アステラス幹部拘束と中国の対日スパイ網の並行性

山本一郎「新・無縫地帯」ブログ

アステラス幹部拘束と中国の対日スパイ網の並行性

林芳正外相は強く釈放を求めたが、根っこに合法非合法の非対称性がある。研究費の乏しい日本の大学や独法に共同研究を持ちかける「毒まんじゅう」の数々を取り締まれない。偵察機U2撃墜事件の映画『ブリッジ・オブ・スパイ』などで見たような、冷戦時代に東西ベルリン境界上で行われたグリーニッケ橋のスパイ交換が、日本では無理な現状を憂う。切り込み隊長の緊急ブログ。無料記事、約4100字

目下、最高に面倒くさいことになっている中国当局によるアステラス製薬現地日本人幹部の拘束事件ですが、きっかけは駐日中国大使であった孔鉉佑さんの離任時、慣例であった総理大臣との面会が、岸田文雄さんの「日程上の都合」で実現しなかったことへの報復であろうことは、まあそうなのだろうと思います。

中南海・中国外務省の威信問題に直結しており、国家副主席だった王岐山さんの連枝衆や部下筋からのさや当てで、ある種の見せしめとして当局による拘束が喧伝されたのは、実に中国らしい所作と言いつつも、実際に懸念が広がっているのは、すでに報じられているようなレアアース禁輸措置等と対経済安全保障政策へのオペレーション上の問題としてだと言えます。

中国、EV中核部品のレアアース磁石技術を禁輸へ…脱炭素分野で覇権確立狙いか : 読売新聞オンライン

EVに使うネオジム磁石(Nd2Fe14B)関連の素材をエンバーゴ(禁輸)しますよ、という話なので、中国国内の電力事情が原因で輸出が制限された尿素水(アドブルーなど排ガス機構で使われる)とはまた異なる事情で起きている問題なのですが、並行して中国当局が意図的に日本社会への浸透を目的としたスパイ網のようなものも見え隠れしており、非常に際どい状況になってきているのもまた事実です。

共同研究を名目に潜りこむ

文部科学省が所管官庁である独立行政法人において、共同研究名目で日本には知名度が乏しい中国部品メーカーやエネルギー系大手が共同研究を持ちかけ、そこの研究室に中国人研究者や留学生を送り込んで各種学会に所属し、日本人研究者名簿を取得して本国に持ち帰り、「アタックリスト」を作っている事案も起きています。

関係先に話を聞くと、そこでの実績をテコに、同じく工業系大学の博士後期課程に留学生として人民解放軍系組織所属経験のある技師が入り込み、大学の計算機センターに常駐して大学の学務システムの運用管理をする傍ら、目的とする特定の教員や学生のメール履歴を閲覧しようとするなどの問題が頻繁に起きているのが現状です。

2022年、北海道の研究機関や農業関連法人からスマート農業に関する核心的な技術情報を不正に取得し、中国企業に勤務する複数の知人にSignalなどの秘匿性の高いSNSを使って流出させた事件では、関係する別の国立大学に留学している中国人学生の関与も明らかになっており、不正競争防止法違反で摘発しようとしたところ身柄を拘束する前に中国に退去してしまった事例もありました。

これらは氷山の一角と言われれば、むろんその通りなのですが、実際の問題はこれらの活動が一定程度は「日本国内法に照らし合法である」ことにあります。

新疆・内モンゴル渡航歴の意味

かつて菅義偉政権下で、当時の内閣官房副長官であった杉田和博さんから、日本学術会議の委員指名に際し任命時に除外する候補者が伝達された問題では、中国の千人計画などの国家プロジェクトに深く加担する日本人研究者が取り沙汰されたものの、日本学術会議側の反発もあって、何となくウヤムヤで終わったのも記憶に新しいところです。

ここで名指しされた日本人研究者は、その海外渡航歴を調べると中国国内の中でも特に問題が指摘される新疆ウイグル自治区や内モンゴルなどへの訪問があったようにも見受けられ、どのような事情や目的で研究者がそのような地域を頻繁に訪問しているのかは懸念の対象とならざるを得ません。

調査を重ねてみると、新疆ウイグル自治区には通称「ゴミ捨て山」とも呼ばれるあまり適切ではない物質を処理する施設のある広大な敷地がクチャ地方あり、また、衛星写真でもはっきりと近隣に世界最大の太陽光発電のグリーン水素生産プロジェクトが立地しています。このプロジェクトの仕込みは、中国エネルギー大手のシノペック(中国石油化工集団)であり、これらの企業か、その関係先からの研究支援や予算受託で複数回これらの企業を訪問し、太陽光パネルやスマートグリッド関連の「共同研究」を行い、関連企業を通じて日本のメガソーラー向け太陽光パネルの輸入に寄与した可能性があります(当該研究者たちは一部嫌疑については否定)。

繰り返しますが、これらの活動は一定程度は「日本国内法に照らし合法である」ことに問題があります。

「チャイナ・イニシアチブ」関係隠すとパージ

科学技術を司る各機関への中国による浸透は確かに合法ですが、イノセントに関わりを持つ人間をウィンドウパーソン(窓口役のようなもの)として立てる中国流のアプローチは広く懸念されています。

例えば、先にも述べた中国千人計画への参画そのものは、日本でもアメリカでも確かに合法ですが、中国系企業や研究機関から資金や人員、情報提供をされて活動していたにもかかわらず、隠して政府系プロジェクトや研究活動に従事すると、パージの対象とすることは前例があります。

その一例は、ハーバード大学教授で著名な研究者であったチャールズ・リーバーさんが、政府に関係を説明しないまま、千人計画に参加していたとして逮捕・起訴されて有罪評決が出たことです。これも国防総省にリーチ可能であるため中国側の「アタックリスト」に入り、また、リーバー教授が学術研究にしか興味関心のないイノセントな人柄ゆえに、脇の甘さを衝かれたというのが正直なところで、おそらくほぼ同様のドクトリンで日本の政府機関や大学・研究機関に浸透しようとしていると見られます。

アメリカで「チャイナ・イニシアチブ」と呼ばれたアプローチは、良くも悪くもタイ中国事業としては十分に念頭に置いておく必要があります。

TikTokが問われたシギント疑惑

そして、ごく最近ではアメリカでサービスの売却を米議会などから求められている「TikTok」を運営するByteDance(字節跳動)社から、個別具体的にデータサイエンスを専門としている国内研究者に対し、五月雨さみだれ式かつローラーで共同研究の申し込みが乱発しており、そのうち研究費の獲得に苦労している大学や研究室が、研究補助となる中国人留学生の受け入れとバーターで、20万ドルから60万ドル規模の共同研究を受託してしまう事例も出ています。

ByteDance社の最高経営責任者(CEO)である周受資さんが、約5時間半にも及ぶ米下院エネルギー・商業委員会の質疑の中で問われたことの中には、広く米国民にも普及したTikTokを使って得られたアメリカ人(13歳未満の子供も含む)個人に関する情報を、アプリの価値向上という目的を超えて、中国やその他ByteDance社が傘下に置く企業に対して情報を不適切に流用し、中国に好意を抱かないアメリカ人ジャーナリストの情報を家族の利用履歴から所在位置を割り出し続けていたのではないかという嫌疑も含まれています。これは典型的なシギント(Signals Intelligence、通信等の傍受による情報収集)活動であって、中国政府や中国共産党の情報部門とこれらのByteDance社内にいる何らかの人員が、国家情報法などに基づき中国が問題とする人物の情報収集の手段となっていたのではないかという話にもなります。

TikTok CEO、米公聴会で何を言った?議員らフォーブス記事も引用し追及 :Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

ByteDance社のサーバー拠点のひとつはノルウェーにあり(設置はノルウェーのGreenMountain社で、株主はイスラエル、Azrieli Group)、表向きは豊富な水力発電力があるノルウェーならグリーン電力調達力があるため将来的にサステナブルだ、という説明になっていますが、実際にはノルウェーの立地が対ロシア通信網やスバールバル衛星通信局(SvalSa)にほど近く、この方面へのアクセスが容易であることが選択の背景にあったのではないかとも想定されます。

焦点:暗転する北極圏軍事的優位に立つロシア、追うNATO

ByteDance社が会社組織全体としてこれらの取り組みに対してがっぷりと中国共産党や情報当局の要請に基づいて動いているようには見えませんが、一方で、特定のByteDance社の幹部はほぼ確実に情報当局の意向で活動していることは確実とみられることから、かつてはHuawei(華為)やZTE、Siaomi(小米)など通信系各社が中国情報部門の代行機関として諸外国への浸透を図っていたものが、これらの監視が強化されたことから、ByteDance社だけでなく、もっと小さくて知名度のない中国企業に要員が送り込まれて個別に日米豪各国に入ってきているものと予想されます。

データトラップの毒まんじゅう

日本の場合、これらの浸透が中華系民間企業から行われる場合、それが共同研究や合弁会社設立、企業買収、調査委託、留学生受け入れなどのいかなる手段においても不正防止競争法など特段の法規に引っかからない場合は合法であるため(重要)、何か情報漏洩や経歴詐称など不正な手段が露顕してからでないと摘発ができません。

また、これらの場合はデータトラップ的な手段で、まずは手ごろなデータが研究資金と共に渡されて、その分析粒度や精度に応じて下された評価を元に、ターゲット先を定めて資金と人員の集中投下を行うやり方には非常に脆弱になります。

特に、TikTokの利用者データを使った共同研究や、エネルギー系企業からの素材分野での研究・調査委託はその分野に携わる研究機関、大学、研究室・研究者に研究資金がないことなどから、かなり簡単に毒まんじゅうを食べてしまってどうにもならなくなることが多くあります。これらの研究室で問題となっているところはせっせとリスト化していますが、仮にリスト化したとしても、これらは合法ですし(重要)、これを理由に何らかの形で問題があるからと排除することもまた困難です。

緩い日本を踏み台に米欧を標的

そのTikTokの利用者データも、前述の通りアプリの利用目的に鑑みてアメリカ国民から適切ではない手段で取得してきたデータが含まれている可能性は否定できません。日本の法規では適法であったとしても、アメリカや欧州のデータ法制においては違法なデータであり、それに関われば米欧の法律では不適切かつ違法な分析に加担した日本人がいる、と言われる可能性も捨てきれません。

同様に、中国の船舶会社や化学会社、貿易企業、エネルギー関係会社からの調査委託では特に、ピンポイントで特定の日本人研究者を抱き込みにかかるケースも存在します。これは本来であればアメリカでの工作を直接やりたいところ、アメリカに留学生を送ると監視対象になることから、日本を踏み台にしてアメリカや一部の欧州諸国に浸透したい作戦の一環と考えて間違いないのではないかと思います。

昨今、特定野党などから日本もスパイ防止法や防諜体制の組織づくりをするよう強く求める声が出ているものの、すでに浸透されてしまっている現状に対して何ができるのかや、いま起きている事象は概ね「日本国内法において合法である」ことが極めて重要なポイントとなります。いまからこれらの工作を見咎めて「違法でござる」と言えるような法律を作るのは至難とも言え、しかし作らない限り未来永劫やられっぱなしなのかという相克も発生します。

日本学術会議のように、明らかに出先機関に浸透されてしまったとみられる団体が、国からの資金やその人事でさえも介入できない状態であるのに、いまカネのない国立大学や独立行政法人、研究室・研究者に対して中華系資金や人員を精査せよと言って、本当に対応されるのかどうかは謎です。たぶん無理ですし、やろうとすると、やろうとした人が返り血を浴びる仕組みになってしまいかねませんので、慎重に対応するしかないのではないか、と思います。■