第6回
死を悲しむことができるまで
メア・オブ・イーストタウン/ある殺人事件の真実
リミテッドシリーズ全7話
主演・製作総指揮/ケイト・ウィンスレット
共演/ジーン・スマート、ガイ・ピアース、ジュリアンヌ・ニコルソン 、 エヴァン・ピーターズ
配信/HBOU-NEXT
2021 年度のエミー賞リミテッドシリーズ部門の作品賞は、『クイーンズ・ギャンビット』が選ばれた。養護施設出身の少女がチェスの才能を開花させる話だが、巷間伝えられるほど面白くはなかった。我が国には『3月のライオン』をはじめとして、将棋にまつわる魅力的な作品が数多く作られている。それらの名作に比べると、いかにも平板な印象を拭い切れないからだろう。
むしろ候補作では、ペンシルベニア州イーストタウンを舞台に、中年の女性刑事メアが殺人事件を捜査する『メア・オブ・イーストタウン』の方が見応えがあった。じっさい主演女優賞、助演男優賞、助演女優賞は、このドラマの出演者が受賞している。
田舎町のイーストタウンに伝説が作られたのは、1995年のことであった。地元の高校女子バスケットボール・チームが、州の選手権大会で優勝したのである。
25 周年を迎えたその日、町の誇りを称えようと地元の新聞は一面で書き立て、夜には祝典が開かれる。招かれた選手のうち4人は、現在もこの町を離れていなかった。ウイニングショットを決め「レディ・ホーク」と呼ばれるメア、親友のロリー、ベス、ドーンで、だれもが母親となり、だれもが悩みを抱えていた。
ドーンの娘ケイテイは子供をおいて失踪し、行方不明のまま一年が経過し、ベスの弟は薬物中毒で金欲しさに盗みを働き、ロリーの夫は浮気を繰り返す。父の後を継いで警官となったメアは、離婚後は母親と娘、息子の忘れ形見と暮らしていて、日頃から諍いが絶えなかった。ほどなく、息子の嫁から提訴された孫の親権問題に振り回される。
その日、部長刑事のメアは、ケイテイ失踪事件が未解決なため、郡から捜査官が派遣されると告げられる。しかも元夫が隣の家に越してきて、夜には再婚パーティが開かれ、母も娘も参加するという。苛立つメアは、祝典ののち酒場で知り合った作家のリチャードと一夜をともにした。翌朝、全裸に近い形の少女の遺体が谷川で発見されたとの知らせが入り、物語は動き始める。
殺されたのはエリンで、未婚の母でもあった。妊娠させた少年、その恋人、元夫、神父などに容疑がかかり、田舎町ゆえに、いずれも知り合いかその縁者で、捜査は難航する。
メアは事件解明に没頭するが、その立ち居振る舞いは強烈である。髪はボサボサ、体形は崩れ、化粧で皺を隠そうともせず、暇があれば電子タバコを吸い、ビールを見つければ手を伸ばす。そんな中年女性の生々しさを『タイタニック』で評判となり、『愛を読むひと』でアカデミー賞主演女優賞を獲得したケイト・ウィンスレットが熱演する。セックスシーンでの腹部のたるみを修整すると知り、これを拒否したと伝えられるほど役柄に打ち込み、主演女優賞に輝いた。ドラマ出演は十年前に、これまたエミー賞を受賞した『ミルドレッド・ピアース』以来となるが、その圧倒的な存在感は前作とは比ぶべくもない。
メアの母親を演じるのは名優ジーン・スマート、気心の知れたウィンスレットとの遣り取りは遠慮がなく、言い合いでさえ微笑ましい。助演女優賞かと思いきや、コメディ部門の『Hacks』主演女優賞に選ばれる。
また作家役のガイ・ピアースは、『ミルドレッド・ピアース』ではウィンスレットの再婚相手であった。
捜査が進展するにつれ、もうひとつのドラマが輪郭を現してくる。孫の親権を守るために不正行為を働き休職となったメアは、グリーフケアを受けるよう命じられた。親友のロリーがアドバイスする。
「セラピーが好きじゃないのは知ってるけど、ケイテイやエリンの事件から離れてみるのもいいんじゃない」
さらに、こう続ける。
「家族も心配してる、ちゃんと話をしてないでしょう、ケビンのことも」
息子ケビンは、気分障害から薬物中毒に陥り、暴力を振るい始め、そして2年前に屋根裏で首を吊っていた。
リチャードも心配する。
「なんか重い物をたくさん、背負い込んでいるみたいだ。君のために何かしてくれる人はいないのか?」
そこでセラピストに、息子の自殺とともに、父親も欝に苦しみ、拳銃自殺したことを話してみる。
メアは、自分に心を寄せる郡の捜査官コリンとともに秘かに捜査を続け、ついには失踪事件の真相をつきとめた。だが、犯人と銃撃中にコリンは殉職してしまう。お悔やみに赴くとコリンの母は、メアを平手打ちして、「あなたと行かなければ息子は今も生きてた」と憎悪をむき出しにする。
男たちは死に、残された女たちは苦悩する。そういうドラマなのだろう。
自信を失ったメアは不安に襲われ、セラピーに足を運び、悩みを打ち明けた。
セラピストは語りかける。
「私が心配なのは、息子さんの死をちゃんと悲しめていないこと。心の痛みから逃れる術を外の世界に求めている。他人の悲しみに隠れてるの。ケイテイにエリン。だから事件が解決しても、あなたの悲しみは消えはしない、それに向き合うまでは。よかったら話してみない、息子さんが亡くなった日のことを」
励まされながらメアは、息子が自殺した日のことを事細かに語り始める。ウィンスレットの迫真の演技は、ドラマのクライマックスでもある。速いテンポで話が進むため、ミステリーと分類されるだろうが、じつは肉親を失った女性の再生の物語でもある。
身近な者へのメアの対応は変わる。再び薬物に手を出した息子の嫁を元気づけ、自殺現場を最初に目撃した娘を抱きしめ、口うるさい母親にも優しく接する。母に対して、娘に対して、息子の嫁に対して、絡まった糸が次第にほぐれていく。和らぐメアを見ながら、父と息子ではこうはいくまいと思うが、ウィンスレットの迫力に気圧される。
最終話では、冒頭で蒔いておいた種が、落ち葉を拾い集めるように、それは見事に回収されていく。そして最後には、納得のシーンが待っていた。
それにしてもこのドラマ、愛憎をむき出しにして苦悩する女性に対して、男性たちの意気地のなさは何なのだろうか。髭面の男どもは、なべて我慢がきかず、気が弱く、ストーカーをしたり、暴力を振るったりする。心優しいリチャードやコリンなども、インク切れのサインペンで書いたように影が薄い。いい年をした男どもは結局、犯人にさえもしてもらえなかった。デイモン・ラニアンの最初の短篇集は『野郎どもと女たち』と訳されたが、その言い方をなぞると、まさに『女どもと野郎たち』だろう。
エミー賞の表彰式で、バラエティ部門の主演男優賞のプレゼンターとして登壇した女優のジェニファー・クーリッジは、こう宣言する。
「この業界において、この上ないハンディキャップを克服した候補者たちを祝福したい。男性であるというハンディキャップを、ね」
喝采する女優たちに、沈黙する男優たち。
まるでこのドラマを要約するようなスピーチであった。■