第8回
揺籃期メイスンは懐かしさと無縁
ペリー・メイスン(HBO版)
シーズン1全8話(1話60~68分)
製作総指揮ロバート・ダウニーjr. 、スーザン・ダウニーほか
監督ティモシー・ヴァン・パタンほか
出演マシュー・リス、ジョン・リスゴー、ジュリエット・ライランス、クリス・チョーク、シェー・ウィガム
製作2020年
配信HBO/U-NEXT
「ペリー・メイスン」
その題名を聞いてすぐに反応するのは、我々の世代だけかもしれない。一般的には団塊といわれる世代だが、ダンゴムシの集まりのようで、あまり使いたくはない。本来は占領下の意味から「オキュパイド世代」が適当なのだろうが、いまさらという感じで結局は「我々の世代」に落ち着く。
我々の世代が、小学校の高学年のころである。テレビ・ドラマ『弁護士ペリー・メイスン』が、日本で最初の1時間の海外ドラマとして放映され、高視聴率を記録したのは。
海外の人気ドラマとしてはこののち、中学時代は医療物の『ベン・ケーシー』、高校時代はリチャード・キンブルの『逃亡者』という流れとなる。
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『弁護士ペリー・メイスン』は、ロサンジェルスの弁護士ペリー・メイスンが、若く美しい秘書のデラ・ストリートや、いかにもプレーボーイ然とした探偵のポール・ドレイクとともに、依頼人の無罪を証明し事件の真相を解き明かすドラマである。見せ場の法廷シーンでは、証言の矛盾を突いて真犯人を特定するのだが、メイスンの弁論は鮮やかで、早くから国史志望だった私なども、この時期だけは弁護士になってもいいかなと思ったほどであった。
原作者のE・S・ガードナーは、弁護士として活動しながらも、仕事の合間には数多くの短篇を発表していた。法律家としてもかなり有能だったようで「生まれながらの反対尋問者」「法律技術の魔術師」とも呼ばれていたそうである。
1933年、弁護士生活20年を超えたガードナーは、ペリー・メイスンが初めて出てくる長篇『ビロードの爪』を世に問うと、これが評判を呼び、続いて『すねた娘』、翌年には『幸運の脚』『吠える犬』『奇妙な花嫁』と立て続けに刊行され、一躍人気作家となった。ダシール・ハメットの『マルタの鷹』の3年後、レイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』の6年前のことである。
メイスン・シリーズは、1965年まで毎年2冊から3冊出版され、1970年に著者が亡くなったのちの2冊も加えると82作にものぼり、そのすべてが邦訳された。ガードナーは超多作の作家で、ほかにもダグ・セルビー検事シリーズなどいくつかのシリーズ物もあり、作品は小説だけでも127作を数える。
湧き上がるアイデアをタイピングしようとするも間に合わず、専門家にタイプしてもらうが追いつかず、やむなくディクタフォンに口述し、それからタイプしてもらったとの話が伝わっている。のちにはテープレコーダーを活用していて、創作はつねに口述筆記で行われた。
メイスンのドラマは、1943年からはラジオ・ドラマとなって人気が加速し、テレビが普及すると1957年からはテレビ・ドラマとして放映され、絶大な支持を受ける。かくしてミリオンセラーは50冊を超え、200万部以上は13冊という、まさに20世紀最大のベストセラー作家となった。
もっとも、絶大だっただけに人気の退潮も素早いもので、21世紀に入るとわが国でも、メイスンの翻訳本は書店から姿を消し、わずかに図書館の奥で息を潜めるばかりとなる。E・S・ガードナーもいつしか、忘れられた作家のひとりとなっていた。
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2020年、この伝説的なベストセラーは、HBOによって『ペリー・メイスン』としてリメイクされる。題名を聞いただけでも懐かしくなり、60年以上前の記憶を抱えつつ見始めた。
冒頭から、それは裏切られる。
幼児誘拐の身代金の受け渡し場面から始まるのだが、小学生時代の朧気な記憶と比べて、映像がずいぶんと暗いのである。フィルム・ノワールという手法で、すぐに慣れるのだが、それでも最初の十数分は、月を裏側から眺めているような気分であった。
時代的には1930年代初頭、禁止されていた酒も競馬も、大恐慌を克服するために認可されようとしていたころなので、暗い映像のほうが自然ではあろう。1920年代のアトランテック・シティを描いた『ボードウォーク・エンパイア』と雰囲気が似ていて、じっさい『ペリー・メイスン』の監督のティモシー・ヴァン・パタンは、『ボードウォーク・エンパイア』でも多くのエピソードで監督を務めている。「LAが誕生した瞬間をメイスンを通じて伝えたかった」と脚本家が語るように、20年代は東海岸の『ボードウォーク・エンパイア』、30年代は西海岸の『ペリー・メイスン』という位置づけなのだろう。
続いてペリー・メイスンが登場する。
驚いたことに弁護士でなく、探偵であった。
しかも人気俳優の盗撮や盗聴を行う薄汚い探偵で、仕事に没頭したため女房子供に逃げられ、電話で息子の声を聞きたいと懇願する始末。そのくせ親から受け継いだ古ぼけた牧場に住み、女性の飛行家を愛人としていた。姿も形も貧相で、かつてレイモンド・バーが演じた弁舌爽やかなメイスンとは似ても似つかない。なかなか難しい役柄だが、それを『ジ・アメリカンズ』でエミー賞主演男優賞を受賞したマシュー・リスが好演している。
じつはHBOのリメイクは、ペリー・メイスンが弁護士となる前日譚であった。
この類いのドラマは最近、数多く見かける。『主任警部モース』の若き時代を描いた『刑事モース ~オックスフォード事件簿』、『第一容疑者』の主人公、ジェーン・テニスン警部の新人時代を描く『女捜査官テニスン~第一容疑者1973』、『刑事ヴァランダー』には文字通り『新米刑事ヴァランダー』、わが国でも『少年寅次郎』や『釣りバカ日誌 ~新入社員 浜崎伝助』など、人気ドラマの前日譚は定番となっている。やがては『新米刑事・杉下右京』なるドラマも作られるかもしれない。
『ペリー・メイスン』がこれらの前日譚と一線を画すのは、職業が異なることで、当然ながら脇の役柄も変わってくる。
デラ・ストリートも、リメイクされて出てくる。誘拐事件に関してメイスンに仕事を依頼する老弁護士の秘書で、演じるジュリエット・ライランスは、とても「若い秘書」には見えない。そのうえ同性愛者という設定で、これには拒否反応を示す年輩ファンも少なくないだろう。
仲間の探偵も、ドレイクではなくピートといった。『ボードウォーク・エンパイア』にも出ていたシェー・ウィガムが演じている。
ならば、ポール・ドレイクは何処にありや、と注意していると、黒人警官にその名が付けられていた。
やがてメイスンは弁護士となるが、元探偵だけあって活動的で、60年前の法廷シーンを中心としたドラマとは、まるで趣が異なる。
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リメイクがこれだけ違うと、どうしても原作を読みたくなる。
忘れられたといわれるメイスンだが、近年になってグーテンベルク21によって、初期の作品が電子書籍化されていて、入手しやすくなっていた。だがKindle Unlimited を利用して読み始めると、すぐに後悔する。さすがに世紀のベストセラー、面白くて止まらないのである。昨今のミステリーとは違って、心理への無駄な描写もなければ、服装や食べ物などへの無用な言及もなく、それゆえテンポがよく、とても新鮮な感じがする。2日に1冊の割合で読んでいて、ただいま7冊目だが、いつ果てるともしれない。ドラマのリメイクを契機に、ガードナーの作品が再び人々に読まれることは間違いない。
原作を読むと意外なことに、最初の作品『ビロードの爪』には法廷シーンがまったく出てこない。続く『すねた娘』では半ばを過ぎると出てくるが、『幸運の脚』でも法廷シーンがないまま事件は解決する。4作目の『吠える犬』はなかなかの名作で、法廷シーンも出てくるものの、結末が衝撃的なため印象が薄い。ようやく『奇妙な花嫁』に至って法廷が重要な場面となり、ついで代表作『義眼殺人事件』を迎える。
いったいに揺籃期のメイスンは、危険を顧みずに行動に移る傾向があり、かなり危うい橋を繰り返し渡っている。
ライヴァルとなる地方検事のハミルトン・バーガーは語る。
「きみは、弁護士としてよりも、探偵としてずっとすぐれた腕をもっている。しかも、それが、きみの法律的才能を傷つけていないという結論ですがね」(『義眼殺人事件』)
秘書のデエラ・ストリートも、こう語りかける。
「あなたったら、いつもとんでもないことをなさるのね。あなたは、半分聖者で、半分悪魔ですわ。中間のほどほどってところがないの」(同)
初期の作品では、法廷シーンが中心のドラマとはほど遠く、その意味でリメイクは、原作により忠実であるといえるだろう。
HBOの『ペリー・メイスン』では最後に、秘書のデラが自分の立場を主張する。横には、黒人警官から探偵になったポール・ドレイクが控えていた。そののち、新たな依頼人が姿を見せる。エヴァ・グリフィン、それは『ビロードの爪』に出てくる依頼人の名前でもあった。
懐かしき「ペリー・メイスン」
自己主張の強い秘書と黒人探偵を引き連れて、大ベストセラーがどのように蘇るか、次シーズン以降への興味は尽きない。■