流視逍遥
レイプ犯追跡、絡み合う二つの時間 流視逍遥
調査報道サイト「プロパブリカ」が原作のレイプ捜査ドラマ

第5回

レイプ犯追跡、絡み合う二つの時間

アンビリーバブルーーたった一つの真実

リミテッドシリーズ8話1話45〜59分

原作/ProPublica ‘An Unbelievable Story of Rape’

出演/トニ・コレット、メリット・ウェヴァ―、ケイトリン・デヴァー

制作・配信/ネットフリックス

ドラマのアカデミー賞ともいわれるエミー賞には、「ドラマ」「コメディ」とともに「リミテッド・シリーズ」という部門が設けられている。数シーズンにわたるのではなく、1シーズンで終了するドラマがこれに該当する。いうなれば、映画が短篇、連続ドラマが長篇だとすると、中篇といったところだろうか。

そこはまた、秀作の宝庫でもある。

昨年配信された『アンビリーバブル』は、まさにその典型のような作品であった。レイプ被害を受けた少女が逆に虚偽証言で訴えられた話で、調査報道を専門とするネットメディア、プロパブリカに掲載されたレポート「An Unbelievable Story of Rape」を原作としている。ちなみにこのレポート、2015年のピューリッツァー賞を受賞した。

性犯罪の冤罪といえば、同じく昨年配信された『ボクらを見る目』も大変な評判を呼んだ。1989年にニューヨークのセントラルパークで、ジョギング中の白人女性がレイプされ、重傷を負った事件が題材になっている。

黒人とヒスパニックの少年5人が逮捕され、証拠は皆無だったが、初動段階での自白が命取りになり、全員有罪となった。「セントラルパーク・ファイヴ」としてセンセイショナルに報道され、5人とその家族は苦難の生活を強いられる。それは2002年に真犯人が現れ、有罪判決が覆されるまで続いた。ドラマは、事件発生から冤罪確定までの日々を丁寧に追っていく。

人種差別の観点からも注目されたドラマだが、加えて事件発生当時、広告を出して白人社会の憎悪を煽ったドナルド・トランプがいまや大統領になり、指揮をとった検察官リンダ・フェアスタインがベストセラー作家となっていることも、関心を集めた理由だろう。

『アンビリーバブル』は、この事件に比べるともう少し複雑で、ドラマの筋立ても凝っている。

2008年、ワシントン州で18歳のマリーが、深夜にアパートに侵入した男にレイプされる。ただ痕跡が全くなかったことから、当初から疑問を抱かれていた。さらに両親に捨てられ、苛酷な幼少期を送ったマリーは、何度かトラブルを起こしていて、それを知る里親が、作り話ではないかと囁くと、警察は一転して虚偽証言として捜査を進める。

中年の男性刑事二人は、18歳の少女にレイプ時の詳細を繰り返し語らせ、ついで他の証言者との些細な食い違いを指摘する。中年の男たちから逃れたい一心のマリーは、やがて思うようになる。

「あれは夢だったのかもしれない」

中年刑事は、もう一歩、追い込む。

「夢ではだめだ、虚偽でないと」

やむなく虚偽であることを認めると、それまで同情的だった友人たちは離れていき、里親からの信用も失う。ほどなく実名が報じられて職場も居づらくなり、ついには虚偽告訴罪で訴追された。天涯孤独の少女が、中年刑事の粗雑な捜査によって社会的に孤立していく姿は、見ていて辛いものがある。

3年後の2011年、コロラド州で女子学生が、未明に侵入した男にレイプされる。物証は全くなかった。事情聴取したカレン刑事は、近くの署でも類似した事件が発生していることを知る。59歳の女性がレイプされたもので、こちらも物証は残っていなかった。カレン刑事は担当のグレース刑事とともに調べを進め、別の署で65歳の女性のレイプされた事件を見つけ出すと、連続レイプ犯と断定、本格的な捜査に乗り出す。

女性刑事二人の、性犯罪に対する覚悟は尋常ではなく、数少ない遺留品や不鮮明なカメラ画像からレイプ犯を追い詰める。ドラマではそれを、ピューリッツァー賞のレポートよりもリアルに、一級のミステリーにも劣らない緊迫感をもって描いていく。当初は距離のあった二人の女性刑事が、少しずつ認め合い、信頼し合うまでの過程も、見応えがある。

だがこのドラマで最も興味深いのは、物語の展開の手法だろう。第2話から7話、この間は二つの事件が同時に進行する。すなわち、少女の孤立化と犯人の追跡が平行して語られる。その際の場面転換がじつに巧みで、可哀想な少女の場面から、刑事が犯人を特定する場面に転じると、早く少女を助け出してくれと叫びたくなる。そして、ふと現実に戻り、二つの事件は3年隔たっていることに気づく。このとき、不思議な感覚に襲われる。二つの時間が絡み合うような感覚に。

たしかに原作のレポートも同時進行になっているが、場面転換の妙において、言葉は映像に遠く及ばない。

第7話のラストで、その手法は最高の効果をあげる。

セラピストと話をしながら少女は、頑なな心の扉を少しずつ開いていく。最後にセラピストは訊ねる、もう一度同じようなことが起きたらどうするか、と。

「そのときは真実は曲げずに伝えると言うべきかも。でも実際は最初からウソをついたほうが楽だった」

少女の長い台詞が続く。途中で何度もカットされ、逮捕したレイプ犯が隠してあった写真を確認する二人の刑事の姿が挿入される。

「だから、次は最初からウソをつく」

どの写真も、刑事のリストに載っている人物だった、

「どんないい人でも、信頼できる人でも、真実が不都合なら、真実が気に入らなければ、信じないから」

最後に一枚、見たことのない写真があった。

「だから、大切な人の言葉でも信じない」

少女マリーの写真だった。

最終話は2011年で、無罪となったマリーは、市当局からの補償金で車を買い、町を出る。とある海岸までくると電話をかけ、初めてカレン刑事と接触する。事件以降は希望を失っていたが、二人のことを聞いて救われたと語ったのち、こう続ける。

「おかげで立ち直れたと知ってほしくて連絡したの。ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう」と、女性刑事は答える。

その場面に至り、不覚にも、落涙してしまった。

ユッシ・エーズラ・オールスンの人気作『特捜部Q知りすぎたマルコ』以来、5年振りの落涙であった。