載されます。表紙など誌面のリニューアルとともに、広告もデザインを一新し、高級情報誌にふさわしいものを目指しました。お目にとめていただければ光栄です。

これまで朝日、読売、産経新聞に掲載してきましたが、編集長の古巣である日経の紙面を借りて、広告を掲載する運びとなりました。関係者のご尽力に感謝いたします。

なお22日月曜には、産経新聞朝刊に全5段広告が掲載されます。こちらもよろしく。


防衛省スキャンダルの根っこ

10月19日付の朝日新聞と産経新聞の朝刊は、防衛省と防衛専門商社「山田洋行」の癒着疑惑を報じた。朝日は前防衛事務次官、守屋武昌氏と山田洋行元専務が多数回にわたって一緒にゴルフを楽しみ、自衛隊員倫理規定違反の疑いがあること、産経はこの元専務に特別背任の疑いがあり、東京地検特捜部が事情聴取を進めていることを報じている。

同日朝の民放ニュースショーでは、レポーターが「この疑惑は6月に一部で報じられており、関係者の注目を集めていた」と述べた。この「一部」とは月刊 FACTA6月号(5月20日発売)「防衛省震撼「山田洋行」の闇」である。当時、守屋氏はまだ現職の事務次官であり、「防衛省の天皇」と呼ばれる実力者だった。新聞に約5カ月先んじたこのスクープをここにフリー公開する。

FACTAは9月号(8月20日発売)でも、守屋氏が解任された小池百合子前防衛相との角逐の裏側に、この山田洋行疑惑があることをいち早く報じている。旧住友銀行(現在の三井住友銀行)の不良債権処理にまで広がる根の深い問題であり、防衛省をめぐるスキャンダルの根っこは、FACTAの記事によってこの赤い糸を手繰らなければ理解できない。

11月号の編集後記とお知らせ

まずお知らせを先に。

FACTAは10月20日発売の11月号から小リニューアルを行っていますが、発売と同時にご購読者に配信している最新号ご案内のメールマガジンも、1日早く繰り上げて19日正午に配信します。

さらにご購読者のうち、オンライン会員にご登録いただいている方は、このFACTA onlineサイトで最新号の全記事を閲覧することができますが、その閲覧可能時間も19日正午からとします。

地域により雑誌がお手元に届くのが19日から21日までとばらつきがあり、一刻も早く記事を読みたいご購読者が地域差で損をしないようにするための変更です。これまでの20日オープンだと、19日に雑誌を手にした人に遅れを取る人が出てくるので、閲覧可能時間を前倒しすることにしました。

今後ともサービス向上につとめますので、よろしくお願い申し上げます。

さて、以下は最新号の編集後記です。



お気づきのように、今号から表紙を変えました。創刊以来1年半、第18号までアラーキーこと、写真家の荒木経惟氏の鮮烈な花の写真で飾らせていただきました。蘭や菊に直にリキテックスを塗った原色のイメージは、ヌードよりもヌードを感じさせ、隠れたファクツを裸にすることを使命とするFACTAにふさわしいと考えました。優しさと残酷さ、終末と未来を予感させるこの稀有なカメラマンに、あらためて感謝申し上げます。

▼新しい表紙は江口暢彌(まさや)氏。岩絵具で和紙にモダンな日本画を描く若手の画家です。今度は原色だけではありません。でも、その色彩とフォルムに心惹かれるものを覚えました。贅言は無用。彼の言葉を引きましょう。「ぼんやりと辺りを見ているとドキッとする時があります。いままで持っていたもののイメージが一瞬にして変わる瞬間です。普通だと思っていた光景が非日常になる。……このようなとき、人は多くのことを『目』ではなく『記憶』で見ていると感じます」。今号の絵は「ふたり」という題です。

▼表紙の変更とともにAD(アートディレクター)も代わります。荒木氏の表紙を担当していただいたインフォバーンのAD木継則幸氏と、小林弘人会長には、これまでのご協力に感謝申し上げます。新しいADは長谷川オフィスの長谷川周平氏。父上が小沢書店社長だった長谷川郁夫氏です。ご自分で執筆した『美酒と革嚢第一書房・長谷川巳之吉』は惚れ惚れするような美本。芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。文芸書づくりの名人で、かねてから尊敬していた長谷川父子のお力を借りることにしました。

▼ほかにも誌面デザインなどを小リニューアルしています。定期コラムの「隗より始めよ」「インサイド」「メディアの急所」「ローカル・アイ」「レリージャス・ワールド」などのレイアウトを衣替えしました。読みやすくするのが主眼ですが、雑誌は何より生き物なので、生々流転でうつろいゆくのが宿命です。女性のように、今後も誌面デザインは季節や年齢に応じて装いを順次替えていきます。新しい企画も掲載準備を進めていますので、追い追い誌面に登場するでしょう。

▼もうひとつ。編集長自身も10月から少し広告塔を始めました。滑舌系ではないので冷や汗ものですが、英国駐在時代にBBCラジオの質の高さに憧れていたので、むげに断れませんでした。TBSラジオの長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」で、しばらく毎週火曜午前9時からパーソナリティーのお相手をつとめます。トチったらご容赦を。

強行軍ラジオ

ええ、また恥ずかしながら、TBSラジオでピンチヒッターをつとめます。前回と同じく「大沢悠里のゆうゆうワイド」ですが、今度は時間帯が違います。9日(火曜)午前9時の「朝の事件簿」のコーナー。

いつもこのコーナーで大沢パーソナリティーの相手役をつとめている元「サンデー毎日」編集長の鳥井守幸さんが都合によりお休みで、不肖、私が代役をつとめることになりました。

前回は鳥越俊太郎さんの代役でしたが、今度はその大先輩の代役。確か鳥井さんといえば、「イエスの方舟」の密着取材で有名になった方。ちょっと荷が重いうえに、相変わらず喋りには自信が持てないので、迷いますね。

しかも、今は雑誌の編集期間中。実はこれを書いているのは、9日午前3時近く。まだオフィスにいてようやく出稿が一段落したところ。とほほ。編集長はきついなあ。

8時にスタジオにといわれているから、あと何時間寝られることやら。睡眠不足はいつものことながら、ぼーっとした頭で喋れるのかね。

ま、それもこれもエクスキューズ。わけの分からんことを口走ったら、寝てないせいと居直るしかない。ああ、大丈夫なのだろうか。いよいよ、羊が一匹、羊が二匹……と数える羽目になるかも。

山本一生著「恋と伯爵と大正デモクラシー」のススメ

熊本日日新聞に数カ月に一度、書評を寄稿している。「阿部重夫が読む」という気恥ずかしいタイトルだが、今回は9月30日付の朝刊読書面に掲載された。とりあげたのは、山本一生著「恋と伯爵と大正デモクラシー有馬頼寧日記1919」(日本経済新聞出版社 2000円+税)である。

有馬頼寧と言っても知る人は少ない(「ありま・よりやす」と正確に読めない人がいるかも)。でも、「有馬記念」の名を残した人なのだ。戦前の伯爵であり、華族の身ゆえ、麗々しい名前だが、本人はその名を「タヨリネー」と読み替えて、悦に入っていたというから面白い。

自嘲だけではない。そこには秘められた恋物語があったという。

玄人好みだが、万人に読んでほしいな、と思った本である。掲載から4日経ったので、もう熊日に礼を失することもないだろう。熊日の読者以外にも紹介したいので、ここに再録する。ただし熊日版は行数が溢れたので、これよりもっと短くなっている。



歴史は時代の哀しみを語る。それなくして史家を名乗る資格はない。私は生来の怠惰に加え、古人の書牘を読み解く学識と考証が不足している。書物の森に深く分け入って、徒労も辞さず埋もれた固有名詞を追う「訓詁探偵」の無垢の情熱にも乏しいから、そういう史家には脱帽するばかりである。

けれど、いつのまにか、そんな史家が消えて久しい。平成はたった一人の司馬遷、一人の森鴎外も出せずに終わるのか。

今は、否、と言おう。

久留米藩二十一万石の伯爵家を背負った有馬頼寧(一八八四~一九五七)の人生の一隅を照らした史伝がここに出現した。一見、トリヴィアルな秘話発掘とも読めるのは、頼寧の名がすでに忘却の波間に沈みかけているからだろう。

辛うじて記憶にとどめている人でも、中央競馬の年末のフィナーレを飾る「有馬記念」のもとになった中山グランプリの生みの親、そして精々が直木賞作家、有馬頼義の父というくらいの知識だろうか。

しかし、この本は頼寧の波乱万丈の一生を追うものではない。大正八年のたった一年、頼寧が断念した恋に絞って、あとは枝葉と思い切り刈りこんでいる。だから狷介詰屈な『渋江抽斎』のように、素養がなければ歯が立たない鴎外の重苦しい史伝とは趣を異にし、優れた小説のように芳醇で読みやすい。

頼寧の生涯を知りたいなら、巻末の年譜(簡にして要を得た記述は春秋左氏伝の筆法である)で一望すればいい。華族の桎梏に屈したこの哀しい恋を浮かびあがらせ、一斑にして全豹を知らしめんとした工夫がよく分かる。

歴史上の頼寧はA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに八カ月半収監された人だ。学習院高等科時代から近衛文麿や木戸幸一、志賀直哉らと親しく、襲爵前は農商務省に入省しており、貧民教育や差別撤廃運動、農民運動や労働運動などに私財を投じた善意の華族政治家である。

産業組合中央金庫(現在の農林中金)理事長から産業組合中央会(のちの全中)会頭を経て、第一次近衛内閣では農林大臣に指名された。その後も近衛の新体制運動に参画、「大政翼賛会」の事務総長を務めながら、国策イデオローグたちに「アカ」と呼ばれて集中砲火を浴び、近衛の切り捨てによって失脚した。

山あり谷あり、人物も魅力的なのに、本格的な伝記が書かれなかったのが不思議である。もっとも「世の中で一番嫌いなものは銅像と伝記」と頼寧本人が峻拒し、戦後に沈痛な自伝の筆を執っただけに、なまなかな史家や伝記作者の手には負えなかったのだろう。

作者はそこに挑戦した。アカデミシャンではない。石油会社で経理を担当し、のちフリーランスとなって競馬の血統研究の翻訳や、秀逸な競馬文化論を書いてきた在野の人である。九〇年代から刊行が始まった有馬頼寧日記全五巻を編纂した伊藤隆東大名誉教授に薦められ、索引づくりを手伝うことになった。

日記には詳細な注が必要で、フルネームでない名称、略称、愛称の正体を突き止めるのは容易なことではない。資料渉猟は頼寧日記のみならず、有馬家を支配した枢密院議長倉富勇三郎の日記や、信愛学院史、民俗学の柳田国男から俳人の松根東洋城など広範囲に及ぶ。その徹底した博捜からこの作品は生まれた。

劈頭、都立中央図書館の検索キーボードを叩く場面に始まるように、これは一種の追跡ミステリーである。読者はいつのまにか「検索の猟犬」となって、ひたすら謎を追っている。日記に点綴された「ミドリ」「M」とはいかなる恋人なのか。親友「八重ちゃん」の業病は何だったのか……。

驚くべき発見があった。意外さは奇遇の域を超えている。やはり、優れたノンフィクションは凡百のミステリーにまさるのだ。私のようなジャーナリストはそこで納得するが、作者は立ちどまらない。頼寧とミドリの別れのクライマックスは虚実の境を越え、ほとんど二人に仮託したモノローグになっていく。

実を言うと、作者と評者は高校以来の友人である。彼は伊藤門下の優駿だったが、大学紛争の余燼で院を受験しなかった。当時は「ボンクラが大学に残るのさ」とうそぶき、在野の意地に生きた。「所詮、学者は史家ではない」というのが僕らの結論である。身びいきでなく言うが、この本はその渇を癒してくれた。

「思い残すことはもうない」

作者はそう言う。でも、この本を読ませたかった友がいる。五月に亡くなった作家、藤原伊織である。大学でみな一緒だった。

二人の作品は同じ哀しみをたたえている。消えた時代の哀しみを。

ひやひやラジオ

あがった。1日正午すぎ、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」に初めて出演したが、案の定、マイクを前にした途端、何をしゃべったか記憶が飛び飛びである。

もしかして、胡乱なことを口にしたのではないか。座る前は口調ははっきり、「えー」とか「あー」とか「要するに」とかを連発するまい、と考えていたのだが、りゃりゃりゃ、と思うまに早口になる。声帯が緊張して声が枯れ気味になるなど、自覚はするのだが、どうにもならない。


大沢さんの目配せや、フォローアップの言葉がなければ、どうなっていたことか。多謝多謝。

真っ昼間なのでアルコールにも頼れず、コメンテーターとしてはつくづく下手だなあと思いました。終わったら「テープ要りますか」と言われて、さすがにあれをもう一度聞く度胸が出てこない。自己嫌悪に駆られるでしょう、きっと。プロになるなら、おしゃべりの欠陥を知るために聞きなおすのでしょうが、自分はまだその踏ん切りが……。

とにかく、いい経験になりました。

口下手のラジオ出演

恥ずかしいが、ラジオに出演を頼まれた。TBSラジオの長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」。本日(1日)午前11時にスタジオに来てくれと言われているから、11時半過ぎにキャスターの大沢さんのお相手をちょっとだけ務めさせていただく。

生来の口下手で、滑舌系ではないから、ラジオもテレビも腰がひける。でも、敬愛する先輩に頼まれて、三振覚悟のピンチヒッターのつもりで引き受けた。ああ、たぶん、あがるだろうなあ。

それにひきかえ、と思い出すのは、先週の金曜(9月28日)に連なった能楽師、観世栄夫さんの「お別れの会」。FACTAは8月号で追悼コラム「ひとつの人生」で、観世さんを悼む友人の演出家・俳優、福田善之さんの名文を掲載している。お礼もかねて私も顔を出した。

会に出る機縁になったのは、築地の加津代さんのお店で、榮太郎飴本舗の細田安兵衛さんをご紹介いただいたからである。細田さんは観世さんの友人で、お別れの会でも友人代表として挨拶に立った。その細田さんに加津代姐さんが弊誌8月号をお見せしたところ、「ぜひ、コピーを配りたい」とのお話があり、会にも招待された次第である。

会場は日比谷の東京會舘。能楽界や演劇界のお歴々が顔を見せる会だから、小生なんぞはおよそ場違いに思えた。しかし400人を超す人が集まって盛会だった。ご高齢の方も数多く見えていた。会の途中で倒れた人がいて、急遽、司会が「会場にお医者様はおられますか」と呼びかける一幕もあった。

福田さんはこの会の発起人の一人で、舞台装置の朝倉摂さんと二人で壇上に並び、仲良く故人をしのんでいた。新藤兼人監督は弔辞を寄せ、息子さんが代読した。そこで会場のビデオプロジェクターが明るくなり、生前の観世さんの大きな映像に会場の参列者は見入った。

NHKで放映されたインタビューと、昨年演じた謡曲「邯鄲」の一場面である。インタビューで老いを語った観世さんが、ガンとの闘病を経て演じるシテ盧生は圧巻だった。場内も水を打ったように静まり返る。

(地)かくて時過ぎ、頃去れば、かくて時過ぎ、頃去れば、五十年の栄花も尽きて、まことは夢のうちなれば、皆消え消えと、失せ果てて、ありつる邯鄲の、枕の上に、眠りの夢は、覚めにけり。
(シテ)盧生は夢覚めて、
(地)盧生は夢覚めて、五十の春秋の、栄花もたちまちに、ただ茫然と起きあがりて、
(シテ)さばかり多かりし、
(地)女御更衣の声と聞きしは、
(シテ)松風の音となり、
(地)宮殿楼閣は、
(シテ)ただ邯鄲の仮の宿、
(地)栄花の程は
(シテ)五十年、
(地)さて夢の間は粟飯の、
(シテ)一炊の間なり、
(地)不思議なりや計り難しや、
(シテ)つらつら人間の有様を案ずるに
(地)百年の歓楽も、命終われば夢ぞかし

動作はじれったいほど緩慢だ。いや、ほとんど動いていないのに、枕をおしいただき、床を模した作りものから起つと、静と動とが宿命の自覚をなしていることがわかる。盧生の面が、だんだん無限の哀しみを帯びているように見えてくるから不思議だ。

演技者はいかにして晩年を迎えるか。他人事ではない。観世さんの「邯鄲」のように、居ずまいをただして見るほかないような凛とした演者になれたらとは思う。

しかし、回らぬ舌でラジオのマイクの前に立つかと思うと、やはりゾクゾクする。「夢ぞかし」という境地にはなかなかなれない。