第7回
笑えるカーキチの「農牧」奮闘劇
ジェレミー・クラークソン農家になる
ドキュメンタリー全8話(1話40~54分)
監督ギャヴィン・ホワイトヘッド
出演ジェレミー・クラークソン、ジェラルド・クーパー、ケイレブ・クーパー、エレン・ヘリウェル
場所コッツウォルズ地方のディドリー・スクワット・ファーム
配信アマゾン・プライム・ビデオ
ジェレミー・クラークソンといえば、BBCの人気自動車番組『トップ・ギア』の名物司会者として知られている。「車は馬力」のパワー主義者であるとともに、なにかと問題発言も多く、それが人気の源泉でもある。
2015年にプロデューサーへの暴行騒動で『トップ・ギア』を降板したのちも、新たな自動車番組『The Grand Tour』を立ち上げ、さらに2021年には『ジェレミー・クラークソン農家になる』を配信した。題材が農業となれば、いかにジェレミーとはいえ退屈なのではと危ぶんだが、意外や意外、なかなか楽しいドキュメンタリーであった。
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2008年にジェレミーは、ロンドンから西へ約200キロの丘陵地帯コッツウォルズに、400ヘクタールの地所を手に入れる。400ヘクタールといえば4平方キロ、すなわち一辺の長さが2キロの正方形という宏大な土地で、農地のほかにも、森があり、小川が流れていた。農場の経営は村の知人に依頼していたところ、急に引退すると聞きジェレミーは、周囲の反対など何処吹く風と聞き流し、2019年の秋からこの地で農業を始める。『ジェレミー・クラークソン農家になる』は、その1年間の記録である。
農家の初日には、トラクターを手に入れようと店に出かける。自動車好きのジェレミーは、イタリアのランボルギーニ社製の巨大トラクターを買って、意気揚々と戻ってくるが、あまりにも大きすぎて納屋に入らなかった。しかもランボルギーニはいまやフォルクスワーゲンの傘下にあるため、パネルの説明がドイツ語表示で意味不明、結局は連盟事務所に連絡し、説明員を派遣してもらう。
その後も、素人ゆえのトラブルは続き、そのたびに悪戦苦闘し、狼狽える。むしろ196センチの巨漢で、『トップ・ギア』では自信満々のジェレミーの狼狽える姿こそ、このドキュメンタリーの売りなのかもしれない。加えて登場する地元民は、ドラマの助演男優賞候補にでもあげたくなるようなキャラクターが揃っていた。
農地管理人のチャーリー・アイルランドは、農業経営の指導や関連法規の説明、作付けの計画立案などをしてくれる。にこやかチャーリーとジェレミーは呼ぶが、その指導は的確で、法規を守ることについてはことに厳しい。
チャーリーの勧めで農機具の競りに行って、耕運機、播種機、散布機などを入手してくる。日本の農村の感覚からすると、その種類の多さと大きさには驚くほどで、これほどの農機具を扱うとなれば、イギリスの農業従事者の死亡率が他の産業の3倍というのもうなずける。
ジェレミーは、この農機具を巨大なトラクターに取り付けるのも四苦八苦、それを横目で見ながら、チャーリーはにこやかに語る。
「農業は我慢のゲームです。彼は決して我慢強いタイプではないから、かなりの試練になりそうだね」
試練はすぐに訪れる。小麦や大麦、ジャガイモなどを作付けするために、農地を耕し、種を播くのだが、一人ではとうてい無理だった。そこでケイレブ・クーパーに手伝いを頼んだ。聖書に出てくるモーゼも知らなければ、アメリカのオクラホマも知らない地元民で、ロンドンにさえ、校外学習で1 回しか行ったことなく、しかもそのときは人の多さに圧倒され、バスから降りなかったという。
ケイレブは農作業を請け負うだけでなく、 所有する掘削機で建物の基礎工事や水道管の敷設なども行っていた。羊50頭、豚5頭、鶏120羽も飼っていると聞き、ジェレミーは訊ねる。
「君、年はいくつ?」
「21です」
「なに?」
「21歳」
「自分が悲しくなる、59なのに何もできない」
この農場で3年間働いていたので、ケイレブは畑の配置も作業の手順も完全にマスターしていて、ジェレミーにとっては、まさに救世主となる。とはいえ若き救世主は仕事には口うるさく、初老の素人が少しでも手を抜くと怒り、口汚く罵るのであった。
10月に入ると6週間も雨が降り続き、100年振りの大雨を記録する。洋の東西を問わず、農業とは自然との闘いである。遅れを取り戻そうとジェレミーは、ケイレブとともに農作業に勤しむのだが、それだけではドキュメンタリーとしては単調にすぎて、面白味に欠けると見たのだろう、いろいろなサイドビジネスにも手を広げる。
まずは耕作しない草地を羊の繁殖に利用しようと、雌の羊78頭を買い込んだ。牧羊犬は高価なので、その声を仕込んだドローンで代用するものの、羊たちもすぐに気付いたようで、バカにするなとばかり反抗的となり、暴走して塀をこわしてしまう。ところが修理にきてくれたジェラルド・クーパーがこれまた役者だった。なにしろ訛りがひどく、制作者も聞き取れなかったほどで、この場面には字幕もなければ吹き替えもない。しかも話している本人が委細構わずといった風だからおかしい。ジェラルドはこののちも登場し、周囲を煙に巻いていく。
ほどなく繁殖のために買った雄の羊が届き、ウエインとレオナルドと名付ける。ウエイン・ルーニーとレオナルド・ディカプリオのつもりらしい。羊の交配は自然交配なので、雌の群れを見つけるとルーニーとディカプリオは軽やかな足取りで突進する。
じつは私は競馬史家でもあるので、このシーンを見ながらサラブレッドの種付を思い出していた。温和しく繋がれた繁殖牝馬の近くで待っていると、鼻息も荒く、すっかり昂奮した種牡馬が、数人の牧夫になだめられながら登場する。あのときの荒々しい種牡馬に比べて、ルーニーとディカプリオの足取りの、なんと軽やかなことだろうか。微笑ましく思えてきた。
意気揚々と雌の群れに突入した2頭は、次から次へと背中に乗っていく。さすがに俳優よりサッカー選手のほうが元気旺盛なようで、ルーニーの交配した雌羊はディカプリオの2倍にのぼった。
羊の牧草地のために水を引く話も興味深い。
1922年の地図に配管が記されているのを確認すると、それを復活しようと考える。このときL字形の金属棒2本を使って、牧草地の地下の配管の位置を探り当てる。ダウジングである。ベトナム戦争当時、地雷を発見するために使われたと聞いていたが、実際に映像で見るのは初めてだった。半信半疑でネットを逍遙したところ、ダウジングとは人間の潜在的な意識の力を使うテクニックであって、超常現象ではないと主張するサイトが数多く見つかる。
水道管を確認すると、タンクに水を引くために1.6キロも離れた泉からホースを敷くのだが、このとき使われる農機具は、穴を掘ってホースを埋め、土をかぶせるという代物で、あまりの器用さに感動してしまった。ただ1.6キロもあれば、何度かトラブルに遭遇する。後始末にあたるのはもっぱらケイレブで、苛立ちながら叫ぶ。
「この番組はね、結局ボクが働き、アナタが見ているだけの番組になるのさ!」
かくして、ヴィクトリア女王時代の地下給水網は復活し、牧草地の水槽に水が溜まる。ただし羊たちが、その水槽に興味を示すことはなかった。ジェレミーは溜め息をつき、こうつぶやく。
「農業ってやつは複雑だ……」
このほかにも、沢にワサビを植えたり、池を掘ってマスを放したり、ミツバチを借りてきてハチミツを採取したり、鶏を飼育して卵を産ませたりする。さらにそれらを売るための直売所まで新たに設置した。どれも牧羊の場合と同じように問題は発生し、そのたびにジェレミーは狼狽え、クレイブは走りまわる。
2020年に入ると、新型コロナの蔓延が伝えられ、3月にはロックダウンが実施される。もっとも人よりも羊のほうが多い農村では、マスクもソーシャルディスタンスも、あまり関係はなかった。
やがて実りの季節が巡ってくる。3月には子羊が生まれ一騒動。そののち日照りに悩まされつつも、6月には大麦の、夏には小麦の収穫で、また一騒動。最後にチャーリーが1年間の収支を伝え、ジェレミーを驚かせる。どうやらもう1年、農業を続けるそうである。
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ドキュメンタリーを見終わると、イギリスの農業について詳しくなったような気になり、さらなる興味が湧いてくる。人間にとって農業は根源的なものなので、それが刺激されたのかもしれない。
翻って我が国の農業を考えると、麦ではなく米となる。米作のドキュメンタリーは見かけないが、かわりに『天穂のサクナヒメ』というゲームがあって、楽しみながら米作の知識を習得できるという。ゲーマーの中にも本格的に米作に興味を覚えた人がかなりいたようで、そういうゲーマー向けに全農は、解説冊子「田んぼをつくって稲作りを体験しよう」を提供している。
じつは我が家にあるNintendo Switchにも、『天穂のサクナヒメ』が入っているらしい。新型コロナの第6波が襲来し、またステイホームが強いられるようならば、このゲームで米作の知識を得るのも一興かと思っている。■