救いの「ワクチン」四大ハードル
細胞に侵入する新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)。ウイルス表面のトゲ状のスパイクたんぱく質が、細胞の表面にでているACEというたんぱく質に結合して侵入する(出典:Huang Y., Yang C., Xu X. et alの2020年論文より)

救いの「ワクチン」四大ハードル

ワクチン自体の安全性と「ADE」と呼ばれる現象が未解決で最大の課題。医薬品設計の側面からワクチンの有効性において改善の余地は大きい。ワクチン接種を避けようとする人たちへの対応も大きな問題だ。

菅政権は発足後の最重要課題としてコロナ対策を掲げる。新型コロナウイルスの新規感染者は2020年8月に大きな山を作り、その後やや減少傾向にあるが、ウイルスは秋冬に感染しやすくなると見られ第三波が警戒されている。

WHO(世界保健機関)のワクチンに関する統計では、9月21日の時点で、人を対象とした臨床試験に進んだものは38種類、臨床試験の前段階にあるものは149種類と計187種類のワクチンが開発中だ。臨床試験フェーズ3で最も進んでいるのが英国オクスフォード大学とアストラゼネカが開発するワクチンをはじめ9グループ。正規の臨床試験を終えたグループは世界にはまだない。

ただし、ロシアのガマレヤ研究所のグループは8月11日に、最終段階の臨床試験フェーズ3完了を待たずに一般に接種を広げると発表したほか、中国政府も8月22日に同様にワクチンの特例的な接種を開始すると表明している。いずれも国際的に安全性の懸念が表明されている。9月8日には、欧米のワクチン開発企業9社の最高経営責任者(CEO)が合同声明を発表し、ワクチン承認に当たっては安全性を最優先にするよう求めた。折しも8日に、アストラゼネカが臨床試験を中断したと発表した。接種を受けた人の一部に表れた副作用のためと説明された(その後、再開された)が、安全性を含めて4点ほどの課題がこれまでに指摘されている。

安全性と「ADE」が最大の課題

目下最も重要なのは、ワクチン接種によって引き起こされる安全性の問題だろう。

今回、有害事象の発生で開発が中断したアストラゼネカのワクチンは臨床試験の初期データが論文になっているので、副作用としてどのような事象があるのかは分かっている。臨床試験のフェーズ(P)1/2の中間報告で、新型コロナウイルスのワクチンと髄膜炎菌結合型ワクチンという一般的なワクチンとを比べているが、新型コロナウイルスワクチンの副作用と言える、感染を防ぐ効果と異なる心身への影響は、一般的なワクチンよりも多いのは間違いなさそうだと分かっている。

確認された副作用は、接種部位の痛み、発熱、冷感、筋肉痛、頭痛、けん怠感が多く確認された。その頻度は、けん怠感については6割近く、頭痛は4割近くなどと、少なくない割合の人で確認された。比較対照のワクチンでは発熱は全く見られなかったが、新型コロナウイルスワクチンでは1〜2割なので大きな違いがある。他の症状についても比較対照のワクチンでは1割程度にとどまり、程度も軽くとどまっていた。ここは大きな違いがある。

後述するように、アストラゼネカが開発中のワクチンでは、風邪のウイルスの一種であるアデノウイルスをワクチンの運搬に使っており、そうした特徴も副作用の出やすさに関係している可能性がある。

主要な新型コロナウイルス・ワクチン開発状況 (WHOまとめ9月21日現在)

ワクチンの反応が多少強く出たとしても、新型コロナウイルスを防ぐための許容範囲と見なされれば、実用化に大きく前進することになる。見極めるべきことは、ワクチンの望ましくない反応が許容範囲を超えたときだ。今回、アストラゼネカの中断は許容範囲を超えていないかを確認するためだった。脊髄炎が起きたと報じられているが、今回は許容範囲とみられ、試験は再開された。

こうした薬剤の臨床試験は、論文として発表されるので、そこで安全性についてのデータも明らかにされると考えられる。

もう一つ、国際的に注目されているのが、「抗体依存性感染増強(ADE)」の問題だ。ワクチン接種でウイルスに対する免疫反応の一つである抗体が発生し、ウイルスへの抵抗性がつくことになるが、かえって状況を悪化させる場合があることが知られている。白血球の一種であるマクロファージがウイルスに結合した抗体を目印として、通常感染しないのにマクロファージウイルスも取り込んで感染して、病気を悪化させるのだ。RSウイルスやデング熱ウイルスという発熱を引き起こす病気では、ワクチン接種によってかえって感染が悪化する可能性が分かり、開発中止になっている。

新型コロナウイルスのワクチンでも、ワクチン自体の安全性を乗り越えるのが第一ハードルとなる。加えて、ADEの問題についても乗り越える必要があるが、難しいのは、臨床試験の段階では、ワクチン接種を受けた上で、ウイルスにさらされる状況にならないと検証が難しいところ。ここでいかに安全性を保証するのかはワクチン開発では最大の課題になっていると言っていい。

ワクチンの課題は他にもある。一つはターゲットの問題だ。そもそもワクチンとは、病原体の一部を体内に人工的に送り込み、その病原体に対する「免疫」を引き出すものだ。ワクチンを接種することで、あらかじめ病原体への抵抗性につながる免疫ができており、感染を防ぐことができる。この問題は、ワクチンとして用いる病原体の一部として、現在のワクチンのほぼすべてが新型コロナウイルスの持っている「スパイクタンパク質」を採用していることだ。新型コロナウイルスは、イガ栗のような形をしており、トゲの部、文字通りスパイクを作っているのがスパイクタンパク質となる。

「エピトープ」の選択肢が狭い

新型コロナウイルス感染症は人の肺の内部で、肺胞細胞という細胞の表面にあるAC

E2という“港”のような機能を果たすタンパク質から侵入する。このときにACE2と結合するのがスパイクタンパク質となる。この9月には、著名科学誌『セル』や『ネイチャー』でこのスパイクタンパク質の立体構造、ACE2と結合する形も明確になっている。

現在開発されているワクチンの多くは、新型コロナウイルスのスパイクタンパク質のさらに一部を身体に送り込むもので占められている。タンパク質とは、アミノ酸が鎖状につながって、それが折りたたまれるなどして立体構造を作ったもの。スパイクタンパク質は、1208のアミノ酸がつながってできている。ワクチンにするためには、このタンパク質の一部分を切り取って使っている。このワクチンのターゲットになる部分のことを「エピトープ」と呼ぶ。

スパイクタンパク質を使うワクチンを接種すると、このエピトープを攻撃する免疫が生じ、新型コロナウイルスが体内に入ってきた場合に、ウイルスのトゲの部分を狙う免疫が反応し、ウイルスが細胞に侵入できなくなると考えられている。ワクチンがうまく効果を発揮するかどうかは、こうした作用機序が有効に機能するかにかかっている。

ワクチン接種が有効に機能するためには、スパイクタンパク質を狙うワクチンであれば、このスパイクタンパク質に対して免疫反応を正常に起こすことが重要になる。スパイクタンパク質を用いたワクチンと一口にいっても、1200ほどのアミノ酸のどの部分を狙うかも、一様ではない。こうした成り立ちから見ると、ワクチンを改善する余地は大きい。さらに、スパイクタンパク質を狙うワクチンが効果を示せばよいが、新型コロナウイルスの標的になり得るタンパク質はウイルスの内殻と外殻を作っている「Nタンパク質」や「Mタンパク質」のほか、増殖に使われている複数のタンパク質が存在している。スパイクタンパク質が最も標的になりやすい面はあるが、他のタンパク質も標的になる可能性がある。

「運び屋」はウイルスが主流だが

さらに、エピトープをどのような形で体内に送り込むかという「運び屋」の問題がある。

そもそもワクチンには大きく分けて3つのタイプがある。病原体を弱毒化した増殖能力を持つ「生ワクチン」、さらに病原体を処理によって増殖能力をなくした「不活化ワクチン」がある。さらに、最近ではエピトープをウイルスなどに組み込んで運ぶ方法が広がっている。

新型コロナウイルスでは、現状では生ワクチンはトルコとインドで開発が進んでいる。不活化ワクチンも中国をはじめとして世界各国で開発が進んでいる。日本でも、明治ホールディングスのグループが不活化ワクチンの開発に着手すると発表している。

こうした生ワクチンや不活化ワクチンは、何らの形かで病原性を減らして、ウイルスそのものを使うもので、一般的には免疫反応を強く引き出せると考えられている。生ワクチンの場合には、ウイルスが増殖する可能性があるのは懸念点になる。不活化ワクチンの場合は生ワクチンよりも免疫反応を引き出す能力は弱いと考えられており、免疫反応をどれくらい引き出せるかが注目される。

現在、最も多く開発されるワクチンに採用されているのは、ウイルスでエピトープを運ぶタイプ。先頭でアストラゼネカの開発しているワクチンで採用しているのは風邪のウイルスの一種であるアデノウイルスだ。アストラゼネカが使っているのは、チンパンジーのアデノウイルスである。アデノウイルスの中に、新型コロナウイルスのエピトープに当たる遺伝物質を組み込み、遺伝子改変のアデノウイルスとして筋肉内に注射する。アデノウイルスが筋肉内の細胞で増えるときに、一緒にエピトープも発生して、これに対する免疫反応が起きてくる。これで新型コロナウイルスへの抵抗力を持つことになる。

現在開発中のワクチンには、アデノウイルスのほかにも、麻疹ウイルス、インフルエンザウイルスなどのウイルスを使うもののほか、ウイルスではなく、遺伝物質であるRNAやDNAの断片の中にエピトープの情報を組み込むRNAワクチンやDNAワクチンと呼ばれるものもある。

先行するのはウイルスを使ったものが多いが、例えばアデノウイルスを使ったものについて言えば、アデノウイルス自体への免疫反応が起きると分かっている。このような免疫反応が起きると、ワクチンの効果もうまく出ない懸念がある。運び屋のうちどれが有効であるのかは、ワクチンの有効性を考える上では重要な課題になる。

接種が可能になるのは来年半ば

加えて、ワクチンの課題になるのは、ワクチンを幅広い人々に接種してもらうこと。

米国AP通信とシカゴ大学が共同でワクチン接種の動向を1056人を対象として5月にアンケートしたところ、「接種する」と回答した人は49%にとどまっていた。接種しないと回答したのは、全体では20%。内訳としては、黒人の40%、共和党支持者の26%がワクチン接種をしないと回答していた。

そもそもワクチンを避けようとする動きは世界的なものだ。フランスの研究グループが17〜18年にかけてユーチューブの動画を対象に分析したところ、166のワクチン関連の動画のうち、120がワクチン反対、46がワクチン推進に関係しており、ワクチン接種に消極的な情報発信が目立つと報告していた。安直にワクチンは有効で安全だと繰り返すだけでなく、国家にとっても緻密な情報発信がワクチン戦略の中では重要となる。

著名科学誌『サイエンス』でジャーナリストのウォレン・コンフェルが、米国ノースカロライナ大学の行動科学者ノエル・ブルワー氏のコメントを引用して、ソーシャルメディアはイメージほど影響力がないと解説している。ワクチンへの不安を解くにはソーシャルメディアよりも直接語りかけるような丁寧な対応が有効だという。SNS全盛の今だからこそ、気をつけるとよいかもしれない。

現実的には、ワクチン接種が可能になるのは、早くても来年の半ばくらいではないかと予想する。よってインフルエンザやRSウイルス、感染性胃腸炎などの他のウイルス感染が流行する中でワクチンの効果を発揮させるのは時間切れとみるのが妥当だろう。

ロシアや中国では、ワクチン接種を前倒しする動きがあるが、前述のADEの問題が解決していないこと、日本では死亡者の爆発的増加まで至らない水準で踏みとどまっている状況にもあり、安易なワクチン接種の拡大は得策ではないと見られる。

ウイルス感染のリスクにさらされる医療従事者のほか、行政関係者、高齢者や既往症の人に優先接種し、若者を後にする配慮が必要になる。菅政権がまず対応しようとしている検査体制の拡充のほか、ウイルスとの接触を減らす環境整備も優先的に取り組むのが肝要となるだろう。(敬称略)■