百間外伝 第18話 最終回
さらば先生、摩阿陀会も三々五々
81歳の天寿を全うした百間。門下たちもそれぞれ「まだ死なざるや」の老境にさしかかる。政治に打って出た中村武志、俳壇史3部作に命を捧げた村山古郷、百間全集の編纂にあたった平山三郎……一人また一人と去っていく。光陰矢の如し。 =有料記事、約1万6900字
遺影のない告別式
内田百間は、昭和46年4月20日の夕方に、麹町六番町の自宅で亡くなる。満81歳、老衰であった。
寝たままだったので、しばらく前から面会を断わっていたが、それでも夫人から話だけでも聞ければと、訪ねてくる者もいた。
「だれだ」と、百間の声がする。
「中村さんです」
「……会おう」
そのときの遣り取りを、中村武志は振り返る。
「低い声で少しもつれる口調だが、狭いお宅だから、先生の声が玄関まで聞こえた。先生は枕から少し頭をあげ、右を下にし横になって、ストローでシャンパンをすすっておられた。珍しく姓でお呼びになった。いつもは、あんたさんとか貴君にきまっていた。
『中村さん、シャンパンは、寝ていてストローで飲むべきです。苦心して飲むから一層うまいのです』
安心して早々に辞去した。二日後の夕刻お亡くなりになるとは夢にも思わなかった」(『女房がつけた探偵』)
法政大学の多田基は、さらにその数日前に訪れた。
「四、五日前に先生を見舞った時、三畳三間続きのうちの真中の居室にいつものように臥せておられ、この室の壁に雨漏りの染みが雲のような形で浮き出ているのを見ながらこの染みが、曽て対談したことがある吉田茂や徳川夢声に見えると笑いながら話されたのが思い出されて、先生の他界は信じられなかった」(『内田百閒先生の想い出』)
訃報に接した多田基が百間宅にかけつけると、清水清兵衛がきていた。それから知らせを受け、弔問客が次々にやってくる。
平山三郎は図書館にいた。
「四月二十日、国会図書館で明治の文章世界のトヂ込みを見ているところへ家の者が慌しく迎えに来た。机上のものを放って、先生の家へとんで行った」(「百閒全集刊行前後」)
夜になると、俳人の村山古郷が姿を見せる。
「四谷で電車を降りて、双葉学園の塀に沿つてゆくと、四谷の土堤にも、双葉学園の塀にも、まだ桜が美しく咲き残つていて、夜目にも白く枝が揺れていた。先生の枕頭に頭を垂れて、永のお別れをした」(『俳句』昭和50年7月号)
夜 桜 や 先 生 は 死 に き 師 は 死 に き古郷
中村武志は深夜に訪れ、最期の様子を聞いて涙を流した。
翌未明、仕事場にもどってくる。
「鍋屋横丁の仕事場に帰って来た私は、心がたかぶって眠れぬままに外へ出た。空は明るみはじめていた。庭の三本の椎の木に、いつもよりたくさんの雀が群れ、しきりに鳴いていた。お隣りの八重桜の花が風もないのに白々と散っていた」(『読売新聞』昭和46年4月21日)
葬儀と告別式は4月24日、中野の金剛寺で営まれた。
遺言に従って、遺影のない葬儀であり、告別式であった。